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今年のル・マン24時間レースで話題となったが、5月31日に突然発表されたTOYOTA GAZOO RacingのGR010 HYBRIDに対する性能調整・BoP(Balance of Performance)の変更。 大会10日前に急遽義務付けられたBoPでトヨタは最低車両重量を37kg増の1080kgとなった。フェラーリは1040kgから24kg増加して1064kg、キャディラックは1035kgから11kg増となり1046kg、プジョーはまったく増えず1042kg、ポルシェは3kg増の1048kg。 このBoPは、ポルシェに有利、トヨタに勝たせないためのルールと噂された経緯がある。 決勝レースの結果はフェラーリの51号車が342周で優勝。2位は同周回のトヨタは8号車。3位はキャディラック2号車。 西欧の根深い連帯もあり、トヨタは6連覇を逃した。トヨタの連覇は阻止できたが、ポルシェが優勝しなかったので欧州の陰謀は成就しなかった。 ルマンでトヨタが2位、6連覇逃す有力メーカー復帰、重いハンディも響く「そこまでして勝たせたいのか」2023年6月12日 東京新聞【ルマン=谷悠己】 … (略) … 3人のドライバーが交代して周回数を競うレースは10日午後4時(日本時間同11時)にスタート。トヨタ勢では、小林可夢偉選手(36)が運転する7号車が夜間に下位クラス車両と接触して車体を損傷し、無念のリタイアとなった。 夜明けからは8号車が一時首位に立つなどフェラーリ51号車との一騎打ちを演じたが、残り2時間を切ったところで交代したばかりの平川選手がクラッシュ。車体整備で時間をロスしたが、最後は1分21秒差まで追い上げた。3位にはキャデラックの2号車が入った。 創設100周年の今大会は最高峰クラスから撤退していた多くの有力メーカーが復帰。トヨタにとっては大会直前に出場車間の戦力均衡化を目的とする「性能調整」で重いハンディを課されたことも響いた。平川選手はレース後の記者会見で「自分にミスが出た。もっと強くなって戻ってきたい」とリベンジを誓った。 ― 引用終り ― ヨーロッパのギルド的連携に、日本はモータースポーツ分野でも様々なところで直面している。ホンダが連勝を続ければF2シリーズはいったん途切れ、F1は車両規定の大幅な変更が行われる。 ルールに忠実にみえるドイツだって、VWをはじめ各自動車メーカーが大規模なディーゼル不正を行ったばかりだ。日本排除のディーゼル中心のすすめは潰え、EUはEV中心に転換した。 ポルシェの夢、潰える100周年のル・マン24時間にワークス3台体制で挑むも優勝戦線脱落「希望が打ち砕かれた」Rachit Thukral 2023年6月11日 MOTORSPORT.COM 今年で100周年を迎えたル・マン24時間レース。ハイパーカークラスへ参戦するポルシェは、ワークスチームとして3台、カスタマーチームも入れれば4台のLMDhマシン『963』を投入したが、日曜日の昼前の時点で全車が事実上優勝争いから脱落した。そうした状況を受けてポルシェ陣営は、ル・マンでの「夢は破れた」と語った。 レースは21時間半を経過した時点で、ポルシェ勢最上位は首位51号車フェラーリから6周遅れの5番手を走る5号車963。夜間セッションでセンサートラブルと冷却水漏れが発生し、修復により23分をタイムロスしたことで、大きく遅れることになってしまった。 また朝方まで4番手をキャデラックと争っていた6号車963は、バックマーカーを抜く際にコースオフ。レースに復帰することはできたものの、ガレージで40分以上の修復作業を強いられることとなった。 ル・マンに追加エントリーとなった75号車963は、夜間セッションでマシントラブルが発生。テルトルルージュのイン側にマシンを止め、ハイパーカークラスで初のリタイアとなった。 またカスタマー仕様の963を使用するJOTAの38号車は、土曜日の夕方に一時レースをリードしたものの、2度のアクシデントに見舞われピットに入ったままとなっている。 ポルシェの通算20回目のル・マン総合優勝という望みは、まだ2時間半残っているものの完全に絶たれたように見える。 ー 引用終り ー
2023年06月21日
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2022年8月26日、ドイツ・アウディが、2026年シーズンからF1に参入すると発表した。 キーワードは「カーボンニュートラル」だろう。 F1=アウディ、2026年からのF1参入を発表ロイター編集2022年8月27日 REUTERS ドイツの自動車大手フォルクスワーゲン(VW)・グループ傘下のプレミアムブランドであるアウディが26日、2026年シーズンから自動車レースF1に参入すると発表した。 現在参戦中のチームの1つに、ドイツで製造したパワーユニットを供給する。供給先となるチームは年内に発表する予定。複数メディアは、ザウバーが運営するアルファロメオが交渉中と伝え、メルセデスのエンジンを使用しているアストンマーチンとウィリアムズも関心を示しているという。 アウディのチェアマン、マルクス・ドゥスマン氏は声明で「F1は、われわれのブランドにとって世界的な舞台であると同時に、非常にやりがいのある開発研究の場」と述べ、「高性能と競争力の組み合わせは、常にわれわれの業界における革新と技術移転の原動力となる。新しいルールができた今こそ、私たちが参加する絶好の機会だ」と続けた。 F1は、2026年から持続可能性と費用対効果の高い未来に焦点を当てた新たなパワーユニットを採用。30年までにカーボンニュートラルを実現することを目標に掲げており、新規定では電動化や持続可能な燃料使用の促進、来季からの段階的な予算上限などが設けられている。 なお、同じくVW・グループ傘下のプレミアムブランドであるポルシェも、2026年シーズンから現チャンピオンのレッドブルと提携して、F1に参入するとみられている。 ― 引用終り ―
2022年09月07日
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2022年3月、ホンダ傘下の「ツインリンクもてぎ」は、「モビリティリゾートもてぎ」に名称を変更した。 かつては、そのオーバルコースでCartシリーズやIndy Carシリーズの公式戦が開催されていた。 現在の「モビリティリゾートもてぎ」は、下記の構成となっている。 1.レーシングコース 2.モビリティリゾートもてぎホテル(ホテル、レストラン、キャンプ場) 3.ハローウッズ(自然体験施設) 4.ホンダコレクションホール (二輪、四輪の市販車・レーサーの博物館) 5.モビパーク(モビリティのテーマパーク) 6.アクティブセーフティトレーニングパーク(交通安全運転教育センター) 日本でレーシングコースだけで、事業を成立させることは困難。 2022年4月、トヨタ傘下の「富士スピードウェイ(FSW)」は、「富士モータースポーツフォレスト」にすると発表した。 同時に「東和不動産」は、4月27日付で「トヨタ不動産」へ名称変更することも発表された。 かつてはF1レースも開催富士スピードウェイを「フォレスト」に…トヨタなど開発2022年4月7日 読売新聞 トヨタ自動車や東和不動産などは6日、富士スピードウェイ(静岡県小山町)を中心とする開発計画の名称を「富士モータースポーツフォレスト」にすると発表した。ホテルや博物館を2022年秋に開業させ、順次、温浴施設やレストランなどに広げる。家族が楽しめる施設にすることで、来場者は現在の年70万人から100万人へと拡大させたい考えだ。(山本貴徳) フォレストは、モビリティーとモータースポーツの魅力を体験できる「大人の遊び場・社交場」を目指す。名称には、モータースポーツのすそ野を、タネから森へと大きく育てていくという思いを込めた。 トヨタの豊田章男社長は「自動車産業の発展にモータースポーツは不可欠。未来に向けたタネを、たくさんまいていく」とコメントした。 広さは約250ヘクタールで、東京ドームの約50個分になる。〈1〉富士スピードウェイ〈2〉温浴施設・レストランなど〈3〉レーシングチームのガレージ―の三つの区域で構成される。 富士スピードウェイでは、レース以外に多様な試乗イベントなどを行うほか、コースの近くにキャンプをしながらレース観戦を行うことなども検討する。 ガレージは順次開業し、レーシングカーの開発に携わるドライバーやエンジニア、メカニックらの活動を間近で見ることができるという。 ホテル「富士スピードウェイホテル」は、米ホテルチェーン・ハイアットの系列会社が運営を手がける。 併設する博物館「富士モータースポーツミュージアム」には歴代レーシングカーなど約40台を展示する。 ― 引用終り ― 生き残るだけでも大変なのに、社会は低炭素化を要求している。 東京から近い御殿場の地で、トヨタと東和不動産のプロジェクトの知恵の結実を見守りたい。 FUJI MOTORSPORTS FORESTYouTube
2022年04月10日
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国内のどのメーカーとも異なり、歴代ホンダの社長は、2輪・4輪のレースのピットに姿を現し、勝てば喜び、負ければ悔しがる。 モータースポーツ活動抜きには語れないホンダがF1撤退を発表した年に、F1シリーズチャンピオンのエンジン・メーカーとなった。 F1エンジン撤退とともに、F1でのホンダ・エンジンの活躍の立役者の一人である山本マネージングディレクターがホンダを退職=撤退。 想像するにホンダがF1撤退を発表した直後に退職を決意したのだろう。 30年ぶり栄冠の立役者山本雅史MDがホンダを退社「全身全霊でやりきった。ホンダ人生に終止符を打ついいタイミング」2022/1/10 autosport web 30年ぶりにドライバーズチャンピオンをレッドブル、そしてマックス・フェルスタッペンとともに獲得したホンダ。そのホンダF1でマネージングディレクターを務めてきた山本雅史氏が2022年1月31日をもってホンダを退社することが関係者への取材で明らかになった。 山本氏は、1982年に本田技術研究所に入社。和光研究所の試作ブロックで腕を磨いた後、デザイン室へ配属され、36歳でマネージャー(管理職)に抜擢されるなど、若くしてマネージメント業で秀でた才能を発揮してきた。 その後、2011年に栃木研究所に移り、技術広報室で室長を務めた後、2016年に本田技研工業のモータースポーツ部部長に就き、ホンダの国内のモータースポーツ活動を中心に統率してきた。「3年でスーパーGTの王座を取る」という目標を掲げ、3年目の2018年に見事、GT500クラスでチーム国光の山本尚貴/ジェンソン・バトン組がタイトルを奪還。2010年以来8年ぶりのスーパーGT王座をホンダにもたらす。 ホンダのF1活動においても重要な役割を果たし、マクラーレンとの関係が悪化した2017年は粘り強い交渉を行い、5年間あった契約を違約金を発生させることなく発展的解消に成功。2018年からトロロッソとパートナーを組む新しい道を選択した。 また、開発をスピードアップさせつつトラックサイドでの作業効率を向上させるために、2018年にホンダF1体制がそれまでのトップひとりの総責任者体制から、マネジメント(山本)+開発(浅木泰昭/HRD Sakuraセンター長兼パワーユニット開発責任者)+現場(田辺豊治/ホンダF1テクニカルディレクター)のトロイカ体制に変更された以降はマネージングディレクターとして他チームやFIA・FOMとの交渉も綿密に行い、ホンダのステータス向上に大きく貢献。2019年にレッドブルとパートナーを組む足かがりを作った。 2019年からはF1マネージングディレクターとしてF1プロジェクトに専念し、ホンダF1のラストイヤーとなった2021年はコロナ禍ということもあり、家族との時間を犠牲にしながらも、これまでにないほど全力でホンダF1を強力に牽引。 ― 引用終り ― 山本雅氏は、2022年1月末にホンダを退社し、新会社を設立する。 レッドブルと日本、ホンダを繋ぐ架け橋になれるだろうか。 山本雅史氏、今月末でホンダを退社。今後は新会社を設立し、“日本とレッドブルの架け橋”に田中 健一2022/01/28 motorsport.com ホンダF1のマネージングディレクターを昨年まで務めていた山本雅史氏が、2022年の1月をもってホンダを退社。今後は自身で新たに会社を設立し、レッドブルと日本を繋ぐ架け橋的な役割を担うという。山本雅史氏、今月末でホンダを退社。今後は新会社を設立し、“日本とレッドブルの架け橋”に 昨シーズンまでホンダのF1マネージングディレクターを務めていた山本雅史が、今月限りでホンダを退社し、新たにコンサルティングなどを行なう会社を立ち上げるという。 山本はホンダでモータースポーツ部長などを務めた後、2019年からF1マネージングディレクターとしてF1専任の役職を担い、ホンダのF1活動を取り仕切ってきた。そして同年にはレッドブルとのコンビで第4期初優勝を遂げると、2021年にはマックス・フェルスタッペンの手により悲願のドライバーズタイトルを獲得。それを節目に、山本はホンダを去ることになるという。「2021年でホンダのF1活動も最後だし、しっかりと勝って区切りをつけて退社しようと、昨年の3月に決めました」 山本はそう語る。 「2016年にモータースポーツ部長に就任して、最初はスーパーGTのチャンピオンを獲ることが目標で、それを2018年に実現することができました。その後の3年はF1専任となりましたが、その当初からこの仕事こそホンダ人生の集大成だと思っていました。ホンダで経験してきたモノが全て活かすことができると思いました」 「その1年目にはレッドブルと初めて優勝することができて、2年目にはメルセデスと良い戦いができるかなと思ったんですがそうはいかず、そして3年目にフェルスタッペンのドライビング力、レッドブルのチーム力の高さもあって、なんとかチャンピオンを獲ることができました」 山本は、自身のことを「やると決めたらとことんやってしまう」性格だと分析する。そのため、今後はもう少し自由な時間を持ちたいという気持ちもあったと明かす。 「僕は本当にホンダが好きなんです。なのでこの6年間、モータースポーツ担当として集中して仕事をしてきました。その一方で、家族との時間をあまり取れなかったということもあります」 「ホンダを引退して自由な時間を持って、家族との時間を過ごしたり、自分の趣味に使ったりと、今風で言うとワークライフバランス的なことも考えなければいけないということを、この数年間考えていました。人生を謳歌したいですからね」 そしてホンダのことも考えた上での決断だったとも明かす。「良い意味でも悪い意味でも、ホンダにとって”重し”にはなりたくなかった。僕がいることで、若い人たちが自由にできないということにはならないようにしたかったんです。僕は基本的には放任主義なので、そういうことはなかったと思いますが、伸び伸びやってもらえるようにしたかったんです」「そういう意味では、攻めるだけじゃなく、引き際も気持ちよく行こうと、そう決めたんです」 しかし山本は、モータースポーツの世界、そしてF1の世界から離れるわけではない。 まずは自身が設立した会社で、レッドブル・パワートレインズのサポートをするという。「新しく会社を設立しました。そこで人に喜ばれることをしたいと思っています。F1って、僕らが勝てばファンの皆さんがそれを喜んでくれるじゃないですか。期待を大きく超えることができれば、人はさらに喜んでくれる。そういうことを粛々とやっていきたいと思います」 具体的にはどんなことをするのか? そう尋ねると、山本は次のように説明してくれた。「その会社と、レッドブル・パワートレインズとで契約を結びました。その会社には僕という存在がいて、レッドブルのクリスチャン・ホーナー代表や、(同社モータースポーツ・アドバイザーの)ヘルムート・マルコの依頼に応じて、サポートをするということです」「会社同士の契約なので表現の仕方が難しいのですが、レッドブル・パワートレインズのメンバーのひとりとして、彼らのお役に立てるような仕事を請け負うということになります。ホンダの役員にも、それはお伝えしました」 山本には、レッドブルとホンダの関係を繋ぐ役割も期待されているという。「例えば、彼らが日本の文化や、ホンダの文化を共有して、よりホンダとの関係を密に、そしてうまくやりたい……そういう依頼があれば、そのサポートもします。また、日本に若い将来有望なドライバーがいれば、それをレッドブルに紹介するということもあるかもしれません」「契約には、クリスチャンとマルコの指示によって、山本は仕事をすると……そういう漠然としたことが書いてあります。もちろん、その他細かいこともありますけどね。でも基本的には、レッドブルと日本の架け橋ということになると思います」「F1全戦に帯同するということはありません。ですが、5戦は行かなければならないことになっていますし、それプラス鈴鹿くらいは行きたいなと思っています」 ― 引用終り ― 2021年限りでホンダはF1活動を終了。 2022年シーズンは二輪に加えて四輪のレース活動も担うHRC(ホンダ・レーシング)がレッドブル・パワートレインズを支援する。 山本氏には良好と聞く、レッドブルとホンダの関係を維持して、結果に結びつけて欲しい。
2022年02月03日
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11月13日、ヤマハが排気量5リットル、V型8気筒の水素エンジンを公開した。ミッドシップ搭載想定で、8-1集合排気管を備えたレース用エンジン。新規格のスーパーフォーミュラのベースとなるエンジンなのだろうか。 ヤマハ、V型8気筒5.0リッター水素エンジンを世界初公開8-1集合排気管によるハーモニックレーシングサウンド2021/11/13 Impress Watch ヤマハ発動機は11月13日、ミッドシップ搭載を想定したV型8気筒水素エンジンをスーパー耐久レース最終戦岡山のイベント広場で世界初公開した。会場に展示されたパネルによると、このV8エンジンはトヨタ自動車からの委託で2018年に製作されたもので、レクサス「RC-F」「LC500」に搭載されているV型8気筒 5.0リッターガソリンエンジン「2UR-GSE」から、水素エンジン用に改良が加えられ、最高出力335kW/6800rpm、最大トルク540Nm/3600rpmを実現するという。 排気方式をアウトバンク排気からインパンク排気に変更したほか、インジェクター、燃料パイプ、シリンダーヘッド、シリンダーヘッドカバー、チェーンカバー、サージタンク(インテークマニホールド)、エキゾーストマニホールドなどの部品も変更されている。 開発の狙いとしては、ミッドシップ搭載を想定した水素エンジンと官能的排気音の実現を目指したもので、水素燃焼特性を活かした低速トルク向上と高レスポンス、8-1集合排気管によるハーモニックレーシングサウンドをその特徴としている。 同日、同会場では川崎重工業、スバル、トヨタ自動車、マツダ、ヤマハ発動機の5社が、カーボンニュートラル実現に向け、内燃機関を活用した燃料の選択肢を広げる挑戦について共同発表しており、水素を活用した取り組みの1つとして展示された。 ― 引用終り ― 岡山国際サーキットのイベント広場では、水素のつくる・はこぶ・つかうを訴求する展示と、カーボンニュートラルに対する取り組みの展示が行われた。 ヤマハのV8水素エンジンとともに、BEVのトヨタ『bZ4X』とスバル『ソルテラ』、次世代バイオディーゼル燃料で走るマツダ『CX-5』、カワサキの電動バイク、、水素燃料仕様のトラックなどの展示が行われた。
