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高校2年生の春休み~過食・過食嘔吐の泥沼



最初は腹筋運動をしない罪悪感でいっぱいで、外に出て余計に歩き回ったり食事を減らしたりしていたが、段々罪悪感も薄くなり腹筋運動は一日に100回程に減っていった。

★シリアル★ 
昔からシリアルを食べる習慣のあった私は「食物繊維たっぷり」というキャッチコピーに騙されて、シリアルは毎朝たっぷり食べられるようになっていた。

★過食の兆し★ 母が出掛けていた時、寂しさと空腹感で何か食べたくなった。200mlのアイスクリームをカップごと急いで立ち食いした。でも、食物繊維たっぷりのシリアルをかけないと安心できなくて沢山シリアルを掛けて食べた。
 その後、予定外に食べてしまったことを後悔し、帰ってきた母を責め立てた。これが、過食の始まりだとは気付かずに・・・。

 干し芋の季節になった。干し芋が幼い頃から好きだった私は食べたい気持ちには打ち勝てず、沢山食べた。干し芋を1袋食べただけで後悔し、母と市営プールへ行きカロリーを消費した。しかし、消費カロリーが摂取カロリーを上回ることは難しく、完璧主義の私は、どうせ運動しても意味がないやとプール通いも数回でやめてしまった。

 その時期からいったん食べ始めると止まらなくなっていった。まさに貪る様に獣のごとく食べた。カロリー帳を付けていたのだが、一日で成人女性の5日分のカロリーを摂取していた。家にあるもの食品は毎日食い尽くした。好んで食べたのは、これまで控えてきて自分に嫌いだと言い聞かせてきた“甘いもの・油っこいもの”。家にその類のものがなくなると、近所のスーパーで沢山買ってきて食べた。両親は沢山食べるようになって驚いてはいたが、喜んでいた。

 ★夜中★ 過食は日中のほとんどの時間していたが、それだけでは足らず夜中にまで及んだ。料理好きな私は夜中にこっそり料理した。例えば、ドーナッツ、耳パンでフレンチトースト、ホットケーキ。高くつくのが嫌いな私は“耳パン”が大好きだった。耳パンなら沢山食べても家計に負担にならないし、どれだけでも食べられた。夜中の食事が日課となった。

 ★我慢できない!★ これだけ食べれば当然太る。私は沢山食べては、食べたことを後悔し明日からはダイエットするぞ!と決心した。しかしそんな決心は意味がなかった。食べたいという欲求には打ち勝てず、朝食は普通の食事ができて喜んでも、昼食と夕食は朝食の我慢のリバウンドで、お腹が苦しく喉まで食べたものが詰まるぐらい食い漁った。

 ★過食症の辛さ★ 過食になって普通の人よりも多く食べるようになっても、心の中は拒食症の時と同じだったから辛かった。痩せていることが私の中で一番重要なことなのに、過食症になってから食べ方を今までのように自分の思い通りにコントロールできないことがとても辛く悲しかったのだ。
 だから、食べた後は死ぬほど後悔して、明日は絶食してやる。と誓うのだが、次の日になると、また前の日の繰り返しで過食してしまうことが何度も続いた。
そして、“何日か過食が続き、その後、数日極端な食事制限をする・・・”という繰り返しだった。

しかし、太ってゆくといっても標準体重に近づいていっているだけで、はた目からは全然過食症には見えず、皆から「健康そうになったねぇ。」と言われた。私はそれが嫌だった。健康になった=太った=デブ と言われているのと同じだったから。
 一番体型で困ったのは、他の部分と比べて下腹が異様に出ているところだった。学校のスカートはファースナーが壊れて閉まらずピンで固定していた。それに好きな洋服もお腹が目立つようなぴったりとしたものは着られなくなり、かなりのショックを受けた。

