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我が家では、私のスケジュールで料理に時間を懸けられないときや何かあって子供たちで過ごすときに用意するお決まり定番料理の一つとして、“カレー”があげられます 我が家では、とにかく野菜をたくさんこれでもかって言うくらい入れまくりますネ普段余り食べたがらない“茄子”を初めとして、“トマト”“ジャガイモ”“タマネギ”“人参”“ピーマン”“セロリ”“レタス”“キャベツ”“シメジ等のキノコ類”等・・・。です。その時の気分で冷蔵庫と相談しながらもっと増えるときもありますが 大きな業務用に近い鍋を温めて、オリーブオイルを注ぎます。油が熱くなったら、ニンニクを2~3欠片潰して刻んだモノを入れて香りを出します。其処へタマネギを千切りにしたモノを入れてひたすら炒めます。しんなりして量がグッと減るまで(かれこれ30~40分くらい)炒め続けて、其処へ出汁代わりに牛肉を入れて炒めます。イイ具合に色付き軽く焦げ目が付いたら、野菜を少しずつ足しながら炒め続けます。全部野菜を入れたら、ヨーグルトを適量入れます。ヨーグルトを入れると、コクが出るように思えるのです。途中途中にスパイスを振りかけます。使うのは、ターメリック・バジル・オレガノ・ガラムマサラ・カルダモン・オールスパイス等・・・です。 最後に豚肉を入れてもう一度軽く炒めて色が変わったら、水分を適量足して蓋をしてそのまま見込みます。弱火でかれこれ2~3時間は煮ますかね・・・ 途中焦げ付かないように、時々混ぜます。シッカリ煮込みジャガイモや人参が柔らかくなったら、カレー粉を足して味を調えながらさらにルゥーを入れて味を調えます。 これがザッと大雑把な我が家流のカレーレシピです勿論その時々でいろいろ即席に加えたりするモノもありますが、懸ける時間はいつも同じくらいです。じっくり楽しみながら煮込むのがミソです出来上がったときの息子たちの弾ける笑顔を想像して作るのです 子等の笑顔夢見て今日もカレー煮る 山盛りの野菜に愛の魔法懸け see you again
2007.04.29
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朝からギンギンにています今日の気象庁の予報では富山でも23℃まで上がるとか ここしばらくどうも落ち着かなくて今一つパッと晴れなかったので、こんなに嬉しいことはないですね 朝から、忙しい主婦は、早速家族の布団をズラーッとベランダに干しましたヨ “鯉のぼり”ならぬ布団のたなびく姿は、其れは其れで圧巻かも お天道様もグングンと高度を上げてスマイルスマイルです。大急ぎで、フルスピードで家事を済ませて、いよいよサイクリングの時間もう毎日これが楽しみで楽しみで一杯です。野原にはれんげ草が咲き乱れています。可愛いれんげ草の花を見れば、自然と想いは懐かしい思い出にとスリップしますね 友達とれんげ草の咲き乱れる野原に座って、一緒に髪飾りや冠を作った日々もありました。もうすぐ“母の日”ですが、あのころまだお小遣いもたいしてなく母にあげたのがれんげ草で作った指輪と首飾りでしたっけ・・・。母は大喜びしてくれました。其れが嬉しくてまた作ってあげたり・・・。 れんげ草想いからめて贈ります 憧れのあなたに贈る花の愛 田圃はもう以前にも増して田おこしが盛んに行われています。畝を為して広がる水田に何台も耕耘機が出て忙しげに働いておられるところもあれば、夫婦二人で仲睦まじく会話しながらノンビリやっておられるところもあり・・・でも、イイですね何だか廃れ行く“日本の原風景”を見たような気がしました。 春の田に夫婦で懸ける夢の虹 何時だって貴方と一緒どこまでも see you again
2007.04.29
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世界の中でも、出世や名誉欲の薄いのが現代の日本の若者と言うことですが・・・「ウーン、解らないでもないですね 私の父の時代、戦後のあの貧困に喘いでいた時代、日本の男達は世界の列強国たちを見上げて「何くそ-」とばかりに歯をくいしばり「追いつけ追い越せ」とばかりに奮闘してきました。あの時代の日本の男たちは“仕事の虫”でしたね。私の父もそうでしたが、家も家族もひとたび外へ出ればキッパリと頭から追いやり「仕事に命を懸けて・・・」みたいな所があったと思います。 そうやって、日本は敗戦国から一躍“先進諸国”の仲間入りを果たしたと思います。家族のために、家のために“偉くなってやる”“稼いでやる”“美味いモノを喰わしてやりたい”って言う強い願望というか殆ど“熱望”がその根底にはあってでしょう。 ところが、今の日本はどうでしょうか国民の半数以上が中流意識を持っていると言われています。(勿論、貧窮している方も若干おられますが・・・)世界の中でも貧富の差が極めて少ない国の一つと言われている現在、別に頑張らなくても程々の生活はできるようになりました。以前の様なハングリーではないのです “仕事の鬼”にならなくても、其れより“楽しんで生きてナンボ”の時代になってしまったのです。それどころか「下手に偉くなって責任ばかり押し付けられ、キュウキュウ言いながら生きるなんてゴメンだぜ」的な若者が急増している様です。「課長、部長、って言ってみたって・・・ストレスと山ほどの仕事を丸抱えして、過労死するなんて真っ平ダー」って言う声もあちらこちらから聞こえてきます。 其れが良いかどうかは別として、こういう風潮が今の日本の多くを支配しつつある事実は否定できないでしょう。学力の大幅ダウン(科学オリンピックとか…)もそうだし、いろんな分野での日本の滑落もそうです。かつての世界の日本の躍進はなかなか見られなくなりました。残念、且つ哀しい限りです 日本の子供たちにハングリー精神を持たせ、良い意味での野心家たらしめることが必要ですね。今世界的に台頭してきているインド、中国、韓国などのエリート増進国の子供たちに勝つためには、日本の子供たちの大幅な意識改革が必要かもしれませんね 我は行く お国のために 1 2 3 家守る主の心は半透明 see you again
