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私はなぜ、*日記才人の得票数* を気にするのか・・・。いつも考えていた答えが、わかった。それは、小町さんの「われ思ふ ゆえに・・・」の「いわゆる“日記”とweb日記 」を読んだから。小町さんは、ノートに書く日記を「ひとりの時の食事」に例える。ひとりだと、なんでもいい。あるモノを適当に食べれば・・・。材料が無ければ一食ぐらい抜いてもいいと・・・。そして、web日記を家族のために作る食事に例える。あらかじめ献立を決め、スーパーに買い物に行き、おいしそうに見えるよう盛りつけにも気を遣う。『ノートにつける日記とweb日記のもっともわかりやすい違い。それは、「材料を買いに行ってまで作るか」は「ネタを探してまで書くか」に、「料理の見映えにこだわるか」は「きちんとした文章を書こうとするか」に置き換えることができる。』だが、私は、この食事を「食堂」に例える。*今日の献立は、客のニーズにあっていたのか? このテーマでよかったのか?*味付けはこれでよかったのか。 こんな風に書いてよかったのか?*盛り付けは・・・。 イラストや写真は?*値段の設定は・・・。 字の大きさや文章の読みやすさは?「アクセス数は、売上」、「得票数は、美味しかったよ」という声に置き換えることが出来る。もちろん、無邪気な日記も好き。それは、主婦がお招きしてご馳走を作るという感じ。主婦の中には、シェフ顔負けの料理の鉄人もいる。けれど、商売となると、なにか違うような気がする。もちろん、私が日記書きのプロになる必要などないし、力量もないのに、つい、こんな、遠くから離れたような見方をしてしまう。他人の顔色をみるっていうのかな・・・。私って、本当に素直じゃないんだな、きっと。さてさて、今月のはるな食堂の売上やいかに( ̄▽ ̄) **日記才人の得票数**「日記才人」というサイトに登録された日記を読者が、気に入ったらぽっちっと押す仕組み。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★5月26日*田植え:しろみて*UP
2005.05.31
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会社の帰り、道端に*「もろぶた」*を発見。思わず、自転車を止めて見てしまう。もろぶたとは、餅を搗いた時に、並べておくための民具。見ればまだ、壊れていない。ああ、mottainai!!石臼、唐箕(とおみ)、箕(み)、唐うす、そしてもろぶた・・・。こういった民具は、捨ててあると、つい見てしまう。こういうものは、もし捨ててしまったら、再び作れるのだろうか・・・。もし、作る技術はあったとしても、必要性がない。こうして、私たちの周りから民具が消えて行く・・・。そう思うと、なんとかしないと・・・とあせる。+++娘たちが保育園にいってた時、卒園パーティの、サンドイッチを作った。子どもと、先生、それに親の分があったので結構な量になった。給食室で作ったサンドイッチを会場の教室まで、どうやって運ぶか・・・。その時、提案したのが、もろぶたに入れて運ぶことだった。もろぶただと、浅いし、広いし積み重ねることができる。ピッタリ!!+++これからの季節、野外でバーベキューをする時の材料を入れて運ぶのにも、いいと思う。有事には、炊き出しのおにぎりを入れるのにいい。有事でなくても、子ども会などの行事の時、おにぎりを入れることが出来る。なにかを広げて天日干しするにも使える。もともとは味噌や酒のモロミを入れるための道具だったもろぶた。餅を並べて置くのにピッタリだった。家で餅を搗かなくなり、役目は終わった。なんとかして、もう一度使えないだろうか・・・。ごみになっている、もろぶたを見ながらそんなことを考えた。5月30日は「ごみゼロの日」。**もろぶた**◎もろぶたの語源◎◎民具:もろぶた◎◎民具:もろぶた2 ◎■□■テレビしびれて■□■★義経・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★5月26日*田植え:しろみて*UP
2005.05.30
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Fire King(ファイヤーキング)ってご存知ですか?『アンカーホッキング社』が、1942年~1976年にかけて製造していた食器の登録商標名(ブランド名)です。カリスマ主婦・マーサ スチュワートが彼女の出演するTVや雑誌などでジェードアイテム(翡翠色)を紹介したことだそうです。これをきっかけに、人気が急上昇し、価格が一気に高騰したと言われています。マーサの集めている翡翠色のではないのですが、うちのもあります、ファイヤーキングのマグ。「スーパーフルーツ レモン マグ 」。今、巷で大ブレイクの写真のマグカップは、結婚してすぐ買ったもの。当時は、今のような人気がなくて、ただ安い、強いという理由で買った雑器なのです。比較的手頃な値段で買えること、丈夫で長持ちすること。おまけに、電子レンジOKということなどから、今の普通の生活にピッタリなのです。ひとり暮らしになったら持って行くもの、捨てるもの・・・。私の将来の夢はひとり暮らしな私は、そんなことを考え食器を整理しています。このカップ、柄的には、イマイチで迷ったけど一人暮しにも連れて行こう♪ オススメグッズ♪・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★5月26日*田植え:しろみて*UP
2005.05.29
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ああ、なんでもある時代になったね。本当に便利な世の中、ありがたい。なんて声を聞くけど、本当になんでもある世の中になったのだろうか。失ったものも大きい。その最たるものが、修繕。思えば、いろんな修理があった。かつては、タガのはずれた桶は●桶屋が直し、穴のあいた鍋は●いかけや(いたんだ鍋や釜の修理)がその穴をふさいだ。●靴屋●折れた傘の骨直し●自転車のパンク●ノコギリの目立て●刃物の研ぎ屋・・・。石臼でさえ、溝が摩滅すると、石屋が新たに目を立てたと父が言っていた。+++先日、炊飯器の中の鍋?が使えなくなった。焦げ付きをなくすための、テフロン加工が剥げてしまったのだ。テフロンは、体によくないと聞いていたので、家にあった(夫が衝動買い(ノД`))2合炊きの炊飯器を使う。家族は夫と私のふたりだから、普段ならこの大きさでいい。けれども、今日は、休み。冷蔵庫の掃除がてら、チラシ寿司を作ろうと思ったのだ。お寿司は、やはり、3合は炊きたい。炊き込み御飯も2合炊きでは、炊けないし・・・。