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9月の俳句のお題は、「新米」だった。このところの米騒動が俳句にも表れていて、面白かった。ところで、なぜ米不足になったのだろう?農林水産省が集計した「民間在庫」は、2024年6月末時点で、156万トンと去年よりも20%減って記録を取り始めた平成11年以降では最も少なくなっている。その理由。①新潟や秋田など日本海側の主要な産地で、2023年産のコメの収穫量が夏の猛暑などの影響によって減少。②コロナ禍からの回復で外食などの需要が伸びたことや外国人観光客が急速に増えてコメの需要が伸びている。③円安などで小麦の輸入価格が上がり、「パン」や「麺類」の価格の値上がり。 句会に来ていた女性が「米不足は、南海トラフ地震が関係しているらしい」と言っていた。来るべき地震に備えて、食べ物を家庭でも備蓄するという家が増えたかららしい。さもありなん・・・と私は感心した。 新米や菜(さい)は漬物だけでよい はるな■2024年9月に見た映画■*お隣さんはヒトラー*ブルーピリオド*ボストン1947*熱烈*チャイコフスキーの妻*孤独な楽園*本日公休■書き残したネタ■*マ行とバ行*能登の町が復興する時、考えて欲しい町づくりについて。*ダウンタウン松本氏のスキャンダルについて*M12023について。*淀殿について*長堀川と橋*アフリカで日本の古着が環境破壊!?*トグサ(研ぐさ)*「篩(ふるい)」と「とおし」*レッドオーシャン、ブルーオーシャン*高師浜*読書ネタ・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.09.30
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●生国魂(いくたま)さんから●生国魂(いくたま)さんから いちびりが日本橋へ *にんにゃかし*1三休橋で散在し心斎橋筋 しぶちんし高津(こぉず)へ戻って *ごちょォならべ*2路地(ろぉじ)で拝む六地蔵なんば とんぼり なにわ寄席 橋筋(はっすじ)ひやかし *半助*3買(こう)て久左衛門町で*九人歩き*4十より百より せんねん町まんまく張って おさめまひょ「大阪ことばあそびうた」島田陽子*にんにゃかし*1賑やかし。大阪の言葉には、こういう言い方がある。例えば、なにわ橋=なんにゃ橋*ごちょォならべ*2五目並べ。この言葉は、私もはじめて知った。■*半助*3■『半助』とはうなぎの頭。関西ではうなぎの頭のことを『半助』と呼びます。関東では捨ててしまううなぎの頭ですが、関西では頭がついたまま焼くので、頭の部分からもダシが出るためまとめて売っていました。うなぎ全部を売り物にするあたりはさすが商人の町ですね。 *九人歩き*4千鳥足。あっちへ寄ったり(四人(よったり))、こっちへ寄ったり(四人(4人))本人を入れて九人歩き。シャレ言葉、白犬のおいど:面白い(尾も白い)のような言い方。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.09.28
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今から65年以上前、私は、岡山県の田舎で小学生だった。貧乏だったし、テレビもラジオもなかったけれど、楽しく暮らしていた。それは、話好きな父と明るく陽気で、歌の大好きな母のおかげだと思う。 話好きな父はいろんな話をしてくれた。そんな中に、明治の外交官・小村寿太郎の話があった。「小村寿太郎は、頭のええ人でなぁ」と父は話はじめた。「しゃあけど、背がものすごう低かったんじゃ。」寿太郎は、成人しても150㎝にも届かないほど小柄な人だったようだ。「小柄な寿太郎に対して、西洋人が馬鹿にしていうんじゃぁ」と父の話は続く。「小村さん、日本にゃあ、あんたのように背の低い人ばかりなんですか?」と西洋人は、小村に言ったと父の話は続く。「そこで、小村寿太郎は言(ゆ)うた。 いや、日本にも体の大きい奴はいる。いるにはいるが、体の大きい奴は、両國ゆうとこに集めて相撲をとらしょうる。」ここで父は大笑いをする。つられて、私も笑うのだった。 あらゆる方面に顔を出し、絶えず動き回る小柄な小村を、欧米の外交官たちは "rat minister"(ねずみ公使)と呼んだという史実もある。日本では、体格が小柄で身なりも貧相、毒舌で周囲から変わり者呼ばわりされてきた小村が外交官となるのを反対する声も多かったという。父の話てくれた小村寿太郎の話は、事実だったのだろうか?先日、あるタレントが他人を揶揄する発言をし、テレビのCMをおりるなど大きな問題になった。いわれた方は、何も返すことが出来ない「タレント」だった。ちなみに「タレント」というのは、才能、あるいは才能がある人を指す言葉をいうのだが・・・。小村寿太郎のように、相手をぎゃふんと言わせるような「才能」のない「タレント」だったのだ。この事件で、父から何度も聞いた小村寿太郎の話を思い出した。話の後、父は「背の高いのは、ええことじゃなぁ」と笑いながら言った。明治45年生まれの父も、小柄な人だった。★小村 寿太郎★1855年10月26日(安政2年9月16日) - 1911年(明治44年)11月26日)。、日本の外交官、政治家。外務大臣、貴族院議員(侯爵終身)などを務めた。イギリス・アメリカ・ロシア・清国・朝鮮(韓国)の公使・大使を務め、特に2度の外相時代には日英同盟の締結、日露戦争後のポーツマス条約の締結、条約改正の完成(関税自主権の完全回復。治外法権は陸奥宗光が改正)などの業績をのこし、近代日本外交を体現した人物として知られる。 日向国飫肥藩の下級藩士に生まれた小村は、病弱で一五〇センチに満たない身長、非藩閥出身と恵まれない出自ながら、第一回文部省留学生としてハーバード大学に留学。抜群の語学力と高い交渉能力を身につけ、日本を「一等国」に引き上げた。帝国主義と国際協調の間を巧みに動いた外政家。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.09.26
