↓ カテゴリ一覧 ↓ 0
全16件 (16件中 1-16件目)
1
さて本日2月4日は何の日でしょうか?みなさん、ご存知ですか?2月4日は、24(フジ)にかけて藤子不二雄の日です。私が勝手に一人で騒いでいます(笑)ず~っと前から、ブログで言い続けています。さて、私の藤子生活は藤子マンガを読むのは、もちろんのことですがここ最近では、テレビ埼玉で「忍者ハットリくん」と「プロゴルファー猿」のアニメを見ていることですかね。こんなことをいうと「ハットリくんも猿もA作品じゃないか」とツッコミがくることが予想されますが発表当時は、藤子不二雄Aではなく「藤子不二雄」名義でした。なので、私にとっては、AやFの区別もなく「藤子不二雄」作品なのです。※藤子不二雄Ⓐ(丸にA)は環境依存文字のため"藤子不二雄A"と表記しますとにもかくにも、私の藤子生活は、こうしてブログで藤子不二雄日記を書いていることですかね。それでは、最後に個人的にお気に入りの藤子不二雄先生の動画を紹介します。■A先生、F先生、手塚治虫先生の貴重な3ショット(1985年放送 NHK総合「この人○○ショー」という番組より)漫画の神様が、藤子不二雄先生に贈った言葉が非常に感慨深いです。※現在、動画が再生できず、エラーになります・・・(2021年9月23日 編集して改善)「手塚先生のサプライズ登場に恐縮する藤子不二雄の2人」↑動画再生がエラーになる場合はこちらをクリックしてみてください。アメブロでは問題ないのに、これだから楽天ブログは・・・(涙)
2021.02.04
コメント(2)
つけっ放しのラジオから『トキワ荘が紙芝居になりました』と流れてきました。前回の日記の続きになります。日記とトキワ荘については6/17の日記 ご覧ください。↓こちらが番組のサイトになります。■「トキワ荘の歴史」を語り継ぐ紙芝居、4年の歳月をかけて遂に完成文化放送公式サイト マンガの神様、手塚治虫先生などが住んだトキワ荘ですが、地元住民に知らない人が多いということから、紙芝居を作ろうとNPO法人の「はばたけ千早(ちはや)」語り部部会の皆さまが4年の歳月をかけ手作りで紙芝居を完成させたとのことです。手塚先生は、すでに売れっ子で仕事も収入も安定していましたが、まだ「漫画家」という仕事は、職業として認められていない時代でした。今の子供たちには驚きでしょうね。さらには、マンガ週刊誌もまだなく藤子不二雄先生たちがトキワ荘に移ってきてから、ようやくマガジン、サンデーが日本初の漫画週刊誌として刊行されるのでした。そして、その日本初の週刊マンガ誌ですが藤子不二雄先生たちに編集者がやって来て大変光栄な話をいただくのでした。それは、日本初の週刊誌に連載作品を描いてほしいという依頼でした。そこで生まれたのが、A先生とF先生の記念すべき合作『海の王子』でした。週刊少年サンデー創刊号に載るのでした。しかしながら、まだコミック販売もない時代であり、マンガ家は収入源が少なくまだまだ不遇の時代でした。それでも、トキワ荘の漫画家メンバーは、皆で切磋琢磨し、貧しいながらも夢に向かって共に努力をした・・・そんな姿を、18枚の紙芝居に描いた。そうした話がラジオから聴けました。こうした話も感動的ですがNPO法人の皆さまは、ご高齢であり制作は決して楽ではなかったはずです。トキワ荘という日本漫画界の偉大な歴史を後世に残したいという情熱が、強くあったことと思います。そうした想いが感動的でした。その証拠に、プロダクションに承諾をもらいなんと「鉄腕アトム」や「ジャングル大帝」なども紙芝居に登場することもできたのです。私は、この紙芝居をぜひ見に行きたいと思っています。また、非常に感銘を受けたため願わくば、何かしらのお手伝いができればとも思っています。トキワ荘よ、永遠に・・・
2017.06.22
コメント(0)
毎朝ラジオ聴いてます。放送局は約20年変わらず文化放送です。TVと違って局を変えると分かりづらくなるため1つの局に絞っています。そして馴染んだのが文化放送でした。むかしは夜がメインでした。オテンキのり(当時はDJのり)のレコメンが超面白くて毎晩聴いていました。それから、今は朝に変わりました。「グッモニ」という朝の番組が文化放送で一番好きでした。明るく楽しく面白く爽やかで、これ以上なく朝に最適な番組だと思っていたのですが残念ながら今年の3月をもって終了してしまいました。MCは元フジテレビのアナウンサーの福井謙二さんでした。野球好きの方はスポーツニュースを担当していた現役時代をご存知の方もいるかもしれませんね。さすがはアナウンサーだけありまして、話し方リズム、テンポ、ユーモア、聞きやすい声全てが完ぺきでした。文化放送は素晴らしい人材を見つけてきたな~と感心したものです。相方の水谷さんとの掛合いも最高でした。なので、番組の終了は物凄くショックでした。もう朝のラジオの楽しみがなくなったとも思いましたが、文化放送の番組制作力はなかなか驚くものでした。「グッモニ」とは違うスタイルの、朝の番組がスタートしました。『ニュース マスターズ』です。(正式名は、ザ ニュース マスターズ トウキョウ)安易に「グッモニ」と比較はできないのですが「ニュースマスターズ」も毎朝聴きたいと思える番組になりました。