日本のルーツ

日本の礼儀

 日本は礼儀を重んじる国であり、
日本国民にとっては切り離すことができないものである。
恩恵を受ければ感謝の念をもってそれに応える、
これは自然の理である。礼には礼をもって返礼する。
尊き風習であり、その心は美しい。
神に頭を垂れ、人におじぎをするのは最もすばらしい風習である。
 礼儀は形であると誤解されやすく、外面的つくろいであると誤解されやすい。
しかし、これは日本人の日本人たる真骨頂なのであって、
遠慮の徳の表れなのである。
 日本人は礼を欠くことを恥じとする。
これは対面をおもんばかるからではない。
謙譲の美徳を失うことを恐れる日本人の特性である。
これを失った日本人は、もはや日本ではない。
議論を好まないのは相手を傷つけたくない日本人のやさしさであって、
理論より愛を重んじるからである。
真理を重んじるからであって、
真理を主張することによってごり押しすることからは、
何も生まれないことを知っている日本人の
道徳性、倫理性、宗教性の深さを知っているが故の実である。
西欧諸国のいずれにも培われなかったものである。
彼らの遠慮を知らない低級な風潮は、
私たち日本人をして苦笑いさせていることをも気づかないほど、
無知蒙昧はもう論外である。

 私はあるとき、西欧人からお礼としてドル札を裸で手渡されたことがある。
そのドル札を受け取るときの戸惑いを今もはっきり覚えている。
素直に受け取ることができずどうしたものかと
その裸のドル札の丸めた束を見つめていたものだ。
彼らの感謝の気持ちと、むき出しのドル札とは重なり合わないのであり、
日本人にはとうてい理解しがたいことなのである。
その渡し方と彼らのあっけらかんとしたしぐさを、
日本人にまねしろと言ってもそれはとうてい及びもつかないことなのである。
 むき出しのドル札をお礼にもらっても、
日本人は心から喜んで受け取れない。
「ありがとう」と言って素直に受け取る者は、日本人ではない。
私はノーサンキューと言ったが、
彼らはそれをポケットにねじ込んで、
感謝の意を表したと思っている。
それでもこれもお礼には違いないか、
と思って遠慮しがちにいやいや受け取ったが、
ましてや日本人はその額が少なくとも
「額が少ないです。もう少しください。」
など殺されても言わない。
彼ら西欧人は、逆の立場なら「少ない。もう少しください。」
と平気な顔で言うのである。
それが何か悪いのかと言わんばかりに両手を広げて肩をすくめている。
あぁ、この徳性は神の子としてどちらがふさわしいかは、
火を見るより明らかではないか。
どちらがキリスト教に則っているか。
どちらがイエスの従者としての新しく造りかえられた者としてふさわしいか。
日本人をして異邦人というなかれ。
西欧キリスト教風潮として自他とも認知している諸国の民をして、
イスラエルと言うことなかれ。
「これこそほんとうのイスラエル人だ、彼のうちには偽りがない。」
といちじくの木の下にいたナタナエルに言われたイエスのことばこそ、
今の日本人に投げかけられていることばである。
今日本人は、礼という徳に付け加えてこう言うべきではないか。
「先生、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」と。

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