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今日は夏越しの祓いの日。朝から近くの神社で花火があがっていたけど、だれも行くと言わないのでパス。「水無月の夏越しの祓いをする人はちとせの命のぶというなり」と唱え半年間の罪、汚れはこれでチャラという全く都合のいい日本人らしい行事。昔は子ども達を連れていってたけど、最近いってねいね。罪や汚れがどんどんたまっていく。禊と言ってはなんだけど、その神社の近くにあるプールで今日も500m程泳いで来た。メッチャ気持ちいいワ。ビール飲んで寝よ。
June 30, 2004
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大学の教授が退官の時に自分が詠んだ句を色紙に書いて下さった、スペインにいった時の一句。(彼は国文学、栄花物語が専門)巡礼道とはサンティアゴ・コンポステーラへの道のこと。サンティアゴ・コンポステーラについて知りたい方はぜひ志摩スペイン村にいって下さい。(つぶれる前に是非!)大スクリーンの映像で詳しく解ります。今週、図書館で「巡礼の道絵巻 ロマネスク彫刻紀行」という本を借りてきた。日本人が、絵と文で詳しくサンティアゴまでの様子を書いている。これを読んでいて、巡礼、ああ日本でもあるじゃん、同じだわって思った。昨年、友人のご両親が、四国の巡礼に出掛けた記念にと、小冊子を作った。作成(編集)しながら、自分もいつか、人生の総決算として、こんなことしてみたいな…なんて思った。だれでも巡礼願望ってあるんだな。お伊勢まいり然り。巡礼っていうか放浪願望かな?それとも旅をすることには、遠い昔、アフリカからユーラシア、アメリカへと生きる場所を広げていった、人間として遺伝子に組み込まれた、潜在的な欲求があるのかも。
June 29, 2004
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今日は朝から少し曇り気味だったけど、やはりどこかに行かずにはおれない。いつものさくらちゃんに電話すると二つ返事。そうだもう一人と思い、電話すると彼女もОKで、夫と4人で、出掛ける。本当は長谷寺にも行くつもりが、途中道を間違えたので、今回はここのみ。室生寺の近くにあり、以前桜の季節に来たことがあるので、今度は花ショウブと思ったけど、花菖蒲はちょっと遅かった。しかしアジサイは見頃を迎えていた、結構良かった。 睡蓮の花も咲いていた。お昼からは天気も回復しちょうどいいドライブ日よりだった。夫へ、あんた一人で3人もの美人を従えて、幸せもんだね~さくらちゃん、朝から旦那と顔を合わせた上にしゃべってしまったってプンプンだったね。もっと旦那さん労ってあげて。
June 27, 2004
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今日、はっと思いだしたのだけど、昭和30年代に生まれた方なら知っている人いるよね。今どうなっているのかな。学校にテープがあって、自由に借りれたので、ラジオで聞くより、テープで聞いたかな。それの今で言う夏季講習が東京のオリンピック記念青少年会館(?)であって、高校3年の時、友達と参加した。オリンピックの選手村の後の研修施設の大部屋で、6人一室。ラジオ講座の名物講師の授業を受ける。ビートルズのヘイ・ジーュドを覚えたのもここでだった。授業が終わると、明治神宮や原宿にみんなで出掛けて、結構楽しのだが。私の友人は途中で突然おばさんを殺して(?)帰ってしまった。ねじり鉢巻きで勉強という感じじゃなく、ラジオ講座ファンの集い的な講習だった。そう思ってみると高校の時も楽しかったな。オリンピックの年は高校の同窓会の年だ。楽しみ、楽しみ。
June 25, 2004
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西洋では産業革命期後、日本では、サラリーマン武士が登場した江戸期からではないかと思っています。もともと古事記がしめすように、女の神さんがトップにいるくらいなので、女性が男性より劣るもにだという考え方は無かったのでは。飛鳥、奈良期には女性が天皇になり、実際に統治している。歴史上男性とされている方も調べれば女性かも。また平安期においても妻訪い婚であったことでもわかるように、女性が財産を持っていて、自分の子を養っている。有名な道長だって、姉さんには全く頭が上がらなかった。北条政子、でも日野富子だって、今風にいえば源政子、で足利富子のはずだが、夫婦別姓で生涯自分の財産を持っている。大阪夏の陣の前でも、女性が交渉役をしている。確かに彼女達は身分が高かったもしれないが、特別な事とは思えない。少なくとも女性に使われるのを潔しとしない男性や、自分が女性より優れていると考える男性が今よりず~と少なかった事は確かだと思う。育児は仕方ないとしても、家事を女性がすると決めつけているのは、給料をもらって働くという仕組みのなかに男性がたまたま組み込まれ女性がその中に組み込まれていなかった頃の意識の名残では。 また夫の帰りを待つ妻がいる幸せな家庭というのは、ハリウッド映画の、女性が働かなくても充分に生活出来ていけるアメリカンドリーム映画の影響で、そんなこと関係ない田舎の百姓の家は朝から晩まで二人して働き、子どもは田んぼまで連れてって、二人で育てる。だいたい掃除もしなくて良いような家に住んでいて、着るものもろくになかったのだから、家事自体、炊事以外ほとんど無かったのよね昔は。
June 24, 2004
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市長とのことについて書いたので今度はY市の英雄?の民主党の党首について語ろう。ふたつ返事のさくらちゃんのご主人が幼稚園のときに同級生だったことがあって、一番最初の選挙の時は、なのはな会とか言うのを作って、お食事をしたことがある。とにかくまだ全然慣れていなくて、とにかく「皆様の温かいご声援」「皆様の温かいご声援」しか言わない。政治家の娘さんだった妻(たしかお医者さんだったような?)には政治家にはならないでといわれたのだけど出ることにしたとか、まだ政策どころではなく、ひたすらお願いを連発していた。その選挙はまるでジャスコの総力戦みたいで、選挙の日によろしくお願いしますとジャスコの店長が勢ぞろいしたちらしをまいた事は国会でも取り上げられたので覚えている方もいるだろう。投票率を上げるのには一役買ったかもしれない。最期の日の演説は、涙声で「皆様の温かいご声援」を連発していた。その後四日市の真ん中を流れる川で選挙区が別れたので(本当にありえないような状態)直接選挙は関わりがなくなった。あれから10年余、度々演説を耳にするが、本当にうまくなった、でもカリスマ性はというとちょっと足らないかな、お父さんの方がそりゃすごい。また羽田さんとかの演説と比べると見劣りがする。これからに期待したい。しかしジャスコの岡田会長はできのいい息子が2人もいて幸せものだ、D社とはえらい違い。
June 23, 2004
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今日はちょっと忙しかったのだけど、夕刻市長の後援会(講演会?)へ、三期目出馬を決めたので、応援団体を後援会に格上げするという旨の話しだったのだが、この市長さんの話しは本当に解りやすい。噛んで砕いて話すといった風で、張ったりとか、威圧的な演説とかしないので政治家向きでは無いと思う。(参議院は2期目で落選している)。物事を落ち着いて、じっくり考え、着実に実現していくタイプ。今日は特区についてと、自治会青色回転灯について、いつものように、誰にでも解るように説明していた。誰にでも解るということは、うそ、誤魔化しがないということだ。もっと国政の方に携っている人たちも、奇弁を弄さないで声を荒げずに、きちんと話しをしてもらいたいものだ。この市長、最初から応援しているのだけど、初めて家に見えたときに、私がちょっと忙しくてお相手できなくて、夫一人に、長いこと、自分の政治への思いを語っていた、普通なら、秘書と来て玄関で名刺を渡して、「お願いします、はいさようなら」なのに上がり込んで30分くらい話していった。すごく真面目な方である、一件の家でこんなに長い間いたら、沢山回れないじゃないですか、っていったら。それでもいいんです。って言ったので、こんな事で当選するのかな、と思ったら、現職の助役を破って見事当選した。その頃はあんまり良さがわからなかったので、「奥様が出馬された方が、ハキハキしてていい」なんて、面と向かって言った気がするけど、もし覚えていたらごめんなさい。今回も一生懸命応援するね。
June 22, 2004
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これまで、行ったところで一番よかったとこは?と訪ねられたとき、ためらいなくアルハンブラと答える。中学校の音楽の教科書に、アルハンブラのヘネラリーフェの写真が載っていて、タレルガのあのギターの曲を聞いて以来恋い焦がれいた場所。タルゴというスペインの列車に乗って、乾いたスペインの大地を行く。時折地平線まで続くヒマワリ畑。そんなアンダルシアにあって、アルハンブラのある丘だけが、緑に溢れている。小鳥の声、遠くに見えるシエラネバダ山脈。アルハンブラ宮殿内に流れる水は遠くシエラネバダ山脈から、水路を作って運んで来たものだ。宮殿といっても、ベルサイユなんかと比べたら、本当にちゃちいものだし、広さだって、日本の桂離宮と変わらないくらいだろう。豪華な装飾もない、あるのは水の音。そしてソル・イ・ソンブラ光と影。きっと谷崎潤一郎が書いた陰影礼賛の世界よりももっとコントラストの強い、光と、影。アラブの栄光と悲劇が凝縮されているので、これほど魅力的なんだろう。特に私はへネラリーフェからみる、景色が一番印象に残っている。緑溢れるパラダイスのような庭園、そしてテラスから見えるのは荒涼とした、茶色い世界。アルハンブラの次に行った、セビリア郊外のカルモナというところ、そこも荒涼とした大地の中の小高い丘を取り囲む城壁の町、丘の上の宮殿がパラドールといわれる、ホテルになっていて、そこのテラスからは地平線まで、茶色の大地が続く。アルハンブラにあって、カルモナにないもの、それはテラスの緑、やはり西欧人の築いたものと、アラブ人の築いたものはちがう。アラブ人はオアシスを求める民族なのだろう。
June 21, 2004
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台風の影響でパットしない天気、でも日曜日に一日中家にいるなんて出来ない。二つ返事のさくらちゃんを誘ってあじさいまつりをやっている、北勢町の公園に。さくらちゃんとこは先の日記にも書いたように、息子さんが先週が大変なことになったのだが、もう退院してきて、ア~~よかった。この公園は昨年も行ったのだが、今年は花の付きがいい。アナベルの苗を今年は半額にしてもらってご機嫌。 その後ちょっと足を延し藤原町にある、注文してからパンを釜で焼いてくれるお店に。こんなところに何故って思うほどすごく不便なところにあるにもかかわらずいつもお客さんでいっぱいで、パンがすぐに無くなってしまうのだが、今日は食べれた。表面は焼き立てでカリッ、中はもっちりとして、小麦の香りがする。そこにこだわりのはちみつとバターを塗った味は、格別。パンねえ、プラティーロいつだったか、モゲールの魂はぶどう酒だ、といったことがあるね。でも、それはちがう。モゲールの魂はパンなのだよ。モゲールは、ひとかたまりの小麦のパンと同じだ。内側はパンの中身のように真っ白で、外側はふっくらしたパンの皮のように、金色に輝いているああ、こんがりしたその色よ。-ヒメネス「プラテーロとわたし」より-パンを食べていたら、アンダルシアの風を思い出した。
June 20, 2004
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今日は大学の同窓会の定時総会。私は始めての参加。名誉職みたいなので、シャンシャン総会かと思っていたらとんでもない、総会の時間が4時間も取ってあったので、講演会でもあるのかと思っていたら、異議有りの連続。社会の縮図の様な総会だった。昭和10年代生まれに、昭和20年代後半の団塊の世代が食付く。訳の解らん「慣例により」という理論で場を納めようとする幹部陣。「議長一任というが、年に一度の討論の場に意見を聞こうともしないとはなに事だ」「昨年の質疑に対しても返答がない、この場で質疑に関する回答の期限をはっきり宣言せよ」「提出した問い合わせ事項を幹事会全員に公開せよ」と畳みかける、団塊世代。こんなふうにして、今日本中で世代交替がおこなわれているのでは?討論を耳にしてなんか楽しくなってきた。会員でない在校生から集めたお金、6000万が会費収入の80%を占める。それを奨学金等で在校生にもっと還元すべきという、しごくまっとうな意見も、検討しておくという回答が何年も続いているようでは、紛糾するのも無理ないかな。本日でた意見を諮問する特別委員会を設置するということで納まった総会、来年の総会がすごく楽しみな総会でした。続いて行われた懇親会は、和気靄々の内におこなわれましたが、会場には、総会に来なかった若い世代の顔がチラホラ、懇親会ダケ組、昭和40年代はこれが多いみたい。ちょっと心配。みなさん、無駄に同窓会費払ってませんか。その後友人と場所を移し、豊田本社ビル建設地を臨みながら、話しを弾ませ、ご機嫌さんで帰宅いたしました。
June 19, 2004
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朝から学校新聞一つ作ったぞ~~。さて休憩。フィレンツェからベネッチアに行く列車の中、上品な老夫人と同席した。日本人とみると英語で話しかけてた。「息子が筑波大学に留学しているのよ、だから私は日本大好き、一度いってみたいワ」と息子さんの写真を見せてくれる、そこからの話しがスゴイ。「私は、ベネッチアの昔ビバルディが住んでいた家に住んでるのよ、エリザベス女王がベネッチアに見えたとき、私がご案内したわ」っとこれまた、女王とゴンドラかなんかに乗っている写真をみせてくれた。きっと名のある貴族のご夫人だと思う。そうして、車窓の景色を楽しむ間もなく、お話に夢中になり列車はあのキャサリンペップバーンの旅情で有名な、ラグーナの中を通って、駅についた、列車が駅につく前に、これで、ボートに乗りなさいって、チケットを戴いた。お宅を拝見させて下さいとどうして言わなかったのか何年経っても後悔される。なんか用事をしてから帰るから、よかったら来てねて言ってたような気がするが…。家はサンマルコ寺院の近くって言ってた。そんなことがあったのでベネッチアを思うときいつも彼女が浮かんで来る。ルキノ・ビスコンテの「ベニスに死す」の中のように、貴族的なデカダンスの漂う町、重い扉を開けて、館の中に入るとタッジオのような美少年が振り返る。…といいな。時間よ止まれ、おまえは何と美しい ...
June 18, 2004
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先週の金曜日、「夫嫌い嫌い症候群」にかかっている私の遊び友達の息子さんが、野球の練習中に、チームメイトとぶつかって、玉を強打した、(アイタタ~~)、腫れあがっているので、緊急に手術が必要といわれそうだ。手術前の説明では「一つでも大丈夫ですから」と言われ、最悪一個摘出するということだったのだが、それを聞いていたご主人が脂汗を流して卒倒しそうになったそうだ。開けてみたら(いや玉を剥いてみたら?)内出血だけで取らずにすんだと言うことで本当によかったよかった。いやもうこの話し聞いているだけで、いたそう~~。痛いで思い出したけど、アメリカでテロのあった日、テレビを見ていて、えらいこっちゃ、夫に知らせなくてはと階段を駆け降りた瞬間足が滑りおしりを強打してしまった、目から火花が散り、声も出ないくらい。ようやく起き上がったが、かなり重症、それからしばらく寝込みました。お尻は内出血で猿のようになり、私にとって、9.11は忘れられない日になった。
June 17, 2004
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ラベンダーの花が色付いてきたので、今日は初収穫。土と合うせいか毎年結構花がつくし株も大きい。本日朝、納品したお客様に、ラベンダーの花束をプレゼント。花をギュッと手で握る、すごくいい香り。夜、ひと泳ぎしてきました。暑かったからア~~きもちイイ。ラベンダーはレースラベンダー(一年中咲いている)のが2株、普通のが2株あるのですが。買ってきたときは20センチで300円くらいの普通の苗だったのが、すごく大きくなり、もう4年くらい植えっぱなしにしているので木にようになっている。北海道のに負けないゾ。今日刈り取っても、またすぐ伸びてくる。タイムは4種類くらいあって、花がピンクのやら白いのやらあり伊吹麝香草の本場伊吹山で採ってきた(ナイショ)のもある。みんなそれぞれ微妙に香りが違う。アジサイはがくあじさいが2株に普通のが2株、アナベルは昨年家庭画報にアナベルの素敵なお家が載っていたので、欲しくて1株植えたら、今年見事にはなが咲いて、とてもうれしい。これは絶対に増やさなくっちゃ。ゼラニウムと風露は同じ種類のものだが、見た目も大きさも全く違う風露も何種類かある。写真のゼラニウムは挿し木をするとすぐに根がでるので、通り掛かりの人にもあげているが、なかなか花が咲かないっていっていた。私は毎日なでなでするので、すぐに咲くよ。風蘭は今年絶好調、ご興味のあるかたがいらっしゃいましたら、別の写真もアップしますよ。
June 16, 2004
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何回目かのイギリス旅行で、ケンブリッジ大学で日本文化について教鞭をとり「あずさ弓」という本を岩波から上梓されているカルメン・ブラッカーさんをお訪ねしたことがあります。ケンブリッジ郊外の素敵なお家で、お庭でお茶を戴きながら、お話をしました。女史は日本の古代のシャーマニズムとか修験道について研究していらっしゃたので、密教で焚く護摩の話しなんかをしました。その話しを持って行ったテープレコーダで録音しました。ところが、あとでそれを再生すると、小鳥の声はきちんと入っているし前後もなんともないのに、話しの部分だけ、早くなったり、遅くなったりおかしのです。きっと、妖精かなんかに邪魔されたみたいな感じでした。そういうのが解る人に聞いていたら、そうだって言ってましたから。フェアリーが居そうな森に囲まれた素敵なお家でしたから。探せばそのテープありますよ、どなたか聞いてみる?
