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私は亡くなった人の冥福は祈りますが僧侶にお願いしての法事はしません。理由は無宗教だからです。葬式・初七日・一周忌ぐらいは仕方ありません。親戚も居ますし、友人・会社関係がありましたから、世間一般の事はしましたが…自分の考えで、角を立てる事もないと大人としての対応かしら?母が「私の葬儀に僧侶は呼ばないでクラシックを流して欲しい」と言うので会場にクラッシックを流してお焼香してもらいましたが…まぁ~皆さん手持無沙汰で…葬儀としては菊の花はやめて、洋花で飾り、料理も奮発したので、金銭的に安く済ませたのでは無いのに「お坊さん呼ばないで安く済ませたわね」なんて言う人もいたのよ。そんな経験から、父も夫も僧侶にお願いをしました。そして、三回忌までは。 その後の命日は家族だけで食事会&カラオケと大騒ぎして故人を偲びます。父も夫も喪主は私でした。緊張しました。それも思い出ですが、今度は私が送られる番ですから余裕ですね。寝てればいいんだもん。友人にも葬儀に来ないように言ってあるし…娘が「綺麗にお化粧してあげるからね!」って。僧侶はどうしようかな?それは生きてる人が考えれば良い事。息子達は会社の手前もあるでしょうしね…その話を新人未亡人にしたら「三回忌を家族だけでして良かったわ~お墓参りの後食事をしただけだけど家族は喜んでくれたわ」だって。勿論、仏教でもキリスト教でもイスラム教でも信じてるものがあれば幸せな人だと思うけど、私は今だに見つけられないのよね~神様を… こんな事書く気は無かったのに…夫を思いでしたのかな。気持ちの良い話題でなくて御免なさい。❋❋ ↑押していただけると喜びます。
2019年02月12日
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・いろいろな人生があります。ブログからの情報だったりラジオのテレフォン人生相談も録音していますしyuutyuubuで聞きながら寝る事もあります。「幸せです」と言う相談者に「幸せじゃない人こそ幸せです」って言うのよと諭す回答者。自分勝手で高飛車な相談者に、優しく子供の頃の話を聞きだすと、とんでもなく不幸だったり無視されたり、暴力があったりの話を聞きだして「辛かったね~」と慰める回答者。たった一言で優しさを取り戻す相談者。皆、淋しいのよね。幸せは錯覚かも?人生って平等では無い気もします。どんなに不幸な生い立ちでも幸せに向かって道を切り開く人もいます。シニアのブログからはいろいろな「あがき」が伝わってきます。私もやっぱり淋しいです。「お前が一番」って言ってくれる人は居ないし子供達は愛を見つけて巣立って行ってからは愛が増殖して、私はいつも5番目。娘は4番目って言ってくれるけど(婿が5番目?)夫が生きていたって2番目じゃあ、無い気がするし…最後は全て自分の責任…と、言い切って人生を終わりにしたいです。NHKのドキュメンタリーを参考に〇〇歳過ぎたら救急車を呼ばないでね!と、週末ノートに書きました。(あくまでも、助からないと思う時の延命治療はしない場合ですよ)注 はっきり年齢を書くと気を悪くする方がいるかも 知れませんからね。 ★ 6号 4680円 5号 2480円
2018年11月29日
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終末期の患者をケアする看護師として働く彼。患者たちに必要とされ彼自身も患者との濃密な率先して育む中、末期がんに苦しむマーサから「手伝って欲しい」と言われた。それは、「安楽死」彼は断っていたけど…場面から想像して「手伝ってあげた」と思います。彼がジョギング中に車にひかれますが信号は赤でした。そこで、エンドロールになります。後は観た人が考える事になります。患者が建築家だと知ったら本屋で建築関係の本を買いあさり、患者が泣き出せば家族のように抱きしめてあげる。人は必ず死にます。人生の終わりに彼にお世話されたらどんなに穏やかな日々が送れるでしょうか?私も自分の最後の事は毎日のように考えます。一人で出来る所までは何としても頑張るけど誰かに世話されなくてはならなくなった時どうしよう~「安楽死」が許される時が来る時のでしょうか?本当にいろいろな事を考えさせる映画でした。シニアなら、いいえ、生きている人なら考えられずにはいられない事かも。
2018年10月25日
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「 歳を重ねると生への執着が誰でも増す」って言う方がいます。そう思う方もいるかも知れません。人間はいろいろな考え・性格・生き方があります。お金に執着する人もいるでしょう~子供に孫に執着する人もいるでしょうね。ただ、一把一絡げで言われると凄っく悲しい。恥ずかしいって言うのかも。75歳はもう生に執着してないつもり。だからと言って死にたい訳じゃない。死ぬまで生きていたいわ。75年も生きてると、いろいろな人とお別れして来ました。両親は順番だから驚かなかったわ。夫が63歳で亡くなった時は年下だっただけに計算外だった。それ以上に打ちのめされたのは生後11か月で亡くなった我が子の時でした(40年も前の事ですが今もあきらめられません)そして、周りでもボツボツ欠けてきていますね。死は誰にでも必ず来ます。私は50代は若い人…と思っていますがその50代だってわかりませんよ、明日の事は。執着しない…と言っても現実になればどうするか?結構、ジタバタしたりして。私は夫の最後が理想です。家で大量吐血して意識が遠のく中でコタツの布団を汚さないように手でどけていたって娘が言ってました。手にはコップを持って…吐血もそのコップに入れようと思っていたんでしょうけどとても間に合う量ではなかったのに。夫は常に気を使う人でした(最後まで) 余命告知を受けてから大量吐血か窒息が死因になる事も知っていて…普通の生活をしていた夫を見習います。執着は心の中に仕舞って!
2018年10月08日
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本木雅弘さんのプロポーズの言葉は「私には白髪のあなたが想像できるし、そういうあなたがいとおしい、と思える気がする。今すぐじゃなくても、いつか結婚という選択肢が現れたちき、私もそこに入れて下さい」と、プロポーズしたそうです。樹木希林さんの娘さんの内田也哉子さんの17歳の時です。このプロポーズの言葉を、本人もそして回りにもマスコミに話すような人は居ないように思えるのですが…事実であっても、世間一般のプロポーズの言葉ぐらい信用できない言葉は無いような気がしています。たとえそれが、その時は真実であっても話、半分近くは盛ってますよね。樹木希林さんの娘さんと結婚する時に、内田裕也さんが婿養子を希望して、樹木希林さんも内田を名乗って欲しかったみたいですね。結婚して本木雅弘さんが妻の姓を名乗るばかりでなく婿養子にするって言う事は遺産相続の権利も発生するのでよほど信用されたのだと想像します。勿論、本木さんはとても良いお仕事をしていますし遺産の事などは考えていなかったと思います。そう言えば本木雅弘さんに関してのゴシップも聞きませんよね。完璧な二所帯住宅だったとはいえ、希林さんの自分流な生活、歯に衣着せぬ言動、世の中の重石は内田裕也だけ!だった人との同居ですから!最後の遺言のようなものも本木さんに託されたそうで…懐のでっかい、素敵なのは顔だけでなく男性としても立派みたいですね (想像ですよ!)上記はいろいろな報道から知ったので、事実はわかりません。私が見、聞きした訳じゃありませんから…どこの家庭だって、まったく波風の立た無い家庭なんて存在しないと思います。それでも、樹木希林さんご夫婦が、一見 幸せに溢れた娘さん一家と、付かず離れずの生活をなさっていた事は多くの年配者たちの望む事かもね。(あくまでも、皆が望んでるとは思ってませんが…)(世間の評価は亡くなると良い人に変わります)
2018年09月29日
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樹木希林さん特集をいろいろ見ましたが…自分流に生きて、素敵な人生だったと思いますが周りの近しい方は大変だったと想像しちゃいます。樹木希林さんのお母様は銀座でカフェやアパート経営仕立屋、料理店などに次々と乗り出す女性企業家だったのね。NHK「樹木希林を生きる」でも自分も不動産収入があるので、お金で困った事は無かったと言っていたように…娘さんの内田 也哉子さんの教育も独自の子育て感で育てていたようです。それにしてもですよ…小学校は都内のインターナショナルスクールに通い9歳で1年間ニューヨークにホームスティの後、都立高校2年で再びスイス、ジュネーブのインターナショナルスクールへ留学。孫さんに至っては国際感覚を身につけさせるためにスイスのセレブたちが行く寄宿学校に入学したそうです。以前、この学校のドキュメンタリーをNHKで放映してましたが世の中にこれほどの環境の差がある事は想像以上で学費は年間1650万円だそうです。その事をとやかく言うつもりもないし…そういう世界もこの世にはあるのを知ったと言う感想です。人と比べない世間とくらべない…と、樹木希林さんに言われても比べる世界が違ってくらべる気にもなりません。それにしても独自の世界をつくった比べる人の居ない良い女優さんだったと思います。そして良い人生でしたね。ご冥福をお祈りもうしあげます。
