全294件 (294件中 1-50件目)
綺麗な景色だけが、綺麗なんじゃない。 カメラを持ち歩くようになって、僕はそんな風に思う。 たとえば鉄条網。 …実は、写したときは明らかに失敗したと思った。 ストロボが近すぎる。 鉄条網が真っ白だ。 でも、これはこれで、なにか、いいように思う。 鉄条網のとがりとか、怖さが逆に引き立っているように思う。 たとえば、ポルタの看板。 これも、失敗だと思った。 黒い部分が黒すぎる。 でも、画像を確認してみると、黒い部分は潰れてない。 ちょっと、現像すると、段差はある。 ほんと、キヤノン G-15は黒い部分に強い。 あるいは、マジックミラーと思われる壁で覆われた建物。 これも、失敗かなって。 ガラスのまわりの周囲のレンガ模様の壁まで写っている。 でも、これでよかったのかと思う。 レンガ模様がないと、通常の風景と区別がつかない。 むしろ、キュビズムのように建物が引き立っている。 そして、シャッターを押した瞬間、これらの写真については思っている。 「綺麗じゃない。失敗した」って。 でも、振り返るとなかなか面白いって、あくまで僕は思う。 つまり、成功だけが。実は成功ではないのだ。 写真に限ったことではないのだけれども。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・@日々の「なんだかなー」No2』まで
2013年05月18日
コメント(0)
びっくりした。チャットモンチー高橋久美子(Dr)脱退「音楽に向かうパワーがなくなった」http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110729-00000991-bark-musi僕はチャットモンチーがかなり好きだ。CDを全部もっているとか、そんなフリークではない。普通に通勤電車でi-podに入っている「シャングリラ」とか、「真夜中遊園地」とかをよく聞いている。もし、チャットモンチーの魅力はなんですかと、質問を受けたら、どう答えたらいいのだろうか。スーパーフライみたいな、歌唱力はない。いきものがかりみたいな、まっすぐに届く、美しいバラードもない。後期のJudy And Maryが持っていた複雑で、入り組んだサウンドもない。下手だ。ワンパターンだ。単純だ。ガチャガチャ、ギンギン、バタバタ、チャカチャカ、ドタドタ…ただね。そんな、音が彼女たち、チャットモンチーが演奏すると、パワーに変わる。お祭りなる。なあ。でも、ロックってそもそも、そうだったんじゃないのか?ガラクタが力強く、美しく、聞こえてしまう。そんな、音楽だっただろ?かつて、日本にはそんなバンドがあった。ブルーハーツ。伝説だ。果たして、チャットモンチーはそんな伝説になれるのだろうか。わからない。そんなのは、時間が経たないとわからない。ただ、ブルーハーツの曲は、今でも、街中で、彼らの曲や、彼らの曲をコピーしているバンドをみかける。そして、そのたび、僕は擦り切れるまで聞いていた、カセットテープの音を思い出すのだ。雑音は多い。音は切れる。伸びて、リズムは間抜けになる。そして、最後にはテープまで切れる。むしろ、雑音なんかか、ありありと一つ一つの細部まで思い出せるような予感がする。それが、たまらなく懐かしい。きっと、当時の中学や、高校に通っていた僕自体も、多くの雑音や、ノイズいっぱいにまみれて、それでもパワーを信じて生きてきたのかもしれない。もう一回、書いてみる。チャットモンチーはへたくそだ。音だって綺麗じゃない。ドンドン、ガタピシ、バンバン、キンキン、ドタバタ・・・※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎ものがたり』まで
2011年07月30日
コメント(0)
