特殊部隊連合神国家首都 Y・H・V・H

特殊部隊連合神国家首都 Y・H・V・H

SAS

SAS
[SPECIAL AIR SERVICE]
(特殊空挺部隊)
特殊部隊の父SAS

(画像提供:鮫島軍曹さん)
イギリス陸軍の特殊部隊。
SASとは「SPECIAL AIR SERVICE」の略である。
彼らの戦闘経験は世界で最も豊富に積んでいる特殊部隊であって、対テロ・ゲリラ・不正規戦・その他あらゆる特殊作戦の手本とされており、世界でもトップクラスの実力を誇っています。


■部隊の歴史■


●アフリカ戦線
1941年:第2次世界大戦中にSAS連隊の創始者であるスコットランドの上流階級出身で近衛歩兵第3連隊所属のデーヴィッド・スターリング中尉による提唱によって英陸軍に敵陣への強襲及び情報収集を目的した奇襲攻撃部隊[L分遣隊]を編成しました。そして隊員数も増えてくると、L分遣隊から[第1SAS](第1特別航空任務連隊)に改名されます。

1944年:その後、更に力を増強していきスコットランドの基地を本拠地に部隊名も[SAS旅団]に改名されました。

スターリング中尉は第2次大戦のアフリカ戦線に従事していて、名将ロンメル率いるドイツ・アフリカ軍団[砂漠の狐]と激戦を繰り返していくなかで、SAS隊員をドイツ軍の背後から落下傘で地上に降下して破壊活動をさせる作戦を提案、この作戦を強く中東軍総司令官と参謀総長に勧めました。
そして総司令官と参謀総長もこれに賛同、許可しました。

1941年11月16日:天候が悪いなかドイツ軍飛行場を5ヶ所を強襲する予定で約60名のSAS隊員が3機の輸送機で出撃しましたが、その内の1機が途中でドイツ軍の対空砲火を浴び、不時着してしまい全員捕虜になってしまいました。後の2機から40名程の隊員が地上に降下しましたが、強風のため戦力を分散してしまい、位置を間違えた18名がドイツ軍の捕虜にされました、そして長距離走行の車両部隊とランデブーできましたのは22名ぐらいで作戦は失敗に終わりました。

作戦が失敗に終わりスターリング中尉は降下作戦は取り止めて、重機関銃M2で武装したランド・ローヴァ-110による[LROG](機動小隊)と合同でリビア砂漠を走り回りドイツ軍とイタリア軍の空軍基地・補給基地・船舶を片っ端から襲撃していきました。
この不屈の闘志でコマンドがアフリカ方面で撃墜した敵軍の航空機はおよそ400機に上ります。この驚異的な撃墜数はアフリカ戦線でイギリス軍の戦闘機が撃墜した数より遥かに上回っております。

そしてこの戦績が上官に認められスターリング中尉は、中尉から中佐に昇進しました。
この後スターリング中佐は、アルジェリアに上陸したアメリカ軍と連絡を取る為、砂漠を疾走しますがドイツ軍に捕まってしまい捕虜となってしまいましたが、何とか身分を隠し続け、2年後には無事に生還することができました。

その他にもイタリア・北西ヨーロッパ方面で多大な戦果を上げております。

●マラヤ動乱
1948年:第2次世界大戦終了後は一旦解散したSASでしたが、世界に共産主義の波が押し寄せ冷戦が始まると、指揮官:スターリング中佐を始め、大戦後に生き残ったSAS隊員を収集し、マイク・カルヴァート准将が再び[マラヤ斥候隊](第22SAS連隊の前身)を復活させることになりました。
この時の任務は、熱帯雨林があるイギリス軍の支配下にあったマレーシア(57年に独立)で1960年にまで渡り、活発に行動している共産ゲリラの鎮圧にあたりました。
パラシュート降下も大戦時より更に多く行いましたがジャングル内では道が無く、次々と負傷が続出しました。悪戦苦闘が続きながら討伐作戦が10年も続くました。

1958年:ゲリラの指揮官:アー・ホイを投降しマレー半島での共産ゲリラをやっと壊滅させることに成功しました
このマラヤ独立闘争によりイギリス政府は特殊部隊の重要性がはっきりと判り、規模も現代の[第22SAS連隊]にまで発展していきました。