炊飯器というものがなかった頃、ご飯は、羽釜(はがま)をクドにかけて炊いていた。この羽釜、材料は鉄。単純はつくりなので、ちょっとやそっとでは壊れない。嫁入り道具として持ってきても死ぬまで使える。いや、姑が、そのまた前の女主人が買ったものが使える。道具とは、何世代も一生使えるものだった。だからこそ、人はモノに魂を感じ、それが使えなくなった時、人の死と同じように供養をした。モノを伝えると同時に、そのモノの使い方をも伝えた。初めチョロチョロ中パッパブツブツいう頃火を引いてひと握りのわら燃やし 赤子泣いても蓋とるな これは、私が母から聞いた米の炊き方。私は、結婚以来もうすでに3つ以上の炊飯器をダメにしてしまった。豊かな時代とは、モノを使い捨てにする時代なのだろうか。そんな豊かさはいらないと思う。炊飯器の中釜の修理が出来る、それがムリなら、中釜を売ってくれるという選択肢こそ本当の豊かな時代だと思う。 ■テレビしびれて■□■★空中ぶらんこ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★5月26日*田植え:しろみて*UP
2005.05.28
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15年ほど前、イタリアのミラノに行った時に「ミラノ市民の森」という公園に行ったことがあります。この公園は、ミラノ市が放って置いた土地を市民が力を合わせて森にしたもの。「市民参加」の公園です。環境問題で知り合った人が当時、ミラノに留学していて彼女に案内してもらいました。「休みには、パンとワインと本と敷物を持って、ここに来るの。」と彼女が言いました。私は、ワイン片手に、本を読む彼女の姿を思い描いてうっとり。そんな休みの過ごし方、いいな・・・と私は思う。そんなことを思い出したのは、先週の大泉緑地に行ったから。サンドイッチに紅茶、コーヒーの入った魔法瓶を籠の中に入れて、本を持つ。そうそう、日焼け止めも、サングラスも忘れずに・・・。公園で、バーベキューもいいけど、のんびりと飲み物を片手に本を読む。本に疲れたら、目をつぶって昼寝。そんな公園の使い方、おしゃれだな。そんな時、絶対に必要なのが、敷物。それも、キルトがいい。チープでシックな公園の過ごし方!!そんなこんなでただ今、余り布でパッチワークキルトを作っています。■テレビしびれて■□■★恋に落ちたら●○今日の健康○●●薬のみ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★5月26日*田植え:しろみて*UP
2005.05.27
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JR西日本・宝塚線の脱線事故から昨日で1ヶ月。昨日まで、いえ、その日、家を出るまで元気だった人が突然、突然、帰らぬ人になった事実。とうてい受け入れることの出来ない事実に、泣き崩れる家族の姿が痛々しかった。父がなくなった当初、私たちもそうだったと、もらい泣きしながら見ていたテレビ。++2002年2月26日の通夜の夜、「早よう迎えに来て・・・。」と棺にすがって、母は号泣した。私たちも、なにをしても思い出して泣いた。あれから、3年と3ヶ月。月日は、傷を癒してくれる。もう泣かなくなった。今年の彼岸の墓参りにも母は、微笑みさえも浮かべていた。けれどもそれは、父を忘れることにもなる。それは嫌だと思う。父を忘れるくらいなら悲しむ方がまだましだと・・・。そう思うと涙がこぼれるのだ。いえいえ、悲しみは遠くなっても、父の面影は、父の話は、父の笑い声は、今も、私たちとともにあるのです。名前の中に春を持つ父。生きていれば、5月で93歳です。++春よ 遠き春よ 瞼閉じればそこに 愛をくれし君の なつかしき声がする 松任谷 由実 ●父の麦わら帽子というタイトルで父のことを書き始めたのが2002年の6月26日。今回で満3年。■テレビしびれて■□■★anego・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★5月24日*田植え:えんたえ*UP
2005.05.26
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岡山の言葉が知りてえ?私の岡山の言葉やこう、そねえにおもしろうねえけどなぁ。折角の機会じゃから、ほんなら、喋ろうかなぁ。岡山の言葉は、「ない」を「ねえ」言うんじゃ。それと、「~は」を前の言葉にかけて、言うんじゃ。例えば「映画は」は「映画ぁ」、「山は」は「山ぁ」、「日は」は「ひゃあ」になるんじゃ。って、思わず、大好きな岩井志麻子の「ぼっけえきょうてえ」口調になってしまいました( ̄▽ ̄) 先日のhasepセンセイの日記からジャンプして読んだ岡山弁のことが気になって仕方が無いワタクシ。ワタクシ、天地 はるなは、ネイティブ岡山弁スピーカー。その私がよく聞いていた岡山弁だとこうなります。●「このリンゴは赤くない。今日は寒くない。あの子は可愛くない。」 ↓「このリンガー、赤こーねー。今日は寒うねー。あのかー可愛ゆうねー。」 ●「この映画はつまらない」 ↓「この映画(がー)おもしろうねー」 ●「火を消しなさい」 ↓「ひゅうけされえ」岡山弁といえば、岩井志麻子の「ぼっけえきょうてえ」。「ぼっけえきょうてえ」とは、とても怖いという岡山の言葉。「ぼっこうきょうてえ」とも言います。岡山弁の語りが効果的な、背筋も凍りつくような「きょうてえ」小説じゃった。●大阪に来て30年以上、今や関西弁です( ̄m ̄*)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★5月24日*田植え:えんたえ*UP
2005.05.25
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千春はふと思った。怖いもの知らずの10代、少し現実を知った20代。30代になってハタと気づく。「何となく幸せを夢見ていられるほど若くない。」千春はノートを開いた。『幸せになるためのルール』を書き込むのだ。●キレイになる!●人間関係円満に●厄払いに行く。 ◆曲がり角の彼女◆・・・・・・・・・・そうそう、「幸せになりたい」と思ってもダメダメ( ̄▽ ̄) 幸せになるためには、努力が必要なのだ。その努力を具体的にあらわすことによって、現実に一歩近づく。たとえば、友達が欲しいと思う。でも、思っただけでは、友達はできない。私は、次のようなことを思ってます。★いつも笑顔でいる。怖い顔をしていたら人は寄ってこない。★挨拶をする。自分から、挨拶をする。★相手を誉める。お世辞を言うのではなく、心からいいなと思うことを言う。++今日は「曲がり角の彼女」のある日。33歳の主人公の千春の『幸せになるためのルール』いいな♪そんなノートを私も作りたくなった。名づけて「幸せノート」♪■テレビしびれて■□■★英語でしゃべらナイト・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★5月22日*田植え:わさうえ*UP