どこまでが河岸なのだろう。水平線の上に、水じゃないものが、薄く見える。存在感がない。きっと、陸地なのだろう。確かめたくて、眺めれば、眺めるほど、ますます、実際に陸地かわからなくなる。もしかして、蜃気楼じゃなかろか水は黄色くて濁っていた。船が巻き上げる飛沫は日本のものよりも、白く見えるほどだった。僕はフェリーのデッキにいた。きっと、まだ、河なのだろう。長江から海に向かって、船は進んでいた。僕は友人を訪ねて、上海に行った。国慶節で休みの上海は外国人にせよ、中国人にせよ観光客ばかりだった。でも、僕が上海にいたのは二日だけだった。四日間はフェリーにいた。僕はフェリーで往復していたのだ。なぜか?海を見たかったのだ。いや、海だけを見たかったのだ。友人を訪ねようと決めて、ふと、気がついた。海外旅行にはいってるけど、海だけって見たことがないんじゃないか。いつも、僕は陸地から海を見ていたり、海からであっても、島が視界にあったじゃないかって。人生で一度くらいは海だけを眺めてもいいんじゃないかって思った。フェリーで行くといったら、みんな、飛行機でいきゃいいじゃないかって言った。時間の無駄だとか、アホみたいな旅行日程だって言った。まあ、確かに6泊7日、4泊船中というのは、アホみたいだ。『海か、いいなあ』オヤジだけがそういった。いつもと同じスピードで、多分、テレビを見ながら僕に言ったのだろう。母は海外だから、メモ用紙に緊急連絡先を書くようにと、僕に念押しをした。そういえば、オヤジはよく海を見に行っていた。時々は僕を連れて行ってくれたものだ。といっても、僕が朝の五時くらいに起きたときだけだった。なぜかというと、オヤジは本当に海だけを見に行っていたのだ。朝の五時におきて、八時くらいに海に到着し、浜辺で座って、ちょっと、ドライブをする。どこかで昼食を取って、帰ってくる。帰宅するのは遅くても夜の九時くらいだ。泳ぐわけでも、サーフィンをするわけでも、釣りをするわけでもない。つまり、オヤジは、本当に海だけを見に行ったのだ。『海にみると、元気がでえへんか。・・・わからんか。・・・特になぁ、荒れた海の波とかな。帰りには元気になってるんやな』なんか、オヤジはそんな事を言ってた。眠たかったから、あんまり、記憶は確かではない。そんなオヤジと眺めていた海より、長江の河口ははるかに大きかった。日本の港の多くが狭い場所に工夫を凝らして建造されているのに、長江の河口付近の港は、広くて工夫もいらずに悠然とあった。川岸に何本もクレーンが並び、コンテナがその横に平積みされていた。中国の人がおおらかで、日本人が細かくて器用になるのも、当たり前のように思った。なにしろ、これでも、河なのだ。船がどのくらいのスピードがわからなくなってきた。陸地が見えず、止まっているものが見えないから船の速さがわからないのだ。川岸にいくつも並んでいたクレーンはどこにいったのだろう。友人の話によると、海に出てしばらくすると、黄色の水と、蒼い水がくっきりと線を引くところがあるらしい。いったい、それはいつになるのだろう。見渡す限りは黄色い水に船は浮いている。船の上の僕は、その線を越えることができるのだろうか。船が揺れるほどではないが、波が高くなってきていた。太陽を少しだけ、薄い雲が隠していた。風が強くなったのか、雲は流れて、太陽がまた、すぐに強くなった。羽を広げた鳥が風にのって、悠々と船の周りを回っていた・僕の鼻にも風が入ってきた。懐かしい匂いがした。潮の香りだった。海辺に小さい頃に住んでいたわけでもないのに、どうして懐かしく思うのだろう。もうすぐ海なんだ。水の色はどんな風に変わるのだろうか。そして、蒼い海に滑り出したら、僕はどんな気持ちになるのだろう。船が強く揺れて、気持ち悪くなっているだけかもしれない。それでも、やっぱり、僕はワクワクしていた。何度も見た海なのに、海はいつも初めてみたいに姿を変えてくれる。黄色い水と、蒼い水の線は何本くらいあるのだろうか。そうだ。また、オヤジと海に行ってみよう。たとえどんなに眠くあろうが、どんなに退屈であろうが。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎旅』まで
2010年10月08日
コメント(0)
