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敦賀への道中、琵琶湖の西側を通っていくと、途中に箱館山がある。道の駅などで、ゆり園や、緑の夏コキア、赤い秋コキアのポスターやチラシなどを見かけることがあり、一度行きたいなあと言っていたのに、天気が悪かったり、期間が過ぎていたり、なかなか行くことができなかった。箱館山のHPを見ると、9月14日から10月14日までは秋コキアの期間中。やっと見ることができると、敦賀の帰りに寄ることにした。敦賀のホテルを10時前に出て、国道8号線から161号線へ。日置前ランプで下りて、函館山の駐車場まで約1時間。ロープウエーのチケットを買おうとしたら、通常、大人1980円だけれど、奥琵琶湖マキノグランドパークホテルのランチとセットになったチケットが2980円で売っていた。ちょうど下りてくるのはお昼時だろうし、そちらを二人分買うことにした。午後から雨の予報だけれど、天気はすごく良くて気温も高かった。「今津ええもんまんぷく祭り」というのが予定されていたけれど、雨の予報で中止になって、人はあまり多くなかった。ロープウエーの中は暑くて、置いてあったうちわであおいだりしていたけれど、山の上の方に行くと、風が吹いて涼しかった。でも、コキアパークは、もっと一面のコキアかなと思っていたら、写真のようにところどころにしか植えられていないし、まだ色づき始めたばかりで色もまばら。ちょっと期待していたものとは違った。琵琶湖の見える丘までは、高島ちぢみ織りの布の虹のカーテンの間を通って。琵琶湖の見える丘には10畳ぐらいの板の間があって、腰を掛けると風が気持ちいい。あの島は竹生島かなあとかダンナと話していた。屋根付きの二人用デッキチェアも置いていたけれど、誰も使っていなかった。後で値段を見たら25分1000円。飲み物が500円なので、混んでいる時だったらあそこに座ってゆっくりするのもいいかもねと話した。広場の方に来ると猿回しをしていた。今から最後の芸で八艘飛びと二つの階段を離して、飛んでいた。始めは1mくらいだけれど、次は4mぐらい離して。始めは失敗して、女の人の胸に顔をうずめるのが面白い。2回目は一回乗ったけれど落ちて、3度目は成功。手をあげて得意そう。そこからチップをお願いしに回るんだろうなあと思ったけれど、ほとんど見てないし帰ることにした。ロープウエーで下りてきて、グランドパークホテルにナビをセット。10分くらい敦賀の方に戻った琵琶湖沿いにホテルがあった。ランチは、和風か洋風か選べて、ドリンクバー付きの2980円のランチ。え?チケット代と同じ?得やんと驚いた。私が選んだのは洋風ランチ。琵琶湖のすぐそばで眺めも良くて、本当に得した気分。ダンナは和風を選んだけれど、ローストビーフ丼。実は、日曜日はだんじり祭りの試験引きの日で、ダンナは断って敦賀へ来た。夕方まで続くので、あまり早く帰らない方がいいと言う。それじゃ佐川美術館へ行こうかとナビをセット。この前友だちが言って良かったと言っていた。佐川美術館は、琵琶湖の反対側だけれど、琵琶湖大橋のすぐ近く。161号線の堅田から琵琶湖大橋を通ったら、すごく短くて料金は120円。思ったより近いねえと佐川美術館の方へ行ったら、駐車場ががらんとしている。作品入れ替えのための休館日になっていた。また161号線の方に戻って、道の駅琵琶湖大橋米プラザで休憩。名神も阪神高速もスムーズで、6時頃家に帰ってきた。今回の敦賀行きも、代車のヴィッツ。新しいプリウスが来たら、また佐川美術館にも行ってみよう。
2019.10.01
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義母が亡くなり、ダンナの実家の処分も終わって、もう敦賀へ行くこともないかなあと思っていたけど、そんなことは無かった。ダンナの高校のクラス会が土曜日にあり、一緒に行くことになった。北陸新幹線の工事関係の人がたくさん敦賀に来ているのか、いつも敦賀で泊まっていたルートインやサンピアは全く空きがなかった。どちらも大きなお風呂があるし、夕食のレストランもあるので人気があるんだろう。ツインで空いているのは、敦賀駅前の東横インだけだった。駐車場は立体駐車場で、係員に入れたり出したりしてもらうタイプ。一昨日、夕方6時前にダンナを送ってから、駐車場に車を入れて、私も夕食を食べようと、以前ランチを食べておいしかったお店に行ったら、夜は居酒屋に変わって、土曜日なので予約で満席だという。どこで食べようと、ホテルの周りを歩いたら、周りは居酒屋ばかり。まるさんという魚料理のお店のお料理に興味があるけれど、宴会のざわめきが聞こえてきて、一人で入るのは気が引けた。ダンナと前に一緒に行った串カツの大文字や、韓国居酒屋の店は2階で、様子がわからなくてちょっと不安。コンビニはあるけど、買って部屋で一人で食べるのは味気ないし、車をまた出すのも、大通りを渡って探すのも面倒だし。居酒屋に一人で入るってことはほとんどないので、こういうのって本当に緊張する。笑兵衛という鉄板焼きの居酒屋が、広いけれど、外から見るとまだ人が少なく、入ることに決めた。カウンターを勧められて、まず生ビールを一杯頼んだ。メニューを渡されたけど、鉄板で焼いているお料理が葱たっぷりで美味しそうだったので、それを一つ頼んだ。薄い皮にネギやちくわをたっぷり挟んだ葱焼き。香ばしくて美味しかったけど、後から焼かれた広島焼きや焼きそばも美味しそう。メニューを見て、レンコンの唐揚げも頼んだ。食べている間に、お客さんがどんどん増えてきた。レンコンも美味しかったけど、沢山の喋り声の中で、一人座っているのは落ち着かなくて、食べ終わったらすぐ勘定済ませて出てきた。一人でもゆっくり味わえるようになりたいけど、まだまだ修行が足りないなあ。
2019.09.30
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敦賀へは、3週間ごとに行っている。運転を途中で交代しながら、日帰りで行くことが多い。義母は、耳と目が不自由になり、ホワイトボードの筆談だけれど、ここ数か月は、ちょっと体調がすぐれないのか、文字を読むのが大変そうで、話すのは「暑い」とか「寒い」とか、「次に来るまで体が持つやろうか」とばかり言っていた。そして、すぐ「もう寝たい」というので、病院滞在時間は30分ぐらい。でも、今回は体調が良かったようで、曾孫の写真を見る余裕もあった。別れるときに握る手の力も強かった。一昨日、敦賀に行く途中、ちょっと回り道して、マキノピックランドのメタセコイアの並木を通った。紅葉の時期もいいなあ。ただ行って帰るだけじゃなくて、美味しいものを食べたり、素敵な景色を見たりして楽しまないとねえ。
2016.12.02
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今日は、日帰りで敦賀に行ってきた。お昼頃、敦賀に着いて、赤レンガ倉庫に先に行った。赤レンガ倉庫のことは、先日テレビで知った。先週日曜の、「極上!旅のススメ」と言う番組で、大和田獏が、生まれ故郷の敦賀を旅する中で出て来て、今度敦賀に行った時に行ってみようとダンナと話していた。敦賀に着いて、港の方に行くと赤煉瓦の建物が見えてきた、この中にジオラマ棟と3つのレストランが入っている。お腹が空いていたのでまずは昼食。イタリアンや軽食のお店もあったけれど、入ったのは「生け簀の甲羅」と言う和食のお店。私は海鮮丼、ダンナは越前カレイの焼き魚定食。お店の真ん中に生簀があって、新鮮でとても美味しかった。食べたい料理が他にもいろいろあったので、次回も行くかも。終わってからジオラマ棟の方に行ってみた。昭和初期の敦賀の街並みを再現した、全長27.6m、奥行き7.5mもある巨大なジオラマだ。横の階段を上って2階から見ると、こんな感じ。しばらくすると海側の壁に映像が流れて、昭和初期の国際都市だった様子を、当時の子どもに扮した女の子と男の子が紹介を始めた。明治15年、北陸で初めて電車が通り、敦賀は、鉄道で東西を結ぶ拠点をして重要な役割を持っていた。駅には何本も線路が走り、駅舎の裏には、電車を直す倉庫が放射状のように並んでいた。レールの連結を替えて、入れるのが面白い。今はもうないけれど、ダンナが子どもの頃にはあったそうだ。亡くなった義父は、敦賀駅の機関区に勤めていた。こんな建物の中で、汽車を直したりしていたのかもしれないなあ。汽車で運ばれたものは、港まで運ばれ、ウラジオストックから、遠くヨーロッパまで届けられたそうだ。反対に、杉原千畝が助けたユダヤの人たちも、船で敦賀に着いて、やっと自由になったと安心したそうだ。駅から少し行くと、気比神宮。山車を連ねて入る敦賀祭りの様子も描かれていた。私が結婚してからもう40年が過ぎた。敦賀の港から、北海道に旅行に行ったのはもう30年近く前だ。私が知っている建物もいろいろあって、懐かしい気持ちになった。午後からは、母のいる老健施設へ寄り、いろいろ雑用を済ませてから帰ってきた。
2016.04.18
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18・19日、敦賀に行ってきた。3週間ごとに、敦賀の病院に入っている義母に会いに行く。前回の12月28日は、年末で忙しかったので、ダンナが1人で日帰りで往復した。渋滞と、眠いのと、トイレに行きたいのとで、相当しんどかったみたいだ。それで、次は二人で行って一泊しようと、年末にホテルを予約しておいた。18日は、余裕があるので10時半ぐらいに出発。今週から寒さが厳しくなるという予報だったので、雪を心配して、スパイク付きのブーツなんかをはいてきたけれど、琵琶湖の辺りは、晴れ間も見えて気持ちよかったので、白髭神社に遅い初詣。おみくじを引いたら、私は中吉、ダンナは大吉。雪は全く積もっていなかった。敦賀も全く雪は無く、雨がぽつぽつ。今年、94歳の誕生日を迎える義母は、最近は、ほとんど耳が聞こえず、目も白内障で見えにくいので、ホワイトボードでの筆談の会話だ。前回まではしっかりしていたのに、今回は、ダンナの顔を見るなり、私が横にいるのに、「○○さん(私のこと)、足、怪我して来られへんの? 入院したんやって?」と聞いた。顔を忘れていたのか、ちゃんと見えていないのか、ちょっとびっくりした。そしてダンナに「あんた仕事辞めたんか?」と退職して6年も経つのに聞いた。認知症がひどくなったのかと思ったけれど、あとの受け答えはしっかりしているし、日常生活では変化はないみたいだ。私が入院したころのことを、夢に見たのかもしれない。泊まったのは、ホテルルートイン敦賀。大浴場があるのと、朝食が付いているのとで選んだのに、着いてすぐ、ダンナがお風呂に入ったら、すごくぬるくてお湯が30cm位しかなかったらしい。男風呂だけかなと、その後私も行ったら、使用中止になっていた。お風呂の機械が故障して、修理中ということだった。ホテルの中のレストランで食事してから、お風呂に入れたのは9時過ぎ。でも、まだぬるかった。スマスマを見てから、寝る前にまた入ったら、やっと熱くなって、気持ちの良いお風呂だった。翌日は、さらに気温が低くなるという予報で、夜中に雪が積もっているかなと思ったけれど、翌朝も雪は無く、割合暖かかった。朝からもまたお風呂に入って、朝食を食べてから、義母のところに行ったら、前日とは全く違って、ちゃんとした受け答え。日々波があるみたいだ。帰り、湖西道路を通ったら、いいお天気。去年の夏にできた道の駅、妹子の郷でお昼を食べた。でも、その後京都に入り大阪に行くにしたがって、どんどん空模様が悪くなり、風も吹いてきた。地元に着いたのは、午後2時過ぎ。移転したお墓ができたと連絡が入ったので、墓地に見に行った。車から降りたら、風が強くて寒いこと寒いこと。大急ぎで帰ってきた。大阪は、前日の夜から突風が吹いて、大荒れのお天気だったそうだ。
2016.01.20
