エレファントピア

エレファントピア

アフリカの思い出

アフリカの思ひ出


モロッコのベッド

今までで一番かどうかは分からないが、印象に残っている寒さと言ったら、

モロッコのユースのベッドの中  です。

今を去ること〇年前にアフリカはモロッコに旅したときのことです。
イギリス滞在中のイースター休暇を利用して行ったのですが、滑り出しからか~な~りおおばかさんでした。
イースターの頃はイギリスはそれはそれは寒かったのですが、

アフリカ → 赤道 → 暑い!

というリニアな思考回路の持ち主であるわたくしは、荷物を増やすのも嫌で思いっきり軽装で初のアフリカの地を踏んだのでした。


さ、さ、さ、

さ、さむい~~~  (((((゜田 ゜


そうです。
モロッコは北アフリカ。
冬はフツーに寒いのです。
地図見ろよ。でも見てもきっと気付かなかったろう..


まず出で立ちからして寒寒の上、
移動の電車の中でマフラーをなくしました。ぐあぁ!命綱がぁ!
コンパートメントの中、髭のおじさんたちがひしめいていて怖かったなあ。

さらにその頃ラマダンだったので、日中ろくなものが食べられず、体内熱量の低下をヒシヒシと感じました。


そして、あれはカサブランカだったか、マラケシュだったか…

後からモロッコ入りした友人たちと待ち合わせのためユースホステルに泊まったのですが、いや~~~ここがね~

他の住居もそうでしたが、まさに
家屋は夏を持って旨とすべし。

風通し抜群!寒風吹きすさみまくり!

ありったけの衣服を着こんで薄っぺらな毛布一枚に篭って寝るのですが、一番寒くて一番目覚めたくない朝4時にコーランがかかるのでどうしても目覚めてしまう。


いや~あれは寒かったです。
やっぱりアフリカに軽装でふらっと行ってはいけないのですね。

でも数日経つと、どうも危機を察知した身体が基礎体温を上げたらしく、結構大丈夫になってきました。
ラマダンはキツかったけど。
なんで私はラマダンしてたんだ?


(2004年8月1日)





アフリカで家事テツ

数万年前に、論文作成のために、ケニヤのナイロビとキスムというところを訪ねた。

ナイロビには2週間とちょっといたのだが、ホテルに泊まるのは危ないということで、その頃日本語講師をしていた母の紹介でケニヤ人留学生の実家を紹介してもらった。(職権濫用…)

着いたお宅は、お父さん、お母さん、お兄さん、妹さん、と留学中の弟さんの5人家族。(その時は4人)+スパイクというかっこいい犬がいた。一戸建てで電化製品などもわりとあり、お父さんはビジネスを持っていて、お兄さんは国連務めという、アフリカ各国では希少ないわゆる中流のご家庭だった。

無料で(またか…)泊めてもらうお礼に、何か手伝わせてくださいとお願いすると、お母さんは最初の夜はゆっくり休みなさい。とありがたいお言葉をくれたのでした。


で、次の日から私がすることになった、家事手伝いが以下。

1.朝のミルク作り
2.夕食の野菜炒め
3.洗い物

これだけ。
朝から夕方は外で調べものをしていたので、早朝と夜の仕事をもらいました。その時、私のほかにもご家庭には居候がいたので(いとこの女の子、スーパーで働いていた。)私は簡単なお仕事をもらったみたい(^^)。

でも文化、環境がまったく違うアフリカでの家事手伝は、思ったよりも大変で、失敗も多かった。


まず、朝のミルク作り。
ナイロビのミルクは煮沸も薄めてもいない、そのまま牧場から来たミルク。給食(当時…)の三角牛乳の大きいみたいなパックに入っている。
朝、まだ暗くて、(電気もないから尚暗い)ここそこから人のざわめきと鶏の鳴き声の聞こえる外に出て、小さなキオスクみたいなお店に行って牛乳を買う。箱型キオスクの表は全面、網が張ってあって、お金を受け渡すところだけ穴があいている。やっぱり治安が悪いらしい。中には蝋燭が一本灯っている。
家に戻って、プロパンガスのタンクの上にコンロの載った、簡易コンロみたいなのの上に大きななべを置き、牛乳と同じ量の水を入れて沸かす。
牛乳って沸騰しやすかったのね~~。始めの日、結構吹きこぼしちゃった。それにたっぷりのお砂糖を加えておき、ポットに入れて、お茶を飲む時に使う。

