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以前にネットでいじめられたらしいけれど、 具体的にはどういうことなの? 元カレが自撮りで撮った貴方とのキス動画を第三者の女の子に送り、 その子がSNS上で公開してしまったんだね。 その子は貴方の元カレの前の元カノだったんだ。 貴方の元カレはその子に振られたことの腹いせもあって、 「おれは今、お前以上の彼女とつきあっているんだぞ」 ということで送りつけたということなんだね。 当然、騒ぎになって貴方はその彼と別れた。 今は元カレだけど、不用意と言えばあまりにも不用意な振る舞いだった。 元カレは19歳の大学生、貴方は高2で、元カレの前の元カノは高3か。 みんな若くてみんな不用意だよ。 ところで、貴方がやった仕返しというのはどんなことだったの? 元カレの前の元カノはYouTubeで自分のちょっとセクシーな姿態とともに、 日記風のことを喋ったり、歌をうたったり、 耳で集めたグルメや、ファッションの情報を流しだしたんだね。 それが人気を呼んでPV数が凄いことになっているんだ。 その子はアイドルになった気分でいるし、キス動画を公開された恨みもあって、 匿名掲示板に中傷のコメントを何回か投稿したということだね。 それでなぜ自己嫌悪に陥ったの? 自分が惨めな気持ちになり、自分で自分を傷つけてバカみたい、 と思ったのか。 それだよ、大事なことは。 貴方が行った仕返しはキス動画をSNS上に公開されたことから見れば、 30分の1ぐらいなものだろう。 でも、ネットで中傷する虚しさによく気づいた。 偉いよ。 これからは素敵なネット利用を見つけるんじゃないかなあ。 女子高生なんだから勉強も忘れないでね。
2015.12.22
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貴方は来春、卒業予定のJKか。 2歳上のお兄さんがいて、とっくに家を出てGSで働いているんだね。 お母さんは3年前に家を出てどこか遠くの街で男と暮らしているんだ。 お父さんは昔から酒癖が悪く、酔ってよくお母さんを殴る蹴るしていたから、 同情すべきところもあるけれど、連絡1つしてこないところは許せない、 ということだね。 お父さんは何をしているのかな? 工務店に勤めている大工さんか。 酒が入らなければ静かすぎるほどだし、 外では愛想がよく借りてきたネコのようなことも多い。 酒癖の悪い人にはそういう人が多いんだよ。 お母さんがいなくなってますます酒癖が悪くなって、 暴力がお兄さんや、貴方に向かうようになったんだ。 お兄さんは受けて立ち、お父さんと壮絶な取っ組み合いを演じて、 双方ともに痛み分けとなったんだ。 その翌日、お兄さんは家を出た。 そのとき、一緒に出るか、と言われたが、貴方は断った。 どうして断ったんだろう。 急に黙っちゃったね。 お父さんを1人にしておくのが心配だったんだ。 優しいんだね。でも、貴方1人が暴力の矢面に立たされたんじゃないの。 えっ、酔ってグチグチ愚痴っても暴力は振るわなくなった。 なぜなんだい? ある夜、殴る蹴るして眠りこけたお父さんを揺り動かして起こし、 カッターナイフをその首筋に当て、 今度やったら殺すよ、と言ったんだ。 本気だった。今度やったら本当にお父さんを殺し、 自分も死ぬつもりだったんだ。 それが伝わったんだよ。 お父さん、心底から怯えたんだと思うよ。 貴方と同年齢の女子高生が殺人事件を起こしているし、 そんな事件が続いているしね。 それに貴方は進学校に在籍して成績もいいらしい。 品行方正なんだってね。 そんな貴方に本気を出されリゃ僕だってビビる。 お父さんがビビり過ぎたんで後悔しているらしいけど、 よくやったって僕は言いたい。 お父さんは酒癖を治すチャンスかもしれない。 勤務先の社長にお父さんは心服しているらしいね。 社長に相談してお父さんを病院に連れていってご覧。 断酒できるかもしれないよ。 貴方は奨学金もう問題なく受けられるし、 大学へ進学したらいい。 お父さんが断酒できて心を入れ替えたら、 崩壊した家庭を再建できるかもしれないよ。
2015.12.15
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貴方は共稼ぎの30代前半の女性だけど、 なぜ障害者の相談員になったの? そうか、東北の実家のお祖母ちゃんが介護を受けていて、 介護という仕事の重要性を認識するようになったんだ。 それに自分も高齢になったら介護を受けなければならない身の上になるかもしれない。 つまり、他人事ではないという思いもあった。 それで最初はヘルパーの資格を取り、 それから平成25年4月に施行された障害者総合支援法にもとづいて計画相談支援を行う相談支援専門員になったということだね。 それで貴方の勤務先は計画相談支援を行っている特定非営利活動法人の某事業所か。 何か一般にはなじまない言葉ばかりが出てくるけれど、 計画相談支援は計画相談、相談支援専門員は相談員と略称していいんだね、 相談員としての貴方の仕事内容は、障害者に対する障害福祉サービスの利用の相談に乗り、 その計画の作成をし、それにもとづいてモニタリングを行うことなどか。 そうすることで障害者(児)の自立した生活を支え、適切なサービスを利用できるよう支援する、 ということかな。 大体理解できたけれど、もっと簡単に言えば、 こういうサービスがありますが、どうですかと提案して、その計画を作成する。 区役所などの担当部署がそれをもとにして支給を決定したら、 モニタリングを行って状態を把握し、次の計画作成に反映いさせるということだろう。 なかなか難しいところのある仕事のようだね。 Q それで、貴方は何人の障害者を受け持っているの? A 22人です。そのうち精神障害者が18人です。 Q ほう、精神障害者の割合が多いね。 A 他の相談員の利用者数の割合も似たようなものです。 Q 22人という数は多いの? A 考え方にもよります。私がモニタリングしている人に、 21歳の男性の双極性障害者がいるんですが、いつ行っても留守なんです。 両親のうち母親は昼間働いていて夜も水商売の店で働いています。 父親は殆ど帰ってこない。家族から必要な話を聞くことも困難な状態です。 彼は本好きで図書館にいることが多いんです。パチンコ屋や、ゲームセンターにも行きます。 心当たりを探しまわってやっと見つけてもあまり会話をしたがらない。 濃い関係を作ろうと思うんですが、なかなか大変です。 モニタリングは半年でいいという人もいますが、 彼のような場合は1月に1回ぐらいやらないと、 心を開いてくれないし、効果的な計画作成ができないんです。 そうか、貴方のように使命感、責任感が強くて、 利用者のためを思うと10人が限界だということだね。 いずれにしろ、事業所にとって採算が取りづらいサービスなので、 事業所は質より量でいきたいのがホンネかな。 他のサービスで埋めてやっと採算を取っている事業所も多いんだろう。 貴方はそれでも今の仕事は絶対辞めたくないというんだね。 解るよ、貴方がこの仕事にかけている思いのほどは。 じゃ、歯を食いしばって頑張ろうか。 22人を完全にカバーしてあげてほしい。 酷なことを言うようだがね、 このサービスは社会が必要としているから、 これから徐々に見直されて改善されていくだろう。 その社会が今必要としているのは貴方のような人なんだ。 だから、やり抜いてほしい。 見る人はみんな見ているよ。
2015.12.11
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尾張一宮市の皆さん、 明後日12月12日(土)にシビックホールでお会いできますことを大変楽しみにしております。 「楽しく生きるヒント~今こそゆっくりさわやか人生を~」と題して、 14時30分から開演させていただきますが、実は今回の講演は僕にとって大きな節目になるもので今から胸を躍らせています。 と申しますのは、僕は1998年秋に読み聞かせ活動を開始し、翌1999年8月に「よい子に読み聞かせ隊」を結成しました。 講演活動はそれ以前から行っていましたが、読み聞かせ活動を開始して以来、読み聞かせ以外の講演でもその活動に触れ、場合によっては講演時間内で読み聞かせの実演を入れることも多くなりました。 そういう経緯もあって以来、読み聞かせ&講演として回数をカウントするようになりましたが、 このたびの尾張一宮市立図書館100周年記念講演がその1800回に当たります。 全国で展開している読み聞かせ活動は今では僕のライフワークになっており、講演活動はその側面を支えるものになっています。 1800回目を尾張一宮市での講演で迎えることができるのも市民の皆さんの暖かいご支持があったればこそ、と勝手に思い込んでおります。 大いに盛り上がる講演にするつもりです。 講演会終了後、市立図書館に場所を移して読み聞かせ会が開催されますが、これにより読み聞かせ&講演の累計回数は1801回になり、尾張一宮で一から新たなスタートを切らせていただくわけで本当に嬉しい限りです。 さらに嬉しいことが重なります。 一昨日、岐阜にお住まいの編み物をおやりの未知の女性が、僕に着てほしいと毛糸の手編みのロングドレスを贈ってくださいました。 色使いといい柄模様と言いデザインと言い、とても素晴らしい作品で、重厚にして華やかな印象です。 当日、それを着て尾張一宮にまいります。 尾張一宮の皆さん、僕にではなく、どうかその毛糸手編みのロングドレスのデビューに拍手をpyレゼントしてください。
2015.12.10
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ずつと強くなろうとしてきたんだね。 その努力は大いに認めよう。 でも、弱いから強くならなければいけない、 と自分に課していないだろうか。 そうだとしたら貴方は誤っている。 ボクシングのフライ級の選手がその王座になって、 今度はヘビー級の王座を獲りたいと思っても、 それは無理な相談というものだろう。 肉弾相撃つ格闘技にたとえたけけれど、 精神面でも同じことだと思う。 貴方が弱い自分をどのように強くしようとしても、 生まれながらの素質的に強い人を超えるのは、 至難の業になる。 そりゃ血の滲むような切磋琢磨を忍耐強く継続すれば、 素質的に強い人に肩を並べられるぐらいには 自分を変えられるかもしれない。 でも、消耗して途中で挫折する人が多いんだよ。 大体、弱いって悪いことなのか。 じゃ強いって何なんだ。 2+1=3や、3-2=1みたいに答えは出ないんじゃないか。 強い弱いと言ったって基準なんかないんだよ。 強いも弱いも同じじゃないか、ってことになる。 当てにならないんだよ。 戦前は思想犯として捕まると、まず拷問が待っていた。 組織で羽振りを利かせてね、 筋金入りと見られていた奴が、2,3日で拷問に耐え切れず、 洗いざらい喋ったという例もあれば、 見るからに弱々しげな奴が叩いても叩いても、 耐えぬいてね、黙秘を通したケースもある。 芯に1本、見えない筋金が入っていたんだろうね。 僕の体験を聞いてくれるかな。 僕は今も弱い。 でも、中学時代まではとても弱かった。 心だけじゃない、体も虚弱で貧弱だったのだよ。 クラスで前から2番目ぐらいで、 体つきが見るからに虚弱だった。 中学に上がった年に別の街に建てた新居に引っ越したから、 僕には友だちが1人もいなかった。 1年の新学期が始まって間もなくの昼休み、 制服の上衣を脱いだ途端、 「何だよ、それ?」 怒声とともにクラスのワルガキグループが僕へ駆け寄った。 小学時代からのグループで、 どういうものか僕がいたクラスに固まって編入されていた。 昭和27年(1952)年のことで、まだまだ日本は貧しかった。 僕には2人の姉がいたが、そのお古のブラウズを 母が僕のシャツに仕立て直してくれた。 花柄模様のシャツになった。 ワルガキグループはそれを見咎めて、 僕を小突きまわした。 それだけですめばよかったが、 数日経っての放課後、僕が母に頼まれてオカラを買いにいったことで、 本格的ないじめが始まるきっかけを作ってしまった。 豆腐屋と間違えて隣の魚屋に飛び込んで、 「オカラください!」 と、叫んだ。 たまたま、通りかかったワルガキグループに目撃されてしまい、 翌日、登校すると、オカラ、オカラ、と囃し立てられた。 以来、ことごとに囃し立てられ、 ワルガキグループではないクラスの者たちも同調し、 他クラスにも波及していった。 ワルガキグループはただ囃し立てるだけではなかった。 輪に呼び込み小突き膝で蹴りまわした。 学校に行くのが本当に嫌になったけど、 当時は不登校なんて言葉すらなかったから、 学校は体調がひどく悪くないかぎりは必ず行くものと思い込んでいた。 校庭を横切ると、窓からオカラ、オカラと囃し立てられる。 2学年3学年までが囃し立ててきた。 早く校舎に入ろうと途中で駆けだしたことがあった。 初めオカラオカラだった合唱が途中で乱れ、 オケラオケラになっていった。 虚弱な体つきの僕は駆けると両手を不自然に振る癖があった。 ケラという前肢がモグラの前足のような虫は、 背中を挟んで捕まえると、前肢を激しく振る。 2階から僕が駆ける姿を見下ろして、 誰かがそのときのケラを連想したことが始まりだった。 以来、オケラが僕のあだ名になり囃子言葉になった。 オカラのときより苦痛だった。 それからだいぶ経っての頃、 校庭を横切っていたらオケラオケラが始まった。 そのときの僕は開き直ったのだろう。 駆けだして意識して両手を異様に振り回した。 ワルガキグループから爆笑が起こり、 それはすぐに全体へ波及し、 凄まじいほどの大爆笑が降ってきた。 以来、ワルガキグループの態度が変わった。 異分子の排除型のいじめから奇妙な親近感を抱いたような態度になったのである。 オケラ、おいで、とニコニコしながら手招いてエロ写真を見せ、 おくての僕の反応を楽しんだ。 手を出してくることは一切なくなった。 以上で僕の体験談を終えるけど、 弱い僕がいじめを受け開き直れたのは弱いゆえだったんだよ。 開き直るという行為は強いものとして受け取られているよね。 ということは、強いも弱いも同じじゃないか。 自分を弱いと思うのはいいよ。 でも、あえて強くなろうとする必要はないんだ。 弱いままで弱いからできることを見つければいい。 弱いということは素晴らしいものを秘めている、 ということになる。
2015.12.08
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ねっ… えっ? 何でもないよ。 あっ、そういうことか。 意味ないんだから。 以上の会話で人生なんか語れてしまうもの。 それなのに… ゴチャゴチャ理屈をつけて複雑怪奇にしている。 シンプルにいこうよ。 俺ら、学生の頃、 サルトルも読んだ、 ニーチェも読んだ、 幾多郎も読んだなあ。 それで何か得たか、ったら、 何も得てないよ。 得た得た、世界が見えた、 なんて言ってたのが、 鉄道自殺だもの。 頭はよかったよ。そうか、 世界が解ると生きてちゃいけないんだな、 変な悟りを開いてさ、 何とか今も生きてる。 生きてても何にも解ってないけれど、 変に解るよりちゃんと生きてる。 だって、この地球っていつも強い奴が正義の衣を着る。 俺に任せろよ。 悪い奴は懲らしめるからな、 って気どって、ついには裸の王様になる。 テロの根絶って言ったって、 そのときの正義の衣を着た連中が、 仏教徒さんもイスラム教徒さんも、 俺らに従って仲よくしましょ、 平和にしましょ…だもの。 欺瞞だよな。 俺はいっかいのゴキブリなの。 世界中の人類が目の敵にして、 様々な武器を開発して、 俺らを絶滅しようとしても、 俺らしぶとく生きてるだろ。 核じゃ俺らを絶滅できないよ。 天に唾して人類は滅んじゃうかもね。 でも、俺ら、どこかで生き延びて、 あいつらいなくなっちゃったぜ、 と這い出して繁栄するだろうな。 要らざるものは持たないからさ、強いのよ。 人類の後はお前らだよ、 ってキリだのモハだのホトだのといった 人類のお偉いさんは知らなかったろうが、 俺ら宇宙の太陽系の司政官から預託されてるの。 お前ら地球の清掃種なんだから、 地球をリニューアルするんだぞ、 ってことだから責任感いっぱいでゴソゴソ生きてる。 哲学や、貧困より俺らマンマだもの。 、
2015.11.21
