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「好きな作曲家は誰?」と聞かれたら、迷わずアルフレート・シュニトケを挙げます。彼の音楽は本当に身に染み入るからです。旧ソビエトの作曲家はどれだけ苦労したのでしょうか。とてつもなく暗いのだけど、だからこそ素晴らしい音楽がたくさん生まれました。基本的に平和な世界でも暗いニュースはありますが、自分に押し迫る労苦はその比ではないのだと感じます。音楽で人を救うことなどできない、その悲しみを実体験として音楽にしたのではないでしょうか。古くはプロコフィエフあたりからショスタコーヴィチ。シュニトケは多様式主義でモーツァルトのような曲から、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチ、より新しい不協和。シュニトケは、心ある普通の音楽をつくれる作曲家でしたが、あえて受けるストレスで新たな多様式スタイルで闘いました。想像するに、彼は出せるものをその時々で出しかなかったのです。だから曲の幅広さが他の人には理解できません。これぞ芸術なのですが理論を体系化できる文献はありません。しかし、これを体系化する必要はあると思います。シュニトケは不協和音を自分のシステムとして世界をつくらずに、それをハプニングかのように万人が「あれ、おかしい」と思えるような、未完成の状態で音楽を提示しました。シュニトケはなぜこのような「聖しこの夜」をつくったのでしょうか。現代の日本でこれをクリスマスにかけても誰も喜ばないでしょう。このようなパロディがおもしろいというくらいだと思います。ハプニングやアクシデントを音楽に表した作曲家は他にもいて、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト、チャールズ・アイヴズ、ジョン・ケージ、マウリシオ・カーゲルなどの他に、日本では柴田南雄、水野修孝がいます。中でもシュニトケは筋金入りの芸術です。シュニトケの作風とはともかく何でもありのグローバルなもの。その洗礼を受けるのが交響曲第1番です。冒頭、このチャイムはどうやって叩いているのだろうとか思います。5’18”までは並々線の楽譜でカオスを演出したところ拍手まできます。しかし、ここまでは普通の現代音楽。そこからも割と楽しい部類の現代音楽が続きますが、時折協和音やどこかで聴いたことのあるような音が断続的に現れ始めます。遂に18'20"頃からおかしくなり始め、20’10”にはベートーヴェン「運命」が現れます。23'からはバロック様式に、そしてロシア趣味なマーチなどが現れた後、27’55”には完全にジャズになります。多様式を超えてジャンルも超えています。これはちょっとやり過ぎな感はもちろんあります。このような多様式を特徴としていたシュニトケですが、映画音楽もたくさん書いており、単なる変人ではないということがわかります。従来の非和声音、どんなに音をぶつけても音楽は健在であり、そのぶつかりこそが芸術なのです。Agonyとは「苦しみ」という意味です。こんなタイトルは今の人は誰も喰いつきません。だけどそれが芸術で、暗いとか明るいとかそんなことは芸術に関係ないのです。第1曲の4'30"まででいいのでとにかく聴いてください。3’21”からの弦楽器が圧巻です。これでシュニトケがわかります。1994年に留学先のパリから、ドイツのハンブルクに住んでいたシュニトケに連絡をしましたが、当時彼は脳疾患になったところで返信をもらえませんでした。シュニトケは1998年に亡くなりました。5
2019.06.09
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小学校の時に親から与えられたのがクラシック音楽レコード全集、そしてピアノを習うことでしたが、自分から望んだことではなく、ほとんど音楽に関わってこなかった親の憧れから与えられたものだと思います。当時田舎では男子でピアノを習うことは珍しく、人に言うのが照れ臭かった記憶があります。しかし、ゲーム機などがない時代に面白いと思う遊び道具がなく、ひたすらレコードを聴くのが遊びになっており、たまたまクラシックに詳しい友達が小学校におり影響を受けました。その友達のお父さんがマニアだったようですが、親や自分の取り巻く環境で生き方や趣向が全く変わるものだと実感した瞬間でした。中学、高校でとにかく全てが知りたくなり、FMラジオでまだ知らない曲はカセットテープに録音する所謂エアチェックを、高校時代には外盤を取り寄せるようにもなりました。高校3年から大学時代は作曲を勉強する意味で室内楽に集中しました。当時はレコード芸術誌なども読み特選盤になった曲を「次に買うリスト」にしたりしましたが、買いたいものが多すぎて当然追いつかなくなりました。今も配信サービスで当時よりは楽に探せるようになりましたが、本当にいいものや新しいもの、コアなものは当時と同じように広範に探す必要があります。30代前半までは実際に生のコンサートにも足繁く通いました。現代音楽のコンサートではしょっちゅう同じ顔ぶれの聴衆に会いました。このようなことは徐々に続かなくなり、コンサートに足を運ぶ以外は大きな収穫を感じなくなりました。しかし、今考えると常にクラシックの全容を把握することや、評論などをいちいち読んで、読んでもわからないことに興味を持つこと、またなぜその曲や演奏がいいと言われるのか考えることが大きな学習になりました。30代から50までは自分の仕事に邁進していましたが、さまざまな音楽家と知り合うこと、また忌憚のない意見を交わしたり、低い立場に身を置くことによって常にダメ出しを受ける立場こそ、思うことを実現できていないにしろ掛け替えのない自分磨きになったと思います。2004年から2018年まで受け持った演奏会実習ゼミでは毎月コンサートを行うことを実践し、学生の希望する室内楽曲を可能な限りコンサートにかけていく、ただ演奏するだけではなく曲について造詣を深め、演奏に対して検証する、明確な理由がない限り曲のカットや変更はもちろん認めませんでした。曲目に対して芸術的なリスペクトなしに演奏することは認めない方針でした。問題は楽器編成と演奏者がうまく調整できないこともあり、賛助出演や編曲することもあり趣旨を曲げないで実践することは毎回難関がいくつもありました。ただこの期間に今学生が注目している、あるいは課題としている楽曲、新たな室内楽のレパートリー、トレンドなどがよくわかりました。学生の趣向や考え方がわかり過ぎたくらいです。自分が学生の頃よりも学生の技術が格段に上がったことや、コンクールの影響などから知られていない楽曲へのトライなどが、近現代曲の演奏頻度を上げたのは確かです。同時にジャンルとしてクラシック以外のものを演奏しようとする、またそういった新たな楽曲が続々登場しているということがあります。30年前とレパートリーとして変わったことは、モーツァルトやベートーヴェンを試験で課されない限りは、プログラムに入れなくなってきたことがあります。