●各紛争地域鎮圧
1958年:アフリカ方面でアラビア半島の首長国:オマーンにSASを派遣して王制を反対するオマーン解放軍と戦い、王制を守りきりました。
SASは中隊規模で派遣されていき中隊ごとにローテションを組んで行き、極めて困難な作戦を何とか成し遂げて行きました。

1963年:ボルネオ北西にあるサラワクにSASが派遣され、マレーシア連邦に反対するインドネシア軍に戦いを挑み守りきりました。

1964年:アラビア半島にSASを派遣してアデン解放軍と戦闘を行い、2年後アデン解放軍を鎮圧する。

1967年:各地域で起きた紛争もやっと人段落しましてSASは特殊訓練に入ることになりました。

1969年:[HAG](House Assault Group)小屋突入部隊等、経験を積み重ねて行く内に対ゲリラ・テロ戦闘の独特の戦術を仕入れて行きました

●IRA
1969年:[IRA](アイルランド共和国)が活発にテロ活動を続ける北アイルランドの紛争地域に派遣して実戦経験を積み重ねて行き、飛躍的に対テロに関する能力を向上させ「世界最強の対テロ部隊」にまで成長することになっていきました。

1970年代:IRAのテロが増加して行くと、SASは更に戦闘能力に磨きが掛かり、SAS第1個中隊の78名の隊員が全員が徹底的に対テロ訓練を受け、半年交代で北アイルランドに送られて行きました。

1994年:その結果としてIRAを武装解除にまで追い込むことに成功しました。この1個中隊が現在の[CRW](Counter Revolutionary Warfare):対革命ゲリラ戦闘部隊の中隊の主力となります。

●駐英イラン大使館人質事件
1980年4月30日:SASがもっとも対テロ部隊として力を発揮し世界的に存在が知れ渡ることになったのが「駐英イラン大使館占拠事件」のことである。
ロンドンの大使館に立て籠もっている[ホメイニ師体制反対派](イラン人)が人質26人を取って、テロリストのリーダー:オアンが「政治犯の91名を刑務所から釈放」をイギリス政府に要求しました。
その時、人質になっていた警官がテロリストに捕まる前に警察本部に連絡を送っていたので、すぐにロンドン警視庁が駆けつけた。そしてロンドン警視庁の警官(元SAS隊員)がSASに応援連絡をしました。

要請を受けたSASはイラン大使館に集結、対テロ専門家が大使館と周囲の状況を視察、それと同時に煙突にマイクロホンを仕掛けてあったテロリストの情報を収集して、それを元に[SAS/CRW中隊]が待機している兵舎に大使館の原型モデルを設置して突入訓練を念入りに行い有効な突入戦術を検討しました。
そして大使館占拠から6日目に入り、テロリストが煮えを切らし人質の大使館報道官を射殺、事態は急変に悪化。警視庁交渉班はこれ以上の被害を食い止める為、犯人が無事に国外に脱出できるように航空機の手配など犯人側の要求を受け入れる態勢でいました。
でもこれは犯人を油断させる為の作戦で、交渉班が時間稼ぎをしている隙にSASは作戦準備を進めて、突入部隊の設置を完了しました。

5月5日19時:ついに「二ムロド」と呼ばれる作戦でSASが大使館に突入しました!
まず、第1突入班が大使館の屋根裏から侵入して、1階のバルコニー、テラス、大使館裏手にロープを降下、窓を割り突入してテロリストリーダーを射殺。第2突入班はバルコニーから突入、第3突入班は壁を破壊して館内に突入開始して見事に制圧!制圧時間もたったの11分でテロリストグループの6人の内、5人射殺して1人を逮捕した。
人質は突入する時には既に2人殺されていたが、その他の人質は無事に救出することに成功している。
このTVの生中継を見た国民は黒尽くめの姿をした特殊部隊員に驚愕し拍手を送られています。

●フォークランド紛争
1982年4月:フォークランド諸島を占拠したアルゼンチン軍を迎撃する為、紛争地域に潜入し、港の奪還、潜水艦や戦闘機・ヘリ等に破壊工作を行いまして、これにより勝利に導くことができました。

