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神風特別攻撃隊・その他・辞世
神風特別攻撃隊・辞世
もののふが悲しき命積み重ね積み重ね守るやまとしまね
義烈空挺隊の一隊士の辞世
蘇える金狼さんにお借りしました。
九州大分佐伯航空隊のある特攻隊員の詩
住み慣れし佐伯よさらばと見返る空に
霞む城山晩鐘川よ 桜咲くかよあの鶴見崎
越せば黒潮渦を巻く
両親への遺書
お母様 口ごたへばかりして、すみませんでした
白梅部隊員 大嶺 美枝 十七歳
沖縄県立第二高女四年 沖縄高嶺村にて戦死
お母様!
いよいよ私達女性も、学徒看護隊として出動出来ますことを、心から喜んで居ります。お母様も喜んで下さい。
----お母様は女の子を手離して、御心配なさる事でございませうけど、決して御心配はなさいますな。----
散る時には立派な桜花となつて散つて行きます。その時は、家の子は「偉かった」とほめて下さいね。----
お母様!空襲時はよくご用心下さいね。そして善ちやんと弘ちやんを良く守って下さいませ。
決して私の御心配はなさいません様にしてください。
ネルはお母様のものか、善ちやんものを作つて着せて下さい。波の上宮のお守りを入れて置きますから、
善ちやん出動の際には、お母様の髪の毛と共に、弘ちやんにお守り袋を作つて貰つて、善ちやんにやつて下さい。
なるべく自分でやる心算でしたけど、到底忙しくて出来ませんから、弘ちやんに作つてもらひます。
お母様!今まで口ごたへばかりして来てすみませんでした。
これからは、きつと立派な一人前の看護婦になつて、お國の為に働きます。
お母様!お身体を無理なさらぬ様に、又善ちやん弘ちやんを怒らずに、朗らかに暮らして下さい。
大島兵曹、信一兄さんによろしくおつしやつて下さいませ。
かしこ 美枝
最後に一家のご健康をお祈りいたします。
両親と面会
海軍大尉 安達 卓也命 二十三歳
神風特別攻撃隊第一正気隊 沖縄方面にて戦死
遙かな旅の疲れの見える髪と目のくぼみを、私は伏し拝みたい気持ちで見つめた。私の為に苦労をかけた老いが、
父母の顔にありありと額の皺にみられるやうな気がした。何も思ふ事が云へない。
ただ表面をすべつているにすぎないやうな皮相的な言葉が二言、三言口を出ただけであり、
剰へ思ふ事とは全然反対の言葉すら口に出やうとした。ただ時間の歩みのみが気になり、
見つめる事、眼でつたはり合う事、眼は口に出し得ない事を云つて呉れた。
母は私の手を取つて、凍傷をさすつて下さった。私は入団以来始めてこの世界に安らかに憩ひ
、生まれたままの心になつてそのあたたかさをなつかしんだ。
私はこの美しい父母の心温かい愛あるが故君の為に殉ずることが出来る。
死すともこの心の世界に眠ることが出来るからだ。僅かに口にした母の心づくしは、
私の生涯で最高の美味だつた。涙と共にのみ込んだ心のこもつた寿司の一片は、母の愛を口移しに伝へてくれた。
「母上、私の為に作つて下さつたこの愛の結晶を充分戴かなくとも、それ以上の心の糧を得ることが出来ました。
父上の沈黙の言葉は、私の心にしつかり刻みつけられています。これで私は父母と共に戦ふことが出来ます。
死すとも心の安住の世界を持つことが出来ます。」私は心からさう叫び続けた。
戦いの場、それはその美しい感情の試練の場だ。死はこの美しい愛の世界への復帰を意味するが故に私は死を恐れる必要はない。
ただ義務への完遂へ邁進するのみだ。
一六〇〇、面会時間は切れた。再び団門をくぐつて出て行かれる父母の姿に、私は凝然として挙手の礼を送った。
お母さん!!
海軍中尉 富田 修命 二十三歳
台湾高雄西海上にて戦死
九月二十五日一時半、我一生ここに定まる。
お父さんへ、いうことなし。お母さんへ、ご教訓身にしみます。
お母さんご安心下さい。決して僕は卑怯な死に方をしないです。お母さんの子ですもの。----それだけで僕は幸福なのです。
日本万歳、万歳、こう叫びつつ死んで征つた幾多の先輩達のことを考へます。
お母さん、お母さん、お母さん、お母さん!!