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昨日は、三週間ごとに行っている敦賀行き。先週の金曜日に行こうと思っていたけれど、台風だったので、少しずらした。いつものように8時に家を出て、阪神高速にのったら、途中で事故のため通行止めになっていた。急遽高速を降りて別の道へ。名神は割合スムーズだったのに、京都東のIC付近から大渋滞。夏休みに入って、湖や海へ遊びに行くのか、ほとんど動かない。普通は3時間半ぐらいで着くところが、湖西線の中間ぐらいのあどがわの道の駅でもう12時。お昼を食べて、義母の病院に着いたのが2時過ぎ。敦賀での滞在時間は約2時間。義母と30分ぐらい話をして、1時間ぐらい喫茶店で休憩して、さあ出発。8号線から湖西道路に入るところまではズムーズだった。そこから動かない。全く動かない。交通情報をかけたけれど何も聞こえない。進むのは1時間に2・3km。途中でトイレが我慢できなくて、横道にそれて、喫茶店に入って夕食とトイレを済ませ、、また戻った。湖西線に並行してい走っている山手の鯖街道が、台風の影響か、途中で通行止めになってしまっているらしい。山の方の道からも、車が何台も入ってくる。結局帰りにも7時間以上かかり、着いたのは真夜中。こんなに時間がかかったのは、初めて。今日はぐったりで、眠くて仕方なかった。
2015.07.21
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25.26日とまた敦賀に行ってきた。ダンナの友人のOさんが、夕食に招待してくれていた。10時頃、家を出発。名神の桂川PAで軽めのお昼を食べて、義母のいる病院へ。療養型病棟に移って3カ月が過ぎているけれど、まだ介護型病棟へ移れるめどが立たない。リハビリをしてくれる期限が終わってしまったので、行く度に弱っていってるように感じる。介護型に移るまでは、オムツもこちらで準備しないといけない。次に来るまでの必要な量を調べて、明日持ってくることにした。ケアハウスのために口座を作った銀行を解約してから、実家に行って暖房などをチェックした。エアコンが古くなって、効きが悪くなっていた。それからホテルサンピアのお風呂に行ってから、夜すぐ眠れるようにお布団を敷いて、持っ行ってた電気毛布をセットした。夕方5時半ごろ、Oさんが迎えに来てくれた。岸和田祭りに来てもらった、Oさん、Mさん夫婦3組で食事会。Oさんは、定年後敦賀に戻ってきて、最近家を新築したばかり。新しい家は、広くて機能的で、暖かくてとても素敵なお宅。敦賀在住の画家、ミハエルさんの作品がいろんなところに飾られていた。Mさんが持って来てくれていた、スペインのシャンパンKAVAで乾杯し、Oさんの奥さんの手作り料理や、お造り、にしんのすし、小鯛ずしなどいっぱい食べて、飲んで、しゃべって、楽しいクリスマスになった。10時過ぎ、呼んでもらったタクシーで帰宅。酔っぱらったダンナはすぐ寝てしまったけれど、やっぱり寒くて、私は敦賀の家においていた寝袋に入った。寝袋が暖かすぎて、反対に寝苦しかったけれど。朝はコメダ珈琲でモーニング。新聞や雑誌を見ながら9時過ぎまで過ごした。スーパーが開いてから、お花を買ってお墓参りに。前日から夜中にかけて、たくさん雪が降ったけれど、敦賀の道は、道の真ん中や両脇から水が噴水のように出ていて、道にはほとんど雪が無い。でも、お墓があるお寺は、まだ人が少なく積もっていた。半月前に買った、雪道用のブーツは大正解。靴の裏に、ひっくり返すと出てくるスパイクが付いている。それで、凍ったり濡れたりしているところも安心して歩ける。お墓参りが終わってから、オムツやカレンダーなど、必要なものを買って義母のところに行った。今度来るのはこの日、と新しいカレンダーに○を付けた。お昼前に敦賀を出た。滋賀に入っても雪が積もっているので、またマキノピックランドを通って帰ることにした。樹氷が見られるかなと思ったけれど、まだこの程度。阪神高速が渋滞したけれど、夕方には帰宅することができた。敦賀の家は、どんどん不便になっている。電気はあるけれど、プロパンだったのでガスは止めているし、夜間に温めて使う温水器を使っていたので、お風呂は翌日にしか使うことができず、温水器の電源を切った。水道は地下水をモーターでくみ上げているので、普段使わないと金気が多くなってしまっている。原電のある敦賀市なので、早くから夜間電力など勧められて、大きな温水器を付けていたけれど、こんな風に住まなくなるととっても不便だ。次に行くときは、やっぱりホテルを取った方が良さそうだ。
2014.12.27
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16日は敦賀へ。 義母の冬用の服を探して届けたり、 ケアハウスの最終清算をしたりして、 3時ごろからあわら温泉に向かった。 芦原で泊まったのは、愉快リゾート青雲閣。 ズワイガニ食べ放題プランで、 蟹好きのダンナは、他の料理をほとんど食べずに、 蟹ばかり食べて満足していた。 私は、最近股関節の調子が悪いので、お風呂に何度も入った。 お風呂の横には、ベッド型のマッサージ器が置いてあって、 自由に使えるので、2回使ったけれど、とっても気持ちが良かった。 チェックアウトが12時なので、 朝食を食べた後、またお風呂に入ってのんびり。 けれども外は大荒れのお天気。 夜中も風の音が強く、吹雪のようだった。 11時半ごろ旅館を出発。 北陸自動車道の南条SAでお昼を食べようと思っていたけれど、 南条の手前で渋滞。ほとんど車が動かなかった。 南条のSAまで来ると、 雪用のタイヤが入っているかどうかの点検があった。 うちのプリウスは、新しいスタッドレスタイヤを入れたばかりなので、 すぐにOK。SAが混んでいるので、 昼食は、杉津PAで。 たくさん雪が降ったので、マキノピックランドの メタセコイアの並木の樹氷が見られるかもと、 敦賀で下りて、湖西道路を走ることにした。 でも、メタセコイアの並木のあるマキノ高原は全く雪がなく、それが不思議だったけど、これもきれかった。
2014.12.18
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11日の早朝から敦賀に行って、昨日帰ってきた。お寺さんが来てくれるのは、いつも12日の午前中。大阪に持って来ていた義父の位牌を仏壇において、部屋の掃除をして、お盆の準備をした。ダンナは外回り。庭の草引きをして、枝を切ったら汗びっしょりだ。先月、病院に入院した義母は、4人部屋で他の人がいるから安心したのか、夜もよく眠れるようになったらしい。もう一人では歩けなくて、ベッドに寝た生活だけれど、とても顔色が良くなった。食事の時は、車いすに乗せてもらって、食堂でみんなと食べている。4人部屋の誰もテレビを見ていないけれど義母は高校野球が好きなので、高校野球の間だけ、ダンナがテレビを頼んであげた。11日は敦賀気比が出ていたので見ていたけれど、見えにくそうで、それ以降はいつもテレビが付いていなかった。白内障が進んで見えにくくなっているらしい。耳も不自由だし、不便だろうなあ。12日の午前中にお寺の和尚さんが、息子さんと二人で来て、お経をあげてくれた。午後から、お墓に行って、掃除をし、花を飾った。13日の午前中には、親戚まわり。15日のお焚きあげまでいられないので、お寺にも寄って、塔婆を預けてきた。ケアハウスの義母の部屋に置いていたテレビを、敦賀の家に付けたので、ダンナが喜んでいた。クーラーもまだ壊れずに使えるけれど、敦賀の生活は、どんどん不便になっていく。水道は、地下水をモーターでくみ上げているけれど、普段使っていないので、金気が多くなって、もう飲むことはできない。それで、全て外食。朝は、ガストかコメダ珈琲でモーニング。お昼は、11日はソースカツ丼を食べて、12日は、サンピアというホテルでランチを食べた。夜は、一日目はコンビニで買って食べ、二日目は、ダンナの友だちが家に招待してくれて、夜遅くまで、みんなでお酒を飲んでおしゃべりした。13日のお昼、帰りに長浜の焼き鯖そうめんを食べに行こうと言うことに。午前中に用事を済ませ、義母のところに寄ってから、ナビを翼果楼にセットした。長浜の、黒壁スクエアの中にあって、行列ができていたけれど、せっかく来たので、ダンナと交互に並びながら、ちょっと周りのお店も見て回った。暑いので、ダンナがソフトクリームを買ってきて、食べてる途中で、順番が回ってきた。もう焼き鯖寿司が売り切れで、頼んだのがお千代膳と、単品の焼き鯖そうめん。焼き鯖そうめんは、温かいお出汁で煮たそうめんだった。焼き鯖は、骨まで食べられるほど柔らかく煮込んでいた。白和えと、赤こんにゃくと、十八穀おにぎりと、お吸い物と千代子餅。千代子餅は、中の餡がチョコレート。だから千代子餅だったんだ。レジのところに行くと、芸能人の写真がいっぱいあった。有名な店なんだろうなあ。私はリピートする気はないけれど。北陸自動車道から、名神に入り、渋滞を避けて、京滋バイパス、第二京阪、近畿道、阪和自動車道を通って帰ってきた。
2014.08.14
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敦賀へ行く途中、何か所か道の駅がある。行きでは「道の駅 藤樹の里あどがわ」でお昼を食べ、「道の駅 マキノ追坂峠」で山葵の花菜を見つけて買った。無くなると困るなあと思って買ったけれど、帰りにもあった。帰りには、セリや菜の花、ネギなどの野菜も買ってきた。セリや山葵は、うちの辺りでは売っていないのでちょっと嬉しい。下の左の写真は、敦賀で買ったにしんのすし。身欠きにしんを米麹で漬けたもので、ダンナの好物。義母が元気なころは、毎年大根と一緒に漬けていた。生で食べることもあるけれど、レンジでちょっと温めると食べやすい。右の写真は、越前雲丹で、私の大好物。すごく好きなんだけど、ちょっと値段が高いので、滅多に買えない。硬く練った塩うにで、ご飯にちょっとのせると、磯の香りが漂う。敦賀で、にしんのすしを買いに行ったお店で見つけたら、ダンナが「好きやのに買えよ」と言った。色々と大変だったから、すまないなあと思ったのかも。
2014.04.27
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3月末で、義母が老健施設からケアハウスに替わるので、敦賀と大阪を行ったり来たりしている。今度は個室で、食事つきのアパートに住むような感じで、ベッドや布団、テレビやタンスなども準備しないといけない。27日は、敦賀の家で使える物があるかどうか調べに行った。まだ新しい布団があったので、シーツを変えたら使えそうだ。ベッドは、義母が使っていたのはもう古いし、敦賀の店で見たのは、手すり部分が低いので、私が以前使っていたものを、大阪から持って行くことにした。掃除機は敦賀の家のが使えるけれど、テレビは敦賀で購入した。冷蔵庫は施設のレンタルで、洗濯機などはコインを入れて使用できるようになっている。28日は、新しい施設の職員と、ケアマネーシャーさん、そして、訪問介護のヘルパーさんと打ち合わせ。これから義母は、ケアハウスの1階にあるデイサービスに、週2回通って、そこで入浴する。今までの施設もそうだったけれど、今度のケアハウスも温泉だ。そして、週2回、訪問ヘルパーさんに来てもらって、部屋のそうじと洗濯をしてもらう。デイサービスの日以外、食事は食堂で他の人と一緒に食べる。急な引っ越しで、すごく心配だった。義母は耳が不自由なので、新しく出会った人たちと、コミュニケーションが取れないんじゃないだろうかとか、環境が変わって、病気にならないだろうかとか。でも、思った以上に義母は明るかった。他の人たちに、今月末で引っ越すからと告げていて、次の所では座布団も3枚ぐらい用意して欲しいと言う。ケアハウスは今の施設の向かいにある。今までより高額で、入所時に費用のかかるケアハウスに、息子が入れてくれたと嬉しく思っているのかもしれない。今度のケアハウスでは、電気代や消耗品など、今までかからなかった費用が必要になってくるし、もし入院することになっても解約できないので、二重に支払わなくてはならなくなる。私たちの方が、今後どれだけ費用がかかってくるか、心配なんだけどなあ。昨日と今日は、大阪で必要なものの準備している。バケツや、洗面用品など、百均でもいろいろ揃うのがありがたい。トイレットペーパーやティッシュ、ペットボトルのお茶や、洗剤などは、消費税前に少し多めに買っておいた。明日は、朝早くから敦賀に行って、ケアハウスに荷物を運び、4時ごろ義母と一緒に帰る。3月31日の夕食を一緒に食べて自宅に泊まり、4月1日の朝食を食べてから、ケアハウスに入所する。義母が家で寝るのは、2009年のお盆以来。あの時と比べたら、まあ今の方がしっかりしている。年々元気になっていってるのかもしれないなあ。自分たちの方が、病気にならないようにしないと。春休みになったけれど、次男坊が、インフルエンザB型にかかっていたので、孫たちとは一度も会っていない。義母の引っ越しが終わって落ち着いたら、孫たちとも過ごせるんだけどなあ。