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9・11テロのときは、 テロリストたちがいきなりアメリカ国内に入ってテロを行った。 その頃まではテロリストはその根拠地からテロを行う国や、 地域に入って起こすのが普通だった。 イスラエルのロッド国際空港で乱射事件を起こした日本赤軍も、 イスラエル国外の根拠地からイスラエルに乗り込んでいる。 今回のフランスで起きた同時多発テロは、 趣を大きくことにしている。 根拠地(アジト)をフランス国内に置いている。 テロリストのうちフランス生まれ、 フランスの隣国でフランスと自由に行き来できるベルギー生まれが、 かなりの割合を占めている。 テロの用意周到な準備はフランス国内で行っていた。 どうしてこういうことになったのかは、 9・11以降、各国が外国人入国者に厳しい目を注ぐようになったからである。 インターネットの発達により、 欧米のイスラム圏移民、またその子孫たちに、 過激思想を植えつけやすくなったからである。 つまり、今は欧米各国をはじめ、 世界のいたるところにテロリストが生まれる土壌がある。 根拠地のある国や、地域で訓練を受けて、 他国や、他地域に乗り込んでテロを起こすテロリストたちが再発型テロリストなら、 その他国や、他地域で生まれ、そこでテロを起こすテロリストは、 転移型テロリストと言えるだろう。 無論、地下の黒い血管を通して根拠地と緊密につながっている。 根拠地で本格的な訓練を受けてテロリストになり、 本来の国や、地域に戻り、 そこで生まれた者たちをテロリストに仕立てる。 がん細胞が血管で運ばれて原発病巣から遠く離れた臓器で増殖する、 のと似ている。 「イスラム国」はアメリカのニューヨークや、 ワシントンでテロを起こすと広言している。 黙って起こしたほうがやりやすいのに、 あえてネットで宣言したのは恐怖を募らせるためと、 転移型テロの準備が密かに進んでいるからかもしれない。 言ったことは必ずやるというしつこさを持つ「イスラム国」のことだから、 ハッタリだとは言い切れない。 彼らは日本も自衛隊に気に入らない動きでもあれば、 牽制の一矢くらい飛ばしてくるかもしれない。 日本にも欧米に比べればごく僅かだが、 イスラム圏出身の人達がいる。 長期にわたって滞在している人達もいる。 その人たちの1人2人は、 警察などの当局の知らない間に、 「イスラム国」の思想にはまっているかもしれない。 髭が目立つ日本では髭をきれいに剃るだろう。 茶髪など、髪も目立つ色に染めるかもしれない。 そのほうが無害な奴と思われる。 日本で本格的なテロを行うのは、 武器の入手などの制約があって難しいだろう。 だけど、組織から資金は送金されるはずだ。 カネさえあればダイナマイトぐらいは非合法で入手できるだろう。 起爆装置を施したダイナマイトを巻きつけて人混みに突っ込むかもしれない。 新幹線は監視が甘い。 複数で最前部や、最後尾の車両に乗り込み、 同時に自爆すれば転覆の大惨事を引き起こせるかもしれない。 こんな悪夢を現実のものにしてはならない。 しかし、本当の安全は今の世界にはどこにもないのだ、 という認識に立つ必要は大いにある。 いささか我々は平和に甘え過ぎた。 天災も戦災も忘れたころにやってくる。 それを肝に銘じる時代に入ったということだろう。
2015.11.20
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僕はついに貴方の「絶歌」は手に取ることさえしませんでした。 発売されると知ったときは中年域に入った貴方の心の軌跡を知りたくて、 そのうち読んでみようと思いました。 でも、読んだ人からの感想を電話や、メールで知らされるに従い、 読む気がしなくなりました。 後味が大変悪い、という評ばかりでした。 読んで後味が悪い本は読んでいいことは何もありません。 発売前後はメディアが総掛かりで、 これでもかこれでもかと取り上げてくれたので、 国民的な騒動と言っても過言でないほどの大騒ぎになりました。 広告料に換算したら軽く100億円単位の額に上るのではないでしょうか。 その割には本は売れませんでした。 40万部近くを刷ったと聞いていますが、 売れ行きが止まった頃から大量の返品があったのではないでしょうか。 モノ書きを40年もして零細出版社を経営している僕には、 そのあたりのことは見当がつくのです。 貴方の本が大騒ぎされている頃、 小説でじわじわ売れ行きを伸ばしていた本がありました。 又吉直樹さんの「火花」です。 新聞、雑誌等で売れ行きに相応しい広告はしばしば出ていたし、 お笑い芸人が書いた文芸作品ということでテレビや、 ネットでも取り上げられていましたが、 「絶歌」のように大騒ぎされていたわけではありません。 でも、その時点で70万部も売れていました。 「火花」は芥川賞を受賞し売れ行きに加速がついて、 200万部を超えました。 貴方は(おれの本がなんで40万部もいかないんだ) と心外だったのではないでしょうか。 「火花」の売れ行きが大きく陰って、 貴方は焦ったのでしょうか。 マスコミに某出版社の社長との間の少々の行き違いを、 勝手な、あるいは故意の思い込みでスキャンダル化した内容の手紙を 多数の新聞、週刊誌に送りつけました。 週刊文春をはじめいくつかのメディアが取り上げましたが、 話題の浮上はならず、 いつしか貴方はメディアからに姿を消しました。 今どうしているのですか。 かなりの印税が入ったので長期の海外旅行でもしているのでしょうか。 それとも「火花」を超える作品を書こうと、 どこかに閉じこもって執筆に専念しているのでしょうか。 貴方のホームページを覗けば少しは貴方の動静が知れるかもしれませんが、 開設したことを知って覗き、10秒で不気味さに襲われ閉じました。 2度と開くつもりはありません。 でも、気になるのです。 自己顕示欲が強く、 少年A当時にやったことをあまり反省していないかに見える貴方の動静が、 まったく知れないとなると何だか不安になるのです。
2015.11.19
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オバケを飼っています3 バケノスケはオバケだから食事はしない、 と思ったのですが、するんですよ。 できたての料理の匂いを嗅ぐ。 それがバケノスケの食事です。 好物の匂いはカレーで、 僕がルーから作るカレーを本当にいい匂いと喜んでくれる。 「お前、お世辞じゃないの?」 「キミね、オバケにお世辞はないんよ。 それは人間の悪しき慣習でしょう」 匂いだから嗅いでも排泄はないだろう、 と僕は素人考えで推測したのですが、 それがちゃんとあったんですよ。 バケノスケは外食が好きで、行こう行こうと僕を促します。 「パソコンと必死に向きあってるだろ。締め切りが過ぎてるんだよ。 今夜中に送んなきゃならない。夕飯はカップ麺ですますつもりなんだ」 「ソレガシ、カップ麺の匂いは嫌いでね。あれっ、添加物のてんこ盛りだろ。 体にも悪いよ」 「お前、贅沢だな。じゃ、食べんなよ」 すると、バケノスケは空中に静止して、つばで左右に羽を作り後ろに回すと、 先端のほうを目にも止まらぬ速さでこすりました。 「わあっ!!!」 と僕は叫んで両耳を塞ぎました。 クマゼミが1000匹も合唱したらこんな騒音になるでしょう。 バケノスケの騒音テロに屈し、僕は1時間だけと時間を区切って、 マンションから歩いて6,7分のところにある 隠れ家風のフレンチの店に連れていきました。 そして、そこでバケノスケは超想定外の事件を起こしたのです。
2015.11.13
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大切な時期だね。 貴方のところは33、4歳で課長になる。 貴方は今、32歳で、上層部から注目されているらしいじゃないか。 ところで、貴方の2年先輩で貴方に足を引っ張られたという人は、 どういう根拠でそう思い込んだの? 人事担当の役員にその先輩の仕事ぶりや、人間性について訊かれたのだね。 役付にする前にはよくやることだよ。 忌憚のないところを言ってくれと役員が言ったのは、 当然のことだよ。 それで…先輩の仕事の能力や、人間性について、 正直に答えたわけだ。 うん、貴方はその先輩の能力や、人間性を買っている。 だから、いっぱい褒めた。 「きみから見て彼の欠点は?」 そう訊かれて、 「仕事好きの方ですからめったにないんですが、 気が向かない仕事をやっているときは能力の半分ぐらいしか出していない気がします」 と、言ったって。 そうか、先輩は貴方のその一言で足を引っ張られた、と と誤解したんだ。 先輩は自分のことを貴方が役員から訊かれたことを知って、 何て答えたかとしつこく迫ったらしいじゃないか。 でも、役員と廊下ですれ違ったときに、 「彼は取引先としょっちゅう飲み歩いているらしいね」 と、耳打ちされたんだろう。 直属の上司にでも聞いたのだろうね。 役付になれなかったのはそれが原因だよ。 今の会社は自社の社員が取引先の社員とが必要以上に親しくして、 慣れ合いの仲になることを嫌うんだよ。 大丈夫、先輩は異動したんだね。 役付にする後輩の貴方がやりやすくなるよう事前に手を打った、ということだ。 仮に彼が足を引っ張ろうとしても、 会社はそれを無視するよ。 会社はちゃんと見ている。 つまらないことを気にしないで、 責任が重くなるから頑張っていこうよ。
2015.11.11
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休んだんだってね、ついに今日。 昨日のメールでそんな気配を感じたんだけどね、 あえて返信はしなかった。 1日ぐらい出社拒否をしてもらったほうが早く悟れる、 と思ったからなんだ。 無断欠勤じゃないだろ、 理由は何にしたのかな? 烈しい偏頭痛か。 心因性の頭痛になってもおかしくない状況のようだけど、 貴方の表情はすっきりしている。 ということはね、 そんなにまいっていないってことなんだよ。 自分では気づいていないと思うけど、 半分は我儘からきている。 前の上司とはとてもうまくいっていたそうだけど、 その上司は貴方が気に入り甘やかしていたのかもしれないよ。 実績あげてよく褒められていたらしいじゃないか。 それで気をよくして頑張ったからまた結果を出せた。 今の上司がどうして苦手になったの? 上司が今何をしているのか気になって見たら、 向こうも顔を上げて貴方を見たんだね。 目があって手招きされて行ってみると、 書類の不備を注意された… えっ、それだけのことなの。 別の日のこと、トイレでボックスに入って、 あんちくしょう! とつい声に出してつぶやいて、 出てみると、上司が小用を足しながら、 じっと貴方を見ていたというんだね。 あんちくしょう、と罵った相手は上司ではなく、 通勤電車で勢いよく乗ってきたサラリーマンの肩で、 メールをチェック中のスマホを弾き落とされたんだ。 そのときのことを思い出して、 あんちくしょう、と声に出してしまったんだ。 上司は自分があんちくしょうと言われたと思ってる? 貴方の思い過ごしだよ。 気に入られていない、 自分に対し苦々しい思いを抱いている、 反りが合わない、 すべて貴方の一人相撲だよ。 貴方がそうだから上司は扱いづらいと思ってるだろうね。 貴方が心を閉ざしているんだ。 さあ、明日は元気よく堂々と胸を張って出社し、 その上司に開口一番、 「ご心配かけました。頭痛は完全消滅です」 と、大声で言ってごらんよ。 それですべて解決だ。
2015.11.10
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オバケを飼っています2 普通に言えばオバケと名乗ったオバケは、 黒いゴマ粒のような両目を艶々と輝かせながら、 「ソレガシ、今はマンションになっているけれど、 もともとここに建っていたお屋敷の屋敷霊だったのよ」 と、つばの左側をひらひらさせて言いました。 「ああ、このマンションを管理している不動産屋の人も言ってたな。 江戸時代は大身のの旗本が住んでたって」 僕はうなずきました。 港区南麻布の高台に断つ8階建てのマンションの3階の、この305号室に、 僕が入居して3年目に入っています。 「そうよ、ソレガシはその頃からいる」 「お前、何歳なの?」 「オバケに年齡は関係ない」 頭部とつばだけのオバケは頭部を少し上へ伸ばして首を作ると、 その首を強く振りました。 「ソレガシ、屋敷が取り壊しになってから、しばらく、そこのカシノキの洞で熟睡していたのよ。 このマンションは築7年目か。7年目に目覚めたってことよ」 このマンションは30メートルほど間をとって、 もう1棟、作りがまったく同じマンションと並び立っています。 どちらもお屋敷時代の敷地内に建てられ、その工事が始まる前、 鬱蒼としていた屋敷森の木々が伐り倒されていきました。 しかし、樹齢約400年と推定されるカシノキの巨木だけは、 チェーンソーを当てても歯が立たず、なおも当てようとすると、 枝々が怪しく揺れ騒いだそうです。 そのとき、チェーンソーを当てていた作業員は、 突然、心臓発作を起こして昏倒し、そのまま息を引き取りました。 これはカシノキの祟りだということになり、 伐り倒すのをやめて当初大規模棟1棟の建設計画を、 カシノキを挟んで中規模棟2棟にした、 とこっちの棟の管理人のおばさんに聞いたことがありました。 「工事のとき、そのカシノキの祟りで作業員が1人亡くなっているんだ。 もしかしたら、お前が悪さしたんじゃないの?」 「ソレガシ、熟睡していて何にも知りません」 オバケはつばを左右に両手のように長く伸ばして小首を傾げました。 「ところで、なぜおれの部屋に侵入したんだ。 「侵入?」 オバケはいかにも心外だと言わんばかりにつばをゆらゆら揺らし、 黒いゴマ粒のような両目を黒糸のようにして少し釣り上げました。 二重丸の口はへの字に結ばれました。 「キミこそ侵入者なんだよ。お屋敷時代、 ここは天井裏でソレガシの安住の場だったんだ。 今日からソレガシ、ここに住む」 オバケは二重丸に戻した口をピクピク忙しく震わせました。 「おいおい、オバケなんかと一緒には住めないぞ。 客がきたらどうするんだ?」 「ソレガシの姿はキミにしか見えないって」 「えっ、そうなの」 僕がポカンとなると、オバケは虚を突くようにまくしたてました。 「共に住めば同志じゃないの。キミのお役に立つことも多いと思うよ。 だから、ルームメイトのキミのことをよく知りたい。姓名、 年齡、職業は?」 「佐倉宗之助、35歳、職業はラノベ作家…」 僕はやけくそ気味に答えました。 「ラノベって?」 「ライトノベルという分野の作品を書いているんだよ」 「ほう、キミは作家の先生なの。じゃ、威儀を正して…」 オバケはつばの左右部分を真下にスススーッと伸ばして、 両足のようにして先端を少し折って床に立ちました。 「よろしゅうお願いします」 体を直角に折ってお辞儀をしました。 成り行き上、僕も「よろしく」と応じ、 「お前の名は?」 と、訊いたんですよ。 「名はない」 「それじゃ困るんだよ。じゃ、バケノスケと呼ぼう」 そんなこんなでバケノスケとの同居生活が始まったのでした。
2015.11.10
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オバケを飼っています1 オバケを飼っています。 そのオバケとの出会いはこうでした。 そろそろ寒くなってきて、外出時にマフラーを使いだして2,3日後のことでした。 僕はスチール製の机を2つ使っています。 1つの机にはパソコンを置いています。 もう1つの机は手紙、はがきを書いたり、何かをメモるときに使っていたつもりですが、 今は雑多なものが収拾がつかない感じでひしめきあっています。 その机の椅子の背もたれにマフラーをかける癖があるのです。 ひと仕事終えパソコンを閉じてそろそろ外出しようと、その椅子の背もたれを見て、 僕は、あれっ、と呟きました。 去年の冬から気に入っているグリーンのモヘヤのマフラーは、 床へ滑り落ちていました。 それはいいのですが、マフラーの代わりに薄気味悪くて、 とてもとても変なものがかかっていたからです。 かたちは…麦わら帽子がグニャグニャ柔らかくなって、 内側と外側に分かれてダラリと垂れているようでした。 色は透明感がある乳白色で、何だかとても生々しいのです。 (何だろう、こいつは?) もっと離れたいのに、僕の手はその変なものに近づいていきます。 指先が触れるか触れないかのとき、 その変なものは物音1つたてず椅子の背もたれから飛び上がりました。 ああ、やはり、かたちは麦わら帽子だぞ、と想いました。 色は透明感のある乳白色のままでした。 変なものはつばを波打たせて、ゆらゆらと天井近くまで上昇し、 すぐにゆらゆらと下降してきて僕の目の高さで静止しました。 彼我の距離は1メートルほど。 そのときに僕は初めて山型の帽子部分に眼と口があるのに気づきました。 両目は本当にちっちゃくて、黒ゴマをくっつけたようでした。 口はこれも小さく直径1センチぐらいの二重丸のようでした。 ごくほんのりと紅色でした。 鼻がないのか、と僕は想いました。 すると、鼻があっていいところが盛り上がりました。 団子鼻で、大きさは大豆ほどでした。 「何だい、お前は?」 僕は思わず訊きました。 「普通に言うと」オバケだよ」 二重丸のおちょぼ口をピクピクさせて彼は答えました。 不思議な発音で、耳を通さず澄んだ声が僕の頭の中で響きました。 それが彼との会話の始まりでした。
2015.11.09