こう叫びたい気持ちで一杯です。何かいつて下さい。一言で充分です。
いかに冷静になつても考へても、何時も何時も浮かんで来るのはご両親様の顔です。
父ちやん!母ちやん!僕はこう何度もよびます。
「お母さん、決して泣かないで下さい」
修が日本の飛行軍人であつたことに就いて大きな誇りを持つて下さい。勇ましい爆音をたてて先輩がとんで行きます。ではまた。
特攻隊員の遺書
靖國の社頭で・・・
海軍少佐 長尾 博命 二十二歳
神風特別攻撃隊第三草薙隊 沖縄近海にて戦死
一、生を享け二十二年の長い間、小生を育まれた父母上に御禮申し上げます。
一、親不孝の数々をお許し下さい。
一、小生の身体は父母のものであり、父母のものでもなく、天皇陛下に捧げたものであります。小生入隊後は無きものと御覚悟下さい。
一、小生も良き父上、良き母上、良き妹二人を持ち心おきなく大空の決戦場に臨むことができます。
一、父上も好子、壽子を小生と心得御育み下さい。
一、母上、父上のこと呉々もお願ひ申し上げます。
一、父、母、また妹の御健康をお祈り致します。
父さん 大事な父さん
母さん 大事な母さん
永い間、色々とお世話になりました。 好子、壽子をよろしくお願ひ致します。靖國の社頭でお目にかかりませう。
では参ります。お体をお大事に。
絶筆 靖國神社で待つています
海軍少佐 宮澤 幸光命 二十三歳
神風特別攻撃隊第十九金剛隊 比島にて戦死
お父様、お母様、益々達者でお暮らしのことと存じます。幸光は闘魂いよいよ元気旺盛でまた出撃します。
お正月も来ました。幸光は靖國で二十四歳を迎へる事にしました。
靖國の餅は大きいですからね。同封の写真は○○で猛訓練時、下中尉に写して戴いたのです。眼光を見て下さい。この拳を見て下さい。
父様、母様は日本一の父様母様であることを信じます。お正月になったら軍服の前に沢山御馳走をあげて下さい。
雑煮餅が一番好きです。ストーブを囲んで幸光の想ひ出話をするのも間近でせう。靖國神社では甲板士官でもして大いに張り切る心算です。母上様、幸光の戦死の報を知つても決して泣いてはなりません。靖國で待つています。きつと来て下さるでせうね。本日恩賜のお酒を戴き感激の極みです。敵がすぐ前に来ました。私がやらねば父様母様が死んでしまふ。否日本帝国が大変な事になる。幸光は誰にも負けずきつとやります。
ニッコリ笑つた顔の写真は父様とそつくりですね。母上様の写真は幸光の背中に背負つています。母様も幸光と共にご奉公だよ。何時でも側にいるよ、といつて下さつています。母さん心強い限りです。
幸雄兄、家の事は万事よろしく頼む。嘉市兄と共に弟嘉平、久平、保則君を援けて仲良くやつて下さい。
恩師に宜しく申し上げて下さい。十九貫の体躯、今こそ必殺轟沈の機会が飛来しました。小樽の叔父、叔母様に宜しく。函館の叔父、叔母様に宜しく。中野の祖母様に宜しく。国元師顕殿、御世話を謝します。叔父さん幸光は立派に大戦果をあげます。
沖縄出撃に際して
海軍中尉 宮内 栄命 二十三歳
神風特別攻撃隊第三草薙隊 沖縄近海にて戦死
父上様、母上様、栄はこれから出撃します。
我儘な私を立派に成育して下さいまして、而も帝国海軍航空隊員となり、今回栄ある神風特攻隊第三次草薙隊として出撃できるようになりましたのも、皆父上、母上のお陰と、栄は有難涙を流して居ます。必ず御期待にそむかず敵を撃滅して日本の国を護ります。
近くの山に咲く桜花は栄の立派な生まれ変わつた姿です。幼くして出郷する時、母上から受けた教訓は立派に実行して来ました。酒と女でしたね。今迄酒は少しやりましたが女は全然知りませんでした。今となつては何も思ひ残す事はありません。只日本の必勝のみであります。---箕輪様や久保様や又親戚の方々にも色々御世話になりました。厚くお礼申し上げます。
---折りがありましたら靖國神社で待つて居りますから面会に来て下さい。土産物はいりません。---
沖縄が私の最後の場所です。昨晩最後の夢を挙母町のきらく亭で見ましたが矢張り父上様と母上様の夢でした。
くだらない事を書いて全く女々しい限りですが許して下さい。
昭和二十年四月十三日 栄より
父上様
母上様
御膝下
最後の便り
