全18件 (18件中 1-18件目)
1
今日の名古屋は 快晴で 素晴らしい天気に恵まれ温かい一日でした 大寒の中で 2日間続けての陽気 不思議な感じがします名古屋にあります考古資料館に行ってきました弥生時代が主に構成されていました一里塚名古屋市内で完全な姿で 残っている珍しい一里塚町並みも少しではありますが 保存されていますこの東海道を 往時の旅人が往来していたと 目を閉じて 想像していました梅開花見晴台公園の梅が蕾状態が ホトンドですが一部で開花しかけていました 満開には半月以上かかると思われます 例年よりは 少し早いのかも高射砲台跡第二次太平洋戦争中に名古屋南部を守る 高射砲隊の陣地跡です 二門残されていました ここから艦載機に向けて 発射され 夜ですと真っ赤な玉が 飛んで行ったこと 想像しました名古屋市見晴台考古資料館名古屋市見晴台考古資料館は、見晴台遺跡に関する資料の収集、調査研究、展示を行う遺跡博物館としての機能と、市内の埋蔵文化財の発掘調査を行う、埋蔵文化財調査センターとしての機能を兼ね備えた施設です展示土器類弥生時代後期の環濠集落として知られる見晴台遺跡の上にある考古学専門の資料館の 展示されている 一部です下呂石岐阜県下呂市の南東にある火山 湯ケ峰山が噴火した溶岩によって出来た岩石石鏃(やじり) 小型の剥片石器の石材として利用され交換品で手に入れたと思われる 広範囲にされていいたのですね高杯弥生時代の土器です調査地点毎年夏を過ぎる頃に 発掘調査を行っています範囲も広範囲となっています 1981年からなされ市教委で 55次まで 展示していました弥生式後期から 古墳時代前期が中心です
2008.01.31
コメント(22)
今日の名古屋 晴天で 温度も上がってきました気持ちの良い一日となりました雪の降らない事が 更新されています やはり無いとなりますと 降ってほしい心境になりますね今年の節分で 名古屋四観音の 恵方に当たります笠寺観音について アップします山門寺の南側に建立されており 池があり 太鼓橋を渡って 入山いたします両脇には 形相が怖い位の 仁王が立っています山門は優雅な姿をしております本堂当寺は真言宗智山派 天平八年(736)のある日、呼続(よびつぎ)の浜辺に一本の浮木が漂着した。それは夜な夜な不思議な光を放ち、付近の者はそれを見て恐れたという近くに住んでいた僧・善光(ぜんこう)上人は、夢の中で不思議なお告げを受け、その漂木を刻んで十一面観世音菩薩様の像を造り、粕畠(かすばた)ー現在の笠寺より約650m南ーの地に、お堂を建立し、そこに観音様を安置して、天林山 小松寺と名付けた 約200年の歳月が流れ、寺は荒廃し、堂宇は崩壊して、本尊は野中に立って雨露にさらされたままであった御寺はかなりの変遷が繰り返されて 昭和になって 現在のようになった本堂 折鶴本堂の礼拝所の頭上に 折鶴が無数に垂れ下がっています厄よけ、健康、商売、結縁での参拝が多く さらに本尊は 十一面観世音菩薩です玉照姫雨ざらしでびしょぬれだった観音さまを見て、自分がかぶっていた笠をかぶせた彼女は京からやってきた青年貴族・藤原兼平公にみそめられ、長者の家で仕えていたところから、京に召され、兼平公と結ばれ、玉照姫(たまてるひめ)と呼ばれる笠をかぶった寺=笠覆寺(りゅうふくじ)と名付けたことから、笠寺の名の由来となりました宮本武蔵の碑武蔵の弟子の子孫らが百回忌を記念し延享元年(1744)に建立した 当寺と 武蔵との関係はわかりません多宝塔 二重の塔で、阿弥陀如来をまつって あります西山門を入って 直ぐです芭蕉の碑星崎の闇を見よとや啼く千鳥この近くは高台ですが 入り江が入り込んで おり千鳥が鳴いていたのでしょうこの近くには 鎌倉街道が通じています 明治期にいたる頃には玉照姫・兼平公ご夫妻のお堂の破壊をはじめ、建物は荒れ、尊像、宝物、什物、土地はかなりが散逸したと寺史に書かれています重文になるような諸仏 建物は散逸したものと 推測します
2008.01.30
コメント(17)