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「よい子に読み聞かせ隊」を結成して半年ほどの頃でしたから、 2000年の冬のことだったと思います。 東京都内の特別養護老人ホームを慰問で訪れました。 後に「よい子に読み聞かせ隊」に加わり、 6,7年、中心メンバーとして活躍してくれたK子さんが、 フルートの演奏を挿入してくれることになっていました。 当時、K子さんはまだ高校生でした。 職員の方も合わせて60人前後の人たちが待っていてくれました。 車椅子の人がかなりいました。 フルートの調べに乗せて語りだしました。 僕は絵本によって読むのではなく語りでやることがあります。 利用者の方の多くは初め固い表情でした。 1人2人のその固い表情がほぐれて笑顔になりました。 別の利用者が笑い声を上げました。 車椅子の方々の多くは笑顔になっていました。 僕は大変やりづらい思いになりました。 僕が語っている場面はその物語でいちばん悲しい場面だったからです。 子供たちがこの場面ではよく涙をこぼします。 笑顔になられるはずはない場面でした。 実際に利用者の何人かは涙ぐんでいました。 やりづらいといっても少しいつもと違うぞというぐらいで、 呼吸が乱れるほどではありませんでした。 終わって僕は職員の方に、 「悲しい場面で笑いだした人達がいましたが…」 と尋ねました。 「ああ、あの人たちは痴呆症なんですよ」 当時はまだ認知症という病名は使われていませんでした。 「感情を揺り動かされたんです。読み聞かせは声や色。絵や音楽など、 いろんなもので訴えかけてくれます。特に隊長のファッションは、 痴呆症の人たちの感受性を刺激するんです。笑いながら楽しい思い出や、 懐かしい人の顔などを蘇らせてとても良い気持ちになっているんです。 延命にもつながりますし、私たちきていただいて本当によかった と喜んでいるんです」 僕は目から鱗が落ちた心地になりました。 以来、特別養護老人ホームなどの施設はかなり訪れましたが、 認知症の人の表情をよく観察するようになりました。 その表情が変化を始めると、 読み聞かせのどこかの何かで心の回路が反応を起こし、 こっちが知らない世界に遊んで精神を豊かに広げているのだ、 と羨ましくなることもありました。
2015.10.29
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北海道でも杭データ偽装が明らかになった。 北海道は道発注の工事で旭化成建材が杭の工事データを流用したことを発表した。 その流用があったのは釧路市の道営住宅改善工事でのエレバーター設置工事のことであった。 道は独自の調査で杭を打つ際に記録する書類にデータを切り貼りした箇所を見つけたという。 何という杜撰さ、何という愚かしさか。 学生論文のコピペ以下の幼稚さで、 儲かる工事にしたいという利益主義が見え見えの行為というしかない。 高層、超高層の建造物の基礎工事でその根幹工事になるのは、 紛れもなく杭打ち工事である。 岩盤に挿し込まなければ大地震がきたら、 かなりの確率でピサの斜塔になる。 運が悪いものは倒壊するだろう。 つまり、杭工事は将来の人命を左右する最大事の工事なのである。 その杭工事の偽装は人命軽視もはなはだしいということになる。 報道では横浜のマンションの担当者とは別の担当者が偽装したという。 2,3日前、知人と飲んだときに、 「アレは会社ぐるみじゃないの」 「いや、業界の悪しき常識ってこともありうる」 などと、他人事的な無責任な軽口を叩きあったばかりである。 まさかそんなことはあるまいと思うが、 マンション入居者の疑心暗鬼は募る。 今回の偽装は道という独自の調査能力を有する自治体の調査で明らかになったが、 民間発注のマンションに住む人達は自分達の手で綿密な調査を行うわけにもいかず、 大地震に見舞われたらどうなるか、と不安に慄きながら暮らす人も多くなるだろう。 夜、レインボーブリッジから見る超高層の林立する夜景は、 一瞬気が遠くなるほど美しい。 偽装事件後、認識が変わった。 埋立地区も多いはずだが、杭打ちは岩盤にしっかり挿し入っているのだろうか。 マグニチュード9以上の直下型地震にはたして耐えられるだろうか。 そんな地震はこない、という想定はできない。 地獄絵図が浮かぶのだ。 そんなことにならないよう、 杭打ち工事の公的監視機関を設置し、 その監視員が杭打ち工事の始めから終わりまで立ち会い、 認定証を交付するような厳格な制度を作るべきではないか。 住民が枕を高くして眠れるために。
2015.10.29
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先日のことだ。 僕は京葉線の某駅前で人を待っていた。 「志茂田景樹さんですね」 と声をかけられた。 見ると年若い女性だった。 傍らにお母さんと思われる女性が立っていた。 2人とも人懐こそうな笑顔を浮かべている。 「小学校のとき、西宮で志茂田さんの読み聞かせを聞いたことがあるんです」 西宮には2,3回、講演や、読み聞かせで行っている。 でも、小学校となるとあそこしかない。 「15年前でしょう。体育館に全学年が集まり、PTAや、地域の人も大勢きてくれて」 「ええ、そうです」 年若い女性はとても嬉しそうにうなずいた。 2,3分、話をした。 今でもあのとき購入した絵本を大切にしている。 ツイッターのフォロワーであることなど… 「今日は◯◯◯◯◯に遊びに?」 と、著名な遊園地の名を出して訊いたら、 「今はこの街に住んでいます」 ということだった。 多分、1999年の12月のことである。 兵庫県の西宮市立瓦林小学校のPTAの役員の方から電話を頂いた。 概略、以下の内容だった。 「当校には4年前の阪神大震災で被災した兒童がいっぱいいます。 その子供たちのなかには今でも夜中に悲鳴を上げて飛び起きたり、 授業中の微かな地震にもパニックを起こす子がいます。 うちの学校の子供たちに読み聞かせをしてくれませんか?」 僕はすぐに承諾しました。 期日は来年、つまり、2000年3月の某日に決まる。 ただ年が明け期日が近づくに従い、 僕は何を読み聞かせるかで悩み始めた。 僕が読み聞かせる絵本は自作の物も含めて可哀相な場面があるものが多い。 他人の悲しみをよく理解できる人間に育って欲しいという思いがあるためだ。 でも、被災した子供たちには悲しいことをフラッシュバックさせて、 悲しませすぎるのではなかろうか、と。 悩んだ末、先入観は持たず、どこででもやってきたようにやろう、 と心に言い聞かせた。 当日、感受性の強い子供たちがよく涙ぐむ絵本からやった。 やっている最中に涙ぐむ子がいつになく多かった。 やはり、まずかったかな、と一瞬思った。 3つの絵本をやった後、多くの子供たちが僕や、 フルートの演奏で物語世界を広げたメンバーに纏わりついた。 なかには袖を掴んでなかなか離さない子もいた。 よい子に読み聞かせ帯を結成してまだ7ヶ月、 僕らは子供たちに何を強く伝えていくか…が決まった日になった。 【命は何よりも貴いこと】 【生きることがどんなに素晴らしいことか】 以上の2つをしっかり伝えていきたい、 と心に決めることができた。 読み聞かせ&講演の回数は間もなく1800回に届く。 1回平均200人以上が聞きにきてくれた。 200人として1800回で36万人になる。 このうちの3割強、10万人以上が小中学生、園児が占める。 稀に道や、駅のホームで年若い人たちに、 通園していたとき、読み聞かせにきました。 小学校のとき、学校へきてくれました。 …などと声をかけられる。 継続してきたせいだな、と思う。 これからも継続していくエネルギーの源泉になる。 幸せなことをやらせていただいている。
2015.10.26
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現存する世界最古の会社はどこにありますか? 日本と答えた人はちゃんと知っている。 金剛組という建設会社です。 創業は西暦578年で、奈良時代が始まる131年も前のことです。 出版不況にあえぐ書店で現存して最古はどこだろう。 これは日本じゃないでしょう。 日本最古は慶長年間【1596~1615】に創業された京都の永田文昌堂です。 1600年に関ヶ原の合戦が起きたが、まだ大坂に豊臣氏が健在で隠然とした勢力を秘めていました。 徳川対豊臣、勝者はいずれか…なんて本が出ればベストセラーになったでしょう。 徳川が負けるデータを挙げたら版元も書肆も打首もんでしょうね。 甲斐の甲府にも1783年(天明3年)に創業された老舗書店があります。 柳正堂書店です。 創業当初は伊勢屋という屋号で書物を販売していました。 232年の歴史を誇っています。 数百年続いている老舗書店は七転び八起きしたからこそ続いています。 柳正堂書店のいちばん近い転びは18年前のことでした。 山梨県一帯にチエーン展開をしていましたが、債務超過に陥り11店を閉鎖せざるを得なくなりました、 出版界のマイナス成長が始まり老舗書店が次々に消えていきました。 しかし、同書店は社長以下従業員が死にものぐるいで打開を図り、 7年連続増収を達成し無借金経営を実現しました。 見事に起きたのです。
2015.10.22
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絵本「ぼくの天国ポスト」原案 寺井博 作 志茂田景樹 絵 福田岩緒 の発売日が近づきました。 この絵本は福島県いわき市に実際に設置された天国ポストに材をとっています。 もう会えなくなった人への想いを天国ポストに託し、本当に届いたらどんなに素晴らしいでしょう。 絵本では大好きだったお祖母ちゃんと、その愛犬にもう会えなくなった少年がその想いを天国ポストに託しま す。その想いがある限りたとえ会えなくても少年と、お祖母ちゃん、そして、その愛犬との心の交流はずっと続くの ではないでしょうか。 シンガーソングライターの川嶋あいさんは「ぼくの天国ポスト」のテーマソングとして「Memorial Seasons」を リリースしました。 「Memorial Seasons」は聴いていると大切な人ともう会えなくなった人への想いが心に深くしみていきます。 絵本と違って主人公は若い人ですが,想いの貴さには変わりありません。 「Memorial Seasons」は今月21日発売のニューアルバム「Be Your Side」に収録されています。 また同月20日にカラオケDAMから全国配信になります。 絵本「ぼくの天国ポスト」は同月30日に全国一斉に発売になりますが、只今、アマゾン、全国書店で予約受付中で す。 Memorial Seasons 遠くに沈む夕陽を見ていた この河の灯りを背に 私の好きなものがここにはありすぎると気付いたんだよ あの人を突然なぜか思い出したの 春の日射しがそよぐ川沿いの道に寄り添いながら歩いていたね 夏は海までドライブをして 空高く光る花火を見ていた 寝起きの悪い私にいつも全てそ知らぬような顔で あなたはそっとささやいていた まるで子供をあやすみたいに あの人の優しいところ愛しかったの 秋の風 冷たく肩を撫でてゆく あなたの部屋で映画を観たのは冬の街角降りつもる雪 あなたの笑顔が温もりだった 今頃あなたはどうして毎日を過ごしていますか? 今年も2人で見上げた桜が咲き始めました わけもなく涙が流れてきたよ 思い出はまだあたたかすぎて 誰よりきっと私のことを想ってくれたのは あなたです 季節は巡る 何度も巡る 私のそばにあなたはいない ページをめくれば永遠の景色があざやかな調べを奏でています 心に ありがとう
2015.10.19
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僕には劣等感がいくつもあった、 今も2つ3つはある、 でも、小さな劣等感だから気にしない、 劣等感は感受性の正常細胞が、 がん細胞に転じたようなもの、 そんなのしょっちゅう生まれて、 しょっちゅう免疫細胞の餌食になっている、 劣等感も同じで、 小さなものはほっといていい、 消えたり表れたりしてね、 逆に負けん気を掻き立てられたりして、 プラスになることが多い、 だけど、 増殖させて手に負えなくさせちゃ駄目だ、 そういう劣等感をいくつも持っていたけどね、 負の幻想なんだから醒めりゃいいか、 そこに気づいてから正になっていった、 1つ、例をあげて説明しようか、 僕は5歳のときに耳を悪くし、 やや難聴になった、 音感を養えず音痴になった、 それが引け目で、 音楽の実技のある日は、 朝から体調が悪くなり、 学校を休んだ、 でも、次の音楽の授業のとき、 休んだものは歌わせられる、 声が出ないんだよ、 やっと振り絞っても蚊の鳴くような声で、 音程もない、 なんだありゃ、とみんなぽかんと見ている、 もういいよと先生に解放され、 自分の机に戻るときの惨めさったらなかった、 高校で音楽が選択科目になったときは、 ほんと嬉しかった、 社会に出てからね、 カラオケという天敵が出現し、 僕は戦々恐々の日々を味わった、 得意先の接待というと、 飲んだあとはカラオケだもの、 むろん僕はパスした、 でも、何度もパスすると上司に呼ばれ、 「大事なお得意を接待しているのに、 なぜ歌わない。座がしらけるじゃないか」 と、こっぴどく叱られた、 別のときに、 番が回ってきて、 獄門首になるつもりで、 ステージに上がって歌ったけど、 やはり、蚊の鳴くような声で、 かえって座をしらけさせた、 このあと、考えが変わったのかな、 音痴を引け目にしているのは、 歌はお手本のように、 ちゃんと歌わなきゃ、 と思い込んでいるからだ、 自分が歌いたいように、 自分流に歌えばいいじゃないか、 そうして、 「勝手にしやがれ」を自分流に、 精一杯の声で勝手に歌った、 みんな最初、唖然とした顔になった、 途中で凄いという表情になり、 歌い終えたら本物の拍手が起こった、 これだと思った、 引け目に思っていたから、 負の幻想は増殖していった、 さらけ出して開き直れば、 これは武器だと解った瞬間だった、 ひと頃、僕の歌は、 あちこちのカラオケで、 バイオレンス演歌とはやされた、 後年、 テレビのバラエティー番組に露出を始めたとき、 それは僕の特性の1つになった、 もう1度言う、 劣等感は負の幻想で、 それを払拭してしまえば、 ほかの人にはない特性に変貌する。 よい子に読み聞かせ劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2015.10.15
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今日の朝日朝刊に、IS,トヨタ車を多用か、という見出しの記事が載った。 トヨタ車が目立つ車列を組み黒い旗をなびかせシリア国内を走行中の写真つきだった。 記事を読むと米財務省がどうしてトヨタ車がISに渡るのかを調査するため、 トヨタに情報提供を求めた、とある。 ISに人気があるのはビックアップトラックや、スポーツ用多目的車。 米メディア筋によると、 「トヨタの車両は耐久性や、走行性能が高い」ため、 砂漠などの戦闘や、テロ活動に使われているという。 トヨタは「テロ活動に転用する恐れのある人物や、 団体には車両を販売しないことを明確に決めている」と言うが、 そんな人物や、団体がトヨタの販売店にのこのこ現れやしない。 意図的に転売を繰り返されたものがISに渡るのだろう。 無論、略奪品も多いに違いない。 フォルクスワーゲンは昨年度、トヨタを抜いて販売台数で世界の覇者になった。 その覇者が覇者らしからぬ浅知恵で排ガス不正の問題を起こし、 世界を仰天させ、フォルクスワーゲンの本丸は揺れに揺れている。 この激震から立ち直るには10年はかかるだろう。 販売台数を10年で500万台を1000万台にしたが、 信用を回復する道程はそれよりも難しいかもしれない。 そんな折りも折り、このニュースが世界に配信された。 作りもののCMと違って戦場で使われ、 戦闘員が実に優秀だと認めているのも同じである。 計り知れないほどのCM効果があるに違いない。 ネットでは「砂漠でも故障しないトヨタ車の凄さが証明された」 といった書き込みが拡散されている。 トヨタとしては痛し痒しだろう。 しかし、自動車業界は、 最大のライバルに塩を贈るようなヤワなところではない。 トヨタはゆうゆうフォルクスワーゲンを抜いて、 その天下は10年は続くのではないか。
2015.10.09