2018年09月28日
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この年齢になってもまだ生き方に迷いがあって時々、生きているのが辛くなる事もあるの。生きる希望をくれるのも落ち込む時もそのほとんどが人間関係かも知れません。なるべく整理して、今の友人たちと付かず離れずの家族関係がベストと思っているけど時々ややこしい事が起きて…生きずらい事になったりする。そんな時に先日亡くなった樹木希林さんのインタビューで人生を楽しむ秘訣があったらお聞きしたいんですが…?と言う質問に人と比較しない世間と比較しないことと答えていました。 分かってはいるけど出来そうで出来ないこと人にどう思われるか?あの人が羨ましい!ついつい、思ってしまう。生活出来る年金も頂いてるし老後の預金もチョッピリだけど貯めたわ。三人の子供達は愛を見つけて巣立って行った。この前まで増殖中だった孫も6人目で最後になる。(多分!)何だか使命が終わったようで淋しいんだけど友人が言ったわ。「いつまで動けるか判らないんだから楽しみましょう?要らない事は考えないでのんびり生きて行きましょう」…と。私は70代。50代・60台と違って疲れが取れないわ。若いって良いな~私だって若かったんだもん。いけない・いけない。「は~い」わかりました。
2018年09月23日
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15年前に腎臓がんの摘出手術を受けて、1か月後、3か月後、1年後と転移してないかの検診を受けた以外は風邪も引かないので病院に行く事が無かったのよね。幸せな事なんだけど、やっぱりこの年齢になるとちょっとした事を相談する主治医が欲しいんだけど…血圧も高くないのよ。ここ2~3年は年に1度ぐらいは風邪を引いた時に新しく開業した綺麗なクリニックに行くんだけど、内科の先生も年に1回くるか来ないかの患者の顔なんか覚えてないのよね。あっちが痛いの・こっちが痒いのって言っても「お年だから!」で、済まされちゃう訳よ。そう言えばこの頃、一人寝の寂しさからか?眠れないの。それでコマーシャルで有名な食品会社の↑こう言うのをネットから買って飲んでみましたが…粉で飲みにくいし値段の割には効いてるのか疑問なの!と言う話を旅友に言ったら「病院で入眠導入剤を貰ってもう7年も毎日飲んでるわよ」って。主治医が欲しかったので近所の個人病院に行ってみました。先生は中年…いいえ!老年かも知れないから凄っごく話しやすくて、小さな事から、どうでもいい事まで聴いてくれて理想的な主治医になってくれそうなの。ただね、何でもパソコンに打ち込むのよ。病気をしないから主治医も居ないで困ってた事を!言ったら、一字一句そのままパソコンに打ってたわ。それで、「眠れないんです」と訴えたら0・5ミリの精神安定剤(入眠導入剤と同じ)をくれました。一番軽い薬ですが「昼間でもイライラしたら飲んでいいですよ」って。優しいでしょ?これで月に1度は先生に会っていろいろ相談できるわ。私の話は全部パソコンに残こちゃいますけどね。余計な事まで言う事クセがあるので気をつけなくちゃね。
2018年09月08日
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この頃の日本、いえ地球はちょっとおかしいわね。いつの時代でもこのような自然災害はあったのでしょうが何しろ人間は自然を破壊して、昔だったら住まなかった場所に家を建て、恐ろしいほどの高いビルディングも建てちゃうし。何かあればこんな光景になちゃいますよね。大規模な土砂崩れですが、土砂が青々とした畑に…涙こんなになったら私は頑張れないわ!私は良いから子供達は生き抜いてね(優先順位5番目の母ですから)どうよ!これって!(テレビよりお借りした写真です)そして大阪空港に続いて千歳空港も被害が出てますね。今現在(AM8時半)北海道全域で停電してるそうです(295万所帯)あ~困りますよね。それでも生きてるだけ幸運なんでしょうか?それなのに…自宅付近は今日も平和な生活が始まっています。ゴメンナサイ!表参道ブランド通りこんなお洒落な街も何かがあればど~なるか?わかりませんよね。テレビを見れば大規模な土砂崩れの場面が…以前はお金持ちは高い場所・高い場所にと流れましたが、これってどうよ!タワーマンションの最上階も何にもなければ快適で優越感に浸れるでしょうけど…停電してエレベーターが動かなくなったら大変よ!(自家発電がありますよ~って、言われちゃうのかしら)友人がマンションを購入する時に年配者は「なるべく3階までが良いですよ」と言われて3階に住んでるけど快適だと言ってたわ。階段を上がるのは健康に良いしね(あくまでも足が悪くない人の話ですよ)夫の居ない私は自分の身は自分で守り…適当な所で潔く天寿をまっとうしようかな?あと10年(贅沢かな?)いけるかな?
2018年09月06日
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私は養女で一人っ子なので、子供の頃から「結婚しても同居をして最後まで面倒を見る事」と言われて育ってきました。若い頃は幾つかの恋愛をしましたが不思議と長男の方とのお付き合いばかりで結婚まではいきませんでした。結婚相手の第一条件が「私の両親と同居してくれる人」でしたから探すのが大変でした。私の頃は、25歳がお肌も曲がり角でしたが結婚も25歳頃がそろそろ最終段階にさしかかります。今なら自由なのにね。出産でさえ27・28歳ぐらいで母子手帳の表紙に高齢出産のハンコを押されちゃう時代ですからね。 夫は結婚の条件には合ってましたが外見は好みじゃないんですが男らしくて良い人でした。もう、贅沢は言ってられない年齢でしたし…父が「お父さんが紹介するから誰でもいいだろ~」と言い出したので「それは勘弁してよ~」と少し、慌ててもいたんです。夫には私からアプローチして、プロポーズをしてもらうために、あの手この手で売り込みました。苦節2年、やっと結婚生活が始まりました。結婚生活で夫ともいろいろありましたが親との同居も大変でした。長~い、私の苦労の始まりだったのですが…途中から、一家に大黒柱は二本はいらないと言い出す父を黙って我慢してくれた夫。 夫の余命が半年もない…と宣告されてから「なぜ、最後まで私と一緒にいてくれたの?」と聞いたら「お前を守るためだよ」と言われたのが嬉しくて、嬉しくて…最後の頃は酒乱気味の父は毎日、大暴れしていました。今になって父の気持ちが少し理解できます。それは、私が実子でないので家を出て行かれてしまう不安からお酒におぼれていった所があるようです。(母は亡くなっていました)私達、最後まで両親の介護をしました。当たり前ですよね。実子でもない私を7歳から育ててくれた恩人ですものね。
2018年09月01日
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今日は終戦記念日ですね。安倍首相が靖国神社に参拝しないで千鳥ケ淵戦没者墓苑にお参りしたからか静かな終戦記念日なのではないでしょうか?私は日本が大好きです。それは住み慣れた自分の国だからかもしれません。天皇両陛下があのお年なのに戦没者追悼式で頭(こうべ)を下げてる姿は辛そうで(お年や体調のため)お気の毒だな~と思いました。右翼だとか左翼だとか分けないで平和な日本を望む気持ちは全員(ほとんどが…)同じだと思っています。70歳代の方は終戦後の親の苦労を覚えていますよね。私の父親はフィリピンのレイテ島で戦死しました。私が2歳の頃です。白い布に包まれた空っぽの箱が遺骨として帰ってきました。(私は当然覚えていませんが…)父親のお墓はありますが、お骨はありません。だって、海に沈んでしまったんですから。墓参りしても虚しいんです。靖国神社に行くと少し父親に近づいた気がします。戦犯の人の事などは脳裏にはまったくありません。居ない事にしています。千鳥ヶ淵戦没者墓苑ならいいのか?と言うと出征した父親は靖国神社に帰ってくるつもりだったかもしれません。千鳥ヶ淵戦没者墓苑の事は知らないんですから。昭和34年(1959年)国によって建設され、戦没者のご遺骨を埋葬してある墓苑です。戦後、戦友等によりご遺骨が日本に持ち帰られ、又昭和28年より海外の遺骨収集が開始されました。この墓苑は日本に持ち帰られたご遺骨において、お名前のわからかない戦没者のご遺骨が 納骨室に納めてある「無名戦没者の墓」であるとともに、この墓苑は先の大戦で亡くなられた全戦没者の慰霊追悼のための聖苑であります。だから、何が言いたいかと言うと…遺族の気持ちってもっと、もっと複雑なんです。私は首相が自分の父親の無念の死に手を合わせ首を垂れて欲しいです。この希望を右翼的と片付けてほしくないんです。