今日の名古屋 朝から雨が降っていますが 温度は下がらず 寒さを感じない 陽気でした午後から小雨になり 夕方からは止んできました午後からスポーツジムに行き 筋肉トレに励みプールで初めて泳ぎました 8か月振り クロールでしたが 50mでギブアップ 息が続かない10本位で止めました宇宙船から見て 人口物で見える 万里の長城について アップします八達嶺長城北京市内から75kmにあります 整備が進んでおり歩きやすい 万里の長城は秦の始皇帝とされていますが以前から戦国時代から 各国の王が自己の領土を長城で囲んで 異民族侵入に備えたのです東は遼東から西は臨とうまで 続いています約5000里あるとされています城楼約110m毎に作られ 兵士の見張りを設け 詰め所として活用された ここから狼煙があげられて 敵の侵入を知らせる役目も担っていた城壁高さは7.5m 上部の幅は4m 騎馬5列 兵士10列で歩くことが できるように なっています初期の長城は土を固めて作る版築という方法が多かった明代になって 碑(セン)という 日干しレンガが使用するようになり 堅固になったこの八達嶺は 1505年に作られた延々と目の見える範囲は 尾根を活用して 長城が続いていました先が霞んで 見えなくなっていましたどこまでと 言う表現が ピッタリです荒地周囲を見渡しますと 荒地で凄い 断崖もありますこのようは状態の場所に建築して 繋げたのです長城の建設は 囚人や軍隊 貧しい人々が徴用され自然環境の猛威のなかで 実施されたのですかなりの犠牲者が出たと 想像されます孟姜女 伝説が有名ですね大砲観光して下りてきましたら 広場に 大砲が並んでいました民族の侵入の 時に使用されたのでしょうかガイドさんに聞くこと 失念しましたでもこのような建築物を作れる財力 凄いの言葉しか 見当たらない
2008.01.29
コメント(16)
今日の名古屋 雨が降り出しそうになったり 晴れたり不安定な日中でした 朝方は氷点下が続いています公園の氷も 厚いところは 1cmもあるかと 思える位です 隣県 高山市で 氷点下22度を計測世界遺産であります 十三陵について アップします十三陵成祖永楽帝の 陵墓明の第三代皇帝永楽帝以降 明王死後の皇帝となった第十七代崇禎亭まで 13人の皇帝の陵墓が存在しています広大な土地に築かれています 最初に発掘されたのが大十四代万暦帝の長陵です長陵まだ内部は発掘調査されていない 遠方からも その大きな姿を見ることが出来ます 石碑坊は1540年代に築かれ幅29m 高さ14mの規模であります十三陵分布図広大な土地に配置されています 英文と中国文で併記されています 名古屋弁唯一の言葉ですから 読めないのが 残念です珍しい樹木枝の格好が組み込んで 先ずらしく パチリと ガイドさんに聞きましたが 痴呆症の初期化されている トンカツの脳裏5秒と覚えておらず メモ見ましても 記入されていませんでした埋葬品 王冠定陵は13陵の中で 唯一発掘されたのです 発掘は1956年に行われましたその時に発見されたのです ガラス越しですので写りは一部光って見えますが 高価な宝石をふんだんに使われハットしました 目が輝きますミイラの写真万暦帝のミイラです この帝は最大で唯一の仕事が陸陵を作った事と言われています 墓造りに財力と精力をつぎ込み 明王朝の崩壊の発端と言われています18年の歳月をかけ 完成は1950年で万暦帝が葬られたのは 1620年です地下宮殿の宝物入れ物凄く広い地下宮殿となっております 棺桶が安置されている 近くに このような真っ赤な 箱 かなり大きいですここに宝物が 入れられていました かなりの個数です何故朱塗りなのかは 判りません 鮮やかでした埋葬品の壷皇帝 女帝の座られる 玉座の椅子もありましたこの時代には 連座はなく 皇后が亡くなってから合葬されました立派な青磁でした皇帝用扉中国では一番偉い方の 扉の鋲は 9列9個 つまり 81個となっております扉を見ますと 判ります 故宮でもそれをうかがうことが 出来ました一つの墓で このようですから全部 発掘されましたら凄い 貴重な資料を得ることができると思いますでも許可は下りない のd3はないかとの ガイドさんの言葉でした
2008.01.28
コメント(18)