海軍中尉 小川 清命 二十四歳
神風特別攻撃隊第七昭和隊 南西諸島方面にて戦死
父母上様
お父さんお母さん。清も立派な特別攻撃隊員として出撃することになりました。思へば二十有余年の間、
父母のお手の中に育つた事を考へると、感謝の念で一杯です。全く自分程幸福な生活をすごした者は外に無いと信じ、
この御恩を君と父に返す覚悟です。
あの悠々たる白雲の間を越えて、坦々たる気持で私は出撃して征きます。
生と死と何れの考へも浮かびません。人は一度は死するもの、悠久の大義に生きる光栄の日は今を残してありません。
父母上様もこの私の為に喜んで下さい。
殊に母上様には御健康に注意なされ御暮らし下さる様、なほ又、皆々様の御繁栄を祈ります。清は靖國神社に居ると共に、
何時も何時も父母上様の周囲で幸福を祈りつつ暮らしてをります。
清は微笑んで征きます。出撃の日も、そして永遠に。
遺書
海軍少尉 松尾 巧命 二十歳
神風特別攻撃隊第三御盾隊 沖縄西方海域にて戦死
謹啓 御両親様には相変らず御壮健にて御暮らしのことと拝察致します。小生もしごく元気にて精励致してをります。
今までの御無沙汰おわび致します。本日をもつて私も再び特攻隊員に編成され、出撃します。出撃の寸前の暇をみて、一筆走らせました。
この世に生を受けて以来、十有余年間のお礼を申上げます。
沖縄の敵空母にみごと体当たりをし、君恩に報ずる覚悟であります。
男子の本懐、之に過ぐるものが他にあるでせうか。護國の花と立派に散華致します。
私は二十歳をもつて君に身命をささげます。
お父さん、お母さん、泣かないで、決して泣いてはいやです。
賞めてやつて下さい。
家内揃つて、何時までも幸福に暮らして下さい。
私の小遣いが少しありますから、人に頼んでお送り致します。
何かのたしにして下さい。
近所の人々、親族、知人、小学校時代の先生にもよろしく。
妹にも・・・・・・・・・。
後はお願ひします。では靖國へまいります。
昭和二十年四月六日午前十一時書
沖縄学徒の遺書
鉄血勤王隊 豊里 陳雄命 十五歳
沖縄本島、野戦病院にて戦病死
母上様に告ぐ
お母さん、首里に都もたうとう戦の庭と化しまして、自分たちも鉄血勤王隊として軍服姿に身を固め、英米撃滅に邁進したのであります。
沖縄の戦場もいつかは勝ち戦の時期が来るのですから、母上様には御身体を大切にされまして、勝ち戦を待つて居て下さい。
自分のことは、如何なる時にも御心配しないで下さい。そして、小生を御國の為に働かして下さい。
自分も良き死に場所を見つけて、御國に御奉公するつもりです。
お母さん、自分の働きぶりを見て下さい。
九段の御社で、母上様さやうなら。
散るべき時に 散つてこそ 男と生まれし 甲斐はありけり
豊里 陳雄
出撃に際し妻への決別
海軍大尉 佐藤 章命 二十六歳
回天特別攻撃隊菊水隊、ウルシー海域にて戦死
かねて覚悟し念願していた「海往かば」の名誉の出発の日が来た。日本男児として
皇国の運命を背負つて立つは当然のことではあるが
然しこれで「俺も日本男児」だぞと自覚の念を強うして非常に嬉しい。
短い間であつたが 心からお世話に相なった。俺にとっては日本一の妻であった。
小生は何処に居らうとも、君の身辺を守っている。正しい道を正しく生き抜いてくれ。
子供も、唯堂々と育て上げてくれ、所謂偉くすることもいらぬ、金持ちにする必要もない、
日本の運命を背負つて 地下百尺の捨て石となる男子を育て上げよ。小生も立派に死んでくる。
十分身体に気をつけて、栄え行く日本の姿を思いつつ強く正しく直く生き抜いてくれ。
大東亜戦争に出陣するに際して
グァム島の遺書(厚生省調査団により発見)
海軍軍属 石田 政夫命 三十七歳
昭和十九年八月八日、グァム島にて戦死
昨夜子供の夢を見ていた。父として匠に何をしてきたか。このまま内地の土をふまぬ日が来ても、
何もかも宿命だとあきらめてよいだらうか。おろかな父にも悲しい宿命があり、お前にも悲しい運命があつたのだ。
強く生きてほしい。そして、私の正反対な性格の人間になつて呉れる様に切に祈る。
三月○日 内地の様子が知りたい。聞きたい。毎日、情勢の急迫を申し渡されるばかり。