当日券が取れた。運が良かった。29列目だった。まあ、当日券だから後ろでもしかたないか。そう思っていた。でも、その会場は一番後ろが1列目だった。前に近づくほど、列の数も増えていっていた。僕は前から5列目の席だった。そりゃ、端っこではあったけど、ラッキーだった。彼らのデビュー曲である「SAKURA」で始まった。いきものがかかりのライブにだった。ボーカルの吉岡さんはやっぱり、ライブで聴くだけの価値がある声だった。前の列だから、スピーカーが近かった。ドラムとベース音が巨大だった。そんな中でも、声量があるから高いキーであっても迫力がある、吉岡さんの声を、僕は耳をすまして聞いていた。会場はのお客は、かなり、個性的だった。が関西人丸出しだった。普通ステージへの、呼びかけは「かわいい」とか「頑張って」くらいだろう。違っていた。「どこ泊まってるの??」「ゲゲゲの歌ってよ」「出身の小学校どこ~」「体重、なんで増えてるの~」お客さんとの会話のやりとりも面白いライブだった。そんな面白い客が多かったのだが、僕は女性の二人組が気になった。10代の娘さんと、そのお母さんだろう。確か、お二人ともめがねをかけていて、とっても似ていた。まず、親子で間違いないだろう。もし、赤の他人であそこまで、そっくりだったら、それこそは奇跡だ。そして、お母さんは手を動かしていた。吉岡聖恵さんが歌っている間も、個性的な客が面白い質問をしている間も。時々、娘さんがじっとステージを眺めているときだけ、お母さんの手も止まった。娘さんがお母さんに向き直ると、お母さんの手が、また、機能的に動いた。お母さんが手を動かす、といっても、「気まぐれロマンチック」の振り付けをずっとやっているわけではない。当たり前だけれども。お母さんは娘さんに手話をしていたのだ。僕はびっくりした。どの程度娘さんが耳が不自由なのかわからないけども、ライブで手話をみるなんて考えもつかなかったからだ。勿論、僕はその娘さんがどの程度の聴力なのかを知らないのだけれども。弱聴なだけかもしれない。見に来ただけなのだろうか。ファッション誌にも連載がある吉岡さんのルックスのファンなのだろうか。なにより、耳を広げている僕らと同じくらいに、楽しめているのだろうか。そんな風にさえ考えた。すごく、気になったから、僕は時折振り返った。娘さんはステージと、そして、お母さんの手話をかわるがわる眺めていた。曲が終わると拍手をしていた。めがねをかけていたから目の表情はわからないけど、頬はゆるんでいた。そして、面白いMCには、タイミングはずれているけど口が笑っていた。間違いなく、楽しんでおられるのだろう。それが、僕らとは違ったとしても。僕らの多くは耳が聞こえる。そして、耳が聞こえるからこそ、音楽が楽しめるんだって思っている。でも、その娘さんをみていると、それだけじゃないんじゃないかって思う。きっと、歌詞や、あるいはアーチストが何かを届けようとしている表情にも、歌と同じくらいの力が宿っているのかもしれない。耳の聞こえる僕らは、そこに不幸にも気がつけないだけなのかもしれない。結局、いきものがかりの素晴らしさはみんなのものだ。聴力の有無を超えるほどに。そして、みんなには、各々、一人一人の楽しみ方があるのだろう。わたしだけの楽しみ方は、誰にも犯すことができないし、同時に誰にも理解できない。いや、耳が聞こえにくいことでさえ、わたしだけの『音楽』の楽しみ方を邪魔することは、時として、できないのだ。いきものがかりは、みんなが楽しめて、そして、あなた独自の楽しみ方だってある。そういうものを、僕らは芸術とか、芸能とか、呼んでしかるべきなのだろう。と、きっと、いきものがかりの皆さんにいったら、謙虚に照れてくれるような気がするのだけど。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎ものがたり』まで
2010年09月20日
コメント(2)
黒い衣装から手足がピシッと伸びた。軸がぶれていない回転のジャンプだから、揺れずに着氷していた。そして、ピールマンスピンは回るたびに、速度が増していた。その丁寧でキビキビした動作からは、次は自分の時代を迎えるんだという、意思が静かに、だけども強く伝わってきた。その試合のインタビューの後、彼女の日本語はちょっと違和感があった。子音や、破裂音が強すぎるのだろう。でも、インタビューアーからの返答に即座に反応していた。聞き取りは完全にできているのだろう。彼女の名前は長洲未来。スケートのフィギュアの女子のアメリカ代表だ。ただ、国籍はアメリカだけとは、いえない。