文化放送の長寿番組の1つでもある武田鉄矢さんの「今朝の三枚おろし」も好きです。いつも本当に面白いのですがこの間の『ニワトリ』の回は、ここ数年稀に見る驚異的な面白さでした。ネットダウンロードで発売した方がいいです。私はお金を払ってでも、もう一度聴きたいです。ラジオの話で前置きが長くなってしまってスミマセン。さて、そんなわけで、先日ラジオを聴いていたのですが、すると・・・「ニュース マスターズ」が終わった後の番組でトキワ荘の話が出てきました!! ナヌッ!?私は思わずラジオに顔を向けてしまいました。 若い読者の方もいるかもしれませんのでトキワ荘とは、いったい何かということをまずは、簡単に説明したいと思います。東京都豊島区に存在した2階建てのアパートです。ここに、数々の漫画家が集まり、住み込んだということで有名になりました。そしてトキワ荘の伝説が始まったのは1950年代です。この頃のトキワ荘メンバーが超絶スゴイのです!!まずは、マンガの神様 手塚治虫先生が地元の大阪から、トキワ荘へ引越して来ました。続いて、当時「藤子不二雄」名義の藤子不二雄A先生、藤子・F・不二雄先生のお二人の他、仮面ライダー、サイボーグ009などの原作者でもありマンガのギネス記録も持っている石ノ森章太郎先生や、日本全国でブームを巻き起こした「天才バカボン」の作者赤塚不二夫先生。アニメ「おそ松さん」は赤塚先生の「おそ松くん」(1962年)が原作です。さらには、オバQなど藤子作品で登場するあの有名な小池さんの、モデルとなった鈴木伸一さん。鈴木さんはアニメーターになられ現在は、杉並アニメーションミュージアム館長を務められています。さらには、トキワ荘で漫画家みんなの頼れる兄貴的存在だった寺田ヒロオ先生なども住んでいました。図書館で読んだ寺田先生の「スポーツマン金太郎」は子供が喜びそうな野球の児童漫画でした。私は童心に返った気持ちで読みました。 スポーツマン金太郎〔完全版〕第一章【上】【電子書籍】[ 寺田ヒロオ ] 都内の小さな木造アパートに、これだけの日本を代表する漫画家が同時期に集まるとはまさに奇跡です。日本漫画界における歴史的大事件です。まだ固定電話さえも普及していない時代に(電話は公衆電話を使用)まさに神様(手塚先生)が引き寄せた奇跡といえるかもしれません。トキワ荘に興味を持たれた方は藤子不二雄A先生の「まんが道」を読んでみましょう~【中古】 まんが道(文庫版)(1) 中公文庫C版/藤子不二雄Aラジオのトキワ荘の話は次回に続きます※お知らせ 藤子不二雄A先生は、○の中にAのあるⒶ の文字を使用していますが環境依存文字のため当ブログでは A を用いています。ちなみに私のスマホでは文字化けします
2017.06.17
コメント(2)
5/20 アメーバブログ更新しました。ご訪問お待ちしております※2015年8/8に楽天ブログからアメーバブログへ引越ししました。「藤子・F・不二雄ブログ」@アメーバブログアメブロの日記(一部抜粋)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~私は所有物(特に本・雑誌)が多く藤子・F・不二雄大全集を全巻そろえた影響もあり長いこと、荷物を減らすことに力を入れてきました。分厚いコロコロも、実は去年から買うのを控えていました。しかし本屋に立ち寄ったところ表紙だけでも見てみようかなとコロコロを手に取ったところ・・・ん?? 付録に「ドラえもん物語」なるものが!!しかも、『藤子・F・不二雄先生の背中』とのサブタイトルがあるではないですか。40周年記念の企画のようです。というわけで買ってしまいました。「ドラえもん」という言葉よりも『藤子・F・不二雄先生の背中』との言葉に惹かれてしまいました。作者は、「ドラベース」などで知られるむぎわらしんたろうさんが描いています。今日の日付のタイミングですと5/15発売のコロコロの話かと思われますが私は更新が遅いので、4/15のコロコロの話をしています。スミマセン。さて、「ドラえもん物語」ですが、むぎわらさんが、子供の頃ドラえもんに出合ったところから始まります。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~コメントはアメーバブログへいただけると嬉しいです。どなたでもコメントが残せる設定になっています。アメブロへの引越しについては、8/8の日記をご覧下さい
2017.05.20
コメント(0)