●湾岸戦争
1991年:湾岸戦争の時でもイラク国内に侵入して情報収集やイラク軍のスカッドミサイルを探し出して破壊任務に従事しました。
衛星や航空機では発見困難な所もSASはスカッドミサイルを発見し破壊することに成功して大きな戦果を遂げています。

●ペルー大使館日本公邸人質事件
1997年:ペルー大使館日本公邸人質事件の時でもSAS隊員がDELTAFORCE隊員と共に共同でペルーの軍・警察に作戦から訓練まで指導しています。

●米国同時多発テロ
2001年9月:貿易センタービルに飛行機が突っ込んだ後、アフガニスタンに侵入してタリバン政権やイスラム原理主義過激派組織[アルカイダ]討つ為、アメリカ軍や[北部同盟]を支援しました。
支援活動はタリバンやアルカイダに対する情報収集や破壊工作任務に従事した。

●イラク戦争
まだ新しいイラク戦争においてもイラク国内に侵入してクルド人武装勢力の訓練育成、イラク軍の通信網切断破壊、バグダッド本土に向けての情報収集に従事しています。


■任務・編成■


●任務・技能
SASは主に他国に侵入して、偵察・情報収集、補給線・撤退路の遮断、後方かく乱、重要な軍事施設・基地の破壊工作等、様々な任務をこなせるための特殊技能を全て身に付けています。
そして敵軍の兵器を整備・使用も当然でき、高度なサバイバル技術、スパイ活動、更に敵陣に侵入するのに欠かせない空挺降下技能等も身に着けています。

●グループ構成
SAS連隊はイギリス陸軍に所属しており、DSF(特殊部隊指揮官)の配置下におかれ、その数として1個連隊、約600~700名から編成されています。各隊の構成として・・・

DSF(特殊部隊指揮官)
SBS(イギリス海兵隊)
第21SAS連隊(国防義勇軍)
第22SAS連隊
第23SAS連隊(国防義勇軍)
第63SAS通信中隊(国防義勇軍)

▼第22SAS連隊の構成
本部中隊
戦闘中隊(セイバー中隊)
R中隊(国防義勇軍)
ORU(作戦分析斑)
CRW(対革命ゲリラ戦闘部隊)
第264SAS通信中隊

で中隊を中心に第22SAS連隊が主力に活躍されており、各部隊は与えられた役割をそれぞれ担当して行く事になります。

各中隊の役割として、
CRW中隊(別名:「SP」特殊プロジェクトチーム)
指揮官1名、隊員15名の計16名から編成
そして更に4個小隊に分かれます。

1個小隊に付き4人1組の4チームに分かれます、
突入作戦の時には更に2人1組でお互いを援護しあい監視・待ち伏せ・突入等、対テロ作戦任務の役割を果たします。

ORU(Ops Research Unit)は特殊作戦に必要な武器・装備品を開発する重要な役割を果たし、現代各国の特殊部隊が使っているスタン・グレネード(特殊音響閃光手榴弾)や突入用梯子もORUが開発したものであります。

戦闘中隊の構成については
A中隊
第1小隊(舟艇小隊)
第2小隊(航空部隊)
第3小隊(機動小隊)
第4小隊(山岳小隊)
B中隊
第6小隊(舟艇小隊)
第7小隊(航空小隊)
第8小隊(機動小隊)
第9小隊(山岳小隊)
D中隊
第16小隊(舟艇小隊)
第17小隊(航空小隊)
第18小隊(機動小隊)
第19小隊(山岳小隊)
G中隊
第21小隊(舟艇小隊)
第22小隊(航空小隊)
第23小隊(機動小隊)
第24小隊(山岳小隊)
で構成されています。

そして40年に渡りイギリス西部のヘリフォードから1999年にクレデンヘンビル基地に移転しています。


戦慄のSAS隊員

■隊員選抜■


SAS隊員になるためにはイギリス陸軍に入隊してから最低でも3年間は軍隊経験が必要です。しかも入隊試験は一生涯で2回だけしか試験を受けることを許されません。
試験の時期として夏と冬年2回ありますが、冬時の雪山での入隊試験は何と志願者が死亡する時がありますそれだけ厳しい試験だということです。

