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Nonsense Story
15
「殺して欲しかったんだってさ。俺に」
「え?」
「もともと俺達を呼んだのも、自分は幸せだってことを見せつけて、殺意を抱かせるためだったらしい。自分じゃ死ねないから、大好きだった男の子供に殺してもらおうと思ったんだと。手紙は映画を観た後で、俺に手渡すつもりだったらしい」
「な・・・・・・っ」
なんだよそれ。
「俺が薬を入れ替えたのは、向こうにしてみれば目論見どおりだったってわけだ。笑っちゃうだろ。全てはあの女の思い通りに運んでたってわけ」
片岡は自嘲するように笑うと、また真剣な声に戻って続けた。
「じゃあ、望みどおり殺してやろうと思った。手紙には、自分が死んでも俺に罪はないと書いてあったしな。でも、周りがそう思ってくれるとは限らない。だから、絶対に自分の手は汚すまいと決めた。証拠になるような物を残さないためにも、直接手を下すようなことはしないってな」
それには自殺に見せかけることが一番だった。
しかし、いろいろ考えても妙案は浮かばず、彼はとりあえず白石久美子の様子を見に行くことにした。家の人にはいつものように塾の夏期講習に行くと言って出掛けた。
夏期講習は厳しく出欠をチェックされるようなこともなかったので、さぼるのも簡単だった。それに、塾は駅前にあったので、万一駅で知り合いに見咎められても、改札でもくぐっていない限りは塾の休憩中だと言ってごまかすことができた。
そうやって、ほぼ一日仕事で病院まで偵察に行ったのが一昨日のこと。つまり、明代ちゃんに目撃され、ぼく達とばったり会った日である。
しかし、片岡は彼女と知り合いであることを誰かに知られることを懸念して、病室まで行くことはしなかった。それでも彼女の病室が六階の角部屋であることを突き止めて、この日は帰った。
そして昨日、白石久美子が死んだ日がやってくる。
「昨日は夕方近くなってから病院に向かった。一晩考えた末に、ある方法を思いついたんだ。でも、成功するとは限らなかったし、人に見られてもまずいと思って、病院には暗くなるのを待ってから入った」
やはり、昨日ぼくが見たのも片岡で間違いないようだった。
病院に入ったといっても、敷地内に入っただけで建物の中には一切入っていないと片岡は言った。
「じゃあ、どうやって彼女を?」
ぼくは思わず口を挟んだ。
「言ったろう? 直接手を下すようなことはしなかったって」
直接でなければ間接的に手を下したんだろうが、ぼくには想像がつかなかった。
ぼくが正直にそう言うと、片岡は楽しげに笑った。それは少し眠たげな笑いだった。
「眼鏡を取った顔を見せただけだ」
「は? それだけ?」
「それだけ。信じられないだろ。やっておいてなんだけど、俺も驚いたよ」
片岡は一晩考えて、白石久美子が自分を見て、親父さんに似ていると目を細めたことを思い出した。その時彼女は、彼に眼鏡を取って欲しいと頼んだそうだ。目元が親父さんに似ているからと。
そして片岡は、彼女が自分を親父さんと見間違える可能性を考えた。
昔の親父さんの写真を引っ張り出してみると、たしかに自分に似ているような気もする。ど近眼なので、眼鏡を取った自分の顔ははっきり見ることが出来ないのだが、眼鏡をかけていても面影はあった。
「ばあさんが俺に必要以上に厳しいのは、俺が親父に似てるから、親父への八つ当たりをしているのか思ったくらいだ」
彼は皮肉っぽく言った。
白石久美子の病室は六階。顔が見えないかもしれないという代わりに、はっきり見えるはずがないので、見間違えることも有り得るかもしれない。そして・・・・・・。
片岡は、その考えに賭けることにした。
彼は日が暮れてから眼鏡を外し、懐中電灯を持って彼女の病室の下に立った。
夏の日は長く、辺りがすっかり暗くなったのは、病院の消灯時間を過ぎてからだった。
彼女の病室の下は中庭になっており、芝生が敷きつめられたそこは、人が来る心配もなかった。人間の吐く息のような生暖かい空気が、片岡にまとわりつくようにその場を覆い、静かな夜を虫の声だけが奏でていた。
非常灯だけが窓を青く彩るようになると、片岡は白石久美子の病室の窓へ向けて懐中電灯を照らした。ずっとではなく、何度かスイッチを切って、点滅させるようにする。他の窓にかからないように、ぐるぐる回したりもしてみた。
三十分も経った頃だろうか。救急車のサイレンが近づいてきて、今日は諦めて帰ろうと思った時、彼女の部屋の窓が開いた。
「夢かと思った。眼鏡を外してたし暗かったから顔は見えなかったが、間違いなくあの女だって分かったよ。白い寝巻きを着てて、しばらく俺に釘付けになってた」
彼女は救急車のサイレンが止むまでの間、窓から乗り出すようにして片岡を見ていたが、待っててというように手で物を押さえるようなジェスチャーをして、すっと暗闇の中へ消えてしまった。