今年も昨年と変わらず更新の遅いブログですがどうぞ、2015年もよろしくお願いします。アクセスも、めでたく888888を迎えました。私のラッキーナンバーである8のぞろ目です。(私は8月8日にこのブログを開設しています)縁起がいいですね。とはいえ、更新してない期間が長いので喜んではいられません。最近は、1日800近いアクセスをいただいてますが更新していないのは、申し訳ない気持ちです。さて、当ブログではお馴染みとなった『2月4日は藤子不二雄の日』ですが(本当か?)昨年も、そんな日記を書いたなあ~と2014年の2月の日記を探してみました・・・すると、信じられないような驚くべきことが判明しました。2014年02月11日の日記の文章なのですが『めちゃくちゃに間違えている』のです!!あまりにもひどいので、日記を読んでくださった方も指摘はためらったのかもしれませんね。いや~ これは遠慮なくご指摘していただきたかったですね。「フジ」なので、2月4日と書きたかったのですが思いっきり4月2日と間違えています。> 最終更新日 2014年02月11日 21時25分15秒う~ん・・・ 更新時間を見ましても21時では、眠気がくる時間帯ではないですね。呆れるほどに、見事なボケでございました。藤子両先生と、藤子ファンの方々に申し訳ないです。まさに「だめだこりゃ~」ですね。これでは、『2月4日は藤子不二雄の日』の制定に時間がかかりそうです。(いや、そこは問題ではない)とりあえず、『藤子不二雄の日』は私のカレンダーと私のブログではお決まり、ということにしましょう。昨年の最後の方の日記で、藤子F先生のSF短編マンガが実写化された「世にも奇妙な物語」のレビューをします、と大々的に宣言したものの、私はまったく約束を守っていません。何とかしないといけませんね。下書きとTV画像キャプチャーは完了しているのでもうしばらくお待ちくださいませ・・・さてさて、藤子ブログですから藤子情報をお知らせしたいと思います。昨年から全国各地で開催されてきた『藤子・F・不二雄展』ですが、なんと、なんと富山県で開催されます!!詳しくは、公式サイトをご覧下さい。富山といえば、藤子・F・不二雄先生そして藤子不二雄A先生、お二人の出身地でございます。そして、一昨年、私は人生初の富山旅をしてまいりました。富山旅日記(数回の日記を書いてます)もちろん、私は富山の藤子・F・不二雄展へ行く予定です。今話題の東京-富山(その他地域)を結ぶ北陸新幹線もいよいよ3/14に開通しますね。富山が東京と近くなるのはうれしいですね~じわじわと富山が盛り上がっております。それでは、皆さんも2/4と4/2をくれぐれもお間違えのないようどうぞお気をつけ下さい(笑)
2015.02.04
コメント(6)
このような日記タイトルなら4月2日に更新すべきなのですが・・・皆さん、こんにちは。『4月2日を【藤子不二雄の日】にしよう実行委員会』会長のネオ・リーブスです。かつて「藤子不二雄」名義で活動されていた藤子不二雄Ⓐ先生と藤子・F・不二雄先生ですがやはり、A先生あってのF先生でありF先生あってのA先生ですからA先生、F先生と分けることなく【藤子不二雄の日】という名称にこだわりました。日にちの候補が藤子 → フジ → 2 4 となると2/4以外には浮かばないんですよね。さて、2/4にブログ更新するならばずっと前から取り上げたいと思っていたものがありました。【 藤子キャラ言えるかな 】という動画です。「藤子不二雄60周年」を記念して制作された動画です。3年前の2011年に、60周年を迎えました。ファンの方々が集い制作されたものです。藤子両先生への愛情がたっぷり注がれている動画です。私は感動しました。素晴らしい!!詳しくは、動画を紹介しているこちらのサイト『藤子キャラ言えるかな? 』をどうぞ~「藤子マニア」の人でなくても大丈夫です。「ドラえもんしか知らない」あなたもやってみましょう。さあ!! 藤子キャラ言えるかな? に挑戦してみましょう。いつ挑戦するの?『今でしょ』by林先生私の独断で、知っていたキャラ数の判定結果を作ってみました。 キャラ数 → 151キャラすべて&間奏に出てくるキャラの名前と作品名 判定: 世界トップレベルの『藤子不二雄キャラ博士』です。【称号】4次元ポケット キャラ数 → 140以上 判定: 国内トップクラスの『藤子不二雄キャラ博士』です【称号】出木杉くん キャラ数 → 100以上 判定: マイナーキャラも多いので立派な成績です【称号】チンプイ(パンパカパーン) キャラ数 → 半分以上 判定: 藤子マンガをたくさん読んできたことが分かります【称号】 てんコミ(てんとう虫コミックス) キャラ数 → 30くらい 判定: 日本国民の大半はこの辺りではないでしょうか【称号】 タケコプター※ キャラ数30にも満たない方は・・・ とりあえず「ドラえもん」は読みましょう~■ 間奏にでてくるキャラたち (一例)↑ SF短編『流血鬼』('10年4月紹介)に登場するキャラです。称号の解説をいたしますと全問正解は、『4次元ポケット』のようにスゴイ存在。140以上は、まさに『出来過ぎ』なキャラ数。100以上でも立派なので「パンパカパーン」&「おめでとうございます。」(チンプイ風に)半分以上当てた方・・・に限りませんがほとんどの読者は、間違えなく『てんコミ』を読んできたと思います。30前後が分かった方は、『タケコプター』を知っているくらい当たり前のレベル、ということで。ちなみに、私が分かったキャラは150です。分からなかった1人は、藤子不二雄A先生の「狂人軍」という作品に出てくるキャラでした。未単行本化の「狂人軍」は、一度しか手にしたことがなく数回しか読んだことなかったので、すぐに思い出せませんでした。「狂人軍」は、A作品の中でも極めて『爆発的衝撃的暴走的強烈的』ギャグ漫画です。どうにか復刻していただきたいものです。さて、皆さんの称号はいかがでしたか。藤子キャラ言えたかな?