学生の好む曲を選ばなければ、学生の方から指導教員を変えるなどのことができる環境になったことが理由として考えられます。反面、近代の曲目が多く取り入れられるようになったことで、あまり知られていなかったような作曲家が続々と取り上げられるようになりました。ロマン派では室内楽でもシューマンが圧倒的に取り上げられることが多いです。「3つのロマンス」「抒情小曲集」「アダージョとアレグロ」などで、オリジナル以外の楽器に編曲されていることも大きいです。フルート、サックスでは近代に加えポップス化した邦人作品が多く作られるようになりました。親しみやすいスタイルをとりながら程よいヴィルトゥオーゾティを持ちます。1990年代、吹奏楽を始め、同属楽器によるアンサンブルが普及し、多くの音大卒業生もアンサンブルに属することが多くなりました。そこで一般の人に聴き映えのする楽曲が求められるようになってきました。作曲を専門とはしていない楽器奏者の作曲作品が増えだしたのもこの時期です。楽器のことを本当に熟知しているのは作曲家ではなく演奏者であるということです。また、作曲家の個性や癖は期待せず、難解ではなくほど良く聴き映えのする曲を早く作って欲しい、それが演奏者の作曲家への率直な要望かと思われます。ただ皆が似かよった近代和声を基に内容はロマン派的で標題性が強く、さらには民謡を主題に用いたり、地方の伝説をタイトル化する傾向は、明らかに中高生ウケに流れているものの作風や個性との関連が希薄なように見えます。また、これらの作曲家や演奏家は宣伝ということでもあるとは思いますが、SNSの対象が年下であり、上の立場からのコメントを書くのが主流です。指導者としての立場になるのが憧れであったとしても、これが全体的な傾向であるところに音楽社会への危惧を感じてしまいます。現代音楽の分野では技法としては1970年代に出尽くした感があり、音楽史は1970年代あたりからの精査が難しくなっています。新ロマン的な作風を始めとしてさまざまな多様化が始まったと言えます。メシアンが1992年に亡くってからグリゼー、ミュライユなどのスペクトル楽派、リゲティ、グバイドゥーリナ、カーゲル、シャリーノ、ライヒなどが思いつきますが、それ以外の殆どの作曲家が作曲技法としてはそれまでに世に出されたものが主です。調性的な作品、調性を導入した作品が再評価されたり新たな作品もどんどん自由になり、手法は従来からのもので着眼点を変えた作品、コラージュを導入した作品が増えました。20世紀において現代作品が複雑で難解と言われる作風にゆき着いてしまったことがあり、音楽が娯楽や癒しとして普及し、たくさんの音楽プレーヤーがいる中、クラシックの延長としての現代作品がコンサートのプログラムに採用されづらいことがあります。1970年代から芸術としてより多く再演されるべき作品はたくさんあると考えられのですが、それにも関わらず半世紀経った21世紀の現在、音楽の発想は多彩でも手法は大きく変わらない現代音楽に、今後の発展性があるかどうか、その作曲家の固有の表現を全面に表出した芸術はまだあるのか、現代音楽に限らず、今の業界化している音楽界に、これまでのクラシック音楽における芸術性が不在になりつつあるように感じられるのです。
2019.06.05
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令和と共に復活しました。都知事が都内でバンクシーの描いたであろう絵を一般に公開しました。バンクシーが描いたものかどうかは問い合わせてもわからないようです。描いたとでも言えば、日本人は捕まえるかもしれませんから、このことがはっきりすることはないような気がします。しかし、バンクシーのものであるかどうかがいちばんの注目点で、この場合、バンクシーでなければ鑑賞する意味もありません。公開したとしてもバンクシーらしき落書きで人を集めるのみ。いかにも日本的で、その解明が本来優先。また展示するのであれば、何がバンクシーでどの程度解明されているか、バンクシーの問い合わせ方法がインスタグラムでしかないことも解説すべきです。この件について、嘲笑う人も多くその記事があります。http://blog.esuteru.com/archives/9305986.html再度になりますが、このようなメッセージ性、新たなプレゼンテーション、そこに利害関係がはっきりせず、匿名性でもある作品に、新たな芸術性を感じずにはいられないのです。現代音楽は昭和の時代からいくつもの新しい試みがあり、いくつもの内容の深い音楽があったと思います。しかし、今日では大半が演奏されなくなり一見忘れさられようとしている、と言っても過言ではないと思います。そして、特殊奏法などの演奏水準は上がるものの、インターネットを介した宣伝が巧みになり、過去は語られることがなく一過性に情報が広がリます。
2019.05.01
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パリにいた94年からの3年間、携帯電話やインターネットがまだ普及せず、固定電話の国際電話やFAX、手紙、特に絵葉書で日本とやりとりしていましたが、教員を5年してから行ったこともあり、日本から多くの人が訪ねてきてくれました。コンサートにもよく行きましたが美術館にもよく行きました。自分の所望する音楽がパリでどのように活かせるかは難しいことでしたが、美術からのヒントがそれを確信に変えてくれる気がして、日本のガイドブックにある美術館は全て行きました。中にはマイナーなものや観光的な博物館もありますが、行けるだけ行った結果、やはり名の知れた美術館が素晴らしく、ガイドブックに載っていないところはそれなりという結論でした。ルーヴル、オルセー、オランジュリーにはそれぞれ10回以上は行きましたし、現代アートのポンピドゥセンターは特に関心がありました。家から近かったマルモッタン美術館のモネを見てから、モネの家のあるジヴェルニーにも何度か行きました。美術の変遷は音楽のそれと密接に関連があり、美術が音楽よりやや先の時代を進んでいます。ピカソが人生の中でスタイルを変えていったことが、ストラヴィンスキーのそれと似ていること、今日本でも有名になった、構図がキャンパスからはみ出ているナビ派を、サン=ジェルマン=アン=レーのドニ美術館で見たこと、モディリアーニ、カンディンスキー、クレーから、キャンパスを切ったりしたフォンタナなど、近現代の作風や変遷に音楽と同じくらい興味がありました。例えば、ルノアールやモネのような印象派と、ドビュッシー、ラヴェルの印象主義と言われる作風には共通点を感じます。そこで自分との関心で気づいたことが、エルンスト、ダリ、マグリットといったシュルレアリスムにあたるものが、音楽には唯一欠落していることでした。もちろん絵画は見える具象であるわけですから、抽象である音で表現したりすることは、音楽そのものや聴き方の概念を変えたり固定する必要があります。