おかあちゃん5


実習中に学校から病院へ電話が入った。
おかあちゃんが急変した!
先生に帰ります!と一言声をかけたとたん、走り出していた。
おかあちゃんの病院まで電車やタクシーを乗り継いで、どんなに急いでも
1時間はかかる。
もうちょっとだけ待ってて!!そう心の中でつぶやきながら病院へ向かった。
病院につくと、親戚までもが集まっていた。
血圧が下がってきている。
最終確認ということで主治医から再度今後どうするかを聞かれた。
結果は現状のままでこれ以上は何もしないということを選んだ。
癌細胞の増幅の為、脳はむくみがきてしまい外見からも頭の1部分が腫れているのがわかるほど。
身体のあちこちもむくんでぼってりしている。
貧血もあるのか顔色は真っ白。
点滴の管、おしっこの管、心電図モニター、自動血圧計などの
チューブ類に囲まれている。
そんなおかあちゃんをこれ以上苦しめることはできない。
1度血圧は50以下に下がったが今はなんとか80~90代を保っている。
しかし、よくてもあと2、3日だろう。
重症観察室にいるため、24時間付き添うことは不可能だった。
回復期実習が始まったばかりの私は、補習を決めいったん実習を休み、
おかあちゃんに付き添うべきか否か悩んだ。
3日がんばってくれるのであれば、週末になり実習は休みになる。
でもそれまでもたなかったら・・・。
1晩中考え翌朝、私は実習に向かった。
現実を直視するのが恐かったからじゃない、今わたしがすべきことは
看護婦となるために勉強することなのだ。
たとえおかあちゃんの最後に間に合わなかったとしても、その方が
おかあちゃんは喜んでくれる気がした。
実習にいき、受け持ち患者さんに昨日急に帰ってしまったことを謝罪した。
そして母の状態を正直に話し、また急に帰るようなことが起こるかも知れないと話をしたそのとき、
学校の先生が病室に駆け込んできた。
先生の口から出た言葉は「すぐに帰りなさい!おかあさんが・・・」だけだった。
先生もそれ以上は何も言えなかった。
受け持ち患者さんの「いってらっしゃい!!」という言葉に背中を押され
ダッシュで走り出していた。
電車に飛び乗ったとたん、携帯電話がなった。
おじさんからだった。
「おかあちゃんが待ってるよ。チューブ類も抜いてもらったから」
たったそれだけの言葉だったが、すべてを理解した。
病院に駆け付けると、静かにベッドに横たわっているお母ちゃんの姿があった。
「今まで苦しかったね。よくがんばったね。ありがとう」
ただその言葉を呟いただけで、不思議と涙も出てこない。
主治医の方から「本来ならば解剖をどうするか聞く所ですが、すぐに連れて帰られますか?」
そう聞かれた。
私は「どこまで転移が進んでいたとか調べてもらうつもりはありません。
ただおかあちゃんを苦しめた癌細胞は取ってもらいたい。
あの世までついていかれては困りますので」
そう答えた。
もちろん転移部分まで全ての癌細胞を取り除くのは不可能であることはわかっている。
でも醜く膨れ上がった頭の部分だけでも取り除いてもらいたかった。
主治医は快諾してくれた。
それから2時間ほどかかりますという言葉を聞き、私達はおかあちゃんとの最後のお別れになる場の準備にむかった。
家中の片づけ、お通夜&葬式会場の手配、車の準備など
あわただしく時間だけが過ぎていく。
2時間後、病院の霊安室でおかあちゃんに再会した。
頭には黒いネットをかぶせてもらい、きれいにお化粧を施してもらった
おかあちゃん。
本当は家に連れて帰りたかった。しかし事情がありそのまま式会場まで
直行することになってしまった。
おかあちゃんを乗せた寝台車に、私が乗り込むことにした。
運転手さんに無理を承知で自宅の前を通っていってもらえるよう
お願いすると、かなり遠回りになるにも関わらず承諾してもらえた。
自宅の前に差し掛かった時、私はおかあちゃんに「おかあちゃん、家だよ。
もう帰ってきたんだよ。これからはずっと家にいてもらえるからね。」
そうつぶやいていた。
お通夜、お葬式が無事終わり、小さな木箱の中の住人となった
おかあちゃんは家に帰ってきた。
普通ならすぐにお墓の中に入れなければいけないのだが、
私にはそれができなかった。
長かった入院生活、それ以上の期間を家で過ごしてもらいたかったのだ。
それは姉妹みんなの思いでもあった。
姉妹みんな、朝起きたらおかあちゃんに「おはよう!」と声をかけ
仕事や学校にいった。
帰ってきたら「ただいま、おかあちゃん」「おやすみ、おかあちゃん」
そんな毎日だった。


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