2014.02.11
コメント(11)
下手な物好きで私はカラオケが好きです。点数表示は、見事なくらい低いのですがめげずに歌ってます(笑)でも今日は、点数の出ない機械でよかったです。今日は、友達と一緒に夕飯を食べカラオケに行ってきました。ずっと昔からの友達です。みんな無事でよかったねと、話し合いました。こんなときに、遊んだり楽しんだり盛り上がったりする話を書くのは不謹慎だとか、よろしくないという意見もあるかもしれませんがそのような方は、スルーでお願いします。そこまで考えすぎてしまうとマンガの日記すら書けなくなってしまうので書かせていただこうと判断しました。私も友達も、電車移動ですが電車の運行状況や、計画停電などもチェックして集まれそうなことを確認して、集合しました。夕飯を食べた後、カラオケに行きました。パセラというカラオケボックスなのですが「ない曲はない」というくらい曲揃えがスゴかったです。これはないだろうという曲も全てありました。■ 『藤子不二雄メドレー』が2つもあります!!たまたま、アニメの所で「ふ」を見ていたら見つかりました。パセラさん、素晴らしいです!!「松本零二」は「松本零士」の間違えですね(ボソッ)■ 「コロ助まちをゆく」は初めてカラオケで見ました。『藤子不二雄ワイド』というのはアニメのタイトルではなく番組名です。「パーマン」「ハットリくん」「魔美」「プロゴルファー猿」などが80年代、毎週火曜に放送されていました。そのときに流れるオープニング曲が「ゆかいな大脱走」でした。「Dream of you」はエンディング曲です。この2つがあるとは・・・ 感動してしまいました。マンガの作者名が冠になるアニメ番組というのはなかなかないのではないでしょうか。さらに印象的なのは、毎週「藤子不二雄ランド」のCMが流れていたことです。マンガ本のCMが、毎週流れるなんてことは今でも、ないのではないでしょうか。■ ゆかいな大脱走「ゆかいな大脱走」はカラオケで初めて見かけたので歌うのも、もちろん初めてなのですが毎週毎週、何年も何年も見続けてきたので20年以上たった今でも初めて歌ったという感覚はありませんでした。自分でも驚くほど、すんなり歌えました。これはきっと、練習してなくても誰でも「ドラえもんのうた」を歌えるのと同じ感覚なのでしょうね(笑)
2011.03.26
コメント(17)
私が漫画家になっていたら締め切りに間に合わずやっていけなかったかもしれませんね…火曜の更新予定がずいぶん、遅れてしまいました…皆さんは、藤子A先生の自伝的漫画『まんが道』という作品をご存知でしょうか。別名『藤子不二雄物語』ともいえる感動青春マンガです。この作品を読んでマンガ家になった現役マンガ家もいるくらい、心揺さぶられる作品です。■ 『愛…しりそめし頃に…』 2巻 by 藤子不二雄A先生その『まんが道』の続編が『愛…しりそめし頃に…』というマンガです。手塚先生やトキワ荘の仲間と過ごした時代を描いています。■ 2巻の帯今回、「愛…しりそめし頃に…」2巻を紹介したのは特別な作品が収録されているからです。■ 目次 「さらば友よ」今から、14年前、F先生は亡くなられました。その時に、追悼作品として描かれたのがこの「さらば友よ」という話です。 < ストーリー >■ 1996年 藤子A先生宅平成8年9月23日、A先生の自宅に電話が掛かる。訃報が届けられる。■ 藤子・F・不二雄先生が亡くなるF先生は、搬送された病院先で息を引き取りました。■ はじめて会った時のことA先生は、F先生との思い出を振り返る。■ A先生は転校してきたばかりだった転校したばかりのA先生には、友達がいませんでした。誰も話し相手がいないので、好きな絵を描き始めます。A先生は、その時、流行っていたチャンバラの絵を描いていると…■ 昭和19年富山県の小学校で藤本少年(F先生)と出会うA先生の絵を「うまいのう」と(富山弁で)話しかけてきてくれたのが50年の人生を共に歩むことになる、F先生との出会いでした。■ 親友となる学校の行きも帰りもいつも一緒だった。■ F先生は子供の頃から絵が上手かったA先生は、絵を褒めてもらいましたがF先生も、かなり上手い絵を描いていました。■ 「藤子不二雄」を振り返る決して楽ではなかった「まんが道」ですがついにヒットを生み出しすことができました。漫画もアニメも大人気となった『オバケのQ太郎』です。■ F先生のライフワーク「ドラえもん」の誕生■ F先生宅を訪れる訃報があった日の夜、A先生はF先生宅を訪れます。そして、仕事部屋に入ると…■ 机の上には描きかけの原稿が…亡くなる直前まで握られていた鉛筆が、そこにありました。30代から、40代、50代…そして、亡くなる62歳まで、ドラえもんを書き続けました。A先生は、30代で「児童マンガを描くのがムリになった」とおっしゃっていました。いつまでも童心を持ち続けたF先生でした。先週から、この日の日記をまとめていたのに結局、書いては消して、書いては消しての繰り返しになってしまいました…藤子・F・不二雄先生のことを、日記で書くのに力を入れすぎてしまうと、どうやら空回りばかりしてしまうみたいです。さて、一番下の写真ですが、知る人ぞ知る映画ドラえもんの『ねじ巻き都市(シティ)冒険記』の原稿です。ドラえもん第18作目の映画です。来週、ネオの選ぶ『ドラえもん映画 Top10』を発表したいと思います。ず~っと前から企画しているのですが、予告しておかないといつまでも延びてしまいそうなので、ここで宣言しておきます(笑)ドラえもん映画を、まだ見てない方は、来年のリメークが公開される前に『のび太と鉄人兵団』を、ぜひ見ておきましょう。ほとんどのレンタルショップにも、ドラ映画は置いてあります。よろしければ私の『鉄人兵団』レビューをどうぞ~ドラ映画は、人生で一度は見ておきましょう~
2010.09.23
コメント(23)