両親が日本人で、20歳以下の彼女は、日本の国籍を選択することもできるのだ。僕は、テレビで女子フィギュア世界選手権を見ていた。オリンピックの直後であり、不完全な選手ばかりだった。多くの人はジャンプは失敗し、動きにはメリハリがなく、意思がなく、氷があるからなんとなく滑っている様子だった。仕方がないだろう。ここに出場するだけでも素晴らしいことだと、僕もわかっている。その中、ショートプログラムで長洲未来さんの演技は決まっていた。愛嬌があり、特に欧米人が好きそうな笑顔を作ってから演目が終り両手を広げるまでミスはなかった。実力を伴った恐いもの知らずの勢いがそこにはあった。すでに30歳を超えた僕からすれば、うらやましいとしか言いようがない。そして、彼女の流暢ではない話し方の日本語を聞いて、日本でも、外国とか、国籍とかの捉え方が違う時代になったのだと僕は思った。多分、今の彼女を示すのには一番適しているのは「日系アメリカ人」なんだろう。よく考えれば、そんな民族は世界にイッパイいる。「アイルランド系アメリカ人」「中国系フランス人」「イタリア系カナダ人」などなど。彼らはルーツに敬意を持ちながら、自らの国でその国民として生活している。勿論、国民の義務を果たしながらだろうし、選挙権だってある。いよいよ、日本人の「日系」も多くなり、必然的に活躍する人も増えるだろうと思う。どちらかというと、「中国系」や「韓国系」といった方のほうが世界では多かったように感じるのだ。偏見かもしれないけど。きっと、日系の人々は年末には紅白歌合戦でも見ながら、フライドチキンを食べているのだろう。国籍とルーツが別であるということが、より自然になる時代になっているのだ。そこで、ふと思うんだけど、日本には「中華系日本人」の方はそのことを主張される事が多いのに「韓国系日本人」の方は在日というくくりで捕らえられてしまっているように感じてしまう。これは、戦争の歴史があるから、仕方のないことだろうとは思う。ただ、彼らはルーツと国籍が同じでないといけないと思い込んでいるのではないだろうか。いや、思いだけではないだろう。「韓国系韓国人、日本永住権有り」、「北朝鮮系北朝鮮人、日本永住権有り」の人々が組織している団体の力が現実的にあることもあるだろう。まあ、正確に言うと「済州島系北朝鮮人、日本永住権有り」というべきかもしれないけど。(ここらへんは、野村進さんの力著である「コリアン世界の旅」に詳しいです)「韓国系アメリカ人」なナチュラルに存在しているし、アメリカの議員にいたっておかしくない。ただ、僕はいつの日か日本でも「元日系ブラジル人、現在日系日本人」や、「韓国系日本人」が普通の認識で存在して欲しいと願っている。ルーツを尊重しながら、日本の政治に参画することに何も問題はない。地方自治体だけ、外国人参政権を認めるといったチンプンカンプンな議論は、現実がチンプンカンプンに歪んでいるから起っているのではないか。ルーツを尊重しながら、現在の自分の国籍を尊重することはおかしなことでも、なんでもないのだ。長洲未来さんの素晴らしい演技に、アメリカ国旗と、日本国旗の双方が振られる様が一方ではある。そして、それができるアメリカはやっぱり、懐の深い国としての一面も持っているのだろう。僕はそう感じずにはいられなかった。・・・予想以上に真面目なblogになってしまった。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎スポーツ』まで
2010年03月27日
コメント(0)
新聞に生誕百年にあたる小説家が三人、書かれていた。 松本清張、太宰治。 そして、もう一人は中島敦だ。 1909年生まれの三人は同い年になる。 でも、同い年には見えない。作家として輝いた時期が違うからだ。太宰は若き時代から優れた小説を順調に書いていた。彼の人生は常に順調とは言えないが、陰鬱な時期には陰鬱な小説を、意気揚々たる時期には揚々たる小説を書いていた。いずれも、高い評価を得ていた。太宰は人生の上がり下がりを小説の養分にしていたのだろう。 そして、1948年、役割を終えたように自殺した。 1948年。松本清張は小説家でさえなかった。職業の傍ら、小説を書いていた人間だった。