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耳によく入ってくる音楽に閉口。一定の尺度がなくなり何でもあり。従来のクオリティが問われなくなり、稚拙であってもそれもまたよし、という状況だと感じています。老害だと言われかねませんが、音楽で試聴を止めることは多いです。音楽のメッセージ性を感じ取った時、いてもたってもいられない感じです。クオリティに納得できない曲が多い中、稀に凄い才能を感じることがあります。その作曲者と演奏者を選んだ、制作者の目利きを称賛できます。KDDIのCMソングになっている、寺尾紗穂さんの曲が素晴らしいです。 旋律もいいと思いますが、それを引き立てているのは、CMヴァージョンの編曲です。CMヴァージョンしかないようですが、旋律の裏で奏される対旋律が最高です。対旋律はセオリーどおり書いても、それだけではよくならなかったり、主旋律を引き立てることになりません。作編曲者の音楽性が最も問われます。ここでのヴァイオリン等の所謂裏メロは、さっさとやっつけた仕事ではなく、編曲の腕が光っていると思います。著名な編曲者でも書けるものではなく、しっかり勉強した人の成せる技です。動画の高評価が少なすぎるのは残念です。もしかするとですが、曲調やリズムが、著名曲と似ているからかも知れません。しかし、紛れもなく高品質の音楽です。もう1曲はテレビ朝日の情報番組「グッド!モーニング」のテーマソング、美波さんの「Good Morning」です。こちらは作曲と歌が素晴らしいです。ご自分の声の魅力をよく知っていて、得意のヴォイスコントロールを活かして、ピッタリのメロディを繰り広げています。編曲も拘りのラインが素晴らしく、高揚・開放感溢れる音楽になっています。霊感ゾーンに入った閃きが感じられます。平日のニュースステーションなど、テレビ朝日は番組によって音楽の質が、抜群だと思うことがありますが、奇を衒いすぎなのもあると思います。
2024.11.10
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また同じことを書きます。テレビ、SNSなど音が付く動画で、すぐに試聴をやめてしまう理由は、音楽の質を感じてしまうためです。音楽は人によって趣味が異なります。しかし質の優劣はあると思います。どの程度考えて何を意図しているか、そのほかに作曲者の技術レヴェルを、音楽から察知してしまいます。もっとも聴けないのは、民放の情報番組のVTR付随音楽です。ナレーションに被って流される音は、まず言葉が聞き取りにくくなると共に、伝える情報との関係性がありません。制作者の独善性、雇用確保のためなど、ろくな理由しか感じえません。NHKが良いのは趣味がちがっても、質が低いと感じることは殆どなく、コンセプトがはっきりしていれば、拙い演奏でもそれはそれで聴けます。CMでは外資系企業の音楽がよく、選曲や演奏に対するこだわりや、音楽に対するお金のかけ方が違い、制作者の意識の高さが感じられます。Apple社のIphone15のCMは、シンプルながらセンスが感じられ、何より音質がとても良いと思います。YouTubeにはありませんが、スバル社のCMも長く放映されていて、現代音楽のイディオムを持ちながら、シンプルなテクスチュアがいいです。少ない音で音色、和声感、音質重視、昔ながらの表現によるCMは、パテク・フィリップ社です。明らかにひと昔前は良かったのです。
2023.12.31
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ロマン派のつくったような悲しい音楽、今の音楽においてその叙情はなかなかなく、質の高い叙情的な短調の音楽が聴けるのは、ドラマの付随音楽だけだと思います。代表的なところでは、「ドクターX」の沢田完氏、「相棒」の池頼広氏、「教場」の佐藤直紀氏です。ジャンルレスになっている音楽の授業で、シリアスな短調の音楽を真摯に取り組み、音楽と情感の機微を識ることはもはやなく、ひたすら音楽は楽しいものになりました。演奏する側においても合わせる楽しさから、短調の音楽を皆で高めるのは少々バツが悪く、知的であっても盛り上がらないのでしょう。この30年の間に人の感性は偏りました。沈黙に耐えられない稚拙な日本人は、日常どこに行っても音楽に囲まれています。西洋では音楽は表現意図を感じさせますが、日本の場合は殆どが意味のないBGMです。テレビの報道番組のVTRの音楽がそれで、明るい話題には編集者のイメージがわかる、相応の音楽がついていますが、死傷事故では適当な音しかついていません。