2005.05.24
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通勤途中の畑に、「ゆすら」が色づきはじめていた。思わず、手を延ばして、一つ口にしたけれど、まだ酸っぱかった。今の季節、子どもの頃は、ユスラとグミが色づくのが待ち遠おしくて仕方がなかった。真っ赤になるまで待てば甘いのに、待てなくて、少し色づいたのをとって食べた。酸っぱい・・・。柿、イチジク、ビワ、ユスラ、グミ、桑、アケビ・・・など私の子どもの頃、身近にあった木はいったいいつ頃からなくなってしまったのだろう。最近出来た近所の「公園」には、アジサイだのウツギだのといろんな花木が植えられている。けれども、柿もイチジクもユスラ、グミもない。どの自治体も申し合わせたように「自然とふれあう」を言うのに、子どもが毎日行くような小さな公園に、どうして実の成る木を植えないんだろう。リンゴやみかん、バナナなどを口にする回数は昔に比べて、格段に多くなった。けれども、食べ物を自分でとって口にする機会は皆無といっていいほど少なくなった。実の成る木は、子どもにとっても、昔の子どもにとっても「自然とふれあう」大切な機会だと思う。少年に枇杷熟れ桑熟れ椋熟れてとどめにムベの熟れゐし昭和 大野展男■テレビしびれて■□■★義経●○今日の健康○●●歯科・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★5月22日*田植え:わさうえ*UP
2005.05.23
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孫のちゅんとちゅんママのミナと私の3人で公園へ。アッシーは、オッチャン(続柄・夫)( ̄▽ ̄) 大泉緑地は、大阪府立の大きな公園。バーベキューが出来る数少ない公園。あちこちでバーベキューを楽しむ人で溢れています。みんな、緑が好きなんだ。なのに、どうして、身近な場所に緑が少ないんだろう。近所の小さな「児童公園」がリニューアルされたので行ってみたが、土の部分が減ってしまった。これからは、少子化時代だし、高齢化社会になる。遊具のある「公園」もいいけど、もっと樹木を増やして欲しい。木々の緑が汚れた空気を浄化する公園は、都市の肺なのだ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★5月20日*やっこめ*UP
2005.05.22
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この4月に2歳になった孫のちゅんは、電車が大好き。機嫌が悪いと「電車、見に行こう」と言うと、ご機嫌になる。電車の絵本をもっていて、タイトルもズバリ、「大阪の電車」。K阪電車を指差して「じいちゃんのデンチャ」と言い、地下鉄を指差して「パパのデンチャ」、うちの近くの電車を見つけるや「ばあちゃんのデンチャ」。お気に入りは、名古屋、大阪間を走る近鉄の「アーバンライナー」と難波、関空間のを走る豪華な列車「ラピート」というオタクっぷり。JR西日本は入ってなかった。_| ̄|○ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★5月20日*やっこめ*UP
2005.05.21
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今、全国各地で、竹林の異常拡大が起きている。かつてタケノコや竹材の生産のために、里山に植えられた竹林が、タケノコの価格の下落や、竹材としての利用価値が低下したことなどにより放置され、まわりの森林や畑などを侵食。里山の風景を一変させてしまっている。竹林の拡大は、侵入した林や畑の作物を枯らすだけでなく、大雨が降ると、根が浅い竹林は土砂崩れを起こす危険性もあり、竹林が迫る住宅地も無関係ではいられない。「難問解決ご近所の底力」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・*昔の方が、竹やぶがあちこちにあったのに、こんなに広がらなかったのはなぜだろう。それは、昔は、竹を使っていたからです。*物干し竿、七夕のささ飾り、竹馬、竹とんぼ、ザル、傘の骨や柄、葬式などの飾り、墓の花立、竹箒・・・。この他、家の建材として、壁や屋根裏にも使われていました。ざっと、思い出しただけでも、このように生活のあらゆるシーンで竹は必要とされていました。ですから、竹やぶの中は、適当に間引かれ、いつも広々としていたのです。竹を使わなくなった今、竹やぶは、密生しています。その結果、竹やぶの中に光が入らなくなりました。竹は光を求めて、外へ、外へと広がりつづけます。竹やぶをこれ以上広げないためには、竹やぶの中の竹を切ること。そして、光が入るようにすることが大切です。竹と竹の程よい間隔とは、番傘(昔の傘。これは、持つ所も、骨も竹で出来いている!!)をさして通れるくらいが目安だといわれています。その間隔があれば、竹は外に広がらないで、藪の中に地下茎をはり、タケノコが生えてきます。今、タケノコは、中国からの輸入されているそうですが、日本のタケノコを食べることが竹やぶの管理につながります。「竹林はきちんと管理し、一定の密度に保てば、それ以上広がらないという性質がある」のです。 **参考日記**「竹八月」というけれど・・・。 ■テレビしびれて■□■★恋におちたら・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★5月17日*♪なんでだろう「さつき」*UP
2005.05.20