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■本日公休■いつもどうりで?いつもどうりで。台中の下町で40年にわたり理髪店を営む店主のアールイ(ルー・シャオフェン)。今日も、いつものように店に立ち、常連客を相手にハサミの音を響かせている。息子の卒業式に出席するために整髪にやって来る紳士、夢枕に立った亡き妻に「髪は黒いほうが良い」と言われ、初めて白髪染めにやって来る老人、親に内緒で流行りのヘアスタイルにして欲しいと懇願する中学生……、時が止まったように見える店も、泣いたり笑ったり忙しい。 3人の子どもたちは、すでにそれぞれの道を歩んでいるが、アールイの心配は尽きない。台北でスタイリストをする長女シン(アニー・チェン)、街のヘアサロンで美容師をする次女リン(ファン・ジーヨウ)、一攫千金を夢見て定職に就かぬままの長男ナン(シー・ミンシュアイ)。皆、実家の店にはなかなか顔を見せず、頼りになるのは、近くで自動車修理店を営む次女の別れた夫チュアン(フー・モンボー)だけ。そんなある日、アールイは店に「本日公休」の札を掲げ、愛用の理容道具を携えて、古びた愛車で出発する。偶然実家を訪れたシンは、母が店を休んでいる理由をナンやリンに聞くが、誰も知らない。スマホは食卓に置きっぱなしで連絡も取れず、3人は母を案じていた。その頃アールイは、遠くの町に住む常連客が病床にあると聞き、出張散髪に向かっている途中で……。★フー・ティエンユー監督が、自身の母をモデルに、台湾中部の町・台中にある実家の理髪店で撮影した。理髪店は2階建てで、二階のベランダに植えている木に南国っぽい花が咲いていて綺麗だった。★都会には、沢山の理髪店があって、値段や家からの距離、美容師との相性などでいくらでも変えることが出来る。しかし田舎だと、決まった所に行く。行けば、誰かが来ていて、話をする。この理髪店は、髪の毛を切るだけのところにあらず。常連さんが集うみんなのサロンになっている。変わらないハサミの音、シャボンの香り、ここは、アールイさんのちいさな理髪店。そしてみんなの憩いの場所だ。★台湾、いいなと思う映画だった。★この映画を観たのは、大阪市心斎橋のアメリカ村にあるシネマート心斎橋。2024年10月24日(木)をもって閉館する。アジア映画に特化した映画館で、閉館するのがとても残念だ・・・。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.09.24
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■東慶寺花だより■■内容紹介(出版社より)■女たちの「駆け込み寺」を描く、涙と笑いの人情譚離婚を望み、寺に駆け込む女たちーー。夫婦の揉め事を解きほぐすと見えてくるのは、人の切なさ温かさ。十年をかけて紡がれた連作集。寺の境内に身につけているものを投げ込めば、駆け込みは成立するー離婚を望み、寺に駆け込む女たち。夫婦のもめ事を解きほぐすと現れるのは、経済事情、まさかの思惑、そして人情の切なさ、温かさ。鎌倉の四季を背景にふっくらと描かれる、笑いと涙の傑作時代連作集。著者自身による特別講義を巻末収録。■目次(「BOOK」データベースより)■梅の章ーおせん/桜の章ーおぎん/花菖蒲の章ーおきん/岩莨の章ーおみつ/花槐の章ー惣右衛門/柳の章ーおせつ/蛍袋の章ーおけい/鬼五加の章ーおこう/白萩の章ーおはま/竹の章ー菊次/石蕗の章ーおゆう/落陽の章ー珠江/黄蘗の章ーおゆき/蓼の章ーおそめ/薮椿の章ーおゆう 夫婦の形は様々。離縁の形も様々。相思相愛なのに、自分の持参金を使ってもらいたいがために離縁を望む妻もいれば、道場破りをしてそのまま居付いた押し掛け亭主への仇討を果たす女性もいる。 ●東慶寺掟●●一、寺の境内に身に着けているものを投げ込めば、駆け込みは成立する。日本橋から鎌倉までの距離は約50km。ちょっと買い物を装い、そのまま鎌倉を目指した女性が約3,000人いたという推計があるそうです。気が付いた縁者が追い駆けてくるかもしれないので、わき目もふらず鎌倉を目指す。あと少しで東慶寺というところで、親類に追いつかれてしまうことが多かったのでしょうか、かんざしでも草履でも身に着けているものを境内に投げ込めば駆け込みは成立。 ●一、夫婦は寺の前にある柏屋、松本屋、仙台屋の三軒の「御用宿」に分宿して「相対熟談」を受ける。でも、直ちに入山できる訳ではない。まずは御用宿で事情聴取がある。次に夫を始めとする縁者を招集して、相対塾談が行われる。宿が三軒あるのは、夫と妻を同じ宿に泊めないことから。関係者を書状で集めるために、三軒の宿が六人の飛脚を「常雇い」している。 ●一、妻は二十四か月、寺で過ごすと、離婚が成立し、再婚も認めらられる。まずは示談をさせようとする。示談が不調に終わり、夫が離縁を承認しない場合は妻は東慶寺に入山する。2年間東慶寺に籠ると、離婚が成立する。東慶寺は男子禁制で、入寺金と生活費の扶持料が必要。入寺金が払えない時は東慶寺が貸付けて、下山後に返済させる。扶持料に応じて寺内での暮しに3段階の待遇があったそうです。お寺での暮しも金次第。●一、寺は男子禁制で、男の駆け込みは認められない(が、時には例外も・・・)東慶寺は鎌倉で円覚寺に次ぐ第二の寺格で、駆け込み寺の運営のため金貸し業も行っていたそうです。御用宿の柏屋を舞台に様々な駆け込み人が来ることで物語は展開しますが、様々な駆け込み人やその縁者と接することで、主人公の信次郎は人を見る目を肥やして行きます。●読書メモ●●この本の語り手は、若く、「物書き」、「医者見習い」、「柏屋」の見習い番頭をしている。●丸髷は富裕の度合いを測る物差し。丸髷が大きければ富裕層。