2021年12月02日
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「五輪はよくても、二輪、四輪はダメ」という日本政府の方針で、幻となった2021F1日本GPスペシャルカラーリングのレッドブル・ホンダが、トルコGPで走行した。 ホンダ、特別カラーで走行 F1トルコGP2021/10/08 共同通信社 自動車のF1シリーズ第16戦、トルコ・グランプリ(GP)は8日、イスタンブールでフリー走行が始まり、レッドブル・ホンダが白を基調とした1戦限りの特別カラーリングのマシンで走行した。8~10日まで予定されたが新型コロナウイルスの影響で中止となった日本GPのために用意していた。 ホンダは今季限りでF1活動を終了。日本での最後のレースを盛り上げるために企画されたもので、ホンダは「ファンの皆さまに感謝の気持ちを込めて製作した」としている。 ― 引用終り ― 自分の都合でF1参戦を止めておいて見苦しいような気もするが、「コロナ禍のせい」ということなのだろう。 「脱エンジン」と同様、過去の栄光を振り返らない「ホンダらしさ」もあるのだろう。 これでF1はお仕舞、いつまでも語らないでくれ、というサインのようだ。 過去を振り返らないという点でもう一つ例を挙げると、ホンダには現代の技術で作る過去に人気の高かったレトロマシンがない。 S600・S800、CB750K0、CBX400など現代の技術を投入して復刻版を作ったなら、ニーズもあり確実に売れそうな2輪、4輪があるが、ホンダにそういう技術はない。 個人的にはCB250RS、CB250RS-zの現代版を出してくれれば、ぜひ買いたい。 リターンライダーも多い今日、小さな日本2輪市場にこだわっていられない世界ホンダの先進性のおかげで、国内2輪市場は小さくなる一方だ。 4輪はもともとたいした影響がないが、ホンダ・ディーラーは、値引きなど考えずに売れる車種が増えると助かるだろうが、これも新技術、研究開発に関係ない。 TV放映権料を稼ぐことが最大の関心事になったF1GPから、ホンダと本田技術研究所は、とっくの昔に引退してもおかしくはなかったのだろう。■2021年F1第16戦トルコGP決勝 暫定結果1 V.ボッタス メルセデス 2 M.フェルスタッペン レッドブル・ホンダ 3 S.ペレス レッドブル・ホンダ 4 C.ルクレール フェラーリ5 L.ハミルトン メルセデス 6 P.ガスリー アルファタウリ・ホンダ 14 角田裕毅 アルファタウリ・ホンダ
2021年10月25日
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さすが、トヨタの豊田章男社長は起こっていることをうまく表現する。 TOKYO 2020「五輪で許されても、四輪・二輪は許されない」トヨタの豊田章男社長が自動車レースの相次ぐ中止に不公平感を表明2021年09月19日 HUFFPOST … (略) … トヨタと川崎重工業は9月18日、スーパー耐久第5戦が開催されている三重県鈴鹿市の鈴鹿サーキットで共同記者会見を開いた。 豊田社長は、モータースポーツ選手も五輪・パラリンピック選手も同じアスリートだと強調した上で「どうして入国に対しての許可が違うのか、開催の判断が違うのか。モータースポーツに関しては外国人選手がなかなか入国できない」と指摘。「『五輪で許されても、四輪・二輪はなぜですか?』というのを見出しにしてくださいよ」と報道陣に注文し、笑いを誘った。 国内で開催を予定していた自動車レースを巡っては、四輪ではF1、WRC(ラリージャパン)、WEC(世界耐久選手権)が中止に。二輪でもMotoGP、鈴鹿8耐の中止が決まっている。 ― 引用終り ― 自公政権の延命のために開催されたオリンピックは、全てに優先する。 開催予定だったラリージャパン2021は地域、開催地自治体などとの連携ですすめられたが、選手など関係者が入国できず、あえなく中止となった。 四輪、二輪のモータースポーツは、政権への寄与度はなきに等しいので、コロナ禍の現在、あえて開催するに及ばないので、例外は許されなかった。 FIA世界ラリー選手権「フォーラムエイト・ラリージャパン2021」開催断念のお知らせ2021.9.7
2021年09月26日
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ホンダが2022年にF1から撤退すると宣言した後、レッドブルのフェッルスタッペンが大活躍。 ドライバーズ・ランキングでもトップとなっており、シリーズ・チャンピンも夢ではないと思われている。 2021年のF1日本GPは開催されるのだろうか? 2021年07月05日 フェルスタッペンが“グランドスラム”を達成して3連勝。Hondaは11連勝を挙げた1988年以来の5連勝を果たす2021.07.06 くるまのニュース 第9戦オーストリアGPは、Red Bull Racing Hondaのマックス・フェルスタッペンが圧倒的なペースで3連勝を果たし、Hondaとしては1988年以来の5連勝を飾りました。 … (略) … Scuderia AlphaTauriは、両ドライバーともに2ストップ戦略を採り、ガスリーが45周目にピットイン。トップ10圏内を目指して追い上げます。 角田はその6周後にピットインしますが、ここでもピット入口で白線をまたぎ、2度目の5秒ペナルティーを科されてポイント圏外へ後退します。 ガスリーは前方のリカルド、ルクレールに迫りながら9位でフィニッシュ。2ポイントを獲得しました。 角田はフィニッシュ後に5秒を加算され、12位が最終結果となりました。 ― (略) ― 6月23日、FIM、IRTA、MotoGPを統括するドルナスポーツは、2021年MotoGP第15戦日本GP(10月1日~3日予定)の開催中止を発表した。 F1日本GP(10月8日~10日)が開催されるかどうかは、コロナに左右されるのだろう。・東京五輪後の日本の新型コロナの感染状況・ヨーロッパの新型コロナの感染状況 五輪は国家の行為に準じるので、緊急事態宣言下でも開催できる。 F1に日本国政府は主体的にかかわっておらず、緊急事態宣言下で開催できないだろう。 現状は夏フェスの中止要請もあり、大規模な国際的イベントが許される環境でもないと思われる。 ホンダの三部社長は今のF1に復帰することはないと言っている。 ホンダ最後のF1GPが日本・鈴鹿サーキットで開催されるかは、「神のみぞ知る」領域だ。 トヨタ・ヤリスが大活躍すると予想される「ラリー・ジャパン(11月11日~14日)」の開催も気になっている。 ラリージャパンは、去年に続いて今年開催できなくても来年があるだろう。 ホンダがタイトルスポンサーのF1日本GP[は、2022年にはありえない。
2021年07月29日
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ホンダはモータースポーツをホンダのDNAとしている。 F1がホンダのDNAと思うのはホンダファンの勝手な決めつけ。 モビリティの名の下に小型ジェット旅客機を作ったように、内燃機関が電動機に転換された場合、電動車でのモータースポーツ参戦も十分考えられる。 「撤退」「休止」そして「終了」ホンダF1参戦終了で問われる“ホンダのDNA”「F1で培った技術が将来のホンダの製品に活かされ、『さすが、ホンダ』と感嘆させてほしい」世良耕太2020/10/09 Motor-Fan.jp …(略)… ホンダは2000年に始めたF1レース活動を、2008年シーズン限りで終了した。 その際は「撤退」の表現を用いた。■ホンダのF1参戦活動 第1期 1964~1968年 参戦時:本田宗一郎社長 撤退時:本田宗一郎社長 撤退理由:大気汚染対策の市販車用低公害型エンジンの開発第2期 1983~1992年 参戦時:河島喜好社長 撤退時:川本信彦社長 撤退理由:「初期の目標を達成した」から 第3期 2000~2008年 参戦発表時:川本信彦社長 撤退発表時:福井威夫社長 撤退理由:リーマン・ショックによる業績の悪化のため、経営資源を再分配する必要があったため。 第4期 2015-2021年 参戦発表時:伊藤孝紳社長 終了発表時:八郷隆弘社長 終了理由:カーボンフリー技術の投入をさらに加速させるため、F1参戦活動に投じていたリソースを振り向ける。「サブプライム問題に端を発した金融危機と、それらにともなう信用危機、各国に広がった実体経済の急速な後退により、ホンダ(原文はHonda、以下同)を取り巻くビジネス環境は急速に悪化してきています。 当面の世界経済は不透明さを増すばかりであり、回復にはしばらく時間がかかることが予想されます」 発表されたリリースにはそう記されていた。 …(略)… ホンダが参戦6年目にしてようやくチャンピオンを狙えるだけの実力を備えるようになったのは事実で、2021年に向けた期待は大きい。 そんな状況での「参戦終了」の発表だった。 1964年の初参戦以来、ホンダは参戦と撤退を繰り返してきたが、「再参戦はない」と八郷社長は言い切った。 「終了」である。 参戦終了の理由については、「カーボンフリー技術の投入をさらに加速させるため」と説明した。 ホンダは「2050年にカーボンニュートラルの実現」を目指し、そのための手段のひとつとして「2030年に四輪車販売の3分の2を電動化する」という目標を掲げている。 電動化の比率を高めても走行中の二酸化炭素排出量が減るだけであり、それだけでカーボンニュートラルが実現するわけではない。 再生可能エネルギーの使用が欠かせないが、エネルギー技術の研究も大幅に強化することに言及が及んだ。 ― 引用終り ― 今までみてきた限りでは、ホンダは古い技術、枯れていく技術に固執する体質はない。 エンジンのホンダと思われているがディーゼルエンジンに取り組んだのは最近のこと。 ホンダの辞書に「伝統維持」はなさそう。 モータースポーツの頂点が電動車と見極めれば、それがF1でなくともあっさり切り替える、新しい頂点レースに乗り換えると思われる。
2020年12月19日
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自動車の電動化がすすんでいるが、現状はBEV(蓄電池による電動車)が主流。 走行時に熱と水しか排出しないFCV(燃料電池車)の普及は遅々としている。 2018年6月15日、ル・マン24時間レースを主催するACO(Automobile Club de l'Ouest、フランス西部自動車クラブ)は、2020年にACOが導入する新車両規定の一部として、2024年から水素を利用した燃料電池をハイブリッドシステムの一部として導入可能にすると発表した。 2019年9月23日、ミッションH24は、直近の週末にスパ・フランコルシャンで行われたミシュラン・ル・マン・カップの公式セッションにおいて、FCVレーシングプロトタイプカー『グリーンGT LMPH2G』が初めてタイムを刻んだと発表した。 ミッションH24はACOフランス西部自動車クラブと、FCVベンチャーのグリーンGTによる共同プロジェクト。 “ル・マン”に水素カー部門 進むか “脱ガソリン”の技術革新2020年11月22日 NHK 地球温暖化対策の強化に向け世界各国でガソリン車などの新車販売を将来、禁止する計画が相次いで打ち出される中、世界3大レースの1つとされる「ル・マン24時間レース」が究極のエコカーとも呼ばれる水素カーのレースを新たに設けることを決めていて、次世代のエネルギーとして注目される水素の技術革新が進むと期待されています。 水素レーシングカーの開発プロジェクトを進めているのは、フランスの耐久レース「ル・マン24時間レース」を主催する団体で、エネルギー大手の「トタル」や大手タイヤメーカー「ミシュラン」などが協力しています。 おととしから開発が始まったレーシングカーの2代目となる試作車が今月、フランス中部のレース場で報道陣に公開されました。 レーシングカーは水素を使う燃料電池で4つのモーターに電気を供給し走ります。 走行時に、水蒸気しか出さないため究極のエコカーとも呼ばれ、最高速度は時速300キロ以上、3秒ほどで時速100キロまで加速します。 また、水素を2分から4分で供給できる移動式のスタンドも披露され、充電に時間がかかる電気自動車に比べて、短時間で燃料を供給できるとアピールしていました。 プロジェクトでは2024年に「ル・マン24時間レース」に水素部門を創設することを目指しています。 ― 引用終り ― 2020年に披露された水素カー・グリーンGT H24は、アデス・カンパニーが開発したLMP3カーベースの外観。 空力性能の向上と、パワートレインの冷却性能向上がはかられた。 パワートレインのコアはシンビオ社のバイ-ポラートプレートを備えた燃料電池を採用。 F1で使用されているSaftセルを用いたバッテリーを搭載し、従来より多くのエネルギーを蓄え供給することができる。 電動モーターは従来の4つからふたつに減らされ、大幅な軽量化を実現した。 ミッションも小型・軽量化され、クルマ全体ではLMPH2Gよりも150kg軽い1270kgとなった。 レーシングカーで大きな問題とならない点でも、水素自動車・燃料の市販、普及拡大についての大きな課題がある。■FCV普及の課題1.水素脆化 水素の貯蔵、供給に際して、金属の強度(延性又は靭性)が低下する現象について、まだ十分に解明されていない。2.タンクの容積 車載の水素燃料タンクは、ガソリン、ディーゼリンに比し著しく大きいため、小型車に不向きとなっている。3.製造 現時点で水素はほとんどが化石燃料使用時の副産物として取り出されており、売価はガソリンに準じて設定されていると聞く。 究極のエコカーとされるFCVだが、再生可能エネルギーを利用して製造過程の炭素ガス排出量を減らすことは大きな課題。水素の製造、輸送・貯蔵について平成26年4月14日資源エネルギー庁 燃料電池推進室4.輸送 水素を輸送・保管するため適切な容積に収めるには、極低温で液化するか、超高圧で圧縮する方法がとられている。 より容易で安価な輸送方法の開発が求められている。水素を「普通のタンクローリー」で運ぶと何が起きるか実証実験が進む有機ケミカルハイドライド法山中 浩之 日経ビジネス シニア・エディター2020年4月10日 日経ビジネス 5.水素ステーション設置コスト 日本でイワタニが取組んでいる水素ステーションの設置価格は5億円程度とされる。 BEVの充電施設に比べて圧倒的に高価であり、同じく高価なFCVとともに普及は進んでいない。
2020年12月11日
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10月25日、第15戦セント・ピーターズバーグをもって2020インディカー・シリーズは閉幕。 スコット・ディクソンは3位でフィニッシュ。 6度目のシリーズ・チャンピオンを獲得。 佐藤琢磨は、ペナルティで後退するも10位で最終戦を終えている。 コロナ感染拡大防止の影響によりシリーズの開幕戦を6月に延期したことから、インディ500の決勝は8月16日となった。 子供の頃インディ500をTV観戦しているとき、A.J.フォイトはとても目立った。 ほとんどの車がオッフェンハウザー・エンジンを搭載する中で、A.J.フォイトは、フォード・エンジンで常に優勝争いに絡んでいたからだ。 フォードエンジンを搭載したシャシーのコヨーテ は、A.J.フォイトが設立したコンストラクター。 インディ500を含むUSAC主催のインディカーレースに参戦するシャシーの設計・製造を行うレーシングブランド。 1967年インディ500で、フォイト自身の手でデビューウィンを飾った。 1966年から1983年までの期間、フォイト自身が製造した車両で141戦に出場して25勝を挙げている。 A.J.フォイトは、1967年と1977年にインディ500でコヨーテを使用したレースカーで優勝している。 AJの本名は、アンソニー・ジョゼフ・フォイト・ジュニア(Anthony Joseph Foyt, Jr. )。 インディ500では1961年・1964年・1967年・1977年と4度優勝。 歴代最多優勝タイ記録を持つ。 優勝時に登場していた車両は、1961年トレビス・オッフェンハウザー、1964年ワトソン・オッフェンハウザー、1967年コヨーテ・フォード、1977年 コヨーテ・フォイト。 1981年、CARTでA.J.フォイト・エンタープライズを設立しA.J.フォイト・レーシングのチームオーナーとなる。 1994年、ブリックヤード400にて現役引退。 2013年、A.J.フォイト・レーシングは佐藤琢磨を獲得。 第3戦ロングビーチで2002年カンザスでのアイルトン・ダーレ以来11年ぶりの優勝を果たした。 佐藤琢磨は2016年までAJフォイト・レーシングに在籍。 シーズン終了後、AJフォイト・レーシングがシボレーに移籍。 チームは佐藤琢磨を残留させる意向であったがホンダとの契約もありチームを離脱したと伝えられる。 2017年、佐藤琢磨はアンドレッティ・オートスポーツに移籍し、日本人初のインディ500優勝を遂げた。 2020年のインディ500では、佐藤琢磨とスコット・ディクソンが196周目へと入った直後、第4ターンでスペンサー・ピゴットが激しくクラッシュし、フルコースコーションが宣言された。 レースはイエローフラッグのままレースはゴールを迎え、佐藤琢磨(Rahal Letterman Lanigan Racing)がインディ500での2度目の優勝を勝ち取った。