 ★過食症になって良いことと悪いこと★ 過食症になってからは、人とまぁまぁ楽しく会話することができるようになった。「今日は家に帰ったら何食べよう?」と考えることも多かったが、人とのコミュニケーションを邪魔するほどではなかった。拒食症の時と違って、心にゆとりができたことは嬉しかった。反面、自分に厳しい食生活ができた拒食症の頃に戻りたいという気持ちは大きかった。

 朝食から過食をしたため、どんなに朝早くから食事しても食べ過ぎて気持ち悪くなったりして、学校に遅刻してしまうことが多くなった。でも、担任の先生が、2年の時の担任から事情を聞いているらしく、私に深く追求したりはしなかった。なぜか優しく見守ってくれた。

 ★文化祭欠席★ 高校3年生で一番のイベントは9月にある県内一の学園祭だった。1,2年のときは3年に屋台を譲るので教室などで催し物をしていたが、今年は3年なので、待ちに待った屋台が出来るのだ。屋台を出す3年はクラスごとにおそろいの好きな衣装を着られる。それに皆で屋台に出すものを考えるのは楽しいことだった。私も最初屋台の料理担当になって、計画を立てる中心となっていた。

 夏休みに入り、学校の補習と文化祭の準備を半日ずつ行うことになった。半日、過食を我慢するので精一杯だった私は、丸1日も過食を抑えることなんて考えられなかった。それに、勉強に全く付いていけず、補習に出る意味がないと思い、補習にも文化祭準備にも加わらないことにした。もちろん、文化祭にも出ないことになった。しかし文化祭に出ない訳はもう1つあり、皆が決めた女子の衣装がパレオだったからだ。露出度満点のパレオの隙間から、昔より太った自分の体を露出するなんて考えただけで寒気が走った。

文化祭の屋台では胡麻団子を出すことに決まっていたため、その試作を料理好きな私がクラスメイトと自宅で行った。それが唯一の文化祭への貢献だった。

 ★気になる★ 拒食症の時ほどではないが、やはり妹の食事量・食べ方が気になった。妹も元々痩せている方だが女の子だし私の影響もあってダイエットをしていた。しかし、そんな妹の食事量を見て私はイライラした。過食する私の前で減食されるのは辛かった。

 ◆初めての嘔吐(1)◆ 今まで吸収阻害薬を飲んできたが、かなりの過食量だったので効果はなく、痩せたい私は初めて嘔吐をした。7月24日のことだった。食べてしまったことの後悔と、お腹の膨れ具合が気持ち悪くて、左手を喉まで突っ込んで吐いてみた。
 吐くのは怖かった。小さい頃体が弱く、よく自家中毒になって吐き、吐物が鼻に入って気持ち悪かったことを憶えていたからだ。それに吐くのは病気のときだけだと思っていたから。
 でも、大量に食べて太らないようにするには、体から無理にでも出す=嘔吐しかなかった。最初は嘔吐に勇気が必要だったが、次第に慣れた。
 また、夏休み中、中学の時の親友と早朝ウォーキングを始めた。ひきこもりがちだった私に声を掛けてくれたのは嬉しかった。

 ◆嘔吐終了◆ 嘔吐するようになって、20日ほど経った日、母と外食をした。その時、色々な所をハシゴして沢山食べたが、家ではなかったため食後嘔吐できなかった。(外で嘔吐するのは非常識だと思ったため)私は完全主義者なので、一度でも自分の計画が狂うと建て直しがきかない。それで、1日でも完璧に嘔吐できない日があれば、次の日から嘔吐しても意味がないと思って、もう嘔吐するのをやめてしまおうと思った。
それに正直、嘔吐した後しんどいため、大量に食べる回数に合わせて疲れる嘔吐を一日に何度もするのは大変だった。
そして、トイレで吐いていることを家族に知られないようにするにはもうそろそろ止めなければいけなかった。
 その代わり、吸収阻害薬や下剤を大量に飲んだ。しかし効果はなく、ただ食べ過ぎたという後悔の気持ちを幾らか静め安定させるものにしかならなかった。
痩せたいという強い思いもむなしく、食べる量は変わらずどんどん太っていった。

