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2006.06.01
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カテゴリ: カテゴリ未分類




僕は、愛してくれる存在が欲しかった。
ただ、ただただそれだけが欲しかった。


だが、それが心から叶った事はさほど無かった様に思う。
無いとは決して言い切らない。

でもやはりそれは人のそれよりもかなり希薄だったと思う。
今も、昔も。

これからはどうか。
それは判らない。



心の中の、私の中の心の中の愛情の電池は枯渇しすぎてて、いつメルトダウンして崩壊してもおかしくないような気がしてならない。

自分の事は自分しか救えない。そう私の生きてきた道が語っている。

でも、愛だけは未だどうにもならない。
自分でもどうしようもない。

人は皆、寂しい生き物だと思っている。多分それは間違っていない。

愛も人が紡ぎ出すものだ。
ただ闇雲に欲しがった所で何も生みはしない。何も出てきやしない。

ある人は言う。
『愛は受けるだけでもなく、ましてや奪うものではない。与えるものである』と。

私はそういった意味では今までどれだけ人に与えてこれたろう。
自分では今まで受けてきた多種多様なそうした愛にどれだけ応えられて来たか、本当の意味で判っていないのかもしれない。



愛と言っても友愛、性愛などと多岐に渡る。
私はその時その時で、ただ受ける愛のみを求めてきてしまってはいなかったか。
愛を求めすぎてやしなかったか。

寂しさゆえの凶行。
孤独さゆえの迷走。


ただ受けてきた愛に応えていかなければならないとは常々思っている。

でも、そこに問題は無かったか。
「~せねばならない」といえば義務になる。
でも、その義務が自分で自分に足枷として来てやしなかったか。

自分で足枷を着せて良い事は無い。
義務が権利になれば良い。
「そうであってほしい」という願いであって欲しい。
「そうでありたい」と思う思いであって欲しい。

今、そう考える事で前に進める心の動きを大切にしたい。

私は愛が欠けている。
それを最早悔いる事はよそう。
恥じる事もよそう。

私が愛に餓え、愛を所望し、愛を追い続けてきた事は生い立ちも関係してはいる。
でも、今少なくとも私は自分自身で『生きる』事を望み生き続けている。

生きる事を望み続けている以上、生き続けるべきなのだ。
そうした思いの上に愛や恋が強烈な香りを放つエッセンシャルとなって降りかかってくれば、それは『今まで私自身に無かったもの(感覚)』そして『生きてきた過程上、受ける事が出来なかったもの』に強い『息吹』として、大きく華と芽生える事に?がって行くような気がしている。

希死念慮は毎日降臨する。
毎日、毎日、それと共にあり、時に穿たれ、時に埋没し、それでも生きて行く中で、私は今もこうして『生きる事を望んでいる』事に大きな動揺にも似た感動を覚える。

それはひとえに私の周囲にいる多種多様な人々からの多種多様な『愛』によっての事であると私は思えてならない。

救われて命。
支えられて命。

その命の温かみと、重さを改めて認識し直す。

私は『愛が足りない人』そして『愛を与えて行くべき人』である。

それを強く感じるのだ。

愛あっての命。
愛ゆえの命。

今はそう思えている自分が幸福である事を信じている。
そう、多分きっとこんなどん底の人生の中においても、そう思えているという事自体幸福なのだね。

私は今生きていて、これからも生きて行く。
そうしたある種普遍的人生の中において、多分きっと愛はやがていつの日か充足して行くことになるんじゃないかと思ってみる。

愛が満ちれば、満ちて行けば、今まで見えなかったもの、感じなかったもの、聞こえなかったもの、触れられなかったものも見えて行くんじゃないかと、強い期待も込め。

そうであればどれだけ幸せか考えるだけで、私の心の中の乾ききったコップの中に一滴(しずく)一滴(しずく)愛が入っていくかのような錯覚にも似た実感も覚える。

私は今色々な意味でようやく幸せな時期を迎えつつあるかもしれない。
生きているとも死んでいるとも感じられないような無味乾燥とした暗澹たる中を生きてきて、今。
ようやくそうした部分に身を乗り出していけているのではないだろうか。
逆に、そう思っていたい自分がここにいる。

いつの日か、いや私の心の中のコップに『愛』という名の水が満ちて行く過程の中で、私はどれだけ周囲の人に愛を与えて行く事が出来るのか、楽しみな嬉々とした感情もあったりして。

それを人は傲慢と言うだろうか?

いや、例えそう思われてしまっても、私は今まで受けてきた愛に報いねばならないし、返し、与えて行く事が一つの生きて行く上での使命とも思う。そうしていく。

それが『私』という「個」である気がする。

その『個』を大事にしよう。

「自分が自分が」と「我」ばかり強くても人はついてこないし、良くも思わないだろう。

「我」の前にまず、自分自身を見失わない『個』を作る事の方が大事に思う。

そうした『個』を大事にしたいのだ。

そのためには生き続けねばならない。
生きて生きて、生き抜いて、そうした中で何か見えてくるものがあれば、私はそうしたものを大事にしよう。

また、そうでありたいとも思っている。

その『個』が紡ぎ出す『愛』がこれからどんどん増していけばこの上ない。

愛あっての個
愛ゆえの個

そして、そこから何かが見えてきて、人の心に訴えていけるようなものが紡ぎ出せたらどんなに良かろう。

『私は独りではない。』
そんな事もそうした中から思えてくるのかな。

そうでありたいな…。

寂しさや孤独に押し潰され、撹拌され、掻き乱されてきた今までとは違う温かい何かこう、人の心に常に寄り添うような、そうした愛情が私にこれから溢れんばかりに増えますように。

そして、そうした中から紡ぎ出された愛情が人の心にそっと優しく届きますように。

そんな事を思いながら、今こうして生きている自分に私は感謝する。


『生きていて有難う』

   そして

『これからもヨロシク』




僕の中のコップはいつか満ちるだろう。
その時をゆっくりと待つ。

焦る事は無い。
今までの人生がそう示している・・・。



『今』を生きること。
まずはそこから・・・。




<後日、加筆修正の可能性あり>









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Last updated  2006.06.25 02:02:17
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