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今年も大変お世話になりありがとうございました。どちら様もよいお年をお迎え下さい。来年の皆様のご健康とご多幸を心よりお祈りしています。来年もどうぞよろしくお願いします。楽天得男&得子
2006.12.30

メルセデス・ベンツ W120Mercedes-Benz W120製造年:1953年~1957年 現在のEクラスのルーツとなるモデル。欧米では「Ponton」、日本では愛嬌のある形から「ダルマベンツ」と呼ばれ親しまれた。 メルセデス・ベンツとして世界初のモノコックボディを採用した。これは「頑丈なだけのボディでは、乗員や衝突相手に大きな被害を与えてしまうので、激しい衝突時に車体を部分的に潰れやすくすることで衝撃を吸収し守る」という発想で作られたものである。このW120型が採用したモノコックボディは、その後の世界の自動車の安全の基本となっている。その意味でもW120型はメルセデス・ベンツのみならず、自動車の歴史の上でも記念碑的な車輌である。(2006門司港レトロカーフェスティバル 現地説明板より)メルセデス・ベンツオフィシャルサイト メルセデス・ベンツでは、今から47年前の1959年に既に本格的な衝突実験を開始し、その後も事故原因の分析・研究などの事故調査活動を行い、現在も調査を続けているそうです。 オフセット衝突に対応する衝撃吸収構造ボディも、ABS(アンチロック・ブレーキング・システム)もシートベルトテンショナーも事故調査による貴重なデータや研究から導き出された安全技術です。そしてそれらの特許を公開し、自社の車のみならず、世界中の車の安全性の向上に貢献しています。現在も統合的安全性に取り組み、安全性を重視する姿勢は素晴らしいことです。
2006.12.29

メルセデス・ベンツ 500K カブリオレMercedes-Benz 500K CABIOLET(レプリカ)製造年:1934年~1936年 当時としては驚異的な性能を持つツアラー。スーパーチャージ付直列8気筒エンジンと前輪独立懸架を持つ。1926年に別々の企業体であったベンツ社とダイムラー社の合併により生れたメルセデス・ベンツ社が、数々のレースに活躍したSシリーズの後継として発表したモデルで、洗練されたスタイルを持つGTカーの先駆者たるモデルである。1934年(昭和9年)から1936年(昭和11年)の間にわずか300台ほどだけが生産された。 映画「サウンド・オブ・ミュージック」では、主人公のトラップ大佐一家がナチスの追跡から逃亡を図るシーンに使われている。この車によってトラップ大佐の地位の高さや、当時のドイツとオーストリアの関係を知ることが出来る。 本車は後年独ベンツ社の承認を得て、米国のコーチビルダーによって現車に忠実に再現製作されたレプリカ・モデルである。 (2006門司港レトロカーフェスティバル 現地説明板より) サウンド・オブミュージックは好きな映画のひとつです。トラップ大佐とマリアと7人の子供達が暗闇の中、ベンツに乗って逃亡するシーンは脳裏に焼きついています。 ド・レ・ミの歌、エーデルワイスなどの名曲も忘れることはできません。何度観ても新鮮で素晴らしい映画です。
2006.12.27

土曜日の夜、かみさんと門司港に行って来ました。コンデジでガラス越しの撮影は難しいが、気楽に撮ってきました。はね橋 ブルーウィングのバックに見える高いビルは、レトロハイマートという高層マンションです。31階には、門司港レトロ展望室があります。一番上の写真は、この門司港レトロ展望室から撮ったものです。関門橋もライトアップされています。今宵はクリスマス。どちら様も素敵な夜をお過ごし下さい。
2006.12.25