2007.04.27
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テレビのニュースで大々的に宣伝している“バイオ燃料”ですが、果たして本当に自然にイイのか簡単にマスコミの宣伝に乗ってしまう前に考えなければならないのではないでしょうか 確かに原材料は、トウモロコシ、小麦・・・等の自然の植物を元に使って作るようですが、注意しなければならないのは、これらの原材料を加工すると言うことですどうやってむろん様々な機械を使い、且つ燃料(石油、火力・・・)を利用し加工するんですよね。そのまま放っておいてもバイオ燃料にはなりませんそれで確かに今までに比べると、石油の使う量が微量ながら節約される様ですが、本当に微量のようですね。 何よりも気をつけなければならないのが、私たちの食物になるモノを削って燃料に回す羽目になりかねないということです。考えられるのは、食物の価格の高騰です。これは家庭を直撃しますよ小麦粉、トウモロコシ等・・・バイオ燃料作成に使われる原材料の価格は一気にドーンと高騰する危険が大デス現に最近では、珈琲豆の産地ブラジルでバイオ燃料に使うモノの生産により力を入れ始めていると云う情報も流れています。やがては珈琲豆もドーンと火山の噴火の様に値が上がるかもしれませんね どうしますか、これでもバイオ燃料がイイと素直に言えるかなって思うと、ちょっと首を傾げたくなりませんか 何故ここまでバイオ燃料にこだわるのか、それは世界中の考えとして「少しでも石油等天燃燃料の枯渇を先延ばししたいから」だという説があります。何億年も前の恐竜の骨などの化石が地層の中で長期間の熟成を経て変化したのが石油等の天然燃料と言われていますが、当然ながら有限なわけで、後どのくらいで其れが尽きるかハッキリとは解らず、いろんな説が乱れ飛んでいるのが現状です 少しでも其れを先延ばししたい気持ちは解りますが・・・だからといってバイオ燃料を諸手あげて賛成するのはちょっと無理があるのではという思いです。 皆さんどうお考えになりますか本当に地球の長い先を願うなら、もっとじっくり考えて安全且つエコノミーな策を練った方がイイのではと思いますが・・・例えば同じお金をかけるなら“ソーラー”の拡充・整備とか、風力発電とか・・・。 see you again
2007.04.26
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昨日と似たようなドンヨリ模様の天気で、今日も幕開けしましたヤレヤレ・・・でも、今日は富山県庁から大事な書類が郵便で届いたので、腰を落ち着けて勉強するにはイイ日かも・・・。 実は私、富山県の県政モニターの一人に選ばれたのです アンケートや会議に出席し、意見や提言をすることができます。 先日も、知事との“タウンミーティング”があり、出席して提言などを述べてきました。以前、安部首相のタウンミーティングで‘遣らせ’があったとか言う問題が起きていましたが、富山に関してはその心配は全くありませんでした。極めて公正に且つ潔癖に対応されていましたよ 富山県は、県民の多くが自覚しているように日本の中でも知名度の低い県です。そのことを別に劣等感には思っていませんが、残念な事だと思っています。だって水も美味しいし、海の幸山の幸共になかなか美味な所デス比較的凶暴な事件も少なく、自然も豊かで、暮らしやすいでしょう。そりゃあ冬は寒いし梅雨は雨が沢山降るけれど、天災もそんなに多くないです。富山が好きで県外から来るリピーターも、少なくありません。 昨年から新しい知事が就任しました。今の知事はバイタリティーに溢れている人で、如何に富山をより良くさらに暮らしやすい街にするか真剣に考え、“いきいき富山”を全国に向けて発信していくか、県民からも意見を募ろうと一生懸命になっておられます。現に県民が自由に投書できる“元気目安箱”なるモノが県庁の県民課の前に儲けてあり、一週間に一度必ず開けて、知事自身が目を通すそうです。そのやる気とパワーに、富山の未来を懸けて託したいと思っている人は少なくないと思いますね。 という訳で、県政モニターに新たな資料が送られてきました。それを読み、またまた意見や感想を聞かせて欲しいということです。そればかりでなく時々によるアンケート調査もあります。まあ、今まで余り行政について詳しく調べたり、深く考えたり悩んだりしたことがなかった私ですが、これをイイ切っ掛けにしてじっくり考えて見たいと思います。富山県民の一人として自覚し、いかにしたら富山を魅力的にパワーアップできるか、他県の人にも解ってもらえるか、その方策を考えられたら良いなあと思いますね see you again
2007.04.26