2020年10月26日
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よくある間違った表現に、「トヨタやホンダがEV開発に出遅れいてる」というものがある。 トヨタやホンダは、国策に沿った燃料電池車(FCV)の領域でEVを開発してきた。 バッテリー式電気自動車(BEV)の製造に出遅れいてるだけだ。 そしてガソリンエンジン並みの台数でBEVの量産に長けたメーカーは一つもない。 製造規模、生産台数面では日産もテスラもこれから。 世界の各社が鎬を削っているのは、次世代バッテリーの開発・量産と、モーター、バッテリーの制御。 自動運転技術は内燃機関、EV共通の課題。 2020年はEV普及元年といえる年。 各国、地域でEV(NEV:新燃料車)の普及拡大に向けての施策が明確にされている。 そんな中、2030年に世界で販売する四輪車の3分の2を電動化することをめざしているホンダが、2021年シーズン終了後F1を撤退することを宣言した。 ホンダはなぜ、F1撤退を決断したのか片山 修2020年10月03日 BLOGOS ホンダは2日、F1から2021年シーズンを最後に参戦終了することを発表しました。 エンジンなどのパワーユニットを供給するかたちで、2015年からF1に4度目の参戦を果たし、今シーズンはこれまでの10戦で9戦連続で表彰台を獲得、ようやく勝利を手にできるようになったタイミングで、F1への参戦終了を決断したことになります。 なぜ、このタイミングで参戦終了を決断したのか。 理由の一つは、ますます厳しくなる環境規制への対応ですね。 「F1では、優勝という目標を達成でき、一定の成果を得ることができました。 その力をこれからは、パワーユニットとエネルギーのカーボンフリー化、カーボンニュートラル実現という新しいフィールドでの革新に注ぎます」と、社長の八郷隆弘氏はオンライン会見で述べました。 ご存じのように、環境規制が厳格化する中で、自動車メーカー各社はEVなどの電動車へのシフトを進めていますが、ホンダはEVの開発に出遅れています。 2030年までに世界の四輪車販売の3分の2を電動車にするという計画を達成するためにも、リソースを集中させる必要があるんですね。 もう一つの理由は、経営的な問題です。 新型コロナウイルスの影響で自動車の販売が低迷し、業績が悪化するなか、果たしてF1を続けることが正しいのかどうか、そんな余裕があるのかどうか……。 また、内燃エンジンに頼りつづけることへの限界がいわれていますが、そのことも、F1を続けることへの疑問として浮上していました。 ― 引用終り ― EV開発にも資金が必要だが、EVの量産にも多大な資金と時間が必要。 大量のEVの部品を製造し、効率的に組立てる生産工場は、構造と工数の違いから新設しなければならない。 部品ではバッテリーの確保がポイント。 次によりエネルギー密度の高い次世代バッテリーの開発と量産が重要。 製造では、組付ける部品の種類・場所が異なるEVを効率的に組立てる仕掛けを新規で考え、実行しなければならない。 内燃機関からBEVへの転換は「新規」の占める比率が高い。 必要になる資金は多く早い者勝ちが想定され時間的制約も厳しい。 F1マシン関連の開発競争と似ているといえば似ている。 そしてF1のパワーユニットは市販車からかけ離れたものとなっている。 撤退の潮時か。
2020年10月05日
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8月19日、世界ラリー選手権(WRC)の2020年シリーズで、11月19日~22日に予定されていた「ラリージャパン」の中止が決まったことを実行委員会が発表した。 新型コロナウイルスの感染拡大で、外国人選手や関係者の入国が難しいことを踏まえて判断した。 ラリージャパンは、数々の困難を克服して2004年に北海道で初めて開催された。 その後も北海道で継続して開催されていたが、2010年の大会を最後に開催されていなかった。 2019年9月、10年ぶりの復活が決まった。 愛知県と岐阜県にコースが設定され、2020年11月に開催される予定でトヨタ、現代自動車、フォードの三つ巴の闘いがみられるはずだった。 2021年のラリージャパン開催は内定しており、準備に入るという。 来年こそ、新型ヤリスの活躍がみられるだろう。 世界的イベントのラリージャパンが中止に!来年に向けて動き出すぞ!2020年8月19日 ASCII.jp 今年の11月に開催予定だった世界ワールドラリーチャンピオンシップ(WRC)の日本ラウンド「ラリージャパン 2020」の中止が、今日19日に正式発表された。 新型コロナウイルスの影響で、海外チームの来日の目途が立たないことが要因だ。ラリージャパン 2020実行委員会が中止を発表 ASCII.jpとウェルパインモータースポーツは、約2年前にラリージャパンが開催されると聞き、10年前の夢よ再びと女性ドライバー2人にその夢を託し、準備を進めてきた。 しかし、ウィズコロナの世の中になってしまった以上、このような結果になることも予想はできていた。 もちろん、これで夢を諦めたわけではない。 ラリージャパンは来年も開催が内定しているので、目標を来年の参戦・完走に設定しなおし、再び挑戦する予定だ。 ― 引用終り ― 2020WRCは第3戦ラリー・メヒコまで開催され、以降は開催されていない。 マニュファクチュアラー選手権のポイントランキングは1位はトヨタ。 WRCが各国で開催されないのは、残念至極。1位 TOYOTA GAZOO Racing ワールドラリーチーム 1102位 ヒュンダイ・シェル・モービス・ワールドラリーチーム 893位 Mスポーツ・フォード・ワールドラリーチーム 65
2020年08月29日
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2020年8月23日、第104回インディ500で佐藤琢磨がスコット・ディクソンの猛追を抑え、2017年以来2度目の優勝を遂げた。 佐藤琢磨はレイホール・レターマン・ラニガン・レーシングからダラーラ・ホンダで参戦。 スターティング・ポジションは3番手、初のフロントロウの好位置からだった。 「インディ500」は1911年から開催されている全米一格式の高い伝統のモータースポーツ。 インディカー・シリーズは、シリーズチャンピオンよりインディ500の優勝者の方が重んじられる。 歴代の優勝者名が刻印されたボルグワーナー・トロフィーは、1935年に制作されてから82年間、アメリカ国外に出たことがなかったが、2017年に佐藤琢磨が優勝したことを記念した日本での凱旋ツアーのために史上初めて国外に出た。 佐藤琢磨 3年ぶり優勝自動車レース「インディ500」2020年8月24日 NHK 世界3大レースの1つとされるアメリカの伝統的な自動車レース、通称「インディ500」が23日行われ、元F1ドライバーの佐藤琢磨選手が3年ぶり2回目の優勝を果たしました。 「インディアナポリス500マイルレース」、通称「インディ500」は100回以上の歴史を持つアメリカ伝統の自動車レースで、F1の「モナコグランプリ」や「ル・マン24時間耐久レース」とともに世界3大レースとされています。 レースは、だ円形の1周およそ4キロのコースを200周走り、時速は最高でおよそ350キロに達します。 レースは毎年5月に行われますが、104回目となることしのレースは新型コロナウイルスの感染拡大の影響でおよそ3か月延期され、23日、インディアナ州で無観客で開催されました。 予選3位からスタートした佐藤選手は同じホンダのエンジンを搭載したドライバーと終盤まで激しいトップ争いを繰り広げ、残り27周で再びトップに立ちました。 そして、残り5周で後続のドライバーがクラッシュした影響で安全のため先導車がコースに入り、順位を維持したまま佐藤選手が1位でゴールしました。 2010年からインディカー・シリーズに参戦している43歳の佐藤選手は、「インディ500」には今回が11回目の出場で、日本選手として初優勝した2017年以来、3年ぶり2回目の優勝を果たしました。 ― 引用終り ― 例年30万人以上の観客は無観客ということで0。 ドライバー紹介など「インディ500」恒例のレースセレモニーは例年と同じく行われ、インディアナポリス・モータースピードウェイのオーナーとなったロジャー・ペンスキーがスタートコマンドを担当。 インディ500のチャンピオンはシャンパンではなく「ヴィクトリーレーンで牛乳を飲む」のも続けられている儀式。 スポンサー(2017年現在はインディアナ州酪農組合)がついており、飲まなかった場合や規定内で飲まなかった場合は、スポンサーからの賞金が与えられない。 コースオーナーのロジャー・ペンスキーは、元F1ドライバー(1961年と1962年シリーズ参戦)。 1961年、スポーツ・イラストレイテッド誌のスポーツカークラブ・オブ・アメリカのドライバーオブザイヤーに選出さた。 1965年、レーシングドライバーを引退。 インディカー・シリーズとNASCARチームオーナーとして参戦し、各々強豪チームとして活躍した。 ペンスキー・レーシングは、1974年末から1977年まで、オリジナル・シャシーなどでF1に参戦していた。
2020年08月24日
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国内では市街地コースでの50年以上前から様々な具体的な構想があったが、市街地でのレースは実現しなかった。 この度、タイムトライアル形式ではなく同時に走行する形でのレーシングカートのレースが、2020年9月20日に島根県江津市で開催されることになった。 日本初の市街地コースレース規模縮小ながら開催を正式決定9月20日2020/07/28 Response A1市街地グランプリGOTSU2020実行委員会とA1市街地レースクラブは、日本初となる市街地レース「A1市街地グランプリGOTSU 2020」を大会規模を縮小して9月20日に開催することを正式決定した。 A1市街地グランプリは、日本で初めて市街地で開催するレースシリーズ。 A1(Anyone=「誰もが」)をテーマに掲げ、観戦する人、競技に参加する人、イベントを支える人、すべての人が新しいことにチャレンジし、最先端の考え方や技術に触れ体験できる場を創造することを目的としている。 持続可能なCity (まち)を舞台に、自動車レースの枠を超えて、企業や研究機関がTechnologyとInnovation(技術革新)を発表、開発、実証実験することができる「まちの展示場」を目指し、開催を予定していた。 A1市街地グランプリは当初、全長1.7kmの市街地コースを予定していたが、関係各所との協議・調整の結果、全長778mのショートコースに変更。 安全防護体としてイタリア製「GoTrack Barriers」を使用し、コース両側にバリアを敷設する。 ドライバーは一般公募を検討していたが、ドライバー、観覧者、運営スタッフなどの感染リスクを最小限に抑えるため、大会事務局が選定したドライバー12名で競技を行うこととした。 競技車両はレンタルカート「Birel N35」を使用。 公式練習、公式予選、決勝レース(スプリントレース20周)を行う。 当日のレース観覧については、県内外から千人規模の誘客を予定していたが、クラスター感染発生リスクを鑑み、地域住民と関係者のみに限定し、約400名とする。 A1市街地グランプリGOTSU2020実行委員会とA1市街地レースクラブは、2か月後の開催を控え、クラウドファンディングによる支援を募集していく予定だ。 ― 引用終り ― レーシングカートでの人身事故は少ないが、安全に開催されることを祈る。
2020年08月23日
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2020F1GPは、第1戦オーストリアGPと第2戦シュタイアーマルクGPが無観客で開催された。 観る側にとってのF1は、よりVRやARの世界に近づいた。 F1のエンジンがPU(パワーユニット)と呼ばれるようになったあたりから、F1は運営サイドの「政治」「ビジネス」ばかりが目立つようになり、レース、選手への興味関心が減り、面白さがなくなったと感じていた。 そんな折「あと5年でF1帝国の崩壊が始まる」という記事を見つけた。 巨額の資金が動くF1ビジネスモデル=「F1帝国」の明確な崩壊は、「2020年から始まった」と後の世でされるのではないかと思っている。 記事は多くの納得できる記述があった。 「あと5年で崩壊する」が適切なタイトルだと思うが、F1を愛する山下氏は、「F1」に生き残って欲しいのだろう。 あと5年でF1帝国の崩壊が始まるゆとりのレースエンジニア2020/07/07 note こんにちは、ドイツレースチームでエンジニアとして働く山下です。 先週末、ついにモータースポーツの最高峰F1のシーズンが開幕しました。 僕は高校生の頃からFormula1 (F1) が好きで、現職に就くきっかけになりました。 当時は地上波でも放送されており、毎戦かかさずに観戦、その後、録画を何度も見直していました。 "世界一速いF1マシン"と"先進的な技術"、"個性的なドライバーや業界人"は非常に魅力的でした。 そして、F1が開催される週末が楽しみで仕方がありませんでした。 しかし、客観的に考えた場合、F1の未来は厳しい状況にあります。 キーワードは自動車に少しでも興味がある人なら聞いたことのある"電動化"です。 そして、F1帝国の崩壊のカウントダウンは始まっていると考えています。 ― 引用終り ― 以下、カウントダウンのポイントとなる項目のみメモする。(1) エンジンに固執するF1帝国(2) エンジンを搭載する自動車は販売できなくなる!?(3) 自動車メーカのエンジン開発期限とトレンドに乗れないF1(4) DTMに見るF1帝国崩壊の予兆 そしてF1を愛する山下氏はF1生き残りの試案を提示する。(5) F1帝国の生き残る道(5-1) 完全電動化を推進してFormula Eと合併(5-2) 古典的モータースポーツとしてエンジンと共に存続する道を選択(5-3) 多様なパワートレインを導入 (5-1)が成立するのはFormula E側が支配権を手放した時だけと思われる。 現行のF1は内燃機関を使用することが、独占支配権につながっている。 現在のF1は巨大なビジネスシステムであり、利権が損なわれるときは(おいしくなくなったとき)システムは、関係者の離脱により崩壊する。 F1側があらゆる手段を使い激しく抵抗するだろうが、FIAがF1のタイトルをFormula Eに冠するというやり方は全うだと思う。 (5-2)は最も可能性が高いと思われる。 機械と人間の技術の頂点から、格式に基づいた「伝統芸能」となる。 F1ブランドが、伝統と権威に由来するネームバリューで生き残る可能性はある。 というか、既に過去の栄光を商売にしているF1は「伝統芸能」化しており、先端技術開発力の象徴やドライバー選手権としての関心は失われている。 自動車メーカーは次第にF1に興味を失っている。 (5-3)は米国でかつて開催された排気量無制限のレース「カンナム(カナディアン-アメリカン・チャレンジカップ、Canadian-American Challenge Cup)を連想させる。 モンスターマシンによる競技のカンナムは、1970年代にマーク・ダナヒューが操るポルシェ917-30の独り勝ちが続き、多様性を失ってコンペティティブではなくなり、観客が興味を失って収束していった。 多様な技術方式をレギュレーションでイコールコンディション化することは困難。 一つの秀でた技術が安定化した場合、年に1回開催するなら成立するが、シリーズ化することは無理がある。 現在のF1からフェラーリがなくなったら、F1ビジネスモデルは瞬く間に崩壊するだろう。 近年F1で全く調子のよくないフェラーリだが、F1の技術部門の再編を発表した。 優勝するためには「再編」や「変更」ではなく、外部のエキスパートを加入させることが必要と思われる。 F1=フェラーリ、技術部門の再編を発表Reuters Staff2020年7月23日 Reuters 自動車レースF1のフェラーリは22日、開幕からメルセデスに3連勝を許した苦戦を受けて、技術部門を再編することを発表した。 このスポーツにおいて最も長く、魅力的かつ成功した歴史を持つチームは昨年のチーム総合では2位だったが、開幕3戦を終えて5位。 セバスチャン・フェテル(ドイツ)とシャルル・ルクレール(モナコ)の両ドライバーは中位争いを強いられている。 フェラーリは、エンリコ・カーディレ氏が新たにパフォーマンス開発部門の責任者に就任すると発表。 他の部門の役割に変更はないとした。 マッティア・ビノット代表は「私たちは組織の技術部門に変更を加えて、車の性能面での設計と開発をスピードアップしていく」と述べた。 フェラーリでは2007年のキミ・ライコネン(フィンランド)を最後に個人総合優勝を果たしたドライバーが出ていない。 ― 引用終り ―
2020年07月30日
