2004/4/19の日記



 あんまりにも阿呆らしすぎて読むと脱力する文がある。今日読んだ物は何度となく脱力させられた、そんな一文だった。

 今日の通勤中にAERAの吊革広告が気になってちらと立ち読みしてみたわけです。朝日系という事でしょうもない事書いてるだろうとは承知してたけど。でも程度ってものがあるでしょう?
 個人サイトの素人が書いたものではなく、一般社会に名の通った商業誌に寄稿されたある作家からの一文。はい、ここまでで既に何かが分かって私と同じように脱力された方はあえて続きを読む必要はありません。
 先日のパウエルの「私達は攻撃の確たる根拠を持っていなかった」という発言よりももっと低い次元で脱力。ともかく内容は要約するのもばからしい・・・。だけどあんまりにも程度が低過ぎて逆に看過できない。
 以下がその阿呆らし過ぎる記事です。



作家・池澤夏樹氏が寄稿

異物排除で「安全」の幻想

 誘拐の被害者の家族に非難が集まっています。二つの理由が考えられます。
 第一は、昔から日本にある集団主義が今も健在だということ。ここ数日の状況が何かに似ていると思ったら、小学校の遠足の反省会でした。行った先でA君は好奇心に駆られて遠出し、集合時間に間に合わなかった。そこで「みんなに迷惑をかけた」と非難される。
 遠足というのはもともと好奇心を涵養(かんよう)するための催しだったはずなのに、全体の規律が個人の発意に優先する。管理される側(生徒、国民)が管理する側(先生、官僚)の都合を先取りして従順にふるまう。この傾向はぼくたちがよく知っているものです。
 しかし、それだけでは今回の過剰な反応は説明できない。みんな心の底では怖いのです。日本だけは安心だったはずなのに、三人が目立つようなことをするから「テロリスト」の注意がこちらに向いてしまう。だからこれを軽率なふるまいとして感情的に叩こうとする。この心理の裏には、三人を異物として排除してしまえば後は安全という幻想があります。
 しかし、危険なイラクに行った三人には猶予がありました。スペインの列車テロで死んだ人々には、自分の国の中にいたのに、猶予はなかった。これが今の世界の現実です。



記事出展
Asashi Shimbun Weekly AERA 2004,4.26 p.17



 まずね、イラクで今回人質になった連中の事を、遠足で勝手な個人行動をして集合時間に間に合わず反省会で怒られる子供に例えているのよ・・・。この時点で終ってる。私は池澤夏樹という作家を知らないが、その程度の事で「みんなに迷惑をかけた」と非難されている、と逆に勝手な行動を取った方を擁護している。
 テロや戦闘が日常茶飯事な地域に遠足に行く馬鹿がいますか?こんなのを載せるAERAって、よっぽど記事書く人が足りなくてこんなのを載せたんでしょうかね。
 3人が目立つような事をしてテロリストの関心が自分達に向いてしまうから、これを集団的に叩こうとするとも書いている。
 3人は善意で行ったかも知れない。彼らが掴まって殺されていたとしても、その事自体が自分達を更にテロにさらす事になるなんて、どういう思考回路ならそうなるんだ?犯人側だって、さらった人間がおそらく軍人でないなんてすぐ分かったろう。問題は軍隊を派遣して米国の占領政策に追随している日本という国家であって、見せしめ目的で撤退を要求する為に彼らを人質に取ったのだから。「3人を排除してしまえば後は安全という幻想があります」なんてこの大馬鹿者は書いてますが、そんな幻想はこの作家の脳内かAERA編集部内でのみ有効でしょう。

 そして更に〆がすごい。上記の「」内の一文に続けてこの段落。
「しかし、危険なイラクに行った3人には猶予がありました。スペインの列車テロで死んだ人々には、自分の国の中にいたのに、猶予はなかった。これが今の世界の現実です。」
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
 あの~、どうでもいい事かも知れないけど、スペインの列車テロで死んだ方々が冒涜されているように感じるのは私だけでしょうか?
 確かにスペインは国家として米国に同調し、軍隊を派遣していたが、犠牲になった方々は、自らの選択でイラクには来ていなかった。今回日本人で人質になった連中は、自らの選択で来ていた。そこにこそ3人や家族に対して非難の声が上がる核心がある。
 遠足で集合時間に遅れるならたいした問題では無い。要はまだ自らの足と責任において集合場所まで戻れているのだから。だが、果たして今回人質になった日本人達は、人質になれば自力で国へ帰りつく手段を持たなかった。以前も書いたが、まず彼らはパスポートをもたなければ通常のルートで国外にも出られない事実をもっと重視すべきです。彼らは事の始めから国による身分保証があって初めて国外に出られている存在。