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今日のニュースを見ていて、まず気づいたのが「福知山脱線事故」からちょうど2年が経ったということですね早いですね、もうそんなになるんですね・・・あの事故の事は、鮮明に覚えています。痛ましく悲惨な事故でした天災は防ぐのが難しいけれど、人災でしたネ明らかに 多くの方々、特に通学中の学生さんたちが多く亡くなられました。私にも似通った年頃の息子がいるので全く他人事とは思えず、胸が抉られるような思いをしたことを記憶しています。それでも実際にその場に居合わせなかったというのは、まことにいい加減なモノです。今日で見るまではすっかり忘れていました今もってその時の恐怖や後遺症から苦しんでおられる方々が少なくないのに、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。 聞くところによれば、この事件の大元であるJR西日本の態度にはまだまだ課題が多く、当事者や遺族との賠償等の交渉もいい加減なままだとか・・・・ ダメですね、実に良くない事です キッチリ反省し、少しでも苦しんでおられる方々の気持ちが癒されるべく努めて欲しいと思いますね。どんなに謝っても、どんなにお金を積んでも、失われた命は戻らないし一生心に受けた傷は癒えないでしょう。そのことを肝に命じて、シッカリ償って欲しいと思います。 次に思ったのはNHKの「ニュース21」で冒頭から入った北朝鮮の映像です。軍事パレードですか、何だかたくさんミサイルとか戦車とか連ねて軍人さんたちが勇ましく行進し・・・ニヤニヤしながら(ニコニコに見えない)キム・ジョンイル氏が拍手し見守っていましたね。ゾッとしました あのパレードに出れるのは、あの国の中の限られた一部のエリート達なんでしょうね。「軍事に一番お金をかける主義」とか言われているそうですが、その陰でどれだけ多くの国民が飢えと貧困で死にかけているかキム氏は考えた事があるのかなって思いますね 定番の軍事評論家である江畑さんが出てきて、一生懸命解説してましたね。ロシア製の武器を改造してるとかナンとか・・・。でも、私は思いました。普段日本の国民はそんな事言われたって、全く武器に関しては無頓着ですね。あの解説を聞いたってチンプンカンプンでしょうそれこそ一部の軍事専門家か自衛隊員でもなければ知らないし、不要の知識です。それを殊更解説しても、何か意味があるのかなって感じました 何だか悪戯に国民の恐怖や畏怖を煽っている気がしないでもありませんでしたね 「北朝鮮はそんな武器を持っているのか、おっかない国だな~」ってな具合になりますね。唯でさえ今“拉致問題”で揺れ動き、皆口に出さない迄も「北朝鮮」には神経過敏になっている人が少なくないでしょう。それを更に揺らしてどうするの自衛隊の力を強くしたいのは解らないでもないけれど、なんか見え見えで(遣らせとは云わないまでも、どうも裏を考えずにはおられず・・・白けました) まさに“過ぎたるは及ばざる如し”ではないかな どちらにしても、今日はいろいろ考えさせられた一日でした see you again
2007.04.25
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今朝は昨日とはうって変わって肌寒く、慌てて暖房をつけました天気予報では、曇りから晴れへと変わると言っていましたが、とんでも無いかれこれ11時くらいまではシトシトと冷たい模様でした少し雲が切れてきて、青空が微笑みを見せてくれるようになり、やっと日課の如く私はで出かけました。この頃、毎日出かけても何かしら新しい発見や出会いがあります。それが楽しみで、飽きずに出かけています 昨年までは、何時ものスケジュール表と睨めっこして、いろいろ時間を遣り繰りして、なかなかゆっくりとサイクリングできなかったのです。今は自分のために時間を割いて、季節を楽しみ自然とのふれ合いや出会いを楽しめます。幾つか社会人講座は受けたり、最近川柳のサークルにも入り、時々句会はありますが、去年から比べるとペースは落として、まさにマイペースで生きる暮らしを堪能できている満足感があります さて、今日の出会いは・・・鳥たちとの出会いです春になって肌寒い日もありますが、それでも確実に冬から春に移行し徐々に水も温んで来ているからでしょうか・・・多くの鳥たちがよく見受けられるようになりました。 トップの写真にも載せましたが「綺麗だな」って感動してに収めた“雉”君はここ数日毎日のように出逢います。勿論皆別人かもしれないけれど・・・。正面からパシッと撮れないのが残念です私の近付く気配を察知してスタコラサッサと小走りに走り出すのを、こちらもカメラを構えてなるべく静かに(忍者の様に・・・)忍び寄るんです。もう“雉との鬼ごっこ”です我ながら滑稽になり、笑っちゃいますね。そんな苦労の末撮ったのがこの写真ですよ.フゥーって感じでね 田起こしがされて水が張られた水田は、もう田植えを待つばかりです。たいてい5月のゴールデンウイークになると、農家の人たちが一生懸命田植えをしておられるのを見掛けます。大変ですね、本当に・・・。日本人の主食を支えるために頑張って下さっている事を思うと、頭が下がります。まさに感謝いっぱいですで、その水を張った田植え間近の水田は、今は鳥たちのオアシスになっています。いろんな鳥たちが飛来し、羽を休めながら彼らの“井戸端会議”の場になっているようです。良いですね、何を話し合っているのか・・・民話で読んだ『聞き耳頭巾』を思い出します。あれがあったら、彼らの話が解るのにネ ほら見上げればまたまた新しいお仲間が来ましたよ自由に我が物顔に広い空を飛び回れる鳥たちを見ていると、ふと私も飛べたら・・・と思うことがありますね。人間はいろんな機械を発明し、生活のレベルも上げ、飛行機で遠くへも速く移動できる術を身につけましたでも、やはり自らは元々とそんなに変わっていない(当たり前だけれど)んですね。それどころか欲と野心にまみれて、心は決して綺麗でもなく感動する純粋さも薄れてきている様に思います。仕方ないですね、進歩するって事は何かを得る代わりに何かを又失う事でもあるんでしょうから・・・。 人は人 鳥になりたい春の空 ふと呟いた一句です see you again
2007.04.25
