海洋冒険小説の家

海洋冒険小説の家

(6)・・・明日の用意を・・

    (6)

 商人チームのメンバー全員、馬の世話は人にまかせ、近くの打毬の、今風の言葉で言えば、クラブハウスに立ち寄り、エウロペ(ヨーロッパ)はフィレンチェ国から来たという絵師、アントニオ・コレッリに、打毬の選手全員の肖像画を書いてもらうことになっていて、その下書きをした。それぞれが今日の試合に出場した衣装のままで、ポーズをとったのだった。
 アントニオは、助左衛門を中心に一人一人の顔の向きやら、手の位置まで気にいるまで直した。描きあがれば、このクラブハウス「打毬之館」の正面玄関を飾ることになる。
 昨年、南海丸でアントニオとともに日本にやってきた石工のエンリコ・ガブりエーリは今、助左衛門の別宅に住んでいた。大きな石の、エウロペの女神像を彫るといって、槌(つち)と鑿(のみ)で取り組んでいる。若く美しい女の裸の像で、生きているようになまめかしいという噂だった。
 エンリコは、堺の町が気に入っていて、ずっと住み続けたいと言い、堺の町の人々に感謝する意味で、この像を堺の町の真ん中にある大小路町の広場に立てるという。大小路町は和泉の国と攝津の国の境にあり、また堺南北両庄の境でもあって、堺の地名の由来の元にもなっているところだ。助左衛門はエンリコの後押しをするつもりでいた。友閑や宗久はなんと言うか、その困った顔がみたくもあり、いらぬ争いはしたくもないし、まあやるだけやってみるかとも思う。

 助左衛門は絵のポーズをとりながら、その間明日の段取りを考えていた。とにかく今夜の若狭屋の祝勝会はそこそこで切り上げなければならぬ。安土への同行者は六兵衛と南海屋の番頭、松原次郎左衛門にしようかと思う。次郎左衛門は今五十代で、厳しい船乗りの生活から引退した。昔は助左衛門の下で南海丸の水夫頭をしていた。信頼のおける男だ。ただ、一つ問題がある。それは彼が熱心な本願寺の宗徒だということだ。もう、昔から、堺の交易船の水夫や足軽兵士に紀州の本願寺宗徒が多い。なぜそうなのかは分からない。とにかく多いのだ。信長殿は本願寺のにっくき敵であり、いくら平常心のある者であっても、敵を目の前にして平常でいられるかどうか。やはりこの案はやめにして、六兵衛と瀧を連れて行くことにした。瀧であれば安心しておられるし、その才能は安土城でもいかんなく発揮されるだろう。安土城にも夫人方はおられるし、うまく商売もするだろう。献上品は馬の背に載せて運べばよかろう。

 若狭屋に行く前に、六兵衛に同行を伝えた。
 「一度、信長の顔が見たいとおもうていたんや。他には誰が行くねん」
 「瀧を連れて行くつもりや」
 「ほーお、これはおもしろいなぁ、道中は楽しいやろな」
 六兵衛は喜んで承知した。瀧には早めに伝えておいた。献上品を選び、目録を作ってもらわねばならぬ。気配りに関しては、助左衛門は全面的に信頼しきっていた。瀧はひさしぶりの遠出に喜んでくれた。
 ただ、あの、高麗青磁の一尺ほどの角型のほっそりとして、すこし左に傾いた瑠璃色の美しい瓶は、惜しいけど、この際、献上品の一つとして持っていかなしゃあないな、と思った。
                 (続く)





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