しかし、絵画によって自分のやりたい意欲がますます湧きました。もっとも大きな問題点は、絵画であってもシュルレアリストの作風は明快なスタイルはあっても、筆致や技法というその人のレトリックを持っているわけではないことです。その意味では同じ主義の画家はともかく、美術界全体としてそれを簡単には絵画と認めないのではないだろうか、もちろんアカデミックな部分で絵が下手では描けないことですが、新しい絵画として認めるだろうかということです。シュルレアリスムは20世紀前半までの過去の作風と言った音楽評論家がいましたが、留学していた頃から四半世紀が過ぎた現代、まさにその系譜をたどっているのがバンクシーです。バンクシーの絵は簡単に真似できてしまうでしょう。しかし、そのメッセージ性と存在するコンセプトが芸術です。都内で見つかったそれらしき絵は上のものではありませんが、どうやら本物のようです。落書きと作品を分別した都知事は責められていますが、芸術をどう考えるかというとても良い機会とも思います。
2019.01.19
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ここまでの人生、自分はわざと何でも言われやすいポジション、相手の目線に合わせることを得意としていました。そうすることによって本音を引き出せ、教育的には適切なアドヴァイスを送れると感じていました。パリに留学していた時に知人のピアニストが、ロン=ティボー国際コンクールの1次を通過し、2次に課されたフランスの新曲について曲の相談を受けました。その作曲家の名前や作風を知らないまま、楽譜を見て簡単な分析や楽譜上の解釈を考えたわけです。出版された楽譜でしたがミスもあり、楽譜上から読み取れる収穫はありませんでした。その時にそのピアニストが話したことのもっとも大きな話題は、自分が心酔している3次の曲の練習をもっとしたいのに、なぜこんな曲に時間を割いて煩わされなければならないか、とのことでした。当時、1996年の日本ピアノ指導者協会、ピティナピアノコンペティションの特級課題曲に拙作「ピアノのためのエッセイ」が選ばれ、日本では特級のコンペティションを受けたピアニストが、ちょうど同じことを考えていたのではないかと思います。留学は1997年まででしたので、その曲を演奏したピアニストの意見を聞くことがないどころか、演奏も後々にビデオで見た程度です。現代音楽の作曲家にとって自分の曲が課題曲になるというのが、もっとも幅広く知られることのひとつであると思います。しかし、そのコンクールの参加者にとって、その曲を演奏することが実りとは感じておらず、作曲者と演奏者のギャップは大きいことが多いと考えられます。要は本当にすばらしい課題曲が選ばれることです。作曲で留学することの利点は、自分が立ち会わなくても世界中のどこにでも曲を出せることです。自分の作風はその当時に現代音楽の最前線では難しい状況を感じていましたが、日本には仕事もコンクールも両立できました。ピアノデュオ協会作曲コンクールや吹奏楽の朝日作曲賞入選(2位)を留学中に取りました。残念なことは演奏を一切聴けていないことでした。作曲家はつくったらちゃんと演奏や演奏者の意見を聞くことは必須だと思います。その意味で多少のお金になっても進展はありません。
2019.01.10
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洗足学園の教員になった時から学校から何度か留学の話がありました。それは学校の給費で3年間の予定で留学するというものでした。とても恵まれた話だったのですが、作曲を自分の思いどおりにしていたこと、また仕事としてとても順調にいっていたことから明快な返事ができていませんでした。当時の現代音楽の理想形として自らの語法を開拓することを目指すことはできても、自分の環境から考えて多様式の音楽を作ることは揺るぎないものになっていきました。ただ、このかたちは現代音楽から外れているとも考えられます。そこで留学と考えた際に、学べる多様式の作曲家はアルフレード・シュニトケただ一人でした。しかし、自分の師がフランス系であったことからフランスを外すことは考えられず、当時ロシアからドイツのハンブルクにいるという話であった、シュニトケのもとに行けないことはわかっていました。その意味で留学を躊躇する気持ちはありましたが、1994年に渡仏することになり武者修業の留学が始まりました。3月にオーケストラ曲「新多様式空間」が東京文化会館で初演され、多様式で書いていた「草野心平の詩による3つの最期の歌」(メゾソプラノ版)が、奏楽堂日本歌曲作曲コンクールの第1回に入選したため、その本選会があった5月24日まで日本におり26日にフランスに渡りました。奏楽堂の作曲コンクールは第1回で打楽器を伴奏とした、もっとも歌曲らしくない自分の曲が約200曲の中から本選に残り、聴いた人にはじゅうぶんに異端としての印象がついたことと思います。また1位の方は当時在職中の桐朋学園大学の50代の准教授でした。そんな鳴り物入りのコンクール後の受賞レセプションでは、自分の曲がコンクールの発起人の黛敏郎氏、審査委員長の林光氏には好まれておらず、もう一人の審査員・間宮芳生先生のみが推してくださっていることが感じ取れました。打楽器パートのある箇所について、新しいか古いかとの意見が審査員の中で分かれ、かなり緊迫した口論になったことを憶えています。推測ですが、いろいろな人から跳ねっ返り者と思われていたと感じられながら、自分としてはどうすることもできぬままフランスに渡りました。一から新たな作風の作曲家に師事することはどうしても考えられず、フランスの特定の先生に就くことはしないことを日本の先生とも話していました。また、フランスの日本人の作曲家に就くことは許されませんでした。それまでの作品を持って道場破りのようにさまざまな作曲のもとへ1度だけのレッスンに行く、しかし自分の作風を認めてくれる著名でアカデミックな作曲家はいません。そんな生活の中、ハンブルクへも何度か行きシュニトケの所在がわかりました。しかし、彼の病状などから会うことはできませんでした。では、作曲ではなく和声などのエクリチュールで師事する選択肢もありましたが、池内友次郎先生のもとではやる和声の課題がなくなっても師事していましたし、対位法も8声対位法までみっちり行い先生から修了の声をいただきました。それでこのような勉強がよくできるかと言われるとそれほど自信がありませんが、池内先生の考えていらっしゃった真理はじゅうぶん習得できたと思いましたので、フランスでそれ以上やろうとは思えなかったのです。当時パリのPassyに住んでおり、近くの歩いても行けるRadio Franceの現代音楽祭、毎年2月に行われるPrésenceには毎年全ての公演を聴きに行きました。テーマ作曲家が毎年フランス人ではなく、外国からの空気を採り入れた、とても貴重な経験であったと思います。