救急車が入ってきてから、虫の声を掻き消すように、人の声やストレッチャーの車輪の音がする。救急搬送口は別棟にあったので、こちらには人が来ることはないと分かっていても、片岡は気が気ではなかった。
なかなか出てこない久美子にしびれを切らして、もう帰ろうと眼鏡をかけ直した時だった。窓に白い人影が戻って来て、何か言った。それは彼女に言語障害が残っているためか、ほとんど呻き声のようにしか聞こえなかったが、片岡には「待って」と言っているように思えた。
片岡が病室の方に向き直ると、彼女に向かって両腕を広げた。
すると、彼女は一瞬微笑んだように見えたという。
それから彼女は、ひらりと窓枠を飛び越え、濃紺の空に白い衣を翻した。
「まるで真っ白な月下美人の花が開く時みたいだったよ。でも、次の瞬間にはただの白い塊になって地面に横たわってた。落ちた時の重い音からは想像できない程の軽さでな」
片岡は、彼女の生死を確認することもなく、すぐにその場を立ち去った。しかし、もう息がないということはどこかで確信していた。背後で窓の開く音や人の叫び声が聞えたが、中庭の植え込みに身を潜めながら、なんとか人と出会わずに病院の敷地を抜け出すことができた。
蒸し暑い夜空に浮かんだ下弦の月だけが、彼の行動を冷ややかに見守っていた。
片岡の取った殺害方法とは、彼女に自分を親父さんだと思わせ、下から手招きして彼女を六階から飛び降りさせることだったのだ。
「まさか一日で成功するなんて思わなかったよ。失敗する確率の方が高いと思ってた。何日かは続けることになるだろうと思ってたし、退院したらまた別の手を考えるつもりだったからな。たった一日で成功したってことは、それだけあの女が死にたがってたってことだろうな」
眠たげに、どこか投げやりな調子で、片岡は締めくくった。
ぼくはなんだか腹立たしくなっていた。
それでは片岡は、大きなリスクを背負って、彼女においしい夢を見させただけじゃないか。たしかに白石久美子は命を落としたけど、結局それは、彼女の思い通りになったということだ。今現在の片岡の心境を思うと、彼の苦しみ損だと思った。
「なんでそんなことしてやる必要があったんだよ? 彼女の苦しむ姿が見たかったんだろ? だったら放っておけば良かったのに」
ぼくだったら放っておく。決して相手の思い通りになんかしてやらない。たとえ殺したいと思っても、相手が殺して欲しいと思っているなら、絶対にそうしてなんかやらない。
「全ての原因は、俺にあるからだよ」
「どういうこと?」
「俺は昔、知らない間に二人の駆け落ちを後押しするようなことを言ってたんだよ。全部自分で蒔いた種だった。彼女への憎しみも親父への恨みも、全部自分のせいで芽生えたことなんだ。だったら自分で清算しようと思った」
「でもそれは知らない間のことだろ? だいたい親父さんは片岡が六歳の時に家を出たって言ってたじゃないか。そんな子供の頃の発言なんて、責任持てるかよ」
「それでも俺は許せなかったんだ」
片岡は、自分に非があると認めない限り謝罪などしない人間だ。しかし、自分に非があった場合はとことんその償いをするだろう。
「許せなかったのは誰だ?」
ぼくの質問に、片岡は答えなかった。けれど、答えは分かっていた。それは彼の親父さんであり、白石久美子であり、彼自身なんだろう。
ぼくが一番怖いのは、最後の答えだった。
「先に言っておくけど、俺は自首するつもりはない」
しばらくの沈黙の後、片岡は言った。
「お前が告発しようと思っても、証拠は何もないぞ。あの女は自分で飛び降りたんだし、俺はあの病院では誰にも会わなかったからな。まぁ、この会話を録音でもしてるなら、それが証拠になるかもしれないがな」
「別にそんなつもりはないよ。もともと片岡が彼女を殺したかどうかなんてどうでも良かったんだ」
「赤松さんを安心させるために真相を知りたかったんじゃないのか?」
「それもあるけど、俺が自分なりの考えを言ったのは、別にお前の罪を暴こうとか、白石久美子の死の真相が知りたいとか思ったからじゃない。お前が何をしていようと、俺はお前が悪いとは思ってないってことを伝えたかっただけだ」
「俺が可哀相だから?」
「可哀相だと思われたいわけ? プライドの高いお前が?」
再び沈黙した片岡に、言い聞かせるようにぼくは続けた。
「いいか? 彼女のは自殺だ。ゆるやかな。お前はただの道具にすぎなかったんだ。服毒自殺なら、お前は毒薬を飲むための水を入れるコップだ。リストカットなら、カッターナイフの柄の部分だ。刃じゃなくて柄。どれも無くても死ぬのに支障は無い。代替はいくらでもある。お前がいなくても、白石久美子は死んだってことだ。事実、彼女は一人で飛び降りたんだしな」
「・・・・・・何が言いたい」
「死ぬなと言いたい」
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つづく
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