今日の名古屋は晴天でしたが やはり冷たい陽気最近気候の変化が激しのが 原因か古老の他界が多く感じます 名古屋地域では 有名な藤前干潟 名古屋市がゴミ終末処理場として 計画し全国的な反響により中止しました その中心的反対運動を展開致しました方々の フォーラムがあり参加してきました稲永ビジターセンター環境省が建てましたセンターで 総床面積 986平米ありラムサール条約湿地登録 藤前干潟を含む周辺の環境保全適正な利用のための情報発を行う施設です藤目干潟が健全な姿をとどめ 何時までもたくさんの渡り鳥のやってくる場所であるよう 豊な自然と共に生きる社会を願って 建てられましたユリカモメセンター前の 干潟の空を悠然と飛んでいましたのでパチリと撮ってみました 干潟には多くの渡り鳥も飛来しておりましたでも昨日買いました 250mmのレンズでは 小さくなりやはり超望遠が必要ですね 今日は電車で行きましたので 三脚も重く 省略したのです鹿児島大学教授 佐藤正典氏ゴカイの専門家で 干潟の埋め立てが1990年ごろから 盛んにになり 氏の専門職的立場から反対運動をされています 15年近く藤前にもかかわって 見えます日本一の飛来する渡り鳥が多かった 諫早湾の埋め立てを残念がって見えました 第二位が藤前干潟で 環境省の最終判断で守られ 地元鹿児島湾も 残ったと講演でありました環境アシストメントの数値の信頼性 藤前でも10倍以上も異なっていたとも 色々とありましたバイオリン演奏者 大竹広治氏と仲間講演会の後反対運動音楽会を開催して 埋め立てを音楽活動を通じて 支援した方です 何曲も演奏してもらい 堪能しました 愛知県出身の方です 今の活動は反戦運動に軸足を写し 来月もイラク反戦で演奏会を開催し 収益金を寄付すると 語って見えました ユーモアのある演奏家でしたMC中の女性まだ演奏家の卵で 無名に近い方 名前は忘れてしまいました演奏中の顔と MCをしてる時の表情が大差あり チョット写してみました 笑顔が素敵なお嬢さんでした昼ごろ友人からメールがあり この講演会が開催されること知り藤前干潟守る会の理事長も数度面談したこともあり 参加しました干潟の変化 堆積層の変化 塩分濃度変化 潮流による変化など知ることが出来 有意義でした
2008.01.26
コメント(26)
今日の名古屋 昨日に続いて 猛烈な冷たさ名古屋に北極が 押し寄せてきてる状態雪は降りませんが 寒い自転車でスポーツジムに行くのですが 風との戦闘状態もがいても 踏ん張っても 進まない 車にすれば と頭の中 一瞬よぎりました でも名古屋の男児の意地先般一緒に北京旅行しました友人が ゆとりのあるレンズを持ってきておりましたソニー DT 18-250mm SAL18250トンカツがカメラに付けていたレンズは 24-85mm旅行ですからレンズは一本 これで我慢していました友人は 18-200mm 使い勝ってよいのです広角にも 望遠にも 自由に瞬時に できる指を食わえながら 北京旅行をしておりましたどうしても 欲しいので 買ってしまいました価格。COMで調べ 安い店を ちょうど名古屋から20分位の稲沢市に店舗を構え 13店舗あるので安心して 注文しました 取りに行き 購入しました全く 子供と同じと 家内に笑われたが 欲しかった18mmで撮影結果早速カメラを持参しましたので 試し撮りをしました18mmで店の半分と ポスターです250mmでポスター18mmの広角で小さく写っていました ポスターでしたが250mmでは ポスターの一部のみと なりました威力を感じました これ1本で かなりの撮影がこなせる恐らく交換レンズは もう活用しなくなるかも それくらい 感動しました600mm マクロは必要でしょうが 凄く満足した 買い物でした
2008.01.25
コメント(14)