彼の小説家としてのデビューは1950年に新人賞で受賞してからだ。そして、松本清張は1953年「或る『小倉日記』伝」で芥川賞を受賞した。太宰治が懇願し、結局受賞できなかった芥川賞に。松本清張はそれから、膨大な量の小説を書いた。 ただ、一般的に代表作と見られるのは、人間の恨みを色濃く落とした推理小説だろう。純文学というよりかは大衆文学と言っていいだろう。(純文学、大衆文学の区分けは私は嫌いですが)芥川賞から出発したにもかかわらず。1942年。死の直前に駆け込むようにして、芥川賞の候補になった作家がいた。その男は1942年の最後の月である12月に喘息を悪化させ、亡くなった。名前は中島敦。彼が残した作品は多くはない。中島敦の小説と、中島敦への評論の量を比べたら、評論のほうがはるかに多いだろう。逆に言えば、数枚の小説であっても、数十枚の評論が望まれる質の高い作品を生み出していた。そして、彼が優れた小説を残したのは死の間際である。あたかも死期を予感したかのように。僕は「山月記」が好きだ。学校の教科書で読んだ記憶はある。その時も面白いと思っていた。最近、父が電子辞書を買った。小説も数種類、事前にインストールされていた。「山月記」はその一つだった。朗読の機能もあった。父は7歳の孫に「山月記」の電子辞書の朗読を聞かせていた。7歳の男の子にあの難しい漢字がわかるのか、疑問ではある。父もそう感じているのか、途中で「ここで虎にならはってん」とか、孫に説明を入れていた。微笑ましいといえば、微笑ましい風景だ。そして、その横で僕はじっと朗読、多分、江守徹さんだったと思う、を聞いて、なんども頷いていた。虎になった主人公の思いが重なってくるようだった。つまり、素晴らしかった。漢文調の文章を用いながら、西洋的な個人の人間の内面を客観的に書き上げている。だけれども、その客観的に書かれている言葉の叫びは、まさしく、中島敦のものなのだろう。漢文の文体。西洋風の心理描写。そして、日本人が小説に求めてしまう作家と主人公の心情の一致。この三つが高いレベルで、結びついた小説だった。主人公の叫び。それは、世に出ることの難しさ。その世に出る能力がありながら、何かが邪魔をして出られないことへの悔恨。そこにはよく生きることの難しさと、生き残ってしまう無念さ、人間でなくなってしまうことの絶望が浮かび上がってくる。2009年 。彼らはいずれも生誕百年である。死後の年数は各々別である。輝いた作品を残した年齢は違う。そして、輝くために必要だった思い、というよりも「狂気」もまた、三人とも違っていた。おそらく、太宰治には生活の安定と破綻が、松本清張には恨みが必要だったのだ。そして、哀しいけれども、切迫した人間を描くに、中島敦には自らの死の予感が必要だったのだろう。時々、中島敦や、太宰治が松本清張と同じように長生きをしていたら、どんな小説を書いていたのだろうと思う。でも、そんな問いには意味はないのだろう。長生きができるのならば、太宰治や、中島敦は小説を書く理由をもち得なかったかもしれないのだ。生きていると色々なことがある。ある人は長く生き、ある人は短い人生をおくる。ある人間は生前に評価と富を受け、ある人間は死後に評価と、そして遺族が富を受ける。きっと、人生が長さや事情が違っていたとしても各々の人間は素晴らしい何かを起こしえる事もあるのだろう。生誕百年を迎える小説家三人を比べて、そう強く思う。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎ものがたり』まで
2009年12月04日
コメント(0)