 このAERAの関連記事の中では、自己責任という言葉への反論として、「立ち入り禁止の場所で溺れていた人を助ける為に飛び込んで自分もおぼれてしまった人を愚か者として切り捨ててしまってよいのか?」という的外れな提言まで載せている。
 例えば駅のホームから転落した人を助けようとして自分も死んでしまった(確か韓国人の)青年が以前いた。彼の行動は、果たして今回の3人の行動と同列に論じられるものだろうか?そうすべきものだろうか?私は断じて違うと思う。
 米国での自己責任の考え方についても、自分の処理能力を超える事が起きた場合には、例えその原因が自己のリスク管理能力不足にあったとしても、国の庇護を仰ぐ権利がある、と書いている。失敗しても「国は助けなくてもいい」という発想にはならない、とまで書いている。
 果たして先日イラクで殺されたアメリカの4人の民間人が撤退要求の為の人質になっていたとしても、アメリカがその要求を聞き入れた可能性は、皆無である。助けようと何らかのアクションは起こしていたかも知れないが、その課程において人質達が死亡したとしても、彼らが現地で人質になった直接原因は彼らがイラクにいた事にある。あの馬鹿な作家が書いていたような「猶予」の有無が問題であったのでは無い。ならば彼は撤退を要求されて拒否した首相の一言で殺されたイタリア人の人質は一体何だったというのだろうか?

 今回の人質事件の核心は何ですか?
 確かにAERA編集部も書いている通り、自衛隊派遣が一つの要因になっている事は間違い無い。だが、今の状態のまま自衛隊が駐屯し続けるか、撤退すればテロは無くなるのか?少なくとも日本がテロの標的になる事は無くなるのか?
 そこら辺の事に関しては他の文の中で書いているので触れないが、とにかくAERA編集部にはこの一言を言いたい。
 ボランティアというのは、自らに余裕がある人が行う行為である。収入源が無いのにボランティアというのは有り得ない。家族で援助しているとしたら、彼はただのプーです。そしてボランティアというのは、あくまでも自己で行動の責任を取れる範疇で活動するものです。求められてもいないのに行くものでもありません。
 例えば、私が太平洋全体のごみ掃除を一人でします、と言ったとしてもそれは不可能です。できない事をできるというのは単なる嘘吐きか詐欺で、それは善意の行動とは別物です。
 同様に、中東問題を解決してきます、と私が問題の西岸地域でイスラエル軍が展開しているところに停戦を求めて入り込んだら、問答無用でイスラエル軍に殺される可能性の方が高いでしょう。どこかの国の気違いが一人紛れ込んだとして、それを殺したイスラエル軍に責任は有りますか?それを助けなかった日本政府にも?

 AERAとか朝日新聞が褒め称えているのは、そうゆう本来なら説明の必要の無い馬鹿馬鹿しい偽善行為です。自己満足行為にしか過ぎません。
 私もボランティアの経験は有りますが、ボランティアというのはあくまでも有志の行動です。つまり自己目的の充足がまず第一にあります。社会や他人に貢献するというのは、その結果にすぎません。その根拠を挙げるとするなら、老人介護のボランティアはしても環境保護のボランティアはしないとか、又はその逆とか、その取捨選択はどこで行われているのでしょうか?全てのボランティア活動に参加するのは不可能なので、自分は何をして何をしたくないか(結果として"しない事"を選んでいるか)という選択をしているのです。それは善悪の問題では無く、何により関心があるか?自分が何をしたいのか?何に貢献したいのか?という選択の問題に過ぎません。
 他者の救済を目的とするのなら、それはボランティアではなく宗教活動です。(国連職員とか赤十字の人とかはまた違いますが、彼らはその目的に特化した組織の一員であり、ボランティアと同位置にはいません)
 他人に養われて、いざ危険になれば他人に助けを求めないといけないボランティアなんて阿呆です。自己の能力と責任を越えた事を行おうとしている時点で、そのボランティアは既にボランティアでは無くただの"身の程知らず"に過ぎません。ジャーナリストであれ同罪です。彼らはそもそも現地入りする前に家族の承諾を得て、遺書を残しておくべきです。渡航禁止区域で、しかも政府の方針に逆らって行動するのなら、万が一の事が有っても政府の援助は求めないと遺書の中に断り書きしておくべきです。

「自分のケツは自分で拭け」
 なんて事を言うと、AERAとか朝日の記者だと、自分で拭けない身体障害者の人とかを持ち出しそうで怖いな。w
 ようは自分で歩き方を知らず歩いた事も無い人間が、他人に歩き方を教える事は出来ない。
 溺れそうになっている人間を助けられなかった人の例を出すのなら、なぜライフセイバーというような資格があるのか、その理由を考えて下さい。誰でも出来る事では無いから、資格が求められるのです。そうではないでしょうか?
 そして今イラクは確かに助けを必要としているかも知れない。でも今は有象無象の人間が行っても邪魔になるだけ。
 火事場に板前さんは呼ばれますか?消防士ですよね。手術室に呼ばれるのは弁護士かも知れないけど、執刀するのは医師資格を持つ人ですよね。
 今のイラクは能力と意志を持った人達でさえ、問答無用で銃弾や爆弾で命を奪われている状況なのです。そんな環境に足を踏み入れるという事の意味を、命の重さを、もっと良く考えて記事を書いたり掲載して下さい。

 もっとも私はもう二度とAERAを買う事は無いでしょうが。

記事出展
Asahi Shimbun Weekly AERA 2004,4.26 p16-19



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