にのねぬな

にのねぬな

プナブはナルシスト



バリ人の演奏するところを見たことがある人は、わかると思いますが
バリ人の演奏する姿は、なにかしらかっこいい。
私たちといったい何がちがうんだろう、とよーく考えてみました。

もちろん、演奏のレベルが違うのは当たり前なんだけど、それ以外に、
バリ人のプナブは、ナルシストだ、と思いませんか?
全員がそう、とはいえないかもしれないし、演奏する場所や状況によっても違ってくると思いますが、
ぱっと見て”かっこいいオーラ”が出ているプナブは、自分の演奏する姿に・音に酔っている。。。
(ガムランに限ったことではないと思いますが)

あるバリ人に、”ステージ上でどうやったら、かっこよくたたけるの?”と聞いたら、
”観客の中にいる、自分の友達や恋人、家族を探して、その人に思いを
伝えるようにたたいてみなさい。顔も見ながらね。もし、そうゆうひとが
観客の中にいなかったら、誰か一人、ターゲットを決めるといいよ。”
といっていました。
つまり、”どう?おれの演奏、かっこいいだろ?”みたいな。ただ自分に酔うだけ
じゃなくて、
どう?と観客に語りかけるのが大事なんじゃないかと思います。
(これが、もし、ステージでなくて、プラやウパチャラで演奏するんだったら、少し違った意識で
たたいているのかもしれません。そうゆう場合は、神様に語りかけるんでしょうか・・・??
私にはそこまでは良くわかりません。)

”でも、自分の演奏に酔うためには、演奏がばっちり、じゃないと・・・できないでしょ。
そんなのまだまだ私には当分無理。”と言うと、
”バリ人だって、いつもベストの演奏ができるわけじゃない。今日は、いまいち、
という日だってある。
そうゆうときは、ボホン(うそをつく)だよ。顔だけでも作るんだ。
そうしているうちに演奏がついてくることもある。”

ちょっと、本音すぎて、そんなこと言っちゃってもいいの?とも思いましたが。。。
まあ、”ベストでない演奏”のレベルが、バリ人と私たちでは、差がありすぎるかもしれませんね。
とにかく、お客さんにみせつけて、語りかけるつもりで、たたいてみよう!と思いました。
自分の演奏じゃそんなことできない、と始めは思いましたが、
”ガムランの音って、こんな音なんだよ。きれいでしょ?”という語りかけだけでもいいのかも、
と開き直る事に。早速鏡にむかって、ナルシストの練習!
まずてはじめに、一曲々々が終ったときだけでもいいので、パングルをゆっくりとおろしながら、
客席に、微笑みと”どお?目線”を送ってみよ~!

ガムランは、全員の音が1つになって出来上がる音楽ですが、その中で個人個人が
ある程度
自己主張(意思をもってたたく)をできるし・しなくてはいけない、と私は思います。
自分の音がその次に叩く人の音を決めていく、そしてその音がまた自分がたたく
音を決めていく・・・・
その積み重ねのような気がします。
ただし、その自己主張は、決して全体を壊すものであってはいけないのですが・・・
まったく自己主張がないのも、いけないんだと思います。

この場合”自己主張(意思)”とは、音の大きさ、音色、テンポ、雰囲気など様々な
音楽的要素と、また、皆を引っ張っていく気持ち、それを他のプナブに伝える気持ち、
それについていく気持ち、演奏を盛り上げる気持ち、皆を支える気持ち、などパートごとの
役割のことをいいます。
でも、その”意思”が全体の調和を乱すものだと、とたんにクンダン奏者やほかのプナブから、
にらまれたりするので、全体の空気の流れを読み取った上での意思でなくてはならないのですが。
この、”意思”がない場合には、音の方向性が見えない、単調でなんとなくだらだらした、
かえってまとまりのない演奏になってしまうのではないでしょうか。
みんなで、声を出し合いながら、でも、ひとつにまとまって進んでいく、難しいけど、
できた時のなんともいえない満足感。。。
ガムランにはまってしまった理由の1つです。


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