2018年08月15日
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シニアって何歳から?ふと思って知らべてみると普通名詞では、年上の人ジュニアの反対語で中学生の野球チームをシニアリーグと呼ぶ。曖昧な言い方なのね。割引サービスから想像するとデイズニーランド 60以上ユニバーサルスタジオ 65歳以上レゴランド 60歳キッザニア東京 60以上厚生年金の里 65歳以上JAL・ANA等航空会社は 65歳以上引っ越しも買い物もシルバー割引の日があつけどたいがいは 65歳以上。50歳でシルバー割引は映画よね。私が50代の頃は下の娘は大学生長男は卒業してから好きな事が見つからないからまだ就職しないと言う。「就職して生活を支えてから好きな仕事って探すものよ」と就職してほしいから意見を言う私。次男はすでに就職して独立してたのに。聴く耳を持たない長男はアルバイトに明け暮れる。その後、家を出てもらって独立させた。(やれば出来るじゃん!)夫はリストラで肩を大きく叩かれたけどじっと我慢の子を続けるうちに業績が上がって来て必要な人材に変わったわ。定年後、子会社に出向して現役で盛大な社葬を出してもらった。脳梗塞で意識の戻らなかった母の介護にちょっと、酒乱気味だった父の介護と辛い生活だったので怒涛の50代を過ごしていた。50代も60代も自分がシニアだなんての意識した事もないまま70代に突入すると世の中からシニアだよ!感を突きつけられてしまう事だらけ。都合の良い時だけシニアの権利を利用しちゃえばいいんだわ。今、考えるとあの頃はもうシニアだったのかな?全然思わなかった。50代ってこれからが長い年代。それも厳しいかもね。75歳にもなるとどんな形にしてもある程度生活形態が決まって、それに合わせて生活するしかないんだもん。勿論、仕事は出来る人もいるわ。したく無い人、したいけど無い人する必要が無い人。人生いろいろです。私は?好きにすれば良い立場。もしかして、幸せなのかもね。
2018年08月15日
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NHKドキュメンタリー番組~スイス名門寄宿学校アルプスの峰峰が連なるスイス。名門寄宿学校「コレージュ・ボー。ソレイユ」世界56か国から集まった11歳~18歳の240名1年間の学費は1000万円を超えるんだって。ナレーションが爆笑問題の田中雄二さん。同性同名のナレーション専門の田中さんだと思ってたらエンディングロールに爆笑問題って出てて驚き。とっても合ってたわ。落ち着いて聞きやすい声で太田さんに絡まれて困ってる田中さんとは大違いよ。 生徒は某国のロイヤルファミリーや貴族の名家や芸術家経済的に余裕の家庭のお子さんが中心です。先生は情熱的で熱心。とても優秀で多分報酬も破格だと思うわね。生徒4人に対して先生一人居て親切・丁寧に学科ばかりでなく政治・経済・しつけ・将来への道まであらゆる事に交わってくれるんだって。寄宿舎の食事はビュフェスタイルでホテル並みこの学校への入学が良いとかそうでも無いと言う事ではなくて、子供を11歳から手放す事とかこんなに選ばれた教育を受けられる子供達と真逆の生活をしてる子供達。この差…この違い…生まれる家庭は神が選ぶのか?世界って広いのね~人生って!
2018年08月03日
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洋画ミステリファンなら知ってる ユージュアリーサスペクトの「ガブリエル・バーン」 渋くて大~好き (ブログの内容とは関係ありません) 私は15年前に腎臓がんの手術で右腎臓の全摘出手術を受けました。 がんの恐怖よりも何週間か、あの地獄の家から脱出出来る事の方が 嬉しかったのを覚えています。 告知されたのが12月 「全摘手術なのでそんなに急がなくても大丈夫だから」 と言われ、手術の日は1月の10日だった頃でしょうか? 入院の日は娘が荷物を持って付き添ってくれました。 父が個室の料金を出してくれましたが (父は老後を私に見てもらいたかったのに私が癌で死ぬと 思ったのでショックだったみたい) アンタが死んだら僕は誰に面倒みてもらうんだよ! (私を養女にした理由の一つに老後の面倒…がありました) それにいつ気か変わって怒り出すか分からない夫からも離れ… 三度の食事の支度もしなくていいなんて~(ラッキー) 娘から聞いたのですが夫は仕事をしながら父の朝食 と昼食用の弁当を作り犬の散歩が終わったら会社に行き 帰りはスーパーで買い物をして3人分の食事を作って くれたそうです。 洗濯もしてくれました(もちろん父のもです) 晩の犬の散歩もしてくれました。 そして、娘には「お母さんの面倒を見てくれよ!」 と言って泣いたそうです。 夫が泣いたのは次男が生後11か月で亡くなった時以来で その前に泣いたのは「親父が亡くなった時」と言ってました。 退院が近くなると、私は自分の体力が無くなっていて家事など 出来る状態では無いのに気が付きましたが… 退院してからは至れり就くせりで私はまるでお姫様状態でした。 実は私のがんは腎臓を突き破るほど大きくなっていて 手術中にがん細胞の血液を体内に一滴でもたらしたら転移しちゃう ほど難しい手術だったらしいです。 がん細胞は直径8センチにも増殖していて リンパにも転移してるので完治は難しい事を私には内緒で 夫にだけは告げられていて、取り出された大きなガンも見せられて ショックを受けてもう短い命と思ってんだと思います。 がん患者は退院しても、いつも転移の恐怖があります。 術後10年目、主治医の先生が「10年たったので完治ですよ」だって。 余命1年ぐらいって言われた私が15年生きています。 人間の運命って不思議です。 それの運命っていつ決まるんでしょうか? 私のおまけの人生が幸せに恵まれているのは 夫の遺族厚生年金に企業年金と63歳現役で亡くなったので退職金は 使う事なくそっくり残してくれて、おまけに65歳が満期だった 終身保険が死亡一時金に変わり、勿論、私の年金もあります。 2年半、家出をして帰ってこなかった日々も、家庭内完全別居半年も その他もろもろの女関係も一言も責める事なく待ってた私の 全面勝訴ですよね~ もう一度逢いたい!そっと、後ろから抱きしめられたい。 そう思いますが、お父さん長居しちゃダメよ。
2018年07月14日
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ブログを再開してから2週間がたちます。2006年にブロクを始めましたが、一番大事なカテゴリーは「愛する人」です。「愛する人」の中には3人の子供たちの話もありますが主に夫の食道がんが見つかり亡くなるまでの6か月の二人の愛の生活が書かれていて、これはどうしても残して置きたかったリアルな思い出です。最後まで夫が愛して止まなかった娘とその長男。遠い雪国に嫁いで行くと決まった時は寂しそうでした。 私は1942年生まれです。このシニアのブログの中でも「おじいちゃんが戦争に行ったわ」と言う方は居ても父親が戦死ってあまり聞きませんよね。そうなんです、私それだけ年配者なんです。父はフィリピンのレイテ島でアメリカ兵と戦うつもりで出征しましたが、レイテ島に着く前に船が撃沈されて1944年に海の藻屑と消えていきました。まったくの無駄死にでした。勿論、あたしは父親の顔も香りも知りません。その後の母は子供3人を都会で育てるのは大変だったと思います。援助を求められるのを恐れて、親戚は音信不通になってしまったと聞きました私が7歳の時に力尽きた母は末っ子の私の幸せを考えて子供が欲しくても出来ない夫婦に私を託しました。その人が私が結婚後も同居していた養父母です。その時、私はもう7歳でした。それからが私達家族の苦しみの生活のはじまりです。7歳になっていた私は母には懐かず、 母は懐かない私を育てる事に自身がもてず悩み父はこの場におよんでも血の繋がった実子が欲しくて…そんなギクシャクした生活が暫く続きました。 私の年齢が高くなるにつけますます複雑な3人の関係になっていきます。母は父と血の繋がらない私に嫉妬して父に対してはあきらかに不快感を出していました。その頃(中学3年の頃)私は円形脱毛症に悩まされるようになったのです。いまでこそ、ストレスが原因と言うようになりましたがあの頃は子供にストレスがあるなんて理解してくれませんでしたその後、私は帯状疱疹には持病のようにとりつかれました。 つづく…