今日の名古屋 天下一品の寒さ 冷たさでした午後からは 日差しもありましたが 温度は上がらず吐く息も白かった 雪は降りませんね何時になるのだろう 降るのは北京の繁華街を アップします王府井明代には王府 つまり皇族の屋敷があり 名水がわく井戸がありこのマンホ-ル見たいですが その名残の井戸跡です天安門広場から 地下鉄で二区と至近ですホテルに帰還してから 地下鉄で市内を散策しましたが なんら不安はありませんでした 漢字のせいか 呼び名は違っても安心感ありますね歩行者天国王府井の中心街です 広い通りが歩行者天国となっております百貨店が集中しており 北京一の繁華街です オリンピックの時は外国人で埋まるでしょう中国を代表する北京飯店が東長安街の入り口にあり 北上500mで到着します 現在も大ショッピングセンターが建設されて いました東華門美食坊夜市つまり屋台の集合です 東安門大街から東華門大街にかけて 連なっています 屋台 制服もどの店も同じです衛生面 を市当局が規制してると思います個店売っていますのは 麺類 包子 揚げ物 焼き物が中心で かなり日本人では 手が出しにくい物も売っています料金は5元~10元が中心で 超庶民的です麺類美味しい 串類もさらに 若者がやはり 多いですね観光客も 食べていました立ち食い屋台は歩道上にあり 幅は広いです 買って直ぐにアツアツを食べるのです 座る設備はありませんから立って食べるのです ごみ箱も かなり設置されておりさらに掃除をしてる人も 多く 衛生面では 煮たり焼いたり していますから 不安はないですトンカツも四種類食べました 上海料理この旅行初の夕食です 日本でも馴染みのある料理でも一度にテーブルに 出てきますから 面くらいました でも参加者60歳以上の方でしたが 食欲は凄いですね ペロット平らげ 満腹感ビールは地元産で 35元でした
2008.01.24
コメント(15)
今日の名古屋 時折雨が降る 寒い陽気でした雪にはならない状態ですが 間もなく初雪になるかも ジュニアの太鼓練習の準備と見ていましたが練習生は汗を流しており 途中で暖房を 一基止めました北京の天安門から 近くでの光景です住宅破壊現場オリンピックが後200日となってきまして 世界から集まってくる 観光客の目が下町の ゴミゴミした所を少なくするためか 猛烈に破壊されていました現場の一駒です オリンピックの建物は間に合いませんでも続いてるのですポツリト周りは破壊されて 古い家が悲鳴をあげて 残っていました 住んでいるような感じがしました土地は国家所有ですから 国民は命令に従わなくてはならない システム 住み慣れた家を 無残に破壊される 運命 美化隊このような姿で 街の清掃が行き届いております若い方も 老人も 清掃に取り組んでいますボランティアではないと ガイドさん言っていました堂々とプロの運転する観光バスが 歩道に堂々と駐車していました 車道にも違法駐車で観光バスが歩行者は何処を歩くのでしょうか車道の中央しか 空いてないのです 首都のバスでもこの程度の マナーには ビックリしました歩道とは駐車場なり自家用車が堂々と一直線に 歩道に乗り上げての駐車光景でした しかもレッカー車で 撤去をすると交通標識の横で この姿10年前の自家用車は 裕福のシンボルで特権意識を持っていたのでしょう それが継続心理になっているのかも しれません 横断歩道歩いていましても 猛烈なスピードで 走りさりますオリンピック開催時までに 直るのでしょうか教会共産国家ですから 宗教はすべて否定されてきましたが国家体制に自信がついたのか 宗教の自由が認められ色々な宗教が 信じられていると 説明を受けました今日は暗い面を アップしてしまいました
2008.01.23
コメント(22)
今日の名古屋 薄日がさすことありましたが 殆ど曇り空大寒であり さすがに寒く感じました 太陽さま 早くお会いした と思ってしまいます北京旅行の第二弾をアップ致します今日は天安門広場を中心にします正陽門正統4年(1439年)にはモンゴルを警戒し防備力を高めるため北京城の各城の外側に「箭楼」が設けられることになり正陽門の城楼の南側にも築造されました 正陽門の箭楼は北京城の箭楼の中で最も高い38mで、南に向けて52、東西に向けてそれぞれ21の射撃口を持っています旧北京駅古い北京駅ですが 現在はストアーとして活用されています インターネットカフェも二階にありました天安門広場入口 南東角になります毛首席記念堂天安門広場の南に面しています1977年完工。