95年がリゲティ、96年がカーゲル、97年がグバイドゥーリナでした。96年にカーゲルのティンパニ協奏曲が演奏され、協奏曲の最後に唯一使われていなかったティンパニを叩くと、皮が破けてティンパニ奏者の頭がティンパニの中に入るという演出でした。カーゲルのトリック性はそれまでも知っていたのでさほど驚きはしませんでした。音楽の指向性として共感できるのですが、習いたいとは思えませんでした。グバイドゥーリナは作風をして共感でき自分の考えをわかってもらえたかもしれません。目の前で話はできましたが、残念だったのは97年3月初めに完全帰国する直前でした。そのほかにも書きたいことやエピソードは本当にたくさんありますが、大きな出来事としてパリにいた著名な作曲家、エディソン・デニソフが96年に亡くなりました。その時に奥様からいただいた手紙がありますので載せます。1997年1月3日私の夫エディソン・デニソフが深刻な病気で1996年11月24日に、亡くなったことをお知らせすることを残念に思います。あなたの難しい仕事における健闘と成功を祈っています。エカテリーナ・デニソフ
2019.01.02
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1989年から1994年の5年間は20代後半から30代で、大学を卒業後ストレートで、洗足学園、尚美学園の講師もしながら、たくさんの仕事をした日々を送りました。その間にコンクールを受けてもいました。1991年からは多様式性を採り入れた作風になりましたが、それでも多くの委嘱を受け新しい作品を発表することに遑はありませんでした。テレビやJ-popの仕事も請け負いながら、中でも影響を受けたのは日本オペラ振興会のオペラ「天守物語」の、地方公演用アレンジをした時のこと、作曲者の水野修孝先生もジャンルを超えた作風であったため、本当に共感できる仕事になりました。また、舞踏の山海塾・蝉丸さんとのコラボレーションにおいて、音楽についてのたくさんの話をしたことが大きかったように思います。この時期に名だたる人との人脈はできました。自分は作曲家の中でも何でも忌憚なく言われるタイプのようです。現代的な作風について迷っていた自分に、在京プロオーケストラの重鎮からは旋律による叙情性を勧められ、現代音楽における多くが荒唐無稽な論理として批判されていると諭されもしました。無調音楽は文法をなくした文と同じく、もはや単語として意味のない音の羅列において、どれだけの意味を持たせるかということでもあります。例えば単なる12音技法においてそこから意味を見出すことは難しい、そのようなことであろうかと思います。ただし、そこに何かしらの別の文法を当てはめた時に音楽が成り立つと考えられます。そのようにして多くの無調音楽がつくられているわけですが、その文法が数学的、生物学的などの論理で音を連ねた場合に、音楽として成立するかという意味で苦言をいろいろいただいたわけです。先日、区とある音楽大学が共催した「音(楽)のかたちをもっと知り、いまを聴く」という講演会に、自分の認識を確認するために行ってみました。そこで講師で来ていたのはその音楽大学の准教授で作曲が専門でした。内容も20世紀の音楽から現代の音楽を志向するものを考えるという、興味深いものであったのですが、音楽史を学生相手に説明しているような、専門用語をマメに説明せず大雑把にすっ飛ばしていく内容で、説明しづらい箇所は語尾がはっきり聞き取れないようなものでした。おまけに配布されたレジュメの半分しか説明できず時間切れという、今時こんなお粗末な講演があるのかと目を疑いました。このような講演は現代の音楽の聴き方を示すレクチャーとして、とても有効なものであるにも関わらず肝心の21世紀の音楽が説明されず仕舞い。結局現代音楽の理解には繋がらないと感じられました。また、人によって感じ方はそれぞれですが、その講師は12音技法については難解であるという位置付けをしていましたから、講師の考えがそもそも先進的ではないこともわかりました。現在12音技法の曲を進んで演奏する演奏家の数は本当に少ないのは確かです。音楽史的な意味と作曲としての意味がある時、あるいは仕事でなければ、演奏されづらいものであることは確かだと感じます。純粋に12音技法による楽曲の演奏は大学院でも本当に少ないと思います。全体を通じて感じたことは、自分が知っている1990年頃の音楽史と、この講師が説明しようとしたことはほぼ同じであるということです。四半世紀の間、なぜ音楽史の大きな発展はなかったのかということ、それは今の時代や社会に理由がありそうです。
2019.01.01
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15日朝日新聞の天声人語が、妙な日本語がプリントされたTシャツのブランド、日本では有名ではないが欧米では有名な「スーパードライ」のこと、さらに韓国の音楽グループがキノコ雲をプリントしたTシャツを着用したことから、「無知ゆえに誰かを傷つけていないか」「踏みつけていないか」と戒めています。心情を察する文化を発信することは日本的だと思います。そのようなものの考え方が基本にあるのが日本人なのです。このTシャツの件はまさしく抗議すべき事柄だと思います。問題は天声人語の最後「無知ゆえに誰かを傷つけていないか」の箇所です。移民を受け入れる、外国人技能実習を行う、労働力として外国人を受け入れることは、とても先進的でこれからのグローバリゼーションという言葉で美しく象られますが、実際的には自国の後継者を育てるのも難しい時代に、言語、文化や風習の異なる外国人を一挙に受け入れられるでしょうか。表向きに新たなことを打ち立てても、実際に受け入れる当事者でなければわからない労苦も多々あるでしょう。例えば、隣国から数千人規模で自分の住んでいる町に人が押し寄せてきたらどうでしょうか。今アメリカの直面している問題はトランプ大統領でなくても強硬しなければなりません。また、日本は原爆や原発事故を実際に経験している国として発信していくことはたくさんあると思います。しかし、それを知らない国や地震の少ない国は同じ心境になれないこともあるでしょう。そこで考えたいのはその事実を感情や心情で言うのでなく、確かな裏付けと議論をする余地が必要だと思います。多くの日本人は原発を好きではないと思います。地元に原発ができると言われたら諸手を挙げて反対するでしょう。しかし、原発をなくすことができても電気をなくすことはできないわけです。コストや現実的な稼働力で他の発電方法でカバーできれば原発はなくなると思いますが、そうでなければ北海道地震の時に起きたブラックアウトの状態が起きるわけです。現実は従事する人の努力と知恵のみが頼みの綱であり、実際はいつも切迫している状況ではないでしょうか。一面のみを切り取って感情的にものを言うのではなく、そのことに従事している人から情報を集めた上の議論が必要です。
2018.11.21