藤子F先生の大全集第二期が25日いよいよ発売になります。さて、本日は、大全集以外の藤子作品情報を取り上げてみたいと思います。■ 藤子・F・不二雄 TVアニメ アーカイブスドラえもん、パーマン、チンプイ、エスパー魔美21エモン、キテレツ大百科、ポコニャン、モジャ公。これら8作品から名作を集結させた、豪華な作品集です。初DVD化の作品を中心とした、貴重なものばかりです。アニメそれぞれのDVD-BOXを揃えるのは、大変ですがこうしたセットなら、お得かもしれませんね。個人的には、パーマンのカラー版(第二期)と白黒版(初期)のDVD化を、強く希望しているのですが…さてさて、お次は怪物くんのDVDのお知らせです。■ 怪物くん 初DVD化!!今まで、DVD化されてなかったのが不思議なくらいです。これは、怪物くんが、テレビで実写化ドラマになった影響でしょうね。この間、電車の中で、小さな子供が♪カ~イ カイカイ カ~イ カイカイ 愉快ツーカイ怪物くんは♪と、口ずさんでいました。嬉しくなりましたね~■ Fの森の歩き方帯には、F先生の写真があります。帯をめくると、Fキャラが賑やかに大集合してます。『Fまんが探検公式ガイド』という本ですが思っていた以上に、面白かったです。「まんが年表」では、学生時代に新聞投稿した『天使の玉ちゃん』から、1つ残らずすべての作品を年代順に完全に取り上げています。大全集に収録されているマンガの名場面や読みどころの解説などなかなか気づかないようなところまで熱のこもった特集が組まれています。■ F作品の女性キャラ特集 おてんば系■ F作品の女性キャラ特集 おしとやか系星野スミレは、「おしとやか」なのにマスクをかぶってパー子になると「おてんば」になるようです(笑)■ 擬音の特集ショボクレー、ひろびろ~、ブキミ~はブログのネタとして紹介しようと思っていたのですが全部、出されていました(笑)F先生の笑いの持ち味の1つには、擬音があると思っています。とにかく、面白いです。■ オバQには、流行語がいっぱい!!「めんどうみたョ」や「ちーとも知らなかったわァ」は当時の流行語だったそうです。私の生まれてない時代だったので、知る由もありません。これは、参考になりました。「ガッテン」「ガッテン」(笑)■ 「めんどうみたよ」「ちーともこわくなかったわー」現代でいえば、漫画のセリフに「そんなの関係ねぇ」とか「欧米か!」などが出てくるようなものなのでしょうね(笑)他にも、面白い特集が多いです。ドラえもん、パーマン、オバQ、21エモン、SF短編で登場する小池さんの場面の紹介などなど(笑)『Fの森の歩き方』の約240ページはほとんどが漫画のコマを引用し、解説されているので一気に最後まで飽きることなく楽しめます。私は、F先生の「教養と娯楽」のエッセーがとても深く意義深い内容で、心に残りました。(タイトルは『子ども漫画と私』です)巻末のあとがきは、なかなかショッキングでした。マンガ家の受難時代が書かれています。以下は、一部抜粋です。>児童まんがはすべて暴力的であり反道徳で痴呆的で>放置すれば日本中の子供を汚染する。>「当店にはまんがを置きません」と広告したデパート。>選挙運動で、まんがを火にかけた候補者もいました。そして、ラジオとテレビドラマでは漫画家を主人公にして、いかに漫画家はよろしくないかという内容が放送されていた、とのことです。ここまで行くと、職業差別に近いですね…とにかく、本当に厳しい風当たりがあったそうです。私は、漫画が好きですが、すべてがなんでもかんでも素晴らしいとは、いいません。ただ、世界に何十カ国も広がる、日本の漫画やアニメが本当に子供を汚染するものなら、各国が受け付けないでしょう。しかし現状はどうでしょうか。子供たちが夢中になり、喜んで、笑顔になって明るく、元気に、心から楽しんでいます。もっといえば、空想世界から知的好奇心も刺激しあらゆる興味も引き起こし、学習につながることもあります。これが、マンガの持つ本来の魅力ではないでしょうか。今では、コスプレさえも国際的文化になっています。この間、テレビで放送されていました。おっと、話がそれてしまいました…とにかく、楽しいこと、嬉しいことそうしたものを、見つけて遊んで、娯楽を持つことが人間には必要なのではないでしょうか。皆さん、人生楽しんでますか~
2010.08.23
コメント(14)
「藤子・F・不二雄」ふしぎ大百科と題された番組「こだわり人物伝」が4月にNHKで始まりました。F先生の奥様が登場される第3回は今週の水曜日に放送されます。放送スケジュールは4/6の日記をどうぞ本日、取り上げるのは第1回放送分です。■第1回「未来の国からはるばると」このタイトルは、いわずと知れた漫画ドラえもん第1話のタイトルです。■漫画家「藤子不二雄」の一番最初の大ヒット作「オバケのQ太郎」鉄腕アトム以来の国民的マンガ(アニメ)となった「オバQ」は「当時、日本で知らない人はいないくらい」(by母)という大人気ぶりだったようです。画像の単行本は、一番最初に発行された虫コミックス版です。いわゆるお宝本で、一冊推定数万円のマンガ本です。日本にあるのは、各巻数冊くらいではないでしょうか…■「藤子不二雄」の名前で30年以上マンガを描き続けました。それぞれのマンガスタイルで、自由に描けるようにA先生の案で、それぞれ藤子不二雄A、藤子・F・不二雄と別々にマンガを発表することになりました。■A先生は語る。「藤本氏は、とにかくふしぎな話が好き」■「UTOPIA」(ユートピア) 最後の世界大戦は、約60年前の初期作品です。■名前も、手塚先生に憧れて、足元にも及ばず「足塚不二雄」でデビュー。■物語は第三次世界大戦が舞台A先生との合作になっていますが、ほとんどF先生が手掛けたものだと、A先生が話されておられました。核が出てきても不思議ではありませんがドロドロした描写にせず、「氷素爆弾」というやわらかい表現で人が固まってしまうという、ユーモラスともいえる設定はF先生の原点が、うかがえますね。■UTOPIAは、プロになる前に書き上げた長編大作です。絵のタッチは、手塚先生の影響がうかがえます。■藤子不二雄先生が手塚治虫先生とテレビで共演。この番組は、もう何十年も前のことでしょう。