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2010.01.30
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カテゴリ: 鹿児島 KAGOSHIMA

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医学院跡





 島津氏代25代 薩摩藩主 島津重豪(しまづしげひで)は、開化的な政策を掲げて人材育成に力を注ぎ、藩校造士館・演武館に続いて、翌年の安永3年(1774年)、その南西隣(国道の向い側)の地に学院を創設した。

 医学院は、江戸の医学館に準じた学規八略を定め、医書の講習・討論などにより医師の養成と薬草研究などによる医療の進歩を目指した。希望する城下士・地方に住む郷士や足軽・町人も入学を許可され、七人前後の講師のもとで数十人から百人ほどの医生が学んだ。敷地内には、同時に医薬農業祖神とされる神農像を祭る神農廟も同時に併設された。

 重豪は薬草栽培を奨励し、山川・佐多・吉野(鹿児島市)薬園の経営や本草学(博物学)などの書物出版にも力を注ぎ医療の発展に貢献した。

 さらに重豪は、安永8年(1779年)、医学院近くの東南の地に天体観測や暦作成に携わる明時館(別称:天門館)を創設し、これが現在の繁華街 天門館(てんもんかん)の名のおこりとなった。

        2005年3月25日 鹿児島第一ライオンズクラブ結成25周年記念(現地説明板より)







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Last updated  2010.01.30 08:22:59
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