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母は1900年ちょうどの生まれだった。 1994年に94歳で他界した。 存命なら115歳になる。 父は母より1年早く1899年に生まれている。 81歳で1980年に亡くなった。 たまに死児の齢ではなく、 亡き両親の齢を数えることがある。 お読みいただいてお解りのように大変数えやすい。 父はガンで1年弱ほど闘病生活を送った後、 僕の直木賞受賞を喜んで、その2週間後に旅立った。 健康寿命という言い方がある。 どうも解釈しづらい言葉で嫌いな4字熟語である。 病気が発見されるまでを健康寿命というなら、 父の場合は80歳ということになる。 でも、父はそのしばらく前から痩せてきて、 トイレに入ると1時間は出てこなかった。 便通障害だと家族にはすぐ解る。 病院に行くようしつこく勧めたが、 父は頑なに断り続けた。 ようやく行く気になって1人で行った。 病院嫌い薬嫌いでとびきりの健康だっただけに、 自分の体に起こった異変に本当は慄いたのだろう。 10日ほど経って僕が呼ばれ検査の結果を知らされた。 直腸がんですでに肺と肝臓に転移しており、 余命3ヶ月と告げられた。 30数年前のことで当時は本人にはまず告知しなかった。 人工肛門をつけて経過は順調で、 好きな焼酎を飲み外へ外出もして、 かなりの小康を得て11ヶ月余生き延びた。 主治医が告げた余命だったら僕の直木賞受賞は知らずじまいだった。 というより、受賞作は父の余命を知って、 父に捧げる作品として書きだしたから、 父ががんにならなかったらその作品は生まれなかった。 ところで、主治医の見解によれば、 直腸がんの発病は判明した時点の2年ぐらい前だったろう、 ということである。 判明した時点から更に2年引いて78歳が父の健康寿命、 ということになる。 1980年発表の日本人男性の平均寿命が73・35歳だから、 父は当時としては長命のほうである。 父は歯が丈夫で母は嫌がったが、 50代の半ばまでビールの栓はガリッと歯で抜いた。 亡くなる頃には歯は汚く変色していたが、 欠けた歯は奥歯が1本だけだった。 歯磨きは朝1回だけだったのに。 なぜ父はもっと長生きできなかったのだろう。 そう今でも思うのは、 母が51歳で総入れ歯になったからである。 母はまめでよく動きよく外出し、 90歳を超えてからも近隣の茶飲み友達とよく行き来していた。 風邪はちょこちょこ引いていたが、 寝こむことは殆ど無かった。 子どものときから歯が悪いのが頭痛の種だった。 几帳面な性格だから歯磨きはちゃんとやっていたと思う。 94歳になった年の晩春に体調を崩し、 2ヶ月ほど寝たり起きたりの生活を続け、 僕ら家族に看取られてそれほど苦しまずに息を引き取った。 亡くなる数日前から外していた入れ歯を棺の隅に入れたとき、 歯が丈夫な人は長命だ、 というのは迷信に近いことだな、と僕は思った。 母が亡くなった年の日本人女性の平均寿命は82・98歳。 今だったら母は100歳も可能だったかもしれない。 食べ物を咀嚼する肝心要の歯の丈夫如何が、 長寿にあまり関係しないとすれば、 父と母の寿命の差は何からきているのだろう。 父は友達づきあいは殆どなかった。 伝書鳩のように帰ると晩酌して、 テレビで巨人戦を見てから寝るのがパターンだった。 酒のツマミになるものが好きで食べ物は偏っていたかもしれない。 それに酔うと愚痴っぽかった。 母には好き嫌いがなかった。 それに愚痴は一切言わなかった。 意思の強さは抜きん出ていた。 意思かなあ、長寿達成の根幹は意思の強さかなあ、と思う。 某誌で今の平均寿命算出には、 その時点では解るはずのない未来の寿命を予測する、 という大きな矛盾があることを知った。 例えば僕の生まれた年の日本人男性の平均寿命が50歳だったとする。 その年に生まれた日本人男性が全て死に絶えた時点で平均寿命を出したら、 50歳を遥かに超えているはずである。 平均寿命だとか、歯がまだ1本かけていないだとかにこだわらず、 生を楽しみ意思強く人生を紡げば結果として、 100歳という健康長寿を成就させることが可能なのではないか。 そんなふうに思うだけで健康長寿は延びそうな気がする。
2015.10.09
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今夏に竹富島、石垣島を訪れたが、 石垣島島内を車で移動し中心部に戻る途中、 ふと石垣港方面に目をやって驚嘆した。 下方は前方の建物群に隠れて定かでないが、 8階建て前後はあるだろう。 ただ横にやたら長いビルができていた。 これを縦にしたら、現在日本に建つ どんな超高層ビルもかなわないだろうと思われた。 よくよく見ると巨大な煙突がついていて、 中国の爆買い観光客を大挙乗せた大客船だと気づいた。 まさにガリバー船で、こんなのに1夜接岸されただけで、 石垣島にはぺんぺん草すら残っていなかろう、 と戦慄を覚える光景だった。 中国の株価がドカンと下がり、 中国経済悪化の実態が透けて見えてきた時期だったので、 違和感も覚える壮観な光景として印象に残った。 中国経済の深刻さは日中間の貿易額の推移を見ても歴然としている。 財務省の貿易統計によると、 日本から中国への9月の輸出額は前年同月比でマイナス4・6%、 6ヶ月ぶりにマイナスに転じた。 数量ベースではすでに7ヶ月連続でマイナスが続いている。 2014年の輸出額はプラス6・0%だったので、 2015年がマイナスに転じるとプラス6・0%分を合わせて 大きな落ち込みということになる。 中国経済の回復はそう簡単にはいかないだろう。 爆買いの観光客も激減してよさそうなものだが、 意外や激増している。 7月8月は前年同月比で共に倍増以上である。 これは何を物語っているのだろうか。 中国の国民が自国経済に当分の期間、見切りをつけて、 買い溜め意識を高ぶらせやけ買い的心理に陥っているのではないか、 と見ている。 中国政府が日本にカネを落とさないようストップをかけるか、 中国経済が復調の気配を見せるまで、 この偉大なるやけ買いは続くだろう。 そして、中国経済が復調すれば、 バブル期の浪費に懲りて学んだ中国国民の財布の紐は固くなる。 それまで偉大なるやけ買い観光客の日本詣では続く。 ハタと偉大なるやけ買いの日本詣でが途切れたとき、 パニックを起こすのは誰なのか。
2015.10.04
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金正恩氏にとって、 人工衛星は源家3代目の実朝が作らせた唐船であり、 体は無理としても、 意識だけは宇宙に飛ばしたい、 そういう切羽詰まった思いがあるのではないか。 本体が人工衛星かどうかはともかく、 北朝鮮以外の世界が失敗と見た先年の大型ロケットの発射実験を、 人工衛星の打ち上げ成功と強弁したことはまずおいて、 有頂天に喜ぶ金正恩氏の姿は思い浮かばない。 国内メディアの大騒ぎを脇目に、 彼は虚しい表情をしていたのではなかろうか。 それにしても金正恩氏はほんとうに、 全権力を掌握しているのだろうか、 事実は軍にも党にも、 鎌倉の有力御家人のような、 実力者が多数いるのではないか、 先の人工衛星打ち上げ成功騒ぎのときでさえ、 彼の体重は100キロ前後あったという。 身長はあって175センチ程度らしいから、 そのときでかなりの肥満体だった。 それが今は130キロと伝えられる。 お父さんの故金正日氏も相当の肥満体だったが、 金正恩氏は異常な肥り方と言っていい。 韓国の消息筋はストレス肥りだろう、 と見ている。 義理の叔父である張成沢氏を粛清してから、 有力幹部の粛清が止まらない。 鎌倉時代初期に有力御家人が潰しあいを演じ、 玉である源家将軍を己の掌中の玉にしたがった。 2大将軍頼家の有力な外戚を構成していた比企氏は、 同じく有力外戚の北条氏とのサバイバル戦に敗れて滅んだ。 現代の北朝鮮は党、軍の有力者たちが、 それぞれの権力を確率するために、 金正恩という実権なき征夷大将軍を戴きながら、 覇権を争っている最中なのではではないか。 長距離弾道ミサイルの発射実験は、 人工衛星の打ち上げであってもなくてもいい、 権力に関係のない玩具として与えた、 そのように思えて仕方がない、 源家の初代頼朝は、 流人の身から兵を挙げ、 ゲリラ的小合戦を積んで力を蓄え、 攻め寄せた平家の大軍を、 富士川で破り、 京へ敗走させた、 金家初代の金日成も、 朝鮮半島最北部の、 厳寒の山岳地帯で、 パルチザン闘争を継続し、 最後に勝利を掴んだ、 初代はともに偉大だったと言える、 2代目は初代の存在が大きすぎて比較は難しい。 頼家は一時外戚比企氏の力を利用し、 鎌倉の実権を握りつつあったが、 北条氏の権謀術数の犠牲になり、 満年齢21歳の若さで、 修善寺の露と消えている、 金正日氏は長期にわたって、 全権を掌握していたかに見える、 しかし、この人の時代に、 国は疲弊し民は飢え、 恐怖政治の極みが行われた、 2代目が北条氏の強盛という状況はあるにせよ、 なおもまだ侮りがたい、 有力御家人群という負の遺産を、 3代目に引き継がざるをえなかったように、 金正日氏もまた負の遺産を、 正恩氏に残さざるを得なかったのではないか、 実朝が造らせた唐船は完成したものの、 海に浮かべることはできず、 砂浜に朽ち埋もれた、 実朝自身は甥で頼家の子の公暁の凶刃に倒れた、 正恩氏は外戚の張成沢氏を粛清したが、 本当に彼の意思だったのか。 まだベールでその存在を包んでいる北条氏に当たる勢力が仕組んだ、 ことではなかったのか。 有力な手足をもがれながら、 残虐な若き独裁者を演じなければならなかった、 正恩氏の鬱勃たる思いは、 過食に向かわざるを得なかったのではないか。 彼は新たな唐船を打ち上げようとしているらしい。 実朝が作らせた唐船は朽ち果てたが、 彼の執念の結晶は軌道に乗るのだろうか。 どっちに転んでも、 正恩氏には悲劇の翳りが滲む、 と見るのは読み過ぎだろうか。
2015.09.28
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うーん、今の中学生は夜の夜中に仲間と会って、 ふらふら動いているらしいね。 無論、ごく少数派のはずだけど、 年端もいかないのにそういう子が増えたのは、 おばけがいなくなったせいもあるんじゃないの。 今は街は人通りが途絶えても明るい不夜城だもの。 「早く帰らないとおばけが出るわよ」 という昔の親の脅しは効かなくなった。 昔は暗がりが多くおばけが棲み家にしたり、待ち伏せするところはいいくらでもあった。 おばけは怖い怖い存在だった。 今の子供達にとっておばけは、できたら身近にいてほしい好きな存在になった。 夜が明けるまで街が明るくなった頃、日本はは高度経済成長の波に乗った。 その時代の転換期に怖いおばけは絶滅し、 新しいおばけに取って代わられた。 オバケのQ太郎である。 高度成長期の申し子である当時の子供たちに、 オバQは拍手を持って迎えられた。 子供が好きな今風のおばけたちは、 オバQの系譜を引いている。 僕はよくおばけの絵本を読み聞かせる。 ちっとも怖がらず友だちが登場したように、 絵本の中のおばけに親愛の表情を見せる子供たちに、 今必要なのは昔の夜、つまり、闇ではないか、 と思うことがある。 昔の闇はただ怖いということで、 子供たちにとって反面教師的に自宅の安全さを教えていた。 自宅の戻ればほっと安心できたのである。 闇にはおばけが棲むと子供たちは信じていたが、 子供を食い殺すおばけなんかいやしなかった。 でも、子供たちがそのくらいに怖がってくれ、 早く帰宅したので不可解で痛ましい事件は起きなかった。 昔だって子供たちが暗闇を怖れなかったら、 稀ながら子供を取り殺す魑魅魍魎は出現しただろう。 異常な人間という魑魅魍魎である。 街が不夜城化して子供たちは夜を怖れなくなり、 宵っ張りになった。 実は親たちが先に宵っ張りになったのである。 遊んで、残業して、別の仕事を持っていて、 それぞれに帰宅が遅くなる。 初めは子供たちもうちで親の帰宅を待っていた。 やがて、親が帰宅してみると、 子供たちの姿がない。 そうか、どこかへ行ったんだ、そういう時代なんだ、 と親たちは納得してしまった。 今の親たちが簡単に納得してしまう理由は2つある。 1つは深夜に出歩く子供たちをどう扱っていいか、 のマニュアルを持ち合わせていない。 子育てならマニュアルはいくらでも学ぶ機会があって、 スキルとしても心得がある。 しかし、深夜に出歩く子供たちを止めるマニュアルは知らない。 想像力をあまり使わない親は、 そうか、時代か、で無意識のうちに心で折り合いをつけてしまう。 もっとも、こういう親は言うまでもなく少数派である。 人通りの絶えた近くの商店街の商店の殆どは、 シャッターを下ろしていても通りはこうこうと明るく、 コンビニや、満喫は営業している。 その光景を思い浮かべて安心してしまう。 しかし、今はそういうところこそが闇で、 昔以上に増えた魑魅魍魎たちが、 牙を研いで獲物を狙っている。 夜の闇が消えて今はもっと怖い明るい闇が至るところにある。 そのことを親たちは認識すべきだろう。
2015.09.25
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法務省は全国の地方公共団体が昨年度に作成した人権啓発資料の中から、 法務大臣表彰として、ポスター、出版物、新聞広告、映像作品の4部門ごとに 優秀賞を各1点、全部門の中から最優秀賞1点を選んだ。 啓発力に富んだ作品が目についた。 最優秀賞は北九州市が出版した「人権教育教材集 新板 いのち」3点だったが、 内容は読まないと解らない。 ポスター部門の優秀賞は愛知県が作成したもので、 夕景の通りの脇で女子高生らしき10代の子がスマホの画面を見て、 やられた、といった表情をしている。 白抜きの中に、 「キモイ」「消えろ」 前に自分が書いたこと。 今は自分が書かれてる。 とある。 新聞広告部門の香川県が制作した優秀賞もいい。 スペースの左3分の1ほどを占めて少年の顔が描かれている。 どうしようもない辛さにあふれた眼差しに虚を突かれる。 やり場のない弱々しい悲しみに沈んだ表情に、 こっちが罪悪感にとらわれる。 コピーが効いている。 「虐待」を告発できる子は、 まれです。 地方のほうがセンスの表現に優れているのではないか。 廃棄処分?とあえていいたいが、 その憂き目にあった五輪エンブレム作品を見ても、 パクリかどうかは知らないが、かっこをつけてるだけのような気がする。 審査も権威主義に寄りかかってる。 だから、本当にうならせる作品が上がってこない。 地方の初心と清新なイメージ力は頼もしい。
2015.09.20
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罪の意識もなく複数の人を残虐な方法で殺す凶悪事件が多発している。 罪の意識もなく、それによってもたらされるどんな刑罰も怖れないのならまだいい。 罪の意識はないのに刑罰だけは怖れる身勝手さがある。 執着未練の心が強い。 生き抜くことにはたくましい。 世界はおれのためにあるという自己中は強烈だ。 弱者は奴隷と見ている。 弱みをどこまでもつけこんでくる。 罪の意識がないから殺した相手が夢に出てきてうなされることはない。 夢に出てきたらしめしめとまた暴虐の限りを尽くす。 そのくせ自分の人権を振りかざす。 中世ならこういう人間が共同体にいれば、 大きな災厄をもたらさないうちにみんなで始末した。 今の世にこういう人がいると、一言で言えば始末に悪い。 本物のサイコパス犯罪者なら司直の手に委ねることができる。 サイコパス的人間のほうが一般世間をしっかりと住処にするから、 普通の人にとってはなお始末が悪いかもしれない。 隙を見せた人の、その隙に忍び寄る。 初め良き人間を装い、その隙を徐々に広げてするりと潜り込み、 目的を遂げる。 目的は金品、財産の収奪の場合が多いが、 強奪するわけではない。 金品、財産にウイルスのように寄生するのである。 本来の所有者は自分の意識に潜りこまれてクタクタにされ、 正常な思考力が働かない状態になっている。 若い男のサイコパス気質者は狙いをつけた女性と結婚に持っていくことが多い。 何らかの方法で近づいて同情を買い、 尽くし型と見ると次々に頼みごとを持ち込み、 意識を疲れさせたところで婚姻届を見せ署名捺印を迫る。 自分の欄には前もって署名捺印済みで、 愛してる幸せにするとほざいて執拗に迫る。 断っても断っても何日でも何日でも続けて迫る。 根負けして署名捺印すれば金品、財産を侵食するウイルスになる。 法律上は正式な夫である。 働かず遊んで暮らすだけなので愛想を尽かし、 離婚を求めても首を縦に振ることはない。 首を縦に振るときは侵食すべき金品、財産が残り少なくなり、 新しいターゲットの女性が見つかったときである。 結婚を餌に金品を騙し取れば結婚詐欺だが、 このサイコパス気質者は法律上の夫なので守られる。 一例をあげたが、サイコパス気質者は、 いろいろな方法でまず獲物に潜り込む。 小さくても業績のいい会社を食いものにする場合は、 まず正社員となって潜り込むのである。 社会に開放感があるときはサイコパス気質者は、 その芽を出さずにすんでいたが、 今は行き場を失いサイコパス気質を隠そうとしない挙に出ている。
2015.09.19
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1つは医療少年院における育て直しに、 彼はとても従順に演技したのではないかという推測である。 擬似家庭の中で赤ん坊から育て直されれば、 みんな優しくしてくれるし、 彼にとっては赤ん坊になりきっている限り、 心地よかったはずである。 しつけもきちんとやってくれるし、 少々厳しくても被虐的な心地よさを味わえたろう。 赤ん坊から少年へ成長するまでの過程は、 狡猾で好奇心旺盛な彼にとって、 興味津々でなりきり続ける快感に酔いしれていたかもしれない。 つまり、擬似家庭のメンバーたちは彼の演技に、 すっかり手玉に取られていたのではないか。 彼は演技を終えて社会に復帰したが、 社会人経験のなかった彼にとって社会は過酷だったかもしれない。 社会では役者でない限り演技では生きられない。 汗水をかかなければカネは稼げない。 2つは彼のような人間が他人に心酔することがあるだろうか、 という思いである。 自分に対しては大変心酔できる人間に違いない。 彼は出版社の社長に心酔していると言って近づいた。 この心酔も方便臭い。 本当に心酔していれば本人に向かって心酔していると言う必要はない。 (闇に葬られた90年代最大の異端児を、日本少年犯罪史上最悪のモンスターを、 他ならぬ「◯◯◯」の手で、歴史の表舞台に引きずり出してみたいとは思いませんか?) 心酔した相手に対してこれはやたら傲慢で思い上がった態度ではないか。 彼は心酔したのではなく自分の本を出したくて売り込みを行ったのである。 紆余曲折があって、結局、彼の本は別の出版社で刊行された。 非難轟々にしろ大いに話題になった。 しかし又吉直樹氏の「火花」が芥川賞を受賞してお祭り騒ぎになり、 彼の著書の話題はしぼんだ。 彼は自分の話題造りに打って出た。 そのためには心酔したと言って近づいた出版社社長に対する裏切りの挙に出たのである。 彼の本はこの社長がいなければ世に出ることはなかった。 執筆中の生活費の面倒も見てもらった。 その社長の言葉尻を捉え勝手な論理を弄し、 口汚く罵倒し憎悪している。 恩を仇で返した所業だが、本当に憎悪したわけではあるまい。 マスメディアに長文の憎悪の手紙を送りつけ、 話題の最前線に再浮上することを狙ったのである。 この狙いは週刊誌多数が記事にしたことで半分成功した。 しかし「絶歌」を出したときの熱狂はない。 大衆は14歳時と変わらぬ彼の人間性に気づいてドン引きしたのである。 彼の焦りが次に何をしでかすか。 それが心配である。