2018年07月13日
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昨夜は4人の近所組と飲み会。飲んで・食べて・語って。徒歩10分にある家庭的なお店いつでも、この「四万十」。土佐料理だけではなくて、注文のうるさい私達に合わせた品を造ってくれる。今では座ると出てくる大好物刺身の盛り合わせ岩かきかつおのたたき(写真なし)ニンニクみそ&マヨネーズ)まるでサラダのようにかつおが見えない。地元の人はこのようにして食べるんだって。仲居さんが中年のおばちゃん二人でテキパキと感じ良く対応してくれる。ところが今回美人の新人さんが入ってた。おばちゃんがこっそり「二人の方がやりやすかったわ~」そりゃそうよね。息の合ったおばちゃん達、60歳代ぎごちない新人さん、30歳だって。可愛い子だからお客さんから可愛がられてるけど、仲居としての修業はまだまだね。いつもは新人さんがいると、いつの間にか名前・年・出身地などを上手に聞き出して楽しく会話してるT君が興味を示さない。Y君は途中でちょっと気分が悪そう。やっぱり年なのかしらね~元気なのは私とふみちゃん。しめは、冷たいおそばと四万十焼おにぎり以前はこの後カラオケに行って午前様になったけど元気のない男二人と別れて、私達女二人でもう一軒寄りました。ラストオーダ11時でした。楽しかったわ~
2018年07月07日
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東京オリンピック招致が決まりましたよね。 我が家は国立競技場へ徒歩5分の場所にあります。そして、人生で2度、生活圏内でオリンピックが見られるなんて・・・7年後に我が家の近所は大幅に変わっているんでしょうね。 36年前の東京オリンピックで、様変わりしたのと同じようにね。子供の頃、ワシントンハイツが近所にあって敗戦国の子供にとっては夢の、そして憧れの敷地内でした。 そこが代々木競技場に変身して 引揚者住宅が記者ハウスになり ↓ 現・外苑ハウス(高級マンション) お墓の下をトンネルが通ったり・・・ (トンネルの上はお墓です) 正門が一番寂しくて、門は開いた事がありません それが、こんな感じになるんだってさ~ 私達の仲間では「2020年までは生きてなくちゃね」が 合言葉になってしまいましたとさ。にほんブログ村
2013年09月09日
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友人から☎があって・・・。この人「誰にも言わないでね!」が口癖なの。皆にそう言ってるから、回りまわって皆が知ってしまうのよ。 「〇〇君が大腸がんだって。膵臓にも転移があるらしいの!」私は早速、二人の仲間にお知らせしましたよ。わざわざ電話したんじゃなくて偶然合ったからね。 だって、どうせ明日には皆が知る事になるんだから~私達のリーダー的な〇〇君その彼が病気になっちゃた。私も10年以上前に腎臓ガンで摘出手術を受けたけどこんなに元気になってるし~ 知人にも、元がん患者はイッパイいるから必ず生還すると信じてはいるけどネ 実は、今年のホワイトデーにチョコレートを送ってくれた人なの。ちょっぴり「告白」もしてくれて・・・ 入院先の病院からこんなメールがきたわ。気が弱くなってるのかしら?皆をグイグイ引っ張る生徒会長だったのに。「今は見舞いに来て欲しくない」って、言ってるのよ。 仲間の間では「直ぐにでもお見舞いに行きましょう~」って、話が出てるんだけど・・・私も顔出していいのかしら?悩むところだわ。(この方は2016年6月2日になくなりました。) 今日も牛柄のやえちゃんはズンズンと前進中! ランキングに参加してます ポチっとしてくれるとすっごく喜びます
2013年05月30日
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10年ぐらい前になるけど原宿の宮廷ホーム(天皇・皇后陛下が乗るお召列車の駅)のそばにサロン形式の小洒落た英会話教室があったの。たいがいマンツーマンなんだけど先生は全員外人で日本語は一切使わないの(日本語を話せない先生もいたわよ)プリント1枚渡されて世間話をしながら50分間教わるんだけどこれが結構辛くてね。 挫折しそうなときに品の良いおばあちゃまが入会してきてレベルが同じだったので(初心者)二人で教わる事になったのよ。それからはコロコロと良く笑う可愛らしいおばあちゃまとお勉強が出来て楽しかったけど実力は全然付きませんでした。 おばあちゃまとはすっかり仲良くなって国内・国外の旅行に何度も行ったのよ。彼女は未亡人で一人暮らしだったけど会社を経営していた御主人の遺産が多額にあって優雅に暮らしていたわ。 お化粧をしてお洒落をして毎日必ず外出するんだって。昼と夜は外食してから自宅マンションに帰るのよ。 その彼女と連絡が取れなくなって・・・甥御さんから「肝臓ガンで亡くなりました」と知らされたわ。彼女が一部上場の有名な海苔とお茶の会社の社長さんの後妻さんで前妻さんのお子さん達からある程度の(大金らしい)お金を貰って追い出されるように家を出たと言う話を聞きました。 私に逢いたがって年中電話くれるんだけどその頃は夫や父が居てそんなに付き合ってあげられなかったんだけど・・きっと淋しかったんだと思うわ。今だったら毎日でも逢ってあげられたのにって思い出しては懐かしくて・懐かしくて。 外国旅行ではファーストクラスでフランスに行ったり食事も友人とでは行かれないような高級店にも行ったり、夢のような経験をさせてもらって・・人とのめぐりあわせって不思議だな~って思います。 今、AM3時なの。眠らなくてね、でも5時には起きますよ~昼寝するかもしれないけど。 元捨て犬・元保護犬 ← 励みになるのでポチっとして ← こちらもお願いね 女性シニア
2011年09月11日
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恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生まれになった。このかたこそ主なるキリストである。 ルカによる福音書第2章第10節 ブルガリア大聖堂クリスマスは終わりましたね。クリスマスって騒いでる方々、アーメンぐらい言ったでしょうね。信仰心のない私ですし、子供も大きくなってしまうと別に・・・って感じで。孫にはプレゼントはあげませんよ。だって、サンタさんがくれるもんでしょ?私があげるって矛盾しちゃうもの。我が家にはサンタさんは自転車を担いできたみたいだわ。パパが「大人のより高けえ~」って言ってたから (?′?'?)エヘヘ? ケチってる訳じゃありません理屈に合わない事はしないって事だけですよ。 今年は帝国ホテルの客室が満室になったんだってさ。リニュアルしたせいもあるんでしょうけど・・・皆さん倹約に飽きたらしいわね。でもね、帝国ホテルからきったないワンルームに帰るのかと思うと・・・どうなのかな?まあ、関係ないからいいけどね。 帝国ホテルのロビー 帝国ホテルの客室だけど・・・ あんな事したり・こんな事したり・お話したり・・・ いいな~ あっ!26日になったからテンプレートを変えましょっと。 次はお正月ですものね。←励みになりますのでポチっとお願い ←あつかましいのですがコチラもネ
2010年12月25日
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昨夜まで正常に働いてくれていたパソコンが、朝一番に電源をいれたら調子が悪いのよね~(3日ほど前の話)・・・で、サポートセンターに電話して長々とアドバイスを受けたけど「ハードディスクが悪いようで復元は難しいかも?」って答えなの。 前のPCはある日突然、電源も入らなくなっちゃってバックアップもしてなかったので全てのデーターがふっとんじゃったのね。それに懲りて、外付けのハードディスク「PCを丸ごとガード!!」で,がっつりガードしてあって助かったわよ~ VSTAを買って2年よ~でもね、VSTAは評判が悪かったらしくて直ぐにWindows7が出た訳でしょ。買いましたよWindows7を。店の人は「PCは消耗品ですよ」だって。以前も5年ぐらいで買い替えを・・・って言われたけど今は2年ぐらいで「修理」するように出来てるんだってさ。(これはお店の人の言葉よ・・・私が言った訳じゃないわよ) うん、うん、Windows7は立ち上がりもずっと早くなって、快調よ。新らしもん好きの私としては満足だけど・・・PCが消耗品って言われてもね。 (でも、やっぱ新しいものっていいわよウフフ) ; ← 励みにしたいのでポチっとお願いします ← もうひとつ・・・お・ね・が・い!