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どうも冬に雪が降らなかったせいか、この春はクリアじゃあありませんね重い雲が立ち込めて、肌寒い日が続いています。風も冷たくて、何だかこれが4月なのって思いますね。 もすっかり葉桜になっちゃって、今一つ色彩に欠けた感じです。一時咲き乱れていた“菜の花”たちもすっかり掘り起こされて、お百姓さんたちは田植えの準備でしょうか、耕耘機が忙しく動き田畑の整備がされています。 こうやってみていると、本当のお百姓さんたちって大変だと思いますね。身体をかけて愛情を込めて育て上げても、天候や災害で下手をすると全滅することもあります。それでも諦めずにまた作る・・・ああ、私にはできないデスね 最近、あちらこちらで地震が頻発していて、何だか怖いです。いよいよ日本もヤバイかなって思うようになりました。と言っても、何処へも行けないですが・・・幼い頃、小松左京さんの“日本沈没”を読み映画で見て「嘘ー”って必死に思いました。その後何年かしてやはり映画で“復活の日”を見て、「悪夢だ」って信じました。 でも、この頃、テレビ等で地球の環境汚染や将来を見据えたビジョン番組を見ていて「これは悪夢でもなければ単なるドラマではなく、本当に起こりうる可能性がある」と、思うようになりました。 「いつかきっと、遅かれ早かれその日は来る 」 と思います。それだけ地球は壊れてきている。その異変の一つが気象異常です。 ここ数年、四季の変化を見ていて身体で異変を感じるようになりました。今日の天気のように、春なのに春じゃあないみたい・・もひとつでしょう。冬なのに冬じゃないみたいな天気が続いた後でしたから・・・。何だか怖いです。 今、私たちはできることは何なのか模索している暇があるのか・・・いろいろ思いを巡らして過ごした一日でした 空見あげ天上の神に祈る瞬間(とき) 快晴を指を折り曲げ数えつつ 何時だろう空から笑顔消えたのは see you again
2007.04.23
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前にも一度“煙草”について書きましたが、本当に“煙草”は健康に害を及ぼすモノですね。重なるストレスに押し潰されそうになって、紛らわすためにスパスパとまるで蒸気機関車の様に煙草を吸っている方々がおられますが、10年後20年後のの自分の身体について不安を感じられないのかしらと思います。 今、我が家の親類で2種類の癌のために秒読み体勢に入っている人がいますその方は、若い頃物凄いヘビースモーカーでした。定年になってからはさすがに若干吸う本数は減りましたが、それでも禁煙とは無縁の方でした。「煙草を止めるくらいなら死んだ方がマシ」と豪語していたのですが、ついに肺気腫になり・・・挙げ句に骨癌と肺癌が見つかりました。重い肺気腫のために「全身麻酔には耐えられないだろうから、手術もできない」と言われ、今は唯ひたすらモルヒネで痛みを抑えながら点滴で生きています。哀しいなあと思いませんか 煙草を吸う人が全部が全部癌になるとは言えません。中にはプカプカ吸いながら元気いっぱいという凄い方も、稀にはおられますが・・・いろんな癌になった方を検証してみると、やはり煙草を吸う人の方が吸わない人よりも癌になりやすいと言う結果が出ています 我が家の息子たちはこの様な例を間近に見ているので、 「絶対に将来、煙草は吸わない 」と言っています。 知らないうちに身体を蝕み、気がついたらどうにもならなくなっていたと云うことがない様に、気をつけましょう 誘惑に負けて転げる地獄坂 see you again
2007.04.21
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アメリカの大学で突然おきた銃の乱射事件何だか映画のアクションドラマのワン・シーンをそのまま再現したかのような信じられない事件でした亡くなられた方々、怪我をされた方々に深く哀悼とお見舞いを申し上げたいと思いますね。 それにしても、日本でもこれに近い事件がありましたね。長崎市長の暗殺事件です。本当に一体何を考えているのかしら人の命をなんだと思っているのって憤慨したくなりますね。 アメリカは、運転免許があれば誰でも銃が所持できる国と聞きました。日本では考えられないことですが「各々責任をもって自分の身は自分で守れ」と言うことなのでしょうね。多くの人が銃を持っているから、いつ何時イチャモンを付けられて銃をぶっ放されるか解らない、まさに油断大敵の日々本当に怖ろしい限りです でも、日本にもかつてそんな時代がありましたね。武士が刀を持って闊歩していた時代です「士農工商」の名の下に、気にくわない輩は「切り捨て御免」で処分された時代です。あの時、おそらくどれだけ多くの罪もない民人が武士の「ストレス発散」のために切る捨てられたかわかりませんねまさにあの時代そのままの惨劇をいう気がしてなりません。 日本が近代になり、遅ればせながら「刀」が回収され、人々が大手を振って街を歩ける様になってよかったと、つくづく思います。 何か思い通りにならなかったり、意志を上手く伝えられない、伝わらないからと言って凶器をもってして訴える、武力で押し通そうとするのは“極めて遅れた人間である証明だ”と思います。どんなに上手くいかなくても、根気よく言葉と知力で訴えるのが現代の人というモノでしょう。そのことを皆よく心して、今の世界に生きる進んだ人間らしく正々堂々と胸を張って自己主張して生きましょう。 アメリカも、できるだけ早く“銃廃絶”を図るべきですね。ブッシュさんは他国の“核廃絶”ばかり言ってないで、自国の“核&銃廃絶”に懸命に取り組んだ方がイイのではないでしょうか・・・・ see you again
2007.04.20