●東慶寺の駆け込みは、朝方と相場が決まっている。午後遅く江戸を出て、夜通し鎌倉を目指すと朝方に着く。●本が売れて千部以上刷ると「千部振舞(せんぶぶるまい)」といって、版元が作者を吉原へ招いて、どんちゃん騒ぎをしてくれます。●乳母日唐傘(おんばひからかさ)*私は乳母日傘(おんばひがさ)という言い方しか知らない。●親子は一世、夫婦は二世、主従は三世、間男は四世、そして男と男の契りは五世の仲といいます。●献残屋(けんざんや)は、世間にあまり知られていない商売で(略)。この献残とは「献上品の残り物」という意味。御大名、御旗本、御家人衆にはそれぞれ官位叙任やお目見えや家督相続といっためでたい節目がある。町方でもお中元やお歳暮という儀礼がある。その際には、熨斗鮑(のしあわび)、干魚(ひもの)、昆布、葛粉、片栗粉、唐墨(からすみ)、海鼠腸(このわた)、雲丹(うに)、墨、硯、筆といった贈答品が江戸の町町を飛び交い、貰った方はどなたも持て余す。そこで不要な贈答品ををこっそり献残屋に持ち込み金に換える。●髪を短く切って断髪にさせ、生臭さものは、むろんのこと、にんにく、ねぎ、にら、あさつき、らっきょの五辛を断つ。●東慶寺に入山する時には、三つに格付けされる。入山時に十両、二十両を納め、さらに寺に三十両の扶持米を納めた上臈(じょうろう)。上臈ほどの金はないが、いくばくかの金を積んだもの。一銭も納めないもの。寺での暮らしが違う。●大根の卸し金を並べた屋台がが多いのは、初午が新しい卸し金の使い初めの日ときまっているから(略)。●駆け込み人は髪を切り下ろすのがきまり、その髪を買いとるのが、かもじ屋の仕事である。■神奈川県鎌倉市東慶寺■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.09.23
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■孤独な楽園■私の愛を見つけてください。新連載のスタートが控えている人気小説家の津島耀(青柳翔)はスランプに陥り、原稿用紙は白紙のまま時間だけが過ぎてゆく。母に棄てられ、厳格なクリスチャンの父を自死で亡くして心に傷を負っている少女あやめ(大坪あきほ)は、過干渉の叔母に育てられ、島の工場で働きながら変化のない日々を送っていた。ある日、外国人の同僚から依頼され、あやめは1通のラブレターを書く。「私の愛を見つけてください」。その手紙を偶然目にしたのは、津島だった。出会うはずのない2つの人生が交錯したその先に、楽園は見つかるのだろう穏やかな海を望む静かな町で、流れ着いた言葉が楽園の門をひらく。スランプに陥った小説家がある一通のラブレターを偶然目にしたことで、出会うはずのなかった2つの人生が交差していくヒューマンドラマ。人間存在の不条理、愛とは何か、家族とは何かをテーマに描く。母親に棄てられ、最愛の父の自死に傷ついた少女あやめを演じるのは映画初出演にして初主演を射止めた大坪あきほ。苦悩する人気小説家・津島耀に青柳翔(劇団 EXILE)。キリスト教信者で心優しいあやめの父に忍成修吾、津島を支える女性編集者に三戸なつめ、呉服屋を経営するあやめの叔母に有森也実。監督は「アジアの純真」(2011)「たとえば檸檬」(2012)「いぬむこいり」(2017)「天上の花」(2022)の片嶋一貴。「たとえば檸檬」で脚本に携わった吉川次郎と久々にタッグを組み、登場人物が抱える孤独を炙り出す。★映画メモ★この映画、幸せでない人ばかりが出てくる。★主人公の少女あやめ(大坪あきほ)母親が家を出て、父親が自殺、叔母に育てられている。思春期になって、どうにもやるせない気分を性的な冒険に逃げ、それを父親に告白。敬虔なクリスチャンの父親は、激しく動揺し、自殺。父親の自殺の原因のひとつは、あやめにある。幼い頃の母親の家では辛かっただろう。思春期の気持ちも分からなくもない。しかしそれを何とか我慢して、乗り越えなければ・・・。★小説家・津島耀(青柳翔)スランプに陥った小説家。私は、小説家や漫画家になる人は、溢れるアイデアがある人でないといけないと思っている。はじめて書いた小説がたまたまいい出来で、それで小説家になる人がいるが、後が続かない。スランプなどという言葉で書けないことをあらわしているが、スランプではなく、才能がないのだろう。才能の無い人が小説家になったら不幸になる。 漫画家・手塚治虫は、死ぬ間際まで漫画を描いていて、最後は、背景も描いていない状態でもなお描いていた。「アイデアは売るほどあるんだけど・・・」と病床にあって言っていたそうだ。 昭和を代表する作家・松本清張は、書きすぎて、腕が痛くなり、口述筆記で作品を作っていたそうだ。★自殺した父親。敬虔なキリスト教信者。医療施設がなかったりした時代だったら、神や仏にすがるのも分かるが、なぜ今の時代に宗教なのか?また、キリスト教では、自殺は禁止されているんじゃなかったのかな・・・?★家庭を棄てた母親。突然、家を出ていくのは、なぜ?夫に不満があるなら、はっきりと言って、離婚して出ていくべきだろう。なんか、後味が悪い。不可解なことも沢山ある。少女・あやめの同僚の女性は、外国人。彼女は、なぜあかりにラブレターの代筆を頼んだのか?なんか、彼女は頼まれたっぽいのだけれど、頼んだ人は、何の目的があったのだろう?そのラブレターを小説家の津島耀(青柳翔)になぜ送ったのだろう?少女あやめを演じる大坪あきほの顔が淋しい系で魅かれた。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.09.21