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年寄りにはジャック・ブラバムとデニス・ハルムとロン・トーラナックはオーストラリアン三羽烏。 お隣のニュージーランドからはブルース・マクラーレンが出張って、欧米で大活躍していた。 ラルト生みの親、ホンダとも縁の深いロン・トーラナックが逝去。95歳2020/7/17(金) motorsport.com 日本版 レースコンストラクター『ラルト』の生みの親であり、ブラバムの共同創設者でもあったロン・トーラナックが亡くなった。 95歳だった。 1925年にイギリスで生まれたトーラナックは、数年後に家族と共にオーストラリアに移住。 14歳で学校を中退し、オーストラリア空軍に入隊して戦闘機パイロットとして訓練を受けた。 その後、1950年代初頭から兄のオースティン・ルイスとヒルクライムカーの製造を開始し、そのマシンにはふたりのイニシャルをとって『ラルト』(RALT=Ron and Austin Lewis Tauranac)と名付けられた。 トーラナックはオーストラリアでのヒルクライムレースを通してジャック・ブラバムと知り合い、ブラバムがヨーロッパに拠点を移した後も連絡を取り合う関係となっていた。 そしてトーラナックは1960年にイギリスに戻り、ブラバムと共にモーターレーシング・デベロップメント社を設立。 これが1992年までF1に参戦することとなるブラバムチームの始まりである。 ブラバムチームは1966年にブラバム自らのドライブでF1タイトルを獲得すると、翌1967年にはデニス・ハルムがチャンピオンに。 その後も様々なフォーミュラカーレースで成功を収めた。 またラルトは、ホンダ製のエンジンを搭載したF2マシンで1980年代のヨーロッパF2を席巻。 1960年代のF2でもブラバム・ホンダで全盛期を築いたトーラナックは、ホンダと非常に縁の深い人物であった。 さらにF3では、ラルトのマシンを駆るアイルトン・セナらをチャンピオンに導いた。 その後トーラナックはラルトをマーチに売却し、オーストラリアへと戻り一線を退いた。 ― 引用終り ― ラルトのF3マシンはアイルトン・セナの他、ミカ・ハッキネンらがチャンピオンを獲得した。 ラルトは、F2やF3といったF1を頂点としたピラミッドとなるカテゴリーを支えた。 トーラナックは、ホンダのレース活動と縁が深かった。 ホンダがラルトのF2にエンジンを供給していた1966年、そして1980年代のF2でラルトのマシンはカテゴリーを席巻した。 1995年には、レーシングカーデザイナーとして、佐藤琢磨も在籍したSRS(鈴鹿サーキット・レーシングスクール・)』のフォーミュラカーをデザインした。 ジャック・ブラバムは1970年に引退し、MRDとブラバム・チームの運営をトーラナックに任せ帰国した。 ヨッヘン・リントのマネージャーだったバーニー・エクレストンが名門ブラバムチームを買収し、チームオーナーとしてF1界に人脈を形成し、後に現在のF1をビジネスモデルとして定型化した。 モーターレーシング・デベロップメント(MRD)の2代目オーナーは、現代のF1のビジネスモデルを築いた。
2020年07月19日
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F1のレギュレーションではチェッカーフラッグが表示されると、直ちにレースが終了することが定められている。 2018年のカナダGPでは、ゲストのウィニー・ハーロウが誤ったタイミングでチェッカーフラッグを振り、残り2周時点での順位が正式結果となった。 2019年、鈴鹿サーキットで行われたF1日本GPの決勝レースは53周で競われる予定であった。 今度は旗そのものではなく電光掲示にチェッカーフラッグが1周早い52周終了時に、表示された。 このため、52周終了時の順位が正式なリザルトになった。 最終ラップでピエール・ガスリー(トロロッソ)と絡んでコースオフしたセルジオ・ペレス(レーシングポイント)は幸運にも9位入賞した。 F1レースディレクターのマイケル・マシは”システムエラー”が起きたと説明した。 2019年12月、今年のF1日本GPでの電子ライトパネルで発生した問題を受け、2020年はチェッカーフラッグを正式なレース終了の合図に戻すことを決定した。 きっとF1ファミリーのメーカーの電子ライトパネルシステムが欠陥製品だったのだろう。 現物、電光表示といろいろあったチェッカーフラッグが、今般チャリティとして切り分けて売り出されることになった。 F1=チェッカーフラッグを切り分けファンに販売2020年6月24日 Reuters Staff 自動車レースF1は23日、レース終了を告げる合図として使用されるチェッカーフラッグをその市松模様にそって切り分け、慈善活動支援のためにファンに販売することを発表した。 切り取られた断片のうち56枚がファンに向けて販売され、名前が印刷される。 価格は1枚当たり200ポンド(約2万7000円)。 残りの24枚は反人種差別、多様性の促進、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)の影響を受けた人々への支援を目的としたキャンペーン「#WeRaceAsOne」の一環としてレースプロモーターに割り当てられる。 今季のF1は7月5日、オーストリア・グランプリ(GP)で開幕を迎える。 レースは無観客で行われる。 ― 引用終り ― 無観客レースの意義は、F1ファン健康よりも莫大TV放映権料や、スポンサー料にある。
2020年07月01日
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F1のマネージングディレクターのロス・ブラウン氏は、公式ウェブサイトで2020年のF1日本GPが中止になる可能性があると語った。 5月の時点でF1日本GPの主催者であるモビリティランドは、開催することに楽観的だと語っていた。 F1日本GP主催者、予定通り10月に観客を入れたレース開催に自信2020年5月19日 F1-Gate.com F1日本GPの主催者は、2020年に予定通り10月11日に観客を入れてレースを開催することに楽観的だと語る。 新型コロナウイルスのパンデミックによって2020年のF1世界選手権は予定されていた最初の10戦が延期・中止となり、F1は新たなカレンダーの作成に取り組んでいる。 現時点で2020年のF1世界選手権は7月5日/12日にオーストリア、7月26日/8月2日にイギリスでレースを開催できることを期待しているが、それぞれの計画は政府によって承認される必要がある。 その後、F1サーカスはスペイン、ハンガリー、ベルギー、イタリアでヨーロッパラウンドを狩猟し、9月中旬にアゼルバイジャンとロシアへと移動し、10月と11日にアジアとアメリカでのグランプリ開催、バーレーンでの2連戦の後、12月13日にアブダビで最終戦を迎えるという計画が立てられている。 F1日本GPは、首都東京から南西約300kmに位置するホンダ所有の鈴鹿サーキットで開催される。 ― 引用終り ― 主催者として自信をもって語るのは大切だが、実は単独では開催も中止も延期も決められない。 F1=改訂カレンダー、欧州開催増も検討Reuters Staff2020年6月12日 11:02 ロイター 自動車レースF1は、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)によりアジアや北中南米でのグランプリ(GP)開催が中止となる可能性があるなか、欧州でのレースを増やすことが選択肢として検討されている。 F1は新型コロナウイルスの影響でオーストラリアGP、モナコGP、オランダGP、フランスGPがすでに中止に。 情報筋によると、さらにアゼルバイジャンGP、シンガポールGP、日本GPが中止になる可能性があるという。 また、ブラジルGP、メキシコGP、米国GPの開催も不透明な情勢となっている。 F1のマネージングディレクターを務めるロス・ブラウン氏は、公式ウェブサイトで 「必要に応じて、さらに1、2レースをヨーロッパで開催することも考えられる。 バーレーンとアブダビは現時点でシーズン終盤に開催されると思う。 それで10レースになる。 あとは中盤に少なくとも5つ、6つのいいレースができるだろう」と語った。 ― 引用終り ― 5月19日から6月12日までの時の経過はあるが、主催者が自信をもって語っても、F1のマネージングディレクターのロス・ブラウン氏が中止の可能性を語るのである。 鈴鹿サーキットの中止の発表より6時間も前にロイターの記事が出ており、事実はロス・ブラウン氏の語る通りになった。 2020 FIA F1世界選手権シリーズピレリ 日本グランプリレースの開催中止について6月12日 17:00 鈴鹿サーキット公式サイト 2020年10月9日(金)~11日(日)に、鈴鹿サーキットで開催予定でありました「2020 FIA F1世界選手権シリーズ ピレリ 日本グランプリレース」につきまして、本年度の開催を中止することを決定いたしました。 国内外における新型コロナウイルスの感染拡大状況や各地域での防止対策などを踏まえ、慎重に検討を重ねて参りましたが、現段階で海外からの渡航に関する規制解除の見通しが立っていない社会状況および国際的に大規模な移動を伴うイベントの特性を鑑み、開催中止を判断いたしました。 楽しみにされていたファンの皆様および関係者の皆様におかれましては、ご理解くださいますようお願いいたします。 ― 引用終り ― F1日本GPの主催者(プロモーター)はモビリティランド。 だがGP開催の可否の意思決定プロセスで主体にはFIA、フォーミュラワン・グループが加わる。 FIA(国際自動車連盟)は、FIAフォーミュラ1世界選手権規約(スポーティングレギュレーション、テクニカルレギュレーション、関連レギュレーション)を管理・監修・規定する。 「フォーミュラワン・グループ」は、バーニー・エクレストンが始めたF1世界選手権の運営・放映権管理・マネジメントなどを統括する企業グループ。 現在の大株主は米国のメディア総合企業のリバティメディア。 フォーミュラワン・グループとして現場を運営するスポーツ担当マネージングディレクターがロス・ブラウン。 ロス・ブラウンは英国出身のレーシングカーエンジニア、F1テクニカルディレクターでベネトン、フェラーリ、フェラーリなどで実績を残した。 オリンピックと同様に興業としてのF1シリーズには巨額の放映権料と各GPプロモーターの開催権料が必須。 即ち、開催の判断にはFIA、フォーミュラワン・グループ三者の合意が必須。 1者で中止の判断をすれば中止に伴う損害は中止を決定した者が負担することになる。 三竦みの構造が、観戦客不在と断言できるほど、2020オーストラリアGPの中止の決断を遅らせた。 今回の日本グランプリ中止の発表は、決定に至る時間もあったせいか、観戦客に配慮したタイミングだったように映る。オーストラリアGP中止発表までの裏側。三者が15時間にらみ合い、ファンより金を優先したF1/海外ライターコラム2020.03.23 auto sport Web
2020年06月21日
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2020年のF1世界選手権の第1戦オーストラリアGPの決勝は3月15日に開催される予定だった。 3月13日(金)のフリープラクティスがスタートする約2時間前、オーストラリアGPの中止が発表された。 マクラーレンのスタッフが武漢肺炎の感染の検査を受けたが水曜、陽性が判明したのは木曜。 その後、世界的感染拡大が誰の目にも明らかになり、開催延期または中止となったレースが続出。 4月16日、当初予定されていたF1カレンダー8年間スケジュール)はF1公式サイトから取り下げられた。 シルバーストーンでF1「2レース開催」、英政府の承認が条件に2020年5月16日 AFPBB ニュース フォーミュラワン(F1、F1世界選手権)の英国GP(British Grand Prix 2020)を開催するシルバーストーン(Silverstone Race Circuit)は15日、同国政府の承認を条件に2レースを開催することになった。 ― 引用終り ― 5月19日、英国政府が発表した武漢肺炎の検疫方針を受け、免除の特例が認められない場合、今年の英国GPの開催は難しいとの見解をリバティメディアは示した。 F1シリーズの主催者であるリバティメディアは、TV放映権料をできるだけ稼ぎたい。 短期間で、できるだけ多くのレースを開催するため、3週連続開催、3日から2日間への日程短縮、無観客レース、そしてシルバーストン・サーキットでの3レース連続開催などの案を出していた。 冬は米国のスポーツ日程の関係でF1のTV放映が入る余地が少ないため、夏から秋が検討対象期間。 東京オリンピック2020の中止の決定が長引いたのも、翌年夏への延期がすぐに決まったのも、TV放映権という事情があったため。 現時点の2020シリーズの開幕戦は7月5日、オーストリアGP(レッドブル・リンク)で無観客レースとして開催。 翌週もレッドブル・リンクで第2戦を行うことを目指している。 一国一GP開催のルールとはどう折合いをつけるのだろう。 圧倒的経済原理の前に吹き飛んだのだろうか。 次が英国GP(シルバーストーン)。 オーストリアGP後、英国政府が開催に合意することを前提にソルバーストーンでの開催に基本合意した。 ジョンソン首相の上級顧問がロックダウン中に移動した件もあり、コロナ禍、拡大防止策に関する英国世論は厳しい。 5月26日、マクラーレングループは自動車部門、技術部門、レース部門の3部門において計1200人の人員削減を行なう予定であること、スタッフと協議に入ることを発表した。 英国の次はハンガリーGP(ハンガロリンク)。 第何戦になるのだろう。 日本GP(鈴鹿サーキット)は、ロシアGP(ソチオートドローム)の次になっている。 現時点のロシアは武漢肺炎の感染拡大と、石油価格の下落による政府の財政危機が不安要因。 ロシアは国家財政の4割ほどを石油収入に依存していた。 F1を招聘する側は開催を中止すると違約金が高額なので、赤字イベントだからといってすぐに中止の判断はできない。 日本GPがどうなるかは、神のみぞ知る。
2020年06月02日
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ラリー・ジャパンは2004年から2010年まで、北海道の十勝帯広を拠点として開催されていた。 景気の後退、日本の自動車メーカーのWRC撤退などから2010年が最後の開催となっていた。 国内ラリーの改革や公道を使用するラリーという競技自体への理解の広がりとともに、WRCにトヨタが復帰した流れを受けて、WRC日本招致の声が上がり、「ラリージャパン2020」開催の運びとなった。 最近のトヨタのモータースポーツ、ガズーレーシングの取組は大いに評価できる。 全日本ラリー選手権出典 Wikipedia 全日本ラリー選手権(ぜんにほんラリーせんしゅけん、Japanese Rally Championship)とはJAF登録クラブ・団体が主催する国内ラリーのシリーズ戦で、日本最高峰のモータースポーツ選手権の1つである。概要 1979年の全日本ラリードライバー選手権を前身として1980年から全日本ラリー選手権となった。 2000年以降の運営支援は同年に発足したJRCA (Japanese Rally Competition Association) により行われ、JAF公認規定の元で全国各地の主催者により、2012年以降は4月 - 10月の期間に年間9戦が開催されている。 参戦するドライバー及びコ・ドライバーは、国内B級以上のライセンスが必要となる。 ― 引用終り ― ラリージャパンの再開は、間違いなくトヨタとヤリスのお陰様。 武漢肺炎の感染で開催が揺らいでいるが、是非とも開催して欲しい。 そしてトヨタ・ヤリスにWRCラリージャパン2020で優勝して欲しい。 と、TE27レビンで綾部選手が活躍していた頃のラリーファンでラリーストではないジイサンは思う。 FISCOで活躍したトムス・スターレット・KP47DOHC16バルブの活躍だって覚えている。 物忘れの悪い年寄りは、WRCでのトヨタの黒歴史も忘れてはいない。 世界のトヨタに同じようなことを繰返して欲しくないからだ。 ●WRCでの不正 1995年のWRCにトヨタはセリカGTーFOUR・ST205で参戦。 トヨタはリストリクターの不正が指摘されて3選手(ユハ・カンクネン、ディディエ・オリオール、アルミン・シュヴァルツ)が獲得ポイントを剥奪された。 FIAにより1996シーズンの出場が禁じられた。 1995年の世界ラリー選手権Wikipedia ●その他のあることないことトヨタ・モータースポーツ悪業と顰蹙の遍歴トヨタの富士スピードウェイF1グダグダ運営 より転載 …(略)…837 名前:音速の名無しさん 投稿日:2007/11/08(木) 16:16:10 ID:AlFgc/p20これはすごい… 3 名前:音速の名無しさん[age] 投稿日:2007/10/18(木) 21:31:25 ID:MmeURazm0 トヨタ(笑)赤恥 ルマンは今年こそ今年こそって大口叩いて、政治的にゴリ押ししてレギュ違反のマシンを強引に投入したけど、 結局勝てなかったよね? WRCではリストリクターの不正が発覚して追放。 CARTではホンダに対するエンジン開発の立ち遅れをチャラにするために、 金の力に物を言わせてレギュレーション変更は2年の猶予期間を置くと言うルールを捻じ曲げ、 2.7リッターターボをその年限りで強引に廃止、トヨタが先行して開発していた3.5リッターNAに無理やり変えさせた挙句、 CART自体の分裂を招いてレース関係者とファンにさんざん迷惑をかけ、 しかも愛想を付かしたホンダがIRLへ参戦を決めたらトヨタもその後を追ってCARTを撤退。 F1参戦にあたってはミナルディからなけなしのチーフデザイナー、グスタフ・ブルナーを金の力で強引に引き抜き、 参戦前から紳士的でないチームというレッテルを貼られ、 TMG副社長は「F1なんか高度ではない。技術の研鑽を狙うならルマンです」 「勝てないのは外国人スタッフがやってるから。全部日本人でやればトヨタなんだから勝てるんです」と発言、 ファンと関係者をあきれさせ、 毎年マシン開発をしくじって結果が出ないたびに、献身的にチームのために努力したドライバーにその責任をかぶせて解雇し、 ミカサロ、A・マクニッシュ、C・ダマッタと3人ものドライバーのF1での選手生命を犠牲にし、 挙句の果てにフェラーリから設計図を盗んでパクリマシンを設計、 バレると関係したスタッフと責任者(上述のG・ブルナー、チーム代表オベ・アンダーソン)を解雇、 トカゲの尻尾切りを図るも、ドイツの裁判所では有罪判決を受けて世界に恥を晒し。 いや、本当にすごい有言実行ぶりだこと。 ― 引用終り ― ジイサンは、スウェーデンが生んだラリーの伝説、オベ・アンダーソンの現役時代の活躍だって覚えている。 1995年、リストリクタ―不正時のトヨタラリーチームの監督は、オベ・アンダーソン。 1998年にWRCに復活。 1999年、3度目のメイクスタイトルを獲得。 そいて、F1への参戦を決定するとその役割に集中するため、27年間のラリー活動を終了。 2002年、トヨタF1の初代代表に就任。 2003年、代表を引退。 F1は「トヨタなんだから勝てる」ほど甘くはなかった。 経営トップも交替し下記の記事から14年たった。 再び下記のような記事を見ないことをのぞむ。トヨタはモータースポーツの何たるかを理解していない by マイク・ローレンス2006年03月17日 F1通信
2020年05月25日