2015.09.18
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何、二者択一の板挟みで悩み、 とても苦しいってどういうことなんだい? 10月1日の内定式までに内定をもらった2社のうち、 どちらかを辞退しなきゃならないのか。 10月1日まではもう3週間もないんだよ。 その2社だって困っているだろう、うかうかしていると、 共に取り消しなんていうことにもなりかねないだろ。 それはないって? 強気だね、 まっ、その辺りの就活戦線の事情も少しは心得ているよ。 15人に内定を出したのに8月以降、10人に辞退された、 と私が知っている人気企業のN社の人事担当者がぼやいていたよ。 内定式には5人が出席する予定だが、このうち2人は、 風見鶏をしている感じで、 最終的にはどう転ぶか解らないという。 内定式の日取りも今年は大手でもばらつきが多くて、 どうやらその2人は内定式のハシゴをやるんじゃないか、 と気をもんでいた。 N社は大手ではないが、ここ6,7年来、就活生に人気があり、 15人に内定を出したら12,3人は確実に入社したらしい。 いずれにしても、数人じゃしょうがないんで、 20代の途中採用を入れて埋め合わせをするとのことだ。 昨年までは大手が内定を出すのは4月だったろう。 それから中小企業が就活生の受け入れ態勢に入った。 でも、今年は経団連が選考会を大学4年の4月から8月に繰り下げるよう、 加盟企業に呼びかけた。 これで中小企業が内定を先に出すようになった。 8月からは大手が内定を出し始めたため、 その内定をもらった就活生が、 先に内定をもらった中小企業への辞退を行ったから、 当然、辞退が相次ぐという異変が起こった。 ところで貴方はなぜ決めかねているのかな。 大手商社のM社と、 中堅のシステム開発会社のB社の間で揺れているんだね。 辞退するところを早く決めて断りを入れなきゃ、 その会社に失礼だろ、都合があるだろうしね。 老舗を取るか、将来の展望が明るいB社を取るかなんだよ。 貴方次第だ、本当は何がやりたいんだ、 やり甲斐がある仕事を見つけてやろうという志があるか。 それとも安定第一でいくのか。 これからはね、この会社は絶対安定だ、 というところはないだろうね。 価値観がどんどん変わっていく時代に入っている。 100年続いたからと言ってこの先20年大丈夫だという保証はどこにもない。 入社してから1人1人が挑む時代になるんじゃないかな。 自分はどうしたいんだ、 と自分にしっかり訊けば答えは出るだろう。 いいかい、明日の午前中に1社に断りを入れて、 もう1社には内定式に出席するのでよろしくお願いします、 と挨拶をするんだよ。
2015.09.13
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たしかに地球に乗って存在している、 生きている、 食べている、 モノを作っている、 でも地球と命名したのは、 僕ら人類じゃないか、 この星はほんとうの名は、 何と言って誰がつけたのだろう、 その名こそが本名で、 その命名主がこの星の、 ほんとうの主なのだろう、 僕らはこの星に乗っていることを、 許されているのだろうか、 酸素を吸って生きることを、 許されているのだろうか、 ほかの生命が許されているのだから、 僕らもたぶん許されているのだろう、 でも、 ほかの生命とちゃんと共生している限り、 という条件つきではなかったろうか、 ほかの生命をおしのけ、 僕らだけがこんなにはびこり、 自然を侵蝕し汚し毀ち、 この星にないものを勝手に造りだし、 生存競争ではなく、 無用の争いを繰り広げ、 罪のない数多の他種を、 道連れにしてきたことまで、 許してはいなかったに違いない、 この星のほんとうの名は何ですか、 命名主のあなたはどこにいるのですか、 僕らに何か罰は待っているのですか、 それとも、 あなたはもはや死んでいるのですか、 教えてください、 いや知りたくない、 けれども知りたいです。 よい子に読み聞かせ劇場はこちら◆志茂田景樹のホームページ・ 本
2015.09.07
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新宿歌舞伎町は有力暴力団の草刈り場である。 山口組が東京にドンドコ進出した当時、 歌舞伎町でまず勢いを見せたのは一心会西條興業だった。 西條興業の組長は2代目一心会で若頭をやっていた。 切れ者で瞬くうちに歌舞伎町で自宅兼用の事務所ビルを持つ程になった。 この時期、歌舞伎町には山健組系、弘道会系が相次いで進出し、 橋頭堡を築いた。 この頃、新宿で羽振りのよかった東京ヤクザは住吉会幸平一家の加藤連合だった。 ヤクザ御用達のクラブ蘭丸で山健組系と加藤連合系の組長がいざこざになり、 すぐに仲裁が入ったが、小抗争になったこともあった。 菱系が新宿を普通に闊歩し始めた頃、 弘道会系以外は警察関係者と道ですれ違っても、 無視するか、目で挨拶を交わす程度だった。 しかし、弘道会系は会の方針だったのか、必ず食ってかかった。 口汚く食ってかかられた捜査員の中には、 「奴らだけは許せねえ」 、と唇を噛みしめた者もいた。 一心会西條興業は西條組長が50代の働き盛りでガン死し、 急速に勢力を衰えさせたが、 山健組系と弘道会系は大健在である。 山健組系は住吉会系と友誼関係を築いている。 東京進出を遂げた山口系もその主戦場は新宿である。 分裂組の新団体が正式に旗上げすれば、 まず抗争の火の手は新宿で上がる。 弘道会と山健組のどっちが新宿で勝つか、 それが山口組と分裂した新団体側の興亡に大きく関わってくる。 またヤクザが熱い時期が2,3年は続きそうである。
2015.09.02
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日本の宗教団体が公称している信者数を総計すると、 日本の総人口の2,3倍になるだろう。 いかにに水増しが多いかの証拠である。 大学予備校が得々と発表する自校受験生の合格者数にも水増しが多い。 各大学予備校が発表する東大合格者の総数は、 今の東大の規模を2倍にしても収容しきれないのではないか。 もちろん、複数の予備校に在籍している合格者は、 その複数の予備校すべてにカウントされるだろう。 むろん、新宗教にもダブって在籍している信者は多い。 日本最大の新宗教団体創価学会は、 このところずつと800万世帯余と公称している。 この世帯というのが曲者で、 アパートの1人住まいの若者が入信しても1世帯、 4人家族の1人が社会人になれば1つ屋根の下に住んでいても、 別に本尊を受持して自室に祀り1世帯増える。 1世帯✖3なら2400万人の信者がいることになるが、 それだけいれば数歩、歩いたら信者に当たるがそんなことはない。 世帯で数えるのはこの教団特有の数え方である。 ところで各教団が任意で文化庁へ提出した信者数を見ると、 新宗教の衰退ぶりがはっきりする。 1993年 2013年 * PL教団 180万人 → 92万人 * 霊友会 320万人 → 137万人 * 立正佼成会 640万人 → 308万人 * 天理教 180万人 → 116万人 日本を代表する新宗教の衰退が数字に顕著に表れている。 創価学会の800万世帯強と言う数字は、 文化庁に提出されたものがなく教団発表の数字である。 ところで、新宗教衰退の原因は何だろう。 要因を挙げようと思えばいくつかは挙げられる。 新宗教は戦後の日本社会が貧しく、 生活苦と病苦にあえぐ人が多かった時代に勢力を伸ばしている。 一生懸命信心して信者を増やし寄付をすれば、 生活苦、病苦から解放される、 と現世利益を説いた。 その日本社会が裕福になれば現世利益は、 あまり効き目がない。 飽食時代の若者は高学歴を得たり、 優秀な会社へ就職するために拝むことはない。 そんな暇があれば受験勉強に勤しみ就活に熱を上げる。 新宗教は熱心な布教活動で信者を獲得してきた。 その布教の足腰は熱烈な信者で、 若者も含めて中年層がその担い手だった。 その人たちが高齢化して布教の足腰は弱り細った。 今の人達は時間を多くとられカネがかかることを嫌う。 その時間や、オカネはもっと楽しいことに使いたい。 宗教活動では割が合わない、と利己主義的に 現世利益の自分の算盤を弾いている。 若者に限らず現代人は心に変調をきたすことが多く、 癒しを求めている。 その癒しを新宗教には求めない。 実は新宗教衰退の大きな原因は、 その癒しに対応できなくなったことである。 座談会や、集会に出れば癒しを求められるかもしれない。 しかし、時間もかかりカネもかかって面倒くさい。 その現代人にとってすぐつながることができて、 カネもかからず癒やされる途方もなく大きな教団が、 新宗教が衰退を始めた時期に誕生した。 それはネット世界なのだ。 LINEで小学生中学生までがつながりを得て癒しあっている。 高齢者でもSNSを利用して癒され、 悩みを打ち明ければ必ずどこからか返事が返ってくる。 ネットは現代人の神様なのである。 新宗教を衰退させただけでなく、 ネットは20世紀のあらゆる価値観をどんどん塗り替えて、 増殖していく気配がある。 人類にとってそれが是となるか非と出るかは、 今後の問題になるが、 とりあえずは我々がネット世界を客観視できる目を持つ必要がある。
2015.09.01
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ニューヨーク帰りの知人から、 足首のすぐ上の部分から、 太股の付け根に近い部分まで、 マリリン・モンローのセクシーな笑顔を、 10面前後プリントしたタイツを貰った、 しかも、2足、 かなりのためらいの後に履いて鏡に写した、 背筋に悪寒と快感の中間のような感覚が、 電流のように流れた、 そのとき以来、 僕のファッションは変わった、 その直前まで、 僕は自分をもっと解放させたいと思っていた、 心に不要なお札を貼りつけて、 重くしていた、 虚栄のお札、傲慢のお札、偽善のお札、 その他もろもろのお札、 そんな不要なお札をガサガサ貼りつけて、 息がつまり心が重かった、 はがせるだけでいいからはがしたかった、 モンローのタイツは、 引き金だった、 ちなみに、 僕は映画で見たモンローに男を見ていた、 おのれの肉体のすべてを、 セクシーな女に変えた男を… ガガのダンスや歌い方に、 うめく性(さが)を感じた、 それを包んで、 ガガは開き直っている、 あの開き直りを、 今の自分は忘れている、 そういう心でガガを見ていた、 今の自分に偽善の臭いを感じていたときだ、 褒められればお世辞と知りながら、 いい気になっていた、 そのいい気でいい子を演じていた、 自分の性を露わにし、 開き直らなければならない、 そんなとき、 テレビのバラエティー番組が、 ガガに扮しないか、 と依頼してきた、 僕はガガに扮して踊った、 踊りながら、 お前の性を出しなよ、 とガガに背中を押された、 少し開き直り性を出せるようになった、 もっともっと性を出したい、 それはこれからの課題だ、 ガガに男を感じる人がいるかもしれない、 だが、ガガは精神の深層にもっとも女らしいものを秘めた女だ、 さんざん傷ついた女の性の深奥に、 超女性としての女を持っている。
2015.08.29
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山口組から2次団体の最大組織山健組など10団体以上が脱退し、 新団体を結成するという。 山口組の本格的な分裂劇は4代目の襲名を巡って山広組、加茂田組などが脱退し、 一和会を結成して以来のことだろう。 このときは3代目山口組をほぼ2分した大分裂だったが、 数年に及ぶ抗争を経て一和会側は疲弊し解散に追い込まれた。 山口組は神戸港の港湾荷役を主な利権として力を得ていったが、 3代目の田岡組長の時代に広域に展開して、 日本最大の広域暴力団になった。 尖兵を送り込み拠点になる組織を作り、 その組織が強固な基盤を築くというやり方と、 地元組織に揺さぶりをかけて傘下に収めるかたちの 二通りの進出方法をとって広域化した。 いずれにしろ、山口組の本拠地は神戸であり、 大阪を含めて阪神地域の2次団体が本流ということになる。 3代目の跡目問題に端を発した山口・一和戦争は、 4代目に姫路に本拠を置く竹中組の組長が決まったことで、 3代目時代に本流だった阪神の有力2次団体が多く分離独立した。 4代目の決定には3代目姐と当局から認定された田岡未亡人と、 3代目時代の故山本健一若頭の出身母体の山健組系 が強く推したことが大きく影響したと言われる。 山健組も山本広一和会会長の出身母体の山広組も、 本流中の本流組織だった。共に本流意識が強かった。 山一抗争は姫路の竹中組竹中組長を推挙する山健組グループと 山広組グループとの山口組本流同士の争いと見ることができる。 山口組という一大金看板を外すことを余儀なくされた山広組グループが 激しい切り崩しにあい、このままでは先細りになることを憂慮し 山口組4代目の竹中組長と中山若頭、他1名を暗殺するという一打逆転狙いの痛打を浴びせた。 しかし、山口組というピカ一の金看板を掲げる同組はすぐに態勢を立て直し、 一和会を追い込んでいったのである。 一和会壊滅後の山口組は5代目渡辺組長の下、山口組本流の体制が確立し、 東京への進出も本格化し、日本のヤクザの4割前後の構成員を擁し、 ほぼ全国制覇の状況だった。 しかし、その状況が強力な地方組織を生み、 山口組の神戸・大阪の本流体制を徐々に変質させていった。 それは名古屋の弘道会の急激な成長だった。 山口組2次団体の大組織は山健組に見る通り、 東京、九州、北海道などに進出し、それぞれが広域化していったが、 その広域化を弘道会は急激に進めていった。 名古屋には3代目の時代から鈴木組という山口組の傘下組織があった。 鈴木組は本来の山口組が神戸港の港湾荷役を主な資金源にしていたように、 名古屋港の港湾荷役を請け負うことで勢力を伸ばした。 その鈴木組の組長が引退し組も解散したが、 解散時の弘田若頭が独立して弘田組を結成、改めて3代目山口組の傘下に入った。 弘田組は名古屋有数の組織にのし上がるが、 一和会が生まれたとき弘田組長は加盟する約束をしていた。 しかし、傘下組織の多くが異議を唱えたため、 弘田組長は自らが引退し若頭だった傘下組織の1つの司興業の司忍組長に後を委ねる というかたちで収拾を図った。 そうして生まれたのが弘道会である。 その後、弘道会は広域化し山口組内でも影響力を高めて、 ついに司組長・高山若頭という弘道会時代の体制が そのまま6代目山口の体制になり、弘道会は山口組の中枢に どかっと位置するようになった。 この支配体制は年々強力にになるばかりで、 本来の、山口組本流は組運営の外側に放り出された感があった。 その不満が鬱積しての分裂劇の始まりということになる。 つまり、本来の山口組本流と元来は地方組織だった弘道会の争いである。 神戸、大阪に本拠を置く本流の2次団体も代替わりしたところも多く、 それを契機に弘道会に近い組織になったところもあり、 山口組本流と言ってもひとくくりにはできないが、 絶縁、破門になったところは山健組を筆頭に、 構成員が多い傾向で、13組織で分裂前の山口組の3分の1近い構成員を有する。 看板にはもともと本流だったというプライドもあり、 関西山口組のように山口組の名を入れるという情報もある。 一和会より結束が強そうだから切り崩しにあっても、 そうそう簡単には切り崩されないだろう。 今後の推移に注目したい。 山口組の分裂劇と前後して橋下徹氏、松井一郎の両氏が 維新の党を離れた。 橋下氏は大阪維新の会を国政政党に格上げして関西を地盤とする 地域政党の道を歩ませる腹らしいが、 それに参加する国会議員は12,3名に留まりそうである。 橋下氏には山口組から分離した旧山口組本流の意識と似て非なる意識だが、 大阪を東京の対抗軸にしたいという強い思いがある。 そのためには時の権力である安部首相・菅官房長官ラインをも利用して 大阪浮上の権謀術策を弄したいのかもしれない。 政治の世界はまだヤクザの世界ほど関西勢が力を得ていない。 橋下氏が今後ウルトラわざを連発して大阪をどれだけ熱くできるか。 この行方も注視したい。
2015.08.28