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またまたイイデス昨日はずっと一日凄い風で、桜の木々から花片がむしり取られるように散っていました富山でもそろそろ終わりですが、実は昨年、今から咲き始める所を見つけたのです。今年も咲いているかな・・・と行ってみたら見事に咲いていました 回りの薄いピンクのが散り始めている中で、残り少ない先輩たちとコラボするように紅色というか深紅に近い花をめい一杯カッと開くように咲き誇っていました薄い色合いの中でその一角はクリアに目立ち、わざわざ車を止めて見入る人たちもいるくらいです。綺麗で何度見ても飽きないのでトップにものせました。インターネットでも調べましたが、花の名前が確実に特定できないので紅色の桜にしておきます。もしご存知の方がいらっしゃったら、是非教えてください、お願いします。 彼方此方でウグイスもよく鳴いています・・・なんだかウグイスの声を聞くと「雅だな~」と思いますね。昔の貴族たちは、こういった鳥のさえずりを聞きながら「雅じゃのう・・・」とかいって歌を詠んでいたのでしょうね。一時疲れを忘れさせてくれそうな雰囲気ですね。こういった鳥の声をいつまも聞ける世の中であって欲しいなあと願わずにはいられませんね。 散策した田園地帯の畦道には。ムスカリが群生していました。もう田おこしが始まり、耕耘機に乗ったお百姓さんたちが一所懸命仕事をしておられました。やがて田植えも始まるでしょう。まさに“眠りの冬から活動の春”へ季節は移りつつあります。今年もまた元気に過ごして充実した日々が送れるように努めたいですね。 see you again
2007.04.15
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18歳というのは、微妙な年齢ですね。「国民投票」の年齢が18歳迄引き下げられるということを考えたとき、賛否両論いずれに自分だったら挙手するだろうかと頭を悩ませますね。 確かに私たちが18歳だった頃と比べると、今の18歳は外見はシッカリしているかもしれません。いろんな知識と技術が巷に溢れていて、一見世の中が解ったような意見も一人前に言えるし、インターネットを駆使し情報も出し入れできるし・・・テレビドラマで大人の世界も垣間見ていて・・・頭の中はまさに大人でしょう でも本当の大人ではない・・・なぜならその多くは親の脛をかじって大学へ行っているなり、酷いのはニートやフリーターをしているからですまだまだ中身は、社会の厳しさを知らないで甘い部分がタップリですね。 自分の思うところや信念があってしているならまだしも、ただ回りの大人たちに心配を懸けてブラブラしている半大人の18歳たちに、社会の判断を委ねる「国民投票」をさせて良いのかと言うと・・・ちょっと素直に頷けないモノがありますね。それ故に、18歳は微妙だなと思うのです。勿論、18歳に限らず30歳を過ぎてもフリーターやニートをしている人もいますが・・・ウーン、どうでしょうね see you again
2007.04.14
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あっという間に終わりかけている「桜」たち・・・彼方此方必死に回り見続けた桜もそろそろ終わりに近付いています今年も精一杯咲いて見せてくれてありがとうって思いつつ・・・ちょっぴり寂しい気分で、名残を惜しんでいます。松川縁の桜たちも、風が吹く度にハラハラと花片を散らせて川面にまるでピンクの敷物を浮かべたように覆っています。綺麗ですね、ナンとも言えないくらい綺麗デス。花片一枚一枚は、淡い桃色なのに集まるとこんなに綺麗な色になるんだと改めて気づかされますね 私の様に名残を惜しむ人たちが、今日も未練がましく並木道や川縁を散策する姿が其処個々に見受けられました。遊覧船も、昨日までの混みようが嘘のように今日は暇そうでした。夏になればなったで、また青葉の下を船で巡るのが楽しめるのですが・・・ネ ハラハラと舞い散る桜目に浸みて see you again
2007.04.13
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今日もイイ天気になりました!!!温かくて微風がさやさやと吹いていて、残り少ないの命を存分堪能するために懲りずにまたまたで花見をしてきましたよ ただし、今日は連れがいました。それは父です私の父は、当年とって82(誕生日がきたら83歳)になりますが、いつもで何処でも行っちゃう人です。私より凄いです戦前・戦中・戦後と生きてきたとても頑固でいわゆる“仕事の虫”的な人でした。幼い頃、父は怖い存在で余り一緒に遊んだ覚えがありません。でも、大人になってからはいろいろ仕事の話しもしたりするようになってきました。今はもう私の息子たち(父にとっては孫)に甘くてメロメロで、いわゆる頑固オヤジ的雰囲気は微塵も感じられません。そんな父が、出不精で行っていないという“花見”に私が声をかけて引っ張り出したのです。 二人で話しながら、環水公園や松川縁をツーリングしましたは今が盛りで、もう後は坂を下るだけという感じがありました。そよ吹く風に花びらがハラハラと散り、川面はもうの絨毯を敷き詰めた様になっていました後、もって4~5日でしょうか・・・なんだか先が見えてきて、寂しい気持ちでいっぱいですが・・・今散るからまた来年があるのだと思うと、仕方ないなあという気になりますね でも、桜を見て大喜びしている父を見ると、誘って良かったと感じました。久し振りに見る父は、当たり前ですがやはり年をとっていました。今のところ元気いっぱいで日々活発に動いている父ですが・・・どうかいつまでも長生きしてねって密かに心中祈る気持ちでいっぱいの私でした。 春爛漫親子並んで見る 年重ね柔和になった父の顔 see you again
2007.04.12