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ほかの木は、秋になって落葉するのに、竹だけは夏に向って落葉するという。そして何十年目かになると、花を咲かせて死んでいくという竹。あんなにすくすくと生えて、青々とみずみずしく、美しい竹。昔から私は、この美しい竹の林に囲まれた家に住んでみたいという望みがあった。せめて林でなくても、庭の一隅にほんの二、三本立っているだけでいい、風に揺れるあのさらさらとした音のするだけ、葉があればいいと思った。これはどうしてもほかの木では現せない気分である。竹は草でもなく木でもない。竹は竹というその美しさを知っているのは、やっぱり日本人のような気がする。(略)水野正夫「私の部屋・伝えたい日本の美しいもの~ざる~」・・・・・・・・・・・・・・・・・薔薇が咲いた。咲ききった薔薇を捨てないでポプリにしよう。ポプリで思い出したのが、熊井明子さん、そして「私の部屋」。久しぶりに見ていたら、すっかり読みふけってしまった。その中に上記の水野正夫氏に文を見つけて、これまた読んでしまう。そして考えた。薔薇を入れた竹のかごのこと、ずーっと気になっていた、竹林の荒廃・・・。偶然・・・。いや、偶然ではない。私がいつも思っているからこんなにタイミングよく水野氏のエッセイが目に飛び込んできたのだ。++この春は「青春18きっぷ」や「3daysチケット」を使って桜を見に行った。そして、あちらでも、こちらでも、見つけたのは竹の異常な繁殖。さやさやと風にそよぐ笹の葉の音、たけのこ、何より、あのすっくと伸びた竹の風情に私は竹が大好きなのだ。その私でさえも思う。「まるで、竹の襲撃のよう」と。*そもそも、竹やぶが広がってはいけないの?*竹やぶが広がると、どういったことになるの?★竹は他の植物の何倍もの速さで成長する。 ↓他の植物は、竹に負けてしまう。豊かな植生(いろんな植物が生えていること)から、竹だけの藪になる。植物を求めてやってくる虫や鳥たちの減少。★木に比べて竹は浅く根をはる。 ↓地震の時の地すべりの原因になる。*昔の方が、竹やぶがあちこちにあったのに、なぜ、こんなに広がらなかったのか・・・。それが分れば、まるで、竹の襲撃のような今の状態が解決できる。(続く)■テレビしびれて■□■★anego~あねご~●○今日の健康○●●歯科・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★5月17日*♪なんでだろう「さつき」*UP
2005.05.19
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毎日、切って捨てる咲ききった薔薇の花。まだきれいなのに、可哀想・・・ポプリにしよう。そう決めてから、少し罪悪感が減りました。ポプリとは、いい匂いのする花や葉っぱなどのこと。今では、いろんなお店で売ってます。1970年代の初め、ポプリという言葉は誰も知りませんでした。私が、初めてポプリという言葉を知ったのは、今から30年あまり前。当時、「私の部屋」という今のインテリア雑誌の先駆者的な雑誌がありました。その中で私は、パッチワークキルトを知り、アンティークを知り、DIYを知りました。ポプリという言葉もこの雑誌で知ったのです。その「私の部屋」で、「ポプリ」というタイトルのコラムを持っていたのが、熊井明子さん。当時は、主婦のかたわら、エッセイを書いていた熊井明子さん。自分の執筆のための部屋があるはずもなく、台所でエッセイを書いていました。でも、彼女は、そんなことも「ばら色のヤカンのある書斎」と明るく書いておられたのを覚えています。そのエッセイの中で、フランス映画人の歓迎パーティでミレイユ・ダルクと話をしたことなどが書かれていて、「この人、何者?」と当時の私は思っていました。実は明子さんは、映画監督、熊井啓夫人だったのです。あれから30年余り・・・。古い友人の消息を探すように、ネットの中で検索した、熊井明子さん。エッセイストとして、ポプリの講師として、活躍されていました。■テレビしびれて■□■★曲がり角の彼女・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★5月17日*♪なんでだろう「さつき」*UP
2005.05.18
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咲いた薔薇の花を摘む日々は、優雅に思えるけれど、やっぱり心が痛む。お隣のIさんも見ながら「可哀想やね。畑に入れようかな」と言う。Iさんは、家の前にある貸し農園で野菜や花をを作っているのだ。「ううーむ・・・。でも、虫が来ない?」と私。甘い香に虫が来たら丹精こめた野菜がやられる・・・。「そうか・・・。残念・・・」とIさんは家に帰った。ほんと、なんか使えないかな、この薔薇、もったいない・・・。切った薔薇が下に落ちて黒く枯れている。それを拾って、鼻に近づけると、強い薔薇のかおり。「!!!」突然ひらめきました!そうだ、*ポプリ*にしよう!!!昨日の夕方、摘んだ薔薇の花を籠に入れて外に出しておきました。燃えよ、リサイクル魂!!!( ̄▽ ̄) **ポプリ**香りのよい花・葉・樹皮・香料などを取り合わせて瓶(びん)や壺(つぼ)などに入れたもの。三省堂提供「大辞林 第二版」より ■テレビしびれて■□■★英語でしゃべらナイト●○今日の健康○●●歯科・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。
2005.05.17
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尾道は坂の町。石垣が多く見られる町。なにを隠そう、この私は、石垣オタク。4月に尾道の桜を見に行った時に、見た石垣の数々を、うっとりと眺めていました。その中に奇妙な石垣が…。石の間に焼き物の瓶(かめ)とおぼしきものが沢山混じっている。「これ、なんやろ??」と私と友人は、推理し始めた。「農薬を入れていた瓶かな。」なんて言ってると「その瓶は、酢が入っていたんです。」と後ろから声がした。振り向くと、紳士が立っていた。「えっ、酢ですか?!(゚∇゚ )」と私たち。「そうです。尾道は酢の町なんです」とその紳士。紳士の話は続く。戦争の時、こちらに船で逃れて来た人いました。船に積んでいた米は、波をかぶって濡れたので貯蔵できなくなりました。そこで、酒や酢を作ったのです。尾道は海に近く、作った酢を船で各地に運ぶことができます。船で各地の酢の材料を買うこともできます。そうして、尾道は酢の町になったのです。へぇ~!へぇ~!!(゚∇゚ ;)と私と友人。「ところで、戦争って太平洋戦争の時ですか?」と私。「いえいえ、徳川との戦です。」へぇ~、へぇ~!!(゚∇゚ ;)ビックリする私たち。紳士は、いずこともなく去って行きました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★5月14日*雨の名前:万物生(ばんぶつしょう)*UP
2005.05.16