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* 家族、恋人以外の異性といいふれあいをしてみよう 男でも女でも異性を意識できる間は、 年齢に関係なく活き活きとして精彩に富んでいます。 20歳でも恋人のいる人のほうがいない人より輝いて見えるものです。 既婚者でもそうです…と言ったら妄言になります。 無論、恋せよ、既婚者…などとすすめるつもりは毛頭ありません。 ただ、既婚者でも中高年の人でも、 異性から受けるいい刺激を大切にすることが、 これからの人生を豊かにするということを解ってほしいのです。 地域でゲートボールの指導をしている知人から、 こんな話を聞きました。 近所にご主人がリタイアしていつも家にいるようになってから たいへん仲が悪くなった70代の夫婦がいて、 どちらも常に険悪で暗い表情をしている。 知人は道でよくすれ違う奥さんのほうを、 ゲートボールに誘いました。 「にべもない感じで断られましたよ。ある日、私達がゲートボールに 興じる姿を見ているじゃないですか。楽しそうにやってる、 と思ったのでしょう。誘うと素直に頷きました」 その奥さんはみんなと打ち解けていくに従い、 よく声を出し動きが積極的になっていったそうです。 道であっても以前と違って着るものがカラフルになり、 髪もきちんとセットし化粧にも気を遣うようになりました。 「有志で月に1回カラオケに行くんですが、その奥さん、 年下の男性とデュエットするときは、 本当に目を輝かせて歌っています。それだけのことですが、 本人の心に大きな変化が起きたんでしょうね」 そのうち、ご主人のほうもゲートボールに参加するようになり、 夫婦仲が格段によくなったそうです。 年齢がいっても身だしなみがよく、どこか若々しい人がいますが、 そういう人はいい意味で常に異性を意識しているはずです。 何年か前、おしどり夫婦と言われていた還暦過ぎの夫婦の 奥さんのほうが急逝しました。 残されたご主人は意気消沈して家にひきこもり、 みるみるうちに精彩を欠いていきました。 その人にダンスをすすめる人がいました。 それで、週1回公営施設の会場で開かれるダンス教室に通うようになって、 目に見えて言動が溌剌としたものになっていきました。 社交ダンスは異性と組んでステップを踏みます。 これが大変いい刺激になって心身をリフレッシュさせ、 その人に新たな活力を与えたのでしょう。 ホームパーティーでもいいし、若い恋人同士だったら同世代の 異性がまじる仲間との飲み会でもいいと思います。 配偶者、恋人が同席するところで、 配偶者、恋人以外の異性とのいいふれあいをすることで新鮮な刺激を受け、 配偶者、恋人との絆をより強くし共有できる世界の幅を 大きく広げるはずです。 それはそれぞれの胸に、 共に前を向かせる新しい希望を灯す結果になると思います。
2015.08.27
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* 1年1年座右の銘を新しくしてそれを実行してみよう 僕が約40年近く一貫して座右の銘にしている言葉は、 ~いまが出発点~ です。 下は小学生から上は90歳100歳の人まで、 この言葉を書いて差し上げると大変喜んでもらえます。 100歳以上の方が、色紙に書いて差し上げると、 「ああ、毎日がその気持ですよ。いつでも始まりなんです。 生かされているということはそういうことです」 と、頷いて笑顔になりました。 いつだったか、路上で20代の男性に、いきなり、 「これを見て下さい!」 と、声をかけられました。 何だとびっくりしていると、男性は定期入れから二つ折りにされた 紙片を広げて僕に見せました。 子ども用の手帳の1ページを破ったもので、 ボールペンを使った(いまが出発点)という 僕の筆跡に対面することになりました。 「小学3年のときのものです。ずっと大切にしています」 ただの紙片にしたのか、絵本にしたのか、 立派な色紙にしたのかは関係ありません。 こっちの誠意が伝われば大切にしてくれます。 座右の銘には強い暗示効果があると思います。 サインをしているときだって、 僕自身が凹んでいることもあります。 いまが出発点~と書いていれば、 そのことをいちいち確認していることになります。 そうだ、いまが出発点だ、元気を出さなきゃ、 と気持ちを切り替えることができます。 一貫した座右の銘とは別に短期の座右の銘を作るといいですよ。 僕はヘビースモーカーでしたが、 禁煙を志したとき、今日も禁煙、という短期の座右の銘を作り、 朝のウオーキングのとき、 「キョウ・モ・キン・エン」と4拍子で唱えながら歩きました。 僕のウオーキングのリズムは4拍子です。 10日で禁煙できました。 僕は原理主義者ではありませんから、 夜の席にスモーカーがいれば、 1本もらって吸うことがあります。 至福のときで気づかぬうちに紫煙に乗って ストレスも吐き出されていきますね。 禁酒禁煙、生活のすべてを健康的に… と自分をガチガチの枠にはめている人は、 僕の経験では早くに病気になる人が多いような気がします。 自分を純粋培養しているようなものですから、 免疫が作れない。 原理主義は心身にとって天敵です。 枠を作るのはいいんですが、その枠に遊びをもたせることが、 人間らしく生きるには不可欠です。 もう卒業させましたが、「メン・エキ・ゾウ・キョウ」 と唱えながら歩いたこともあります。 免疫増強です。 枠から少しはみ出るのは免疫作りにとても効果があります。 短期の座右の銘は、目指すことを4字熟語的にまとめてみてください。 ゴルフのときでも、通勤の行き帰りでもいいですし 心で唱えてもいいですから、充分に唱えてみてください。 信じてやれば驚くほどの効果が期待できるでしょう。
2015.08.25
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* 自分史を書いて冷静に自分を振り返りこれからの人生の方向を定める 80歳で水墨画を始め100歳で油彩の赤絵に挑んだ 現役のお坊さんに104歳でお会いしたときは驚きました。 この人はもともと画家志望でしたが、お寺を継がなければならない という家庭の事情で断念、僧侶の道に進まれました。 80歳で住職の座は息子さんに譲ったのですが、 僧侶はそのまま続けました。 取材した当時、法要などは息子さん、お孫さんと並んで 3代で営むということでした。 80歳で水墨画を始めたのは、 青春時代に描いた夢を捨てきれないでいたためでした。 自室の壁に飾られていた富士の赤絵は、 100歳丁度のときの作品だそうですが、若さにあふれた ダイナミックな筆致でした。 取材からしばらく経って、この人から手紙をもらいました。 楷書に近い几帳面な字で書かれていて、 読む人が読みやすいように書いている、とすぐに解りました。 手紙をくれたのは言い忘れたことがあって、 そのことをどうしても知らせたかったためでした。 そのことは手紙の末尾のほうに認められていました。 「…私としては、腹立てず、心は丸く、気は長く、己小さく、 人は大きく~という古人の言葉を守っていることが長命の秘訣と思っています」 文中の古人は達磨大師のことです。 取材時に忘れてどうしても知らせたいと気になって、 こうして手紙を書いてくれた、この人の人生は、 長時間取材して僕の頭に充分に入りましたが、 この手紙により画竜点睛のものになりました。 この人の人生、つまり、この人の自分史は、 この人が僕に語ることにより、 104歳になっても充分自分を振り返る結果になりました。 そして、手紙を書くことでその自分史の核になっているものを 改めて強く心に刻み込むことができたのではないでしょうか。 この人は2年後、106歳で他界されましたが、 息を引き取る直前まで新聞に目を通していたそうで、 大往生でした。 自分史は日記と違います。 日記は何度つけ始めても途中で挫折して、 もはや僕にとっては無駄なことになりましたが、 世の中には1日も欠かさずつけている人がいて、 びっくりすると同時に尊敬させられたものです。 日記をつけている人はそのまま続けて、 自分史も書いて下さい。 自分史は思い立ったときで、しかも、自分に苦痛を強いない 程度の長さで結構です。 そして、年若い人ほど自分史は書く価値があるということです。 まだ学生か、社会人になっているかはともかくとして、 20歳の人は進路、恋愛、家族関係など、 様々な悩みを抱えていることが多いものです。 例えば、目指していることがあって努力を傾けているが、 何かの大きな壁にぶつかっているとしましょう。 自分を素直に振り返ると、それに近い経験が鮮やかに思い起こされて、 そのまま挫折したことも、頑張って乗り越えたことも、 昨日のことのように蘇ってきます。 野球のリトルリーグにいたとき、 20打席以上もヒットが出ず、フォームもばらばらになった。 高校野球の人にフォームを見てもらうようになった。 素振りを毎日1000回やった。 28打席目無心にバットを振ったが、 たちまち2ストライクに追い込まれた。 1ボールを見送った後、やはり無心にバットを振った。 快音が響いて球はぐんぐん伸びて3塁打になった。 そうか、あのときはこうだった、 じゃ、焦らず無心に取り組んでみよう、 とそのときに学ぶことで今の壁を乗り越える 契機が生まれるかもしれない。 104歳の人は僕の取材に対応することで、 自分史を書いているときと同じ気持ちになっていたと思います。 普段は意識の底に沈んでいたことが、 取材の過程で不意に表面に浮かび上がってくることがあります。 自分史を書くということはそういうことなのです。 そのことからこれからの自分を充実させる貴い糧が生まれる。 これは素晴らしいことです。 老いも若きも自分史を書くことで、 記憶の引き出しからこぼれていった大事なものを 掬い上げることができるのです。 この半年この1年の自分史でもいい、 思い立ったときに書いてみることです。 書いていくと解りますが多くの他人と関わっている。 人間は1人では生きていけないということが身にしみて、 これからの人生に対し大きな示唆を得られる。 折りにふれ自分史を書くことで貴方の感受性は、 いつまでも貴方を若々しく保ってくれるはずです。 、
2015.08.22
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* 友達がどんどんいなくなる人 80歳以上の元気な男性がふと洩らしたつぶやきに、 ハッとしました。 「年々、友人、知人がいなくなっていく。これが 何と言ってもいちばん寂しいことです」 このシリーズをお読みの方は、 親子ほども孫ほども年の離れた友人を持てばいいんだ、 という意識をすでに念頭に置かれたことと思います。 90を超えても100歳になっても、 年下の友人と若々しく過ごせます。老後も楽し…です。 しかし、仕事人間の方はそういう意識を一瞬持っても、 ついつい仕事に追いまくられて忘却の彼方のものにしてしまいます。 会社にも後輩や、部下がいるからいいや、と思うでしょ。 でも、定年を迎え、役員を勇退してみれば解ります。 あれほど慕ってくれた後輩や、部下は日々に疎しになり、 気がついたら傍に奥さんのみがいる、 という侘しい人間関係になるかもしれません。 会社の人間関係は解りあえた仲になったつもりでも、 会社を離れれば疎遠になっていきます。 年若い友人は外に作ることです。 タテ型社会にいるときに仕事を離れた ヨコ型の人間関係を築けなかった人はリタイア後は寂しいですね。 同窓会などに出席すれば、とたんに喜びも悲しみも 共有した時代に引き戻されて楽しいですが、 同窓会は毎日あるわけではありません。 リタイアすると日常が大事です。 6,7年前のことですが、トップまで上り詰めた知人が 64歳で勇退しました。 夫婦で世界一周の豪華客船の旅でもしようか、 という矢先に3歳年下の奥さんが心臓発作で急死しました。 一男一女の2人の子どもは共に結婚し子どももいましたが、 子育てに忙しく遠方に住んでいることもあって、 独りになったその人のところへはあまり訪れてこない。 孤独をかこつこともなくなるからと、 超高級の老人ホームに入りましたが、 間もなくアルツハイマー病になり、 老人ホーム側の事情でそこを出て、 特別養護老人ホームに移りました。 アルツハイマー病になる前後のことらしいんですが、 投資詐欺にあい、財産の殆どをすってしまったと聞きました。 有料のいい老人ホームには裕福な利用者を狙って、 詐欺師が魔手を伸ばしてくるそうです。 働き盛りのときにこそ、時間を作ってヨコ型の友人を作りましょう。 趣味や、遊びを共有できる仲間でもいいし、 何か研究でも始めれば、共にそれに没頭できる友人ができます。 こいつとは一緒に飲んでるだけで楽しいんだ、という相手でもいい。 今、こういう人間関係をたくさん築いておくと、 リタイア後の人生がとても彩り豊かになります。 僕のような自由業の人間は、 もともとタテ型社会はないようなものですが、 ほっとくと同世代で、同業者や、趣味趣向が似たものばかりになりがちです。 留意して20代30代の友人を多くしてきました。 元気と情報を貰ってますから若返りますね。
2015.08.21
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* 家の仕事を家族と分担してやらない人 70代という世代の男は男が一番輝いている、 と錯覚できた時代を生きたのかもしれません。 何しろ、 「おれが一生懸命働いて家族を養うから、 うちのことは頼んだぞ」 と、家事の一切を奥さんに丸投げできたのですから。 子育てを初め家事ほど大変で煩わしいものはなく、 カッコつけて偉そうに言って、 外に出て働くだけですから、こんな楽なことはなかったなあ。 僕らの世代は経済成長が軌道に乗った頃、働き始めて、 そのいいとこ取りで働き盛りを過ごし、 リタイア前に失われた20年は始まっていましたが、 まだ蓄積豊かな恵みを充分受けられました。 外へ出れば7人の敵がいるとよく言いますが、 敵は稀で70人の味方がいたぐらいな感じがありました。 良き時代でした。 リタイアしても、社会保障は手厚くカバーされていたし、 退職金、年金を多く頂いている世代で、 暇さえあれば、いや、暇ばかりですから、 ウイークデーの飲み会の始まりは、 午後4時が普通です。 この世代で僕のような浮き草稼業は、結構悲惨ですよ。 手取りで月5万に欠ける国民年金じゃ飲み代にも足りません。 だから、働いています。 午後4時スタートの飲み会に参加できるわかないでしょう。 9時過ぎにようやく一仕事を終えて、 2次会場へ駆けつけると、 「皆様、先ほど、お車を呼んでお帰りになりました」 という返事に会費払わず助かった、と胸を撫で下ろすのです。 愚痴はやめにして、この世代は、 リタイアしても亭主関白のまんまです。 「おーいお茶!」 「おーい、昼飯はまだかあ」 と、大声を出していればすむ。 出かけるとなると、靴下出してくれ、靴は磨いてあるか、 ですもの。 この世代は奥さんのほうが幾つか年下の組み合わせが多い。 女のほうが7つぐらい平均寿命が高いですから、 大体奥さんのほうが10年やそこらは長く生きる。 極稀に奥さんに先立たれた人がいますが、 悲惨な感じになりやすいですね。 家事をやってこなかった報いがいっぺんにきて。 どうしていいか解らない。 家政婦さんにきてもらっても、おーい、で万事はすまない。 身なりや、身の回りに構わなくなるんですね。 ぼじれて急速に老けてボケて、 特別養護老人ホームに入る人も見てきました。 奥さんに先立たれたリタイア高齢者でも、 若々しく過ごしている人もいます。 現役の頃から家事を分担してきた人が多いです。 それと、友達が多いですね。 それも年下の友達をいっぱい持っています。 10歳20歳年下の友は無論のこと、 20代30代という親子ほど年の離れた友がいたりする。 ですから、刺激を受けて行動も意識も若さを保つことができるのです。 リタイアしてから慌てて年下の友達を得ようとしても、 そう簡単にはいきません。 現役時代の意識の問題です。 ところで、リタイアして奥さんに先立たれても、 活き活きしてしている人にヒントがありそうです。 家事をを分担して積極的にやる。 年下の友達を作る。 以上の2つを心がけましょう。 昨今は主夫もいる世の中ですから、 これは女性にも言えることです。 20代の人から年下の友達を作れって、 3つ4つの子を友達にするのかよ、と突っ込まれそうですね。 そうですよ、と答えましょう。 3つ4つの子どもに読み聞かせをやれば、 友達になれますよ、きっと終生の友も生まれます、と。 読み聞かせに限らず、 子どもとの接点を積極的に求めることです。 子どもが多い絵の教室に通ってもいいじゃないですか。 結婚して我が子ができれば親としての立場だけではなく、 友という意識も持つことができるでしょう。 それは理想論でもありますが、 30代40代で配偶者のいる方は、 くれぐれも仲良く家事の分担をやってください。 そして、同世代の友達だけではなく、 年下の友達をどんどん作っておきましょう。 今から仕込めば豊かなリタイア生活を享受できます。
2015.08.20