昭和12年式(1937年) ダットサン1号車当時公務員の初任給が75円、ダットサンは1,900円(約2年分の給与に相当)ダットというのは、試作車の開発協力者の三人のイニシャルをとってダット自動車としたそうです。(D=田(でん)健次郎氏、A=青山禄郎氏、T=竹内明太郎氏)またそこには、脱兎の如く(脱兎号)という意味も込められていたそうです。そしてダットサンは、ダットの息子=DATSON という意味で名付けられたそうです。ダットサンの歴史1914年(大正3年):橋本増次郎氏が快進社自動車工場を設立1926年(昭和元年):実用自動車製造株式会社と快進社自働車工場が合併し、ダット自動車製造設立1930年(昭和5年):試作車完成1931年(昭和6年):量産車10台を発売し、DATSON(ダットソン)と命名。1933年(昭和8年):日本産業株式会社の総帥であり、戸畑鋳物株式会社(現在の日立金属)の社長の鮎川義助氏がダット自動車を吸収し、自動車製造株式会社を設立DATSONでは、損(SON)をイメージするのでよくないということから、SON(息子)から太陽(SUN)に変え、DATSUNと改称1934年(昭和9年):社名を日産自動車株式会社へ改称、鮎川義助氏が取締役社長に就任(日産九州工場のあゆみ展 日産自動車の歴史より抜粋)ダットサンや日産の歴史を辿ると、北九州市との縁が深く大変興味深かったです。
2006.12.22

日産 スカイライン C10型NISSAN SKYLINE C10 1971年 2000GT(KGC10)製造年:1968年~1972年 プリンス自動車と日産の合併後、最初に発表された通産3代目のスカイライン、通称「ハコスカ」。1968年8月 プリンスS50型のモデルチェンジとして、プリンス系の4気筒エンジン搭載車を発売。同年10月にGT(GC10型)が追加。エンジンは日産系の6気筒2000を搭載する。外観上の相違点はリアフェンダーのサーフィンラインがカットされている他、モール類が設定されていない点である。 日本のレース界において50連勝という金字塔を打ち立て、現在でもいわゆる「旧車」の中でも最も知名度がある車種で人気も高い。総販売台数は310,447台(GT-Rの1,945台を含む)。本車はGTをベースに外観は完全にGT-Rと同一に製作され、L型3リッターエンジンに載せ替えられたモデルである。 (2006門司港レトロカーフェスティバル 現地説明板より)GTRのエンジンではなく、GTR仕様にしたものです。日産自動車公式ホームページNISSAN スカイライン2000GT-R(KPGC110)1972年式、所謂ケンメリが展示されていなかったのが非常に残念でした。
2006.12.20

TOYOTA2000GTトヨタ2000GT1968年製造年:1967年~1970年 日本のモーターリゼーション発展途上期において自社の技術力をアピールすべく、ヤマハとトヨタが共同開発した高性能車。本格的な「グランド・ツーリングカー」としては日本最初の存在。1960年代の国産車としては、異例の高度なメカニズムとデザインを兼ね備えた画期的存在であり、日本車の歴史上、記念碑と言える名車である。 当時のスポーツカーデザインの基本に添って長いボンネットと短いキャビンを低い車高に抑えつつ、全体に流麗な曲線で構成されたデザインは、ジャガーEタイプなどの影響を指摘されることもあるが、当時の日本の5ナンバーの枠内の制約を感じさせない美しいデザインとして評価が高い。ヘッドライトをリトラクタブルとし、固定式フォグライトをグリルと併せて設置したフロント・ノーズの処理も魅力的である。 日本を舞台にした映画「007は二度死ぬ」に使用され、ショーン・コネリー扮するジェームス・ボンドを乗せて東京の街を走り回った。(2006門司港レトロカーフェスティバル 現地説明板より)TOYOTA公式ホームページトヨタ博物館ホームページ上記のトヨタ博物館のホームページには、プラモデルとスロットカー展の案内も掲載されています。プラモデルとスロットカー開催期間:2006/12/19(火)~2007/3/25(日)場所:トヨタ博物館 本館2階 特別展示室うちのかみさんが兄と慕い、お世話になっていますkawasemi1231さんがスロットカ-の別ブログ(下記)を運営されていますので是非ご覧下さい。Slot Car Sircuit Sunny Bears(スロットカー サーキット サニーベアーズ)
2006.12.17