志願者はイギリス西部のヘリフォード市にあるスターリング・ラインズ基地&ウェールズ南部の山間部で選抜テストを行いテストの一部として適性検査、地図の読み方、25kgの背嚢を背負って64kmを20時間で歩くなど、約3週間に渡り選抜テストを行います。

この選抜コースを無事に通過して約1週間の休息後に約3ヶ月初期まで海外でのジャングルで過酷な生存技術を叩き込まれこれに合格した者だけが念願のSASの一員になることができます。

SAS隊員になってからも能力を維持するために、常にプロとして極限まで訓練を続けているのである。その訓練の内容としては、CQB戦闘、他国の武器の取り扱い、格闘術、戦闘泳法、狙撃、爆発術、破壊工作、パラシュート降下、ヘリボーン侵入、ラペリング降下、HALO・HAHO、砂漠・寒冷地・ジャングル等の戦闘及び生存術、数ヵ国の言語、偽装、通信、救急野戦法、医学、警護運転、要人警護等、多種多様に渡りあらゆる特殊技能を徹底的に叩きこまれます。

CQB訓練については、キリング・ハウス(室内掃討演習施設)で突入訓練、移動射撃、様々な姿勢からの射撃、迅速なマガジンチェンジ、銃火器のメンテナンスなどを1ヶ月半かけて訓練します。隊員個人が撃っている弾数も1200発~1600発間という膨大な量の弾を毎日撃っています

射撃については敵を確実に仕留める為、ハンドガンではダブルタップ(2連射)でサブマシンガンでは3発単連射で相手の頭を確実に撃ち抜くと同時に敵と味方を瞬時に判断して発砲する反射的焦点射撃を完璧にマスターするまで何度も続けられる。

HRU(人質救出訓練)これはSAS隊員自らが訓練シナリオを設定し、航空機、船舶、列車、建物などあらゆる場所で訓練が行われ、実弾を使用する場合でもSAS隊員が人質となり、訓練の緊張感を維持しています。
この訓練を全てマスターして一人前のSAS隊員になれるのは約2年後です。

ちなみにSASの紋章に書いてある「WHO DARES WINS」(危険を犯す者が勝利する)はスターリング中佐が信念をこめて考えた有名なモットーであり、これは過酷な訓練を積んで見事に克服した自信と最強の名をほっしている部隊としての誇りをもち、いかなる危険があっても任務遂行をする強い意志を象徴する言葉です。


■隊員の装備■


●武器
アサルトライフル:L85A1、M4A1、M16A2、M16A1、コルトコマンド、AK-47

スナイパーライフル:バレットM82A2、L96A1、H&K41、G3/SG1

重機関銃:ヴィッカーズK機関銃、ブローニングM2、M249MINIMI

サブマシンガン:MP5N、MP5A3、MP5K、MP5PDW、P-90、L2A3スターリング

ハンドガン:ブローニングHP、SIG P226、ワルサーPPK

ショットガン:SPAS15、SPAS12、レミントンM870

ミサイル:F-M92Aスティンガー携帯地対空ミサイル、ミラン対戦車ミサイル

ロケット/グレネード:94mmLAWロケットランチャー、M72A2対戦車ロケットランチャー、M203 40mmグレネードランチャー、MK-19/40mm、

バズーカ:M3カール・グスタフ

その他:ナイフ、スタングレネード(特殊音響閃光手榴弾)

●装備品
アーマー:REV-25ボディアーマー、アサルトベスト、ウエビングキット、チェストリグ

BDU:黒・紺色のノーメックスアサルトスーツ(難燃繊維)、英国陸軍標準戦闘服

ヘルム:CT-12ガスマスク、S-10ガスマスク[通話装置内臓]、ノーメックスフード(対閃光防護フード)、CTE-100Eイヤー・ディフェンダー、ノーメックス製パラクラバ

グラブ:ノーメックスフライトグラブ

バックパック:ベルゲン

その他:突入用ハシゴ、フーリガン・ツール、EAGLE社製SAS-MK5タクティカルホルスター、マガジンポーチ、エマーソン社製CQC-7タクティカルナイフ

●車両
支援車両:ランド・ローヴァ-、ウィリス・ジープ

■SAS公式サイト■
【SpecialAirService】
特殊部隊の元祖!SASに関する解説や資料が満載に載っております。SASについて詳しく勉強したい方は寄って見て下さい


© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: