活字と植物メンテ、クラシックの日々

活字と植物メンテ、クラシックの日々

北方四島訪問最終日(9月24日(月))




私はまた、早起きしてしまいました。。。
5時過ぎですが、日本時間では、3時過ぎ…。
とほほ。
外にはもちろん、出られません。
部屋の電気はつけられないので、
電気がついているシャワー室に行ったりしておりました・・・。

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そして、朝。

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A・Bのグループ別にカフェで朝食後!

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いよいよ出発します。
この数日間、あっというまでしたね。

        8:50 古釜布港へ移動

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友好の家でお仕事なさっていらっしゃる皆様などが、見送りに来てくださいました。

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  9:20~10:00 はしけ乗船、出域手続、事務打合せ(船内)

       10:05 根室港へ向け出航

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ダスヴィダニャ~!
なんだかわかりませんが…
国境警備隊の皆さんとの別れも、とても寂しいものでした。  

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古釜布の街が、まだ遠くに見えます。
ケータイにはこういう写真がありましたが、
私はこの時、瀬石方面を、使い捨てカメラでたくさん撮影しておりました。

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それにしても…いやぁまあ、ほんま、良い天気だったわ。

そういえば、これ、わかりますか?
白っぽい点になっているものですが。

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これはなんと、私が関西の住まいの近所の
自然博物館で見た、
echizenkurage

エチゼンクラゲなんです!
なななななんと、北の海にも、エチゼンクラゲ!
やっぱり、地球環境がおかしくなってますよ…(泣)。

 [以後、日本時間(時差:現地時間-2時間)]
       11:05 中間点(N43°28´ / E145°46´ )

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なぜか日本の国旗をつけた(!)船は、根室へ急ぐよ~!

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カモメさんが追っかけてきました。
また来るからよ~。

そんなこんなしているうちに、ケータイの電波が復活!
根室が見えてきましたね。

2007-09-24 12:15:01

       12:10 根室港(琴平町岸壁)入港、事務手続、下船
       12:30 解散(千島会館)
 13:00~13:30 代表者記者会見(千島会館)

2007-09-24 20:26:11

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数日の間に、けっこう冷え込んだ日があり…
ナナカマドに鮮やかな赤い実を発見。
こちらの夏も、とうとう終わりのようですね。

2007-09-29 19:27:19

この日は昨年と同様、再び根室に宿泊しました。
その夜、ホテルの部屋で、
ちょうどポスフール(スーパー)の書店で見つけた
『北方領土問題』という書籍を読んでいました…。
「これはちょっと、違うべやぁ」
と思いながら。


さてさて、翌日、9月25日(火)ですが・・・

朝食会場となったフロアからの
根室市のながめです!

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根室の街も、もっと歩きたかったなぁ。


2007-09-25 15:00:38


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<おわりに>

ここで・・・

私が北対協に提出したレポートを掲載いたします(一部加筆修正)。

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後継者の船(国後島)に参加して


9月21~24日の後継者の船(国後島)では、皆様に大変お世話になりました。ほんとうにどうもありがとうございました。

昨年、初めて北方四島の色丹島に行くことができ、訪問団の中の多くの学生さんたちや、各地の県民会議の方々などに接し、領土問題についてみんな真剣に考えているということがわかりましたが、今年参加した訪問団も同様で、多くの方々からたくさんの刺激を受けることができました。

昨年は初めての北方四島訪問でした。ところが、親の故郷の国後島ではなく、色丹島に行くことになってしまい、ちょうどその時に同船した“国後組”の方々をとてもうらやましく思いました。今年こそ国後島を訪問したい、と思いましたが、2年連続で推薦されることはないだろう…とあきらめていたのです。ですから、今年もビザなし訪問、しかも国後島に行けるということで、本当にビックリし、とてもうれしかったです。

昨年の記憶がまだあるうちに、今年も訪問できる。それは、自分なりにいろいろと比較する事が可能で、とても有意義でした。昨年はビザなし訪問自体が全く初めてだったので、かなり戸惑うことが多かったのですが、今年はその分、落ち着いて、ロシア国籍の方々と接するのも過剰に緊張せず、自分なりに心の交流ができたと思います。ロシア語の語彙も多少増え、昨年よりもコミュニケーションがうまくなったような気がしました。

昨年の訪問終了後、自分なりに領土問題を学び続け、インターネット上で発信したり、ブログで自分の考えを綴り、それに対してどなたかから意見をもらう、ということを繰り返す1年を送りました。それでも、仕事を持ちながらそういうことをするのは時間が足りないと感じることが多く、もっともっと学んでから出かけたかった、と痛感しておりました。

そんな私が非常に驚いたのは…今回の船には、学識経験者の方々が多数参加されていたことです。外務省OBの大学教授さん、衆議院議員の方、そして…私が先日、ネット上に掲載されていたご意見を読ませていただき、背筋がしゃんとする思いをした、有名なノンフィクション作家さん! この方々に、母の国後島での戦後の体験について、断片的ですがいろいろ話すことができ、それだけでもほっとしました。

帰りの船では、なんと、大学教授さん、議員さん、そして作家さんが3人で議論しているところに、ふと、「島はどうにかならないでしょうか?」なんて割り込んでいってしまい、大御所の方々の貴重な意見を聞くことができました。島が今後どうなってほしいか?ということに関しても、率直に私の思いを伝えることができました。この方々はきっと、広く世間に、私たちの思いを伝えてくださる! 当人にとっては重荷になってしまうでしょうが…今回の国後島での訪問で、母に代わって大役を果たす事ができたと自己満足している次第です。

皆様から学ばせていただくうちに、私の歴史認識の間違いを正す事ができたり、こういう議論や交渉をしてはどうか、というようなヒントをいただいたり、参考になることがいろいろとありました。今後も領土問題について果敢に学び続け、返還運動に役立ててゆきたいと思います。

今年参加されていた学生の方々も、頑張っていたと思います。対話集会で「クリルはロシアのもの」と述べるロシア国籍の方がいて、それに対して学生が歴史的観点から反論できなかった、という残念な話が、あとで新聞に書かれてしまいました。それでも、学生たちはまだ、領土問題について学び始めたばかりではないでしょうか。これをきっかけに、領土問題の知識を深めてくれたらそれで良いのではないか、と思っております。

ロシア国籍の方から、興味深い話を聞くこともできました。私がホームビジットをした家庭の旦那さんは、「北海道にスキーに行きたくて、観光ビザを取ろうとするが、北方四島の住民の場合はビザが下りない。どうしても観光をしたい場合は、サハリンに住民票を移さなければならない」とおっしゃっていました。意外でしたが、ロシア国籍の方々にとっても、領土問題が障害になることがあったのです。

日本政府も、もっともっと強引に交渉を進めてほしいと前々から願っておりますが・・・やはり、私たち一般人がなにかしらアイディアを出してゆくことも、何かを大きく変えるきっかけになってゆくのではないでしょうか。

日本国内の多くの人たちが訪問する機会を持ち、実際にロシア国籍の方々と交流しながら、領土問題解決の糸口を探し出せたら良いと思います。

また、訪問する機会がございましたら、どうぞよろしくお願いいたします。

2007-10-07 13:03:08

2007-09-30 16:41:39


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