2014.03.30
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夜遅く敦賀から帰ってきた。慌ただしい一日だった。疲れた。「要支援2の診断結果です」今日、朝一で市役所に行って聞いた結果。え~?先月24日の介護診断の日には、いつも以上にハッスルして受け答えし、立ったり起きたりする義母に、ダンナはとても不安を感じたそうだ。でも、まさか90過ぎて介護結果が良くなることはないだろうと思っていた。義母のいる老健施設は、要介護診断が出た人しか入れない。4月1日からは要支援なので、今のところは今月中に出ないといけない。市役所の人になんで?と言っても、この人たちが決めたことではないのでどうしようもない。要支援と言っても、自分の力で歩くことはできない。シルバーカーを押して、バリアフリーのところだから歩けるし、聴力が落ちて、大きな声で何度も言ってやっと伝わる程度。病院が併設している今の施設はとても気に入っている。親戚や友人も来てくれるので、もう一人暮らしはできないと言われているけれど、義母は敦賀で住むのを希望している。要支援で入れる、二つの施設を見学し、費用などを聞いて、義母のところに行くと、「どこへいっとんたん、心配したで~」と、私たちのことばかり心配している。自分がこの施設を出ないといけないかもしれないことなど、全く予想していない様子で、認知症は無いけれど、そういうところが年相応のしんどさかなあと思う。とりあえず、今までの施設の向かいの、系列の軽費老人ホームに入所希望を出して、新しいケアマネージャーさんに、介護プランの要望をだし、今後の日程を決めてきた。義母と一緒に、その老人ホームの見学をさせてもらって、そこに移らないといけないと言うことが理解できたようだった。費用が今までよりかなり高くなりそうでちょっと心配。ただ、新しく決まった男性のケアマネージャーさんが、親切だし、感じのいい人。「状態を見て、変更申請して、今までの老健に戻れるようにしましょう」ということなので、ちょっとほっとした。これからまた忙しくなりそうだ。
2014.03.14
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義母がもう年末年始に大阪には来ないと言うので、今日はダンナと敦賀へ。 雪を心配したけど、とてもいいお天気だ。 美容師のヨメは、昨日は夕方まで仕事だつたので、 昨日の夜は、息子の家族や娘たちと、焼肉のさかいで食事会。 その前に、孫たちにプレゼントを持って行ってあげた。 敦賀では、ダンナは今夜は、旧友と飲み会。 ても、お墓参りもしたいし、誰もいないけれど、家もすこしはかたづけたい。 ばたばたと2日間過ごしそうです。
2013.12.25
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2ヶ月ほど前、BS朝日の「鉄道・絶景の旅」という番組で、小浜線の旅が取り上げられ、その中で、鯖街道の熊川宿のことが出てきた。それで今日は朝から義母の施設に行った後、熊川宿に寄って、お昼を食べてから大阪に帰ることにした。ナビを熊川宿の道の駅にセットして、国道27号線を小浜方面に進み、三方を過ぎ、上中と言うところで303号線に入って、田舎道を走っていたら、突然、大渋滞。道の片側には、駐車した車が並び、道沿いの家の庭が、臨時駐車場になっている。何があるのかなあと思いながら、道の駅に入れなかったので、流れに沿ってぐるっとまわりを一周した。どうもお祭りをしているみたい。また道の駅の前に来たとき、運良く出ていく車があって、車を駐車することができた。10月6日は、「いっぷく時代村」という、年に一度のイベントの日だった。まずは、道の駅の四季彩館という食堂で、福井名物のおろし蕎麦を食べてから、熊川宿を歩くことにした。 今日の街道は、こんな賑わい。昔懐かしい町屋の並ぶ通りの端を流れる水路は、水量が多く、ニジマスの手づかみのイベントもしていた。 今日は、大八車体験や、餅つきなどもあったようだ。本陣の近くでは、ゆるキャラの紹介もしていた。 これは、敦賀のツヌガくん。右の人が紹介をしていたけれど、すごく滑らかなしゃべり方。プロの方かな?沿道のお店は、鯖街道なので、鯖寿司も多いけれど、焼き物や骨董、採れたての野菜なども売っていた。焼きたてのみたらし団子を買って食べて、木から採ったばかりのシイタケと、手作りの小ナスのからし漬け、トマトなどを買ってきた。帰りは、桜の頃の通った367号線から、湖西道路に入り名神へ。2時間余りの遠回りだけれど、楽しい道。イベントがない日はひっそりしているのかな?今度はゆっくり建物を見て見たいなあ。
2013.10.06
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親戚のお葬式があるので、朝早く家を出て敦賀に来た。 ダンナがお葬式に行っている間、私は近くのマクドナルドで待機している。 義母から昨日電話がかかってきて、 「ドムラが死んださけ〜、香典と盛り籠せんならん。」と言う。 私たちは週末敦賀に行く予定をしていたので、 「あした、そっちに行くよ。」と言うと、 「あ〜、葬式行ってくれる〜」 耳が遠くなった義母は、ダンナと話していると思っているようだった。 ドムラって、誰? 今まで聞いたことが無いし、年賀状のやりとりもない。 結局わかったのは、義母の従兄弟。 義母は、福井新聞のお悔やみ欄を見て、昔世話になったから、義父の葬式の時に、香典をもらっているからと、行って欲しがる。 もう義父の葬式の時から30年近く経っているし、よく知らない人が来ても迷惑違うん? と私はいつも言うけれど、ダンナは、義母のして欲しいようにしてあげたいらしい。 行ったら行ったで、故人の話をしてくれたりして、喜んでくれるそうだが。 家族葬の多い大阪とは、雰囲気が違うのかもしれない。 でも、今日は御香典だけで、盛り籠は取りやめた。 ちょっとずつ、義母の付き合いを簡素化していきたいなあと思っている。
2013.10.05
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14日から、孫たちを連れて、敦賀に行ってきた。14日から16日まで、なかよし(学童保育)が盆休みで、14日の朝、ダンナが長男と次男を迎えに行ってきた。パパもママも仕事で休めないけれど、三男坊が通う公立の保育園は、お盆も見てくれるのだと言う。渋滞を避けて、夜に出発することにして、夜の7時半ごろ、町の盆踊りの会場に、孫を連れてお花を持って行った。毎年敦賀で、お花は近所の人に預けているので知らなかったけど、青年団や子供会の役員さんたちが、縁日の屋台を出していた。大急ぎでお財布を取りに帰って、3回ずつだけさせてあげた。そして、8時半ごろ、盆踊りの始まる歌を聞きながら出発。孫たちは、30分後ぐらいに寝てしまった。名神の上りは、大山崎のところで少し渋滞があったけれど、後はスムーズで、12時過ぎには、敦賀に着いた。敦賀では、プロパンのガスを止めているし、水道の水が金気が出てきているので、3食外食。15日は、朝マック。ハッピーセットに、仮面ライダーの人形が付いていて、ご機嫌だ。そこから、義母の施設に行くと、義母が、孫たちのためにお菓子を売店で買って用意していた。三軒の親戚を回って、お盆のお参り。お昼はショッピングセンターの中で、ラーメンとかき氷。敦賀の家に戻ってちょっと休憩。私とダンナは、ソファーでうつらうつら。孫たちは、家の中や、付近を探検していた。3時ごろからみんなで、サンピアのお風呂へ。大きなお風呂が嬉しくてはしゃいで、他の人に注意されたらしい。夕方、お寺に行って、塔婆のお焚きあげとお墓参りをした。その後、回るお寿司屋さんへ。お花を買うときに、花火も一緒に買った。くるくる回るねずみ花火が、孫たちは初めてで、キャーキャー言いながらも大喜び。線香花火などは、火が消えそうになったら次の花火に火を移して、両手使いで花火をしていた。仏壇の前にお布団を並べて、みんなで話をしながら、一緒に10時頃に寝てしまった。16日は、朝から海水浴を予定していた。朝食は、ガストでモーニング。せっかく早く家を出たのに、忘れ物に気が付いて、取りに帰ったりしていたら、9時半ごろになってしまった。十分間に合うと思っていた松原海岸の駐車場が、もう満車になっていて焦ってしまった。私と孫たちで荷物を持って、車を降り、私たちが浜辺まで歩いて行き、ダンナが駐車場を探してくることにしたら、運よくもう一つの駐車場に停められて、すぐ戻ってきた。孫たちは海で泳ぐのが初めて。敦賀の気比の松原海岸は、松林が続いて日陰がいっぱいあるので、花火大会のための場所だけ取って、私は日陰で椅子に座っておこうと思っていたけれど、日陰でもやっぱり暑くて、水に入りたくなってくる。午前中は、みんなでボートに乗ったりして、お昼は、浜茶屋で焼きそばやから揚げ、かき氷などを食べた。海の水に慣れてきた孫たちは、Tシャツを脱いで、海に浮かぶ飛び込み台から何度も飛び込んでいた。3時ごろに、私はシャワーを浴びて着替え、その後、混んできそうなので、ダンナや孫たちも着替えに行った。16日は、灯篭流しと花火大会があるので、海水浴は5時まで。海水浴客の中には、キャンプをしている外国人がいっぱいたけれど、浜辺にいっぱいあったテントやパラソルも、みんなマナーを守って、いつの間にか片づけられていた。6時半から、お坊さんの読経が始まり、灯篭流しが始まった。夕暮れとともに、沖に流れてとてもきれい。7時半から、市長さんのあいさつで、花火大会が始まった。敦賀の花火大会は、毎年8月16日が恒例で、日本海側最大級の13000発を誇っていたけれど、今年は、敦賀原発が協賛から外れたので、10000発。いつもオープニングは、メッセージ花火。「○○さん、いつも一緒にいよう、結婚してくれ!」パ~ン!というような花火から始まる。それが終わると、今年のテーマ「COLOR-敦賀を色彩で歩こう」に合わせて、「あまちゃん」の主題歌の軽快なリズムに乗せて、色とりどりの花火が続く。桜をテーマにしたものや、銀河鉄道スリーナインをテーマにしたもの。外国への玄関だった、敦賀港をテーマにしたものもあった。空から降り注ぐような花火に、孫たちも歓声をあげていた。途中から、孫が膝に座ってきたので、写真を撮るのは止めて、一緒に空を仰いだ。フィナーレは、一気に何千発も上がる見ごたえのあるもの。写真はとれなかったけれど、美しさに見とれた。8時半ごろに終わって、駐車場に行ったら、なかなか出られなくて、その上道も込んでいて、敦賀の家に着いたのは10時頃。一日海で過ごして疲れた孫たちは、駐車場を出る前に寝てしまった。荷物を積んで、それから大阪に向かった。「運転いつでも替わるよ」と言ってたダンナも、孫たちと一日海で過ごしてお疲れ。桂川で一回休憩したけれど、一気に帰ってきた。家に着いたのは、夜中の2時過ぎ。孫たちは、「え?知らん間に家に着いてた」とびっくり。でも、またすぐに寝てしまった。今日(17日)の夕方、家に送って行った。19・20日、息子もヨメも娘もお休みで、みんなで家族旅行をする予定。明日一日、ゆっくり休ませてもらおう。(お気に入りのゆみさんが、フィナーレの写真をアップされています)
2013.08.17