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■チャイコフスキーの妻■旋律から戦慄へロシアの天才作曲家ピョートル・チャイコフスキー。かねてから同性愛者だという噂が絶えなかった。彼は、恋文で熱烈求愛する地方貴族の娘アントニーナと、世間体から結婚する。しかし女性への愛情を抱いたことがないチャイコフスキーの結婚生活はすぐに破綻し、夫から拒絶されるアントニーナは、孤独な日々の中で狂気の淵へと堕ちていく…。 女性の権利が著しく制限されていた19世紀後半の帝政ロシアを背景に、チャイコフスキーが同性愛者だったという、ロシアではタブー視されてきた事実を明確に描く。夫婦間の知られざる真実に迫る本作は、第75回(2022年)カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、名だたる批評家たちの賛辞を獲得。絵画的な映像美や流麗なカメラワークなど、型破りなまでに刺激的な映像世界も話題を呼び、フランスでは17万人超を動員する大ヒットを記録した。ロシアの天才作曲家チャイコフスキーの妻アントニーナの実像を、史実に従いながら大胆な解釈を織り交ぜて描く伝記映画。盲目的に夫を愛する彼女は、孤独な日々の中で狂気の淵へと堕ちてゆく。★映画メモ★★夫婦で写真を撮るシーンがあった。当時の写真は、長い間動かないでいなくれはならないので、首を支える道具が後ろに置いてあることを知っていたが、実際に使っていた。★妻アントニーナは、本当に夫チャイコフスキーを愛していたのだろうか?年も離れているし、妻を嫌っていて、夫婦として成立していないのにどうして、いつまでも妻の座にしがみつくのだろう。夫側からは、弁護士を立てて、離婚を迫っているのに・・・。有名人の妻ということでしがみついているのなら、こんなに両方ともが不幸なことはない。★アントニーナは、チャイコフスキー以外の男の子どもを何回か産んでいる。男の子には、チャイコフスキーの名をつけているのは、怖い・・・。★女性のコルセットは、よく見るし、今回の映画にも出てきた。しかし、男性が、コルセットのようなものを上半身につけていたのは、姿勢をよくするものだろうか?★チャイコフスキー役の男性は、1984年10月5日、アメリカ、ミネソタ州ダルース生まれ。モスクワ芸術座付属演劇大学で演劇を学ぶため、20歳でロシアに渡り、優秀な成績で卒業する。英語圏の人がロシア語をすらすらと話すのは、すごい!!!・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.09.19
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■坂の上の雲■日本が近代国家へと歩み始めた明治時代、伊予国(現在の愛媛県)・松山に3人の男がいた。後に連合艦隊参謀として日本海海戦の勝利に貢献する秋山真之、その兄で日本騎兵の父となる好古、俳句・短歌の中興の祖となった正岡子規。彼らはただ前のみを見つめ、明治と言う時代の坂を上ってゆく。NHKドラマ、「坂の上の雲」の再放送を楽しみに見ている。9月18日(火)は、主人公・若き秋山真之と正岡子規が英語の勉強をしているシーンが出てきた。その英語教師は、2.26事件で殺害された高橋是清。高橋是清の一生は、壮絶だ。「坂の上の雲」でも、高橋本人が言っていたが、アメリカで奴隷になった!!*慶応三年、14歳のとき、藩からアメリカ留学を命ぜられ渡米。*アメリカで、50ドルで奴隷として売られるが、本人は、その事を知らず、家事を手伝いながら奴隷であると知り驚いた。*奴隷の身から抜け出すために四苦八苦する。なんとか奴隷の身から抜け出すことが出来た。*実母は、画家の屋敷に勤めていて、その家の主人との子、是清を生んだ。*是清が生まれると、金子二百両と衣服調度を贈り、画家とは縁が切れた。*生まれてすぐ、足軽・高橋是忠のもとに里子に出され、三つの時、実子として届け出た。*是清の周りは、好人物ばかりだった。 実父(画家)とその妻、養父母、養祖母。その後、アメリカに留学。*幕府瓦解の報を聞いて帰国。■「坂の上の雲」より■ ここまででも、小説が出来る。しかしまだまだ彼の人生は、2.26事件で亡くなるというものすごい人生。波乱万丈である。この時代って、本当にすごい時代だったんだと思う。「坂の上の雲」が楽しみ♪・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.09.17
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■老いのこみち■自分一個で生きる自由・日溜りで物思う贅沢・その日最初の酒のうまさ・老年の自由の活用・リサイクルという発想・年月が育む深い慈愛・自分用の唐詩選・自然にして病を治す・・・・・年を取ったからこそわかる、よろこびがある。中野流『老年の美学』の決定版。 今週は、敬老週間だ。後期高齢者の私は、「老人」「老い」というタイトルを見るとつい手に取ってしまう。●読書メモ●●老人にだって年齢にふさわしい美しい姿があるはずで、先年亡くなられた女優の沢村貞子さんなどは、さしずめそういう美しい老人の一人だったろうとわたしは想像している。*中野翠も素敵な老人に沢村貞子をあげていた。●老年がいつまでも若ぶるのは見ていていいものじゃない。老年が青春を演じようとすると老年は卑しいものになる。老いを受け入れない老人は醜い。「徒然草」の中に「大方、聞きにくく、見苦しき事、老人(おいびと)の、若き人に交わりて、興あらんと物言ひいたる。」とある・・・(略)●空襲で街の建築のほとんどが破壊されたニュルンベルグや、元東ドイツのドレスデンでも、再建にさいしては、再建委員会が厳密に昔の街の景観を再現するように努力する。古地図を取り出し、古い都市図や写真を能うかぎり探しだして、建物の恰好、建築方法、素材、周囲との調和などをきめ、たとえどれほど手間と費用がかかっても昔ながらの街並みを再現するのである。↑*クロアチアの有名な観光地、ドブロブニクも、内戦で傷つけられ、世界遺産を取り消されそうになった。しかし、壊された町並みを見事に作り直している。↑瓦の色で新旧がわかる。■ドブロブニク■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.09.16