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武漢肺炎の世界的蔓延でF1GPシリーズは続々と延期、中止。 F1シリーズは第2戦から第8戦までの延期、中止が決定(3月23日現在)。 2020年3月20日、eスポーツのシリーズとして「F1 Esports Virtual Grand Prix」を開催が発表された。 ゲームの結果は選手権のポイントとしてはカウントされない。 現役のF1ドライバーとともに他分野の多くのスターも参加する。 バーチャルGPは実際のGPレースが再開されるまで続けられる予定。 リアルではF1主催団体も各チームも、収入の減少で大きな財政的打撃を受けていることだろう。 コスト削減が主な目的で、2022年マシンを開発が禁止された。 新規則下の2022年F1マシン2020年中の開発を凍結へ。コスト削減が目的かLuke Smith2020/04/01 motorsport.com 世界モータースポーツ評議会の決定を受けて、F1チームは2020年中に2022年マシンを開発することを禁止されることとなった。 新型コロナウイルスの影響を受けて開幕が遅れている2020年シーズンのF1だが、世界モータースポーツ評議会(WMSC)は3月31日(水)に声明を発表し、レギュレーションに関するいくつかの変更を承認したことを認めた。 その中には、レギュレーションが大幅に改定される2022年シーズンに向けたマシンの空力開発が2020年中は禁止される、というものが含まれている。 オーバーテイク増進などを目指した新規則だが、当初は2021年からの導入を予定していた。 しかし新型コロナウイルスのパンデミックの影響で各チームの開発に支障が出ることから、導入は1年後ろ倒しされた。 2020年シーズンのF1は未だ1レースも実施することができておらず、今年中に何レース開催できるかも不透明な状況だ。 そのため開催権料がF1に支払われず、各チームは分配金を受け取ることができない。 多くのチームが財政的に厳しい状況に陥ることが予想されており、徹底的なコスト削減が目指されていることが、今回の決定に繋がったと言える。 なおF1のCEOであるチェイス・キャリーは、2020年シーズンでは15~18レースを開催する構想があると語っていた。 WMSCは“FIAとF1がこの危機に対応し、F1世界選手権の商業的価値をできる限り損なわないようなレースカレンダーを編成するために”スポーティングレギュレーションの変更が行なわれることを認めた。 FIAとF1は現在、チームの承認なしでカレンダーを変更できる権限を持っているが、レギュレーションの変更に関しては、過半数のチームの賛成が必要となっている。 ― 引用終り ― 今回の決定はかつてない危機の産物ではあるが、F1のビジネスモデル、競技運営方式が疲弊していることの証でもある。 オリンピックと同様に巨大な集金システムとなったF1は、技術開発に重きを置く方針への抜本的な改革か、各国のチーム対抗による伝統重視の方式のどちらかが選択肢と思える。 技術開発を重視すると今後のフォーミュラEが、未来のF1になることだろう。 ルノー、DSオートモビル(シトロエン)、ヴェンチュリー(ZF)、マヒンドラ、ジャガー、アウディ、BMW、NIO、メルセデス・ベンツ、ポルシェ、日産が参戦している。 フォーミュラE出典:Wikipedia FIA フォーミュラE選手権 (FIA Formula E Championship、フォーミュライー、FE)は化石燃料を使用しない電気自動車のフォーミュラカーによるレース。 俗に「電気自動車のF1」などと紹介される。 2014年9月から開催されている。概 要 2012年8月27日、国際自動車連盟 (FIA) がシリーズ設立を発表した。 フォーミュラEホールディング (FEH) がシリーズを運営し、同社CEOにはスペインの実業家アレハンドロ・アガグが就任した。 都市部の大気汚染対策となる電気自動車の普及促進を狙い、レースは世界各地の大都市や有名リゾート地の市街地コースで行なわれる。 シリーズは秋に開幕し、年をまたいで年間10戦程度が行なわれる。 世界選手権ではないため、各イベントはグランプリ(GP)ではなくe-Prix(イープリ)と呼ばれる。 運営の効率化やチーム運営費用の削減などの目的もあり、レースの本部及び各チームのファクトリーは全てドニントンパークに集約されており、2014年1月に建物がオープンした。 ― 引用終り ―
2020年04月23日
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サー・スターリング・クロフォード・モスは1929年9月17日、英国ロンドン生まれ。 1950年代にF1などで活躍したイギリスの元レーシングドライバー。 トップドライバーとしてF1で活躍し、名勝負も数々あったが、一度もシリーズ・チャンピオンを獲得できなかった。 2020年4月12日、療養中の自宅で死去したことが公表された。 享年90歳。 F1の伝説 サー・スターリング・モス(90歳)死去F1 legend Sir Stirling Moss dies, aged 902020年04月12日 F1通信 F1の偉大なドライバーのひとり、サー・スターリング・モスが90歳で亡くなった。 無冠の帝王としばしば呼ばれたスターリング・モスは、1951年から1961年まで66回のグランプリに参戦し、ヴァンウォール、マセラティ、メルセデスなどのチームに在籍した。 メルセデスでは、リード・ドライバーのファン・マヌエル・ファンジオと素晴らしいパートナーシップをみせた。 10年間のキャリアのなかで、モスは16回優勝したが、そのいくつかは、F1史上最も象徴的な走りだった。 特に1961年のモナコとドイツは、しばしばオールタイム・ベストと見なされる。 またスターリング・モスは、スポーツカー・ドライバーとしても高い評価を得ており、1955年メルセデスから参戦したミッレミリアでは、時速100マイル近いスピードで公道を走って優勝し、ラリーにも参戦したり、速度記録にも挑戦したりした。 1962年グッドウッドの大事故の後、レーシングからの引退を余儀なくされたが(1980年代、サルーンカーで短期間カムバック)、モスはスポーツ特派員などとしてF1での存在感を示していたが、2018年1月に公の生活から引退した。 ― 引用終り ― 1990年、国際モータースポーツ殿堂入り。 2000年、モータースポーツの発展に貢献したとして「ナイト」の称号が与えられた。 2011年6月9日、モーターレーシングから引退することを公表。 2020年4月12日、死去。 現役時代の古巣のメルセデスや仇敵フェラーリ、ジャッキー・スチュワート、ルイス・ハミルトン、ジェンソン・バトンといった後輩の英国人F1チャンピオン、その他多くのモータースポーツ関係者から哀悼のメッセージが寄せられた。
2020年04月15日
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2020年2月12日、FIA(国際自動車連盟)は、新型肺炎感染拡大中であるとして、4月19日に開催予定の中国GPの延期を発表。 2月18日、4月3日~5日に開催予定のベトナムGPは「予定通り」開催されると、ベトナムGP社(Vietnam Grand Prix=VGPC)のレ・ゴック・チーCEOが明かしたと、AFPが報じた。 ハノイ・サーキットは、市街地道路と、レース専用の常設セクションが組合わされている。 2018年11月に発表されたレイアウトでは、合計22カ所のコーナーを備えていた。 後に発表された改定版で、コースの最後に新たなコーナーが追加された。 ハノイ・サーキットはコーナー数(23カ所)でシンガポールと同等となる。 周回距離は5.607km。 初開催のF1ベトナムGPサーキットのピットビルが完成。ハノイの遺跡群などがモチーフに2020年1月17日 auto sport web F1ベトナムGPの主催者は、4月にベトナムで初めてF1レースを開催するハノイ・サーキットのピット施設のイメージを初公開した。 ハノイ・サーキットのインフラは、F1ではおなじみのサーキット建築事務所であるティルケ・エンジニアリングによって設計され、地元の歴史的建築物からデザインの構想を得るという従来の慣例に従っている。 担当者たちは5.6kmのレイアウトの残りの部分の建設を進めている。 レイアウトはハノイの既存の道路と、鈴鹿、モンテカルロ(モナコ)、ニュルブルクリンク(ドイツ)といったF1において最も象徴的な複数のサーキットからインスピレーションを得て特設されたセクションが組み合わされている。 ベトナムGPのレ・ゴック・チー代表はピット施設の完成に際して、「これはハノイ・サーキットの開発において重要な瞬間であり、ベトナム初のF1レースウィークに至るまでの間の、もうひとつの極めて重要な節目です」と述べた。 「ピット施設のデザインに影響を与えたタンロン皇城や文廟のように、我々はこの建物がもうひとつのハノイの象徴的なランドマークとなることを願っています」 ― 引用終り ― F1ベトナムGPは、地場系コングロマリット、ビングループ傘下のベトナムグランプリ社が主催する。 名称はF1ハノイグランプリ。 レーシングコースの名前は「ハノイサーキット」。 コースサイドに9か所にグランドスタンドが設置される。 スタンドの名称は、ベトナムの有名な地名が命名された。 スタート地点から順に、タンロン、ハイフォン、ハロン、フエ・マトリックスワン、ダナン、ニャチャン、サイゴン、カントー、フーコック。
2020年02月28日
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今宮純氏は、神奈川県小田原市生まれ、満70歳。 神奈川県立平塚江南高等学校、慶應義塾大学文学部図書館学科卒業。 大学時代に自動車研究会に所属。 アルバイトを兼ねて「カーグラフィック」などの自動車専門誌にレース関連の記事を寄稿。 1973年にはヨーロッパへ取材を兼ねたレース観戦旅行に出かけ、F1オランダGPを観戦。 大学卒業後、フリーのジャーナリストとしてレース雑誌を中心に執筆活動を続ける。 日本のF1報道のパイオニアモータースポーツ・ジャーナリストの今宮純氏が死去2020.01.10 auto sport Web 日本のレース報道、そしてF1解説のパイオニア的存在として多くのモータースポーツファンから愛されたモータースポーツ・ジャーナリストの今宮純氏(70歳)が1月4日の朝、虚血性心疾患のため東京都内の自宅で急逝したことが明らかになった。 今宮純氏は1949年3月18日生まれ、神奈川県小田原市出身。 慶應義塾大学文学部在学中から自動車専門誌などでレースレポートなどの原稿を執筆し、大学卒業とともにフリーのジャーナリストとして活動を始めた。 80年代からはレース中継のピットレポーター、解説を担当し、フジテレビの地上波、CS放送のF1中継の顔としてお茶の間でもお馴染みの存在に。 ― 引用終り ― 1970年代、第一次オイルショック後で日本の自動車メーカーが一斉にワークス活動から手を引いた。 4輪モータースポーツは、国内はプライベート・チームが育ち始めた時期。 海外はF1、F2、F3が各々のクラスで活性化していた。 特にF1は8気筒DFVエンジンの全盛期で、各チームが切磋琢磨を続けた。 エンジンはフォード・コスワース・DFV、ミッションはヒューランドFG400系、アルミモノコックのシャシーにFRPのカウルを被せればF1マシンが出来上がった。 1976年、FISCO(富士スピードウェイ)で日本初の「F1世界選手権イン・ジャパン」開催。 今宮氏は、4万字のレポートを「オート・テクニック」に寄稿した。 それ以後、レギュラーの仕事が増え、海外でF1やル・マン24時間レース、ヨーロッパF2を取材。 熱戦をレポートしてくれた。 今宮さん、ありがとうございました。
2020年01月11日
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シリーズチャンピオンも決まりストーブリーグ的な期間とはいえ、レッドブル・ホンダとトロロッソ・ホンダのHondaパワーユニットが1-2フィニッシュ。 ゴール直前には1-2-3フィニッシュか、と思わせる瞬間もあった。 HONDA 公式サイトRACE REVIEW ブラジルGP決勝は、ポールポジションからスタートしたAston Martin Red Bull Racingのマックス・フェルスタッペンが今季3勝目を挙げ、Red Bull Toro Rosso Hondaのピエール・ガスリーが2位表彰台。 Hondaパワーユニット勢が1991年以来の1-2フィニッシュを果たしました。 …(略)… レースは残り2周で再開されますが、アルボンはリスタートで3番手に浮上したハミルトンに接触されてスピンを喫し、14番手まで順位を落とします。 この2人の接触をすり抜け、ガスリーは2番手に浮上。 フェルスタッペンは首位を盤石にしてファイナルラップに突入します。 ガスリーは最終コーナーでハミルトンに並びかけられますが、全開区間で前に出ると、そのまま譲らずに2位でチェッカーフラッグ。 優勝したフェルスタッペンに続き、Hondaパワーユニットの1-2フィニッシュを果たしました。 クビアトは10位でポイントを獲得。 僅差のコンストラクターズ争いを繰り広げるチームに貴重なポイントをもたらしました。 接触によって後退したアルボンは、14位完走となりました。 Hondaにとってブラジルでの勝利は、輝かしい歴史を一緒に築いてきたアイルトン・セナが母国初優勝を飾った1991年以来。 Toro Rossoにとって、2位表彰台は2008年の優勝以来の好成績で、故本田宗一郎の誕生日に記念すべきレース結果となりました。 ― 引用終り ― トロロッソのガスリーはハミルトンを抑えての2位フィニッシュで立派。 F1のHondaパワーユニットは快調。 国内のホンダ N-WGN、フィット4も快調だったらよかったのにね。 ホンダがF1で連勝しても、ホンダファンが気軽に買えるスポーティーモデルがない。 フィット、S660、N-ONEにホットモデルを設定して欲しいものだ。 2020年は、『Rally Japan(ラリー・ジャパン)』でトヨタ・ヤリス・イヤーが到来するだろうか。 2020年ラリー・ジャパンは、2020年11月19~22日。 シリーズ最終戦となる第14戦として愛知・岐阜で開催される。
2019年12月01日
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マクラーレンと組んで散々だったホンダは、トロロッソと組んで上向き。 レッドブルと組んでシリーズタイトルを狙えるまでになった。 F1プロジェクトリーダーの田辺豊治氏が理由を明かした。 F1の調子はよいが、ホンダの企業業績は厳しい。 急に強くなるのはよいが、急にやめないで欲しい。なぜホンダF1は急に強くなったのか?2019年9月14日 11時12分citrus …(略)…──スペック3では、ホンダの航空エンジンに採用されている技術をターボチャージャーに入れることで、ターボの効率が向上し、その効果でMGU-HとICEの使い勝手が増してPU全体の底上げにつながったと説明を受けました。 10月13日に決勝レースが行われる第16戦日本GPもスペック4で臨むことになります。 スペック4のアップデート内容を教えてください。田辺: MGU-KとMGU-Hはスペック3と同一です。 ICEの性能をアップしました。──鈴鹿サーキットで行われる日本GPに向けて、何か特別な準備をしているのでしょうか。 年間21戦のうちの単なる1戦という認識でしょうか。 田辺: 21戦のうちの1戦ですが、準備はしています。 いま持てるもののなかで最大のパフォーマンスを発揮できるよう考えながら、準備を進めています。 限られたエネルギーをエンジンに使ったほうがいいのか、リカバリー(MGU-Hの回生)に使ったほうがいいのかは、サーキットの特性を含めてバランスをとる必要があります。 そういったことも含めて、準備を進めています。──そもそもですが、2019年にレッドブルと組んだことが、ホンダが急に強くなった理由と考えていいでしょうか。田辺: 全体のパフォーマンスは、シャシーとPUとチームのストラテジー、それにドライバーのパッケージで決まります。 そのパッケージとしてはレッドブルのほうが(トロロッソより)高いものを持っています。 我々は同じPUを両チームに供給していますが、明らかに差が出ている。 今年急にホンダが強くなったのは、チームの実力込みだと思っています。 ― 引用終り ― 最近のホンダはスポーツモデル、ホットモデルに力が入っていない。 企業が大きくなるにつれ、半端に高級志向だけが強まったように見受けられる。 F1の活躍に見合う良質なホットモデル廉価で販売して欲しい。 ICEはインターナル・コンバッション・エンジン(internal-combustion engine)の略。 内部燃焼機関。 2014年に自然吸気エンジンに代わってF1に導入された1.6リッターV6ハイブリッドターボ=パワーユニットは、ICEとエネルギー回生システムなどから成る総合的エネルギー供給システム。 これをエンジンと呼ぶと実態とかけ離れてしまうため、これ以降旧来のエンジンをICEと呼ぶようになった。
2019年09月22日