人が亡くなっている事故にも関わらず、軽んじて考えているからかと思いましたが、そうではなく編集者がイメージできない、深刻で悲しい音楽のイメージがないのです。だからと言って適当な音を付けるのは、事故に遭った当事者に失礼だと思います。それでも皇族や動物のニュースには、効果音まで入れてイメージを投入しています。ノンフィクションにBGMは本来不要です。編集者の演出は要らないからです。ノンフィクションをどう受け止めるかは、視聴者が決めることだと思います。自分の趣味で音を付けるのはよくありません。しかしVTRに音を付けることが業務に含まれ、それが商品価値になるためだと思われます。編集者が普段ポップスしか聞かないのでは、ニュース動画の編集には向いていません。選曲の才能に秀でたスタッフが行うべきです。動画に妥当なイメージで良い選曲をする番組、常にBGMが繋がれて演出効果が高いのは、テレビ朝日の30分番組「食彩の王国」です。つい先日1,000回を迎えました。最近まったく興味がそそられない長寿番組、「題名のない音楽会」の前に位置していて、音楽には映像にぴったりの選曲がなされ、何よりも制作者のセンスの良さを感じます。若者は自分の感覚を信じて音楽に接しますが、殆どは前時代に現れたものなのに認識がなく、音楽の質すらも下がっていることに気づかず、自分の趣味を押し付けるので困ったものです。
2023.11.06
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音楽大学を卒業して何をするかは、音楽大学で学んだ証をどう立てるかでもあり、音楽大学でクラシックの専攻にいたのであれば、卒業後にポップスが主になるのはどうかと思います。クラシックとポップスは全く異なる価値観にあり、両者を二刀流で実績を挙げることは難しいです。留学をして海外でコンクールで受賞したとしても、ポップス演奏では成果がリセットされてしまいます。音色が美しいことで聴きたい人は多いと思いますが、ポップス演奏を生業としているプロからすれば、”自分のほうが上手いじゃないか!”となります。せっかく積み上げた実績を下げる結果にならないか?学生の頃に行ったような活動を卒業後も続けること、それは更なる経験や研鑽を積む意味ではいいのですが、アンデパンダン的な活動は今の日本では衰退していて、発展性の乏しさ、集客率の低さから難しい状況です。それでも、コンクールやオーディション目的と重ね、アマチュアを中心によく行われています。音大卒業生のよくないところはプロ意識を備えていて、ソロではないアンサンブルでもプロ的に臨むことです。個人的には素晴らしい資質を持っていたとしても、異なる資質が集まれば音を揃えるのに時間が必要です。それだけのアンサンブル練習をできるのは、むしろアマチュアで、コンクールで力を発揮します。音大を卒業した後は時間的にも労力的にも、学生の頃よりも少なくなっているうえに、先生にあたる客観的に聴く立場の人がいないために、結果的に質が上がらないのです。そこで、質よりもお客が入ることや採算性を考えます。残念ながら皆が似たことを質と関係なくやっています。ここに芸術性や新しい音楽を創造することは不可能で、「いいね」を集め売れることが良いことになります。本来は個性的で得意とする分野における活動が望まれ、時代の趨勢に乗ったとしても質が上がることはありません。音大を出たのであれば研究分野の的をできる限り絞り、自らの芸術性を高める喜びを識る機微を味わうべきです。
2023.07.17
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嘗て介護施設や老人ホームによく呼ばれて演奏に行きました。鍵盤楽器を含む演奏を主としてしていたために、いつも気がかりだったのは現場にある鍵盤楽器の状態でした。実際に8割以上の現場において調律や椅子など行き届かない状態でした。事前にピアノの調律について主催者に訊いても、行ってみたら酷い調律状態だったということもよくありました。そこで、こちらから予算を捻出して事前に調律を行ったこともありました。調律しなくても平気なのは主催者側であっても聴衆ではありません。人によって年齢と共に聴力が弱くなることはあっても、音楽を聴く感性が衰えることはなく何歳になっても変わりません。調律が合っていないことをわかる人にとって長時間聴くのは気の毒です。音に対する感性は年齢によって変わるものではなく人それぞれです。調律や音が合っていないアンサンブルをどう感じるかも個人差があります。人によっては、音楽がないことを好み喧騒を嫌います。主催者が調律費を捻出できない事情は理解できますがピアノの状態にもよります。