手塚先生の登場は、サプライズのようでした。藤子両先生は、驚かれていました。番組で、手塚先生が持ってこられたのはなんと、藤子先生が、手塚先生宅へお邪魔した時に持参した「ベンハー」(アメリカ小説)のマンガでした。学生時代に描けあげたものです。■藤子先生が学生時代に描いた「ベンハー」の漫画。学生時代に、熱烈なファンレターを通じて手塚先生のご自宅へ、訪問できることになった藤子両先生はこの「ベンハー」の原稿を持っていったのでした。■この絵のレベルに、手塚先生もビックリされたと話されました。「藤子さんの原稿が気になってしょうがなかった」「藤子さんは、会ったときからライバルです」「今でも大きなライバルです」あまりの上手さに、漫画の神様手塚先生から、このような素晴らしい賛辞を受けました。自分の漫画にもプライドを持っている手塚先生は軽々と、お世辞はいわれない方です。さぞかし、藤子両先生も感激されたことでしょう。藤子・F・不二雄先生を誰よりも知る小学生からの付き合いである藤子A先生のお話は嬉しく楽しく、素晴らしい番組となりました。F先生が夢中になったという「魔法のつえ」という本がドラえもんのルーツになっているというのは初耳でした。いいお話を聞けました。私も読んでみたくなりました
2010.04.12
コメント(14)
ちょうど節目の10アクセスを迎えましたのでブログの話を、しようと思います。あ、10万アクセスでした…ブログというのはウェブログという単語が縮まりまして…いや、そういう話をしたい訳ではありません。皆さん、あまり急かさないでください。(↑誰も急かしてないって!!)さて、8ヶ月やってきました私のブログですが、ずっと「藤子不二雄 ブログ」の名称を使ってきました。そして4月に入って、衣替えの時期にあわせて「藤子・F・不二雄 ブログ」に変更いたしました。読者の方には、ほとんど関心のないことだとおもいますが私にとっては、大きな影響となりました。1つは藤子不二雄A先生とA先生ファンに申し訳ないなと思ってます。悪いことをしたような気分もあります。ですが、F先生のSF短編を定期的に紹介してますしブログタイトルも「少し不思議」にしてますしマンガの紹介でも、メインがF先生大全集になってます。このような状態では、ブログ名もハッキリ変えたほうがいいのでは、と思うようになりました。例えば、ビートルズのブログを書いていても毎回、ポールの話ばかりでしたらやはり「ポールマッカートニー ブログ」と題した方がいいと思います。ジャイアンツのブログだとしても原監督にスポットを当てていれば「原辰徳監督 ブログ」や「原監督応援 ブログ」にした方が、ピッタリかもしれません。NHKニュース7のブログを続けていても毎日、お天気おねーさんの半井さんの話で持ち切りでしたら、ブログ名も「半井小絵さん ファンブログ」に変更すべきでしょう。■藤子不二雄先生私は、子供の頃からずっと「藤子不二雄」先生の名前で、育ってきました。藤子不二雄ランドもリアルタイムで買ってましたし藤子不二雄ワイドもリアルタイムで見てました。なので、ブログ開設時は「藤子不二雄 ブログ」で始めました。ブログは、ある種の情報発信源なので例え、読者には気にならないことでも管理人としては、ブログ名もこだわりを持って明確にしておきたいなと思いました。しかも、ブログトップの画像に載せているベレー帽にペンを持ったキャラもF先生ですしやはり、F先生寄りになってます。ブログのタイトルは、実は検索サイトでも「大きなキーワード」として認識されますので、かなり重要になってきます。幸い、私のブログも検索サイトでは「藤子・F・不二雄 ブログ」の入力ですぐに引っ掛かってくれます。楽天ブログ以外の方で、約10人ほどコメントをいただきましたが、これもきっと検索サイトが手がかりになっていることでしょう。タグで来て下さった方もおられました。やはり、キーワードは大事なんだなと思いました。私のブログ名が「ナウくてウキウキ」とかでしたら検索で来て下さる方もきっと一人もいなかったでしょう(笑)「藤子・F・不二雄 ブログ」になった今も心の中では「藤子ブログ」のままでブログ初日から、ずっと藤子不二雄A先生ファンであることに変わりはありません。A先生ファンの方も、気軽に着ていただけたら嬉しく思います。さて、皆さん「こだわり人物伝」は見ましたか~
2010.04.07
コメント(18)
多くの方がご存知かもしれませんが手塚治虫先生から多大な影響を受けた漫画家は数多く存在します。藤子不二雄(A&F)両先生もその一人… いや、その二人… ですね。手塚先生がいなければ藤子マンガも生まれなかったといっても過言ではありません。■「地底国の怪人」へ寄せる藤子F先生の言葉 ~当時の熱い空気が、ぼくを包んでくれる~「地底国の怪人」は人工知能を授かったウサギの耳男(みみお)くんが活躍するお話です。ミミオトコ、と読んでしまうと怪物くんに出てくるような怖そうな感じになってしまいますね(笑)■耳男は、元はウサギなので、可愛らしいキャラです。手塚先生をあまり知らない方や手塚作品に詳しくない方にこの「地底国の怪人」は、手塚入門書としてとてもふさわしいと思います。傑作は、山ほどありますがやはり、初期の作品から読んでいくというのが、理想的かなと思います。ウサギが人間のようになって…というと、「いかにもマンガだね~」と軽く思われてしまうでしょうがまだ、マンガが普及していなかったそれどころか、戦後から間もない本当に何もなかった時代に、こうした飛躍したマンガを描けたのは、世界に手塚先生しかおられませんでした。1948年発表の作品です。私は、「地底国の怪人」に深く感動しそして、あとがきのF先生の言葉にも感動し深く印象に残る作品となりました。私も、熱い空気に包まれました。■「メトロポリス」へ寄せる藤子A先生の言葉 ~メトロポリス、予言の書~動物たちが栄えていた古代から遥か長い時を経て人類は、頭脳で地上を制覇しました。けれどやがて、その力で、自分たち人間も滅ぼしてしまうのではないかというテーマを訴えた手塚先生の初期の代表作です。こちらも、戦後わずか4年後の1949年に発表しています。そして、当時学生だった藤子両先生はまさにリアルタイムで、初期の手塚作品で、衝撃を受けた世代にあたります。「地底国の怪人」も「メトロポリス」もいい意味で古さがあります。60年以上前の作品ですが、十分に手塚ワールドを味わえる、素晴らしき古典です。歴史の証言者ともいえる、藤子両先生の素晴らしい解説を読んでみたい方はぜひ、角川文庫版をどうぞ。現在、絶版ですが、古本では今でも入手可能です。手塚作品の紹介はネットで、いくらでも散らばっていますが、一部ネタバレもありますので検索をせずに、何の予備知識もなく読むのがいいかもしれません。因みに、A先生もF先生も、解説ではネタバレに触れています(苦笑)まずは、作品を読んでから解説を読みましょう