June 15, 2004
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アネマジロさんからセレブなんていわれたので、ある思い出が…、あるおばさまの会合で、「オリーブさんとこのお庭、結構な石が置いてございますわね」ただの小さな踏み石、そこへ別のおばさんが、「松も立派なのがあって、きちんとお手入れされて」一本あるだけ。こんにゃろー部分だけ褒めるなよ~~と思っていたら、目をキラッと光らせた本当に豪邸住まいのおばさまから、「ぜひ一度拝見させていただきたいワ、立派な松に、石があるお庭を!」来てもらってもお通しする部屋がないのよ、どおしてくれるの!「実情を冷や汗をかきながら思い留まっていただきました。」まあちょっとさばけた人なら上手いこというんでしょうが、嘘がつけない性なんです。社交的でないのか。ときどき本当に褒めるのが上手すぎる方がみえるので、困ってしまう。写真をとれば、プロにようだよか、字をかけば、書道の先生みたいとか、ようま~こんなこと上手にいうわ、私は褒め下手なので、そういう人がどこまで本心か計り難い。花も猫の額ほどの庭にごちゃごちゃ植えて喜んでいるだけなんですが、元気がなくなった時は、草抜きをして、土や、植物にふれると、ちょっとだけ元気が出てきます。江原啓之さんのスピリチュアルブックに書いてあることは本当ですよ。植物から元気がもらえるんです。花も、毎日触ってこえを掛けると、いい花が咲くみたい。
June 14, 2004
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今日は、先週夫の車にETCを取り付けたのでお試し走行に松阪まで走ってきた。ETCの機械は日産で販売しているもので、いろいろ調べた結果これが一番安いそうだ。本体9500円に取り付け費6500円、セットアップ料3000円で20000円以下で取り付けられる。日産車以外でもОK。(ちなみなわが家はホンダ車、日産車以外につけたのは初めてとディーラの人はいっていたけど)日曜は雨という天気予報だったので、予定していなかったのだが、伊勢自動車道を走ると、向こう岸の伊良湖や、神島までくっきり見える。青山高原の風力発電機もよく見える。絶好のドライブ日より。もっと遠出を計画すれば良かった。松阪では本居宣長の鈴屋と御城番屋敷を見てきたが、この御城番屋敷、今も実際に人が住んでいて其のうちの一件を市が借り上げて公開している。本当にびっくりした。写真の槙の木の生け垣の向こうは普通の民家でこの道も一般道路。江戸時代の家がそのまま、残っている。 松阪城の二の丸跡からみた御城番屋敷 松阪城は蒲生氏郷築城とあって、なかなか立派な石垣が残っている。さすが三井家発祥の地。今日はちょっとお疲れ。トップページにわが家の花の写真をアップしました。
June 13, 2004
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今日は、恒例年に一度の大学の支部同窓会、出身の方なら年齢を問わずだれでもいらっしゃいという同窓会。で、幹事をしている関係から、来賓への土産、記念品、出席者名簿の印刷で今日は大忙し。出席者は、毎年60名程度、データでは5000人いるので、寂しい数字だ、一応全員に案内を出しているので、もうちょっと来てもよさそうなものだが、難しい。3ヶ月に一度、会議(?)をして、秘策をねっているのだが。大体出席者の半分が銀行、市役所で動員をかけられて上司の命令で……って感じなので、お寒いばかり。それならやらなくていいと思われるかもしれないが、大学本部から、支部に卒業生の数に会わせて予算が着くのだ。使わないわけにはいかないので、鶏が先か卵が先かどっちかわからないが、何か企画をしなくてはならない。、経済学部教授の全く大学の授業のような講演の後、懇親会。毎年すこしずつ顔ぶれが替わっていく。(ほとんど同じだけど)来週は大学の同窓会総会。その次は今日の反省会。子どもうち一人でもわが母校にいってくれる子が出るとうれしいんだけどな。娘は入学金だけはらって行かなかったし。真ん中の長男は行けそうにないし。次男に期待しよ。
June 12, 2004
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大学時代の海外旅行より、思い出深いのは、なんといっても1970年のコンニチワ日本万国博覧会。私は9回いった。父の勤務していた会社が千里ニュータウン内に一件社員の宿泊用に借りていたので、そこに2回程泊まって、コンパニオンのお姉さん方と一緒に会場にいったこともある。印象に残っているのが三菱未来館。動く歩道にのり、館内を移動する、途中に飛び出てくるさめ。太陽の塔のなかの生命の樹、住友童話館、松下館、ビルマ館、ソ連館。お祭り広場で繰り広げられるアトラクション。なんかやたらといろんな人にサインをもらった気がする、みんなサイン帳をもって、外国人のコンパニオンに書いてもらっていた。四日市にはオーストラリア館がいまだに残っている。北斎の浮世絵をイメージした建物だ。 もう一度おんなじのして欲しいな。しかしながら、100年以上も前のパリ万博記念のエッフェル塔が今も現役で活躍しているのと比べると、日本の万博は、一番規模の大きかった大阪万博でさえもう記憶の彼方、筑波や沖縄でやったのなんか、覚えている人すらすくないのでは。日本人って熱し易く冷めやすいのかな、愛知万博はどうなるかな?
