にゃんこ日和

にゃんこ日和

いや実は・・


「Mは、自分で自分の人生を歩き始めた(と思う)。」と書いた。

しかし、考えてみると、彼は、最初から自分で自分の人生を歩いていたのだ。
それが出来なかったのは、私。彼ではなく・・・。

私は、彼の人生(行動)を自分のそれのように、関わりすぎていたのだろう、
と思う。
「ワカッチャイルケド・ヤメラレナイ」ってやつ。(--)

たとえば、それは、
テレビゲームをしている子どもの手にある、彼のコントローラーを、
よこから手を出して操作しようとしているかのようなものだった??
(とはいえ、実際のゲームの腕前は、「ウサギとカメ」どころか、
「新幹線とみみず」くらいの差はあるけれど・・勿論私がみみず(^^ゞ)

よかれと思って、言ったりしたりしてきたことが、
Mにとって、どれだけ・・・だったことか・・・。

でも、私も成長できたと思うし、Mも成長した(^-^)
だから、過去のそれらのことを「間違い」ととらえるのではなく、
もっと別のこととしてとらえられるようになったように感じている。

Mにしても、例えば、私がいろいろと(世間並み?か、少しうるさいくらい)
「こうしたら?」とか「こうしたほうがいいよ」などと言ったことを、
「うるさい親」でなく、「(当時はうるさいと思っていたが)自分のために
言ってくれていたんだ」ととらえてくれるようになったように見える。

また、父親(夫)のことも、「小さい時から厳しくて、よく怒られたし、
自分は、父に全然さからえなかった。(--)」と思っていたのが、
「厳しくしごいてしてくれた(しごかれた)から、今のぼくがある。(^-^)」
・・・くらいには、思うようになったように、言葉の端々から感じられる。
(私の推測にすぎないのだが・・・・)

推測にしろ、私の思いの投影にしろ、何にしても、
親子関係は、ずーーっと、風通しがよくなったことは事実であると
思える。だから、それがうれしい(^-^)


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