1976年9月9日死去した毛沢東主席を記念して建てられました 高さ34.6m、幅105mの正方形の中国風建築「墓」には、水晶で作られた棺の中に中国国旗に包まれた毛主席の姿がある人民英雄記念碑 新中国設立の革命のため命を捧げた烈士を追悼するための記念碑(1958年建造)正面(北)には毛沢東による「人民英雄永垂不朽」文字、裏側には周恩来の文字が残っています天安門 紅殻の城壁と瑠璃瓦に彩られた高さ33.7m 2重の城門楼で明、清代皇城の正門であった 1420年に「承天門」として創建されたが 戦火で焼失 1651年に再建され「天安門」と改名されたその前が天安門広場と言われ 100万人が入れる広さを誇る人民大会堂 天安門広場の西側に位置し,建国10周年を記念して建てられた「十大建築」のひとつ 日本の国会議事堂に当たる大会堂で1959年9月に工期わずか10ヶ月にして落成した中央正面に計12本の高さ25m 直径2mの大理石の大円柱を有し荘厳な外観を呈している福田総理はここで演説された人民軍の行進人民軍は徴兵制で18歳から3年の兵役です でも大学に受かりますと 免除されます 入隊間もない兵が行進の練習をしておりました さすがに正面から 撮りますのは遠慮しました やはり怖さがありました
2008.01.22
コメント(21)
今日の名古屋 一日中曇りで 今にも降り出しそうな天気でした 寒さは平年位かな と想像天気予報では 昨日から雪が降る予定でしたが空振りに 終わりました 月曜日で車の混雑が発生し易い日 降らなくて良かった昨日青春18きっぷが 一回分余っており 更に使用期限最終日 名古屋人の合言葉 「もったいない」大阪に行ってきました 通天閣大阪市内は 現役時代 3回転勤で勤務し 堺筋線の地下鉄で通勤しておりました 動物園前で乗り換えていましたが 一度も昇ったことがありませんでした その近くでは夜のアルコールは 飲んでいましたのに一度は登りたい 通天閣に引かれて 出かけましたジャンジャン横丁の露店逞しい大阪商人です 地下鉄動物園前から じゃんじゃん横丁に行く途中ですが この寒さの中 今にも雪が降るとの予報でもアスファルト道路に商品を展示して 呼びかけていました一般の人は買いにくいですね 近くに宿泊しています 労働者の方の需要が多いと 思います日立システム広告何故関東の企業が ネオン塔を含めて 独占的に日立さんが 押さえているのか 不思議です大手有力電機メーカーさん ありますのに松下 シャープ 三洋 他階数表示初代通天閣は90年前に建築されましたが 戦時中に焼失しました現在のは二代目で 1956年完成しました 設計者は内藤多仲名古屋テレビ塔 東京タワーと同じです地上100m 幅 24m 脚間 24m です塔頂上には翌日の天気予報を4つの色の組み合わせで示すネオンサインが点灯する(晴=白、曇=橙、雨=青、雪=ピンク)ビリケン像足の裏を撫でると幸運が訪れるという言い伝えがある幸運の神様「ビリケン(Billiken)」の像が安置されている。これは新世界にかつて存在していた遊園地である「ルナパーク」が開業した1912年(明治45年)当時、世界的に流行していたビリケンの像をルナパーク内に作られたビリケン堂に安置したのが始まりです1923年(大正12年)にルナパークが閉園した時期を境に像の行方がわからなくなっていたが、1979年(昭和54年)、通天閣の3階に「通天閣ふれあい広場」が作られたのを機に復元されたのです 日本橋界隈堺筋線沿って 立地している 電気街 東京秋葉原に次ぐ大きさを 誇り大型店 小型店が入り混じって 活況を呈しております黒門市場明治の末期まで堺筋に面した日本橋2丁目に、圓明寺という大きなお寺 黒い山門があることが 起源であります明治35年に公認市場となった 昭和20年3月14日の空襲でそれまで繁栄を極めてた黒門市場は消失してしまった黒門仲間達でいち早く市場を再建いたしました現在大阪の胃袋として活況があります でも大型店の進出で 苦境に立っています 総商店数は150店舗 その内 鮮魚関係 45店食料品店 60店 飲食 15店が多いのです 魚の市場と言えますね
2008.01.21
コメント(30)