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昨日から比べると、肌寒くてなんだかブルブルッと来そうなドンヨリした天気ですが、とりあえず雨は降っていません。もう残された日々(にとって)は僅かです。今年はできるだけどっぷりとシッカリとに付き合おうと決めていたので、またまた今日もで桜を見に行ってきました今日行ったのは富山市の人なら殆ど知っているといわれている名所“塩の千本桜”です。地名が「塩」という処にあるのですが、まさに昨日よりやや上流の神通川沿いにある桜並木デス 神通川さくら堤は、神通川の中州にある西神通と中神通を囲むように地域の人によって堤に植えられた4.8km、800本もの桜堤です。塩の千本桜は、神通川の右岸、富山市塩の堤防に植えられています。昭和20年代末に2町3村の合併を記念し、地域の人によって植えられたものです。それぞれ神通川を挟み、計1,000本もの桜堤は、全国にも誇れる桜堤です。神通川とそれぞれの地区の人々が育んだサクラの雄大な風景を楽しめます。富山の“桜の名所50選”にも選ばれています。唯、田園地帯に桜並木だけがズラーッと続いているので、やや寂しい感じはあるかもしれませんが、その鄙びた雰囲気が堪らないという方もおられてこの時期はマイカーで混み合いますね。今日はこんな天気だったので、川風が冷たくて寒かったですが、それでも上着の襟を立てて見ている人々が結構おられましたよ。純粋に桜のみを楽しみたいという方にお勧めデス ただ、こっちへ来る途中にも何気ない風景の中にも結構桜はあるんですね。学校の校庭、会社の庭、神社やお寺の境内とか・・・日本人って本当に桜が好きですね。日本人で本当に良かったってまたまた勝手に満足しましたよでも、今一つ困ったことが全国レベルで起こっているようです。それはの木の老齢化です。日本の名木といわれている桜の木の多くは、樹齢が60年近く経っているそうで、これは寿命から言ってそろそろアウトになりかかっているとか・・・。手を加えるなり新しく植えるなりしないと、多くの桜が枯れたり弱って花が咲かなくなる危険があるそうです。ガーンデスよ如何に対処すべきか、検討している最中だとか・・・で言っていました。 ああ、大好きな桜がいつまでも見られるように、迅速に的確に対処して欲しいですね 会いたいと自転車駆って今日も行く see you again
2007.04.11
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今日はとっても良い天気で、暑いくらいでした そしても今が盛りと満開状態です。満開になったら充分楽しんでおかないと、あっという間に散り始めます。思いついたら即行動と、少しで遠出をしてみました。 場所は呉羽丘陵の一角、呉羽山公園で、“五百羅漢”や“民俗民芸村”があるところです。静かな中にも自然と歴史と趣をいっぱい秘めた味わい深い場所で、私のお気に入りの一つです 五百羅漢の創建年代は不詳ですが、僧良弁によって開基されたと言われています。石灯籠と交互に530体余りの羅漢さまが整然と並んでいます。一説によると、佐渡の石工が彫り50年間余り船で運び続けたという話しが残っています。皆それぞれ味のあるお顔をなさっていて、人間くさいお方もあればいかにも仏様という感じの方もあって見ていてなんだか心が和んできますね。ここからは富山市街地は勿論、立山連峰も一望できます。運が良ければ能登半島も見えるそうです更にの名所でもあり、心地良い微風に乗って花びらがハラハラと舞っていました この直ぐ近くに富山市が管轄している“民俗民芸村”があります。県内外の民家を移築し、工芸品、農具、生活用品などテーマ別の展示をしていて、民芸館、陶芸館、民芸合掌館、民俗資料館、考古資料館、売薬資料館、篁牛人記念美術館、茶室円山庵とやま土人形工房から成っています。中でもユニークなのは、売薬資料館でしょう。越中富山の薬売りの歴史がわかり、建物もいかにも昔を思わせる漆喰の土蔵風になっています。また、とやま土人形工房では、とやま土人形の伝統的技法を伝承し、展示・販売しています。富山の伝統的郷土玩具を守り伝え、人々に紹介しています。 ゆっくり回れば、優に2~3時間は掛かる場所ですね。この後、神通川沿いの桜並木を走りました。もうピンクの霞が掛かったようになっている遊歩道を多くの人々が子供連れ、犬連れ、友人とと思い思いに楽しんで散策していました。 今日は平日なので、ノンビリとを楽しんで見ることができましたが、松川の遊覧船は相変わらずの混みようで待ち人多く、長蛇の列になっていました。後、しばらくの散るまでこんなモノかもしれませんね。でも、満開状態の桜がハラハラと風に舞って紙吹雪の様に舞い始めているのを見ていると、ちょっぴり切なくなってきました いつか散るから、それがわかっているから余計に惜しくなるのでしょうけれど・・・ネ see you again
2007.04.10
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今日はイイ天気ですが、休日ですそのせいか何処も彼処も家族連れで溢れかえっています せっかくのんびりと花見にでも・・・と出かけてみれば、もう「人、人、人・・・・・・・人」で、ゆっくり花見なんてできる感じじゃあありませんでしたそうですね、だってせっかくの日曜日ですモノね。パパさんは家族サービスで、大忙しでしょうか。 城趾公園も、松川の桜並木も、遊覧船も、普段ならのんびり散策できるところが、まるで博覧会か展覧会の行列みたいに、ズラーッと人が並んでいて風情も何もあったモンじゃあありませんでした。遊覧船なんて、この分じゃあいつ乗れるかわからなくても待っているんですね本当にご苦労様デス。“松川の桜を見ながらお弁当”って洒落込んでいるのは良いけれど、川の直ぐ傍までビニールシートを敷いて・・・・ああ、大変ですね なんだか見ている方が疲れた一日でした。やっぱり花見は平日のんびりするのがベストだと痛感しました より人を見に行く日曜日 人混みに揉まれ桜に笑われて see you again