June 11, 2004
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学生時代2回目のヨーロッパ旅行、一緒に行ったのはNHK歌壇に出演中の松平盟子さん今や与謝野晶子研究で名高い。大学が同じで当時はもう卒業されていたのだけど、ゼミには来ていたので、親しくなり、ご一緒することに。20日間ほどの旅行。ダイアナ妃の結婚直後だったのでロンドンのハイドパークはまだ紙吹雪が残っていた。あっちこっち行ったんだけど、今回はその中で氷河特急に乗った話。ザルツブルグで松平さんと別れ、クールまで、Winner Walzer号という特急に乗り(当時ユーレイルパスを使いいろんな国際特急に乗るのを楽しみにしていた)そこから、ツェルマットまでグラッシャー エキスプレスに乗る。どうして書いたかというと、昨日の日記の書き込みから、すご~~く親切な人に会うのに恵まれている事を思い出したからです。この日記を書くのにアルバムを引っ張り出して来たら、ワッ、ご夫婦で笑っている写真が。列車に乗り込むと前にはスイス人夫妻が、いやもう親切で、有名な傾いたグラスで食べるランチを予約してくれて、ご一緒に食べたんですが、食後が勝負ななんですね、何種類ものチーズをこれも食べろ、あれも食べろと、てんこ盛りによそってくれて、きついなんのお酒かわからないのと一緒に食べました。おかげで、車窓の景色はあんまり覚えていません。この列車はユーレールパスでは全区間乗れないので、途中車掌さんがやって来て、その区間の料金を徴収するのですが、英語ができないふりをして、ごまかせっていってくれて、車掌が来たときにご夫妻でワ~ワ~言ってくれて、結局ごまかせたような気がします。最大の見どころは車窓から氷河が見える事なんですが、私が乗った次の夏にはフルカ峠にトンネルができてしまって、見れなくなったそうです。ただ、昨年くらいから、古い線路に別の列車を走らせて、観光用に見れるようになったとらしい。ツェルマットのゴルナグラートではこれまた親切なスイスに長期滞在している日本人の方が、チュコレートを買ってくれたような気がします。わたしもそこでalexさんと同じように石を拾って来ました。ツェルマットからパリに向かったのですが、パリに着くとまたまた親切な日本人の方がいて、昨晩自分の泊まったホテルがすごく良かったから是非そこに泊まれとわざわざ電話で予約してくれたんです。本当かいなと思い言われた住所を訪ねていくと、ノートルダム寺院が窓から目の前に見える。エスメラルダという名のホテルで、本当によかったです。みんな親切でありがとう。本日ここまで。
June 10, 2004
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アネマジロさんが築地のお寿司屋さんのことを書いていたので、昨年いった丸ビル内の銀座のお寿司屋さんのことを思い出した。たまたま一人で出かけたのでカウンターに座ったら、いろいろ話し掛けてくれて、ネタについても詳しく解説してくれた。お米については、産地とこだわりのブレンドを教えてたし、お茶もうちは○○産のをお店独自に焙じていてと説明してくれて「おいしいでしょ」って本当になんの衒いもなくいう。板さんの笑顔がいまでも目に浮かぶ。これがほんとうのお洒落なんだな、てつくづく感じた。自分の店の商品を詳しく解説できるっていうのがいい、よくレストランで、これは日本産かな、フランス産かな、なんて聞くと、アッ聞いてきます…なんて答えられると興ざめしてします。せめて、その日に出すものの、名前、産地、ぐらいは勉強していて欲しい。また、木で鼻をくくったとうな答えも興ざめ。最高のネタを使って仕事をしているんだ、食べさせてやるよっていった店が結構あるんだけど、本当にこの店はよかった、また行きたいけど、何故かしら懐が拒否をする。
June 9, 2004
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昨日娘とアラビア語の話しをして、alexさんにご教示いただいたのだけど、今日仕事で頼まれた、夜の防犯見回りのカードには、韓国語、中国語、英語、ポルトガル語で、で防犯って書くそうだ。ポルトガル語の中学校の卒業証書も作ったことがある。ここらのゴミ捨て場には必ずポルトガル語も書いてある。ブラジルから出稼ぎに来ている方が多いところなので、中学校でもクラスに一人くらいいる。一度中学校のクラスに雑誌のモデルをやっているという金髪のすごく美人の子がいた。ところがクラス名簿をみてみると、えらくしぶい日本名だった。ブラジル人同志はポルトガル語で話すので、子どもたちもちょっと覚えて来たりする。また警察署にはタイ語を話すお巡りさんがいて、あっちこっちでひっぱりだこらしい。