自分達はすでに死を覚悟してきている。万策つきれば、いさぎよく死なう。
本月の○日頃が、また危険との事である。若し玉砕してその事よつて祖国の人達が少しでも生を楽しむことが出来れば、
母国の国威が少しでも強く輝く事が出来ればと切に祈るのみ。
遠い祖国の若き男よ、強く逞しく朗らかであれ。
なつかしい遠い母国の若き女達よ、清く美しく健康であれ。
いざさらば我は御国の山桜・・・
海軍少佐 緒方 襄命 二十二歳
第一神風桜花特別攻撃隊
大正十一年九月生まれの緒方襄少佐は関西大学在学中に徴集され、海軍に入り、第十三期飛行科予備学生として訓練中特攻を志願した。
昭和二十年三月二十一日、「第一神風桜花特別攻撃隊神雷部隊桜花隊」の隊員としてロケット特攻機「桜花」を操って戦死、
満二十二歳であった。兄の徹も京都帝大から応召して弟より一期先輩の第十二期予備学生として海軍にはいり、
弟より先に昭和十九年十二月二十五日、ミンドロ島で戦死している。
襄から特攻志願の決意を聞いた母親の三和代さんは、今生の別れを告げに鹿屋基地を訪ね、一夜子息と語り明かした。
その夜の感慨を
「うつし世の みじかきえにしの 母と子が
今宵一夜を 語りあかしぬ」
と詠んだ。帰宅して鞄をあけると、襄がひそかにしのばせておいた紙片に辞世の歌が記してあった。それが、
「いざさらば 我は御国の 山桜
母のみもとに かへり咲かなむ」である。
母はもはや返歌を受けるべくもない息子に向かって、すぐにつづけて、
「散る花の いさぎよさをば めでつつも
母のこころは かなしかりけり」と詠んだ。
母にあてたものとは別に、緒方襄には出撃三十分前に、鉛筆で海軍手帳に走り書きした絶筆の辞世が、
「 清がすがし 花の盛りに さきがけて
玉と砕けん 丈夫我は 」
「 死するとも なほ死するとも 我が霊よ
永久にとどまり 御國まもらせ 」である。
私達は言葉すら知らない
海軍大尉 時任 正明命 二十四歳
神風特別攻撃隊第一草薙隊 南西諸島海域にて戦死
「国分の息子さんから電話です。」役場の小使いさんの呼び出しに、時任少尉の両親、祖母、姉は役場へ急行する。
出撃前夜、第二国分基地から時任少尉最後の電話だった。
父、「正明か、征っておいで。家のことは何も心配いらない。立派に戦っておいで。成功を祈る。」
母、「正ちゃん、いよいよ征きますか。元気で征って下さい。」
姉、「正ちゃん、元気でお征きなさい。心残りなく戦って下さい。」
思い思いの声が受話器にすがる。
父、「おばあさん、これが正明の最後の電話ですよ。よく聞いておきなさい。涙声を出さないように・・・」
促されて祖母は生まれて初めての受話器をとった。
祖母、「正ちゃん、明日は発ちますか。行っておいで。そして元気に帰っておいで・・・」
後は言葉にならなかった。いよいよ明日は征く孫。精一杯励ましてはみたものの、
二十有余年育んだ断ち難い孫への愛着が、叶わぬ望みと知りながら「元気で帰っておいで」と言わせたのであろう。
電話はきれた、零時半だった。
家に帰り、大急ぎでご飯を炊き、おにぎりを作り、身支度をして午前二時、両親は家を出た。幼子を抱えた姉と祖母は家に残った。
眠られぬまま夜が白む。姉は国分の方角に手を合わせ、はるかに門出を祝し、武運を祈った。
父母の帰宅するまでの長く短かった幾時間。
夕方帰宅した両親の眼の輝きに姉は驚く。「出発十五分前、機上の正明に会えた」ことを伝える輝きであった。
両親は午前二時、本城の家を出発、三里(十二キロ)の道を歩いて肥薩線栗野駅に着いたのが四時、五時半発の列車に乗り、
隼人で乗り換え、国分の宿舎である農学校に九時に着いた。時任少尉は五時半すでに宿舎を発っていた。
両親は休む間もなく、さらに二里の山道を登坂して、ようやく飛行場端に辿り着いた。十一時十五分だった。
次から次へと離陸する飛行機。砂塵であたりに人も見えず、眼も開けられず、気ばかりがあせった。
何人かの人に尋ねて広い飛行場を走り回り、最後は親切な方々に手を引かれ、ようやく時任少尉機の側に駆けつけることができた。
父、「正明!」
正明、「はい、お父さん。来られましたか。」
父母、「よかったね。元気で征きなさい。」