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今日は、和歌山から姉が来て、一緒に実家の仏壇にお参りし、お墓参りにも行ってきた。実家の仏壇には、兄嫁が父と母の二膳のお料理を飾ってくれていた。お盆の13日に大阪にいるのは、本当に珍しい。っていうか、今まで13日に大阪にいたことあったかなあ。今年は、12日に敦賀から帰ってきて、また14日の夜行くつもりだけど、この方法もいいなあと思えてきた。8月12日は、亡き父の誕生日で、結婚してから、私が敦賀へ行くのは毎年8月12日だった。いつも、「誕生日やのにいなくてごめんね」と言っていたように思う。亡くなる前の年も、前日に、「誕生日おめでとう」とウイスキーの角瓶をあげたんじゃないかなあ。数年前から、お寺さんは12日の朝に来るようになったけれど、以前はずっと、13日の朝から来るので、前日に敦賀に行って、掃除したり、準備を手伝うのが習慣になっていた。13日の午後から、父方のお墓参りをする。この時に持って行く花は、おしょらい花と言うミソハギの花。そして、父方の2軒の親戚に寄って、仏壇にお参りする。14日は、母方の親戚に行き、他の親戚のお墓参りをしていた。15日の夕方には、お寺のお焚きあげで塔婆を燃やして送り、墓花を変えてくる。結婚した直後から、毎年、日にちを決めて、習慣づけられたので、、私は、ダンナの親戚の人たちとも親しく話せるようになった。ダンナの実家も、義母の実家も禅宗で、義母の弟の奥さんは、いろいろなお盆の作法を教えてくれた。でも、義母もあまりこだわらなかったし、お寺さんが、13日から12日に変わったこともあって、12日の朝は、簡単にお膳だけ作って、大阪に帰る時に、お菓子や果物、野菜のお供えだけ残して、お膳は片づけてしまった。14日から、うちの町の盆踊りが始まるので、ちょっとだけ覗いて、お花を渡してから敦賀に出発するつもり。15日に、義父方と義母方の親戚を回り、お墓参りとお焚きあげをして、16日には、孫たちを連れて海水浴をし、敦賀の花火大会を見てから帰ってくる予定。孫たちが花火大会が気に入ったら、毎年このパターンにしようかな。
2013.08.13
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昨日から、敦賀に来ている。昨日の夜は、ダンナの高校のクラス会があった。ダンナの同級生は、ほとんど県外に就職していて、お盆の帰省の合わせて、2年に一度、いつもこの時期にクラス会が行われている。それは、結婚したころからずっと。でも、定年を過ぎて、敦賀に戻ってきている人もいるみたいで、このごろは、クラス会以外にも、敦賀に行ったときに、友達と過ごす機会が増えてきた。明日は、朝からお寺さんが来るので、今日は、一日大掃除。ダンナは、庭の木を切って、雑草を抜いた。私は、家の中。掃除機をかけて、拭き掃除をして、台所やトイレの掃除をした。汗ダラダラになって、夕方お墓へ行って、お墓の掃除とお参りをしてから、夕方6時過ぎに、施設の義母のところへ行ったら、「何しとったん、遅いから心配したわ~」と言うので、ちょっとカチン。「大掃除していたよ。庭もきれいになったよ」と言うと、「ありがとう、ありがとう」と言うけれど、だんなが言うには、最近、「心配してたわ~」が口癖になっているようで、ちょっと遅くなるとすぐ言うらしい。文句も言わすに聞いてあげるダンナは、とっても親孝行だなあと思う。明日は、お寺さんが来たら、義母の所に寄ってから、一旦大阪に帰って、14日に、孫たちを連れて、また敦賀に来る予定。今年は、敦賀の海と、花火大会を経験させてあげたいなあと思っている。敦賀の家を気持ちよくしていたら、毎年来たいと思ってくれるかな?
2013.08.11
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ダンナが「リンカーン」を観たがっていた。週刊新潮のGWシネマセレクションの中で、高得点だったらしい。敦賀でやっていたら観ようかと言ってたけれど、敦賀のアレックスシネマでは上映されていなかった。帰ってきて、近くのシネコンを見たらまだ上映していた。アカデミー賞で主演男優賞取った話題の映画だし、火曜日、プールが終わってから観に行くことにした。 【ストーリー】エイブラハム・リンカーン(ダニエル・デイ=ルイス)が、大統領に再選された1865年。アメリカを内戦状態に追い込んだ南北戦争は4年目に突入したが、彼は奴隷制度を永遠に葬り去る合衆国憲法修正第13条を下院議会で批准させるまでは戦いを終わらせないという強い決意があった。そのためにも、国務長官ウィリアム・スワード(デヴィッド・ストラザーン)らと共に憲法修正に必要な票を獲得するための議会工作に乗り出す。そんな中、学生だった長男ロバート(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)が北軍へと入隊し……。巨匠スティーヴン・スピルバーグによる、第16代アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーンの伝記ドラマ。奴隷制の廃止と禁止を強固なものにし、泥沼化した南北戦争を終結させるため、憲法の修正に挑むリンカーンの戦いを重厚なタッチで映し出していく。『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』などのダニエル・デイ=ルイスがリンカーンにふんし、国と人民の未来をめぐる理想と現実に苦悩する彼の胸中を見事に体現。『50/50 フィフティ・フィフティ』のジョセフ・ゴードン=レヴィットら、脇を固める実力派の妙演も見逃せない。映画は、南北戦争のシーンから始まる。私は、てっきりリンカーンの伝記を映画にしたものかなあと思い、回想シーンか何かで、子どもの頃からが出るのかなあと思っていた。でも、ほとんどが議会の場面。共和党のリンカーンが大統領に再選し、上院議員議会で通過した、奴隷制度廃止のための憲法修正法案を、下院議員議会で3分の2の賛成を勝ち取り、通過させるために、反対していた民主党員に寝返りを働きかける約1ヶ月の間の話。私たちが日本の戦国時代の話を知ってるように、米国民にとってはなじみの深い話なのかもしれないけれど、私には、リンカーンに対しての知識が乏しくて、登場人物が解りにくく、もうちょっと、事前に調べておけばよかったなあと後悔した。でも、最初は、20票ぐらい足らなかったのが、徐々に賛成に回り、反対59票、賛成119票、棄権8票で、法案が通ったところは、本当に感動。最初、リンカーンの息子が、奴隷の写真を見るところがある。小さな子供に、700ドルとか値段がつけれれていた。それが公然とまかり通ってた時代に、法の下の平等を説いたリンカーンは本当に素晴らしいなあと思う。でも、そのリンカーンが、家庭では奥さんに頭が上がらない風なのも面白い。この映画が作られたのが、去年。去年大統領に再選されたオバマさんは、この映画で、奴隷解放に反対している民主党の大統領だ。大統領選の時期に、こういう映画が作られるアメリカって面白いなあと思う。最後に、今自民党が変えようとしている憲法96条。憲法改正が3分の2から、過半数でできるように変えようとしている。この映画を観ると、憲法を変えると言うことの重みを改めて感じる。簡単に、96条変えたらいけないよ。
2013.05.16
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7日、8日と、敦賀に行ってきた。7日は、義母の入ってる老健施設での家族説明会。家族説明会は2時からで、早く着いたので1時間ぐらい義母としゃべっていた。私は、先月12日の介護審査以来だが、ますます耳が遠くなり、話が通じにくかった。それと今までは、家族説明会に来たことなどよくわかっていたけれど、今回は全くわかっていなかったのが気になった。家族説明会が終わるころ、義母の入浴時間が来たので、もう部屋には寄らず、平和堂へ。敦賀アレックスシネマで、「ダイハード」を見て、一力でラーメンを食べてから、実家に行った。一力は、敦賀で一番人気のラーメン屋さん。いつも長い行列ができている。でも、夕ご飯には少し早い時間だったので、待たずに入れた。実家で、のんびりしていたら、ダンナの友だちから電話。何人かで集まって飲んでいると言う。昼間、平和堂で会った同級生から帰っているのを聞いたらしい。それで、待ち合わせ場所まで送って、私は本屋へ。途中でネットカフェで時間をつぶそうと、いつも言ってる所へ行ってみたら、真っ暗。潰れちゃったのかしら。それで、一人でサンピアのお風呂へ。出たら、ダンナがロビーで待っていた。敦賀で、気になっていたのは、義母の介護審査の結果のこと。今、義母は要介護1だけど、要介護が無くなったら、今の施設を出ないといけない。その結果がわかるのが、8日の朝。ドキドキだったけれど、一緒に飲んだ友だちの中に、介護に詳しい人がいて、絶対大丈夫と言ってくれていたので、ちょっとほっとしていた。8日の朝は、市役所へ行って、確定申告の用紙を出した後、介護課へ結果を聞きに行った。要介護1の結果が出てホッ。施設へ行って、義母に教えてあげたら喜んでいた。義母は、今の施設がとても居心地がいいらしい。冬も暖かしい、食事も美味しい。リハビリを中心とした整形外科病院の5階にあるので、親戚や友達が、病院に来たついでに寄ってくれる。4人部屋の同室の人たちとも気が合うようだし、そして、息子が定期的に来てくれるのが嬉しいらしい。これで一安心。留守中も、大工さんが仕事をしてくれていたので、高速を飛ばして早めに帰ってきた。
2013.03.09
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セレクトインの朝食は、好きな小鉢をチョイスできるバイキング形式。ひじき、切り干し大根、小芋の煮物。スパゲティーサラダ、冷奴、納豆、鯖の焼き物に、鯖へしこの焼き物まであるのが嬉しい。納豆、生卵もお好みで。ガストや吉牛の朝食よりずっといい。昨日の夜、7時半ごろ出かけた時は、お客さんが少なかったのに、10時ごろ、お風呂から帰ってきたら、車がいっぱいでびっくりした。9時前に、ホテルを出ようとしたら、またほとんど車が無くなっていて、アパート借りる代わりに、ここに住んでいる人がいるのかなあ、とかダンナと話していた。1ヶ月住んでも、11万円。朝食と夜食と、光熱費とかシーツの洗濯代とか考えたら、家賃を払うより安いかも。今日は、朝から眼科の予約を取って、10時から介護診断。義母は、耳がほとんど聞こえないし、膝が曲がって、シルバーカーを持たないと歩けないけれど、質問には何でもきっちり答えられる。もう一人暮らしはできないし、本人は今の施設がとても気に入っているけれど、要介護の診断が出ないといられないので、毎年、この時期は認定が出るまでヒヤヒヤだ。午後から、義母を眼科に連れて行った。老人性の白内障と、結膜炎の、1ヶ月分の目薬ももらって、支払ったのは200円。医療費も安くてびっくり。全国で一番幸福度の高い福井県だけれど、福祉が充実しているのかなあ。
2013.02.12
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明日の朝から、義母の介護診断があるので、今日から敦賀に来ている。プリウスには、スタッドレスタイヤを入れていないので、冬の間は、ダンナの軽のタントで。通る道も湖西道路は通らず、近畿自動車道の門真から第二京阪、京滋バイパスを通り、名神の多賀で休憩して、北陸自動車道で、敦賀まで。今日のBGMは吉田拓郎。この間、NHKのBSで、吉田拓郎と沢田研二の対談をしていて、その中で流れた拓郎の『唇をかみしめて』が聴きたくて、高速にのる前に、TUTAYAで借りてきた。もう一つ借りたのは、やしきたかじん。これはこの間お正月に録画していた『さんタク』を見たから。さんまと木村拓哉の番組で、やしきたかじんの『あんた』を二人で歌っていた。帰ったらプリウスのHDDにも入れておこう。数日前から雪が降り続いているので、実家の駐車場に車を入れるのも大変だろうから、ホテルを予約することにした。今回は、実家に近いセレクトイン敦賀。ホテルセレクトイン敦賀カレーの夕食と、和朝食が付いて、1人3750円ととっても安い。元はビジネスホテルだったそうで、建物は古いけれど、部屋は割とゆったりしている。部屋には、インターネット用のLANが来ているし、テレビやポットや冷蔵庫の設備も悪くはない。食事は、ロビー横の食堂で。カレーは、お替り自由で美味しかった。部屋にもお風呂があるけれど、いつも利用しているサンピアが近いので、入りに行って、本屋(勝木書店)にも寄ってきた。実は敦賀の本屋さんは、とっても充実している。特に教育関係の書籍は、大阪梅田の紀伊國屋書店並みの充実感。こういうところが、学力テスト全国一位を感じさせるところ。コンビニで買ったハイボールとおつまみ片手に、ゆったりとブログを書きながら、ちょっと快適。明日の朝ごはんも良かったら、また泊まるかな?