帰って来てから、夕食の手伝い。(野菜係)
ケニヤにいた時の食事で、なにが驚いたって、

毎日、まったく同じ献立で驚いた。

確かにマーケットとか行っても、その頃旬だったらしい、パイナップルとバナナしか野菜(フルーツ…)はなかった。
それに食に対して日本人ほどこだわりとが情熱もないようだった。
食事前には(クリスチャンだったので)お祈りをし、もくもくと食べてさっさと終っていた。
でも私はしばらくしたら、あきちゃって辛かった~。いかにいつもいろんな場所や各国から来た食材を当たり前のように食べているか、改めて感じました。


毎日のお献立はこんな感じ。

チャパティ:大粒のとうもろこしの粉で作った、ナンみたいなパン。

ウガリ:これは面白い!なべにとうもろこしの粉と水を入れてかき回していると、塊がどんどんふくらんでパンパンのケーキみたいになる。まっしろ。でも太るらしい。ステイ先のご家庭はキクユ族だったんだけれど、ルオ族はウガリばっかり食べてるから太っていると言っていた。ホント??

肉料理(シチュー):鶏かマトンか。小さく切って炒めて、野菜炒めと一緒に煮込む。
一度、お父さんが農場のヤギを潰したとかで、焼いた肉に塩だけつけて、皆でガシガシ食べたことがあったなあ。ここぞとばかりにたんぱく質を摂取してる感じでした。

野菜炒め:これぞ私の仕事。キャベツとトマトを切って炒めて塩を入れる。それだけ。
でもでもでも…難しかったよ~~(><)

なぜか?

それは包丁が全然切れないからです~
あ~あ、きっとお母さん、「この子ったら全然料理したことないのね…」と思ったろうなあ。(当たらずとも遠…)

最後の塩加減だけは、お母さんが責任を持ってやってたのが、印象深かったなあ。塩も貴重だったのかも。


そして最後に食後の洗い物。
これもね~。いかにいつも好きなだけ洗剤を使って洗っているかが分かりました。


一度、「日本のゴハンを作って」とお願いされて、何にも材料を持ってきていなかったので、(イギリスから直行したもので)そこにあるもので作れる唐揚げを作ってみました。

それがまた,,,大変だった~~

なんと言っても鶏が違うのです。日本やイギリスで食べていた鶏は、ここではスプリングチキンと呼ばれて高価なものでした。いつも食べてる鶏は地鶏で、栄養はいいんだけど、唐揚げには硬かった…。さらにまるまり1羽の鶏だったので、内臓の使い道に困りました。捨てちゃおうとしたら「そこが一番美味しい!!」といわれたので、そのまま揚げちゃいました。(おいしかったとは言っていたが…)
改めて、唐揚げって何てゼイタクな料理だったんだろうと思いました。油は使い放題だし、小麦粉も卵も使うし、鶏はやわらかくないとだし。日本の料理は豊かな食材あってのものなんだなあ。


それから洗濯機の無い洗濯も、ほんとーーに重労働なんだなあと改めて(以下、同文)特に、ジーンズとか、ジーンズとか、ジーンズとか洗濯機の無いところでは絶対!!はかん!と強く誓ったのでした。
ステイ先には洗濯機も冷蔵庫も一応あったのですが、電気代も高いし、電気がいつも来るわけではないので、やはり洗濯機稼動はゼイタクでした。


そんな感じで、へなちょこ日本人女子的に、いろいろ苦労&失敗した家事手伝いでしたが、楽しかったです。

妹さんとおしゃべりしたこととか、お母さんとこっそりワインを飲んでボーイフレンドの内緒話をしたこととか…。

皆、元気なかなあ。いつかまた会いたいな。

(2004年5月27日)


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