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Nonsense Story
彼岸 2
彼岸 2
火焔のような彼岸花の群は、木立の中を
何処
(
どこ
)
までも続いている。
青天
(
あおぞら
)
に映える様も緑に浮かぶ光景も美しいが、暗がりから湧き出てくるような花の群には凄みがある。花は何処まで続いているのか。その先には何があるのか。
わたしは一歩、花群の中に足を踏み入れた。
心地よい風が、さあっと木立を抜けていく。それに合わせて火焔も揺れる。その時、奥の方で、花とは異質な紅が揺れた。
なんだろうと進んでいくと、かすかに人の声のようなものが聞えてきた。
ゴンシャン ゴンシャン 何処へゆく
赤い、お墓の
曼珠沙華
(
ひがんばな
)
、曼珠沙華、
けふも手折りに 来たわいな。
ゴンシャン ゴンシャン 何本か。
地には七本、血のやうに、
ちゃうど、あの
児
(
こ
)
の年の数。
物悲しい旋律に乗って聞えてくるのは、間違いなく、幼い頃に田圃の畦道で聞いたあの唄だった。
ごんしゃん?
頭ではそんなはずはないと分かっているのに、足が唄声のする方へと向かって行く。少し近づくと、赤い中に白いものが現れる。それは蠢くように波打ち、やがてこちらに面を向ける。ゆっくりと、ゆっくりと。
ゴンシャン ゴンシャン 気をつけな。
ひとつ摘んでも、日は真昼、
日は真昼。
ゴンシャン ゴンシャン 何故泣くろ。
何時まで取っても、曼珠沙華、曼珠沙華、
恐や
赫
(
あか
)
しや、まだ七つ。
ひとごろし。
幼い頃の記憶が蘇り、ごくりと唾を飲む。自然と足が速まる。恐いはずなのに止まらない。白髪の中から、
貌
(
かお
)
らしきものが覗く。右足が草を踏む。左足が花を跨ぐ。
と、不意に熱いものに手を掴まれた。
危ない!
手元を見ると、ピカピカのランドセルが似合いそうな男の子が、ぶら下がるようにわたしの手を掴んでいた。
もう少しで川に落っこちるところだったよ。ほら、そこ。
男の子はそう云って、わたしの足元を指差す。そこには、ちろちろと小川が流れていた。
ありがとう。気が付かなかった。
どういたしまして。
男の子が赤く蒸気した
貌
(
かお
)
で微笑む。
ねぇ、一緒に帰ろう。
でも、わたしはあの人に
云
(
い
)
いたいことが・・・・・・。
云って川の方を振り返る。白髪の女が、じっと
此方
(
こちら
)
を見つめているはずだ。
だが、川の向こうには赤い絨毯が拡がるばかりだった。異質な影など何処にもない。
じゃあ待ってる。でも、川のあっち側に行っちゃ
不可
(
いけ
)
ないよ。
男の子が潤んだ瞳で懇願するように云う。貌が赤い。
わたしは彼が離そうとした手をぐっと握って、小さな額に反対の手を当てた。火傷するかと思うほどあつい。すごい熱だ。
あなた一人なの? ご両親は?
訊けば、彼岸花に夢中になっているうちに迷子になってしまったのだと云う。わたしも周囲を見回して愕然とした。
道という道のない場所である。見渡す限り赤い花の群が続いている。なんとなく来たと思う方角も、木立が並んでいて確証が持てない。辺りもいつの間にか暗くなっている。まだ午前中だったはずなのに、夕暮れ時のようだ。雨でも降るのかもしれない。
もうご用はなくなったから、すぐに帰ろう。
わたしは男の子に背を向けてしゃがむと、負ぶさるように指示した。
動かない方が得策かとも考えたが、高熱を出している子供を、こんな
処
(
ところ
)
に居させるわけにもいかない。雨が降るなら尚更だ。わたしは彼を負ぶって、来たと思しき方向へ全力で走った。
気が付くと、旦那に軽く頬を叩かれていた。男の子の姿はどこにもない。
「良かった。眼が醒めた」
「あれ? わたし、寝ちゃってたのか」
スカートを払いながら立ち上がると、軽い眩暈を覚えた。
天を見上げる。夕暮れはまだ遠く、雨雲も見当たらない。どうやらごんしゃんも男の子も夢だったようだ。花に見惚れていて眠ってしまうとは、我ながら情けない。
「なかなか起きないんだもん。おふくろが帰ってくるまでに起きなかったらどうしようかと思ったよ」
旦那が呆れたように
云
(
い
)
う。
「ごめん。変な夢見てて。お
姑
(
かあ
)
さんはまだ?」
「うん。そうみたい。良かったよ、おふくろがまだで。おふくろの奴、異常なくらい
此処
(
ここ
)
の彼岸花畑のこと怖がってるからさ」
「死人花とか呼ばれてるから?」
彼岸花のことを死人花や地獄花と呼ぶ地域は多数あり、不吉な花として忌み嫌う人も少なくはない。
しかし、姑の場合は違っていた。彼岸花そのものよりも、この場処の方を恐れているらしい。
「昔、おれがこの中で迷子になったことがあるんだ。その日の夕方に発見されたんだけど、四十度近くも熱が出てたんだってさ」
わたしは思わず旦那の
貌
(
かお
)
をまじまじと見つめた。
「それっていくつの時?」
「えーっと、小学校の一年か二年だったから、七歳くらいかな」
それから彼は、あの男の子のように、少し頬を蒸気させて云った。
「でも、おれにとってはそんなに嫌な場処でもないんだよね。意識が朦朧としてたからよく憶えてなかったはずなのに、その時に逢った女の人が初恋の人だって公言してた憶えがある」
わたしは噴出してしまった。
「その
女
(
ひと
)
って人間じゃなかった可能性もあるんじゃない?」
姑
(
はは
)
の言葉を思い出す。
あの子は、放っておくと人外の存在と婚約してくるんじゃないかと思って、早々に見合いをさせたのよ。
大丈夫。彼が此処で逢ったのは、決して人外のものじゃありませんでしたよ。
そう教えたら、姑はどんな貌をするだろうか。
帰りに姑の家に寄ると、そこにあった歌集にあの唄が載っていた。『
曼珠沙華
(
ひがんばな
)
』というタイトルで、詞は北原白秋だった。
その歌集に
拠
(
よ
)
ると、あの唄は不義の子を産んだ両家の娘が、子供の墓参りをする場面を描いたものだという説や、白秋が、最初の妻、俊子のことを書いた詩だとする説があるということだった。俊子は、白秋と不倫の末、元夫との間の子供を実家に預けて白秋と結婚したが、後に離婚。尼になったものの、狂気のうちに亡くなったとも云われている。
『ごんしゃん』の本当の由来は、彼女の生い立ちが唄と重なっていたからだったのかもしれない。
彼女は今も、彼岸花を手折りながら、我が子を探しているのだろうか。泣き出したわたしを慰めようと屈み込んできたごんしゃんは、般若の影など何処にもなく、菩薩のように慈愛に満ちた貌をしていた。我が子を
愛
(
いとお
)
しむ、母親のような。
わたしは、あの時逃げ出したことを彼女に謝りたかった。しかし、もし彼岸花の中にいた彼女にその気持ちを伝えることが叶っていたなら、わたしは今、
此岸
(
ここ
)
にはいなかったのかもしれない。
ごんしゃんが死んだのは、もう十年以上も前のことである。
当時は彼女の母親もとうに亡くなっており、無人となった彼女の家には、水に晒したままの彼岸花の球根と、その澱粉から作ったと思しき団子が無数に転がっていたという。
了
彼岸
1
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