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■清張さんと司馬さん■■内容説明■数多の名作で、昭和史そして戦後社会のあり方に立ち向かった二人の巨人、松本清張と司馬遼太郎。編集者として間近に接した著者が語る文豪の等身大の実像。■目次■1■二人の文豪と私/2■社会派推理小説の先駆者として3■古代史家としての清張さん/4■時代小説から歴史小説へ5■『坂の上の雲』から文明論へ/6■巨匠が対立したとき7■司馬さんと昭和史/8■敗戦の日からの観想9■清張さんと昭和史/10■『日本の黒い霧』をめぐって11■司馬さんの漱石、清張さんの鴎外/12■司馬さんと戦後五十年を語る★著者等紹介★半藤一利[ハンドウカズトシ]1930年、東京生まれ。1953年、東京大学文学部卒業。同年、文芸春秋入社。以来『週刊文春』『文芸春秋』各編集長、出版局長、専務取締役等を歴任。1993年、『漱石先生ぞな、もし』で第十二回新田次郎文学賞を受賞。1998年刊の『ノモンハンの夏』(文芸春秋)では、第七回山本七平賞を受賞した。考えてみると、ほんとうにいちばんいい時代に編集者であったようです。昭和三十年代から四十年代は、「清張さんと司馬さんの時代」でありました。そのとき、この二人の作家と、ときには怒られながらも、親しく話を交わせるという幸運に浴したのですから。あとがきより。 映画■「90歳何がめでたい」■を見て、作家と編集者のことをちょっとネットで調べたら、作者の半藤一利が松本清張と司馬遼太郎の担当編集者だったことを知った。そして、図書館で「清張さんと司馬さん」という半藤一利の作品を発見!!さっそく読んだ。●メモ●*は、私のメモ1■二人の文豪と私■★司馬(略)司馬さんが会う人の出自をかならず聞く人であること、苗字から出身をあてる特技をもっていることもわかりました。風土と人間の関わり合いに深い関心をもつ、いかにも歴史好き、かつ地理に詳しい司馬さんらしい質問と思いました。★清張(編集者が)東大出や官立大学出身と聞くと、ウヒヒヒとなる。(略)われこそエリートなんて顔をしている連中の鼻っ柱をポキっと折るのを無情の愉しみとしていた。★司馬古今東西、神羅万象、人生百般知らぬことなく、説ききたって倦むことを知らない、といった方です。話すことを最高のリクリエーションとする(略)*さすが、大阪人。4■時代小説から歴史小説へ■●司馬ある人間が死ぬ。時間がたつ。時間がたてばたつほど、高い視点からその人物の人生を鳥瞰することができる。いわゆる歴史小説を書くおもしろさはそこにある。5■『坂の上の雲』から文明論へ■●司馬(略)つまり、こまごまとしたエピソードやゴシップまで、文献にあたり専門家に尋ね、納得ゆくまで調べあげる。「海軍軍人の袖には、なぜ金筋が入っているのか」「海軍の音楽隊の人は、闘争中は何をしているのか」そんなことまで調べあげる。「連合艦隊が鎮海湾を出ていくときの命令は何だったのか」●司馬「空を見ても、川を見ても、山を見ても、ああ美しい、いい国に生まれたなという思いを、子供たちに残す。それが私たちの義務というものじゃないか」●(古書店主人が)半ば呆れながら語ってくれたそうです。「とにかく関係するものは残さず集めてくれ、とおっしゃっるのです。竜馬自身のものでなくても、竜馬が各地方へ足をのばした場合の、その地方の郷土史だとか、会った人の家族の関係だとか、そういうものを何でもいいから集めてもらいたい、と注文をされたといいますよ」それで「竜馬がゆく」ですと、およそ三千冊、重さにして一トン。金額は昭和三十年代当時で一千万円であったというのです。ちなみに昭和三十五年のわたくしの月給は二万円ちょっとであったと記憶しています。8■敗戦の日からの観想■●司馬外国から都市美観のえらい先生方が来られたとき、貝塚茂樹さんが京都を案内して清水坂に行ったときのことです。「これはすばらしい美観だ」といって外国の先生方がほめた。「もっとも、電柱がいけないね」ということになった。そのとき貝塚さんは少しも騒がず、「いえ、日本人には見たくないものは見ないという特技がある」と(笑)12■司馬さんと戦後五十年を語る■●司馬昭和二十五年だったと思いますが、天皇さんが舞鶴方面に巡幸された時に、僕は京都支局にいましたから、二日か三日くっついて歩きました。水産試験場で、京都府知事の蜷川虎三(にながわとらぞう)さんの説明を聞き終わった天皇さんがお礼を言って振り向いた時に、僕は後ろにいたものですから、衝突したことがある。これは、もういい社会です(笑)。*天皇に対して、「天皇さん」というのは、関西弁。関西は、「様」ではなく「さん」よび。天神様ではなく、天神さん。*この時、司馬は、27歳だと思う。その若さで、支局を代表していたのか。そうとすれば、やっぱりすごい。*京都府知事の蜷川さんって、その頃から府知事をしていたのか。●司馬日本は思想といのものは、常に海外にあると思って(略)平安朝には仏教を持ってきた。鎌倉時代は無思想で、現実の土地問題のみをやった。江戸時代は儒教の時代。明治も(略)常に海外にあった。だから戦後も向こうにあるものを持ってきて(略)。■あとがき■●それに編集者時代のことは秘しておくのが礼儀なりと思っている。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.09.14