2013.02.11
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木曜日、義母の施設の家族説明会があった。今回は、雪を心配して、スタッドレスタイヤの入っているダンナのタントで、近畿自動車道から第二京阪、京滋バイパス、名神、北陸自動車道、と全部高速を通って敦賀へ。道路は全く雪が無くスムーズに運転することができて、これならプリウスでも良かったなあと思ったけれど、家族説明会が終わった後、お正月が近いので、お墓に行ったらこんなに雪が積もっていた。ダンナが、車に積んでいた長靴に履き替えて、私はいつもの足首までのブーツなので、ダンナが歩いた足跡を踏んで歩いていった。帰り道、雪の上で尻もちをついた。その後、平和堂(アルプラザ)へ。夕食を食べた後、ダンナと別行動。ダンナは、本屋で小説を買って読んでいた。私は敦賀に行くと、平和堂で買い物をするのが好き。平和堂には、ちょっと感じのいいミセス物を扱っているお店があって、何故か行く度に3割引きぐらいにしてくれる。それで、セーターをお買い上げ。もこもこの温かそうなカーペットが半額になっていた。関西では、今の時期に半額には絶対にならない物。それで、ダンナと合流してから、カーペットも買うことにした。今回は掃除もしたいので、敦賀の家に泊まったけれど、いつも寝る部屋の、エアコンの調子が悪い。去年から敦賀の家に寝袋を置いていて、今回は、電気毛布を持って行ってたので、寝るのは寒くなかったけれど、どんどん不便になっていきそうだ。金曜日は、7時半に眼科の予約を取りに行ってから、吉野家で朝食。それから、施設に義母を迎えに行った。朝早かったので、駐車場が凍っていた。ダンナが、「凍ってるから危ないで」と言ってるのに、やっぱりすってんころりん。お尻を打ってしまった。眼科の後、銀行へ行ったり家の掃除をしたりして、お昼に敦賀を出発した。多賀のドライブインで、お昼を食べて、夕方には、大阪に帰ってきた。最近、右足首の軟骨がすり減ってきて、変形が進んでいる。左足が手術して頑丈になったので、手術はしないでいいだろうと言われているけれど、足首が傾いて、重心がゆがんでいるので、右足の片足立ちができないし、力が入りにくくなっている。足首が傾いているので、まっすぐするためにX脚になってきて、膝や股関節に負担がかかってきている。普段の生活では不便をあまり感じなかったけれど、雪道や凍った道は、足首の負担が大きいこがわかった。こういうことがわかるのは、左足の手術をしたから。7年前に手術するまでの私は、よく転んだ。訳が分からず、脳の検査をしてもらったりしていた。今は理由がわかっているんだから、大事にしないとなあ。
2012.12.16
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4日の朝は、ホテルで朝食バイキング。泊まったホテルルートインは、大浴場があって、朝食付きツインで1泊10500円とリーズナブル。部屋でいつも見ているBSの「ゲゲゲの女房」と「梅ちゃん先生」も見た。9時半から山車巡行と予定に書いてあったので、9時過ぎ、チェックアウトして、車を置かせてもらって出発。気比神社の方に行ったけれど、山車には出会わず。山車会館の方に歩いて行ったら、並んでいた。この時ならんでいたのは、5台。関ヶ原の合戦や、大坂夏の陣、賤ヶ岳の合戦などを、表した人形が飾ってある。山車の上にのった人がマイクで、「エイヤサー エイ」と掛け声をかけ、それに合わせて、山車の前に立った二人もセンスを振り、山車が動き出した。山車の後ろには、だんじりの後ろてこのような棒があり、10人ぐらいで向きを変えていた。そんな山車を遠くに見ながら、また気比神宮まで歩いてきた。平日だから観光客や見物客は途中の道には少ないけれど、屋台の中には、ちらほら。気比神宮のところまで来たら、人がたくさんいた。境内の中では、相変わらず屋台で遊ぶ子供たちがいっぱい。ダンナが楽しかったと言っていたお祭りは、お神輿や山車よりも、屋台で遊んだのが楽しかったんだろうなあ。神社の中をぐるっと回って、外に出てきたら。残りのもう一つの山車が、止まっていた。他の山車が来るまで、日陰で休憩。「まるまる焼き」というのを食べてみた。今川焼ぐらいの大きさで、お好み焼きの具に、卵と紅生姜とかまぼこなどをのせて、とんかつソースを塗ってくれた。小さなお好み焼きのような感じ。2つで300円。こんな風に気比神宮の前まで、引いてきて、向きを変えて並んでいく。12時に、気比神宮の前に、6基の山車が集結した。この後山車のお披露目や、消防団の演技などもあるそうだ。またホテルまで歩いて行って、姑の施設によって、大阪まで帰ってきた。ダンナが、ずっと楽しいぞ、すごいぞと言い続けてきた敦賀祭り。昔はもっと賑やかで、屋台もずらっと、駅の方まで隙間もなく並んでいたそうだ。冬は娯楽の少ない雪国なので、昔から、一年で一番楽しみにしてきた行事なんだろうなあ。敦賀祭りは、毎年、9月1日から4日まで。土日は大勢の観光客が来たみたいだ。祭りの最初は、カーニバル大行進。市内の全部の学校の鼓笛隊やバトンで行進し、いろいろな団体が演奏したり、踊ったり、仮装したりして、市内をずっと歩いたようだ。昔は、鼓笛隊の指揮や大太鼓をしていたというダンナ。姑にとっては、自慢の息子だったんだろうなあ。
2012.09.05
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昨日、敦賀について、姑の施設に寄った後、予約していた、駅前のホテルルートインにチェックイン。まだ早かったので、荷物を車の中に入れたままにして、向かいのダイニング塩荘で遅めのランチを食べ終わったのが2時ごろ。姑にもらった祭りのチラシでは、お神輿の出る時間帯のようなので、見られるかなあと、気比神宮の方に歩いて行った。平和堂の前の本町通りまで来ると、ちょっとずつ屋台が見えてきた。気比神宮に続くこの通りは、敦賀のメインストリート。私が結婚した頃は、賑やかな商店街だったけれど、今はシャッターの閉まった店も目立つ。ダンナが敦賀まつりを見たのは、高校生の時まで。今から45年も前のことだ。その頃は、もっと屋台の間隔が狭かったそうだ。屋台の間から、お神輿が見えた。この道は、片側だけ通行止めになっていた。ここが気比神宮の鳥居。厳島神社、春日大社と並んで日本三大鳥居の一つ。中に入ると、屋台もたくさんあって賑やか。学校も休みなのか、子どもが多い。本町通りには、りんご飴や、ミニカステラ、ポテト、かき氷、割り箸に巻いたお好み焼きなど食べるものが多かったけれど、境内の中は、スマートボール、射的、輪投げ、金魚すくいなど遊ぶものが多い。ダンナが子どもの頃は、サーカスやお化け屋敷、蛇女などの見世物小屋があったそうだ。サーカスがあったら見ようかと言ってたけれど、あったのは、お化け屋敷だけ。かき氷だけ食べて、参拝した。今年は初詣をしなかったので、久しぶりにおみくじも。母が亡くなって1年経ってないけど、いいかなあ。それにしても、よく遊ぶ子どもたち。どれだけお金を使ってるんだ~?見ていると、金魚すくいや射的などとってもうまい。うちのダンナも、金魚すくいがとってもうまくてびっくりしたけど、敦賀まつりの時は、親戚の人からもいっぱいお小遣いをもらって、気が済むまでしたそうだ。帰り道、こんな大きな商品を持っている子をたくさん見た。射的の所で見ていると、1回500円の射的を何度もして、大きな商品に変えて行ってる子も。勤めているとき、夜店は子ども同士では行かないように。無駄遣いしないように、金額を決めて遊ばせてください、と保護者にも言ってきて、自分の子や孫にも、何回までと、いつも上限を決めて、遊ばせてきた私には、考えられないこと。夏休み、一所懸命、勉強や手伝いをしたら、祭りでいくらでも使ってもいいと言ってるのかもしれないなあ。4時前、気比神宮の前の神楽広場の屋台を見ていたら、最後のお神輿が通った。この道は、歩行者専用になっていたけれど、4時で解除された。
2012.09.04
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敦賀祭りなので、今日は、敦賀駅近くのホテルに泊まっている。姑の施設に寄ってから、ホテルに車を置いて、ホテル近くでランチを食べて、屋台のお店を覗きながら、気比神宮までブラブラ。途中でお神輿も3台見た。気比神宮にお参りしてから、また屋台を覗きながら帰ってきた。ダンナは高校の時以来なので、相当懐かしそう。大きなお風呂のあるホテルなので、入ってから、外の串カツのお店で夕食。生ビール2杯。私もいい気持ちだけれど、ダンナはもう爆睡。パソコンを持って来ているので、写真をアップしようと思ったら、楽天写真館に保存できないわあ。敦賀で見られるテレビは少ない。NHK総合と教育、民法はフジ系と日テレ系の2ちゃんねるのみ。でも、敦賀の実家と違って、NHKのBSが見られる。今しているのは「ローマの休日」1953年、私の生まれた年の映画なのに、この間ローマで見た風景がいっぱいでてきた。アン王女じゃないけれど、ローマは素晴らしかった。また行きたいなあ。
2012.09.03
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数週間前から、カローラの調子がおかしい。ブレーキを踏むと、シューッと、空気の漏れるような音がする。ずっと調子がいいと思っていたけれど、タイミング良く、買い替えを決めた途端に調子が悪くなった。今日は、義母が入っている施設の家族説明会の日。プリウスが間に合うかなあと思っていたけれど、来るのは月末になるそう。高速の途中で動かなくなったら困るので、敦賀へは軽のタントで来た。家族説明会の後、銀行へ行って、市役所へ行って、たまった用事を片づけた。敦賀の家に来るのは久しぶり。2月の、介護調査の時は、大雪の予報が出ていたので、家には寄らずにとんぼ返りしたし、3月の、法事のときは、芦原温泉に行ったし。敦賀の、義母はすこぶる調子が良い。歩くのは、シルバーカーを押してだけれど、施設の中では、頭も体も一番といっていいほど元気らしい。でも、今回こんなことが。義母が、3週間前ダンナが帰る時、「○○子さん(私)が、洗ってあげると言って持って帰った、、タオルケットを持って来て」と言ったらしい。私の中では、全くタオルケットを持って帰った記憶がない。セーターやチョッキは洗ってあげると言った記憶があるんだけど。それに、敦賀から持って帰ってきた上靴などは、忘れないように、すぐに洗って、ダンナのかばんに入れておく習慣がある。家の中を捜しても、それらしいタオルケットはないし、家にあるものを持って来た。でも、そのタオルケットは不満らしく、「あんた、持って帰ったげな」と言う。それで、施設の帰り、平和堂で新しいタオルケットを買って、明日持っていくことにした。敦賀の家に来てみると、応接間にタオルケットが一枚。え~、去年私が持って帰ってきて、敦賀の家に忘れていったのかなあ。いやいや、多分、ダンナに持って帰ってもらったのと、私が洗濯してくると言ったセーターと、ごっちゃになっているんだろう。でも、思った以上に義母は頑固。義母は、私に対して厭味などは全く言わない人だったけれど、こんなに頑固に言うのは、周りに認知症の人が多いからかなあ。
2012.06.21