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* 素敵な自分をイメージない人 皆さん、自分の脳内スクリーンに素敵な自分を映されていますか? サッカーの好きな人だったら、 ロナウジーニョからのアシストを受けて、 見事シュートを決めた一瞬でもいいでしょう。 メルヘンが好きな女性だったら、 美しい湖の畔を歩いていたら、 対岸の城から王子が白馬に乗って駆け出てきてプロポーズされた、 でもいいじゃないですか。 自分の脳内スクリーンに映った自分は、 実は強いその願望を表しています。 ただの夢想ではない自分をはっきり繰り返しイメージできれば、 それは志の裏付けのある夢になります。 サッカー少年がロナウジーニョからのアシストを受けて、 シュートを決めた自分が脳内スクリーンに焼きついていれば、 10年後、全盛期のロナウジーニョに匹敵する 未来の花形選手からのアシストを受けて シュートを決めるかもしれません。 当然自分も花形選手の1人です。 志の裏付けのある夢にならなくても、 そのときだけイメージを楽しむだけで、 大変効果の高いストレス解消法になります。 僕は脳内スクリーンにクマタカになり、 大空をどこまでも翔け上がっていく自分を映し出します。 夜になり降るような星空になる。 それでも上がっていく。 星々の間を縫って飛び疲れれば、 三日月に止まって翼を休めます。 爽快ですよ。 下界でチマチマしたことに悩んでいたのがバカみたいです。 でも、単なるストレス解消法ではなく、 実現の可能性が1%あったら、 その自分を繰り返しイメージして下さい。 僕は作家志望の若者ではありませんでした。 同人誌同人の友人の文学青年から、 この続きを書いてみろよ、 と書きかけのショートショートの原稿を渡され、 数枚書いて仕上げました。 それを読んで友人は、 「才能あるぞ」 と、叫びました。 そのときから僕は脳内スクリーンに、 作家になって締め切りに追われる自分を映しだしました。 そのための努力を始めました。 懸賞小説への応募を開始したんです。 予選に通るようになり候補作の常連になり、 やがて受賞しましたが、それまで7年かかりました。 1%の可能性が10%になり30%になり、 50%になったということです。 直木賞を受賞して80%になりました。 後の20%はこれからの自分に託しています。 100%にしてはいけないんですね。 脳内スクリーンの自分はいつも未来です。 素晴らしい自分ではなく、 駄目な自分を脳内スクリーンに写している方はいませんか。 多くは不安と怖れの表れです。 前に経験した不安や、怖れを強く感じたできごとがあって、 脳内スクリーンにフラッシュバックさせてしまう。 また駄目なのではないか、また同じ憂き目にあうのではないか、 と後ろ向きになってしまう。 そういう自分をイメージすると、 プラスのイメージとは逆の確率を高めてしまい、 やがて現実のことになってしまうかもしれません。 それを避けるためには、不安の種、怖れの種と向きあい、 それを払拭する自分をイメージすることです。 特性のラケットでバンバン跳ねっ返してもいいじゃないですか。 ブルドーザーで不安や、怖れの象徴を潰し尽くしてもいい。 痛みもあるし苦しいですよ。 でも、その後に素晴らしい自分をイメージする。 これが大切です。 貴方はたくましく楽しい人間に変わるのです。
2015.08.19
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* 服装が年々地味になる人 服装とファッションに関しては、 かなり年季を入れてきたつもりです。 カゲキファッションと呼ばれている僕自身の服装の是非に関係なく、 道ですれ違う人や、電車で乗りあわせた人の服装は、 それとなくしっかりチェックしています。 その長年にわたる習慣で解ってきたことは、 地味な服装の人には警戒心の強い人が多いということです。 あるいは、警戒心が強いと、無意識のうちに 地味な服装をするということです。 あえて悪い例えで言いますが、 泥棒や、空き巣狙いは大変警戒心が強いです。 自然と目立つことのないように地味な服装を心がけます。 間違っても僕のような服装はしません。 悪事を働く人が警戒されないよう地味になるのは当たり前として、 普通の人が傍目から見て服装を構わなくなるのは、 どうしてでしょうか。 明らかに活き活きとしたときとは 逆の状態を表しています。 精彩を欠く…という言葉があります。 【精彩】は美しい彩りという意味の言葉ですから、 年々、服装が地味になっていくのは、 年々、精彩を欠いていくということなのです。 先に警戒心という言葉を出しましたが、 年がいくに従い服装が地味になる人は、 年甲斐もないと周囲から見られたくない、 という警戒の念が働いています。 その念が昂じれば閉鎖的になり、 自分の殻に閉じこもるようになります。 その場合、服装は殻を象徴していますから地味の上にも地味になる。 殻で鮮やかなものはありません。 年相応の格好をしてひっそりと暮らしていこう、 という意識になったら臆病の発想そのものであり、 身を縮めるような守りの姿勢に入った証拠です。 大体、年相応の格好って意味のない言葉です。 その人相応の格好ならあるでしょう。 避雷針の発明者として知られるベンジャミン・フランクリンは、 こういう言葉を残しています。 「ものぐさは錆と同じ、労働よりもかえって消耗を早める。一方、 使っている鍵はいつも光っている」 まだ働き盛りなのにものぐさになったら、 心身が錆びついてきたのだと思い、 奮起してまめになりましょう。 年がいっても原色の派手な服装をしている人は、 見るからに陽気で楽しそうに振る舞っています。 開放的な服装をして解放されたいという意識が服装に出る。 そういう服装をすることで、なお解放されたという意識になり、 気分よく過ごせます。 年々、服装が派手になっていけば、心身がそれについていこうとして、 健康を維持さざるを得ません。 皆さん、老いも若きもどんどんカラフルなものを身につけていきましょう。 もしも、ここまで読んで眉をひそめる方がいたら、 残念ながら後ろ向きの意識で、 老化を加速させる方向へ歩きつつあると言わざるを得ません。
2015.08.18
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* ありがとう…の言葉がない人 挨拶をしない人が増えた。 挨拶をしなくなったのではなく、 挨拶ができない、挨拶を知らないのだ、と手厳しい声も聞こえます。 ウオーキングをしていて自転車が横道から現れれば、 先に通してやるために足を止めます。 乗っている人が若い人で、 「ありがとう」 と、はっきりした声で言われると、とても気分がいいんです。 ということは、ありがとうの一言もなしに、 横切ってしまう人が殆どだということです。 今は他人の小さな配慮に、働き盛りの人も高齢者の人も、 ありがとうを言わない人のほうが多数派のような気ががします。 働き盛りの人はそんな些細なことには、 お互い忙しいんだから無視でいいんじゃないか、 という気持ちかもしれません。 高齢者の方には年寄りには敬意を表するのが当たり前だろう、 という甘えた意識の人が多いのかもしれません。 そう言えば、今の中高年の人は、 「今どきの若いもんは…」 という嘆きや、怒りの枕詞をあまり発しませんね。 僕らの若い頃は、行く先々で顔を見られながら、 「今どきの若いもんは…」 と、やられたもんです。 中高年者が若い人に向ける この常套句があまり聞かれなくなったのは、 今どきの若いもんは…と非難の対象にしていたことを、 今は中高年もやっているということなんですね。 ありがとう…を例に取れば若い人も、 中高年の人も言わなくなった。そういうことです。 70代の僕の世代でも、 道を譲ってやっても靴の紐がほどけていることを教えてやっても、 ありがとうどころか、会釈の1つさえ返さない方が結構います。 あっ、そう、といった表情ぐらいですね。 うるさそうにする人さえいます。 そのくせ、ちゃんと靴の紐は結び直す。 ニコッとされて、ありがとうの一言が聞けたときは、 本当に嬉しいものです。 ありがとうの一言が言えないほど、 日本人は超照れ屋になってしまったのでしょうか。 八百屋のおばさんからこんな話を聞いたことがあります。 「お年寄りだと思うから、たとえ萎びたキュウリ1つでもおまけにつける。 でも、ありがとうと言う人が少なくなりました。 当たり前のような顔をしているんです。そういう人に限って、 スーパーより高い、あんたの言葉は乱暴だなどと文句をつけてくる。 頭にきますよ、本当は。でも、考えてみりゃおカネ払って、 更に情報まで教えてくれる。注意もしてくれる。感謝です」 何かしてもらうのは当たり前だと思っている。 権利は声高に主張する。 利己的な考えが横行する世の中になってしまっている。 それがありがとうの声が、 あまり聞かれなくなった原因ではないでしょうか。 ありがとうを言われるより、 まずありがとうを言うことを心がけたいものです。 ありがとうという言葉を元気に発声するだけで、 体に元気がみなぎってきます。 言うだけで快感です。相手も元気そうな笑顔になる。 晴れてればありがとう。 ご飯が美味しければありがとう。 感謝の念が湧き、自分が元気に生きていることは、 当たり前ではなく感謝するべきことなのだ、 と理解するようになります。 何が幸せかをありがとうは教えてくれるのです。 いつまでも瑞々しい気持ちで生きるためには、 ありがとうの精神です。 このブログを最後の行まで読んでいただいて、 本当に【ありがとう】です。
2015.08.17
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* 寝起きの悪い人 寝起き…この言葉には大きく分けて2つの意味があります。 1つは寝ることと起きることです。 もう1つは寝ていた人が起きることです。 前者は起き伏し、起居などと同義に使われ、 転じて日常生活そのものを表す言葉にもなっています。 後者は眠りから覚めたときの気分や、機嫌を表す意味にも使われています。 それに習えば、寝起きの悪い人は、寝て起きたときの機嫌、 気分が悪い人ということになります。 とりあえずここでは前者の意味をとって(寝起きの悪い人)を、 寝つきと寝覚めの悪い人、という意味で使わせていただきます。 寝つきと寝覚めの悪い人の多くは、疲労を蓄積させています。 特に心配症の人は常に心配ごとがあって熟睡できないで、 肉体的疲労と精神的疲労を併せ持っている人が少なくありません。 起きて活動している時間もハツラツとした感じがしません。 寝つきと寝覚めを悪くしている原因を早く取り除きましょう。 とは言っても、現代社会はストレスから免れにくい構造ですから、 蓄積疲労を解消することはなかなかできません。 寝つきと寝覚めの悪いことが常態化して、 改善できない人が増えています。 目覚まし時計を2つも3つもセットしている人は、 皆さんの身の回りにも1人2人はいるのではないでしょうか。 極端に寝起きが悪ければこれはもう不眠症で、 睡眠薬の世話にならなければなりません。 普通で言う寝つきの悪い人はベッドに横になると、 心配ごとが頭に入ってきていつまでも思い煩うようです。 気分転換が下手なんですね。 もう寝るんだから頭のなかをカラッポにすればいいのに、 横になってからドドっと頭に入れてしまう。 いくら悩んだって横になっての解決はありません。 早く頭をカラッポにして寝なきゃ、 朝起きて考えればいい思案が生まれるのに… 傍がやきもきしても心配症の人は、 それができないのです。 さあどうしたらよいでしょう。 こんな日常を10年20年続けていたら、 まだ50代の働き盛りで若年性アルツハイマーの発症、 なんてことにもなりかねません。 睡眠薬の使用は逃げで、ついつい使っているうちに、 依存せざるを得ない体になってしまいます。 まだ30代前半で大変寝つきと寝覚めの悪い人がいました。 睡眠薬を用いることもありました。 この人の奥さんは起こし役で、 朝は彼の体を強く強く揺すって起こしていました。 往復ビンタをくれることもあったとかで、 この奥さんがいなかったら彼は宮仕えを続けられなかったでしょう。 上司の命令で、 彼は5拍6日の能力開発セミナーに参加することになりました。 「朝5時起きで5キロのジョギングをやるらしいよ。 夜の10時就寝まで糞刻みらしい」 彼は戦々恐々の体でした。 奥さんはいつもの睡眠薬や、 腕に巻きつけておくとブルブル振動するタイプの 小型目覚まし時計などを用意しました。 ところが、彼は睡眠薬も、 目覚まし時計も忘れていったのです。 さあ、奥さんは心配で心配でたまらない。 大きなミスをしなければいいが… と寝つきと寝覚めがすっかり悪くなってしまったのです。 しかし、案に相違して彼は活き活きして戻ってきました。 分刻みのスケジュールで鍛えられ、就寝時間にはもうクタクタで、 眠くて眠くて睡眠薬や、 目覚まし時計は持っていっても邪魔になるだけでした。 朝だって一斉起床です。 ぐずぐずしていれば、甘えんな、の一喝が飛んできます。 彼は強い意思と自主性を自分に課すしかなかったのです。 さて、起き際の機嫌がよくないという意味での寝起きの悪い人の話です。 エンジンのかかり具合が遅い、つまり、 寝起きてから心身のリズムが整うまで時間がかかる人です。 こういうタイプの人はほんの少しの無理を体に強いましょうか。 朝起きたらグラス1杯の冷たい水を一気飲みする。 ウオーキングに出る。 新聞の社説を声に出して読む。 なんでもいいです。 ほんの少しの無理でいいんですよ。 体は実はかなりの無理が利くようになっています。 でも、それは不測の事態のときにとっておきましょう。 ベッドでグズグズしている人は、 勤務中でもよくフアーッとあくびをしています。 心身のリズムがまだ整っていない証拠です。 こんな状態を長年続ければ、 生活習慣病を知らず引き寄せたり、 老化現象を早めて、 それと深い関わりのある認知症のリスクを高めてしまいます。 ほんの少しの無理を自分の体に強いて下さい。 強いれば別人のように改善されます。
2015.08.16
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5歳の夏 なぜ僕はあの日の空の色を覚えているのだろう 僕は官舎の廊下に独りでいた 20歳の兄はソ満国境近くの陣地にいた 17歳の長姉は川越の女学校にいた 13歳の次姉は杉並の女学校にいた 母は台所でお昼の支度をしていた 父は官舎と道を挟んで建つ職場にいた なぜ僕は何度も何度も空を振り仰いだのだろう 庭の青桐でアブラゼミが鳴いていた 聞いているだけでジトジト汗ばんでくる 空を見上げると一瞬爽やかさに包まれた どこまでも青が澄んで天上に届いていた その空に白い雲の色で思いでを描いた 家族と団欒している楽しい思いでだった なぜ一人一人はみんな暗い顔だったのだろう 大人なら負けると誰もが思っていた 敵機が我が物顔に頭上を飛んでいる 子どもの僕も大負けだと悟っていた どうにもならないから行くしかない 銃後の民も死ぬことが行くことだった どこに行くのかは誰も解らないでいた なぜ今日も暗く始まったのに今は静かなのだろう 青桐のアブラゼミも姿を消していた 僕の鼻にふかした芋の匂いが流れてきた 空腹を忘れるためにまた空を振り仰いだ 天上に届く青のままだけど息苦しかった 庭の木戸がパタンと開き父が入ってきた 父は僕を見ずに廊下へ大股で歩いてきた なぜ父の声は静寂をポンと破って響いたのだろう 「おい、戦争は今、終わった終わったぞ」 台所から母が「本当ですか」と駆けてきた 「本当だ。陛下が放送で仰せになられた」 頷いた母が全身の力を抜いて廊下に崩れた 僕は空を振り仰いでゆっくり深呼吸をした 僕の息が澱みなく澄んだ青に溶けていった
2015.08.15
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* 暇さえあれば横になる人 75年も生きているので、ずいぶんといろんな人を見てきました。 その経験で、しかも我流で言わせていただきますと、 暇さえあれば横になる人は次の4通りに分けることができます。 1 寝不足の人 2 体調の悪い人 3 何か常に不満がある人 4 完全にナマケモノの人 1はごろりとやってOKの人です。 僕も前夜が2時間程度の睡眠の日は、 スペースさえあればごろりと横になります。 2もごろりとやってOKですが、 いつもいつもだと病気が隠れている場合があるので、 医者に診て貰ったほうがいいでしょう。 3はごろりとやっては不満がますばかりでしょうね。 家族、周囲、仕事、世の中などに絶えず不満があって、 そのくせ解決しようという気がなく、口にも出せず、 ふて寝するしかない。 気が小さい人に多いですね。 ふて寝してもただの逃避に過ぎず、 起きれば元の木阿弥ですから、 不満は慢性的に残ったままです。 ふて寝と書きましたが、普通のふて寝は周りの人に なぜそうしたのか理由が大体解ります。 しかし、このタイプの人のふて寝は、 周りの人にその理由がつかめない。 それどころか、ふて寝だということすら解らない。 本人が不満を独りで抱えてごろりですから、 何だろう、よほど具合でも悪いのかと思うぐらいが関の山です。 不満は長期間継続し、一生抱えている人も多いです。 サラリーマンで昼休みに会社からかなり離れた 公園のベンチで横になっている人に、このタイプがいますね。 通りがかりの人は寛いでいていいなあ、と思うかもしれませんが、 当人の胸の内は鬱々なのです。 休日に家庭でごろごろしている人にも、 このタイプの人が多いと思います。 小心であると同時に、不満の多くは、 自分が職場などで正当に認められていないというものです。 それが昂じて自信喪失に陥っている人もいます。 例えば会社で報われないという不満があっても、 余暇に趣味、スポーツ、芸術などに興味を持ち活動を起こせば、 気持ちをいい方へ昇華させることができます。 上達して自信を持てば仕事にも好影響を及ぼすでしょう。 4は誰が見てもどこから見てもナマケモノ(怠け者)です。 三年寝太郎ほどでないにしろ、朝寝朝酒朝湯が大好きなタイプは、 昼間も暇さえあればすぐ横になります。 家は大体裕福です。財産分けをしてもらった人は、 あっという間に無一文になります。 これではいけない、と思うことは多いのですが、 汗水垂らして働こうという気には毛頭ならず、 楽で稼ぎがいい仕事はないか、という発想しかしませんから、 投資とか、儲け話に走る。 結果はお決まりのように無一文です。 以前、50人ほどの100歳以上の健康長寿の人を取材しましたが、 それで解ったことは若いときから身を粉にして働いてきた人ばかりでした。 ナマケモノは長生きできません。 さて結論です。3と4のタイプの人は大いに問題ありで、 先行きが案じられます。 もしこのブログをお読みの方で、自分には3か4の傾向がある、 とお思いの方は改善できる余地が大いにありますから、 改善に取りかかりましょう。 改善の余地のない人はこの種の文章には目を通しません。 自分をこのままではいけないという意識と、なるようになれ、 という意識の狭間に追い込んで矛盾の自縄自縛状態にして、、 先行きを更に暗くしてしまうのです。