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生きてきた長さにも影響するかもしれませんが、人の話したことが琴線に触れることが多くなってきました。先月29日の新聞広告になっていた故樹木希林さんの言葉。建前ではない物言いは稀有な存在でした。絆というものを、あまり信用しないの。(略)/だいたい他人様から良く思われても、他人様はなんにもしてくれないし(笑)/この2つの行が世の中というものを表していると思います。自分が自分であるために生きる、それが表現者の生き方でもあります。それ以外の仕事を持つと、表現者としてまた別の顔を持つことになります。誰をそれほどあてにすることなく、自分を崩さない生き方、それこそが音楽を通しても必要ではないかと思います。そして、老人の跋扈が、いちばん世の中を悪くすると思います。/とも。跋扈しなくても慕われる術を持てるといいのだと思います。権威をかさに着たり、上っ面や綺麗ごとで媚びる大人にはなりたくないのです。
2018.11.15
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日本の文化は時候の挨拶や終わりの挨拶が手紙にあるように、本音と建て前を区別する風習があり、時代は移れどそのことは今でも変わってはいないと思います。これは悪いことではなくまずは相手を尊重したり、本意ではなくとも流れのうえで忖度するなど、極めて大人的、成熟した社会でなければできないことだと思います。ただ、現実にはそれを「綺麗ごと」にしてしまわれることが多いのです。例えば健康保険料は病気にかからない人にはそもそも高いわけですから、何か少しでも具合が悪ければ病院に行くのは当たり前です。しかし、医師の数が少ないか労働時間を減らすために、この数年で救急でも時間外で診療を受けるだけで高額な金額を取られるようになりました。その甲斐あってか、平日の外来と時間外での来院者数は比べ物にならないくらい違います。そこで困るのは本当に救急で診療を受けなければならない人です。また連休を増やすことについても同じことが言えます。2019年の5月に10連休があっても病気になったらたいへんです。学校も休みになり4月に学習したことはリセットされます。消費税が10%になりキャッシュレス化も進んでいるかもしれません。お札を新札に変えたり、袋に入れて気持ちを伝える日本文化ですから、カード払いが根付かなかったことがわからないでもありません。しかし、国際的に遅れているカード払いを急速に推し進めているのは、オリンピックの外国人への「おもてなし」であって、日本人、こと高齢者や弱者は置き去りにされています。「ありのままでいい」「信じていればいつか叶う」ほど世の中は簡単ではなく、自殺者やいじめが年々増え続けているのは事実です。まじめに信じて働いても思ったほど収入が得られない、認められない、そのような日常の不満をなくすことが必要なのだと思います。本音と建前を理解して、社会をよく見なければならない時代です。
2018.11.13
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10月29日付朝日新聞の天声人語にゴッホの話があります。ゴッホは強烈な個性の持ち主ですが、ミレーを始め有名画家たちの模写をたくさん積み重ね、浮世絵の研究も重ねていたそうです。著者は「模写を重ねる先に独自のびが生まれる」と言いますが、まさにそのとおりで新しいものはさまざまな様式美を知った先に、自分のものが生まれると考えます。ここから話は人工知能(AI)の話になります。AIは肖像画15,000点を分析し、その結果黒っぽい背景に、輪郭のぼやけた人物を描き、どこかで見たような新味があるような絵だったそうです。その上でAIがゴッホに欠けるものがあるとすれば情念であり、芸術を芸術たらしめる心の働きは人間だけが持つものだと締めています。これは音楽に置き換えてもたいへん興味深い話です。まずたくさんの音楽を分析的に聴くことは人でもできていることだと思います。ただ趣向で好きな曲のスタイルを聴くのではなく、馴染みのないものや聴きたくないようなものの魅力を分析的に探る必要はあります。仮に今風に自由に音楽を聴く、単に好きなものを好きなだけ、分析的ではなく感覚的のみで聴いたとしたするとAIには敵わないでしょう。反面、音楽は理論で割り切れる部分がありますが数学ではありません。AIが間違いのない和声学による音楽が作れても、情感や音楽から受ける心地よさを理解することは難しく、それをAIに的確にプログラムできることはできないと思います。ただ、古典派やロマン派、12音技法あたりまでは似たものは作ることができそうです。また、現代の音楽では情感や心地よさは必要ないと考える人はたくさんいます。しかし、前例のない新しい語法、スタイル、作曲法を作る場合、AIができることは人が方向性や指令を出したプログラミングされた音楽しかありません。調性音楽を徐々に崩していった音楽の発展、偶然性や電子音楽も超えた、新たな音響と言うよりも新たな概念が必要とされていると思うのです。
2018.11.12
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何か新しいものを作り出せた時、また新しい発想を持てた時に何が大事かと言うと、それをいかに公に出せるか、わかる人がそれを認めるかということです。多くの場合、わかる人や理解しようとする人が周りにおらず、そのうち他の人が同じことをした時にその人が最初であるとされるのです。以下は新しいことではありませんが、そのようなことに関わる自分の話です。平原綾香さんに「ジュピター」(ホルストの組曲「惑星」より「木星」)を、当時仲町台のキャンパスで平原さんの履修していた授業「音楽概論」で採り上げたのは、彼女が大学1年ジャズコースにサクソフォーン専攻で入学した4月の授業でした。その年の10月には「ジュピター」が街中のチェーン店などでかかっていました。その月のテレビ朝日「ミュージックステーション」で授業で聞いて歌いたかったと明かしました。それ以来、今日もテレビ朝日「関ジャム」でカバー曲の話題や特集があり、その度にどのようにその曲を歌うことになってヒットしたかという話が出ますが、今回も「ジュピター」のプロデューサーから明確に固有の授業で聞いたからという話は、あえてされなかったような気がしました。特に採り上げられたり認めてもらいたいわけではありませんが、授業で聴いたとなって「誰から?」となるのは何かと良くないということでしょう。これは一例ですが、何かが生まれる時に正しく伝わるかどうかは、歴史上の出来事も含めて真実かどうかわからないこともあるでしょう。同じ内容のことを発するとしてもその発する人、また取り巻く環境によって、認められたり認められなかったりということが往々にして起こり得ると考えるのです。
2018.11.12