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♪風絃流し(ふうげんながし)♪風の音、弦の響き。遠い異国の楽器を操る彼らの生み出すメロディは、どこか懐かしい。南米の楽器、ケーナとアコースティックギター、ヴァイオリン、ベース、パーカッション、ピアノ等で構成されています。一つとして日本古来の楽器が使用されていません。しかし、彼らはそれらの楽器で「和」を表現しています。だからこそ、聞く人に郷愁を覚えさせることができるのです。そのボーダレスな感覚は世界中どこに行っても、なにかしらの不思議な想いを聞く人に与えるでしょう。「風と音がリンクする」。「春風ウキウキ」のチラシより抜粋。・・・・・・・・・・・・・・今日、天王寺のHOOPの前で演奏していたバンドの名前が「風絃流し」★金子勲:ケーナ★田辺博信:アコースティクギター★三上まき:ヴァイオリン・ピアノ★須藤あきと:パーカッション★山本裕之:ベースの5人からなるバンド。キタ━━━━(゜∀゜)━━━━ッ!!って感じです。和でもなく、洋でもなく、あえていうなら「土」な感じ。でも、ドロドロの土じゃなくて、草の生えた土、草原。草原を渡る風の、さわやかなイメージ。自然を思わせる曲です。さっそく、CD、「風絃流し」を買いました♪私が「サインお願いします」って言ったら、5人ならんで次々にサインをしてくれました。言ってみるもんだ( ̄▽ ̄) 他のも沢山の人が買っていて、われもわれもとサインの列が出来ました。パーカッションのあきとさんは、にこにこしながらパーカッションを叩くイラストを。「絵心ありますね」と言うと「メンバーには、時間がかかるから、やめとけって言われるんですけどね」とニコニコしながら答えた。「ブレイクしたら、これ『お宝鑑定団』に出しますよ」と言うと笑った。「風絃流し」の皆さん、活躍を楽しみにしています♪ ■テレビしびれて■□■★義経★素適な宇宙船地球号~炭の魔力~★ミューズの楽譜~なかにし礼~・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★5月14日*雨の名前:万物生(ばんぶつしょう)*UP
2005.05.15
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先週の「素適な宇宙船地球号」はバリの米を作る知恵~バリ島 棚田に宿る千年の知恵~。++バリ島に「スバック」と呼ばれる不思議な社会がある。すべての農家が所属する農業組合だが、単なる農民組織ではない。宗教や環境、人と人間との関係を重視した高度な共同体だ。バリの民族にとって、スバックの決定は絶対。棚田の水配分にも絶大な力をもっている。バリの田んぼを見渡すと至る所に目立つ「トムク」と呼ばれる分水堰。1本の水路から複数の田んぼに水を分配するためのもので、綿密な計算によって比率を割り出し建設されている。 ほほう、スゴイなバリは・・・。でも、日本にもあったんですよ、こういう*農*の社会。一緒に新年を迎え、春を楽しみ、田植えをし、稲刈りをして、感謝の祭りをする社会。道普請、屋根替えなどの共同作業や、亡き人を一緒に弔う社会。それは、単に米作りの枠を越えて地域の共同体としてのつながりでした。それが、「結(ゆい)」と呼ばれる農のつながりです。結婚相手のことを「許婚(いいなずけ)」と言いますが、これは「ゆいなずけ」が訛ったもの。つまり、村の一員、「ゆいの者」になるという意味だといいます。美しい農村の風景が消えるとともに「結」も消えたのでしょうか。**農**単に米つくりや野菜を作ることは「農業」といいます。あえて農業といわないのは、田畑を作るだけでなく、それ以上の仕事が農という意味に含まれているから。●○今日の健康○●●眼科・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★5月14日*雨の名前:万物生(ばんぶつしょう)*UP
2005.05.14
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・・・確かに何か大きな仕事を成し遂げようとすれば、すべてを忘れ、仕事に打ち込む必要があるだろう。しかし、このようにエネルギーの注ぎ口が限られている人というのは、その部分がとめられてしまうと、思わぬ弱さをさらけ出してしまうことがあるのも事実だ。仕事だけに全精力を傾けてきた人が、突然、不本意な転勤、人事異動、リストラなどにあって、こころのバランスを崩してしまう例にしばしば出合ってきた。数年前のアメリカの精神科医の教科書によると、「中年男性の場合、仕事に対する満足度や業績が重要であることは当然だ。だが、それだけではなく、家族、友人、近隣の人々との関係、趣味、ボランティア活動、信仰などを総合的に判断し、社会適応の程度を判定すべきだ。」とある。・・・・・・・・・・・朝日新聞2003.4.26会社の先輩(女・66歳)が体調を崩したのをきっかけに、辞めようかどうしようかと悩んでいる。お金は、腐るほど持っている人だけれど、ひとり暮らし。会社を辞めると有り余る時間をどう使かおうかと悩むらしい。++私は、会社を辞めたらどうしようかな・・・。以前は、夫が「会社を辞めたら、1年くらい、ヨーロッパに住んだらええやん。お金は、なんとかするから」と言ってくれていたのでそうするすもりだった。でも、1年も、外国で暮らすのは、体力的に、ムリかなって今は思う。老い仕度、今のうちに考えなければ・・・。昨日の日記には、「結婚も出産も子育ても終わった今は、なにも迷わなくていい」と書いたけれど、まだまだ、人生迷い道。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★5月14日*雨の名前:万物生(ばんぶつしょう)*UP
2005.05.13
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女も30過ぎれば、いろんなことが気にかかる…。今の気楽なOL生活、いつまで続けていられるの?現在つき合っている男とは、結婚できるの? できないの?このまま歳をとったらわたしの老後はどうなるの…。それなりに仕事もできて、一見颯爽と見えるキャリアウーマンでも、心の底は不安やアセリでいっぱい…。気がついたら後輩に頼られている自分。そんな「ANEGO]と呼ばれているひとりの30代の女性の抱える悩みや不安や恋愛模様をリアルに描いたドラマです。「anego~アネゴ~」・・・・・・・・・・・・・・・・・30代は、まだ若い。だから、結婚や出産など、しなければならない(と思う)ことがいっぱいある。私たちの時代だと、優先順位は、結婚だけれど、今は、あれもこれも・・・。仕事を優先させれば、結婚して子どもを持つという、ささやかな幸せに憧れる。結婚して子どもを持つと、これでよかったのかなと思う・・・。なにをしても迷うし、正解なんてない。++先日、会社の取り引き先の若い友人と3人で食事。一人は25歳で、もうひとりは、33歳。彼女たちの屈託のない笑いと旺盛な食欲に「いいね、若いって・・・」と私は言った。「でも」と続けた。「でも、私は、今の年齢がいいわ。」選んだり迷ったりするのは、めんどうくさい。結婚も、出産も子育ても、なにもかも終わった今が、一番幸せ。例えて言うなら旅行の帰り道の幸せ。旅行に行くまでの、待つ間のウキウキ感や、どこにするかという楽しい迷い。旅行中のハプニングやお土産を買う楽しみも捨てがたい。けれども、旅行から帰る時の安心感もまた捨てがたいのだ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★5月7日*大阪しぐれ・泣かにゃ笛吹く隣の子*UP