今日の名古屋 昨日と同様 日差しは柔らかく大寒前とは 思えない 陽気です風がないので 助かります まだ一度も雪の姿今冬見ておりません 積もると困りますが 見たい心境も正直あります新年早々 北京旅行(四泊五日) 今回は同じホテル 四連泊 荷物の異動がない 楽な旅でした天津国際空港中部国際空港から 天津行きに搭乗 小さな飛行機で140名位しか 席がありませんでした搭乗率も半分を切っていたと 思います座席はどこでも良く 窓側一人占めして 最後まで採算合わないと 頭勘定していました エコノミー オンリーの飛行機でした 安いツアーでしたから 北京直行は無理だったのかなお嬢さん諸手続を済ませて 出口を出ましたら いきなり 妙齢のお嬢さんが 近づいてきました 宣伝チラシの配布ですこれは初めて経験しました 日本人すべてに 配布していましたチラシ正常なマッサージとは 思いますが 色々な設定があるようでした まだ両替もしていませんから 実感も湧きませんでしたが 屋号は 「あい」 となっていました日本人専用なんでしょうかトイレ天津から北京まで 2時間余 かなりの長距離の移動となり 高速道路での休憩でした 回りには何も売店はなく トイレのみでした 以前訪れた時に比較しましてトイレは格段に綺麗に なっていました物乞い老夫人と子供が 歩道にひれ伏して 物乞いしておりました 共産国家では珍しいですね 結構5元札も入っておりました 以前訪問した時子供を使って 一輪花を売って 公安に連行された現場を見ておりますから 子供を借りてきての 桜かなと 冷めた感情で シャッターを切りました人民兵士天安門も大きな地下道に 背を正して 立っていました風が入るところですので 寒いのではないかと同情しました公安と兵士が 同じところで 警備していました
2008.01.19
コメント(33)
今日の名古屋 晴天ですが 風が少しあり 猛烈に冷たく感じました 自転車漕ぎましても 風向きによっては 尻 モコモコでした氷も張りましたよ 厳寒ですね 雪はまだ降りませんが揚輝荘の続きをアップいたします伴華楼和室は尾張徳川家からの移築ですが この部分は建築家鈴木貞次設計の増築部分を 外の庭から撮りました外壁部分が 鱗のように なっています松坂屋のマーク陶製で瓦として利用されたいたのです 非常に珍しい松坂屋のシンボルマークです聴松閣昭和22年に新築された迎賓館 ハーフチンバーの外壁石貼りの暖炉の煙突など 山荘風に建てられていますここは名古屋への留学生も受け入れていましたその後陸軍 駐留軍 学生寮 女学生寮 と利用されてきましたので 模様が替えられてしまったいますこれを5月から大改修 3年程かかるようです地下道入り口元々は迎賓館として建築されており 災害時 危険時回避の逃亡用に 地下道が何本も作られていますでも今は崩落が多く危険大のため 見学はできません地元紙には 報道されたこと あります壁画地下ホール描かれておりました 受け入れ留学生が書いたと説明を受けました インド人ともかなりハッキリしておりました 祈りの間やはり留学生は色々な宗教の方がみえ この部屋でお祈りが行われて いたと 留学生と言いましても かなり地位の高い方々でしたのでお供の方の 泊まり部屋もありました 日本の皇太子が イギリスに留学されたのに 似てると思います 廊下 手摺建築学的には興味のある部分と聞きました硬い木に手斧化粧 透かし彫が 施されています
2008.01.17
コメント(25)
今日の名古屋は晴天 風はありませんが 冷たく感じ 近くまでと思って 軽装で 自転車に乗り用件を済ませて 帰宅しましたら 震ってしまいました名古屋の東側 高台にあります 揚輝荘の見学に行ってきました揚輝荘の表札です名古屋の老舗百貨店 松坂屋の初代社長伊藤次郎左衛門裕民によって建築された別邸 完成は昭和14年で約一万坪の敷地の中に三十数棟の建築物が建ち並び 池泉回遊式庭園とともに覚王山の高台で威容を誇っていました名古屋市に寄贈されて 公開されるようになりました北庭園です京都修学院離宮を写したと言われる 池泉回遊式庭園です山桜 新緑 紅葉 落葉 と四季折々の景色が楽しめます竹中工務店が管理 しております見学者用名札建物公開は 土 日 に限られています 往復ハガキで申込 抽選で当たった方がその葉書を持参して交換です名古屋市の規定で1回20人 案内人二人付きますから実質 18名が可能です月見の壁この建物建築時は 名古屋の東のはずれに近い場所この高台からは 