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伝統の1戦モナコGPなど、公道サーキットは魅力的な響きがある。 一方現代のモータースポーツは車両、ドライバー側だけでなく、サーキットの施設側にも多くの安全対策を要求している。 国際戦が開催可能なサーキットの認証は各年ごとに、4輪、2輪で別々に行われる。 F1GPやMotoGPを開催するごとに、何らかの設備改変がなされる。 都市をサーキットに変えるロイター …(略)… 6月下旬のシンガポール。 この島国のビジネスの中心地に隣接したマリーナベイ地区のダウンタウンに施設や建物が突然、出現する。 レースが行われるマリーナベイ・ストリート・サーキット周辺の拠点とされる地区では、数ヶ月をかけて仮設の施設が、最先端の、来場者を手厚くもてなす場所に姿を変えていく。 最初のコンクリートブロックの積み込みは、5月に始まる。 シンガポールGPの開催は9月なので、かなり早い時期から準備が始まるのだ。 ブロックは、ナイトレースになくてはならないものをサポートするために使われる。 地上10メートルでアルミ製のトラスに固定された照明プロジェクターを支える鉄塔の土台となるのだ。 一方で、日曜日のレース終了後には、シャンパンの最後の泡が表彰台に飛び散ると同時にサーキットの解体が始まる。 月曜日の朝には主要な道路をいつもの姿に戻さなければならないのだ。すべての取り壊しが完了するまでには2か月を要する。 10年に及ぶ経験で、サーキットのインフラを担うシンガポールGPの技術チームは、いまではマリーナベイ地区を日常的に利用する人々の交通の混乱を最小限に抑えるエキスパートとなった。 毎年開催されるシンガポール最大のイベント、ナショナル・デイ・パレードの期間中にもその技術は役立てられている。 技術チームの助監督、クリストファー・チュー氏は「サーキット周辺のホテルやショッピングモールなど関係者の協力の下で1年中作業をしています」と語る。 「作業は段階ごとに領域を明確にして行うことで、周辺の交通やビジネスへの影響を最小限に抑えています。また、作業全体がスムーズに行われるように、各種の政府機関と密接に連携をしています。また、私たちは常に向上しようと努めています。何年もの間努力を積み重ね、道路の閉鎖期間を短縮してきました。2008年には閉鎖期間は12日でしたが、今では6.5日になりました。大幅な短縮です」 初開催の08年から行われている。 240本の鉄塔、1600基の照明器具、一周5.063キロのコースを網羅する約11キロのケーブルによる照明システムの設置も今では極めてあたりまえの作業になっている。 準備が整えられたマリーナベイ・サーキットには、23箇所のコーナーがあり、超一流のドライバーたちに究極の挑戦を求める。 「難易度の高いサーキットです。短い直線や、急カーブが多く、起伏に富んでいます」 ベテランレースジャーナリスト、モーリス・ハミルトン氏は語る。 「トラックのコンデイションも昼と夜で大きく変化し、それに対応しなければなりません。そうしたさまざまな条件により、シンガポールGPはとても魅力的なレースとなり、すべてのF1レースの中でも類まれな地位を築いているのです。初めてシンガポールに来たときには、はたしてうまくいくのかと危惧したものですが、蓋を開けてみればまったく問題はなく、初日から見事に準備がされていました」 ハミルトン氏は続ける。 「事が起こればしっかり対応する。これこそがシンガポールがF1グランプリを開催し続けられている秘訣でしょう。当初は問題も散見されましたが、その都度、しっかりと対処されています。レースで浮き彫りになった問題点は、翌年には修正されているのです」 7月には、日常的な車両や歩行者の移動の邪魔にならない場所に、防護壁が設置される。 このような準備は5カ月に及び、それがレース開催期間の熱狂として結実するのだ。 その時期、シンガポールは、世界のスポーツやエンタテインメントメディアからの熱視線を浴びることになる。 …(略)… 世界中への中継と放映に毎年1億3,500万シンガポールドル(約100億700万円)がかかるものの、シンガポールGPは、シンガポールが活気ある革新的な都市だというイメージを世界に発信していることはもちろん、レースがもたらす経済効果も莫大だ。 シンガポール政府の17年の発表によると、08年の歴史的なナイトレースの開催以来、シンガポールGPは海外から45万人の観衆を集め、観光収入に14億米ドル(約1500億円)もの貢献をしている。 シンガポールGPは地元企業にとっても、絶好のビジネスチャンスとなっている。 レース関連事業の90%以上をシンガポールの企業が下請けとして担っているのだ。 ― 引用終り ― F1GPの開催する団体と観光収入を得る組織・団体は違う。 ナイトレース開催に必要な設備費用の負担を含めて、莫大な費用の負担をする組織・団体が必要になる。 最近のF1戦の開催には行政機関が絡んでいることがほとんどの理由が、費用負担の問題。 巨額の投資を行ってサーキットを建設したにも関わらず、韓国、インドなど早々にF1GP開催を返上したのは、費用負担に耐えられなかったためだ。F1シンガポールGP| マリーナ・ベイ・ストリート・サーキット 解説2018年9月11日 F1-Gate.com 日本でもF1GPに限らず数々の公道サーキット構想があったが立ち消えになったのは、別の理由。 公道をモータースポーツで占有使用することを警察が認めないからだ。 電気自動車のフォーミュラEシリーズは各国で都市の公道サーキットで開催されているが、日本では日本政府主催か後援とでもならない限りムリ。 市民からの苦情が1件もなく、競技による競争当事者以外の事故が皆無であることが証明されれば、可能だろう。
2019年09月21日
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今シーズンはマクラーレンと組んでいた頃の不調が幻のような、2019年F1でのホンダ・エンジンの活躍ぶりに瞠目する。 その理由をトロロッソ代表のフランツ・トストが明快に語った。 インタビュアーのフェルディナント・ヤマグチ氏は、業界に所属していないから、忖度も気兼ねもなく記事を書けた。 「ホンダが遅かったのはマ●ラーレンのせいだよ!」トロロッソ代表フランツ・トスト氏、大いに吼えるフェルディナント・ヤマグチ2019年9月17日 日経ビジネスオンライン …(略)…F:ホンダの情熱は分かるのですが、トストさんがホンダと組もうと思った時、ホンダは良好な結果を出していませんでした。ホンダがいいと判断した材料は何ですか。マクラーレンと組んでいたときのホンダは、まるきりダメでしたよね。どうやって実力があると判断されたのですか?「遅かったのは、マクラーレンのせいだよ」T:あの時期のマシンが遅かったのは、ホンダがダメだったからではありません。マクラーレンがショボかったからです。 ホンダと組む方が気が楽、ビバジャパン!F:ホンダと組む前、レッドブル、トロロッソ連合はルノーのエンジンを搭載していました。ルノーはヨーロッパの会社ですが、ホンダは日本の会社です。相性と言うのかな、コミュニケーションに関して不安はありませんでしたか。結果的にルノーとは別れてしまいましたが、ルノーとのほうが気がラクでやりやすかったとか、そういうことはありませんか?T:それは逆ですね。日本人と仕事をしたほうがやりやすい。ホンダと働いたほうが気がラクです。ビバジャパン! ですよ(笑)。イタリア人はフランス人よりも日本人との相性のほうがいいんです(笑)。ルノーの前はフェラーリのエンジンを積んでいたのですが、フェラーリとはいい関係でした。ただ、ルノーとの関係はかなり厳しかった。F:それは国民性の問題ですか。それともルノーという会社が持つ固有の問題でしょうか?T:会社固有でしょうね。人の傾向というか。ルノーの人たちはちょっと変わっていましたから(笑)。 ― 引用終り ― 今シーズンの実績から見ると「マクラーレンのせい」は正解なのだろう。 パワーユニット(PU)・サプライヤーのホンダに対するマクラーレンの要求、開発の方向性の要求が、適切ではなかったということになる。 レッドブル、トロロッソと良い関係を保ち続けられれば、2020シーズンはホンダPUはシリーズ優勝を狙える位置に立てることだろう。
2019年09月21日
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2012年8月27日、FIA(国際自動車連盟) は、「フォーミュラE」シリーズ設立を発表。 運営は、フォーミュラEホールディング (FEH) 。 狙いは、都市部の大気汚染対策となる電気自動車の普及促進。 レースは世界各地の大都市や有名リゾート地の市街地コースで開催される。 秋にシリーズが開幕し、年をまたいで年間10戦程度が行なわれる。 世界選手権ではない。 初年度の2014 - 15年は「スパーク・ルノー・SRT 01E (Spark-Renault SRT_01E) 」のワンメイクレースとして実施された。 2015 - 16年はシャシーはワンメイクだが、パワートレインはチーム独自に製造・改良することが認められた。 搭載バッテリーの充電量の関係から、1レース、ドライバー1名あたり2台のマシンを使用し、レース中にピットで乗り換えた。 2018 - 2019シーズンからは乗り換えが無くなり、ドライバーは1台のマシンで完走することが求められるようになった。 停車中にワイヤレス充電するシステム、コース上の給電レーンを走行してワイヤレス充電する方式の導入を目指している。 日産、メルセデスも参戦! 電気自動車のF1「フォーミュラE」はどこが面白い?2019.4.27電気自動車による本気のバトル、日本でも楽しめる日がくる!? 100%電動フォーミュラカーによるレースシリーズ「FIAフォーミュラE選手権」の第5シーズン(2018-2019年)が始まった。 5ヵ国、12都市で、全13戦が開催される。 今シーズンよりマシンが第2世代へと進化しレース内容が大きく変わると聞いて、3月に行われた日本からもっとも近い開催地、香港へと出かけてみた。 フォーミュラEは、2014 - 15年シーズンにはじまった、ワンメイクのフォーミュラEVによるレースだ。 その特徴は、排ガスも騒音もないため、サーキットではなく大都市やリゾート地などの市街地コースで行われること。 香港戦では、香港駅からセントラルハーバー周辺の通りを封鎖し、1周1860mの特設コースが作られていた。 まわりは、国際金融センターや香港シティホール、そして観覧車に囲まれたまさに香港の中心地だ。 フォーミュラEでは観客は基本的に公共交通手段で移動する。 駐車場も用意されていない。 近くのホテルに宿泊していたあるドライバーも、徒歩でサーキットまでやってきていた。 「GEN2」と呼ばれる第2世代のマシンは、バッテリーが28kWhから54kWhとほぼ倍増された。 これまでドライバーはレース中にピットインし給油のかわりに別のマシンへと乗り換えていたのだがその必要がなくなった。 最高出力も従来の200kWから250kWにアップ、最高速度も225kmから280kmになった。 また安全性向上のため、従来はオープンホイールタイプだったがフェンダーが備わった。 さらにドライバー保護のためF1マシンと同様のハロが装着されている。 現行ルールでは、モノコック、空力パーツ、シャシー、バッテリー、タイヤはワンメイクで、MGU(モータージェネレーターユニット)、インバーター、ギアボックスは独自開発が認められている。 …(略)… 2019年23日、中国・三亜で開催されたフォーミュラEの2018/2019シーズン第6戦で、新人のオリバー・ローランドがポール発進から2位、参戦初の表彰台となった。 F1が開催可能なレーシングコースは、交通不便な地が多い。 フォーミュラEは積極的に市街地コースで開催している。 観戦客にとってどちらが便利かは、言うまでもない。 ファンが多く、環境にやさしいイメージがあれば、メーカーは参入しやすく、スポンサーも付きやすい。 モータースポーツの未来の頂点は、F1ではなく明らかにフォーミュラEにある。 2019年度予算として、東京都はフォーミュラEの誘致にむけた調査費を計上。 日産に続きホンダの参戦も噂されている。 第2世代フォーミュラEの特徴1.ボディカウルの一部が前後のタイヤを完全に覆う形状。 オープンホイールカーではなくなっている。2.バッテリーが小型化・大容量化。 電力量は約2倍(28kWh→54kWh)に増え、レース途中でマシンを乗り換える必要がなくなった。 最大出力は250kW(レース時200kW)、最高速は280km/hに上昇。3.フォーミュラ1同様、コックピットに頭部保護デバイスのHaloが装着された。 HaloにはLEDが内蔵されており、アタックモードやファンブースト使用時にはLEDが発光。 観客はブーストの利用が分かりやすくなった。4.リアウィングが廃止。 小型の空力パーツがリアホイールハウス上に装着された。 ウィングの廃止によって損なわれるリアのダウンフォースは、従来よりも巨大化されたリアディフューザーで補う。5.後輪の回生ブレーキに自動調整機能(ブレーキ・バイ・ワイヤ)が認められた。
2019年05月12日
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1970年代の話。 レース・オブ・チャンピオンズが、F1とF5000の混走で行なわれていた時期があった。 当時のF1は3L自然吸気エンジン。 DFV+ヒューランドのミッションの全盛期。 ホンダは参加していないし、出力が高いと思われるフェラーリV12(のちにフラット12)は足回りの悪さから実力を発揮でききれずにいた。 で、F5000とは何か。 フォーミュラ5000(F5000 )は、タイヤが剥き出しでシングルシーター(単座)のいわゆる「フォーミュラカー」形式の車両による自動車であり、その車両で競われるレース規則。 F5000のレースは1968年から1982年に世界各地で開催された。 低コストのフォーミュラカーによるレースを目指した。 排気量制限が5000cc以下であることからF5000と名付けられた。 車両メーカーは、マクラーレン、イーグル、マーチ、ローラ、ロータス、エルフィン、マチック、シェブロン。 量産5リットルOHV・V8のGMシボレー・エンジン搭載。 約500馬力/8000rpm (370kW)。 North America Formula 5000シリーズは後期に、単座ではあるがボディがタイヤを覆うルールとなった。 米国で1970年代の初めに人気となり、マリオ・アンドレッティ、アル・アンサー、ボビー・アンサー、ジェームズ・ハント、ジョディー・シェクターなどが参加した。 オーストラリアとニュージーランドでフォーミュラ・カーで競われた、タスマン・シリーズ(1964-1975)が開催されいた。 ジャック・ブラバム、ブルース・マクラーレン、クリス・エイモン、デニス・ハルムが活躍し、後にヨーロッパに渡った。 1970年よりF5000規定が認められ、その後の主流マシンとなった。 タスマンシリーズではレプコがGM系のホールデンをベースにしたレプコ-ホールデンV8エンジンを供給した。 オフシーズンのF1選手のエントリーは減り、地元チーム、ドライバーが活躍する地域選手権という本来の姿に戻った。 シリーズはニュージーランド側の独立で終了。 オーストラリアではF5000規定のまま1979年まで「ロスマンズ・インターナショナルシリーズ」が開催された。 IMSAが1981年にIMSA GT選手権のための新しい規格、GTPプロトタイプを導入。 IMSAのGTP設定により、F5000は役割を終えた感があり、1982年に終了。
2018年08月19日
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鈴鹿市とル・マン市は友好都市。 友好都市 鈴鹿市公式サイト 日本とル・マンの関係は濃密で長く続いている。 ■ロータリーエンジンとル・マン 1973年、ル・マンに初めて日本のチームとマシンとドライバーが登場。 マシンはシグマ・オートモーティブが開発し、マツダ製の12Aロータリーエンジン搭載した、シグマMC73/マツダ。 1979年、マツダの市販車「サバンナ RX-7」をベースとして、ロータリーエンジンの名機「13B」搭載の「MAZDA RX-7 252i」が登場。 海外レース挑戦の先駆者 生沢徹と、後にミスタール・マンと呼ばれることになる寺田陽次郎らがドライブしたがトラブルに見舞われ決勝出走はならず。 ■寺田陽二郎とル・マン そのミスター・ル・マンの愛称の寺田陽二郎氏は、ル・マンに29回参戦。 1983年(マツダ717C)・1988年(マツダ757)・1990年(マツダ767B)・1996年にクラス優勝。 ■ル・マンでの日本ドライバー、チームの優勝 1983年、前年に創設されたグループCのジュニアクラスにマツダ・717を2台を送り込んだ。 2台とも完走し、グループCジュニアクラスの1位と2位となった。 1991年、シフトがメンテナンスするチーム・FEDCOのスパイスSE90C/DFR(長坂尚樹/見崎清志/横島久組)が12位で完走し、カテゴリー1クラス優勝。 1995年、1985年より参戦を続けてきた関谷正徳が、日本人ドライバーとして初の総合優勝 マクラーレン F1GTR /チーム・国際開発UK、ドライバーは関谷正徳、J.J.レート、ヤニック・ダルマス。 2000年、チームタイサンのポルシェ911GT3がLM-GTクラス優勝。 2004年にはチーム郷(アウディ・R8)が日本のプライベーターとしては初めての総合優勝。 同チームのドライバーの1人の荒聖治は、日本人として2人目の総合優勝。 ■バイクとル・マン 今年、2018FIM EWCシリーズ第2戦ル・マン24時間耐久ロードレースではF.C.C. TSR Honda France 優勝!! TSRの藤井監督もご満悦。 TSR 公式サイト
2018年06月21日
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今年のWEC(FIA世界耐久選手権)はポルシェが撤退。 シリーズ最高クラスLMP1(ルマンプロトタイプ1)に参戦する自動車メーカーはトヨタだけとなった。 WEC: ノンハイブリッド車の数値が一部緩和。 LMP1の最新EoTが明らかに 2018.06.13 auto sport web トヨタは優位性があるとは断言できない条件の中、ル・マンに挑んだ。 開発の制約が強まる中、幾度も総合優勝を逃し続けてきたトヨタが優勝できるかが、日本人である私の注目点。 「思いっきり走ってくれて、ありがとう!」 トヨタ、ルマン24時間初制覇で 豊田章男社長が声明を発表! 2018年6月18日 clicccar 6/16~17にフランスのル・マン、サルトサーキットで開催された第86回ル・マン24時間耐久レースに出場したTOYOTA GAZOO RACING のTS-050ハイブリッド8号車(中嶋一貴/セバスチャン・ブエミ/フェルナンド・アロンソ)は、388周を周回しトップでチェッカーを受けた。 同チームの7号車(小林可夢偉/マイク・コンウェイ/ホセ・マリア・ロペス)が386周で2位に入り、日本車初の1-2フィニッシュを飾った。 …(略)… 結果としてポルシェは「勝ち逃げ」となった。 トヨタと6人のドライバーとチームの面々に、心から「おめでとう!」を言おう。 1985年、童夢とともにトヨタエンジンを搭載した85C-Lで5年ぶりにル・マンに参戦し12位完走。 これが事実上トヨタのル・マン初参戦。 1987年以降トヨタ・チーム・トムス (TTT) として、トヨタワークスとしての参戦。 総合優勝まではとても長い道のりだった。
2018年06月21日