2007.04.08
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もうボチボチ始まっていますね、団塊世代の退職!!!その歪みは様々な形で社会に影響を及ぼすでしょうネ そして退職した後、如何に過ごすべきかそれも大きな課題でしょう。 これだけ少子高齢化が進んでいては年金に回すお金も充分にあるわけではなく、結局望むと望まざるに関わらず第二の就職を探さねばならなくなってしまうというのが実態ですね 考えてみると、なんだか酷ですね。会社のために一生懸命働いて尽くしてきて、やっと勤め上げたと思ったら・・・家で楽隠居はできずまた働き蜂の如く職探しですか厳しい世の中になったモノですね。 子供が沢山いた時は、やがて巣立った子供たちが社会の軸になり退職した人々の代わりになってくれた。だから退職した人々も無理に働かずとも、江戸時代のご隠居さんみたいに自分の好きな趣味に耽り、粋に晩年を送れたというのは、もうすっかり夢の夢になったようですね さりとて、子供たちは自分の暮らしに必死で親を養う余裕などないのが、現代の実情です(子供の教育費、家賃、持ち家のローン、食費、塾代・・・) 我が家は、その日までまだしばし年数があるとは言っても・・・実態は余計厳しくなるのではないかとで頭が狂いそうです年金とは言ってみても、おそらくこの分では暮らしの足しはおろか子供の小遣いより悪いのではないかと言う思いで、いっぱいですねそれ故に、非情は百も承知で、主人には益々頑張って働いて貰わないと(退職後も)困るのではと思っています。主人も、言わずとも覚悟しているみたいですね息子たちがいても、決して頼れないでしょうだって彼らの生活がどうなっているかだってわからないのですから・・・少子高齢化に加えて、大学を出ても全部が全部満足に働いている訳じゃあないし、フリーターやニートがあふれかえっている時代ですいつ自分の子供がそうならないと断言できるでしょうか真面目に生きようとしていても、これだけは予測できませんね。 景気が良くなって上向きに転じていると言われてはいるし、団塊の世代の退職が多くのポストを空けるとは言われてはいますが・・・それだけでは楽観できないでしょうね。年金を稼ぎ出してくれる若者たちの数が増え、世界で再び日本の企業が活気づいて、リッチだった(バブルが弾ける前の)日本に近い状態まで浮上しなければ、安心して退職し隠居暮らしには入れないでしょう。 まあ、ボケ防止には生涯働くことがイイなんて言う方もいますが・・・老骨にビシビシ鞭打って働いている人間が多い国はどうでしょうかね 微妙~デスね 縁側で日向ぼっこの遠い夢 一区切り新たなハードル待っている see you again
2007.04.05
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今日は二十四節気の一つで“清明”の日です4月5日頃、及びこの日から穀雨までの期間をいうモノで、万物が清々しく明るく美しい時期を迎えることから、此の名前が付いたようです。そして文字通り、街中には「新一年生」「新入生」「新社会人」と“新”の字がついた人たちが溢れる時期でもありますね。皆初々しくて、胸の内にちょっぴりの不安と大きな期待を詰め込んで、なんだか眩しいくらいキラキラッと輝いていますね 本当に懐かしい私もあんな時期があったのです・・・ナーンテいつのことかしらそういう年頃を迎える子供がいるのだから、もう随分遠い日々です これから、新しいスタートを切る若者たちへ一言今あなた方が眼を輝かせ、希望に胸膨らませているそのことが、あなた方を愛しいつも温かく見守り応援してくれた家族のお陰だということを忘れないで欲しい おそらく、あなた方は今とても謙虚でやる気に満ちているでしょうその新鮮な気持ちも、いつまでも持続できますように・・・「初心忘るべからず」です 時が流れ、慣れてくると(慣れほど怖いモノはない)段々甘くなり、ルーズになってきます。そうならないように、自分を時には厳しく見つめて精進する大切さを思い出して欲しいデス ガクトさんでしたっけ言ってましたね「夢は見るモノじゃあない夢は自分で掴みかなえるモノだ」と・・・。 あのセリフ、何も気障丸出しで唯格好を付けるために言っているのではないと思います。確かに、あの人が言うとスマートに決まって聞こえるけれど、本当にそうなんですよ。今は“男女共同参画”の時代です。「女は黙って大人しくしていろ」って宣う時代錯誤丸出しの小父さまたちもいますが、そういう方々は横へ置いておいて・・・今は男も女もないのです。本当に実力がある人が、シッカリ自分の夢に向かって突き進みゲットする時代です。声が掛かるまで待っていては、何もしないで生涯を終えてしまうでしょう。 “夢は自分で実力で掴み取る時代デス” だから、シッカリと精進し自分を磨いて納得できる生き方をして欲しい、そうすることが引いては日本のためにも貢献することになると、私は信じています。やる気に満ちた若者たちが増えてくれば、今まで落ち込み気味だった日本も熱く燃え戦後のようにパワーアップするでしょう。そのためにも「新社会人」たちに期待したいデスね 若い力燃えろ燃えろと焚きつける 鄙びた国を日出ずる国に変えていけ see you again
2007.04.05