遮るものは何もなく 月見には最高の場所となっていました現在は名古屋の東側への発展著しく 高層マンションが多くなり 願望は当時の期待とは かけ離れた存在伴華楼の暖炉昭和4年に尾張徳川家から移築した建物の 鈴木禎次設計による洋間を増築して この塔を伴華楼と読んでいます座敷では伊藤家の伝統行事が行われます書初め伊藤家の年初の行事の一つです 火用心と書き「の」は入りません これを松坂屋 関連企業 役員宅に毎年更新します 毎年80枚位 今年は一般公開(抽選で)ありましたから 200枚になったと説明あり持って見える方は ボランティアの方で 松坂屋出身その他には 竹中工務店 大学関係の方と聞きました廊下この建物は先ほどに書きましたが 尾張徳川家からの拝領廊下の外側には 鍵が一か所もありません 徳川家の伝統外側横柱は この長さですが 1回継いでいるだけです建築学的には 価値があるようですトンカツには猫に小判です
2008.01.15
コメント(18)
皆様今晩は 久しぶりのアップになりました旅行に行きまして その後も色々な用事が重なり時間的ゆとりが 無くなっていました今日の名古屋 晴天でしたが 寒い 冷たいの表現が ピッタリでした今日は祝日で全国的に成人式が挙行されたと思いますトンカツの地元でも開催されました開始前の会場です新成人の出席者は160名位でした 中学校区での単位となり 二自治会共催です 毎年同じです新成人が同じ学び舎で卒業した 中学校単位の切望によるものです受付光景です女性の出席者はホトンド着物姿でした 両親の負担は大きいですね 恐らく一式揃えましたら 100万円近くかかるのでは ないでしょうか半数以上学生ですから 大変ですねでも会場を華やいだ雰囲気にしてくれますね前列の陣取りです男性の着物姿は年々少なくなってきました 3年前 この学区でも成人式は荒れました 酒を持ち込んで 一気飲み 泥酔い状態でかなりの 騒ぎとなりましたその教訓で一切酒の持ち込みは厳禁 会場前で係りの町内会長目視しています この対策で皆無となりました今年もスムーズに終了しました国際的に なってきましたやはり色々な国の方の参加となりました 新成人は学校で学んだ仲間ですから 違和感はなく 記念写真を楽しく取り合っていましたでも今年の傾向ですが 来賓祝辞 感謝の言葉 花束贈呈でも 沈黙はないですね かなり騒々しいという言葉がピッタリでした演壇に上がっての宣言 花束でも ピース ガッツポーズその他 加齢な接待側は ポカーンと口を 開ける状態の光景 何度も見ましたでもスムーズに 終わりホットしたのが 本音でした
2008.01.14
コメント(24)
今日の名古屋は 風もほとんど無く 温暖でした丁度告別式の受付をしていましたが 寒さも少し感じる程度で 見送りの方々も境内の中で出棺まで 約一時間 待って見えました昨日名古屋城の周辺を歩いておりましたら公園で明るい老人の声を聞き そちらの方向に歩を進めましたら 初めて見ました競技に熱中して見えました 早速持前の好奇心がわくわく入り込んで 写真を撮ってきましたペタンクペタンクは1910年南フランスの港町ラ・シオタで生まれた ボール・スポーツですプロヴァマンサルという助走をつけて投球するゲームが全員が同じ場所から投球するようになりピエタンケ(両足を揃える)からペタンクになったと言われる立っての投球この場面は立っての投球です 型は自由です 小さな円形(50cm位)の中から投げるのです球の大きさは270g前後で 外国製が多いです三球で 15000円~50000円らしいです投球光景投げ方は手首を痛めますので 手の甲を逆にして ふわりと投げるのが 一般的です 狙い目の手前に落として後は転がすのです ぶっつけて 相手ボールを外すこともしますマーカー?に近い方が 得点になります11点取るまで続けるのです投球光景この集まりは愛知県下の各地から出て見え 楽しんでいました正月という こともあり 和やかな光景でしたあくまで個人プレーです善ざい寒い中のゲームでした 正月と言うこともあり 善ざい焼餅 お酒 もありましたとんかつ色々な方と話をして 30分位しましたら 打ちとけご相伴にあずかりました 空腹感のある時であり 寒さもありましたから 極楽気分に なりましたトンカツ 旅行を計画しております 明日から15日まで位 ブログを更新できませんので よろしくお願いいたします