2005.05.12
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春には、白やピンクの花が咲き、秋には実と紅葉がきれいな*ハナミズキ*は、街路樹の人気者。その数、全国の街路樹で20万を越えるという。一方、同じ仲間でも、原産地が日本のヤマボウシは、3万となかなかお目にかかれない。西洋趣味もあるけれど、そもそも都市は在来種が生きにくい場所。そういえば、タンポポも西洋タンポポはよく見るけれど、日本のタンポポは見かけない。美観だけでなく、ヒートアイランド現象の軽減のためにも大事な並木道。ハナミズキもきれいだけど、弱い木や植物も元気に育つ環境でないと・・・。*ハナミズキ*作曲者 マシコ タツロウ 作詞 一青 窈 空を押し上げて/ 手を伸ばす君 五月のことどうか来てほしい/ 水際まで来てほしいつぼみをあげよう/ 庭のハナミズキ薄紅色の可愛い君のね/果てない夢がちゃんと/終わりますように君と好きな人が/ 百年続きますように**ハナミズキ**1909年から数年にわたって、当時東京市長であった尾崎行雄がアメリカ合衆国に桜の苗木を贈りました。その返礼として1915年に同国から東京市に贈られたのが日本でのハナミズキのはじまりで、日米親善の木として有名になりました。そのときの原木は今も日比谷公園に残っているそうです。現在では庭木や街路樹として広く植えられ、相生市内でもよく見かけます。春の花だけでなく、秋の紅葉や果実も綺麗です。アメリカヤマボウシとも呼ばれる。 ■テレビしびれて■□■★曲がり角の彼女・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★5月7日*大阪しぐれ・泣かにゃ笛吹く隣の子*UP
2005.05.11
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会社から帰るとすぐ、薔薇を摘む、これが私の最近の日課。今、家の前の巾5mの小さな花壇は真紅の薔薇の花でいっぱい。そこで私は、開ききった花を切る。切っても切っても、次々に花は開き、毎日30分は、開いた花を切る。花を切りながら、ふと薔薇と女性が重なる。開ききった花は、人間なら熟女と呼ばれる年齢か・・・。まだまだ、美しいのだ。切るのをためらうくらいに・・・。でも、開いたら、切らなければならない、それが、花の定め。開いた薔薇の花を、そのままにしておくと蕾に負担がかかる。花が終わっても生きていいのは、人間だけ。他の植物や動物は、老いを支える力がない。私が切っているのを見ながら、お隣のIさんが「このくらいの花が一番きれいね。」と八分咲きの花を見ながら言う。私は、彼女にその枝を切って渡しながら「20歳くらいの乙女やからね、この薔薇は」と言う。「私らは、これ?」と私と、同い年のIさんは、私が摘み取った開ききった薔薇を指差し笑う。++この時期、毎日、毎日、薔薇を摘む。切っても、切っても、また新しい薔薇の花が咲いてくる。それはまるで一世を風靡した美少女が、大人になっても、次から次に美少女が現れる、そんな感じなのだ。■テレビしびれて■□■★英語でしゃべらナイト・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★5月7日*江戸っ子の心意気:初かつお*UP
2005.05.10
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テレビ「義経」を見ていたら、平の清盛が亡くなりました(-人-)死ぬ間際に、彼のお気に入りの場所「蓬(よもぎ)の壷」でヨモギ畑をうっとりと眺めながら言ってました。「ここは、気持ちが落ち着く。」先週も、「ヨモギは美しいのう」なんて言ってましたから、よっぽどお気に入りとみた。このヨモギは、薬草として育てていたのかしら。それとも観賞用?昔は、今よりも利用価値が高かったので野に生えているのだけでは足らずに栽培していたのかな。雑草というより、ハーブみたいなものだったのかも。++ところで「蓬の壷」というのは、*坪庭*のこと。庭が大好きな私。中でも、坪庭は、大好き。家の裏の小さな庭を坪庭にしようかとマジで考えたり、ひとり暮らしをするなら坪庭のある平屋でと勝手に妄想を逞しくしています。坪庭ってよく聞くけど、その語源は・・・。私は、一坪か二坪の小さな庭のことを坪庭っていうのかと思っていました。ところが、「坪庭のすすめ」を読んでビックリ!!窄(つぼ)庭が語源とか。窄(つぼ)むとは、傘をつぼめるなどのように使う。花のつぼみもつぼむが語源か?「壷庭」と書くのも、壷の中のように周りが囲まれたという意味かも。清盛はヨモギを愛したから「蓬壷」を作ったけれど、御所には、藤が植わっている「藤壺」、桐が植わっている「桐壺」などがあるそうです。また、梅や竹も坪庭の定番植物だけど、私は椿がいいな。嗚呼、坪庭が欲しい!!**坪庭**坪庭とは、建物と建物との間や、敷地の一部にあり、塀や垣根で囲まれた、あまり大きくない庭のこと。建物の内部に、光や風を採り入れるためにつくられる。古くは町屋造りにおける主屋と離れのとの間にある庭園を指した。↑が坪庭の一般的は概念かな。●現代の集合住宅にも、京町屋の坪庭の知恵が生かされています。■テレビしびれて■□■★「素適な宇宙船地球号」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★5月7日*江戸っ子の心意気:初かつお*UP
2005.05.09