 ★休学★ 夏休みが終わり9月の登校日になったが私は学校へは行けなかった。夏休み前よりもさらに太った姿を人にさらしたくなかったし、家でずっと食べていたくて学校へ行くのが面倒になったのだ。そのため、9月中はずっと学校を休んだ。理解ある担任の先生は、私をとがめなかった。

 ◆嘔吐開始(2)◆ 9月10日から嘔吐が始まった。その前に2週間程、無理な食事制限をしていた。なぜなら、10月から学校へ行くには痩せなければいけないから。でも、食べたい気持ちは抑えきれず、9月10日の夜に4点分のアイスを食べてしまった。私の中でアイスは“過食の時の食べ物”のため、ダイエット中にその禁じられた食べ物(=アイス)を食べてしまったことが許せず、嘔吐したのだ。

 最初の過食嘔吐は、少し食べ過ぎたぐらいの量で、摂取カロリーと嘔吐カロリーを会わせても適正カロリー内だった。しかし、徐々に過食の量が増えていった。どうせ、吐くならいっぱい食べようと思ったから。それに嘔吐すると食欲がまた湧いてきて、食べずにはいられなかった。ほとんど毎日、多い時は1日3回以上過食嘔吐した。

 過食する物は経費節減のため、自分で作った。揚げ物やバターをたっぷり使ったお菓子、耳パンを工夫して調理した物などが多かった。
 今回の嘔吐は父と母も知っていた。こっそりやるのは無理だったので、あえて堂々とトイレに長時間こもった。でも、妹に知られたのは少し恥ずかしいような変な気がした。
 過食しつつ痩せる唯一の方法である過食嘔吐は、まさに悪循環だった。しかも嘔吐に慣れ、腹筋に力を入れるだけで簡単に吐けるようになったため、なかなか抜け出せなかった。そして約2ヶ月間続いた。

 その頃、とうとう担任から親に電話があり「出席日数があと少しで足りなくなって卒業できなくなる。」と言われたので、10月から嫌々保健室登校するようになった。でも保健の先生が優しくて良かった。

 ★父の言葉で・・・★ 11月2日。私は夕食後父に、「吐いてでも痩せて学校へ行くのか、吐かずに太って学校へ行かないのか、どっちがいい?」と聞いた。父は「体が大事だから吐かなくていいんだよ。」と言った。私はその日から安心して過食した。薬さえもあまりのまなくなった。

 過食してどんどんブクブクに太ったが、学校の授業に出るようになったし、母と楽しく買い物をして美味しいものを食べに行ったりもした。学校へはたまに歩いて行った。

 ★見えない将来★ 私にはずっと「○○になりたい」という将来の目標がなかった。進学校なので周りの人達が、あせくせと高レベルの大学を目指して勉強する中、私も少しあせりはじめた。
 高校生になってから、ろくに勉強をしていないため学校選択範囲が狭かった。しかも昔からそうだったが、自分がどんなことを学びたいかも分からなかった。というより、もう学ぶ気力がなかった。
 でも、幼い頃から人体・医療のテレビを見たり、保健室の先生と何度も接したりして医療方面に興味が少しあったのと、保健の先生にお世話になったこともあり、単純に看護学校を志望した。

 ◆嘔吐が始まった原因は・・・(3)◆ 12月になり看護学校受験の手続きをしなければいけなくなった。その手続きの中には病院での健康診断も含まれており、体重測定などの項目があった。12月26日に病院へ行き、看護師に体重などを量られた。自分の体重が人によって明らかになると、なぜか侮辱された気分になり、痩せなければいけないという強迫観念が強まって健康診断をしたその日から過食嘔吐が始まった。しかし嘔吐は1週間ほどで終わった。

★赤ちゃんがえり★ 過食症になってから赤ちゃんがえりしてしまった。以前は母親に抱かれるとウザかったが、逆に心地よくなった。言葉遣いも赤ちゃん言葉を時々使い、童謡をひとりで頻繁に歌っていた。


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