サッカー・ワールドカップ予選。ロシアは残念だった。退場者を二人出したりしたのも、あるだろうけど、やはり、第1戦で不用意に点を与えたのが悪かったよね。でも、ロシアのサッカーの評判は悪くはなかった。サッカーも組織的ながら、でも、アルシャビンが生かされていて本大会に出れば、ダークホースといわれていただろう。プレーオフになったのは、予選の本選がドイツと同じ組になったから、仕方がない。さて、そのロシアの監督のヒディング氏は以下の意向を伝えている。ヒディンク「今すぐロシア代表監督を辞めようとは思わない」でも、まあ、クラブチームだけではなく、本選に進めるがいまいちピリっとしないナショナルチームから誘いは多くあるだろう。つまり、選手は優れているが監督がヘボだから、危ないチームはヒディング氏を手が出るほど欲しいだろう。実際、ヒディング氏は韓国代表や、オーストラリア代表、そして、去年勤めたチェルシーの監督でも実に短時間で成果を挙げている。だから、まず、そうだ。ヒディング・アルゼンチンなんてどうだろう。選手は一流。監督は選手としては超一流だけど、監督ばかりではなく、指導をする立場としても問題があるといわざるえないマラドーナ氏。でも、現実的に、アルゼンチンのサッカー協会はお金がないだろう。時々、代表監督への給料の支払いも遅延するところなのだ。というところで、現実的に見たいのはヒディング・フランスだ。フランスのドメネク監督はいい監督とはいえない。選手からは不満もあるし(アンリ選手)、OBからも不満もある。(ジダン選手、辞めさせるならもっと早くにしないといけなかった)ホームでの監督紹介でブーイングが起きるほどだ。そして、嫌いな選手は呼ばない。GKのフレイ選手とか、なぜ、呼ばれないのだろう。その好き嫌いのレベルは、日本の野球の北京五輪の監督よりもひどいかもしれない。それで、勝てればいいのだけど、これが、選手層の割には弱い。まあ、嫌いな選手を呼ばないし、攻撃は一人の選手(それが、ジダン選手からリベリー選手になっただけ)が頼りなので仕方がない。ということで、選手層からすると優勝候補のフランスなのであるが、きっと、誰も優勝候補にあげないだろう。そこで。もし、今のフランス代表がヒディング監督だったら。もっと、強くなる、というか、普通にポテンシャルを発揮できるのではないかと思う。まあ、お金もそこそこ、フランス代表にはあるだろう。ということで、ヒディング・フランスの誕生を心待ちにわたしはしております。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎スポーツ』まで
2009年11月20日
コメント(0)
話題の「沈まぬ太陽」を映画館で見た。泣いた。特に会社という組織と日々向き合う人はされている方は共感される事が多いんじゃないかって、思う。と、まあ、そんな感想だけで終わっても、面白くないので、・構成・キャスト・別の人を主人公にするなら誰かという三点でちょっと、書いていきたい。長くなるので、各々別エントリーにしました。ネタばれがあるので、見てない人は読まないでね。んじゃ、構成だよ。長い原作があるだけに、脚本の方は大変だったと思う。細切れにして、画面を増やせば撮影の費用もかさむとか現実的な事を考えなきゃいけない。実際に後半は会話劇に近くなるので、場面の選定が大変だったんだろうとは、思う。だから、床屋で秘密談義をするし、エレベーターで秘密論議もする。でも、後半の会話劇の流し方は腕のある脚本家ならできて当たり前だろう。(僕はできませんが)それよりも、大変だったのはオープニングだったんじゃないかな。タイトルバックが出るまでの場面ね。そして、観客の多くがその大変さに気がつかないペースで進んでいっている。だから、オープニングは成功だったんじゃないかって思う。(私はオープニングから泣いてました)というのも、この映画の最大の出来事である御巣鷹山墜落というのはあくまでも、出来事でしかないからだ。勿論、重要なシーンではあるけれども、御巣鷹山は・行天(演:三浦友和)に代表される腐った国民航空、と、・恩地(演:渡辺謙)という人間としての生き方の対立をクライマックスに導く出来事として位置づけないといけない。もし、オープニングで御巣鷹山墜落だけで描いていたのなら、この映画は御巣鷹山事件史になり下がってしまう。だから、てっきり、僕はオープニングに御巣鷹山がくることはないだろうと思っていた。ある国民航空と、恩地を描いてからかなあと。予想に反して、御巣鷹山がオープニングにきた。でも、この映画は御巣鷹山事件史だけでは終わっていない。二つのシーンが上手に挟み込まれ、二つの事情が説明されていたからだ。つまり、こういうこと。・シーン:国民航空のパーティ 表現:八馬(演:西村雅彦)の態度での腐った体質・シーン:恩地の象を撃つシーン 表現:恩地の孤独と、戦うものの大きさこれが、上手に挟み込まれている。