ジャガー XK120C シリーズ4Jaguar XK 12001954年 Dタイプ製造年:1954年~1957年 ジャガーDタイプやそれまでのCタイプの進化形として1954年に生れた。当時の航空機技術を導入し大幅な軽量化に成功。空気抵抗の少ない流麗なデザインで1954年のルマンにデビューした。デビューの年こそフェラーリに破れ2位にとどまるが、良く1955年から1957年まで同一車種による3年連続優勝という大記録を打ち立て、1957年に至っては1,2,3,4,6位と、上位をほぼ独占する強さを見せ付けた。 1958年よりスポーツカー・レースの排気量が3リッター以下に制限され、3.4リッターだったDタイプは出場機会を失う。総生産台数はわずか87台で、本社はそのうちの貴重な1台である。 レース出場機会の無かった在庫車は市販車向けの改造を施され「XKSS」として生まれ変わる。しかし1957年2月にジャガーの工場が火災に遭遇。ライン上のマシンと共に、製造に必要な機械類が消失し、計画自体が頓挫した。(2006門司港レトロカーフェスティバル 現地説明板より)Jaguar JPオフィシャルサイト
2006.12.14

Alfa Romeo 2000 アルファ・ロメオ2000製造年:1959年~1961年1961年 ツーリングスパイダー イタリアのアルファ・ロメオ社は1910年に誕生、その後1933年に国営化された。自動車造りの経験と伝統、レースにおける幾多の勝利を背景に、高性能のグランツーリズモを生産し世界に熱狂的なファンを獲得してきた。 当時のアルファ・ロメオは、ボディをカロッツエリアと呼ばれる工房でデザインし、自社工場でシャーシとエンジンを組合わす方式を採っており、エンジンは当時の技術としては先進的なツインカムの美しくデザインされたエンジンを造りあげていた。 アルファ・ロメオ2000ツーリングスパイダーは1959年に誕生、エンジンは1975ccのツインキャブレター。115馬力で最高速度は190kmにも達し、3年間で約3,000台が生産され、北米を中心に大ヒットしたスパイダーモデルである。2006門司港レトロカーフェスティバル 現地説明板より
2006.12.12

マツダ三輪トラック CMTB-71型年式:不明製造年:1931年~ ロータリーエンジンを搭載する自動車の量産を続ける世界でも唯一の企業としてしられるマツダは、1920年に広島で創業した「東洋コルク工業」がルーツである。同社は、1931年に「三輪トラック MAZDA号」の生産を開始し、着実に業績を伸ばしながら1938年には代表車である「GA 三輪トラック」を発売した。その後、広島への原爆投下により多数の社員を失ったが、見事に再建を果たし、現在に至っている。 展示車である三輪トラックは、丈夫なシャシーで、二台への重荷重に耐え、頑強なボディとお、機動性に富む足回りで、当時商売を営む自営業者に絶大な人気を誇った。 しかし、商用車であったがため、現存数が極端に少なく、今となれば街で見かけることは皆無である。(2006門司港レトロカーフェスティバル現地説明板より)ボディには下記の説明もペイントされていました。形式名称:小型三輪トラック車両寸法:長さ3,815mm 幅1,590mm 高さ1,875mm乗車定員:2名 車両重量:1,005kg 形式:GL最大積載量:1,000kg 冷却方式:空冷総排気量:700cc 最小回転:3.6m最大出力:22/3,700 最大トルク:4.8/2.600kg変速機形式:前進4 後退1内径×行程:90mm×110mm軸距:2,400 軸距後輪:1,370タイヤサイズ:前輪6.00-16-6p 後輪6.50-16-8pS.20年マッカーサーより許可10台生産以上ボディにペイントされていた説明よりこちらは、佐賀県の鳥栖にあります「とんかつのきむら」の所有車です。とんかつのきむらというと、注文した料理をミニミニSLが汽笛を鳴り響かせながら運んでくるので有名です。しかもアナウンスまで付いているのでお子さんにはかなり人気があります。その他、懐かしい昭和のレコードやカメラ、ブリキの玩具、古いお札、切符などの鉄道関連グッズなどがたくさん展示されています。土日祝日は、店外に設置していますミニSLに乗ることもできます。(子供さんのみ)とすの とんかつ きむら 本店住所:佐賀県鳥栖市養父町482-1電話:0942-83-2369営業時間:11:00~20:40(ラストオーダー)駐車場:100台駐車可能メニュー:Aとんかつ定食(ヒレ肉)¥987-. Bとんかつ定食(ロース)¥903-.エビフライ定食(4本)¥872-. しょうが焼き定食¥893-.などホームページ:とすのとんかつきむら本店
2006.12.07

