おしゃれ手紙

2017.10.02
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カテゴリ: 八百八橋散歩



大国橋
大黒橋が初めて架けられたのは、1615年(元和元年)に道頓堀川が開削されてから間もない時期で、江戸時代初期の記録には、橋長42.7m、幅員2.4mの木橋であったとされている。
当時の地図には「なんば橋」もしくは「下橋」と記載されており、「大黒橋」の名称が使われているものは、1703年(元禄16年)発行の『公私要覧』が最古であり、この時期前後に定着したものとみられる。
大黒橋の名称は、木津大国神社(敷津松之宮)の参道に由来する。



なお、 現在当橋の上流側に架かる新戎橋と道頓堀橋はどちらも近代以降の架橋で、江戸時代を通じて当橋上流側の橋は今宮戎神社の参道に由来する戎橋だった。



木津大国神社の参道はまた、西成郡難波村と木津村の集落(現・浪速区元町・敷津西・大国)へ通じる道でもあった。
難波村も木津村も、畑場八か村と呼ばれていた都市近郊型の畑作の村に該当し、当橋付近には青物の朝市がよく立った。
大黒橋をはじめとする畑場八か村の青物市は、公設の天満青物市場との対立を繰り返しながら、やがて木津卸売市場のルーツとなる難波木津市場の開設につながっていった。

1854年(嘉永7年)の安政南海地震では津波が発生し、遡上してきた船が横転し大黒橋で川をせき止め、河口から押し流されてきたものが岸に乗り上げたため、川岸に作った多くの家屋が壊された
と記録されている。




大国町の名前の由来

地下鉄、御堂筋線の「なんば」の隣が「大国町」。
「大国町」これって、同じ!と思って調べてみた。

大国町の名前の由来は
「大国主神社」から、万葉集にも詠われた古くからの街

「大国町」という駅名や地名の由来とされるのが「敷津松之宮」の境内に摂社として建てられている「大国主神社」。
古くから「木津の大国さん」としても親しまれており、徒歩圏にある「今宮戎神社」との両社をお詣りする“えびす、だいこく両社詣って本まいり”という風習もある。
毎年1月に開催される「十日戎(とおかえびす)」には、多くの参拝客でにぎわいをみせる。

駅の周辺に地名として残る「敷津」は、万葉集に詠まれた「敷津の浦」が由来という説もある。
古来の大阪市近辺には海が大きく入り込んでおり、港や砂浜もあったとされるが、その名残が地名にも残っているようだ。
また、大国町駅から東にすぐのところにある「木津卸売市場」は江戸時代の1710年ごろから商売が始まり、1810年に「大阪木津卸売市場」として開設された古くからの市場だ。
近隣の農村で収穫された青物の取引が盛んに行われたという。
しかし、現代の大国町近辺は姿を変えている。




大国橋の隣に、???所を発見!!
道頓堀川の橋

•下大和橋
•日本橋 - 堺筋
•相合橋
•太左衛門橋

::::::::::今回は、戎橋からスタート。
戎橋 ■ ★心斎橋筋・戎橋筋
道頓堀橋 ■ - 御堂筋
•■ 新戎橋(しんえびすばし)



(▲道頓堀リバークルーズから見た大国橋)
•大黒橋
•阪神高速1号環状線

(以降、通称西道頓堀川)
•深里橋 - 四つ橋筋
•浮庭橋

•西道頓堀橋 - なにわ筋
•幸橋
•幸西橋 - あみだ池筋
•汐見橋 - 新なにわ筋
•日吉橋

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Last updated  2017.10.05 22:54:04
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