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グラチャンの幕引きを早めた暴走族 一方で、グラチャンはレースとは直接関係のないところで悩みを抱えていた。 1970年代から80年代にかけて暴走族が社会問題となっていた。 2シータースポーツカーの時代から、モータースポーツファンとともにグラチャンは暴走族も多数集めていた。 グラチャンの開催日には東名高速や中央高速に暴走族が集まり、会場周辺で集会、レース開催中も会場内、グランドスタンド裏でドラム缶をパイロンにみたてジムカーナもどきを行なっていた。 多くの観客が集まるグラチャンで、改造車を見せつけて存在を誇示していた。 主催者も困惑、警察の指導もあり「不法改造車での入場をお断りいたします」との文言をチケットに印刷、チケットゲートに掲示するなどしたが、効果はなかった。 ツーリングカーレースでは性能向上のために空力パーツや幅広タイヤをカバーするオーバーフェンダーで装着された市販車がレースを行っている。 彼らはそれを真似、性能向上などを考えないエスカレートし、目立つことが目的の改造車を作って乗り込んできた。 特攻服に身を包んだ若者が違法改造車でグラチャンに集合、普通のモータースポーツファンは辟易。 竹ヤリ、デッパの改造車は「グラチャン」と呼ばれるまでになった。 モータースポーツ自体が世間に誤解された。 1987年、鈴鹿サーキットでF1日本グランプリが開催された。 4輪モータースポーツファンは再びF1に接し、中嶋の参戦もありレースファンは急増。 頂点レースの高まりは、その裾野を拡大することなく、1989年、グラチャンは終了。 スポーツカーレースであるグラチャンは廃れ、プライベーター主体のレースは、F2000、F2、F3000などのフォーミュラが主流となっていた。 お手本にしたCan-Amシリーズも1986年終了。 1988年から鈴鹿や菅生でも開催されるようになったが、長年富士スピードウェイだけで行われたことで、マシンも富士専用にガラパゴス的進化を遂げていた。 グラチャンは、19年もの間日本のトップカテゴリーのレースだった。 フォーミュラ押しの鈴鹿は、モータースポーツイベントとしては2流だった。 そして私にとっては「青春」。
2018年05月01日
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シングルシーター 主催者の意に反し、規定の変わった1979年の第1戦では、様子見の姿勢のチームが多かった。 出走したシングルシーターは長谷見昌弘のMCS、片山義美のKIR、清水正智の火の鳥の3台だけ。 優勝こそ逃したものの、単座マシンのポテンシャルは予選と決勝を通じてドライバーやピットスタッフに知れ渡った。 各チームが新たなマシン作りに取り組み、独創的なデザインのボディーが製作された。 当時は設計にコンピュータは利用できれず、風洞実験も限られていたので空力性能を高めるためのさまざまな工夫、実験的試みがなされた。 1983年、高橋徹が死亡。 観客にも死傷者が出たため、現場検証には警察が介入することになった。 さらに高橋の遺族や関係者は死傷した観客側から提訴され、事故の責任を問われた。 グラウンド・エフェクト・カーの特性に起因するとの主張もあり、グラチャンマシンが危険との印象が生じた。 1984年、グラチャンでグラウンド・エフェクト・カーは禁止になった。 グラチャンの人気が復活する中、新しいスターが育った。 モトクロスのライダーから日産の契約ドライバーになった星野一義は、1976年のF1イン・ジャパンで一時3位を走行する活躍を見せ、闘争心あふれる走りから“日本一速い男”の称号を得た。 彼がグラチャンで初のシリーズタイトルを獲得したのは1978年。 翌年チャンピオンは、ヒーローズレーシングで星野の1年後輩にあたる中嶋 悟。 好敵手として名勝負を繰り広げた二人だった。 1987年、中嶋はロータス・ホンダに乗り、日本人初のシリーズ、フルタイム参戦のF1ドライバーとなった。 好敵手を欠いたレースは面白みに欠けた。
2018年05月01日
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シングルシーター導入 マーチ・BMWの組合せが全盛で、ムーンクラフト製セミロングテールのマシンが勝者の定番となりつつあった。 1976年、富士スピードウェイで日本初のF1グランプリが開催された。 グラチャン勢は、星野一義、高原敬武、高橋国光が参戦。 76年、77年と世界最高峰のフォーミュラレースを見てしまったことで、観戦客はグラチャンは頂点レースとして物足りなくなった。 打開策として、参加台数を確保し、よりコンペティティブなレースを展開させるべく、F2000とも共通点の多い単座スポーツカーの導入がはかられた。 アメリカでは排気量無制限スポーツカーのCan-Amシリーズが人気低迷により、ポルシェ917/30ばかりが勝つ規則を変更。 F5000のシャシーにカウルをかぶせたシングルシーターを使い、停滞していた人気を回復していた。
2018年05月01日
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事故、石油ショック 2ヒート制を導入するなどしてレースをショーアップし、レースクイーンも増え、戦いに華を添えた。 テレビ放映もされ、順調に人気は高まっていくように見えた矢先、グラチャンは相次いで逆風に襲われた。 1973年11月、最終戦。 スタート直後に1コーナー、30度バンクで多重衝突事故が発生。 満タンのマシンが4台が爆発炎上。 ヒーローズレーシングのシェブロンB23・FVCを操る新進気鋭のドライバー、中野雅春(24歳)が命を落とした。 1973年、石油危機。 街はネオンまで消され、モータースポーツにも自粛ムードが色濃く漂った。 景気低迷によりスポンサーも減少し、出走台数が大幅に減少。 レースの白熱度は低下し、観客動員もふるわなくなった。 1974年6月、高速コースである富士スピードウェイに合わせて独自にロングテールに改造したマシンが登場。 新しい流れに注目が集まり、優勢を伝えられるBMWエンジンとともに去就が注目された。 事故は前回と同じくスタート直後の30度バンクで、満タン状態の中、発生。 多重衝突による爆発炎上で、ベテランの鈴木誠一(ローラT292・BDA)37歳、風戸裕(シェブロンB26・BMW)25歳の2人が死亡する大惨事となった。 かねてから危険性が指摘されていた30度バンクはこれ以降廃止され、4.3kmのショートコースが使われることになった。
2018年05月01日
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グラチャンの隆盛 ワークスドライバーたちは、自社の車両を使用する前座のツーリングカーレースに出場するしかなかった。 1.3リッターを境に「スーパーツーリング」と「マイナーツーリング」にクラス分けされ、日産スカイラインGT-Rとマツダ・サバンナRX3 、日産・サニー、日産・チェリー、トヨタ・カローラ、トヨタ・スターレットなどの対決が見られた。 前座とはいえ実力のあるワークスドライバーたちが乗るのだから、迫力のある戦いに観客は魅了された。 後の日本一早い男、星野一義は、チェリー・クーペで参戦、荻窪製の大森のチェリーと正規軍・追浜のサニーによる日産同士の闘いも見ものだった。 星野一義選手レーシングドライバーを引退 - NISMO しばらくすると、グラチャンに出走するマシンに変化が表れる。 シェヴロンB19とローラT212というヨーロッパ製の2リッターレーシングカーが速さと信頼性を見せつけた。 旧型のマシン、日本製の手作りマシンは自ずと淘汰された。 レーシングマシンとして、それほど高価ではないこの2台のおかげで、自動車メーカーのワークスチームが参加していた時より参戦のハードルが下がり、多くのプライベートチームがレースに出られるようになった。 ワークスドライバーたちもメーカーの許可を得て、プライベートチームからグラチャンに出場できるようになり、グラチャン・シリーズは日本の4輪レースの頂点イベントだった。 日本経済の発展とともに、グラチャンの未来は順風満帆に思えた。 FISCOが日本のモータースポーツの頂点であり、中心だった。
2018年05月01日
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目玉の大会を失った富士スピードウェイ(FISCO)は、新たな客を呼べるモータースポーツイベントの必要に迫られた。 1970年に2回開催したスポーツカーレースが、格好のモデルとなった。 9月の「フジインター200マイル」では、イタリアから最新のフェラーリ512Sを持ち込んで走らせたことで、多くのファンを引きつけた。 これをシリーズ化し、年間チャンピオンを競うイベントに仕立てるのである。 これが「富士グランチャンピオンシリーズ」で、“グラチャン”の愛称で親しまれた。 グランはフランス語、チャンピオンは英語で「グランチャンピオン」は造語。 1971年4月25日。「富士300kmレース」で初のグラチャンが開催された。 30度バンクを含む6kmのフルコースで50周で争う。 ポルシェ908/2、7リッターエンジンのマクラーレンM12などのレーシングカーから、日産フェアレディ240Z やホンダS800の改造車までが混走した。 生沢 徹、高原敬武、風戸 裕などのドライバーが、プライベートチームを作って参戦。 自動車メーカー主導のレースと異なり、ドライバーの腕、実力勝負で、スポンサーを募って参戦する、欧米と同じレース環境が生まれた。
2018年05月01日
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グラチャンの時代――ヤンキー文化の興隆(1971年) ーよくわかる 自動車歴史館 第49話ー 日本グランプリの中止で生まれたスポーツカーレース に自らの体験、感想を交えて加筆。 グラチャンの記録を残したい。 1962年、日本初のコース全面舗装と観客席を備えた国際水準のレーシングコース、鈴鹿サーキットが三重県、鈴鹿市に完成。 1963年5月、本格的なカーレース、第1回 日本グランプリ開催。 決勝日は20万人を超える多数の観客を集めた。 ヨーロッパのスポーツカーも参加したが、多くはほとんどタイヤも含めノーマルのままの市販車の参加だった。 レース後、3つのクラスで優勝したトヨタがそれを販売促進に活用。 他メーカーもレースの結果が新車販売にもたらす影響の大きさに気づいた。 1964年5月、第2回には前年と様変わり。 各社がドライバーを揃えワークス体制で参戦。 生沢 徹のドライブするプリンス・スカイラインGTと式場壮吉のポルシェ904の闘いが演じられた。 1964年10月、主催者の日本自動車連盟(JAF)は1965年5月の日本グランプリの開催中止を発表。 1966年、第3回は富士スピードウェイで開催。 プロトタイプレーシングカーの闘いになった。 プリンス/日産、トヨタ、ポルシェなどが大排気量のマシンで参戦し、日本のレースシーンは大きな盛り上がりを見せた。 1970年、日産が排ガス問題に専念するとの理由で不参加を表明し、トヨタも追随。 JAFはグランプリの開催を断念した。 メーカーが車の売れ行きを大きく左右するレース人気に恐れをなしたとも語られた。 興業が成り立たないと判断したJAFによる日本グランプリの開催中止の決定こそがプライベーターの祭典「グラン チャンピオン レース」誕生の契機となった。
2018年05月01日
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F1はヨーロッパの文化。 女性蔑視の目を気にしてグリッドガールを廃止したらしい。 落ち目のF1がいまさら風紀をただした所で、人気が復活することもない。 F1、グリッドガールの廃止を発表 レースクイーンに影響も?疑問の声続出 2018.02.01 modelpress フォーミュラ1(F1)は31日、レース前の配置をドライバーに案内するために名前が入った看板を掲げる女性係員「グリッドガール」の廃止を公式サイトで発表した。 3月にオーストラリア・メルボルンで開幕する大会から適用される。 F1公式サイトでは「グリッドガールは何十年も不可欠の存在であったが、現代社会と合わない」と理由を説明。 …(略)… スター選手の生み出すことができない、規制、デバイスを廃止しないと、誰が闘っているのか分からない。 車のレギュレーションが緩かった時代も、F1はドライバーズ選手権であることが第一だった。 一方、勢いのある中国は美尻コンテスト開催。 報道の写真では参加者は女性のみ。 女性蔑視の声は何処・・・。 ショッピングモールで美尻コンテスト開催 中国 2017年6月26日 AFPBB ニュース 発信地:瀋陽/中国
2018年03月26日
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初めて専用の、一戦級になりうるパワーユニットを手に入れたトロロッソとホンダの不協和音は聞こえてこない。 トロ・ロッソとホンダは いかにして好スタートを切ったのか 1:F1シーズン前テスト How Toro Rosso and Honda got off to a flying start 2018年3月22日 F1通信 トロロッソ・ホンダSTR13は信頼性(耐久性)も十分ありそうだった。 車体とエンジン相互の歩み寄りがあれば、来期はイイ線いくかも知れない。 シャシーとエンジンとの最善のレイアウトが実現される可能性が大きいからだ。 ■2018年 F1グランプリ日程■ 第1戦 オーストラリア 3月25日決勝 第2戦 バーレーン 4月8日決勝 第3戦 中国 4月15日決勝 第4戦 アゼルバイジャン 4月29日決勝 第5戦 スペイン 5月13日決勝 第6戦 モナコ 5月27日決勝 第7戦 カナダ 6月10日決勝 第8戦 フランス 6月24日決勝 第9戦 オーストリア 7月1日決勝 第10戦 イギリス 7月8日決勝 第11戦 ドイツ 7月22日決勝 第12戦 ハンガリー 7月29日決勝 第13戦 ベルギー 8月26日決勝 第14戦 イタリア 9月2日決勝 第15戦 シンガポール 9月16日決勝 第16戦 ロシア 9月30日決勝 第17戦 日本 10月7日決勝 第18戦 アメリカ 10月21日決勝 第19戦 メキシコ 10月28日決勝 第20戦 ブラジル 11月11日決勝 第21戦 アブダビ 11月25日決勝
2018年03月25日
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2015年、7年ぶりにホンダはF1に復帰。 第4期、新井康久F1プロジェクト総責任者の大口をたたいていることだけが印象に残った。 総責任者が変わっても、3年間よいところは一つもなかった。 2018年、F1ホンダ・エンジン搭載車両はマクラーレンからトロロッソに交替。 2月26日、新型マシン公開。 よい話が聞こえてくる。 Red Bull Toro Rosso Honda 新型マシン「STR13」を公開 2018年02月26日 HONDAニュースリリース シリーズ第1戦は3月25日決勝のオーストラリアGP。 まずは予選結果が楽しみ。 耐久性もありそうなので、決勝戦も注目。 速いぞ、トロロッソ・ホンダ。 もう最高速はマクラーレンを上回った! 2018.03.08 Web Sportiva F1バルセロナテスト3日目 結果:トロロッソ・ホンダが堂々3番手タイム! 2018年3月9日 2018年のF1世界選手権の第3回 F1バルセロナ合同テストが3月8日(木)にバルセロナのカタロニア・サーキットで3日目を迎え、セバスチャン・ベッテル(フェラーリ)がトップタイムをマーク。 トロロッソ・ホンダのピエール・ガスリーが3番手タイムを記録した。 2018年シーズン開幕前のテストも残り2日となり、いよいよ各チームが新車のパフォーマンスの片鱗を見せ始めた。 3日目のトップタイムを記録したのはフェラーリのセバスチャン・ベッテル。 この日最多となる188周を走行したベッテルは、午前中にハイパーソフトで1分17秒182をマーク。 前日にダニエル・リカルド(レッドブル)が記録したタイムを0.865秒上回り、カタロニア・サーキットの新たなトラックレコードを記録した(非公式)。 2番手タイムを記録したのはハースのケビン・マグヌッセン。 午前中に1分18秒360というタイムをスーパーソフトで叩き出し、パドックに衝撃を与えた。 そして、3番手タイムはトロロッソ・ホンダのピエール・ガスリーが記録。169周を走り込み、ハイパーソフトでトップから1.181秒差の1分18秒363を記録。 ホンダのF1エンジンがワークスルノー勢を上回るパフォーマンスを発揮した。 4番手タイムはカルロス・サインツ、5番手タイムはカルロス・サインツとルノー勢が続いた。 ワークスルノーは二人合わせて148周を走り込んだ。 6番手タイムはマクラーレンのストフェル・バンドーンが記録。 過去2日間はトラブルが続発して信頼性への懸念が囁かれていてが、この日は151周を走行して、その声を払拭して見せた。 7番手タイムはザウバーのマーカス・エリクソンが続いた。 …(略)… ちょっとだけなら期待できる。
2018年03月21日
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復帰以降成績がサッパリのホンダF1。 今年こそは大丈夫、との声は聞こえてこない。 Red Bull Toro Rosso Honda 新型マシン「STR13」を公開 2018年02月26日 HONDAニュースリリース …(略)…■スクーデリア・トロロッソ チーム代表 フランツ・トストのコメント「Hondaとともに迎える新たなシーズンが今から楽しみです。 これまでエンジン独占供給を受けた経験がないトロロッソが歴史のあるHondaとパートナーになり、これからともに進んでいくことにわくわくしています。 また、我々は2人のルーキーを2018シーズンのドライバーに迎えています。 ルーキーとはいえ、ピエール・ガスリーもブレンドン・ハートレーも昨年いくつかのレースで我々とともに戦っており、今シーズンが彼らにとって初のF1フル参戦の年になるのです。 ピエールは2016年のGP2(現F2)チャンピオンであり、ブレンドンは昨年のFIA世界耐久選手権とル・マン24時間で王者となりました。 そんな2人に競争力のあるマシンを提供できれば、ハイレベルなパフォーマンスを示してくれると確信しています。 我々がハードワークを重ねて開発したSTR13がサーキットを駆ける姿を目の当たりにすることが待ちきれません。 いよいよ、シーズンの始まりです…Gambarimasu(ガンバリマス)!!」 …(略)… ホンダのエンジニアは、少しは電気時代に重要なこと、シャシーサイドへの配慮ができるようになったのだろうか?