どんなに腕の立つソリストがいてもピアノの音と合わなければ台無しです。編成が室内楽であれば本来はコンサートホールでの演奏が望ましいのは否めません。コロナ禍前はアトリウムやロビーでの演奏も当たり前になりました。ホールとは異なり空間が広く反響板がなく天井が高いのが常です。多くの場所ではピアノを使う場合はマイクを使わなければ音が前に出ません。ピアノの音は上に上がり、他の楽器は前に出るため音の方向が異なります。室内楽においてはピアノパートが和声を担っていることが多く、ピアノが聴こえないと音楽のコンテクストが伝わらないことがあります。人は聴いたことのある曲では想像力が働きますが、そうでない曲は伝わりません。また、アトリウムやロビーは概して響きすぎで細部が聴こえにくくモヤモヤします。金管楽器やサックスなど音が大きな楽器とピアノの曲では、ピアノパートに繊細さは求められず、分厚い和音が中心で音数が多くなります。編成が大きいほどピアニストは大きな音で弾くことが必要になります。「作曲を教えるとはどう言うことか」「教えられるのか」と尋ねる人がいます。作曲においてもっとも重要なことは現実的な楽器編成を考えることです。最近は演奏者側の嗜好で同属楽器のアンサンブルが多いですが、何と言っても、和声的充足感を求めるには4重奏にするか、ピアノを入れる必要があります。しかし、音の大きい楽器が2本とピアノの編成はそもそも成立しづらいです。金管楽器やサックスが2本以上で f を出すとピアノは被られほぼ聴こえないからです。聴こえたとしてもピアノが ff で分厚い和音を奏した時で繊細さは表現できません。ヴァイオリンソロや歌、木管楽器を伴奏する場合はピアノも繊細さを表現できます。今流行りのストリートピアノは音響、調律のいずれにおいても問題が多く、弾いている本人は自己満足できますが、周りにいる聴衆は人によってそれぞれです。音響から言えば、繊細な表現は向かず大音量で演奏するしかありません。ピアノの音を聴くだけで満足する人もいると思いますが、自分にとっては騒音です。ストリートピアノとは鑑賞するものではなくテンションの共有、または雰囲気つくりです。しかし、聴き手のことよりも弾き手の主観が出過ぎていて公共の場で行うのは疑問です。また、パフォーマンスを完結するにはライヴよりも動画・編集が好ましく、YouTubeなどにアップされることによって存在感が出ると言えます。フラッシュモブもそうであったように、ライヴよりも動画にすることによって、絵画や写真で言うフレームを時間枠に置き換え、ストーリーが明確になります。さらに性能の良いマイクによって音を拾えばバランスを整えることもできます。テレビや動画にはライブでは考えられないような編成やバランスが散見しますが、ライブと動画は明らかに趣旨が別物であり、混同して考えてはいけないのです。
2022.06.13
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今回からは音楽のことを思いつくままに書こうと思います。音楽がアマチュアに委ねられたのはつい最近のことです。街中やどこでもここでも誰でもが演奏できるようになったのは、そんな昔からのことではなく日本では2000年を過ぎてからでしょうか。それまでは認められた人や限られた人でなくては、コンサートを開くなどということは許されませんでした。ヨーロッパでは早くから誰でもが音楽をどこでも演奏し、音楽やダンスは日常として皆のものでした。ただそれが本当に日常としての音楽か、芸術としての音楽か、それを聴く耳はヨーロッパの人は感覚的に持っていると思います。それはお金を稼げるか職業が何かということではありません。芸術としてどうかということです。残念なことに日本で多くは、音楽において芸術としてどうかという見方は、有料かどうか、演奏者の経歴や知名度がどうかということで判断され、あとは趣向として好きかどうかが聴くことの要因です。それでもプロとは何かというと、与えられたプロデュースに沿った演奏ができるかどうか、求められたシチュエーションで求められる音楽を演奏することができるかどうか、ということになってきています。今の世の中、学生を始めアマチュアはやりたいことができますが、それはその世界のことであって、あらゆるコンサートには企画意図が明確にあり、それを無視してやりたいことができるのはアマチュア、コンサートを開いても大した意図がなくやりたいことをできるのもアマチュア。音楽を志す人の方向性はきちんと出さないと、プロを目指すのであればそのギャップは大きいと思われます。
2018.09.12
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