本来、パーティと、象を撃つシーンと、御巣鷹山の事件は時間も違えば、場所も違う。だから、観客が予備知識がなくて観たのなら、かなり混乱する。よーく、考え直して欲しい。あなたに何も知識がなかったら、あのオープニングのテンポに頭がついていけました?僕はついていく自信がない。でも、これは、僕も含めてそうだけど、製作者は観客が混乱しないのを見越して、オープニングにカットバックを持ってきたのではないだろうか。きっと、製作者はこの映画の事前の多くのプロモーションがあり、さらに、原作があり、我々の記憶の中に実際の御巣鷹山がある以上観客はある程度、判って映画を観ている。だから、少々、無理難題を詰め込んでも、わかるはずだという、確信があったと、わたしは思う。そして、この映画においては、見事に成功している。オープニングで、人物・恩地、組織・国民航空、出来事・御巣鷹山墜落を観客に見せている。観客の予備知識を前提として。「予備知識の前提って映画として間違えていない?」ってこのブログを読んでいる人は思うかもしれない。でもね。例えば、時代劇。武田信玄と上杉謙信の映画を作るとして、川中島の戦いの説明を色々とするだろうか。しない。だって、武田信玄を知っている人は、川中島の戦いを知っていて、当たり前だから。例えば、シリーズアニメの映画化。ルパン三世の映画があったとして、誰がルパン三世が泥棒だと映画で解説をするだろうか。銭形警部が日本の警察だなんて説明するだろうか。うる星やつらの映画があったとして、誰がラムちゃんが宇宙人であたるが浮気者の恋人だと説明するのだろうか。そんなことは観客はみんな知っているのだ。製作者はそのことを踏まえ、面白くって、でも、原作を知っている人を飽きさせない映画を作らなきゃいけない。そのように、客が知っていることを利用しつつ、傑作の映画となったのが、宮崎駿さんのルパン三世、「カリオストロの城」であり、押井守さんのうる星やつら、「ビューティフルドリーマー」じゃなかろうか。ただ、この「沈まぬ太陽」では、観客の予備知識は現実のニュースと広告の効果によって成り立っている。その現実のニュースに寄り添うような映画に関しては批判があろうかと思うが、それを利用して、長丁場の映画の脚本を書ききった、脚本家の西岡さんにわたしは敬意を評したい。○2009年11月07日・「沈まぬ太陽」 キャスト (八割 小島聖さん)○2009年11月07日・「沈まぬ太陽」 別の人を主人公にするなら誰か※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎ものがたり』まで
2009年11月07日
コメント(0)
このニュース。<ヨウジヤマモト>民事再生法の適用を申請 負債約60億円「Y’s」ブランドなど展開のアパレル、株式会社ヨウジヤマモト、民事再生法の適用を申請(株)ヨウジヤマモト 民事再生開始申立 「ヨウジヤマモト」経営破綻 店舗営業は継続単純にすごいショックです!!買えない価格帯が多かったけど、コートとか、抜群にかっこいい洋服おおかったもんな。いつかは、揃えたいなぁって思っていたブランドの一つでした。お出かけ、結婚式用に、スーツのセットアップを買ったのが、忘れられません。あの軽くって、かっこいいスーツが大好きです。それは、いまでも、変わらない。デザイナーの力を忘れず、再建を果たして欲しいものです。また、企業としては拡大・撤退の判断の難しさが改めて浮き彫りになったのではないでしょうか。ヴェルサーチが日本を撤退することを報道された昨今。繁栄を謳歌していたラグジュアリーブランドも戦略の変化が必要かもしれません。ただ、ホームページからは子会社のリミさんのブランドは民事再生を申し立ててないんですね。ちょっと、奇妙な感じがしますが・・・なぜなのでしょうか。取引先への被害を最小限に食い止めたんでしょうか。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎着飾り・買い物』まで
2009年10月09日
コメント(0)