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「地球温暖化で北極のアザラシの赤ちゃんの家の氷がとけ、ちゃんと巣が作れないんやて」という話を友人R子から聞いたのは、まだ寒い2月のこと。それから2ヶ月余り後の先週の日曜日に見たテレビ「素適な宇宙船地球号」は、まさにそれでしたカナダ・北東部のセントローレンス湾でのタテゴトアザラシはこの氷上を出産・子育ての場所にしています。流氷は、天敵から赤ちゃんを守るために、アザラシ母さんが選んだ、最良の場所。流氷は、アザラシ親子だけでなく、人間にも大きく影響を及ぼしていたのです。++流氷ができる過程で生じる*塩分濃度の濃い海水「ブライン」は海底の海流*となって、温かい海流と循環しながら地球全体の熱のバランスを保ちます。ところが流氷の量が年々減少しているのです。熱の循環ができなくなるばかりか、氷が融けて海水面が増えれば温暖化も助長されます。流氷がなくなること、それはアザラシや人間のみならず、地球全体にとっての危機なのです。 **深層流**北大西洋と南極海では、氷山や流氷の溶けた冷水が温度差による密度差で海深く沈み、深層流となる。赤道付近で温められた海水は、南極や北極を目指して表層を流れる海流となる。深層流は千年以上かけて地球の海をまわると考えられ、地球の穏やかな気候を保ったり、深層の養分を運んだりしている。 知らなかった。アザラシのためと思っていたけど、これは大変な問題だったんだ。そりゃあ、人間にだけいいってことは、ないように、アザラシにだけいいということもありえない。地球は、皆が絡まりあって生活している。そのひとつが欠けることは、みんなに大きな影響を及ぼすのだ。*昨日の大阪は寒かった。北海道では、何十年ぶりかで雪が降っていた。これって、異常気象なの?暑いよりは、寒い方がいいのかな?◎昨日のエコ◎*買物袋持参。*自転車で買物。*風呂の残り湯で洗濯。「1秒の世界」:私たちができること。◎地球を救う127の方法◎・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★5月7日*江戸っ子の心意気:初かつお*UP
2005.05.08
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雨が降った後の植物の様子をみるのは楽しい。たっぷり雨を吸い込んで、しっとりと湿った土・・・。いくら、私が水をやっても、こうはいかない。ふと見ると、母子草がけっこう増えている。うれしい。20年前は田んぼだった、家の周りには、かつてはいろんな植物が見られた。繁殖の旺盛な雑草は、抜いても抜いても生えてくるけれど、みなくなった雑草も多い。みるからにひ弱そうな「母子草」もそのひとつ。それで、見つけたのをプランターに植えていたのだ。大事にしてはいたけれど、目立つ草ではない。春には、白い水仙が咲いて、真紅の薔薇が咲いて、赤紫のシランが咲いて、夏には、白いピラカンサの花が咲き、オレンジ色のノウゼンカズラが二階の屋根まで這い上がり咲いている。ビワの実がなり、気まぐれに葡萄も成り、冬にはピラカンサの真っ赤な実がなる。小さいけれどもいろんな植物があるので、忘れてしまっていた、母子草を植えたことを・・・。ひ弱そうに見えても、生命力があるのか、階段のタイルの継ぎ目からも大きくなっていた。母の日の前にに見つけた母子草、がんばれ、がんばれ!!++昔は、この母子草を餅に入れていたらしいけれど、明治時代ごろからヨモギに取って代わられ「春の七草」にわずかにその名残をとどめるのみ。ヨモギ餅ならぬ、母子草餅ってどんなんだったんだろう。老いて尚 なつかしき名の 母子草 高浜虚子 母子草は有名だけど、「父子草もどき」っていうのもあるんですね、知らなかった。それにしても「もどき」って、お父さんって気の毒・・・。******訂正*****今日は、土曜日だったんだ。連休ボケで日曜日と思ってました。韓国ドラマ「天国の階段」見逃した(ノД`)●○今日の健康○●●歯医者。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★5月7日*江戸っ子の心意気:初かつお*UP
2005.05.07
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去年、病気ダイエットで6キロ痩せることに成功したのもつかの間、3キロもどってしまった。(ノД`)ダイエットしないと・・・と思って見ていたら「思いっきりテレビ」で痩せるための簡単な方法をやっていた。誰でも出来る、どこでも出来る方法だったので、忘れないうちに、メモしとこ♪■二の腕■*食事のたびに、食べる前に10秒、息を止める。二の腕を筋に沿ってマッサージをすると、効果的。■皮下脂肪■*一日一回、階段を5段、登って、後ろ向きで降りる。これをやる前に、深呼吸するとより効果的。■ふともも■*毎食後、10歩、つま先立ちで歩く。簡単でしょう?「階段を5段登り、後ろ向きで降りる」は会社でやってきました。体も、持物もスリムになりたい私( ̄▽ ̄)■□■テレビしびれて■□■★恋におちたら ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★5月1日*雨の名前:薬降る(くすりふる)*UP
2005.05.06
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背くらべ 作詞 海野 厚 * 作曲 中山晋平 柱のきずは おととしの/ 五月五日の 背くらべ 粽(ちまき)たべたべ 兄さんが/ 計ってくれた 背のたけ きのうくらべりゃ 何のこと/ やっと羽織の 紐のたけ・・・・・・・・・・・この歌の中の子どもたちは、きっと、幸せに育ってるんだろうな、と思う。五月になれば、空高く鯉のぼりが泳ぐ。それは「うちには、男の子がいますよ。」という喜ぶ親や祖父母の証。そして、子どもの日には、親が、柏の葉を取ってきて、家で餅をついてくれる。甘いあんこの入った柏餅。日頃、甘いものを食べていない、慎ましやかな生活。でも、子どもの日は、特別。大事な柱に付いた傷さえも、子どもの成長の証と思えば、怒れなくなる親。そんなことを知ってか知らずか、今年も兄が弟の身長を記録する。子どもたちは、その家で生まれ、大きくなって結婚して、親や、祖父母の死を、その家で迎えた。今のように引越しがなかった頃、家は子どもとともに成長した。「子供時代の思い出は、後に大きな意味を持つようになります。無意味なことは一つもありません。音楽や歌はその頃を美しく鮮やかに蘇らせてくれます。」昨日見た、*映画「コーラス」*の監督の言葉。全ての子どもたちが愛情に満ちた家でのびのびと育って欲しいと思う。**映画「コーラス」**時代は第2次世界大戦後の1949年。施設で暮らす、親の愛に飢えた少年たちの物語。決して迎えに来ない両親をひたすらに待ち続け、毎日のように校門の外をじっと眺めている幼い子どもが哀れだった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★5月1日*雨の名前:薬降る(くすりふる)*UP
2005.05.05