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音楽を手段として何か音楽の仕事に就くこと、音楽を手段として人とか関わること、音楽を手段として生きていくことと、音楽そのものが素晴らしいこととは一線を画しています。クラシックの作曲家を始め、歴史の偉人が本当はどのような人物であったか、どんな性格であったかと考えた場合に、日本の場合はほぼ美化されているのではないでしょうか。一般的に曲を聴いていいと思った時にその作曲者や演奏者の性格までは考えません。あるいはその曲を課題として与えられた場合に、作曲者のことがわからないこともよくあります。元来本当に音楽における栄誉とはそのようなものでヒーローや英雄とは異なります。本当に音楽において革新的で新しいものを作り出した時、それは仕事に就くことでもなく、音楽を手段として人と関わることでもなく、それを手段として生きていくことでもありません。その音楽を真にサポートしてくれる人、広めてくれる人が必要なだけです。仕事に就くこと、人と関わり皆にリスペクトを求めること、音楽を手段として生きていくことは重要ではなく、その新しい音楽を真にサポートして広めてくれるマネージメントに出会うこと、それこそが最も難しいことであり必要なことなのです。これは21世紀に入ってまさしくそうなったことで、情報が掌握できていた1970年頃までは異なっていました。何が素晴らしい芸術音楽であるか、音楽史として成立していました。それ以降、情報が錯綜し世界すべての音楽を掌握できる学者はおらず、ジャンルのクロスオーバーにより価値観の是非も問われることになってきました。そこに台頭するものは一定の美学から認められる芸術よりも、プロデュースにより仕掛けられた音楽の台頭です。そのことは明確であろう記事もあります。クラシック音楽の流行はメディアが規定した
2018.10.17
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音楽の売れるか売れないかは大雑把に言ってしまえば食文化と同じ、ファストフードや大手外食チェーン店のような内容が売れて、そこにしかないような本当に新しい食べ物は売れにくいわけですが、優れているか優れていないかということに耳を向けてもらいたいのです。食の味わい方と音楽の聴き方は似ていると思います。ただそこにいわゆる「アート」という言葉が使われ、本当に「アート」が理解されているのであれば捨てたものではないです。因みに今日音楽で使われている「アーティスト」という表現は、元来の芸術家という意味ではなく以前使われていた、「ポップス歌手」「シンガー」だと思います。振りや照明、音響、スクリーンなどを含めて「アーティスティック」なのでしょう。今まで飲食される空間で幾度となくコンサートをしてきました。これが、もし自分が逆に飲食している立場だとすると音楽は必要ないです。音楽は趣向が強くてさらに今聴きたいものが聴きたいことや、生演奏などだと増して食べることに集中できないのです。本当に理不尽ですが、自分の場合はそうです。海外で音楽の鳴っているレストランは多いでしょうか。ビアホールのようなショーを見せる場では生演奏がありました。ディナーショーにお客で行ったことはありません。音楽がその店で演出的に使われることはあると思います。まったく自分の趣味ですが、アラブやアジアの国の料理を食べる店でその国の音楽がかかっていたり、また先日入った喫茶室「ルノアール」では明快に、モーツァルト、ブラームス、グリーグなどがかかっていました。あとは音色的なだけで明快には聴こえない演出などがあり、これらは演出として受け取れるので大丈夫です。趣向も大きいのですが、音量が大きい場合や、電子音による安っぽい音、安っぽいアレンジ、うまくない演奏だと次は行きたくなくなります。このように世の中にはいろいろな人がいます。音楽を本当に聴いてもらうには、できる限りの音楽的内容や情報を知らせ、聴く目的で集まっていただくのがいいと思います。学校、病院、介護施設、ホテル、カフェなど、そこにすでにいる人たちの前でコンサートをして、そこにいる人すべてが音楽そのものに共感することはないと思います。それができるとすれば、被災地でのコンサートなど、強いメッセージ性があり、言葉が通う時です。音楽のクオリティというよりもむしろ気持ちを伝えることが大事です。
2018.10.12
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本当にいいものが残る文化とは何か?ヨーロッパと異なることは、芸術としていいかどうか、そのような尺度で考える習慣が日本人には少ないことです。高くてもそこでしか食べられないものをわざわざ食べに行くよりも、安くて美味しいものを良いとする価値観が主導権を握り、それを良いとして報道する文化なのだと思います。新しいもの、芸術としての音楽は作曲家の意図があり、言葉として説明がつくものなのですが、そのような理屈が音楽には必要がないということ、感覚的にいいかどうかのみで捉えるということが現実だと思います。もちろん感覚的にいいかどうかで聴くことがNGではないと思いますが、その曲が意図したこととは関係なく何かのBGMとして再利用されることは日本的で、無調音楽であるだけで不安や緊張、殺戮、犯罪などのBGMに使われるのです。少なくともクラシックの作曲家の音楽表現は、絵画と同じくそれぞれに意図があり何かのBGMとして使われるべきものではありません。詩がある歌曲や合唱曲ならば言葉として理解されるためBGMには使われませんよね。問題と感じるのは、音楽がそのような画一的な捉え方で蔓延しつつあり、美術のような芸術的視点が以前よりも少なくなってしまったことです。
2018.10.07
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サティがどうしてその業績を残せたかということです。「ジムノペディ」がいかに名作であっても、当時の時流としてはやはり後付けかと思うのです。サティは論理的にそれまでの芸術音楽を否定し、それを冒涜するまでの批判と風刺を表す音楽活動を行ったのです。忠実に集まったのがフランス6人組でした。急速に前衛化する1910年頃のフランス音楽界は、ストラヴィンスキーをはじめとする新しい音楽が席巻し、シェーンベルクは徐々に12音技法を確立するに至っていました。そんな中、サティは音楽を残すというよりも、反骨精神に満ちた音楽と言葉を残したわけです。そのひとつを最近動画にしました。サティの曲にどれほどの意味があるかはわかりません。しかし、当時フランスで潮流に乗りつつあったシュル・レアリスムの画家、ジョルジュ・デ・キリコが頭角を現したことを意識したのではないか、曲からは曲想と関係ありそうで微妙に外すわけです。その顕著な例がこのピアノ曲「干からびた胎児」です。その中の「無柄眼類の胎児」がこの動画ですが、楽譜には音符以外にコメントが書かれていて、中には実在しない「シューベルトのマズルカからの引用」ともあり、楽曲の内容よりもタイトルやこのコメントのギャップで曲が残っているのです。この「干からびた胎児」の前の年にやはりピアノ曲である、「犬のためのぶよぶよした前奏曲」を作曲し出版に際し出版社から断られ、「犬のためのぶよぶよした本当の前奏曲」を続けて作曲しています。この執念こそがサティの真骨頂ではないかとも思います。サティはそれまでの音楽、また台頭した前衛をも否定し、新しさではないその独特の主義を主張していたと考えられます。決してパロディなどという単なるユーモアではないと確信します。エリック・サティ/「干からびた胎児」より第2曲「無柄眼類の胎児」