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■熱烈■心で踊れ!ブレイキンプロダンスチーム「感嘆符!」は、社長の一人息子である“カリスマダンサー”=ケビンが練習にも出ずやりたい放題。コーチ(ホアン・ボー)も形だけで口を出せず、チームは振りだけの代役を探さなければいけない状況に。コーチはかつてオーディションを受けた青年、陳爍(ルビ:チェン・シュオ)(ワン・イーボー)のことを思い出す。陳爍は全国大会優勝の夢を持ってチームに加わり、仲間たちと練習を続け友情を築いていく。だが全国大会を目前に様々な試練が降りかかる。果たして「感嘆符!」は全国大会に出場し、勝利することができるのだろうか…。本作でワン・イーボーが披露する「ブレイキン」は、パリオリンピックで正式種目として認定された最注目の競技である。1970年代のニューヨーク、サウスブロンクスで若者たちの縄張り争いから生まれたブレイクダンスが発祥とされ、やがて「暴力ではなく音楽で解決する」という提言で「踊るバトル」=「ブレイキン」という形式が誕生。今や日本の競技人口は30万人ともいわれており、熱視線が向けられている最も目が離せないスポーツである。パリオリンピックでは日本人選手のメダルも期待されている。 NHK教育テレビの「世界サブカルチャー史」という番組が好きで毎回みている。その中で、「ヒップホップ」という言葉の中で、ブレイクダンスが取り上げられていた。 ヒップホップとは何か、との定義から始めよう。ヒップホップはニューヨークのブロンクスのアフリカ系アメリカ人が生み出した、ブラック・カルチャーのひとつである。より正確に書くと、黒人が始めた音楽ジャンルおよびそれを中心にした文化、ムーヴメントだが、文化を送りだす側のプレイヤーと聴き手は肌の色は問わない。いま現在、インターネットが日常的に使用されている地域で、ヒップホップが聴かれていない場所も、その地域に根ざしたラッパーが存在しない場所も、まずないだろう。 4大要素とヒップホップの定義ヒップホップには「4大要素」がある。ラップ、DJing(スクラッチ)、Breaking(ブレイクダンス)、Writingとも呼ばれるグラフィティがそれを指す。スタート時点から、喋り、サウンド、ダンス、絵画とさまざまな表現が入った総合芸術なのだ。 この4つの要素を視覚的に理解するために、もっともわかりやすいのが映画『ワイルド・スタイル』(1982)だろう。 ストーリーは、王道。知らない俳優が主役だったのが、リアルっぽかった。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.09.13
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■ボストン1947■「私たちが望むのは、祖国の国旗をつけて走ることです」1936年、ベルリンオリンピックのマラソン競技において、日本は世界新記録を樹立、金メダルと銅メダルを獲得し、国民は歓喜に沸いた。しかし、その2個のメダルには秘められた想いがあった。日本代表としてメダルを獲得したソン・ギジョンとナム・スンニョンが、日本名の孫基禎と南昇竜として表彰式に立ったのだ。第2次世界大戦の終結と共に、彼らの祖国は日本から解放されたが、メダルの記録は日本のままだった。1947年、ボストンマラソン。その二人がチームを組み、才能あふれる若きマラソン選手を歴史あるボストンマラソンに出場させる。<祖国の記録>を取り戻すために—。 祖国への想いを胸にマラソンに挑んだ実話に基づくヒューマンドラマ。ベルリンオリンピックで日本代表としてメダルを獲得したソン・ギジョンとナム・スンニョン。終戦後、彼らは祖国の記録を取り戻すため、才能溢れる若き選手をボストンマラソンに出場させる。大二次世界大戦後までの日本は、本当に中国や朝鮮に対して、とんでもないことをしていた。この映画は、朝鮮人を日本人としてオリンピックに出場させ、彼らがとったメダルは日本のものとした。 オリンピックは4年に一回だけれど、日常的に朝鮮民族を否定していた。例えば、言葉。日本語を使わなくてはならないかった。 1980年だったか、夫婦で台湾に行ったことがある。その時、北欧の青年が少し一緒にいた。台湾の人が私たちに話しかけ、横にいた北欧の青年が「日本語で言ってるんですか?」と私に聞いた。「そうです」と私が答えると「台湾は、日本の植民地だったんですもんね」と北欧の青年。私は、申し訳ない気がしたのを今も覚えている。 台湾や朝鮮だけでなく、アイヌや沖縄の言葉も日本の標準語にさせた。言葉や名前を日本風にしても、差別だけが残った。これは日本に限ったことではなくて、西欧諸国も同じように感じることがある。たとえば、100m走の選手は、ほとんど黒人だ。しかし、アメリカ国籍が多く、アメリカが強いといわれる。サッカーもまた、ヨーロッパ選手の中に、どうみても白人ではない人の多い事。こんなのを見ていると、国家ってなんだろう?と思う。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.09.11
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キッチンペーパーが切れた。キッチンペーパーを使うのは、てんぷらをしたとき、皿に敷いて油を吸わすために使うくらい。使い捨て感覚が好きではないので、なるべく使わないようにしている。今回買ったのは、竹を原料としている。この竹製というところに飛びついた。そのうえ、無漂白というから、いうことなし。■脱プラスチックのまな板■も竹製だ。 ★グリーンコンシューマーの「グリーン」は、「環境」を意味しています。グリーンコンシューマーとは、地球のことを考えて環境にやさしい買い物をする人のことです。みなさんは普段、買い物をするときに、どういった基準で商品やサービスを選んでいますか? 価格、性能、安全性などももちろん大事なポイントですが、グリーンコンシューマーはこれらに加えて、「どのくらい環境に負荷がかかるか」という点を重視します。このようなグリーンコンシューマーによる消費行動は、「グリーンコンシューマー活動」または「グリーン購入」とも呼ばれています。1.必要以上に買わない2.長く使えるものを選ぶ3.過剰な包装を避ける4.