「悪さをする国の言葉もっと勉強してくださいよ~~」と悲鳴をあげていた。ペルー語、広東語、バングラデシュ語(?)急募らしい。取り調べの時に必ず通訳をつけないといけないので。高給優遇だそうです。友達のとこの子は、大阪外語でタガログ語をやっている、高校時代に読んだジャーナリストの本を読んで、志望したそうだ、また別の友達の娘さんはアラビア語ではなく、ペルシア語をやっていて、なんでもイギリスに留学していたときのことを、ペルシア語で書いたら、大使館の人の目に止まって昨夏バグダッドに招待してもらったっていっていた。アラビア語とペルシャ語ってどうちがうのかな?そういや私の大学時代にも、国文科であったにもかかわらず、途中でドイツ語をやりだして、卒業のころにはペラペらになって、カールツアイスだったかに就職した子いたな。こんな田舎の地方都市でもこんな話しを聞くぐらいだから、英語一辺倒だった、日本の言語教育事情もそのうちかわるかもしれない。
June 8, 2004
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今日は久しぶりに娘と長電話していた、いや聞いているだけで、元気が出てくる、もうキラキラしているって感じかな。「おかあさん、友達が奨学金もらったで、わたしもがんばるワ」その言葉だけで、エエワ。「すごいに、みんな、英語なんかペラペラで、ほかにフランス語しゃべれたり、ドイツ語しゃべれたりするんやに」みんなってことはないやろ!「アラビア語の授業うけとったら、後ろの子が中国語はしゃべれるようになったで、次はアラビア語やっていっとた。」娘だけやないんです、娘の同級生なんかでも、地元に居る子とかはお母様といっしょに食事に行ったりするんですけど、弁護士になりたいので、大学のサークルは法律研究のサークルにはいっとるのとか、もうみんな目をキラキラさせながら未来を語るんです。病院で介護士をしている姪もおばちゃん私今こんなことしとるけど、2年勤めたら、看護士になる資格とるつもりやに。もうみんな好きなように、自分の納得いくようにやってね。あんたらが居る限り日本の未来は明るいって信じとるでね。
June 7, 2004
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昨日は友達と昼食にいった、そこで、いろんな話しをしていたら、子どもが6年生のときに、学級崩壊をした話しになて、その原因といわれるのが、めちゃくちゃかわいくって、色白でおとなしい子ていうイメージの子で、その子がイメージとはかけ離れたことをやっていたので起こったということを2人で思い出した。(おとなしい子っていうのは、容姿から来た、私たちの幻想)今日その子を久し振りにみた、(芋虫が蝶になったように)スゴ~~く美しくなり……知って居る人が読んでいるかもしれないので、一話終わり。二話、ちょっとおそろしくって書けない。魔女は絶対に居る、おばちゃんがいうのだから間違いない。
June 6, 2004
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昨日、銀行の人がやってきた、要は融資させて下さいということなのだが、以前の担当とは違うので、どんなお仕事をしていらっしゃるのですかとか、いろいろありきたりの世間話をしたのだが、話しながら、自分でも驚いた、仕事を始めてからもう10年経っていたのだ、以前の取引の経緯なんかを話していたらなんでもなかったような10年間が思い出されてきて、感慨深かった。この10年間、女性だから融資をしないとか、相手にされないっていう経験は無かったし、仕事の件でも、女性だから…ということは無かった。先日(過去の日記にあります)のジェンダー川柳のなかに「女には金貸しません言う銀行」ってのがあったけど、女だから貸さないんじゃなくて、ほかに原因があるような気がします。10年一昔っていうけど、結構楽しい10年だったな、ようちゃん2号さんの日記に20年前の海外旅行のことが楽しく書いてあった、私も思いだして書こうかな。あの時がこれまでの人生で一番楽しかったから。
June 5, 2004