正明、「有難う。お父さん。お母さん。お体を大事に。おばあさんお兄さん、お姉さんによろしく。近所の方にもよろしく。」
正明、「何も思い残すことはありません。喜んで征きます。」
ニコニコ顔で答える時任少尉に、両親は吾子でありながら神の子のような思いで心の中で手を合わせた。
死を前にして送る者、送られる者、まして両者は親と子。その胸中はいかばかりであったろう。
私達は言葉を知らない。
民族の誇りと特攻死
海軍少佐 西田 高光命 二十三歳
神風特別攻撃隊第五筑波隊 南西諸島海域にて戦死
昭和二十年、報道班員として鹿屋基地にあった後年の時代小説家、山岡荘八氏は死を目前に控えた青年達の明るさ
、朗らかさが大きな謎だった。その謎を解いてみようと、氏は遂に一人の青年に目星をつけ、当時禁句であった質問をぶつけてみた。
相手は教師を勤めた経験もある西田高光中尉(死後少佐二十三歳)である。
この人物ならどんな質問を向けてもそのために動揺する気遣いなどはないと見込んだからである。
「この戦争に勝てると思っているか?」「負けても自分の犠牲に悔いはないか?」
「今日の心境に達するまでどの様な心理的葛藤を経験したか?」等である。
彼は重い口調で、現在ここに来る人々はみな自分から進んで志願したものであること。
したがってもはや動揺期はは克服していること。そして最後にこう付け加えた。
「学鷲は一応インテリです。そう簡単に勝てるなどとは思っていません。
しかし負けたとしても、そのあとはどうなるのです・・・ おわかりでしょう。
われわれの生命は講和の条件にも、その後の日本人の運命にもつながっていますよ。
そう、民族の誇りに・・・」
西田高光少佐が孤独な思索の中で紡ぎだした結論である。彼等の出撃は作戦的には全く無意味、戦果は限りなく零に近いだろう。
作戦上の効果を論ずるとしたら功利的観点に立つということだが、特攻出撃は功利の観点を超越したところにある発想のものだった。
西田少佐の言葉で「講和の条件にも」つながると見ているのはこの青年の冷静な知性を窺わせ、ただ敬服するしかない。
だが重要なのは敗戦必死としても「その後の日本人の運命」にひびく深刻な意味が「特攻」にはこもっているという、この一事である。
つまり「誇り」高き敗北を可能ならしめるか否かの問題である。そして現実に特攻死は誇るべき死であった。
敗戦は、当時の欧米帝国主義の視点で捉えれば、「民族追放」か「民族浄化」を意味する。どんなによくても奴隷扱い、
悪ければ皆殺しである。彼等の誇り高き死があったればこそ、日本の存続を可能たらしめ、
アジアの国々の独立の契機となったことは紛れもない事実である。
<歴史や尊厳まで破壊され侮蔑されるような、戦は断じてしていない>
彼が紡ぎだした結論は後世に生きる私達に語りかけてくる至誠の言葉である。
西田高光少佐の絶筆はこのサイトのトップページに紹介してある。
「総ての人よさらば 後を頼む」と、この一行に込められた「最後の悲願」に思いを馳せてほしいと願う。
私は忘れることができない・・・
特攻隊基地に雲雀は鳴いていた
若々しく端正の面立ち
澄み切った無垢のまなざし
あどけない綻びる紅の唇
腕と額とに鏤められた日の丸
夜光時計をささえる鮮やかな朱の紐
名の記された飴色の半靴と
兜に似た飛行帽と
目釘青くしめった太刀の落としざし
そはまことその昔の日の
緋縅の鎧凛々しい若武者の出陣の姿。
しかもこれら紅顔の若人たちは
ひとたび出撃していけば
誰一人還ってこなかった。
汚濁にみちた地球の上
ひとり燦然たるは日本民族
その血脈の凝りてふきいでたるもの
神々の伝承を瞬間に顕現し
神話の規模を一撃に圧縮し
生もなく死もなく
誇りと愛と怒りとをこめ
奔放溌剌に散りて咲く兵隊の花。
剣に篝火の赤きを映し
一献の土器に寡黙の別離をこめて
歴史の海原へただ殺到してゆくもの
科学を超える魂の飛翔
青春こそ国を護るものと
その生命をもって示しつつ
天の舞楽となって
紺碧の太平洋に
完爾たる勝ち鬨をの声をあげるもの。
ああ神雷特別攻撃隊
火野葦平
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