2018年03月19日
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“バーニー”・エクレストン(Bernard Charles "Bernie"Ecclestone)は、長年F1界の支配者として君臨してきた。 イギリス人。 元F1ドライバーであり、元名門ブラバムのチームオーナー。 フォーミュラワン・マネージメント(Formula One Management)、フォーミュラワン・アドミニストレーション(Formula One Administration)を核とするF1運営組織(フォーミュラワン・グループ)のCEOとして、各チーム、時々のF1商業面をまとめてきた。 バーニーがF1方式の運営を始める前、各チームはバラバラだった。 バーニーがビジネスマンとしての経験を活かし、各国レース主催者とのギャランティー交渉などを請負い、コーリン・チャップマン、テディ・メイヤー、ケン・ティレルらオーナー仲間の信頼を得た。 出場するチーム個々と交渉する必要がなくなったので、主催者にもよいことだった。 1974年、F1CAはFOCA(Formula One ConstructorsAssociation)に発展し、選手権の規模拡大を推進した。1978年にFOCA会長に就任し、マーチ創設者の一人であるマックス・モズレーをアドバイザーとして、F1の開催、運営全体に影響を与えるようになった。 バーニーがその知力と人脈でまとめてきたF1の興行権(フォーミュラワン・グループ)を、2016年9月米国のリバティメディアが買収。 リバティメディアは、NASDAQに上場しているアメリカのメディア関連企業。 2017年は初のF1GPシリーズの運営。 F1のエンジン論争と権力闘争を詳細解説 1 F1's engine row decoded: The power play shaping Formula 1 explained 2017年12月03日 F1通信 F1のパワーユニットの変更提案によって、F1が実際に直面するもの、そして誰がF1に参戦したがるのかについて疑問を生じている中、舞台裏の権力闘争を分析する... 2021年以降のエンジン規約の変更案により、フェラーリはF1撤退もあり得ると警告し、パドック内では明らかに戦線が開かれた。 スカイスポーツは、なぜこの論争が始まったのか、そして次に何が起きるについて注目する... なぜ論争が始まったのか? 現時点でパドックで起きているバトルは表面上は、2020年より先のF1のパワーユニットであるが、実際はそれよりも根深い。 現在の権力闘争は、リバティ・メディアが1年前にF1を買収して以来、初めての大きな試練であり、これは氷山の一角に過ぎない。 あるチーム代表がブラジルで言ったように、F1は今「岐路」に立っている。 F1の規約を具現化するコンコルド協定は2020年に終了する。 2021年以降のF1エンジンの最終決定は、F1の将来の方向性を決める第一歩に過ぎない。 コスト制限や現金の分配といったさらに厄介な問題が次の議題であり、そこから本当の問題が始まるかもしれない。 …(略)… 近時、マシンの開発制限、レギュレーションの頻繁な変更をするようになってからいとうもの、F1は一枚岩ではなかった。 「F1の「持たざるチーム」は、F1がもっと平等になり、公平な条件になることを望んでいるが、「持てるチーム」は当然ながら自らの縄張りを守り、F1が適者生存であり続けること、すなわち必然的に彼らが繁栄することを望んでいる」とあるが、これはF1のもう一つの側面を無視したもの。 モータースポーツの最高峰であるF1は、最高のドライバーとともに、最高のマシンであることが重要。 イコールコンディションで選手の腕だけを競うなら、電動のフォーミュラE の方がよい、ということになる。 エンターテインメント性重視の米国のモータースポーツは、イコール・コンディションをヨーロッパより重視している。 モータースポーツの欧州の文化と米国の文化の対立になると、F1の分裂も絵空事ではない。 現在までのところ、開発費を含むトータルのコスト削減も実現されていない。 2014年に法外なコストで現在のハイブリッドエンジンが導入されて以来、F1グランプリで優勝したチームはメルセデス、フェラーリ、レッドブルだけである。 3チームの平等が実現している。 複雑なパワーユニットのせいで、開発費と投入する工数は増加の一途をたどっている。 フェラーリのセルジオ・マルキオンネ会長は、競争のないF1からの撤退の可能性を示唆した。 エキサイティングでなくなった「モータースポーツ最高峰のレース」継続させる動機は、収入だけしか残っていない。
2018年01月03日
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フェラーリはF1を戦うために市販車を売りはじめた稀有なメーカー。 フェラーリがfF1とともに歩むようになり、F1もフェラーリとともにある不測不利の関係にあった。 リバティメディアは米国流を持ち込もうとしたのだろう。 フェラーリが撤退の可能性を示唆して、リバティメディアと力比べをはじめた。 フェラーリがF1撤退の可能性を示唆 興行主の方向性や新エンジン規則に難色 2017年11月6日 JIJI>COM フォーミュラワン(F1、F1世界選手権)に参戦するフェラーリは3日、新しい興行主となった米リバティメディアの計画にチームとして賛同できなくなれば、2020年にレースから撤退する可能性を示唆した。 フェラーリのセルジオ・マルキオーネ最高経営責任者(CEO)は、チームの決算報告に関する電話会議で、F1は「われわれが誕生した日以来、われわれのDNAの一部となっている。 しかし、砂場が訳の分からないものに変わってしまうのであれば、これ以上そこで遊ぶことは望まない。 とにかく、NASCARの世界レースをするつもりはない」と述べた。 米国に拠点を置くリバティメディアは今年、F1に音楽コンサートや有名人などもっと派手な要素を取り入れる計画を打ち出しており、長年にわたりF1の興行主を務めていたバーニー・エクレストン氏の後任者となったチェイス・キャリー氏は、各レースを「スーパーボウル」のように仕立てたいと発言していた。 マルキオーネCEOは「リバティはいくつか良い方向性をもたらしている。 その一つはコスト削減計画の実行で、それには賛成だ」とする一方で、2021年から導入する予定の新しいエンジン規則を含めた案など、「必ずしも賛成できないこともいくつかある」と語った。 「フェラーリにとって、ブランドや市場を維持する上での利益となり、独自の立場を強化することにつながる環境が見いだせない限り、われわれは参戦するつもりはないということを明確にしておく必要がある」 興行側とフェラーリがもめたことはあったが、かつてはヨーロッパ人同士の揉め事。 米国人は米国流が世界標準、正義だと思い込んでいるので、今回の揉め事がどう落ち着くのか読めない。 ハッキリ言ってフェラーリが新しいレーシングリーグをつくるなら、ついていくチームはある。 FIAとの関係からメルセデスやルノーなどの自動車メーカーが参加しないなら、それも好都合だからだ。 だが、リバティがどれほどそのことを理解しているのか、未知数だ。
2017年11月07日
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最新、最先端技術のマシンを最高のドライバーが操るイベントF1GP。 近い将来、内燃機関の自動車が主流でなくなるかもしれない事態となり、F1のイメージが変わるかもしれない。 ホンダもマクラーレンに三下り半をたたきつけられたのなら、F1を袖にする潮時かもしれない。 「F1とフォーミュラEはまるで別物」とF1 CEO。 自動車メーカーの動向を不安視せず 2017.08.05 AUTOSPORT web F1のCEOであるチェイス・キャリーは、フォーミュラEへの自動車メーカーの関与が大きくなっていることを不安視しておらず、電気自動車シリーズはF1とは大きく異なるプロジェクトであるとの考えを示した。 …(略)… キャリーは金曜日のハンガリーGPにおいて、ロイターのアラン・ボールドウィンに以下のように語った。 「私のフォーミュラEに対する見方は、一連の出来事があってもみじんも変わらない。 自動車産業の主流として、向かう先が電気エンジンであるのは明らかだ。 ここ最近で起きたことによって、それが変わることはない」 「現時点のフォーミュラEは、いろいろな意味で、ファンやスポンサー、自動車会社が組み合わさってのストリートパーティーのようなものだと考えている。」 「スポンサーは自分たちの望むように企業理念を追求できる。 自動車会社にとってはR&D(研究開発)の場であり、将来において大きく成長を遂げる技術でもある。 こうした事柄がスポーツに結びつくのかどうか、私にはわからないね」 …(略)… 「我々には最先端技術があるが、何よりもまずこれは素晴らしいスポーツなのだ。 偉大なヒーローが、尊敬するべき素晴らしい技術を見せる。 そして世界中に熱狂的に愛好するファンがいる」 「偉大なるスターが人々の創造力と情熱を捉えるという、素晴らしくエキサイティングなスポーツ。 そういったものを我々は見せているのだ。 彼ら(フォーミュラE)は環境への社会的課題を持っており、確かにそれは重要だ。 それは尊重している」 …(略)… 自動車メーカーに大きな顔をされたくないF1の側らしい発言。 自動車メーカーや関連メーカーが抜けたF1は、経済的に衰退することだろう。 F1王者ロズベルグ、フォーミュラEに関与する可能性は否定せず。 「FEは未来の姿」 2017.08.24 AUTOSPORTS wab …(略)… ロズベルグは、同じく参戦を決めているアウディやBMWなど他の自動車メーカーとメルセデスが戦うであろうことを念頭に「フォーミュラEは世界の未来の姿であり、多くの自動車メーカーが計画や戦略を出してくるのが楽しみだよ」と語った。 …(略)… 技術の最先端はフォーミュラEに譲るしかないだろう。 F1は「昔はガソリン・エンジンが主流だったんだよな」と昔語りとなり、歌舞伎のような伝統芸能になるのだろうか。 グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードのようになるのだろう
2017年09月13日
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ホンダはマクラーレンに見限られ、F1にで出ようにもエンジンを載せてくれる車がない状態。 FIAはホンダに撤退して欲しくないようだ。 ホンダのF1残留に向けて、F1幹部は「全力を尽くす」 またジャン・トッドFIA会長は八郷隆弘ホンダ社長に書簡 Formula 1 chiefs 'doing everything we can' to keep Honda for 2018 2017年09月06日 F1幹部は、2017年シーズンが終わっても、ホンダがチャンピオンシップに残留するよう「全力を尽くして」いる。 マクラーレンは、ルノーのエンジン協力に向けて動いており、今週ホンダとの将来に関する最終決定に至ると見られている。 そうなれば、ホンダは、トロ・ロッソ(ルノーから供給されているエンジンをマクラーレンが奪おうとしている)との契約を結べない場合、F1から撤退せざるを得なくなる。 …(略)… FIAは今のF1が、メーカーにとっても、観戦者にとっても、魅力的ではないことを知っている。 F1イタリアGPの予選終了時点でペナルティが確定しているドライバーは9名、150グリッド降格。 予選13番手だったフェルナンド・アロンソ(マクラーレン・ホンダ)は、35グリッド降格により19番グリッドに降格。(48番グリッド) 予選10番手だったストフェル・バンドーン(マクラーレン・ホンダ)は、25グリッド降格により18番グリッドに降格。(38番手グリッド) 予選17番手だったジョリオン・パーマー(ルノー)は、15グリッド降格により17番グリッドに降格。(32番グリッド) 予選3番手だったダニエル・リカルド(レッドブル)は、25グリッド降格により16番手に降格。(28番グリッド) 予選15番手だったカルロス・サインツ(トロ・ロッソ)は、10グリッド降格により、15番手に降格。(25番グリッド) 予選12番手だったニコ・ヒュルケンベルグ(ルノー)は、10グリッド降格により14番手に降格。(22番グリッド)※降格が適用される順番がフェルスタッペンの方が先のため 予選2番手だったマックス・フェルスタッペン(レッドブル)は、20グリッド降格により13番グリッドに降格。(22番グリッド) 予選11番手だったセルジオ・ペレス(フォース・インディア)は、5グリッド降格がグリッドは1つ上がって10番グリッドとなる。(16番グリッド)※降格してもザウバー勢より順位は上のため 予選で107%の基準タイムを満たさなかったロマン・グロージャン(ハース)も5グリッド降格となるが、最後尾からのスタートが認められた。 ポールポジションからスタートするのはメルセデスのルイス・ハミルトン。 フロントローには予選4番手だったランス・ストール(ウィリアムズ)が並ぶ。 こんなレギュレーションを持つF1が、最高峰のモータースポーツとして魅力的なはずはない。 電気自動車に注力せざるを得ないメーカーは、FIAやFOMが牛耳るF1に新たな魅力は見出せない。 過去の栄光にこだわらず、ホンダは撤退すべきと考える。
2017年09月13日
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まずはオインディ500優勝の佐藤琢磨。 速さと駆け引きを高次元で調和させた佐藤琢磨は、インディ・ドライバーらしさ溢れるレース展開で優勝をみせてくれた。 伝統のインディ500は今年101回大会。 日本人として、空前絶後の金字塔。 佐藤琢磨、インディ500制覇までの道。 2017年6月9日 Number Web 5月28日、アメリカのインディアナポリスで行われたインディ500で、佐藤琢磨が200周のレースを制し、日本人ドライバーとして初の偉業を達成した。 モータースポーツの世界において三大レースと言われるF1モナコGP、インディ500、そしてル・マン24時間レースは、その過酷さゆえに最大の栄誉を称えられるレースだ。 中でも1911年に始まり今年で101回大会を迎えるインディ500は、最も歴史が長く伝統のあるレース。 全米のTVでオンエアされるのはもちろん、決勝当日は30万人とも35万人とも言われる大観衆がスタンドを埋め尽くすのだ。 NFLのスーパーボウル、MLBのワールドシリーズに匹敵するスーパーイベントだ。2012年、琢磨は優勝にあと一歩まで迫っていた。 佐藤琢磨は、日本では元F1ドライバーとして知られているだろう。 F1には2002年にデビューし、'04年のアメリカGPでは日本人最高位タイの3位に入賞している。 また同年にはヨーロッパGPで予選2位という日本人予選最高位を獲得しており、その速さには定評があった。 '08年にはスーパーアグリF1の撤退に伴いシートを喪失。 F1浪人となるのだが、心機一転、'10年にアメリカのインディカーシリーズ挑戦となった。 …(略)… インディ500の優勝者を出し続けるマイケル・アンドレッティ率いるアンドレッティ・オートスポーツも喜んでいることだろう。 アンドレッティ・オートスポーツはインディ・シリーズ優勝4度。 インディ500チャンピオンは琢磨で5度目。 同じく2017年5月28日、F1モナコGP開催。 時差の関係でインディ500より先に開催されたが、小さく、静かなF1は面白みも薄いようで、日本人の関心から遠ざかる一方。 勝てない車のせいもあり、アロンソはモナコGPと面白くないF1を秤にかけ、インディ500を選んだ。 完走できなかったが、マクラーレン・ホンダで走るより、よほど痛快だったことだろう。 快晴、ドライコンディションで行われた決勝は、ベッテルがピットストップでライコネンを抜き78周のレースを制した。 今季3勝目。 フェラーリは2010年ドイツグランプリ以来7年ぶりのワン・ツー・フィニッシュ。 3位はレッドブルのダニエル・リカルド。 マクラーレン・ホンダは、ジェンソンバトンが57周リタイア。 ストフェル・バンドーンが66周リタイア。 世界耐久選手権(WEC)第3戦、ルマン24時間レースは2017年6月17日、午後3時、決勝スタート。 1991年のル・マン24時間レースにおいてマツダ787Bは総合優勝を果たした。 日本メーカーにとって初の、そして日本メーカーとして唯一の総合優勝。 ロータリーエンジン車として初、レシプロエンジン以外のエンジンとしても初の総合優勝。 カーボンブレーキ装着車として初の総合優勝。 カーボンモノコックの787Bのボディは、ストレートでの最高速重視のため車幅を狭くしてドラッグを減少させるデザインを採用していた。 日本人ドライバーではミスター・ル・マン、寺田陽二郎氏が1983年・1988年・1990年・1996年に、ロータリーエンジン搭載車でクラス優勝している。 2016年、23時間57分時点でトップを走っていたトヨタTS050 HYBRID #5号車がリタイア。 2017年は文字通り「必ず勝つ!」の信念をもってル・マン24時間レースに臨んだ。 上位陣に数多くのトラブルが襲うなか、一度は優勝争いから脱落した2号車ポルシェ919ハイブリッド(ティモ・ベルンハルト/アール・バンバー/ブレンドン・ハートレー)が総合優勝。 ポルシェLMPチームは2015、2016年に続くル・マン3連覇を達成。 総合2位はLMP2クラスのジャッキー・チェンDCレーシングの38号車オレカ07・ギブソン。 総合3位は、くLMP2クラスのチームで、ヴァイヨン・レベリオンの13号車オレカ07・ギブソン。 中島一貴もドライバーのトヨタTS050ハイブリッド8号車は、9ラップ遅れの総合9位、クラス2位。 総合優勝どころか、ル・マンへの挑戦が振り出しに戻った感じ。 【ル・マン24h詳報】 過酷な決勝… トヨタは8号車だけ完走しクラス2位 2017年6月18日 motorsport.com フランス・サルトサーキットで第85回ル・マン24時間レース決勝が行われ、ポルシェ919Hybridの2号車が逆転優勝を果たした。 6月17?18日、フランス・サルトサーキットで第85回ル・マン24時間レース決勝が行われ、ポルシェ919Hybridの2号車が逆転優勝を果たした。 昨年のル・マンでの敗北から再スタートを切ったTOYOTA GAZOO Racing。 その悔しさをバネに、十念な準備と最高の体制を敷いたと思われたトヨタ陣営だが、それでもル・マンの勝利の女神が微笑むことはなかった。 しかし宿敵ポルシェも1台リタイアを喫しており、一筋縄では行かないレースとなった。 …(略)… 優勝争いの最後の砦となったTS050 HYBRIDの9号車は、姉妹車たちのトラブルによって2番手に浮上するも、メインストレートからダンロップブリッヂに向かう上り坂でLMP2のマシンに追突されて左リヤタイヤがバーストしてしまう。 ちぎれたゴムがサスペンション周辺の機器を壊してしまったため、マシンの後部から一時出火した。 ドライバーのニコラ・ラピエールはエンジンを止め、EVパワーでピットに漕ぎつけようと試みるも、ピットレーン入り口の手前でパワーゼロとなり、そこでレースを諦めることとなった。 その間、長時間にわたる作業を済ませたTS050 HYBRIDの8号車がレースに復帰したが、首位に1号車ポルシェ、さらにトラブルに対処し、先にレースに復帰した2号車ポルシェがはるか前方にいた。 TS050 HYBRIDの8号車は、トップから28周遅れながら、かつての調子を取り戻し完走を目指した。 …(略)… マツダは偉大だ。
2017年06月20日
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オッフェンハウザー(Offenhauser)エンジンは、日本でもインディ500の「オッフィー」として知られていた。 70年代・F1におけるフォード・コスワース・DFVエンジンの役どころを演じるインディ版。 Offenhauser Wikipedia からの抜粋と加筆。 オッフェンハウザー・エンジンの原形はハリー・A・ミラーが作った。 ミラーが開発エンジンはその初期、船舶用として販売されていた。 1930年には、レーシングカーに搭載された4気筒の151ミル(2.47L)のミラーエンジンが144.895マイル(233.186 km / h)の新しい国際陸上スピードを記録。 ミラーは、このエンジンをベースにDOHC、4バルブ、4気筒(3.6 L)レーシングエンジンを開発。 1933年、ミラーの会社が倒産し、オッフェンハウザーが工具、図面の権利を購入し、従業員の雇用を継続して生産を引き継いだ。 ミラーのエンジンはオッフェンハウザー・エンジンとしてさらに改良された。 第二次世界大戦直後に、会社はメイヤーとドレイクに売却され、さらなる改良が続けられた。 オッフェンハウザー・エンジン(オッフィー)は1950年から1960年にかけて、インディ500で3回優勝し、11年のうち10年間でポールポジションを獲得した。 1960年代にミゼット・レースや各種のスプリント・レースでも活躍し、気化器と燃料噴射を選択することができた。 「オッフィー」の成功と人気への鍵の1つは、その出力と耐久性。 15:1の圧縮比と4.28125 x 4.375インチ(約108 mm×111 mm)のボアとストロークの251.92立方インチ(約4,128cc)のエンジンから、420hp(310 kW)/ 6,600rpmの出力を生み出した。 ガスケットやシリンダの耐久性も高く、さらに比出力の大きいバリエーションを設定できた。 オーバルコースを500マイル走り続けるインディにおいて、耐久性は重要度が高い。 1934年から1970年代にかけて、「オッフィー」は米国のオープン・ホイール・レーシングの標準となり、頂点に立っていた。 米国モータースポーツのトップレースであるインディ500での優勝は27回。 1963年にライバルとなるフォード・エンジンがインディ500に登場。 「オッフィー」は1947年から続く優勝を1964年まで継続したが、1965年、ジム・クラークのロータス・フォードが優勝した。 だが、その後も高い競争力を保っていた。 「オッフィー」のインディ500での最後の優勝は、1976年、ジョニー・ラザフォードのマクラーレン・オッフィー。 【標準的仕様】 オッフェンハウザーは数種類のエンジンブロックを生産していた。 ボア、ストロークを様々組合せて派生エンジンを作った。 顧客の要望に応じて様々なエンジンが作られたが、標準的なバリエーションは下記の通り。97 cu in (1.59 L) - ミゼット・シリーズの規則対応。220 cu in(3.6 L) - AAA(後のUSAC)スプリントカー規則対応。270 cu in(4.4 L) - AAA規則のもとでのインディアナポリス500対応。255 cu in(4.18 L)-インディ(1930年代の燃料消費の規則の間)対応。252 cu in(4.13 L) - インディのUSAC規則対応。168 cu in(2.75 L) - インディのターボエンジンの排気量規則(1968年まで)対応。159 cu in(2.61 L) - インディ(1969年以降)のターボエンジンの排気量規則対応。
2017年06月04日
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