2010年10月01日
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この頃、人から聞かれて困る質問に「結婚してますか?」って言うか~既婚&未婚?って聞かれる事。それと、職業を聞かれちゃう事よね~夫と離婚した方は結婚を解消したわけですから胸を張って「未婚」って言えますよね。でも、でも、夫を亡くして伴侶が居なくなった場合は「未婚」って気分にはならないし・・・だからと言って、夫が居ない事に変わりはないけど・・・ 職業を聞かれても、「無職」って言うのは淋しいし・・・「主婦」って言うのもどうなの?一人暮らしを主婦って胸を張るのもちょっとね~主婦らしい事なんてしてないし・・・で、どうなのかしらね?「失敗ばかりの投資家」とでも、しときましょうか? 面と向かって聞かれれば、話好きのたまころですから~1時間でも、2時間でも御説明いたしますが・・・音声ガイドや記入式の場合は、話も聞いてくれなくてあっちの勝手な解釈で片付けられてしまうんでしょうね。無職・主婦の他にも「無職もどき」とか主婦もどき」なんて~のも項目に増やして下さいませ・ませな。
2009年07月23日
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歯医者さんに、電車通院してるんです。若い方も疲れてるんですよね~駅に止まると、空いてる席に向かって人々が駆け寄ります。座ってる私の前に杖を突いたおばあちゃまが立ちました。お隣に座っている綺麗な女の方も、前の座席のイケメン君もお疲れなのね~「知らん顔」です。私「お座りになりますか?」って、優しく声をかけました。おばあちゃまは「いいんですか?」って。「どうぞ!どうぞ!」って立ち上がっておばあちゃまから見えない場所に移動しました。私達の若かった頃は、皆が座ってから空席があったら座るのが若い男の行動でしたね~そして、自分の子供達には、そんな教育を・・しましたね、私は。60才代の私が席を譲らなければならない世の中は余りにも疲れていて悲しいです。 ドンファン
2008年06月12日
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どうでもいい話だけど、すっごく腹が立ってる事が・・・ 奥様方!里芋を買って皮を剥いたら殆どがゴリゴリの腐りで 予定が狂ちゃった・・・って事ありませんか? 嫁がね、「お義母さんの里芋の煮物が食べたいわ~」 って言うのよ。私は料理得意じゃないのよ。 たとえお世辞でも張り切るわ・た・し (あっ!夫は私の手料理は褒めてくれるわよ。めったに食べられないからね) 里芋を2袋買いました。 これ皆、しもげてるの(赤く色が変わっていて煮てもゴリゴリよ) 捨てなきゃね~ 2袋中、食べられるのはこれだけよ~ たまにだったら許せるんだけど、袋ずめの里芋を買うと こんな事年中よ。 農家? 市場? 小売店? 何処が悪いの?
2008年05月29日
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もう、12時すぎたので11月1日ですが、昨日は青森に嫁いだ娘の 31回目の誕生日だったんですよ。 「おめでとう」ってメールを送ったら「ありがとう」って。 そして「私の誕生日でもあるけど、お母さんが私を産んでくれた日だよ」って。 「お母さんの子供に生まれて、本当に幸せよ」 「いつまでも、仲良く、楽しい事しましょうね」って。 私って、なんて幸せな母親なんでしょう。 夫も鼻歌うたって出勤して行くようになったし 11月9日には長男夫婦と孫ズが遊びに来るって言うし 「お母さんの「おでん」が食べたいです~って・・・・嫁が言うの いつまでも皆に好かれていたいな~ (^^♪
2007年10月31日
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亀田大毅選手の事じゃないのよ。そりゃ~一言謝らなければ謝罪会見には ならないと思うし、若いから・若いからって言うけど未成年で社会人になって 立派に責任のある生き方をしている若者もイッパイいるわけで・・・ パフォーマンスも暴言も自分達の責任で言うんだからいいけどさ~ (プロなんだから) 反則は相手にも悪いし、見ているお客もシラケルわよね~ アッ・・亀田一家の話しじゃなくてね・・・ 息子夫婦に新米(福井のコシヒカリ)を20キロを送ってあげたのよ そしたらね、「有難うございます」って電話をくれたんだけど 「助かります」って この一言が姑(わ・た・し)の心を和ませるのよね~ 娘の嫁ぎ先の青森に行きたくなって電話するの 「何時行ったらいい?」って聞くと 「いつでもいいわよ~ 」 「死ぬまで居ていいからね~」って 夫婦でもそうでしょうけど、一言が大事なのよ。 私は本当に幸せよ。
2007年10月18日
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あれから2ヶ月。どれからってか? 夫が家からの脱出宣言を高らかに挙げてからよ。 今ごろ花の一人暮らしを満喫してるはずなのに・・・ 夫の部屋に積まれていたサカイ引越しセンターのダンボールが 何時の間にやら押し入れの中に隠れちゃって 夫ときたら、炊事・洗濯も自分でやって(お弁当まで作ってるの) 娘が里帰りしてたので、、雰囲気が悪くなると可哀想なので 一緒に食事を(和気藹々風に)してたけど、帰ったら、私も部屋に引きこもり 夫も自分の食事作りを再開させたわ。 ( 勿論、夫と私の関係は娘は知ってるのよ) それでも一向に引越しする気配がないので、聞いてみたわ その返事が「家を出るのはヤメタよ!」だって。 「そ・そ・そんな~」 1週間で気持を固め、次の新しい生活に向かって走り始めたのに・・・・ 金銭的にも自立して(出来るメドもたったし)夫名義の預金通帳も返したのに 「いらね~」って戻ってきちゃったわ。 私、もめごとは嫌いなので、今のところ黙っているけど・・・・ (いままでも争ったり、反論したりってした事なかったのよ) 90%は一人になりたいのよ~ ただね、愛犬もも・愛猫2匹・外猫5~6匹を置いて、1週間も外泊が 出来るのは夫が世話をしてくれるからなのよね~ 夫が家を出る事には悩まないんだけど・・・・ 家を出ない・・・って事にはスッキリしないのよね~ (もうイヤダ!って言われた私の傷ついた心はどう収めればいいの?) まあ~取り合えず、青森に行ってくるわ。 何時帰るかは、わかんないわ~ 帰りに寄り道するかもね~ じゃあ、いってきます。うれしいなランララン♪♪
2007年09月16日
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連日の夜遊びの帰り道。 時間は11時近かったかしら?ノンビリ歩いていたのよ。 ちょうど(何が丁度だか?)ガソリンスタンドの前で道路からたまころめがけて 車が突っ込んでくるの。驚いたわ~ 車はBMWのスポーツカータイプよ。中を覗いたら若いイケメンのお兄ちゃんが 携帯を耳に当てて、片手運転よ\(◎o◎)/! 「正義感がムクムクと・・・・」で、一芝居打ったわ。 前に回ってナンバーを見て、バックから筆記用具を出して書き取っていたら 後ろから「どうもすいませんでした」って。 車から降りてイケメン兄ちゃんが謝ったのよ~ 「運転しながらの携帯は違反よ」っておばちゃんは一応説教はしたけど 案外、素直なんでビックリ。 後で考えたんだけど、 「ナンバーを控えられて警察にでも通報されてらマズイ 職業だったのかな~」って。 タレントさんだったのかしら?隣に女性は座ってなかったけどね。 それにしてもね~夜道の無灯火自転車・歩きタバコ・ 携帯かけながらの自転車&自動車・などなど・・・・・危ないわよ。 一言、言わないと居られないお節介おばさんでした。 今日はお出かけはしません。 だって、月曜日から青森の八甲田に行くんだも~ん(●^o^●)ウフフ・オホホ
2007年09月15日
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やっぱり今年の夏は変なのよ 蟻がいないって書いたけど、本当に居ないの 上の写真はメロンを1日中、庭に置いといたんだけど 一匹の蟻も食べに来ないのよ こんな事って今までは無いもの この不思議に気ずいた人は居ないのかしら? あ~・・・気になるわ
2007年09月04日
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明日(5日~)神戸に行ってきます。 若くない(?)女性の二人オフ会です。 ホテルオークラ神戸に2泊の予約を入れてありますが、夫には いつ帰るか解からない・・・と言ってあります。 以前は「どうぞ・どうぞ・・」って言ってくれたのに、この頃少し声が 曇りがち。 家事は何でも出来るから、私が居なくても・イエイエ・・居ない方が、 何故か?嬉しそうだったのに、この頃は淋しそうに「どうぞ」って言う。 しょうがないわ!8日には帰ってくるわ(多分) 3年間も帰ってこなかった事があるんだから 5日ぐらいは許容範囲よね。 じゃあ!行ってきます
2007年03月04日
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パソコン教室2日目です。試運転中なので、見にくかったらごめんなさいね。明日はどんなブログになってるか?私にも解りません。ところで、今日は都会の人間の冷たさをイヤっと言うほど思い知らされました。パソコン教室の帰り、青山通りを外苑西通りに渡る交差点で自転車を引いて渡ろうとした私に携帯を見ながら、前も見ずに歩いてきた若い女の子が、ぶつかったんです。 か弱い?私は自転車ごと倒れたんですが、電動自転車が重いのにさらにノートパソコンを籠に入れていたので、自転車を起こせないんですよ。何しろ、箸より重いもんは持った事がないですから💦2度ほど失敗してやっと自転車を起こして、歩道に戻ったら左折の車が数珠つなぎですよ。 次の青信号を待って、渡りながら考えました。おばちゃんが、女の子にぶつけられて自転車ごと倒れている。横断歩道は昼時だったので、何十人の老若男女が渡っている。おばちゃんは必死で自転車を起こそうとしてるが、また、倒れたりしている。その横を誰一人手を貸してくれない!!って。 私がよっぽど若く見えた、としか考えようがありましぇん(汗)
2007年02月21日
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八甲田山で雪崩がありました。娘が青森に嫁に行って5年・・・遊びに行くたびに1000人風呂で有名な酸ヶ湯温泉の直営でさらにその上にある八甲田ホテルに泊まります。特に冬が素晴らしく、スキーをしなくてもロープウェイで山頂まで行ってスキーヤーが視界ゼロに近い中を滑って行くのを何度も見ました。 その八甲田山で雪崩があり、残念にも2人亡くなってしまいました・・がその遭難現場で 「豪救助隊一行が遭遇していて、次々救助、介抱を3時間」 というニュースが新聞に出ていました。 たまたま休暇で八甲田山系の山スキーを楽しみに来ていたオーストラリア人民間山岳救助隊員は隊員一行の最後尾にいた男性が近くの雪山の斜面が崩れるのを目撃し、地元の救助隊が到着するまでの約3時間、救助、介抱を続けたそうです。 休暇とはいえ、ボランティアの「救助隊員」としていつでも対応出来るように折りたたみスコップ、緊急用保温シート、ゾンデ(棒状の救助用具)などを携帯していたことが役に立ったんです。 一行が駆けつけると、5~6人が雪から頭や手だけを出して埋もれていて急いでスコップで掘り出したそうです。 最後に救出された男性は雪の下1メートルに埋もれていたのを、横1列に並んで雪面を棒状の救助用具(ゾンデ)で刺しながら必死に斜面を往復して発見されたそうです。 最後に救出された男性は奇跡としか言いようが無い・と言ってました。側に居た人も「雪が固くて思うように救助出来ずにいたところ、外人男性が救助活動に加わり、どんどん助けてくれた」そうです。 遭難者の救出後も一行は、けが人を毛布で包んだり、雪の塊で風よけを作ったり、救助隊が来る3時間、介抱を続けてくれたそうですよ。2人が亡くなって、不幸な事故ではありましたが、この方達が遭遇していなかったら、犠牲はもっと増えていたかも知れませんよね。 オーストラリアの民間救助隊員の方々、本当に有難うございました。 感謝! 感謝 !