ライフサイクル全体で環境負荷が少ないものを選ぶ商品は、原材料の調達から生産・製造、輸送、利用、廃棄に至るまで、それぞれの過程で環境に負荷を与えています。商品を選ぶ際は、すべての過程での環境負荷を考えることが大切です。*竹は成長が早く、日本にあり、そのため輸入に比べて輸送負荷が低い。また廃棄のさいの負荷も少ない。5.化学物質が使われていない・または少ないものを選ぶ身近な商品や食品の中には、農薬、食品添加物、薬剤などの化学物質が使われているものが多くあります。また、生産・製造や廃棄の過程で、ダイオキシンが発生するものもあります。これらは、環境だけでなく人体にも悪い影響を与えることがあるため、できるだけ少ないものを選びましょう。*無漂白のキッチンペーパーなので、有害物質である塩素化合物の発生の抑制が可能です。6.自然と生物多様性を損なわないものを選ぶ 7.近くで生産・製造されたものを選ぶ生産・製造された場所が遠くであればあるほど、輸送に多くのエネルギーが必要になり、その分だけCO2の排出量も多くなります。できるだけ近くでつくられた商品を選ぶことで、輸送に係るCO2排出量を削減できます。*竹は日本に生えているので材料を輸入などしなくてもいい分、エネルギーやCO2の排出量を減らすことができる。8.フェアトレードなものを選ぶ9.リサイクルされたもの・リサイクルシステムがあるものを選ぶ10.環境問題に取り組み、環境情報を公開している企業の製品を選ぶ■◎地球を救う127の方法◎■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.09.09
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■ブルーピリオド■情熱は武器だ。ソツなく器用に生きてきた高校生・矢口八虎は、美術の授業の課題「私の好きな風景」に困っていた。悩んだ末に、一番好きな「明け方の青い渋谷」を描いてみた。その時に絵を通じて初めて本当の自分をさらけ出せたと感じ、美術に興味を持ちはじめ、のめりこんでいく。そして、ついに国内最難関の美術大学への受験を決意するのだが…。立ちはだかる才能あふれるライバル達。正解のない「アート」という大きな壁。経験も才能も持ってない自分はどう戦う!? 八虎は【自分だけの色】で描くことができるのか。生きている実感が持てなかった。あの青い絵を描くまでは・・・。これは、からっぽだった俺が、初めて挑む物語。 「マンガ大賞2020」を受賞した山口つばさの同名漫画を実写映画化。男子高校生が1枚の絵をきっかけに美術に目覚め、国内最難関の美術大学を目指して奮闘する姿を描く。◆美大受験解説◆八虎が受験に挑もうとする東京藝術大学の絵画科は、日本一受験倍率が高い学科と言われている。現役生の倍率は約200倍で、受かるのは毎年5人ほどで、三浪、四浪は当たり前。十浪して目指す人もいるという。劇中では「ある意味、東京大学よりも受かるのが難しい大学と言えるかもしれない」と表現されるほどの超難関だ。家の経済状況を考えると、私立大受験は厳しい八虎…。志望校を藝大に絞って、七転八倒のチャレンジが始まる。 主人公・矢口八虎のまわりには、いろんな境遇の高校生がいて、それぞれに頑張っている。そんな高校生群像にも見えた。★高校生・矢口八虎(真栄田郷敦)成績優秀で人望も厚いが、空気を読んで生きることに自身も物足りなさを感じている男子高校生。尋常ではない努力家で、美術との衝撃的な出合いを果たしたのちは、東京藝術大学を目指して、邁進していく。★ユカちゃん(鮎川龍二)自分の“好き”について葛藤する、女性的な容姿の八虎の同級生。日本画で藝大入学を目指している。八虎とは犬猿の仲だが、彼が美術部に入るきっかけを作る。★高橋世田介(板垣李光人)美術予備校に入った八虎の前に突如現れる天才少年。勉強も絵の才能も頭抜けている。孤高の存在で、八虎の最大のライバルとなる。コミュニケーションを取ることが苦手で口が悪い。 目的のために頑張れる高校生って羨ましい。高校に入った後で、卒業したらどうなるのか?と考えたことがある・私は、目的などなかったし、あったとしても、親に無理は言えないと思い蓋をした高校時代を過ごした。今だったら、歴史が好きだから頑張ってそういう道に行きたいと思う。 作者の山口つばさは、東京芸大卒だそうだ!!すごい!!だから東京学芸大学の受験が良くわかった。1日目・・・自画像・・・ここで落ちる人がいる。1日目に受かった人が、3日かけて、モデルを描く。受験生は、上手いのは当たり前で、個性も必要。合格のために専門の受験教室もある。受かるのは、数人。一クラスというのではなく、才能のある人のみ。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.09.07
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■お隣さんはヒトラー?■あなたはその隣人を赦すことができますか1960年の南米・コロンビア。第二次世界大戦終結から15年が経過し、巷ではアルゼンチンで逃亡生活を続けていたアドルフ・アイヒマンが拘束された記事で賑わっていた。ホロコーストで家族を失い、ただ一人生き延びたポルスキーは、町外れの一軒家で日々を穏やかに過ごしていた。そんな老人の隣家に越してきたのは、ドイツ人のヘルツォーク。その青い瞳を見た瞬間、ポルスキーの生活は一変する。その隣人は56歳で死んだはずのアドルフ・ヒトラーに酷似していたのだ。ポルスキーは、大使館に出向いて隣人はヒトラーだと訴えるが信じてもらえない。ならばと、カメラを購入し、ヒトラーに関する本を買い込み、自らの手で証拠を掴もうと行動を開始する。正体を暴こうと意気込んでいたポルスキーだったが、やがて、互いの家を行き来するようになり、チェスを指したり、肖像画を描いてもらうまでの関係に。2人の距離が少し縮まった時、ヘルツォークが、ヒトラーだと確信する場面を目撃してしまう…。 