2015.08.13
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* サービス精神の乏しい人 昨今はホームパーティーが盛んです。 某日、知人の家のホームパーティーに招かれました。 夫婦参加の客が中心でした。 この家の奥さんは料理上手で人を集めるのが大好きです。 話題も豊富です。 それはいいんですが、ホスト役のご主人はむっつりしていて まるで気配りのない人でした。 料理が運ばれると、どうぞの一言もなく、 客より早く箸を取り自分の口へ運んでいました。 話しかけるとちゃんと応じるんですが、 質問に答えるという感じで終わります。 しかし、特に気にもならず目障りでもありませんでした。 自然に静かにそこにいるので、 ほっとけばいい感じでした。 この無愛想極まりないホストは、少企業の経営者で、 経営のほうは大変順調のようでした。 仕事のほうでも口数は少なく、 夜のつきあいはほとんどしないようでした。 しかし、細やかな気遣いを見せ約束はきちっと守るので、 取引先の信用はとても厚いそうです。 この人は、元来、周囲や、他人にあまり気を遣わない人柄だと思います。 ということは、周囲や、他人が自分をどう思っているかには、 無頓着で、興味を持たないんでしょうね。 奥さんの話によると起業していろいろ苦労して辛酸もなめ、 経営や、商売には一番不向きに見える人柄を逆手に取り、 信用を勝ち得たということです。 このような人は意外と情が厚い。 面倒を見るべきことには面倒見がいいし、 反応すべきことには的確に反応する能力がある。 ホームパーティーの参加者は、そのことをよく知っているので、 彼が無愛想にしても気にならなかったのでした。 本当にサービス精神が欠如している人間は、 社会生活には不適合な人間です。 社会生活を営んでいる以上、社会の動きや、 気配に少しでも反応しなければ生きてはいけません。 サービス精神が欠如すると社会的な注意力が養われず、 外の社会に柔軟に関わることができなくなります。 引きこもりの多くはこのタイプでしょう。 ニートの一部にもこのタイプの人がいます。 引きこもりや、ニートの人達には、 まず社会に適合できるサービス精神を養わせることが必要です。 この対策がうまくいけば、 もともとが細やかな人柄の人が多いですから、 それぞれがその潜在能力を発揮して社会に貢献するでしょう。 話を元に戻しますが、 社会的な注意力が散漫な人は、 昔からどこにでもいました。 このタイプで他人には無関心でも 何かに並外れた才能を持っていれば 社会の注目を浴びるという逆方向のかたちで 社会に適合することができます。 芸術的分野や、学術的分野で、 孤高に才能を輝かせることができれば、 それはそれで社会的にも素晴らしいことです。 そのような才能がなくても、 昔は地域社会に社会的な注意力が散漫な人間を 支えきっていくだけの仕組み、機能がありました。 年功序列、終身雇用を原則とする会社も、 多様な個性の1つと見て少なからぬところが、 受け入れていました。 でも、今は違います。社会で効率化が進行しており、 どんなところでも適合できないと見られたら、 切り捨てられる傾向が強くなっています。 ところで、自分はサービス精神が欠如している、 社会的な注意力が散漫だと自覚できる人は、 実はたくましい人間です。 自覚してサービス精神を養う能力と、 その努力を続ける克己心を持っています。 特に若い人にはこれからの世の中で、 自分はどんなサービス精神を発揮できるかを じっくり考えることで、 いつまでもしなやかに生きられる 自分流の処世術を身につけてほしいです。 、
2015.08.12
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* あまり笑わない人 よく笑う人は病気になりにくい、 という話を聞いたことがない人は、 多分、少数派でしょう。 よく笑うと気分が楽になります。 溜め込んでいたストレスが、 笑い声に引きずられてへ外へ吐き出されていった のかもしれません。 当然、免疫細胞は強力になるので、 素人考えでも納得できます。 大分以前のことですが、 大いに笑うことがどういう結果をもたらすか、 の実験を行った医師がいました。 この人は自分が診ている19人のガン患者を 大阪のなんばグランド花月に連れて行って、 約3時間、好きに笑わせました。 何しろ同劇場は吉本興業の笑いの殿堂です。 患者たちは爆笑に継ぐ爆笑だったそうです。 結果はどうか。 見せる前に検査を行っていますが、 それで得られた数値を、 見せた直後の検査の数値と比較しました。 19人すべての患者のNK細胞の数値が向上していました。 NK細胞は体外から侵入してきたウイルスや、 病原菌を迎え撃つ重要な免疫細胞です。 笑う門には福がくるということですね。 滅んど笑顔を見ることのない人で、 傍目には常にイライラしているように見える。 またはクヨクヨしているように見える。 口を開けば愚痴になる。 そういう人には、病いは気から、 という言葉を念頭に置いて貰いたいですね。 解放されての笑いが免疫細胞を強化するのなら、 イライラ、クヨクヨは気分のよくない状態、 つまり、気を滞らせている状態ですから、 免疫細胞は活動しづらいでしょうね。 ウイルスが侵入してくれば逃げ腰になります。 ところで、笑って笑って笑い抜いていれば、 病気にかからないか、というとそうでもない。 40代で亡くなった知人がいました。 背が低く豆タンクのような体つきでした。 とても陽気で、彼が現れるだけであたりがパアーッと明るくなる。 彼はよく破顔一笑しました。 普通には笑いが起きない話題でも、 彼がいて破顔一笑すれば、 周りも追従するようにゲラゲラ笑いました。 その彼は出先で突然倒れて、 それから間もなく亡くなりました。 彼は血圧がかなり高く血圧降下剤を常用していました。 笑いは健康にいいいと言っても、 生まれつきの体質、生活習慣など、 他の要因とのからみもあるので、 笑えば未病効果が絶対ある、と断言はできません。 僕は読み聞かせ活動を通して、悲しいときにはこらえずに泣くことも大切だ、 と思うようになりました。 悲しい場面になると、子どもたちの1部は涙を流します。 涙を見せない子どもでも、可哀相だなあ、たまらないなあ、 といった表情になります。 読み聞かせが終わると、涙を流した子どもはスッキリして、 活き活きと動き回ります。 心を洗われたためです。 笑うことも泣くことも健康に生きるには大いに貢献する、 と僕は確信しています。 笑わない人は泣くこともしない場合が多いです。 感受性の容量が小さいので、 笑いたいときには大笑いすることができる、 泣きたいときには存分に泣くことができる だけの感受性の幅と奥行が広がっていないのです。 感受性という心の懐の幅と奥行きを広げることで、 年齢に関係なく瑞々しい精神を維持していくことが可能でしょう。
2015.08.10
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* トイレの長い人 この見だしを見て、何だ、と怒る人もいるでしょう。 何かの事情があってやむをえず長くなる人もいます。 例えばジ主さんや、便秘しやすい人です。 悪化させないようゆっくり用を足して下さい。 そういう事情がなくて、単にトイレが長い人って 結構いるじゃないですか。 僕のカミサンも長いことがあります。 カミサンが出たらすぐに入ろうと思っているのに、 こういうときに限ってなかなか出てこない。 そういう状況になると、余計切羽詰まってくる。 尿意ってそういうもんじゃないですか。 漏れそうでドアの前で、 「早く早く早く…」 と大声をあげても出てこない。 こりゃもう道に出て立ちションだ、 と覚悟して玄関へ向かったら、ようやく出てきたカミサンは、 「どうぞ」 だって。 カミサンは棚に置かれていた女性週刊誌を読みふけっていたのでした。 もう16,7年も前になりますが、 フリースクールで月1回の特別講座を持ったことがあって、 自分の意志で入学してきた男子生徒がいました。 仮にF君としておきましょう。 ここでは彼がなぜ不登校になり、 その間、家庭内暴力を始め、 ある時期を経て自らの意志でフリースクールの門を叩いたのか、 については触れません。 いずれにしても、彼は立ち直り、 自分からフリースクールに入ってきました。 その彼がこんなことを言ったんです。 「トイレが長い癖がついて直らず困っています」 トイレからなかなか出てこないのは、 学校に行きたくないというサインです。 不登校が始まる前後、 彼はお母さんから布団をはがしとられて渋々起き、 急き立てられて朝食を食べて、 「もう学校にいく時間よ」 と、ダメを押されてからトイレへ入りました。 「遅刻するわよ。早く出なさい!」 お母さんは怒声を放ち、ドアをドンドン叩きました。 「母が喚こうがドアを割れるほど叩こうが平気でした。 鍵をかけたし、トイレから出なければ安心だ、 と思っていたからです」 会社の上司と生理的に合わず、 朝になると、会社に行きたくない症候群に襲われ、 出勤の支度をしてからトイレに入るという人がいました。 まだ20代の男性でした。 トイレに入ると、1時間2時間はいたそうです。 当然、遅刻になるから叱られる。 そんな繰り返しが何度かあってクビを言い渡されました。 「何しろ、上司の顔を見たくなかったんです。 トイレに入って鍵をかけるとほっとしました」 トイレは現実からの逃避の場になったんですね。 彼の場合は転職していい上司に当たり、 長トイレではなくなりましたが、これが生活習慣化すると危険です。 大学の先生で、新築の自宅にトイレを2箇所に設置した人がいました。 この人はもともと長トイレで、 トイレで専門書を読み、想を練っていました。 それで、トイレの1つに書棚を設けました。 さあ、そのトイレはミニ書斎になってしまいました。 そのトイレに便意を催して入っても、 鍵をかけた途端、便意はすっと消えていく。 これはもう心因性の病気です。 その人にとってトイレは研究の場である以上に、 逃避の場になっていたんですね。 ほどなくうつ病と診断され、 大学は辞めたそうです。 やむを得ない事情がなければ、 トイレは短い人ほど健康だと言っていいでしょう。 快便快尿の証拠で、スルスル、サー、と、 ストレスも共に排泄されて快適な日々を送ることができます。
2015.08.09
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* 辞書を引かない人 電子辞書は小学生、中学生の間でも広く普及しているようです。 スマホでも平仮名を入力して漢字を知ったり、 その意味をググったりしています。 そういう状況を念頭に置きながら、 ここでは紙の辞書について話をさせて頂きます 辞書を引く、辞書をひもとくという行為は、 まず辞書を手にすることからは始まります。 これはスマホでも電子辞書でも同じですが、 紙の辞書の場合は引こうとしている言葉が、 大体どのあたりにあるかを、このときに推測しています。 例えば、躊躇という言葉を引こうと思えば、 その近所にありそうな中核、昼食、中庸 などという言葉も浮かんできます。 狙いをつけてページを開いたものの、 まだた行の後半のページだったら、 そのページから引き直します。 躊躇を見つけて、その正確な意味を把握すると, よほどの急ぎでなければ、 隣接域の言葉の2,3は、 それぞれの意味を把握してからページを閉じます。 隣に中朝、その隣に中腸が並んでいます。 中朝は【朝廷】の意味で、【日本の朝廷の美称】でもあり、 【中世、中古】という意味もあると解ります。 中腸は【消化管のうち、内胚葉起源の部分】のことです。 時間があれば内胚葉とは何かを調べます。 これを僕は寄り道と言っていますが、 興の赴くままに寄り道を重ねていたら、 時間がいくらあっても足りなくなります。 寄り道して知らずボキャは豊かになっていきます。 紙の辞書は辞の深い林を渉猟する楽しみがあります。 楽しみながら脳細胞を働かせ、 記憶をより確かなものにしてくれます。 かって僕は100歳超の健康長寿者約50人を取材しましたが、 その人達に共通していたことは、 大変まめだということでした。 100歳丁度の男性は取材中、 正月用の注連縄を綯う手を休ませなかったものです。 102歳の女性は針仕事をしながら 僕の質問に澱みなく答えてくれました。 健康長寿者は、手や、指先を本当によく働かせていました。 辞書をひもとく行為は手や、指先をよく働かせる行為そのものです。 そのとき脳は一緒に働きだします。 紙の辞書をまめに使い、その都度、 ワクワクした知的興奮を味わえるのですから、 脳は老化、鈍化している暇はないのです。 皆さん、思いついたら紙の辞書をどんどん引いて下さい。
2015.08.07
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ユーラシア大陸の、 荒漠とした高原に、 きみは眠り続ける、 21世紀の人類により、 きみはこの巨大な墓の、 地下深きに封印されて、 葬られた、 傍らに巨大なモニュメントが、 いかに危険物かを訴えて、 そびえたつ、 きみは大いに不満だろう、 さんざん奉仕させられたあげく、 用ずみになっても、 アルファ線を放射し続ける、 と生みの親に忌み憎まれて、 仮借なく封印されたのだから、 生んでくれとだれが頼んだ! きみにかぎって、 そのうめきは正論だ、 きみは人類を永久に、 呪い続けるべきだろう、 そして、人類の愚を、 永遠の語り部として、 語り続けてほしい、 2万4000年後、 きみはようやく半減する、 そのとき、 きみの語りを聞けるものは、 なにものだろう、 進化した人類だろうか、 いや、それはまずない、 このような愚を犯した人類が、 そこまで生き延びる根拠は、 たいへん乏しい、 宇宙からやってきた、 高等生物の可能性は、 人類よりはあるだろう、 プルトニウム239よ、 きみが語るべき相手は、 ほかでもない、 神をおいてほかにない、 神はいまどこかで眠っている、 起きていれば、 神の寵児のこの青い地球が、 こんなにも荒廃しないだろう、 神はやがて目覚め、 きみのところへ現れる、 そのとき、 すべてを語るのが、 プルトニウム239よ、 きみの使命なのだ。
2015.08.07
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太陽は近く爆発するぜ~ボンボンボボーン、ボンボンボボーン~ 1 よく聞けみんな よく聞けみんな 太陽は近く爆発するぜ 地球のためにずっと燃えてきたのに 地球はそれに応えたか みんな自分のハートに訊いてみろ ボンボンボボーン ボンボンボボーン 太陽が月に火花を飛ばした ボンボンボボーン、ボンボンボボーン ヤバイぜマジでヤバイぜこれは ボボボボボボボーン ボボボボボボボーン ボボボボボボボーン ボボボボボボボーン アッチアッチアッチアッチアッチ アッチージャンカー この先燃えても意味がない ここらで地球を終わらせる その太陽の怒りの意志を おれの第六感は捉えたぞ ガラガラドカーン、ガラガラドカーン ガラガラドカーン、ガラガラドカーン わあ月が火の玉になったぞ シュルシュルシュルバカバカバカーん シュルシュルシュルバカバカバカーン シュルシュルシュルバカバカバカーン わあ炎の月が地球に飛んでくる 2 よく聞けみんな よく聞けみんな 太陽が爆発する前に おれは灼熱の恋をしたくって この南の島へやってきて サンゴの海で運命の出会いをした ~繰り返し~ おれは度肝を抜かれたぞ 足にヒレこそつけてたが タンクもしょわず全裸見せ Youは珊瑚の森の人魚かよ ~繰り返し~ 3 よく聞けみんな よく聞けみんな 星降る浜辺で彼女に言った あの南十字星をしっかり見なよ あいつはきっと知っている 間もなく太陽が爆発するってことを ~繰り返し~ おれたち2人はこの浜辺で あいつに見守られながら 激しく短く燃えて燃えて 人類最後の恋を完結しよう ~繰り返し~ 4 よく聞けみんな よく聞けみんな 明日のことは関係ない 今をあなたと共に貪り尽くし 1つに溶けて完結したいと 彼女はおれを優しく包んでくれた ~繰り返し~ ヤシの葉陰を終の棲家に 愛の魔性にすべてを委ね ひたすら燃えてそれを待つ そのときそれはついにきた ~繰り返し~ タップトプ・タップトプ・タップトプ・タップトプ・タップトプ タップトプ・タップトプ・タップトプ・タップトプ・タップトプ そしておれたちはマグマになった 永遠に幸せに燃え続けるのみだ * 2015・8・6 制作
2015.08.06
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