シェルビー ACコブラ Shellby AC Cobra製造年:1962年~1968年本社はコーチビルダーによって現車に忠実に再現製作されたレプリカ・モデルです。 テキサスの大富豪でレーサーでもあったキャロル・シェルビーは、1959年のル・マンにアストンマーティンで参戦、見事優勝した。その後健康上の理由から引退するがその情熱は衰えず、次なる目標を米国車によるル・マン制覇に定めた。欧州、米国双方の自動車産業を熟知し、純粋な米国車では夢の実現は困難である事を知っていた彼は、フォードエンジンの供給を持ち掛け、更に英国メーカーACとの間で、このエンジンを搭載した車両の製作に関する提携を結んだ。こうして生れたのが「コブラ」である。この車は英国では「ACコブラ」米国では「シェルビーACコブラ」の名で販売された。また「コブラ」のブランド名はフォード車の高性能バージョーンのグレード名としても利用されている。 1962年デビューしたコブラは、米英双方で大評判となり、数々のレースに出場して目覚ましい成績を上げた。1964年には遂にル・マンGTカテゴリー優勝を遂げ、生産は1968年まで続けられた。(2006門司港レトロカーフェスティバル パンフレットより) 車好きの方には、上記のキャロル・シェルビー氏の話は大変有名です。「レースで優勝する」という明確なコンセプトを持ち、見事実現した彼の名は男の浪漫の代名詞であるといっても過言ではないでしょう。
2006.12.03

ダイハツ ミゼット MP型1964年製 DAIHATSU Midget製造年:1959年~1972年2006門司港レトロカーフェスティバルにて撮影 バーハンドルタイプのDK型の後継として1959年9月に発売された。特徴はノーズ部分と一体化された運転席。DK型と比べてスタイリッシュとなり、ハンドルをバイクのような一般的な丸ハンドルへと変更し、運転がし易くなっている。エンジンは当初250cc10馬力と、305cc12馬力の2種類が用意された。 デビューがテレビの一般家庭普及と同時期ということもあり、大村昆と佐々十郎のテレビCMが人気に拍車をかけた。1961年にはパキスタンでノックダウンによる現地生産も開始。1972年に生産が中止されるまで336,534台が生産され、その半分が東南アジア方面に輸出された。(現地説明板より)昭和30年代後半から昭和40年代にかけて、街の商店の配達車や工場の運搬車として大活躍した3輪トラックです。3輪ゆえにカーブがなかなか難しかったようです。荷台に積んだ荷物がカーブを曲がる時、ガタガタと揺れる姿をよくみかけたものです。
2006.12.02

こんばんはとうとう12月になりました。皆様もお忙しい日々をお過ごしのことと思いますが、季節柄どうぞお体にはくれぐれも気をつけてくださいね。さて、私事で大変恐縮ですが、私はここ2、3年はすごくのんびりと仕事をしていました。ところが、先日お話した通り会社内で突然状況が激変し、久しぶりに大変忙しい毎日を送ってますほんとうに目が回りそうな位忙しく、エレベーターを待つ時間がなく、階段を駆け上っている程ですお坊さんでもお師匠さんでも師でもなんでもありませんが、ここのところ走り回っています。でもとっても元気で頑張っていますのでご安心下さい。しかし、しばらくは益々忙しくなりそうですので、今日から当ブログは主人の楽天得男(とくお)にバトンタッチしました。今日からは、車好きの得男が撮った車関係の写真を掲載していきますのでどうぞよろしくお願いします。ダットサン620型九州で生産されたクルマ第1号(協力:福岡県工業技術センター機械電子研究所)2006門司港レトロ カーフェスティバルにて撮影九州で生産された初めての自動車製造会社名:日産自動車株式会社九州工場車種:ダットサントラック 1500cc77ps1t製造年月日:昭和51年12月23日
2006.12.01
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