映画は、1930年代、ポーランド?だったかで、黒い薔薇を育てるユダヤ人一家が記念写真を撮るところから始まった。言葉は、ドイツ語だったのかな? 次の舞台は1960年の南米・コロンビア。ユダヤ人一家はいなくなり、ただ一人老人・ポルスキーが黒い薔薇を育てながら、人気のない場所で暮らしていた。ユダヤ人の老人・ポルスキー一家は、ヒトラーに殺されたのだった。隣は空き家で、そこに老人が一人、引っ越してくる。そこから、ポルスキーと引っ越してきた老人のバトルが始まる。ポルスキーは、あるとき、引っ越してきた老人がヒトラーだと思い出した。 私は映画を見ながら、沢山の疑問が湧いてきた。★ユダヤの老人・ポルスキーは、ドイツからなぜ南米のコロンビアに引っ越して来たのか?ナチスの生き残りなら、身を隠すために、南米に逃げるというのは、よく聞くが、なんで被害者のユダヤ人が南米にいるのか?★ユダヤ老人・ポルスキーは、何をして生活の糧としているのか?質素な生活をしているとはいえ、全くお金がかからないことはないのに、仕事をしているふうもない。★ドイツ語、スペイン語(コロンビアの公用語)、英語が出てきて、「何語で話しましょうか?」という役人もいた。さすが、移民の国だ。★ボンネットバスや車がかわいい♪ポルスキーのベッドが真鍮で素敵♪やかんもいい形だった。 映画の中で黒薔薇が、いいタイミングで使われていた。最初は、ユダヤ人家族の幸せの象徴として。次に、たったひとり残されたユダヤ老人・ポルスキーが寂しさを紛らすように世話をしていた。最期に、薔薇の花をプレゼントするポルスキー。期待以上にいい映画だった。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.09.06
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今年は辰年ですからと辰=龍の話を書いている。今回は、龍笛(りゅうてき)の話。■龍笛とは■龍笛は七孔の横笛で、笛の長さは約40cm。主に雅楽の唐楽吹かれています。篳篥(ひちりき)とともに主旋律を演奏します。龍笛は「横笛(おうてきorよこぶえ)」と呼ばれることもあり、日本全国各地の伝統民俗芸能などでも使われています。 低い音から高い音の間を縦横無尽に駆け抜けるその音色は「舞い立ち昇る龍の鳴き声」と例えられ、それが名前の由来となっている。同じ運指(指使い)であっても、息の吹き方によって、低音である和(フクラ)と高音である責(セメ)とに吹き分ける事ができる。又、竹製の「本管」は竹の種類や使用年数などで、別の龍笛と音階がズレる事も多い(元々龍笛自体が絶対的な音階で作られたものではない)。 音量を高めるために、管の中に鉛を入れたり、外側を樺や籐で巻いたりするなど意匠が凝らされている。奈良時代の楽人、尾張浜主が龍笛を広めたといわれ、「笛之楽祖」と称えられる。 龍笛は古くから貴族や武将に好まれ、堀河天皇や源義経、源博雅(みなもとのひろまさ)などの、龍笛にまつわるエピソードはいくつも伝えられている。また、清少納言も『枕草子』の中で、「楽器の中では、笛がとても良い」と書いている。 たつ年ですから1■辰巳は天井■2■臥龍梅■3■龍天に昇る■4■釈迦の誕生と龍の関係■5■登竜門と鯉の滝登り■6■リュブリャナのドラゴン橋■7■竜血樹■8■戊辰戦争■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.09.04
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♪チャンチャカ、チャカチャカ、チャンチャンチャン・・・(某国営放送の料理番組の音楽)みなさん、こんばんわ。天地 はるなの■「ごちそうさん歌」■の時間がやって来ました。9月というのに暑いですね。 9月1日は「防災の日」ですが、防災の日を含む一週間を防災週間といいますね。もし、地震や台風などで、電気が使えなくなって食べ物の煮炊きが出来なくなった時のことを考えて、今回は、火や電気を使わない野菜=トマト、キュウリ、ナスビで簡単なおかずを考えてみました。■トマトとクリームチーズのサラダ作り方■■材料■トマト1、クリームチーズ、30g、ドライパセリ少々、オリーブオイル大さじ1、ポン酢・小さじ2砂糖小さじ1■トマトとモッツァレラチーズのカプレーゼ作り方■■材料■トマト1、、モッツァレラチーズ適量、バジルソースモッツァレラチーズの代わりに木綿豆腐をいれてもいいですね。■キューリの酢の物作り方■キューリ、チリメン雑魚、ワカメ、白ごま、塩、酢、砂糖■たたき胡瓜の塩昆布和え■材料(2人前)きゅうり:1本ごま油:大さじ1塩昆布:10g白いりごま:大さじ1■ナスビ■■なすびの塩もみ■材料:ナスビ、塩作り方:ナスビを適当に切って、塩もみする。水分が出たら、搾る。塩辛いのが苦手な方は、さっと洗うといいでしょう。■ナスビのぬかずけ■ナスビを洗って、塩をさっとつけて、ぬか床に入れる。数日で食べられますよ。キューリも同じようにしていただきます。*水茄子の色さえざえと朝の膳 はるな 今回は、トマト、キュウリ、ナスビだけを使いましたが、キャベツ、玉ねぎの常備菜も火を使わない料理があるので調べてみて下さいね。それでは、また、お会いしましょう・・・。♪チャンチャカ、チャカチャカ、チャンチャンチャン・・・。■2020年までのごちそうさん歌■■サバ缶のキムチあえ■■パプリカのマヨネーズ焼き■■たらと白菜で和クアパッツァ■■春キャベツのチョレギサラダ■■揚げなすのヨーグルトマリネサラダ■■厚揚げとキノコの中華風煮込み■■人参とツナのごまマヨサラダ■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村
2024.09.02
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