2007年02月15日
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今年は、こちらでは雪も降らないで冬が終わってしまうのかしら?なんて考えていて、ふと・・たまころ達の結婚式の日を思いだしました。 3月13日の仏滅。その日しか空いてなかったし、若い二人は気にもしなかったんです。今でもあんまり気にするタイプではないんですけどね。 その日の朝、起きてビックリですよ。なにしろ何十年振りの大雪なんです。電車は止まってる。車(タクシーも)は走ってない。 幸い、たまころは歩いても30分ぐらいの場所だったので、長靴を履いて式場に行きましたが、長靴の中に雪が入って足はビッビョリ。 式場に付いたって、前の時間にお式を挙げるお嫁さんも、式場の従業員も来ていません。それでも、たまころは濡れて汚れた足に、真っ白いタビをはかされ何とか花嫁の支度はできました。 さあ~式場に入りましたが、誰~れも来てないんです。夫はこんな事になるんじゃないかって、近所のホテルに泊っていたのでセーフでしたが、仲人さんだって遅刻する始末。 なんとか、式を挙げて、さあ!披露宴です。が~ん・・・ですよ。席にはパラパラしか着席してないし、本当に惨めであり可笑しくもありました。その後、交通機関も回復してバラバラと途中から席に着く人達もいて何とか最後はまとまったお式にはなりましたが。 この日、花嫁&花婿の片割れが居ないままお式を挙げてしまったカップルもいたんですよ。これも、仏滅のせいだったかしら?こんな出発でしたし、仏滅のせい?という事件も数え切れないほどあったんですが・・・それは、それとして、何とか今も夫婦でいるって事はたまころが良く出来た女房だったのか(汗)?夫が良く我慢が出来たのか? あっ!まだ結論は出ていませんでした(涙)二人のどちらかが死んだ時に仏滅が私達に影響を与えたのか?与えなかったのか?解るのかしらね。雪の話だったんですが、朝から脱線してしまいました(ゴメンチャイ)
2007年02月08日
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マスコミっておかしくないかしら?青森県住宅供給公社の巨額横領事件で服役中の受刑者のチリ人妻に出演料を払って生出演させたり、大挙していく先々まで押しかけて、本人も大ハシャギだし・・・。 ピンクのヘビ柄のジャケットなんか着ちゃって(テレビ見てたんジャン!)さ。青森県民は怒っちゃうわよね。腹を立てながらもテレビを見ちゃう私達!視聴率が取れるからって密着取材しちゃうマスコミ!何~か、イヤだわ。そういえば、この寒いのに背中まるだしの服装の時もあったわよ(良く見てるでしょ?ゴメンネ) これ、美味しいのよ!(アフィリエイトじゃないからね)
2007年02月02日
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次男(33歳)が家を買いました。結婚=彼女の母親との同居という事で一軒家が必要なんです。ある中堅の建築会社の建売住宅です。この建築会社は少し高い価格の住宅なんですが、手抜きがなく評判がいいんですよ。買った人の紹介で買う、という人が多く直ぐに売れてしまうんです。 職業訓練校を併設していて、最低2年間は全員寮生活をし、建築の基礎から学びます。その後、社員大工と社員内装に進路がわかれます。10年程で一人前の職人になり、一人棟梁として住宅の建設が任されます。 その信用ある会社の住宅を次男が買いました。 実は次男はその建築会社に入社して14年の社員大工です。 そして、買った住宅は自分が棟梁として心を込めて建築します。勿論、手抜きはありません。むしろ手をかけ過ぎて会社からクレームが出るんじゃないかと心配になります。 これって、すごくいいでしょ?建売だけど、注文住宅と同じですよ。材料も質の良いものを使えるし材料は使い放題ですって。たまころの部屋も2階にあるみたいよ(行かないけどね) 腕の見せ所だわね。・♪ポチッと押してくれると 凄く喜びます♪
2007年01月27日
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友人が怒っていた。嘆いてもいた。ため息をついていたわ。理由は、彼女が風邪で高熱を出して寝込んだ日、ご主人の勤め先に電話をしました。「あのね!熱があってフラフラするのよ。それで、寝ていますね」って。ご主人は電話口で、優しい声で「ゆっくり寝ていなさい。僕の事は気にしなくていいからね」 その次の言葉に彼女は切れました。「僕は外で食事を済ませて帰るからね!」って。世の中の男の方、何故彼女が切れたかお解かりですか? じゃあ!彼女の食事は? 自分で作るの? どうせ食欲がないから食べないだろう~って。 妻が病気の時に自分と妻の食事ぐらいは作れるようにしてね。勿論、たまころの夫は完璧に看病してくれますよ。友人夫婦も、ご主人の反省と謝罪で今は仲良く暮らしています。安心したでしょ。・♪ポチッと押してくれると 凄く喜びます♪
2007年01月23日
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どんよりとした天気で冬らしい寒さだけど、それでも8度前後でたいした事はないわ。この頃は着るものも暖か いし、電車、店の中、何処に行っても暖かいのであんまり、厚着しても汗かいちゃうのよね ところで… さっき、娘からTELがあって、婿のおばあちゃんが亡くなったって。脳梗塞で倒れて2週間程、高齢なので覚悟はしていたのですが・・・。地方によって風習はいろいろあるんですが、娘の嫁ぎ先では冠婚葬祭が派手にならないようにか、祝儀・香典の金額が決まっているみたい。それも結構低め。その他に、私は始めて聞いたんだけど、通夜・告別式の食事代?を払うみたい。食事代は何の袋に入れたらいいの?って聞いてきたんだけど、私も初めて聞く事なので「お姑さんに聞いたら?」って言っておいたわ。話を聞いてみると、「へぇ~」と思う事が沢山ありますね。娘も嫁として頑張ってはいるんでしょうが、何しろ、解らない事だらけらしく無事にすべてが終わるといいなぁ~と・・・離れた実家で祈っているばかりです。皆、こんな経験をしながら一人前になっていくんですよね。♪ポチッと押してくれると 凄く喜びます♪
2006年12月21日
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本社時代、夫は管理職に推されたのを「島津製作所の田中耕一さんのように一生現場に居たい」って管理職を蹴りました。夫は今年60歳で定年退職して子会社に。子会社の社長は本社時代に1年後輩でしたが、順調に昇進して子会社の社長になっていました。つまり、夫は、部下になってしまったんです。それでも1年先輩の夫を○○さん!って呼んでくれていたらしいです。ここからが本題なんですが、金曜日に会社の忘年会があって、社長も出席しました。その日は○○!って呼び捨てになっていたんですって。「あいつはそういうヤツなんだよ」って淋しそうだったわ。いつもは出世など気にもしないで、好きな仕事に没頭してきたのにやっぱり現実を目の当たりにすると男のプライドが捨てきれづに頭を持ちあげたんだなぁ~と、良し・良し~してあげました。幾つになっても、男は男でした(ジャンジャン!)忘年会なんだからさぁ、そんな事も忘れろよ(コドモナンダカラ~)今日は何も無かったように愛妻弁当を持って会社に行ったわ。♪ポチッと押してくれると 凄く喜びます♪
2006年12月18日
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神様は何のために人間に試練を与えるのでしょうか?たまころは十分に試練を与えられましたし、それに耐え頑張ってきたと思います。自分の事、親の事、そして命より大切な子供にさえ容赦なく振りそそいだ試練。もう、終わったと思いました。それなのに、可愛い孫にも神様は!12月に4歳になる孫男は言葉をもたないのです。ありとあらゆる検査を受けました。異常はないんです。これからもゆっくりとお話が出来るようになるかもしれません。ならないかも?息子は嫁が動揺しないように気を使い、自分がすべてを背負っていこうという強い意志を持って受け止めています。息子の微動だしない態度が嬉しくもあり可哀想でもあるんです。どの親よりも子供を可愛がり、面倒を見、嫁を愛し、人一倍働いて家庭を守っている我が息子・・・・頑張れ!神様、もう試練はお断りします。♪ポチッと押してくれると 凄く喜びます♪
2006年11月28日