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alexさんの掲示板に自分の小学校時代のクラスメートのことが、記憶の中からフラッシュバックしてきました、ものすごいうそを全く普通につくのです、また見ている前で人のものを盗んでも、盗んだ瞬間に自分のものだと主張するんです。そういう価値感の家に育ったのかというとそうでもなく、父親は警察官でした。ア~~なんだかまたまた思い出してきました。わたしの100点とったテストを学校の引き出しから持っていき名前を書き替えて親に見せるんです、そんなことしてもバレバレなのに、ちょうど小学校4.5年の頃だったと思います、警察官の子だから転勤出やって来て、近所に住んでいたので、仲よくしていたのですが、「復讐するは我にあり」(御存知と思いますが、聖書の言葉です)というか天罰があたったのか、交通事故にあって、病院療養を余儀なくされて転校していきました。今ごろどうしているんだろう、多分普通に暮していると思います。現実とバーチャルな世界って違うものだいう意識があって区別しているけど、普通に全く区別ができない人って居るんだと思います。きっと脳のなんかの領域の病気だとおもいますが、診断は付きにくいでしょう。そいいうひとのためにも、バトルロワイヤルのような、バチャールな世界を平気で映像化して流す社会に問題があるような気がします。いや~~ん子どもの部屋に、バトルロワイヤルの漫画があったわ!本当にこんな本を出版するほうがどうかしている。 と書き込んだあと、お暇な私はまた別のことを思い出してしまった。一度車にぶつけられてことがある。私が後方からくるのを確認せず車線変更して、ぶつけたのだが、車から降りてきて開口一番、「あんたが猛スピードで走っとるで、ぶつかったんや」っと怒鳴るのです。市街地の信号がいっぱいある道で、前の信号が赤なのに飛ばす分けが無い、でもその人は嘘ではなく本当にそう思っているみたいだ。わたしの車は大したことがなかったけど、相手の車は結構壊れていたし、借りたくるまだったみたいで、青くなっている。警察に行っても同じ主張を繰り返す。別々に事情聴衆されるから、私は、「ただ普通の速度でまっすぐ走っていました。」と答えた。結局9:1でまあ1の部分は運が悪かった、というようなことで保険屋さん同志で話しがついたのですが。嘘=バーチャルな世界には、1、嘘だと意識している世界。2、自分ではまったく嘘だとは気づかないでいる世界。指摘されても納得がいかない。他人には嘘だとわかる。3、誰にも嘘だとわからない世界。があるのかな…って思ってしまった。ア~~また私の弱いおつむのなかで、いろんなことがクルクル回る。ひょっとして第3の世界に人は居るのかも?
June 4, 2004
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「おかあさんこの子、リストカットやっとるんやで、学校の先生知らへんけど、内緒やで」って息子が中1のときクラスメイトのHPを見せてくれた、何度もリストカットした腕の写真が痛々しい。幼稚園の頃から知っている子。日記を読ませてもらったけど、書いてあることも脈絡がつかめず読みにくい。この楽天の日記でもたまに中学校くらいの子のページに行くと、読んでいても何が書いてあるか理解出来ない。訪問するサイトリンクを辿るので、そういう中高生のページにはめったにいかないのだが、楽天日記に占めるパーセンテージは結構多いのではないだろうか。その中で繰り広げられる、全く異質な世界。一見全く普通だが、不条理な、暗やみのなか出もだえ苦しむ様な世界。少女という殻を蝶のように突き破ってうまく孵化してくれればいいのだが、それに失敗する子が増えたのだろう。原因は何だろうかな。男の子の思春期とはちょっと趣を異にしている様に思う。ニュースになるのは、氷山の一角で、ちょっと耳をダンボにすると、エ~~というような事件があちらこちらで、蔓延している。一体何が原因なんだろう。
June 2, 2004
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夫がぎっくり腰になる前、いつものように会社の健康診断を受けたら、右肺に影が、それで二次検査、精密検査と進んでいくのですが、何か解らない。内視鏡を飲み込んで組織を取る検査を2度したが、それでも何か解らない、それでついに入院してM大病院で検査をすることになった。一度は内視鏡、そしてついに直接上から肺に穴を開けて組織を取ることになった。(失敗すると、肺から空気が抜けてしまうらしい)解ったのは悪性ではないということ、言うなればガンではないということだけ。何かがあるが何か解らない。そこで、大学病院の教授がおっしゃた、「ちょっと右肺を半分程切らせてもらえませんか?」。とんでもない、ちょっと考えますって言って、退院して、もう二度と行かなかった。次の年、また健康診断を受けた。影は跡形もなかったし、もう十年以上経つけど、それ以降今のところなにもありません。教訓3:レントゲンやMRIでも解らない事がある。内視鏡を飲み込むのって、本当に苦しいらしい。それを、3回もさせられて、本当にかわいそうでした、そのストレスのせいで甲状腺がおかしくなったのかな?
June 1, 2004
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