2018.10.05
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音楽、演奏をどう位置付けるのか、どう臨んでいるかを言葉で表すことは大切であると思います。それはコンサートのタイトルであったり、曲のタイトルもそのひとつです。無難で綺麗なものが便宜的なものが多いように思いますが、より具体的で切実、新鮮で印象に残るものでなければ、個性的、新しいと言うイメージはないかもしれません。名曲、名演奏であってもそれを位置付ける言葉があって、知らない人の記憶に残り広がりを見せるのではないかと思います。シェーンベルクは作品そのものよりも12音技法という、それまでの音楽とは異なる考え方を示したことで知られています。サティは「ジムノペディ」「ジュ・トゥ・ヴ」などなどよく知られている曲もありますが、一方でそれまでの音楽理論に沿わない手法や書き方で、ドビュッシーやラヴェルと共にいろいろ行った人です。それまでのことを打ち壊したという意味では共通しています。ドビュッシーは新しい和声法でもありましたが、フレーズの作り方、流れそのもそれまでの音楽とは逆と言ってもいいくらい、まったく新しい世界を持っていて天才を超えて宇宙人のよう。ラヴェルは古典的な枠組みの中で独自の和声法を展開、構造が緻密で音色の重ね方も斬新で美しい、それは魔術師のよう。それに対して、シェーンベルクやサティは理論の提示であり、その理論=言葉が従来のメロディ、和声、拍子などの意味をなくしました。それだけでは「だから何?」「音楽?」と言われることもあるでしょう。しかし、考え方が後世に多くの影響を与えたことがソリューションと言えます。今は後付けでそのように偉大な作曲家と受け入れられるわけですが、当時にそのような作風を出していくことは相当なエネルギーが必要でしょう。サティが異端児、変わり者呼ばわりされるのは至極当然かと思われます。しかし、どのようにその注目を集め維持できたかということです。そこが知りたいところなのです。
2018.09.28
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自分の周りを見渡して本当に見てくれている人、 また、自分の音楽を好きでいてくれる人、 自分の親を含めた環境、周りの人が音楽を育ててくれる。 しかし、自分にチャンスをくれる人は本当に少ない。 普通はいないかもしれない。 20代の頃は皆が友達で音楽の盟友として仲間であって、 音楽家としての期待値としての株価も高い。 先生や親も何かと援助してくれることが多い。 ところが本当の音楽家として物心のつく20代後半、 周りはその方向性について徐々に着いていけなくなる。 それは生き方として音楽は独特だからです。 瞬時に大成するわけではなくうまくいっても一時的なこともあり、 具体的に何を目指してどのような研鑽を積むか、 それが本当に個性的で独自な音楽であればあるほど孤高であり、 周りは見守ることしかなく離れてしまったかのように感じるでしょう。 結局認めてもらうためには自分の言葉と行いしかありません。 いくらいい曲をつくりいい演奏をしても、 その先はわかる人に聴いてもらって何より言葉が必要です。 音楽を聴くことは趣向が強いのは普通のことで、 よくできている、上手いから聴きたいわけではありません。 音楽にソリューションが必要でそれを語ることがいると思っています。
2018.09.25
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そろそろ核心に向かいます。演奏も作曲も同じことは、学んだことをまっとうし完成度を高める、そしてコンクールやオーディションなどを極めるわけです。本当に力をつけている状況ではありますが、そのソリューションがほとんどないのが世の中の現状なのです。つまり次をつくるのはやはり自分なのです。それはそのコンクールやオーディションの結果が次を生むのではなく、その人を取り巻く環境や周りの人の方が大きいとも言えます。もちろんそのことはその人の別の実力であると言えます。現代音楽を長年見ていて感じるのですが、音楽史や教える題材そのものは昔からそれほど変わっていない中、20世紀末から新しいものや実際に素晴らしい作品は、今先生と呼ばれる人たちがたくさん残してきたものの、ヨーロッパで認められなければ位置付けされにくい現状があります。それは音楽史の本くらいに載っていなければ認知されていないということで、残念ながら過去に聴いたことのある音楽や手法のものがほとんどです。ただ、本当に新しいことは誰かが広げてくれるものではありません。本当に新しいものを新しいと理解できる人はほんのひと握りです。多くの人にとって新しいかどうかは関係なく、新しいかどうかもわからないでしょう。しかも、主流でないことや異種のものを手放しで認める社会はないように思います。それは演奏において、コンクール以外ではどれほど上手いかが、聴き手にとってもそれほど問題ではなかったりわからないのも同様です。また、逆に仕事としてニーズを優先して易しいものを演奏しても、背伸びして難しいものに挑戦しても一般的な聴かれ方はそう変わりません。初めての聴き手はその音楽や演奏をその人そのものとして解釈します。
2018.09.24
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では、音楽で新しいとは何か?現代音楽は一時に比べさらに新しい音を追求するようになったと感じます。20世紀末に現代音楽のルーツの中に新ロマン主義的な手法があったり、調性への回帰が目立ちました。しかし、今はさらに特殊奏法を推し進めた作風が多く聴かれます。ただ特殊奏法の歴史は浅いものではありませんので、それが今ようやく熟成しつつあるのか、その新しい音響の中から何を見出せるのか、イズムとして到達するのか、興味深い局面にきているように思います。しかし、真に新しいと言えない新しさとしては、日本で言えば日本民謡など、民族音楽由来の曲です。これは親しみやすい、作曲動機として喜ばれやすいわけですが、やはりスタイルや語法として新しいかどうかによると思います。他に、ジャンルや珍しい楽器の融合、同属楽器アンサンブルが挙げられますが、前述のようにバランスや音楽的要素が損なわれたりしないかと、伝統的な美学の上に成り立つかが大きいのです。作曲的には楽器編成は大きなコンセプトのひとつとなりますから、ただ面白いということで合わせることは疑問です。本当に新しい独自の効果がコンセプトとして必要なのです。