2010.04.02
コメント(24)
ブログ3ヶ月を迎えて勝手に記念企画した『A先生 vs F先生 藤子対決』のまとめをしたいと思います。『万年青』では、一転二転の結末により夢の青春光をあきらめてしまった少年が出てきました。(読者には、その不幸な展開に怒りや悲しみを覚えるでしょう)でも、好きなことを続けることだけが青春でしょうか。悩みや苦しみや後悔も青春の一部なのかもしれません。これは私の推測でしかないのですが『万年青』の少年は、ラストで腕を振っているので走っているか、元気に歩いているかのように見えます。少年が夕日に向かう「小さな明るさ」が感じられます。ブラック・ユーモアが多くあるA先生の短編の中でもかなり異色ともいえるエンディングといえるでしょう。私は、「青春光よりも輝く明日がある」のだと信じています。万年青は通過点で、まだまだこれから明るい未来があることでしょう。Qちゃんは、良くも悪くも素直で正直な性格です。でも、そうしたおおらかな個性も『劇画オバQ』の現実的な大人の視線から見ればいわゆる「空気が読めない」人(オバケ)になってしまい人間社会では、上手くやっていけないのかもしれません。正ちゃんの奥さんから「大食いで困る」「イビキがうるさい」との陰口が出てきますが私は、奥さんが悪いとも思えないんですね・・・やっぱり勝手に来て、勝手に居候されたら困るでしょう。Qちゃんにも父親、母親がいます。ということは、Qちゃんもいつか大人になるのです。いつまでも子供のままではいられません。人に迷惑をかけず、配慮や遠慮も覚える時期がくるでしょう。それが、大人になった正ちゃんと出会った時に始まったのです。Qちゃんも、いつか人間界とオバケ界の架け橋になるとてつもない偉人になるかもしれません。人間界の規律を覚えるのもムダではなかったはずです。■ 共通点のあるラストのコマ ■実は、『万年青』と『劇画・オバQ』の2作品には、深い共通点があります。ラストのコマに主人公の背中が写し出されています。『万年青』では夕日に照らされる少年の背中が。『劇画・オバQ』では、空に飛び立つQちゃんの背中が。哀愁も漂うけれど、二人にあるのは、長く果てしない未来です。今はまだ、輝く未来の光は差してこないけれどいつか、その日を迎えるまでの『大人の階段を上る物語』と思いたいですね。The End
2009.11.11
コメント(20)
一度やってみたかった藤子ファン(私)による企画『A先生とF先生の短編対決』を発表します。A&F、両先生の短編を読み比べて共通のテーマを探ろうという試みです。本日は藤子A先生の短編『万年青』を紹介します。タイトルには、わざと「まんねんあお」と振り仮名がありますがおそらく作品名を注目してもらうための技法でしょう。 < ストーリー > 高校生の少年・清一は 観賞用植物の万年青が大好きで 深い愛情を注ぐという 若者には似合わない趣味があった。 そして、 近所に万年青を育てている おじさんと知り合いになる。 おじさんの温室には ずらりと万年青が並べられていた。 どれも同じように見えるが その中から、清一は 迷うことなく、芸術品と されている万年青を 見事にいい当てる。 清一の夢は 朝日のように八方に広がる 一直線に伸びる万年青を育てることだった。 そして「青春光」と 名づけることを夢見ていた。 そして、ある日 夢にまで見た青春光が・・・!?■ 本日の1コマ ■少年の夢は「青春光」という万年青を育て上げることだった 清一の顔は、どこか同情して しまうような弱々しさがあり 話す時も、どもりがあり A先生の個性描写が光ります。 勉強が大事だから 「万年青なんか捨てろ」と いう厳しく冷たい父親と それに反対して 温かく見守る母親の存在など 実に見事な人物描写です。そして、後半大きくストーリーが動き出します。思わぬ展開の後、清一は青春光を目の前にして本心とは裏腹に、あきらめてしまいます。高校3年だから「受験勉強に専念します」と語りうつむきながら、おじさんの元を去ってゆきます・・・The End私は受験勉強が全てとは思いません。ですが、受験をほったらかしで、好きな趣味だけに没頭していればいい、というのも正しいとは思えません。おそらく清一も、心のどこかで「勉強しなくてはいけない」と、思っていたことでしょう。ラストには、なんともやりきれない切なさに包まれます。本作品の根底に流れているものは思春期に揺れ動く少年の心かもしれません。 左は中学のときに読んだ「夢魔子」 右は最高傑作と名高い表題作「ひっとらぁ伯父さん」を含む短篇集写真の2冊の両方に、「万年青」が収録されてます。やはり、はずせない名作なのかもしれません。店頭では、中公文庫の藤子不二雄Aブラックユーモア短篇集(2)に「万年青」が収録されてます
2009.11.09
コメント(22)
