にゃんこ日和

にゃんこ日和

責めるということ


だいたい子育てや不登校の話題が中心なのだが、
そこで、最近ふと気が付いたことがある。

いまちょうど一番苦しい時期なのではないかと思われる方たちの
書き込みがここしばらく続いていて、それを読むと、
子どもさんがいじめにあい、学校からも納得できる対応が得られず、
とても苦しんでおられる様子が伝わってくる。
そして、暴力を日常的にふるう同級生(たち)に大変な憤りを
感じ、今の教育はどうなっているのかと、口々に強く訴えられている。

私のこどもも不登校を経験しており、私にも(もちろん本人も)
とてもしんどい時期があった。
かれも学校の中で嫌な思いをすることも少なからずあったろう。
いっぱい我慢して、いっぱいがんばって、あげく学校にいけなくなるほど
疲れ果て、しんどくなってしまったのだろうと思う。

私もかれのしんどさを共有したかのように、とても苦しかった。
もちろん、級友の心ない言葉や行為、暴力には大変な憤りを感じたし、
学校の対応にも不満や不信を感じたこともある。

しかし、私の当時(しんどいとき)の一番の矛先は、自分であった。
過去の子育てをふり返り、自分を責めることが多かった。
自分が変わらなければ、との思いが強かった。
それは、他人を責めるよりももっと苦しいことのようにも思えた。
が、今思うと、自分を責めても、他人を責めても、どちらにせよ、
責めている間は苦しいのだと思う。

「責める」という行為(感情あるいは思考)は、たとえその矛先が
向いているのが自他どちらであっても、自分で自分の首を絞める
ようなものだと、私は思う。
少なくとも「前向き」ではないように思えるし、発想が「前向き」に
変えられたとき、展望が開けてくるのではないだろうかとも思う。

他人を変えようとするよりも、自分に何ができるか、あるいは
できないのかを、見つめ直す方が、より確実な道であるように思う。


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