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昨日はイイ天気だったのに、今日は朝から雨デス。それも時折風雨状態になって呻りをあげている空を、私は唯ただ恨めしげに見上げていることしかできないなんて「ああ、神様ーを守って」と祈るばかり・・・。近くの川縁にある桜並木を見てきました冷たい春雨に打たれても、健気に桜は咲いていました。宮沢賢治の詩じゃないけれど“雨にも負けず 風にも負けず・・・」ああ、お願い、頑張ってねって感動して見ていました。 咲き始めの桜色は、日が経つに連れて心なしか色が薄くなり・・・白に近い色合いに変わっていきます。抜けるような白い色合いが目に染みるそんな風情が堪らなく綺麗でもあり艶っぽく見えてしまうのは、私だけでしょうか咲き始めから散るまでの僅かの日数が、桜の花の一生なんでしょうね。その限られた日々を、いかに美しく凛として咲ききるか・・・その潔い迄の生き様は、時として人間として生まれダラダラと生きている私たちにとって、考えさせられる事実だと思いますね ずいぶん前にNHKの大河ドラマ“勝海舟”で、篠田三郎さん扮する吉田松陰が故郷長州の座敷牢(囚われの身になっていて)にいる身で、こんなことを言っていました。「生きているモノの生涯には皆、四季がある。春、夏、秋、冬。その生の長い短いに関係なく、皆あるのだ。その四季をいかに充実させて生きるか、それが大事なのだ」と・・・。人生の重みや真の意味などまだ解っていない、確か10代初めの時だったと思いますが、何故かこの言葉はズシーンと胸に応えて焼き付くモノがありました。それ以来、ふと何かあるたびにこの言葉を思い出します。 桜の花にとって、この短い一生を如何に見事に咲ききるかが、生涯の四季を全うすることになるんでしょうね。ナーンテ理屈っぽいことをほざいてしまいました こんなに美しい桜を見ていたら、勝てないのを承知でに向かって哲学でも振ってみたくなることもあるんです失礼しました 降る雨を凛と顔あげ受け止める 水滴らせ桜は笑顔で艶を増し see you again
2007.04.03
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待ちに待ったの季節がついにやって来ました今日はイイ天気で、春休みももうすぐ終わりデス中学生の息子と一緒に花見を兼ねて、ブラブラとツーリングしてきました松川縁の桜は咲き方は、まあ7~8部咲きでしたが、この陽気に誘われて多くの人々が繰り出して遊覧船も途切れることなく運航していました「ああ、待っていたんですこの日の来るのを」とばかりに、思いっきり堪能してきました。そのついでに、最近改装して綺麗になった富山城も、息子と一緒に見てきました。過去の実像とは若干異なるようですが、それでも富山市のシンボルみたいな処ですからね・・・。 富山城(とやまじょう)は旧越中国、現・富山県富山市丸の内にある城。別名「安住城」とも呼ばれる。現在の天守は第二次世界大戦後に建築されたもの。天文12年(1543年)に新川郡への進出を目論む越中守護代の神保長職が、家臣の水越勝重に命じて築城したとされるが、近年の発掘成果により室町時代からの遺構が発見され、実際の築城時期はさらに遡ると思われる。 富山の地は越中国のほぼ中央に位置し、飛騨と北陸道を結ぶ交通の要衝にあたり、松倉城主椎名氏、越後上杉氏、一向一揆等の勢力の争奪の的となり、抗争が繰り返された。慶長5年(1600年)以前に成立の『富山之記』には、神保氏時代の富山城と城下の発展の様子が詳しく記されている。 天正10年(1582年)織田信長の家臣佐々成政が富山城主となり、大規模な改修を加えた。その際に3つの鯱を持つ五層の天守が建てられた。また、神通川の流れを城の防御に利用し、水に浮いたように見えるために「浮城」の異名をとった。当時の神通川は富山附近で東に大きく蛇行しており、その南岸に富山城は作られた。神通川改修後の旧河道は松川と呼ばれ、今も富山城址の北側を流れる。 本能寺の変の後、豊臣秀吉と袂を別けた佐々成政は、天正13年(1585年)8月、秀吉自ら率いる10万の大軍に富山城を攻囲されて降伏し(富山の役)、富山城は破却された。やがて越中一国が前田家に与えられ、前田利長が隠居城として住んだが、慶長14年(1609年)に建物の主要部をことごとく焼失したため、高岡城を築いて移った。 寛永16年(1639年)、加賀藩三代藩主前田利常は、次男利次に10万石を与えて分家させ、富山藩が成立した。利次は、万治4年(1661年)頃から廃城となっていた富山城を修復し、以後富山前田氏13代の居城として明治維新を迎えた。 修復後の富山城には天守は無かったが本丸に三基の二層櫓が建てられ、主要な城門は渡櫓形式の重厚な構えであった。 江戸時代の古図には天守の記載はないが、昭和29年(1954年)に戦後最初の模擬天守を建築した。天守の内部は郷土資料館になっている。なお、この模擬天守は平成16年(2004年)に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。 滝廉太郎の荒城の月の題材になった城のうちの一つと言われている。 どうです、なかなか面白いでしょう富山のこと、少しは解っていただけましたかとかく富山は石川(金沢)の陰に隠れて(何せ分家筋ですから・・・)全国レベルでは知名度の低い富山ですが、少しでも「ああ、こんな処だったか」と知識をもっていただけると、ありがたいデスね それにしても今日はラッキーでした、素晴らしいたちと出会えてじっくり対話できました。できる限り散るその日まで通いたいのですが・・・明日がという天気予報で、心配です雨に濡れたも艶っぽくてイイけれど、できるだけ長く咲いて欲しいですね、一日でも長く・・・ see you again
2007.04.02
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