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キタ━━━━(゜∀゜)━━━━ッ!!久々のマイブーム、石川丈山。先日、京都の「詩仙堂・丈山寺」に行ってから、詩仙堂の主のことが気になってしかたがない。そこで調べてみました。こんな時、ネットって便利。いろいろ読んだ後、ふと詩仙堂のしおりを見れば、ちゃんとかいてありました。(ノД‘)★石川丈山★天正11年(1583)現在の愛知県に生まれる。石川家は、代々徳川の家臣。丈山も16歳で家康に仕える。33歳の時、大阪夏の陣では、手柄をたてるもこれ以来、徳川家を離れる。「京都で*文人*として朱子学を学ぶも、老母に孝行をするために広島の浅野家に十数年仕える。母が亡くなった後は京都に帰り、59歳で詩仙堂を造り死ぬまでの30年余りを暮した。」とパンフレットにはあるけれど、「武勇にすぐれ儒学を修めた丈山のもとには、諸大名からも、いくつかの引き合いがありました。36歳のとき、本多出羽守のすすめで、はじめて紀州の浅野侯に仕えましたが、わずか数カ月で京都に帰ってしまいます。その生活は苦しく、老母を伴いながらも、また悠々自適な生活を送りました。」という方が丈山らしいので、こっちを信じよう( ̄m ̄*)彼の暮らし方は、「清貧の中で賢者の教えを自分の勤めとして、寝食を忘れて楽しんだ」という。彼は今で言うところのオタク。徳川家を離れて、文人になるなんて、今の世の中だったら、大企業に勤めるエリート社員をやめて、詩人になるようなもん(例えが変)。でもただのオタクではなく、才能があるオタク。書や漢詩の大家で、庭も造り、文人茶の開祖でもあった。また、生涯、独身でとおしたというところも、やっぱりタダモノではない、オタクのにおいを感じる。石川丈山、オタク道、まっしぐらって感じ!!**文人**書や漢詩などを職業とする人。■□■テレビしびれて■□■★anego・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★5月1日*トリビアの井戸:鯉幟は、なぜ屋根より高いのか。*UP
2005.05.04
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「京都、行こう」という友人T子とM子の誘いに、行ってきました。行き先は、どこでもいいと言うので、私が前から行きたかった「詩仙堂」に。詩仙堂は、京都に住む、「おしゃれ手紙」の相棒、浜辺遥嬢が以前、「京都に友人が来たら、絶対に案内するのがここ」と言ってたところ。京阪、出町柳駅から、叡山電鉄、一乗寺駅下車。しばらく歩いて、もう少しで見逃すところでした。そのくらい、小さな、ひっそりした門。私は、この門に一目ぼれ。ワクワクしながら中に入ったのですが、ワクワク感を裏切らない、藁葺きの、ワビ、サビな建物。「詩仙堂」は正しくは、「凹凸カ(おうとつか)」。でこぼこの凹凸のあるところに建てられた住居という意味。1641年(寛永18)石川丈山という人が自ら作って、90歳でなくなるまでここに暮したんですって。漢詩の大家だった丈山の勉強部屋、四畳半の詩仙の間に、狩野探幽筆の中国の36詩仙の肖像を飾ってあるのですがここから詩仙堂の名前がつきました。詩仙堂の庭からでも部屋からでも水の音が聞こえます。時おり、「かーん」という猪を脅すための「鹿おどし」の音。この「鹿おどし」は丈山が考案したとか。花と緑の視覚を楽しんで、耳まで楽しむ庭。閉館を知らせる拍子木の音がするまでいました。■詩仙堂■■場所:京都市左京区一乗寺門口町27:TEL 075-781-2954 ■時間:9:00-17:00:500円 ■交通:市バス5,北5,65、京都バスで一乗寺下り松町下車徒歩5分。 *ここには、昔、チャールズ皇太子とダイアナ妃も来たんですって。写真がありました。*一乗寺のもうひとつの名所?恵文社にも案内しました。ふたりとも大喜び(^-^*)*その後、「おしゃれ手紙」の浜辺遥嬢と合流。11時過ぎに家に。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★5月1日*トリビアの井戸:鯉幟は、なぜ屋根より高いのか。*UP
2005.05.03
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「茶摘」文部省唱歌 夏も近づく八十八夜、 野にも山にも若葉が茂る。 「あれに見えるは 茶摘ぢやないか。 あかねだすきに菅の笠。」・・・・・・・・・・・お茶、大好き。ほうじ茶、番茶、げんまい茶、抹茶・・・。いろんなお茶を飲んでます。ゴーヤ茶なんかも、試してみました。うちの庭のビワの葉、お茶になりますよね。あと、柿の葉、これはビタミンCがたっぷり。私は「シェーグレン症候群」という口が渇く病気なので、お茶は、小さなペットボトルに入れて、持っています。子どもの頃、お茶は、やかんに直接、葉を入れていました。夏になると、ぶんぶく茶釜に出てくるような「かんす」と呼ばれる大きな釜でたいてました。今日は、八十八夜で、茶摘に適しているんですって。昔ながらのいでたちの茶摘が行われたそうです。「この日に摘んだ茶は上等なものとされ、この日にお茶を飲むと長生きするとも言われている。」へぇ~!!■□■テレビしびれて■□■★義経・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★5月1日*トリビアの井戸:鯉幟は、なぜ屋根より高いのか。*UP
2005.05.02
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たとえ窓のそばに一株のテンジクアオイすら、一株の*カイソウ*すら植わっていないでも、わたしたちはみんな、先祖から農夫の血を若干うけついでいる。「園芸家12ヵ月*5月の園芸家」カレル・チャペック・・・・・・・・・・・・・・・・**カイソウ**南欧、シチリア、熱帯アフリカなどの海岸の砂丘に自生するハマユウににたユリ科の大きな球根植物。・・・・・・・・・健康のためにとニュージーランドでブルーベリーのジャムをしこたま買って来た夫。帰ってからは、ブルーベリーの苗を買って来て、(しかも4本も!)2本を夫の実家に植え、2本をうちで育てることにした。以来、毎日、水をやっている。ブルーベリーは、酸性を好むと知るや、かける水も酸性。(アルカリイオン水の水の反対側を溜めている)。雨が続けば、傘を鉢にかけている。水をやりすぎると、根腐れがおきると言って・・・。これまで、なんにもやったことがなかったのに、えらい進歩。農夫のDNAがよみがえったとしか思えない。今日は庭の手入れをしようか、映画「コーラス」を見に行こうか・・・。ハムレットみたいに迷ってます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★5月1日*トリビアの井戸:鯉幟は、なぜ屋根より高いのか。*UP
2005.05.01
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