2018.09.23
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では、ここでいう新しいとは何かということですが、芸術として新しいのはただ新しいとか珍しいということではなく…ラーメンにカレーを入れたら美味しかったとしても、ラーメンにマヨネーズを入れられる可能性はあるのか、ヨーグルトを入れられる可能性はあるのか、それもどちらかの味が強いと成立はしないなど、数々の条件を経て新たな絶妙のブレンドと味覚が生まれるのです。食べ物の場合は民族によってかなり異なりますが、美味しいと思うかまずいと思うかがそう変わらなければ、あとはそれを食するチャンスがあるかどうか、それが食通やレストランオーナーなどに広まるかどうかということです。しかし、真に新しい食べ物や味わったことのない味覚、見た目のものを食べようと思う人はなかなかいないかもしれません。そこで有名なレストラン、名の通ったシェフが作れば売れ行きは変わります。しかし、本当に美味しいものは知らない所や家庭にもあると思います。このことは音楽にも共通しています。ただ音楽は聴いて栄養がついたり空腹が満たされるものでもなく、趣向がより幅広いことから状況をより混沌とさせています。21世紀に入ると音楽を聴く人よりも演奏する人が爆発的に増え、音楽は選ばれた人の演奏を聴くものではなく自分が演奏して楽しむものになりました。このことから共通の楽器や同族の楽器で演奏することが増えました。しかし、同族楽器で演奏する時にその編成と音域、バランスは、整えるにかなり難しいファクターとなります。クラシック音楽の伝統から考えて、従来の楽器編成より作編曲的にオーケストレーションは遥かに難しいのです。そのような今日、新しい芸術ということを考えることは、需要のある音楽と芸術音楽との間にますます格差をもたらしていると感じます。本当は誰も食べたことのないような最高の料理を作れるお父さん、お母さん、そんな演奏家や楽曲が家の中の人を喜ばせるだけのものになっているかもしれません。そのような時代が決していいとは思えず、やはりヨーロッパのように芸術音楽の素晴らしさを皆が知り、それを踏まえた上で音楽の方向性を今一度考えていいと思うのです。
2018.09.22
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ジョリヴェはメシアンと同世代で共に意識していました。メシアンが特にジョリヴェに親睦を求めました。ジョリヴェの作曲法は論理的ではあるのですが、それまでにあったものを引き継ぐものではなく新しいものでした。しかもそのジョリヴェならではのものを生み出すにあたって、原始的、民族的、呪術的といった説明のつきにくい根拠でした。これは人として本能的なことでありあとからつけた理論ではありません。しかし、エリートであったメシアンはそれらに関心を持ちつつ、洗練された論理的な作曲技法として体系化しました。それはジョリヴェのように凝ったイレギュラーのあるものではなく、音楽を数学的に非の打ちどころのない語法として著書まで出したのです。ジョリヴェの文献が少ないことは、その作曲法を明らかにしなかったことがあります。それはメシアンが明快に自ら語ったこととは大きく異なり、神秘や謎に満ちた音楽として21世紀に再評価が進んでいる、と言っても過言ではありません。新しいことを生み出すことは画期的なことですが、ほとんどの人には理解されず毛嫌いさえされるものです。そこは言葉があってこそ好感されるものかもしれません。いかにその言葉を真摯に聞く人が多いかということになりますが、それは置かれている立場やポジションによって左右されることでもあります。ジョリヴェは理論としては残したものは少ないのですが、音楽そのものとして残したものが多く、それが理解されますます啓く時がきたと言えます。
2018.09.16
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自分の作曲の先生と呼べる人は日本人で4人いて、だいぶ以前に亡くなりましたが宍戸睦郎先生という方がいます。その先生はパリでアンドレ・ジョリヴェに師事した数少ない日本人です。宍戸先生からはとてもたくさんのことを学びジョリヴェのことも聞きましたが、分析されたデュティユーやルトスワフスキ、ペンデレツキ、メシアンなど、興味はフランスとポーランドの現代作品に向かいました。20世紀までは日本でジョリヴェは今より演奏されず、その頃まで絶えず不協和で休まることがない音楽という、ごちゃごちゃして音の多い曲のイメージがありました。また、同じ大家でもデュティユーやメシアンに比べると異端児であり、作曲法や理念が多岐に渡り抽象的に感じられました。そしてジョリヴェの文献は少なく肝心の作曲法について、なかなかわからないことも多いのです。その後、フルート、オーボエ、トランペット、打楽器などで、器楽曲や協奏曲が演奏される機会が増え、職業柄ジョリヴェの曲を分析することが増えました。すると何度も聴くうちに理念を超えた音楽の素晴らしさを感じるようになりました。例えば、激しいエネルギーを象徴としていた初期から叙情的になった中期の、「リノスの歌」では長い時間をかけてクライマックスに調性的な旋法が顔を出し、後期のピアノ協奏曲では素材が渾然一体となってリズムを伴ったカオスになるなど、その後の現代音楽シーンでよく見かける緻密な構築です。さらに紐解けたことは、なぜジョリヴェの分析を師があまり教えなかったかということ、それは師がジョリヴェそのものの作曲法であったということです。つまり、自分もジョリヴェの影響をたくさん受けているということです。
2018.09.15
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作曲は学べないなんて聞きますがそうでしょうか。自分は師から多くのことを学んだ気がしています。ひとつは完成されたスタイルを感覚的に美しいと実感すること、それは和声学や対位法、楽曲分析、果てはオーケストレーションなどです。もうひとつは曲を作るうえでの知恵です。これはさまざまなスタイルで誰々はどうしたかというようなやはり分析です。結果的に学ぶというより盗むということかもしれません。最近の作曲を志す人はこういう修行を好まないか、最初から自分は「持っている」と思っているのか、「ありのまま」でいいという社会がそうさせるのか、このブログのタイトルでもありますが「型」を学ぶことを薦めます。
2018.09.14
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