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姑の介護診断の連絡を受けたのは月曜日。今週中に、市役所に報告しないといけない、となんと急なこと。毎年2月の末だけど、全然連絡が無いので、今年は診断しなくてもいいのかなあと安心していたんだけど。日本海側、降雪のニュースもあったけれど、161号線の安曇川を過ぎたあたりから、大雪。これは姑のいる老健施設の窓から。施設にいた3・4時間の間に、車に15cm位も雪が積もっていた。敦賀の実家の駐車場にも多分たくさん積もって、簡単に車を入れられないだろうし、エアコンの暖房だけではまた風邪がひどくならないか心配。まだまだ雪も続きそうなので、3月下旬予定の法事の食事場所の下見をしてから大阪へ帰ってきた。
2012.02.09
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敦賀への道中は、こんな雪景色。途中、こんな風に雪を吹き飛ばしている除雪車を見た。今日、義母に、「お母さん、元気にしてなさるう?」と聞かれたけれど、「ううん」と首を振っただけだった。義母は耳が不自由なので、大きな声で時間をかけてゆっくり説明しないといけない。明日、大阪へ帰る車の中で、話そうかと思っている。今まで、敦賀に着くと、いつも母親に電話をしていた。今日も電話をかけようとして、いないことに気づき、ぐっと落ち込んでしまった。
2011.12.29
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敦賀にはラーメン屋さんが多い。敦賀駅から国道8号線沿いにかけては、昔から屋台が多く、特に海水浴客が多い夏場は、昔は、数メートル置きに、屋台が点々と並んでいた。そんな中の人気屋台が、お店を出し、増えていったのだと思われる。初めて屋台で食べたのは、30年以上前、敦賀の駅前で、すごく賑わっていた。お鍋を持って買いに来ている人もいた。そこが、今は市役所のそばの「一力」という、いつも行列のできるラーメン屋さん。11日の夜、敦賀に着いて食べたのは、「来来亭」のラーメン。ラーメンの固さや、背油、ねぎの量などを選べるので、最近ダンナが、敦賀に行くたびに食べていると言う。ラーメン600円。ダンナは、餃子とご飯の付いた餃子定食880円。 写真を撮り忘れたので、これはネットから。私が頼んだのは、もっとねぎ多め。12日には、以前1回行って美味しかった「金太郎」へ。ここも、人気屋台から店舗になったようで、いつ行っても流行っているお店だ。餃子は、2人前。小ぶりだけれど、餃子も味がいい。ラーメン650円。餃子一人前380円。 敦賀駅下がりのアルプラザから気比神宮の方へ、国道8号線を歩いて行くと、商店街の端の方に店がある。国道沿いに、昔はいっぱい屋台が並んでいたのに、今年は3軒。その中の一つが、すごく賑わっていた。次の日には、ダンナがクラス会だったので行けなかったけれど、14日の夜は、その流行っていた屋台「ごんちゃん」へ。 並ラーメン600円。紅ショウガは、テーブルの上に入れ物があって、自由に。美味しいけれど、特にこれと言って特徴があるわけでもない。いつも賑わってるのは何故かなあと思っていたら、隣のテーブルから入れ物が回ってきた。チャーシューの切れ端いっぱいで、自由に取って、次に回してと言う。いっぱい入れたら、チャーシューメン。人気の理由はこれだな。
2011.08.16
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敦賀の家の周りが、どんどん便利になっていく。歩いて数分のところに、大きなスーパーがあり、百均のお店があり、ユニクロがあり、インターネットカフェがある。ラーメン屋さん、おすし屋さん、焼肉やさんなど食べ物関係のお店も多数。インターネットカフェで、ここ数日のお気に入りがこのお部屋。テレビと、パソコン、マッサージチェアー、週刊誌も読み放題、ドリンクバーつき。女性は100円引きで、1時間450円のところ350円。敦賀のテレビは、デジタルに変えていないけれど、ケーブルが繋がっているので、今のところ見られている。ダンナは、高校野球が好きで、ずっと見ているので、私は、ちょっとネットカフェに行かせてもらう。大阪では全く行ったことないけれど、どこでもマッサージチェアもあるのかな。
2011.08.15
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朝から、義母のところへ寄った後、スーパーで、おにぎりやお茶を買って、予定通り水島へ。水島行きの船は、色が浜の船着場から。11時の船に間に合うかなあ、と言いながら行ってみたら、桟橋にはすごい行列。でも、駐車場のお兄ちゃんが、どんどん船が出ているから大丈夫、と言うので、列の後ろに並んだ。若いカップルと、小さな子供を連れた家族づれ、学生たちのグループなどがほとんどで、私たちみたいな年寄りはいないけど。定員62人の船は、小さな子がいるし、浮き輪など荷物は多いし、満員で出発。5分ほどで、水島に着いた。写真左手の、松の木のところに荷物を置いて、さっそく海へ。内海の方は、きれいな砂浜だけれど、人がいっぱいなので、外海の方に行くと、岩だらけの遠浅。歩きにくいし、泳ぐにはおなかがつかえて泳ぎにくい。それで、やっぱり内海の方へ。きれいな砂浜で、太陽の光が水の中でもキラキラして、すごくきれい。最初買ったばかりのシュノーケルを使っていたけれど、やっぱり、ゴーグルだけの方が使いやすい。でも、砂浜で人が多いので、魚はとっても少なかった。のんびりと、海岸から、100mぐらい離れた所に浮かべてある、筏に向かって泳いで行ったりしながら、一年ぶりの海水浴を楽しんだ。途中でおにぎりを食べて、堪能して、1時過ぎの船で戻ってきた。上から、シャツだけ着て、そのまま車で敦賀の家へ。シャワーを浴びてすっきりしたけれど、2時間余りなのに、びっちり日焼け。手足の線だけじゃなく、顔にはかすかにゴーグルの後。せっかく、娘にもらった美白クリーム塗っているのになあ。この年で、海水浴なんて無謀かしら。
2011.08.14
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敦賀へ来て、3日目。今夜は、2年に一度のダンナのクラス会。それで、お迎えの電話があるまで、私は近所のネットカフェで過ごしている。一昨日の夜、敦賀に着いて、昨日は朝からお寺さんが来た。帰った後、義母のところに会いに行って、午後から、海水浴に行く予定をしていた。ブログのお友達のゆみさんが、「海水浴に行くのなら、寄って」とメールを下さっていたので、電話で場所を聞いてお宅に伺った。お庭には、ブログで見た通りの草花や野菜がいっぱい。お気に入りになったときは、福井県在住としか知らなくて、福井県ならいつか会えるかなと思っていたけれど、彼女も、ご実家が敦賀で、共通点の多いこと。ダンナと同じ高校出身で、共通の知り合いがいるし、彼女も足首を痛めて、仕事を辞めているし、息子さんの仕事も、娘さんの仕事も、敦賀の家族と関係があるし・・・話をしていたら、時間がたつのも忘れてしまっていた。takatobaabaさんと話をしていても、いろいろ共通点が多くてびっくりしたけれど、今回も。縁って不思議だなあ。ところで、海水浴に行くにはちょっと遅くなってしまったので、昨日は中止することにして、水島に渡る船着場を見に行った。今日は、お墓参りや親戚参りを済ませたし、明日、朝からお義母さんのところへ行った後、水島へ行く計画をしている。
2011.08.13
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今日は、実家にお寺のおっさん(和尚さん)が来て、お盆のお経をあげてくれた。和歌山のお寺で、檀家が多いので、大阪の方はお盆より少し早く、いつもこの時期。今日は母は透析の日で来られないので、兄嫁が準備してくれた。母は、今度の土曜日から月曜日までうちに来る。お盆の間は、私が大阪にはいないので、来ても日帰りかもしれない。お盆には、私は敦賀で用事がいろいろある。7日の日曜日には、お寺の盂蘭盆会の施餓鬼がある。卒塔婆をもらいにお寺へ行って、檀家が集まってお経をあげる。それまでに、お墓の掃除もしておかないといけない。今回、これは、ダンナ一人で行ってもらう。私は、母が来るし、日曜日は近所のクリーンデー。隣組長なので、町内会費も集めないといけない。ダンナは一旦帰ってきて、10日に、6年前に亡くなった義妹(ダンナの妹)の仏壇とお墓にお参り。12日の朝、敦賀の家にお寺の和尚さんが来るので、11日には敦賀に行って、掃除や準備をしたいと思っている。13日には父方の、14日には母方の、親せき回りとお墓参りがいつものこと。13日の夕方からは、2年に一度のダンナのクラス会。地デジになって、敦賀のテレビは見られないし、今年はニコもいないので、私は、インターネットカフェで過ごそうかな。15日の夕方に、卒塔婆を燃やす供養がお寺であるので、それまではいないといけない。16日には、気比の松原で花火大会があるけれど、今年も見ようか、どうしようか。間を縫って、もし行けたら、行ってみたいのが水島。船に乗って渡るそうだけど、人が多くて無理かなあ。去年、水晶が浜で泳いだのが面白かったので、今年も海水浴に行きたいなあと思っている。そうそう、これがしたいのよ。買わなくっちゃ。水が入らないドライスノーケル&マスク2点セット 大人用 子どもでもいればもっと楽しいんだろうなあ。カップルで楽しむ年でもないんだけどね・・・・
2011.08.04
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敦賀からの帰りに湖西道路を通るとき、いつも気になっている観音様があった。滋賀県のマキノの道の駅のそばに、向こうを向いて立っている。何も看板があるわけでなく、にととらさんの全国の観音像の中にもないし、ネットで調べてもわからない。それで、この間敦賀の帰りに寄ってみた。 かなり大きい、10mはありそうな、立派な観音様だ。でも、このお寺が変わっている。 子どもを抱きかかえているのは、菩薩様かなあ。 立派な仁王様の前に、何故かカエルの置物。カエルは至る所にあって、門の前にも。 門には「華藏山」の文字。でも、横は民家で、お寺ではないのかもと、すぐに車に戻ったけど。ちょっと気になるわあ。
2011.06.09
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台風2号の影響による集中豪雨で、三方五湖の北の常神半島が、陸の孤島になっているとニュースになった。遊覧船に乗ったレイクセンターから、レインボーラインに行こうと思ったら、そこからの道も、通行止めになっていて、国道27号線に戻ることに。そこから小浜方面に行く途中、三方石観音の看板があった。前日、義母に「老健施設から石観音に行ってきた」と聞いたばかり。ダンナが、子どもの頃に行って、強烈な印象があったと言う。それで、車で奥の院まで行って、お参りした。 この観音様は、手足の病気などにご利益があると言う。このお堂の中に、ぎっしり詰まったのは、木で作られた手形や足形。子ども心に、強烈な印象が残ったのも頷ける。それで、レインボーラインへは、西の方から。三方湖の横の梅街道から入って行った。レインボーラインの中ほどに、駐車場があって、そこからリフトに乗って、梅丈岳山頂公園へ。 少し曇っていたけれど、三方五湖がきれいに見えた。 柵にたくさん付いているのは、誓いの鍵。数年前に、恋人の聖地に認定されて、訪れる人が増えたそうだ。 これは、和合神社。両側から参拝するようになっている。地元出身の、五木ひろしの「ふるさと」の歌が聞こえてくる歌碑があったり、まだちょっとつぼみだったけれど、バラ園があったり、景色はいいし、吹く風も気持ちよくって、来て良かったなあと思った。鍵はかけなかったけどね。