2008.01.04
コメント(39)
今日の名古屋 晴天ですが 時折曇ってきます温度もそんなには上がらずに 寒さを感じていますもう三が日となり 明日から仕事の方もあるかと思います 昨日愛知県護国神社に参拝してきました今年はビックリ 角松に出会いました鳥居です明治2年5月尾張藩主徳川慶勝が、戊辰の役に戦死した藩士等二十五柱の神霊を「旌忠社」と号したのが始まりです先の大東亜戦争に至るまでの愛知県ゆかりの御英霊九万三千余柱を、護國の大神としてお祀りしておりますトンカツも時折 先祖は戦争とは関係ありませんが 参拝に 出かけています日本一の角松です地元紙によりますと 高さが13.5mあります 恐らく ギネスに載るのではないかと 書いてありました 鳥居の高さを 越しております毎年奉賛会の方々の 手作りとも 見上げる高さです角松飾りやはりのっぽですから かなり胴回りもあります飾りもシッカリと 添えられていました本殿です参拝客もかなり絞られた方々ですので 多くはありません熱田神宮とは 比較できません英霊の御霊 安らかに眠られることを 祈ってきましたやはり自己の願い事は 遠慮してしまいます甘酒のふるまい奉賛会のご婦人の奉仕により 甘酒がふるまわれて いました販売ではなく 奉仕 トンカツ 200円 置いてきました体が温まり 気分良かったです昨日友人の母親が他界されて 今日 通夜 明日 告別式受付を同年と一緒にします 朝から打ち合わせ よく話した おばさん でした 冥福を祈ってきました 合掌
2008.01.03
コメント(19)
今日の名古屋昨日とは 逆に晴天になりました温かさは感じられませんが 冷たくない状態平年に近い状態と 思います昨日初詣しました 熱田神宮をアップします三種の神器の一つ草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)の御鎮座に始まり 約1900年の歴史があります名古屋の中心街からも 遠くなく初参りは人気です地下鉄神宮西 JR熱田 名鉄神宮前 と至便ですいつもは名鉄を利用していますが 今年は地下鉄を利用しました神宮西門ですこの門を利用する人は 観光バスの方が普段多いのです鉄道利用者は東門が主流です 今日は勿論駐車場は全面閉鎖になっております宮きしめん神宮境内の中で常設店です 大晦日は徹夜営業をしています三種類しかメニューはありません ぶっかけ 白天ぷら 海老です 今回は白天ぷら 金700円を注文しましたチケット購入も並び セルフで並んで(5~10分) 席確保が大変です でも客同士譲り合って 気持ちが良いです手洗い竹筒青竹に穴を開けて 水が流れているのです そこから水が垂れて清めるのです 通常の施設では大混雑で利用出来ませんので 毎年臨時でかなり長いです 70人位一度に利用ができます奉納漬物・新酒見事に積んであります かなりの数と銘柄です見ましても知らないメーカーもありました 見ごたえありますね銅板寄付依頼50年に一度の吹き替え用に 寄付を募っておりました来年が1900年の記念年に当たります歴史を感じます樹木が一杯です 500~600年の楠が主流です賽銭です写しますの気になりましたが パチリと 今年は一万円札少なく感じました この位置に進みますのはかなりの忍耐がいります 後ろから押され 今度出るのが猛烈な努力が必要です 毎年銀行員が来て 賽銭をかずえます新聞では数億と報道されています トンカツ 100円でしっかりと お願い事しましたでも押されていますから 数秒 神様の耳に 届くかなと思って去りました
2008.01.02
コメント(21)
明けまして おめでとう ございます昨年は 大変お世話になりまして ありがとう御座いました今年もよろしく お願い 申し上げます除夜の鐘を 大きな音で突きまして その足で氏神様に詣で 家内安全 自己の体の保持をお願いしてきました 午後からは年中行事の家族で 熱田神宮に参ってきます健康で 明るい 新年にしたいですね
2008.01.01
コメント(29)
全18件 (18件中 1-18件目)
1