ブログを始めてからあっという間に3ヶ月が過ぎました。早いです。まさに『光陰』ですね。3ヶ月といえば1シーズンですね。1つの季節を終えた節目ということで改めてこのブログのことを、話しておきたいと思います。私のブログは、いうまでもなく藤子ブログです。背景画像とトップ画像で、説明不要ですね。日記では、F先生の話ばかりですが、子供の頃『藤子不二雄』先生のマンガで育った私はやはりA先生もF先生も同じくらい好きです。ですが、時間の都合上、同時進行は時間が足りないため深い思い入れのあるF先生のSF短編を中心にブログを進めていこうと考えました。■ 無人島に持って行きたい本 ■藤子F先生のSF短編Perfect全8巻F先生のSF短編も、あまり知られていませんがおそらくA先生の傑作短編もごく一部の人にしか知られていないでしょう。近いうち、A先生の短編も紹介したいと思います。F先生の短編を高級レストランで例えれば忘れられないような深い味わいを残すディナーでありA先生の短編は、食事した人があまり気に留めない不思議な模様のテーブルクロスであったり落ちてきたら怖いような大きなシャンデリアであったり窓から見える夜景のビルの陰にある暗い路地であったりするのかもしれません。哲学的思想も含まれるF先生のテーマは壮大でありとてつもなくインパクトも大きいですがA先生の、人間の深層心理に迫る短編もSF短編にはない鋭さが光っています。私のブログは、おそらく「あ、ドラえもんが好きで、藤子ファンになった人か」と思われてることでしょう。ブログトップの細長い青空の画像は藤子F先生とドラえもんへのオマージュです。なので、間違えではありませんが、それではドラえもんファンであって、藤子ファンではありません。ランドセルをおろしたばかりの中学1年生の私は、SF短編を手に取り、読み始めてしまうとSukoshi-Fushigi(すこし不思議)なSF短編に引きずり込まれてしまいました。そして一生忘れることのできない衝撃を受けてしまいF先生は、私のマンガの神様になってしまいました。その気持ちを表に出したのが私のブログ名『すこし不思議な世界』というわけです。ぜひ、一生に一度は100点を・・・ じゃなかった一生に一度は読んでいただきたいSF短編なのです。これからも定期的に長いこと、SF短編特集が続き「しつこいなあ」とか「マンガの宣伝でアフリかよ」などと思われることでしょうがマンガが苦手な方はコメントスルーでもうしばらく、お付き合いいただければ嬉しく思います。それでは、今年もよろしくお願いします(↑時期外れ・・・ というか遅すぎるだろ!)
2009.11.08
コメント(20)
学習誌「小学五年生」と「小学六年生」が休刊するというニュースがありました。昨日も、訪問先のブログで4件も見かけました。私は、小学1年生4月号から小学6年生3月号まで、6年間72冊ず~っと小学生の間、お世話になりました。そういう子供もいる、とても大きな存在の雑誌でした。 ■ 小学1年生4月号のフロク!! ■ 右下に「小学一年生 4月ごうふろく」とあるのが見えるでしょうかまだ、藤子マンガを読んだことがなく藤子作品にのめり込む前で何のコレクションもしてない子供がうっかり捨てることもなく小1の最初の付録をとっておいてあるというのは、まさに奇跡です。72冊の付録の中で、この下敷きしか残ってませんからね。幼心に、この絵がとても気に入ったのでしょう。大人になって、この下敷きの写真を日記に載せて藤子ブログをやっているとは・・・きっと、これも藤子先生との巡り合わせなんですね。自分で「ほしい」といった記憶はないのできっと、おばあちゃんが、私のお土産にと小学1年生4月号を、買ってきてくれたのかもしれませんね。小学校入学の前に、おばあちゃんがうちに来ていたのを覚えてます。おばあちゃんは、母と一緒に、教材などに私の名前を書き込んでいました。母が、間違えて「○○子」と自分の名前を一部入れてしまっていたのでハッキリと覚えてます。教材はものすごい量がありました。当時を知る親御さんたちは、分かっていただけると思います。今は、PCとプリンタの普及で、簡単にネームラベルなど作れるでしょうが、当時はそんなもの、ありませんでしたから。名前書きは、本当に苦労したと思います。もし、私が下敷きを持ってなかったとしてオークションで見つけても値段が高かろうが安かろうが、買いません。「自分が子供の頃から大切に持っていた」というのが宝なのです。それが今も好きな作品となればなおさら。しかも、F先生(ドラえもん)とA先生(ハットリくん&怪物くん)のキャラが1つの絵にまとまっているというのは今となっては、とても貴重なのです。ネットで調べてみましたが、過去1年間オークションでも出品されてません。サイン入りですし、ものすごくレア物です。この写真は去年引越しする前に撮りました。それが、PCの画像フォルダから最近見つかったのです。現物は、ダンボールの中なので見つかりません。小学館のニュースと共に、タイミングよく出てきました。つくづく巡り合わせを感じます。さて、ここから学習誌の思い出話が始まる頃ですが・・・実は、ほとんど記憶がないんですよ・・・付録がついていて「組み立てるのが楽しかったなあ」というくらいしか、思い出せません・・・針でこすると声が出る、プラスチック製のレコードは面白かったので覚えてますね。後は・・・ うーん、何だったんだろう?ということで、悲しさはあまりないんですよ(苦笑)ゴメンネ、小学館。長年続いてきたものがなくなるのは、さみしいものですが新しいものができれば、消えてゆくものがあります。パソコンが普及しだしたら、ワープロも消えていきました。ケータイを始め、新しいものがどんどん出てきました。それに代わって、姿を消してゆくものがあるのです。時代の流れ、需要の変化と、とらえるべきでしょう。無理に感傷に浸ることもないでしょう。小学館の学習誌は1922年の創刊で87年・・・むしろ、そんなにも長く親しまれ、幸せだったとも思えます。生命を授かった赤ん坊が、成長して大きくなってピーク時には50万部、60万部の偉業を残しそして87歳で大往生を迎えた。それでいいのではないでしょうか。消えてゆくものはたくさんありますがどれもニュースになるとは限りません。逆に、ほとんどがひっそりと人知れず消えてゆきます。小学生シリーズの学習誌は幸せな赤ん坊だったのでしょう。そう、まるで「幸運児」のように
2009.10.30
コメント(34)
全16件 (16件中 1-16件目)
1