2011.06.07
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何の番組で観たんだろう。数ヶ月前、テレビで三方五湖の風景を見たんだけれど。その時から、レインボーラインから三方五湖を私に見せたいと言っていた。今から36年前。結婚してすぐの頃に、観光バスで行ったことがある。でも、霧で全く湖が見えなかった。今は、晴れ女、お天気女と確信している私なのに、何故かその年だけは、新婚旅行もこのレインボーラインも、曇って霧がかかり、前がよく見えない状態。(まるで、結婚生活を暗示していたみたい・・・)それ以来、敦賀にいても三方五湖へは行ったことがなかった。と言うことで、今回は行く前からレインボーラインに行こうと決めていた。金曜日、朝からお墓参りをすませ、義母のところへ寄って、1時間ぐらい話をしてから、施設を後にした。三方五湖は、敦賀から国道27号線を西に、車で30分ぐらい走ったところにある。湖のほとりのレイクセンターに寄ってみると、遊覧船も出ていると言う。丁度あと数分で出港。伊丹まで娘を迎えに行くことになったので、時間はたっぷりあるし、乗ってみようかと言うことになった。乗客は、私たちと、赤ちゃんを連れた4人連れだけ。船は、老朽化が進んでいる。まず出港は久々子湖から。そこから40分かけて、水月湖、菅湖、三方湖を周ってくる。少しずつ繋がっているので、三方湖は淡水だが、他の湖は、少しずつ海水が混じっているので、とれる魚も湖の色も違うらしい。久々子湖から水月湖に向かう、この細い通りが、一番の見せ場。ここは水鳥の生息地で、ラムサール条約に登録されている。こんな大きなシラサギが、船の周りを飛び回る。でも、見どころはここだけ。40分で1210円はちょっと高いかなあ。でも、ダンナが、「遊覧船に乗るの久しぶりやろう?」と上機嫌。あのう、中国で太湖と蘇州で2回乗ったんだけど・・・ベトナムでも、ジャングルクルーズしているし・・・妻の旅行にはあまり興味がないのよねえ。
2011.06.06
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義母の老健施設の家族説明会の日なので、今日は敦賀に来ている。敦賀の家には誰もいないので、普段はブレーカーを切っている。お風呂は電気温水器で沸かすタイプだけれど、普段使っていないので、始めは金気がすごい。透明になるまで、30分ぐらいずっと水を出しっぱなしにしている。月に一度2日間来るだけなのに、何故か電気代も高くついているし、今回は家でお風呂に入るのはやめることにした。行こうと思っていたスーパー銭湯に行ってみたら、配管工事で6月1・2・3日は休業という表示。「岩盤浴の嵐の湯というのに行ってみようか、(以前厚生年金の施設だった)サンピアのお風呂だけ入られへんかなあ」と、直接行って、一回聞いてみることにした。フロントで聞いてみると、「入れますよ。地下1階です」という返事。サンピアのお風呂はつぬがの湯というお風呂で、大人500円。泡風呂や打たせ湯、サウナもあって気持ち良し。敦賀の家に帰ってきてから、電気温水器のブレーカーは切ったままにした。これは、今度からこのお風呂に決まりだな。
2011.06.02
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老健施設に入っている義母の、介護認定の更新のための認定調査があったので、昨日から敦賀へ行っていた。今年に入ってから、私が敦賀へ行くのは初めて。ダンナは、今回が4回目。今年は、お正月も2月に入っても大雪の日が多かったけれど、いつもその合間を縫って行ってた。昨日も、いい天気で、天気予報もよかったので、スタッドレスタイヤではない私の車で行ってきた。昨日、敦賀へ着いて、義母のところに寄ってから、銀行や市役所に回り、その後、平和堂へ。(とは今は言わないのかな?)ダンナが、3階の本売り場にいる間、私は2階の服売り場を見ていた。敦賀の平和堂は、地方のショッピングセンターだけれど、時々お得な掘り出し物が見つかることが多いのだ。今回も、チュニックとジャケットを発見。でも、先月も今月も旅行に行ったり使いすぎだしなあ、と思いながら、ダンナに言ったら、「買ってきたら?」と言ったので、また2階へ下りて行った。売り場に近づいて行ったら、近くにいた女性がさっと取って、試着しだした。そうなると、とっても損した気分。「わ~、買わないで~」と思ったけど、お店の人に渡して買ってしまったみたい。でも、その人の顔を見たら、ダンナの友達の奥さん。それで声をかけたら、「今来ているの」と、夕食を一緒に食べようと誘ってくれた。夜は映画を見ようと言ってたけれど、中止して、実家に行って、荷物をおろして、しばらくしてから、そのお宅へ。そこも二人のお子さんは独立して、二人暮らし。夫婦ともダンナと同級生なので、友達の話に花が咲いた。その人たちは、ずっと敦賀に在住しているけれど、同級生のほとんどは、敦賀を離れてしまっていた。でも、定年になって、うちと同じように、親の介護のために、時々敦賀へ戻ってきている人が何人かいるそうだ。ダンナは、大好きなニシンのスシを出してもらって、お寿司とお酒で気持ちよく酔っぱらって、11時過ぎに帰ってきてすぐに爆睡。私も早めに休むことにした。今日は朝から、義母のいる老健施設へ。10時過ぎに市役所の人が来て、義母の調査をした。ベッド回りでの動きを見たり、いろいろな質問をしたり。義母は、シルバーカーを使わないと立っていられないし、歩けないけれど、受け答えははっきりしている。このまま過ごすことを、義母も私たちも望んでいるのだが、要介護の診断が出ないと、ここから出ないといけない。要望をいろいろ伝えたのだが、大丈夫かなあ。敦賀へ行くと、おしっこシートを置いていたり、まだニコのいた頃の名残が。安曇川の道の駅や、桂川のサービスエリアに車を停めると、ああニコといつも散歩したなあと思いだした。楽にはなったんだけど、物足りないなあ。
2011.02.25
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先日、嵐コンに行くのに電車に乗ったとき、窓から見えたのが、このポスター。「敦賀にこんなきれいな景色、 どこにあるの?」とダンナに見せたら、敦賀半島の東側、にある無人島だという。地図で見たら、今年の夏行った水晶ヶ浜は敦賀半島の西側。半島を横断して帰ってきたけれど、まだそこより先端の方にあるみたい。ここの写真かな?半島の色が浜から、船に乗って行くみたいだ。こんな景色があるのなら見たいなあと、敦賀に行った翌日、朝から敦賀半島の方に行ってみた。海の向こうに見えるのが水島。 途中の山道も紅葉できれいだったけれど、道路から見る、海岸線の砂浜もきれい。海水浴場の駐車場に車を停めて、海を見た。 海岸に降りる途中も面白い風景。 浜辺は・・・今は~もう秋。誰も、いない海~。 来年の夏には、水島に渡りたいなあ。
2010.11.09
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武田耕雲斎の墓があるから見に行こうと言うので、映画を観た後行ってみたけれど、暗くてよくわからず、「夜、お墓にはあまり行きたくないなあ」と私が言って中止。翌日、行くことにした。土曜日は、ぽかぽかと暖かくよいお天気で、朝から舅のお墓参りをした後、敦賀半島の方をドライブ。戻ってきてから、武田耕雲斎の墓の方へ。気比の松原から少し住宅地の方に入ったところに、武田耕雲斎の墓と、水戸烈士の墓があった。武田耕雲斎(1803年~65年)幕末尊攘派の水戸藩士。同藩士跡部正続(あとべ・まさつぐ)の長子として生まれ、本家を継いだのち跡部の旧姓武田を名乗る。名は正生(まさなり)。耕雲斎は号。9代藩主徳川斉昭の藩政改革の尽力した改革派の重臣。元治元年(1864)2月、伊賀守。3月、藤田小四郎らが筑波山の挙兵したときには時期尚早とこれを諫めたが、10月の那珂湊の戦いから小四郎らと行動をともにし、11月、天狗党千人余の総大将として京都へ向かい尊攘の素志を朝廷に訴えようとした。しかし、その途中越前新保で加賀藩の軍門に降り、翌慶応元年2月、小四郎らとともに敦賀の海岸で斬首された。墓は、敦賀と水戸の妙雲寺にある。上の写真の左側に建っているのが武田耕雲斎の像。階段を上がったところは、水戸烈士の墓で、階段の横の柱に、ボタンが付いていて、押すと説明が始まった。水戸烈士水戸藩の家老武田伊賀守正生の率いる烈士等の一行は、未曾有の国難に対処するために、苦難を忍び妨害を排除しながら、大子(茨城県)を出発し48日目の元治元年(1864)12月11日、漸く敦賀市新保に到着した。ところが、これを待ち受けていたものは、上京を防止しようとする幕府の大軍13,000名で、葉原から敦賀にかけて縦深陣を構築し布陣していた。長途の強行軍と、途中での戦いに疲れ果てた烈士たちは、ここで青天の霹靂にも比すべき情報を入手した。それは烈士たちが上京するにあたって、頼りにしていた一橋慶喜が、討手の大軍の総指揮官だったことである。このため烈士たちは軍議を重ねた後、一旦降服し他日再挙をはかることとした。この降服を受けた加賀藩の総帥永原甚七郎は、烈士たちの国を思う心に深く感動し、一同を敦賀の本妙寺、本勝寺、長遠寺の三箇所に収容し、天下の志士、武士の鑑として手厚くもてなしたのである。間もなく慶喜は京都に引き揚げ、かわって幕府から烈士の処置の全権を取付けてきた田沼玄蕃守意尊が派遣されてきた。この人物は水戸で武田耕雲斎と対立し、激しい敵意を燃やしていたのである。悲劇はここから始まった。このときばかりと元治2年(1865)1月29日から烈士たちを船町(現在の蓬莱町)のニシン倉16棟を獄舎として押しこめ、意識的に劣悪な条件のもとにおき、拷問同様の扱いをしたのである。2月1日から、形ばかりの裁判で審理らしいこともせず、一方的な報復的即決裁判が行われ、わずか6日間で次のような判決を下した。死罪353人、遠島137人、水戸藩渡し130人、追放187人、永厳寺預け11人、合計818人。800人を超える審理が終わった後、2月4日、15日、16日、19日、23日の5日間に渡って353人の斬首を行った。こうして、日本の前途を憂いつつ来迎寺原頭に無念の涙を呑んで露と消えたが、烈士たちの遺志は回天の大業「明治維新」を実現する原動力となり、近代日本を誕生させた。いま烈士たちは、周囲「約4.3」四方、高さ「約4メートル」の塚に手厚く葬られ、限りない日本の発展を静かに見守っている。なお、ここに葬られている烈士は、武田耕雲斎以下411名(途上の戦死者、病死者を含む)である。道路を隔てて、その西側に鎮座まします社が松原神社で、明治29年10月9日に社殿が竣工し、明治11年10月に明治天皇北陸ご巡幸の節、祭祀料を賜った10月10日を祭日としている。なお耕雲斎の辞世は次のとおりである。 討つもはた討たれるもはた哀れなり 同じ日本の乱れとおもえばダンナは、小さい頃松原地区に住んでいて、この墓の掃除が、子供会の行事になっていたのだと言う。約50年ぶりにここへ来て感慨深げ。この墓の向かいには松原神社があって、水戸烈士記念館があるというので行ってみたが、閉まったままだった。「どうして敦賀やったんやろうねえ」とダンナに言うと、「東海道を通ったらつかまりやすいから、 中山道を通ったんやろうなあ。 中山道のどこから敦賀に入ったんかなあ。」松尾芭蕉も敦賀に来ているし、どこかに古道があるのかも知れない。といろいろ疑問がわいてきて、帰ってきてからネットで調べている。一つの映画から、いろいろ興味が広がった。
2010.11.08
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昨日、今日と敦賀へ行って来た。今日はぽかぽか暖かい良いお天気で、国境の峠の辺りは、山肌が赤や黄色に染まってとってもきれい。途中の道の駅もこんな感じ。よく考えてみたら、紅葉の時期に敦賀へ行ったことって無かったんじゃないかなあ。今回の敦賀行きの一番の目的は、老健施設にいる姑の冬物の服の準備。お墓に参って、親戚の家を尋ねて、でもそれ以外に映画も観て、今まで知らなかったところも見てきて、盛りだくさん。さかな町でカニを買ってきた。ズワイガニは、今日が解禁日。買ったのは、ズワイガニのメスのセイコガニ。(セコガニとも言う)小さいけれど、赤い身の付いているメスの方が、甘くて美味しい。ダンナは、カニの足の細いところを、太い方の端から押して、とてもきれいに食べる。子どもの頃は、おやつでよく食べたのだそうだ。10円で買えたそうだが、今は100倍以上。おやつに食べるには高すぎる。
2010.11.06
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16日、気比の松原で灯ろう流しと花火大会があった。去年、約20年ぶりで見た花火が大迫力で感動したので、今年も見て帰ることにした。13000発の花火は、日本海側最大。毎年8月16日と決まっているので、大勢の人が訪れる。去年は、20万人以上の人が来たそうだ。今年は、花火会場から歩いて30分ぐらい離れた駐車場に車を置いていくことにした。4時半ごろに着いたら、もう浜辺にはたくさんの敷物が敷かれていた。灯ろう流しの始まるのは、6時半から、花火大会は7時半からだ。浜辺に寝転ぶと、日差しも強くなくて、暑くも寒くもなく、とても気持ちのいい風が海の方から吹いてくる。周りに人がたくさんいるのに、波の音がここちいい。ダンナは、1時間ぐらい眠ってしまっていた。6時半になると、有志のお坊さんたちによる、お経が聞こえてきて、灯ろう流しが始まった。たくさんの人が、灯ろうを流そうとするんだけど、風が海の方向から吹いてくるので、波に戻されて、つぶれてしまう灯ろうも多い。そんな中、お父さんと息子らしい親子連れが、海の中まで入って、灯ろうを流そうとしていた。 何度、海に置いても岸に戻ってくるので、海岸に、灯ろうを並べた。灯ろうに書かれていた文字が見える。「ママ、帰ってきてくれてありがとう。 一年後、また戻ってきてくれるのを、 家族みんなで待ってるよ。」黄色い服を着た少年は、小学生くらいの子。この子のママは、こんな小さな子を残して、逝ったのか。と思うと、心が痛んだ。
2010.08.17
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敦賀港の近くに、きれいな建物があった。「人道の港 敦賀ムゼウム」と看板に書かれていた。1940年、杉原千畝が発行した命のビザを持って、ナチスから逃れたユダヤ難民が上陸したのが敦賀港だったのだそうだ。芝生ときれいな花の咲く、見晴らしのいい公園の中に建てられた、この建物は、そんな資料が展示されている、休憩所。見学しているのは、外国人がとても多かった。杉原千畝のことは、数年前にテレビで見たりしたけれど、その人たちが敦賀に着いたのだということも、こんな資料館があることも知らなかった。敦賀の海も、外国人がとても多かったけれど、敦賀って、外国のほうがよく知られているのかも。
2010.08.16
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全国のパワースポットの載った本を買ったら、敦賀の気比神宮が載っていた。ダンナは、高校野球ばかり見ているので、ちょっと単独行動。それで、今日は気比さんに参拝。気比さんに行ったのも、久しぶり。本当に力がありそうな神社だわ。ヨメに、安産のお守りを買って、絵馬に、願い事を書いた。この後、敦賀をいろいろドライブして回ったら、いいところがいっぱいあるじゃない。単独行動も悪くないなあ。
2010.08.15
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14日は、予定のない日なので、海に行こうと言っていた。息子が中学を卒業してから、海には行った記憶がないので、ほぼ20年ぶり?昨日は、お墓参りの後、どこの海にしようか、下見。家から一番近いのは、松原海岸海水浴場。16日に、花火大会の行われるところだ。敦賀半島の西側には、ダイヤモンド浜・菅浜・水晶浜がある。昨日も海岸にはたくさんの人がいて、時間を選ばないと、駐車場もなさそうだし、渋滞に巻き込まれそうだった。ショッピングセンターで、大き目の浮き輪と、敷物を買って、準備完了。夕べ聞いた天気予報は、あまり良くなかったけれど、今朝は、雨も降ってなくて曇り空。それで、8時過ぎに出発することにした。金の像さんが、先日行ってきた水晶浜までは、混んでいなかったら、車は20分もかからない。家から水着を着て、クロックスを履いて、できるだけ荷物を少なくして出発。早かったので、浜辺に近いところに車をおくことができた。駐車場代は、お盆料金で1500円。水晶浜の西の端は、遠浅で、ところどころに岩場がある。クロックスを履いたままで、ゴーグルをつけた。岩場と岩場の間隔は、10m~20mくらい。岩場で休憩しながら、大きな岩を一周した。岩に近づいていくと、際の隙間から、小さな魚が群れで出てくる。浜辺に近いほうは波も静かだけれど、外海になると、波が打ちつける。岩場も痛くなくて、クロックスを履いたのは大正解。いつもプールで泳いでいるからか、ゴーグルだけでも、時々息継ぎするだけで、全くしんどくないのもびっくりだ。一周してきて浜辺に戻ったら、金髪の子どもや、東南アジアらしい言葉がたくさん聞こえた。周りにテントをたくさん張っていたけれど、ここは外国の海なのか?と思うくらい、その辺りは、外国人ばかりだった。ちょっと雨がぽつぽつしてきたので、浜茶屋のあるほうに歩き出したら、かなり降ってきたので、中に入って休憩。浜茶屋のおじさんに、ダンナが昔のほうが、水がきれいだったけど、と話したら、天気が悪いからと言っていた。いいお天気のときは、水の底まで透明で、きらきら輝いているそうだ。今日も魚の泳いでいるところをいっぱい見られたけれど、水が透明なら、もっときれいだろうなあ。雨が止みそうにないので、水着の上に、上着だけ着て、ビニールの袋を下に敷いて、帰ってきてから家でシャワーを浴びた。金の像さんのブログを読まなかったら、こんな楽しいことに気がつかなかったかも。これから毎年行くのは間違いなしだわ。
2010.08.14
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渋滞を避けて、5時ごろ出発しようと決めていたけれど、夕べはダンナも私もまったく眠くならない。それで、3時過ぎ、今から行こうかと敦賀に出発することにした。ところが、出発して10分もたたないのに、ダンナがあくびをしだす。大丈夫と言うけれど、運転を交代することにしたら、30分後にはもう寝てしまっていた。私も寝てないので、だんだん疲れてきたけれど、名神は、京都の手前、大山崎のところが朝方混むので、早く通過したかった。やっと、桂川のサービスエリアまで来て休憩したのは5時半ごろ。ニコを散歩させたら、爆睡。1時間ぐらい寝て、顔を洗ったら気分すっきり。ダンナも起きたので、運転交代して敦賀に着いたのは9時半ごろ。敦賀に着いたら、1年ぶりに大掃除。家中の窓を開けて、畳や廊下を拭いたら気持ちいい。シルバーさんに頼んだ庭の草は、鎌で刈っているだけなので、また伸びている。ダンナは外回りの草引き。汗でドロドロになったので、シャワーを浴びてから、義母の陋見施設に行った。明日お坊さんが来て、義妹たちも来るので一緒にお墓参りをして、13日には、親戚の仏壇におまいりして、15日には、お寺に塔婆を返しに行く。でも、楽しいことも計画している。金の像さんが先日敦賀へ行ったときが楽しそうだったので、今年は20年ぶりぐらいで、海に行く予定。ゴーグルつけて、海に潜ってみたいな。老夫婦二人で変かしら。去年の花火大会があまりによかったので、16日の夜、今年も見てから大阪に帰ってこようと思っている。
2010.08.11
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昨日は霧で煙る中を敦賀に向かったのに、今日は真夏のようにいい天気。161号線から琵琶湖が見える、この景色が好き。老健施設の家族説明会で義母のリハビリの様子などを聞き、夏用の服の準備もできた。敦賀の家に風を通し、草引きをシルバーさんに頼み、市役所への手続きも終わった。次に私が行くのは、お盆。夕べは「flowers」を観た。帰り道のBGMは嵐。別荘だと思ったら、また楽し。
2010.06.24
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敦賀への出発は、渋滞を避けて朝の5時。今回のBGMは、さだまさしと長渕剛。ダンナが、最近「乾杯」にはまってる。古いなあ。京都東のインターから、湖西道路を通って鶴賀へ行くけれど、高島を過ぎて、マキノ峠の辺り、山々に桜の花が見られてうれしかった。道沿いに、桜の花びらがまん丸になって固まって咲いている桜があって、珍しいなあと思ったら、ひじかた花梨さんのところで見たら、さくらんぼの花らしい。敦賀へは、順調に行って、9時前に到着。義母の病院に行ったあと、時間に余裕があったので、2年ぶりに、リラポートという温泉に行って、のんびりすごした。
2010.05.05
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義母が、先月から入っている老健施設で、家族説明会があるというので、今日から敦賀。明日は3ヶ月ぶりに外出許可をもらい、快気祝いをする予定だ。敦賀へくる途中、一本の電話があった。塾の体験申し込み。昨日チラシを、入れた地域だ。やっぱり、地道に広報活動しないといけないなあ。今日は、とっても寒くて、来る途中、空も曇っていたけれど、至る所で満開の桜を見られた。やっぱり、日本の桜は最高やねえ、なんて話しながら来た。明日は、義母をお花見にも連れて行ってあげたいなあ。そうそう、昨日入った、スポーツクラブの、フラダンス。新しい曲の振り付けに入ったけれど、「ブルーハワイ」先日カラオケで、にととらさんが歌った気がする。伊豆大宴会のために、振り付け覚えなくっちゃ。
2010.04.07
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