うーろん まめ蔵

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凍頂烏龍茶の歴史1

今までブログで少し書き溜めてきたものを 整理していきたい




 凍頂烏龍茶というのはどういう経緯のお茶なのだろうか?。

 各皆さんのHPを見るとそれなりにはわかるが、個人的にイメージが沸いてこない。

 ならば、自分で調べるしか無いと思い、各HPを見ながら調べてみることにした。



1.凍頂烏龍茶の原産地は?




 凍頂烏龍茶はどこが産地かというと、中国福建省産(福建武夷山)烏龍茶の苗木を台湾の凍頂山(現在地図にはない?)で育てたのが凍頂烏龍茶なのである。
 なぜ、この中国の苗木が台湾に渡って、山の上に植えて有名な烏龍茶に変貌したのであろうか?

 1865年(約141年前:各HPでは1841年とういのもある)、台湾の南投県の鹿谷郷に住む林鳳池(リンフォンチイ)(原籍の福建、)という方が苗木を中国から持って帰った事が始まりらしい。




2.凍頂烏龍茶の生みの親




 この苗木が台湾に持って来るまでには、凍頂烏龍茶の生みの親である人物を欠かすことが出来ないということがわかった。



 では、何故 この方が台湾からわざわざ中国まで行って苗木を持ってきたのだろう。

 元々、お茶好きか、お茶関係の仕事で中国から持ってきたのであればうなずけるが、そうでは無かったのだ。



 この苗木を持って来た人の名は「 林鳳池(リンフォンチイ)」さんである。



 この方が中国に行ったいきさつと言うのが官僚試験に合格して中国に行った事から始まっている。



  林鳳池(リンフォンチイ)が若い時に非常に勤勉だったようであるが貧しい生活をしていた。そんな時、中国の福建で科挙の試験を行うという噂を聞いての事を聞いて、受けたいと思ったらしい。何とか自分の夢の為に頑張ろうとしていたのだろう。

 近所の人たちが、試験を受けたいという噂を知って次から次へと気前よく金を林さんの為にお金を出してくれた。

 また、出発間際には近所の人たちが送別の宴を開いてくれて、渡航の際には注意して行くことや、もし不合格となった場合でも戻ってきて、みんなに報告するようにと激励されて船に乗って福建に試験を受けに行ったようである。



 林さんも難関の倍率に屈しず努力したことと、地元の人たちも何とか官僚を地元から出したいという意識が強かったに違いない。  (参考: 名茶伝説 凍頂烏龍的來源

 この 科挙 (かきょ)の試験というのは、官僚になるための試験である。(598年~1905年(隋~清) の時代)  試験の倍率は時代で違うようであるが、最終合格者の倍率は約3000倍程あった時もあった。合格年齢は約36歳位だったようだ。




 学識によって官僚を登用するということでは明快な良い制度であり、王朝初期の時代においては巨大な行政 組織を担う人材を新規・大規模に発掘し登用するために、大きな効果があった。その一方で、時代を経るにつれ、合格者数に対して受験者数が増大し、過度の競争を生じるといった弊害も現れた。

 カンニング をするために、全体にびっしりと詩文の書かれた下着など、科挙の過酷さを伝える逸話も多い。官吏登用試験制度としては洗練されたものであるが、その反面、「書院
」と呼ばれる学校制度の発達を阻碍した面を持っている事は否めない。 又、科挙は、官吏選抜試験という意味の他に、富・地位・名声・権力を手に入れる機会という意味にも解されていた。そのため、科挙は皇帝
の一般人民に対する恩恵の一つであり、カンニングや買収などの不正行為は赦し難いものとされ、場合によっては死刑 や宮刑 などの酷刑まで行われた。
(科挙説明出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』) 人気blogランキングへ




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さて、中国の福建まで行って受けた試験の結果であるが、努力の甲斐あって科挙試験に見事パスしたのである。 咸豊の5年(1855年)  36歳であった。  少し横道に逸れるが、科挙試験についてもう少し調べてみると科挙試験までには、何と4回の試験があったのだ。  1次、2次試験は、日本で言う市、県で合格しなければならない。そして、その合格者が進めるのがその上の院試に進む。ここでは歳、科試の2種類の試験に合格と、省を代表して科挙の試験を受ける資格者となるとの事である。
 そこで驚いたのが、科挙の試験は毎年あるのではなく、3年に1度科挙の1次試験の郷試が各省であり、その後に北京で2次試験の会試を受けるというものである。
 ここでの合格者は300名程度となる。これで終わりと思えばその後に4回も試験を行う。この時、試験を入る際には龍門という門を通るらしく、その会試合格者が通ることを「登竜門」という。
 ここで合格した人官職となるのである。成績、その後の試験で高級官僚、県知事クラスの職をもらえるというものである。  市からの試験を考えれば、チャンスは3年に1度ということであるから 前回の倍率もおかしくはない感じである。
 ( ROSSさんのHPより


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 難関の試験だったというイメージはあったが、こんなに苦労して思いをして合格したとは思わなかった。1度の試験で合格し、その後苗を見つけて凍頂烏龍茶につながった訳では無かったのだ。

 また、やっと合格したのですぐに合格報告の為、帰ったと思ったが、こんなに試験+試験・・・があったのでは帰るにも帰れなかったろうし、合格したらすぐ仕事を任されたのかもしれないというのがわかった。

 尚、台湾 南投縣出身の合格者は 調査結果 より、(調査年代は 清朝 (1614-1912年)時代ということで、 298年でこのうち地元の人で42人。約0.14人/年の合格者 (実際には3年に1回の試験であるから、99回の試験で 0.4人/回の合格者 )とういのだからそのすごさがわかる。)
 (尚、調査はの精度にもよると思うが、記録と有名人からすると、もう少し数値が変わると思われる。地元以外を含めた南投縣というくくりで考えると、138名らしい)
 また、年齢は若くて30代~高齢90歳と幅が広く、年齢の一番多いのが50代20%。 年齢30代は7%(3人) ということからも林さんがいかに優秀だったことがわかる。

 またまた、話がそれてしまうが、合格者だけが通れる龍門(良く、言われる 登龍門 だが)とはどんなの?だろうか これがまた調べていくと奥が深いことがわかった。

 (PS:私がわからない中国語を変換しながら行っておりますので、情報に間違いがあったらごめんなさい。)


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当時の科挙試験の様子が無いかと探していたら、 韓国でも同様の習慣 があったらしく再現の行事風景写真があった。中国と服装等は相違するだろうが当時の試験状況の雰囲気を感じるには良いと思う。

 科挙試験はこのくらいにして、林さんがそれからどうなったかについて調べていこうと思う。

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