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たまころは嫁に恵まれている。長男は子供の頃から、独立心の強い子で干渉されるのを極端に嫌う子だった。ワンゲル部(ワンダーホーゲル)に入りたいと信州の大学に行ってしまい、卒業してからも自分の事はしゃべりたがらなかった。彼女なんて、いるのやら、いないのやら・・・1度も連れて来た事はなかったのに。 鎌倉ある夜、「友達と一緒なんだけど!」って我家のドアが開いて長男の後ろに小柄なちょと地味目の女の娘が★裏返しにたたんだ長男の背広の上着を腕にかけてたっていたんです。(★裏返してるのは、ほこりが付かないようによ)それからは、何かにつけて、家にも来たり、旅行に行ったりあの子が?って思うほど長男の性格が変わりました。女性の影響力って凄いんですよね。そして男性の力も・・・・。嫁は歯科衛生士の仕事をやめて専業主婦になってくれました。長男の趣味は子育てと嫁です。たまころの家では当たり前の事なんですが、子育ては「手伝う」ではなく、一緒に子育てを楽しむんです。皆驚きますよ!そして羨ましがりますよ。どんなに仕事が忙しくても子供の世話をするのが楽しみなんですから。泣く子をあやすのも、おむつを取り替えるのも、救急病院に連れていくのも、遊んであげるのも長男です。勿論、嫁もしていますよ。結婚して5年!芯の強い嫁は表面は長男をたて、おだてながら上手に暖かい家庭を築いています。だって、男の人を気持良く生活させれば、男はその家庭を大切にするし、女房に優しくなるじゃない・・女房は優しくしてくれる男性には、さらに優しくしてあげられる・・・って連動されるはず?です。たまころんちもそうなのよ。(寄り道もあったけど) (さざんかが咲きはじめた) 次男の話はそのうちしますが、この嫁もどきも(まだ入籍してない)も、すっごく良い娘なの。
2006年11月15日
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もう、愛してないわ。愛人もいるし。でも、居座ってるのよ。行くとこがないんだってさ。ドラ子を産んだ会社は試し洗濯したのかしら?汚れもおちないわよ~。水なんて節水しなくてもいいから汚れと別れて下さい。お願いします。そしたら戻ってきていいよ。愛は取り戻せるか? 今日はドラム式洗濯乾燥機に早朝から怒っています。我家に来て2年ほどたちますが、この子が働かないのよ。我儘っていうかぁ~お高くとまっているのか、気が向かないと働かないのよ。昨夜のうちに洗濯をすませて、今朝干そうとドラ子の前に行ったら、脱水だけが出来てない!!「エ~ そ・そんなぁ・・・・・」水につかるとやたらと重くなる私(イヤ~ン)そうじゃなくて、生地ってあるじゃない?セミダブルの掛け・敷きフトンカバーを1枚ずつ入れてドラ子を回したわけ。容量はガラガラで問題なかったのに水を含んだら重たくなったんじゃないの?重量オーバー(誰かみたいにさ)で脱水しないのよ。今の電化製品ってやたらとオシャベリするのにドラ子は無口で「終わりましたよ~」とも言わない子だから、「重いよ~」とも言わないで怠けてるのよね。少しぐらい重くったって頑張れよ!!1枚に別けたら回り出したけどもう遅いわよ(激怒)だってあんなに大きいずうたいだし重いのを、配達の人に文句言われながら2階に上げたんだもん、下ろす時には、怪我人がでるわよ。ドラ子には以前から不満だらけなんだけど又報告するわね。ドラ子とは価値観が違うので、少しスリムな愛人を家に入れたよ。顔合わせるとヤバイのでスリムちゃんは1階の脱衣所にかくしたけどスリムちゃんはおしゃべりなの。回り始めは夏でも「ジングルベル」で終わりは「カラスの子」なんだぁ。まだまだ不満だらけなんだけど、今日はこのくらいで・・・・・ね。 愛人2号 ね!可愛いでしょ。水の中でグルグル まわるのよ。昔馴染みの彼女は気を 使わなくていいからやっぱ、居心地いいわ。ただ、ちょっと脱水 が甘いかな?ちなみにドラ子は16万円。2号は3万円。 若い子はお金がかかるわね。
2006年11月13日
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夫は面倒見が良い人なんです。たまころの面倒も完璧ですが どこに行っても気をくばって人の世話を焼いています。 その夫が、いつものゴルフから帰ってきて「いつでも86歳の おじいさんを俺と組ませるんだよ」・・・と少し愚痴っぽく言うん です。 毎週行っているゴルフ場で自然に出来たグループがあって 4人づつのメンバーに組別けする時に必ず86歳のおじいさ んを夫と同じグループにして、お世話を頼まれるらしいんです ね(夫の世話焼きは有名なんです) 夫は「気が散って良いスコアが出せないんだよ」っていう事ら しいんです。 私、言ったんです。「86歳の方は、パパに迷惑をかけてる事 は重々承知していながらも、ゴルフに来る事が生きがいにな っているんだからお世話してあげてよ」って。 「86歳になって、ゴルフが出来るほど元気だったらパパだって したいでしょ?」 「そうだよな~」 これからも、夫はお年寄りのお世話をしながらコースを回ってく れると思います。 迷惑をかけるから出来ない・やらない・・・じゃあ可哀想ですよ。 私達がもっと年配になった時にお年寄りも身体の不自由な方 も後ろめたさを感じさせない世の中にしたいですね。 それは、すべて人間の心が作る世の中です。 まずは、思いやりのある家庭を作る事からはじめましょうか? あっ!たまころの事だわ(苦笑)
2006年11月12日
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民家の縁の下でリンゴを食べていた熊が射殺された。人間は飽食につぐ飽食で、まぐろの漁獲量が減らされたと騒いでいる昨今です。 昨年北海道で殺された熊は「世界自然遺産指定知床」での32頭を含め568頭です。熊は人を無差別に襲ったりしないし、里山があった頃は、熊と人が棲み分けて共存していたのだし、昔熊が民家に近づかなかったのは犬を放し飼いしていたからとも聞く。 日本には、ツキノワグマとヒグマの2種類が生息する。自分も豚も牛も食べるし、毛皮も大好きっで偉そうな事は言えない。 今年も数多くの熊が殺されている。ニュースを見るたびに悲しい。
2006年10月31日
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今、我家は孫太郎が嵐のようにたまころの生活を掻き乱してあまりにも現実的になっているので少しだけ前の 旅の話を思いだしたくなりました。たまころ達年代にとってアメリカは憧れの国で、海外旅行の最初の国にしたいと思っていたのに、アジア以外の旅で最初に選んでしまったのが、「カナダ」でした。次はスイス・オーストラリア・いよいよアメリカに行く事になったのに行けたのはロスのユニバーサルスタジオで、 憧れのニューヨークに行ったのはさらにその後になってしまったのです。成田空港からJALが好きなのに、どういう訳かANAで12時間。ケネディ空港から車で30分、メッツの「シェアースタジアム」の横を通って「タイムズスクエアー」へ。 昔はドラッグや売春が溢れる、NYの危ない所のひとつでしたが今は夜遅くまでショピングを楽しむ華やかな街に感じられました。たまころの中で、戦後は完全に消え去りました(ちょと遅いかな?) ニューヨークの信号 いちょう
2006年10月27日
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嫉妬って不快な感情ですか?感じたくない感情かもしれません。でも、社会の競争や、めくらめく恋愛では感じないわけにいきませんよね。嫉妬は自分以外の誰かの感情を受けて感じるわけですが、競争による負けの時に感じるのではないでしょうか? ベトナム女性の嫉妬深さは物凄いと聞きます。ベトナムでは男性が浮気をすると、相手の女性が誘惑したと考える女性が多く、憎い浮気相手に塩酸・硫酸を掛けたなんて話も聞くそうです。男性からすると、ベトナムの女性はスマートで美しくセクシー(勿論そうでない人もいますが)。やさしいし、アオザイを着た姿は男性の目と心をくぎずけにしますが嫉妬されないようにお気をつけあそばせ・・・という事です。 女性の嫉妬を表した絵そういう話がしたかったのではなくてェ~孫太郎は2歳4ヶ月です。前回里帰りしたのが、2ヶ月前。その時は、愛犬ももが、夫を独占する孫太郎に対して「嫉妬」したのに 今回は孫太郎が愛犬ももに対して「嫉妬」するんですよね。人間の嫉妬心ってこんなに幼い頃から始まるんですね。 「嫉妬」に関しては、たまころも苦しんだ経験があります。孫太郎を見てて、ちょと思い出して胸がチクリとしました。 関係ありません
2006年10月26日
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先日の愛犬「もも] 卵巣・子宮の全摘出手術で、生まれて初めて知った事があります。知ってました?犬には子宮が2個ある事を。 細長いピンクが左右2本ありますが、それが子犬が入っている子宮なんです。だから15匹ぐらいの多頭数を産めるんですね。獣医さんがエコーを見ながら二つある子宮がって言ったのよ。その時待合室からも一斉に「えっ~2個もあるの~?」って驚きの声があちこちから聞こえたのよ。知ってた人いました ?
