ある塾長の声・賢い子を育てるために

受験のくびきを避けるな

「人が若いときに、くびきを負うことはよいことである」
このことばは、聖書の中に出てくるが、
現代の日本の若者にとって、くびきとは何だろう。

 私が子供の頃に体験したあの貧しさは今はない。
4畳半に5人が寝起きし、中学校に入っても机すらなかった。
第二次世界大戦直後、3度の食事もままならず、
麦ごはんはまだ良いほうで、芋ばかり食べていたことを覚えている。
甘いものがほしくとも、バナナやチョコレートなど見たこともなく、
角砂糖をかじったりした。やぶけた靴から親指が顔を出し、
つぎ当てだらけの服で辛抱した我慢も今はない。
 現代社会は、若者にどんなくびきを与えているのだろうか。
 くびきを負わず、訓練のない生活環境を甘受している若者に、
どんな将来が待ち受けているか、考えられたことがあるだろうか。
大人になって突然襲ってくる試練は、
防御のない国に蛮国が攻め込むようなものだ。

 衣食住がすべて足りて、欲しいものがなんでも手に入る環境のもと、
この日本の少年少女に訓練が課せられるとすれば、
それは勉強することである。
これが訓練だと言わなければならないほど子どもたちの心は
豊かになり環境が整い過ぎている。
そして、この学という分野のくびきは、
今さらこの日本に与えられたものではない。
が、現在の大人たちが得た精神的財産の要因とは
程遠いものであることだけは確かである。
現代社会に見られない社会条件の数々、
すなわち戦争、貧困、飢え、低賃金と失業問題などは、
ひと昔前の若者にとってはくびきであった。
それらのくびきのひとつひとつを、
たとえそれらのひとつが病気であっても、
(私は、それらを決して肯定するものではない)が、
訓練のひとつひとつであったろう。
だから、その訓練のない者には、成長も進歩も期待できないだろう。
私たちは、人間性の弱さを知っているので、
始めに引用させてもらったことばを昔の預言者エレミヤは語ったのであろう。
  雨降って地かたまるである。

 現代の若者が直面しなければならないくびきは、
「勉強すること」である。ぜいたくなくびきである。
それゆえこれを避けて通る者に、
歴史を通してその者たちに将来はなかったように、
それ以上に彼らの将来に希望はない。
これは成績向上以前の問題であり、
現代社会の状況を直視した上の結論であって、
私は未だに、これ以外のくびき考察をした論点に出会っていない。

 なまけ者よ。蟻のところに行き、
そのやり方を見て、知恵を得よ。
蟻には首領もつかさも支配者もないが、
夏のうちに食物を集める。
なまけ者よ。いつまで寝ているのか。
いつ目を覚まして起きるのか。
しばらく眠り、しばらく手をこまねいて、また休む。
だから、あなたの貧しさは浮浪者のように、
あなたの乏しさは横着者のようにやって来る。
よこしまな者や不法の者は、
曲がったことを言って歩き回り、
目くばせをし、足で合図し、指でさし、
そのねじれた心は、いつも悪を計り、
争いをまき散らす。
それゆえ、災害は突然やって来て、
彼はたちまち滅ぼされ、いやされることはない。
(箴言6章6節~15節)

 なんと、夏の間に働く蟻は、少年時代に勉強する若者のようではないか。

日本を外国から見て見よう
http://www.rakuten.co.jp/jakotour/ 

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