2006年10月24日
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結婚した頃は、献血でなく、血液を売る人がいたんです。生活に困って血液を売るわけですから、栄養状態が悪かったり、身体が悪かったりで、良い血液が不足していたんですよね。今と違って、献血をするとポイント制になっていて、その分自分と家族が必要な時にもらえたんです。夫は、子供が生まれた時から、献血を始め、何時からか、ポイント制がなくなって完全にボランティアになってからも、30年近くやってました。(血圧が高くなったので、出来なくなりました。)それをずっと見ていた娘は、知らない間に献血をするようになっていたんですよね。 その後、骨髄バンクに登録していたのですが「合う患者さんがいました」との連絡があり、検査が何回かあった後、入院して、全身麻酔で骨髄を取り、患者さんに移植されました。患者さんとの接触は出来ませんので(今は出来るみたい)その後の事は判りませんが、元気になっている事を祈るばかりです。今、娘は、好きな人の居る青森に嫁いで幸せに暮らしています。私は娘が大好きです。娘も「お母さんが居なくなったら生きていけない」と慕ってくれますが勿論、生きていけますよ。 結婚前に、国内外とイッパイ旅行に行きましたが、アウシュビッツに行く約束が果たされていないので、都合がつくようになったら行ってこようと思っています。娘との共有の時間は本当に楽しくて、至福のときなんです。私の幸せの大きな基盤になっていると思います。
2006年10月03日
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夫に、「私と別れて別の生活をしてもいいのよ!」って言ったのは4年ほど前だったでしょうか?父は(同居の私の父)母が亡くなってからは昼間もお酒を飲むようになって元々酒乱ぎみだったのが、ますますひどくなり、攻撃する相手が夫になったんです。(それまでは母に向かっていました)言葉の暴力で、能力・生き方・を否定するような、男としてのプライドをズタズタにする言葉を毎日浴びせかけるんです。 ある日、包丁を振り回して、暴れたてパトカーが来る騒動になり精神病院に強制入院になったんですが、父が「家に帰りたい」って泣いて訴えるんですよね。可哀想になって、退院させ家に帰ってきたその晩、又暴れた時夫に言った言葉です。夫は父からどんなに罵声を浴びせられても、「お前を守る為に」って、家に残ってくれました。表現しずらいんですが、夫への暴力・暴言はすごいものでした。 ある日父の食欲が落ちて、足・腰が衰えてきたような気がして夫に「病院に連れて行きたいけど、外は歩けないと思うの」と言ったところ、仕事を休んで、おんぶして車まで連れて行き(駐車場まで離れている)ずっと付き合ってくれ、次の日に遠くの病院に入院するまで気持良く心を込めて父の世話を見てくれました。結局、父は結核で強制入院になりました。夫の帰りが遅い時、押入れに隠れていた日々。いきなり頭を殴られて、血をながした日。それでも衰えていく父が愛おしくて、お風呂に入れヒゲを剃り、3度の食事を食べさせ。いつ怒り出すか判らない、いつ終わるか判らない話を聞き、夜中でも呼び出され、オムツを代え。十分介護した…と満足しながらも、もっとあげられたのではないか…と反省するのが、年寄りの介護なんですよ。 親の立場、子供の立場があるけど。何が言いたいか・・と言うと「自分がすべて正しいなんて事は無い」ということなんです。???自分を殺せる事も、愛の形の一つかなぁ~ って (苦笑)
2006年09月30日
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今、AM6時です。夫はニコニコしながら「じゃあ~」と手をあげてゴルフに行きました。私はと言えば、愛犬ももの散歩に行って「秋」の清清しい空気を吸ってきました。本当に極上の幸せです。自然に勝るものはないですよね。そういえば、昨夜の散歩では、虫の鳴き声がステレオどころか6方・8方から聞こえてきて、何日か前におこなわれた、国立でのSMAPのコンサートに負けない程の素晴らしさでした。外苑西通りの騒音もかき消され、暫らく聞き惚れていました。いつもの様に、夫も誘ったんですが「あっ!悪い、ちょっと忙しいんだぁ~」と見事断られ、10勝10負でした。なんだよぅ~演歌聴いてるんじゃんか!(ドキドキとときめく愛が欲しいよぅ)と毎度思いながら。前書きが長くなってしまいましたが、お彼岸ですので、10数年前に脳梗塞で亡くなった母の思い出を書いてみたいと思います。当時の女性としては珍しく職業婦人として自立する夢を持っていて、女学校~大学へと順調に進学したのですが、学業半ばで、病(肋膜)に倒れ断念したんです。当時は仕事を持たなかったら結婚するしか生きる道はなかったので母としては、泣く泣く結婚したんですね。結局、男女平等を家庭の中に持ち込んだ事で、後々までそれが夫婦ケンカの種になるんです。途中省略何が母の失敗か?と言うと長年日記を書いていたんです。心の思うままに父の愚痴、悪口を書いていたんですが、それを母の死後読んだ父は怒り心頭ですよ。10数年間は毎日、母の悪口を聞かされました。同じお墓にも入らないし、あの世でも絶対逢いたくないから、お坊様に「そう言うお経を唱えてくれるように頼んでくれ」って頼まれてたんです。今、お墓の中では孫の覚ちゃん(私の次男)を真ん中に左右に離れてにらみ合ってると思います。格言夫&妻の悪口を書いた日記は残すな!!!!でした。 合掌
2006年09月23日
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夕飯のとき「松茸が出てきたから、食べに行きましょうか?」「じゃぁ!(なだ万)を予約しといてくれよ」「は~い」「あっ!俺、明日は帰り遅くなるよ」「金曜日なら大丈夫?」「ああ」こんな何気ない会話が出来るようになったのは、いつからかしら?40年近く勤めた会社を今年定年退社して、子会社に変わってからは、肩の力が抜けたように、穏やかな夫になりました。それまでは、パンパンに張った風船のように、触るのも怖い状態でした。会社は「俺が背負っている」と本気で思っていたようで、「会社あっての家庭だ」と言われた事もあったっけ。「俺が食わしてる」らしい事も言ってましたよ。定年後、子会社に行って最初は「男でなくなったような気がする」と落ち込んでいる時期もありましたが、半年近くたった今、気持の整理を付けたんだと思います。その結果、家庭が一番と変わりました。今までは、仕事の話は勿論、愚痴らしき事も言った事が無かった夫が2時間位、時間をかけて二人で晩酌をしながら、いろいろな話をしてくれます。私は、夫との会話に慣れていないせいか、恋人時代みたいにドキドキしたり、新鮮な発見もあるんです。昨夜は「上司が○○こんな事を言ってるんだけどおかしいだろ~」って言うから、つい、私の意見を言ってしまったんです。夜中にふっと思ったんですが、夫は私の意見を聞きたい訳じゃあないんですよね。ニコニコしながら「そうよね~・そうなのよね~」って、あいづちを打ってあげれば、いいんですよね。反省しましたよ。熟年離婚が多い中、こんな幸せな後半が待っていたとは、考えてもいませんでした。いろいろな事があった夫婦生活でしたが…結論としては人間と人間の付き合いで無くてはならないものが「思いやり」だと思うのです。
2006年09月14日
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