梅田まででる用事があったので、ヨドバシカメラの上にある、ユニクロ(UNIQLO)に行ってみた。今日、発表の+J(プラス ジェイ)に興味があったからだ。・・・で、改めて、オンラインサイトにつなぐと、すでに売り切れているものもある。スゴイなぁ~・・・このラインは、かのジル・サンダーさんがデザインされたラインである。非常に興味深かった。というのも、ジル・サンダーさんのデザインはシンプルなものが多い。それと、判らないものが多かったりする。ユニクロの服もシンプルなものが多いので、「なんだ、ユニクロとおんなじじゃん」ってなってしまうかも、と思ったからだ。これが、アナ・スイさんとか、ジル・スチアートさんとかだったら、イメージがしやすい。結論を言うと、価格によって、大分特徴の現れ方が違っているじゃないかなって。予想に反して、梅田のユニクロはメンズに関してはフルラインナップではなかった。(心斎橋がフルラインだそうです)で、まあ、売り切れているものもあるだろうし、フルラインを見てないけど、以下の意見を持った。1.全体的・メンズよりも、レディスのほうが、力が入っている ように思った。 特にレディスのボタンのついてないジャケットは すごく、かっこよかった。 あれ、メンズでも展開してほしかった。2.メンズ各々のアイテムについて・梅田にウールのコートがおいてなくって、 残念。 樹脂のコートはあまり出来がよくないように 思う。 同じパターンだったら、ウールもどうかな?・13000円くらいのジャケットはシルエットが とても綺麗。 今までのユニクロとは違う。 きっと、パターンメイキングから変えているのだろう。 脇の下のダーツの入れ方に工夫をしているのだろう。 ただ、値ごろ感が一番ない。 高く感じる。 あと、5000円を乗っければ、ニコル当たりのジャケットも 購入できる、 それだけ、気合を入れているのは判るので、悩みどころ。・8000円以下のダウンジャケットは値ごろ感有り。 しかも、細身だけど窮屈じゃない。 くしゅくしゅしたダウンジャケットが好きな人には オススメ。 わたしはくしゅくしゅダウンジャケットが好きではないので あれだけど。・パーカーは使いまわしがききそう。 カーキーのパーカーはありそうで、ないから、 買いかも?? 薄めの生地もGOOD。 着まわしがしやすい。・シャツ 3999円で値ごろ感有り。 ここは奇をてらうより、白とかのほうが 上品さを感じる。・ベルト 安い。 普通のと変わりないが、太めで、コートの上から ワンポイントで割ってもいいかも。・切り替えしジャケット 一番びっくりした。 これ。 袖の部分が樹脂になっていて、 そして、内部はダウンジャケット。 見た目は安っぽいけど、きたら、あら不思議。 格好がいい。・パンツ ごめん。 わたしが太って入らなかった。 ああ、涙。3.あわせやすいブランド まあ、あわせやすいというか、雰囲気が近いブランド。 レディスはちょっと、わかんないけど、メンズで 以下のブランドが好きだったら、購入の価値あり!! ・ブラック バイ ニールバレット ・アンタイトル マン …逆に言うと、このブランドの価格に比べると 1/3~1/2の価格帯に抑えているのは、さすが。 だから、ブラック バイ ニールバレットの売上は 落ちちゃうかも??※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎着飾り・買い物』まで
2009年10月02日
コメント(6)
僕は反対だ。そりゃ、背に腹は変えられない。売上も落ちているし。でも、これをすると、百貨店は単なるデベロッパーになる。ビルの賃貸屋になる。そして、品揃えは郊外のショッピングセンターと変わらなくなる。ボーダレスといえば聞こえはいい。でも、単なる同質化だ。独自性もあったもんじゃない。「ユニクロが百貨店に出店 高所得者取り込む狙い」http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090724-00000003-jct-bus_all要はユニクロが百貨店に出店する。はじめに言っておくと、僕はユニクロも好きだ。百貨店ブランドも好きだ。でも、この二つが混じるのには反対だ。安直過ぎる。特に、百貨店の対応が、だ。大体、百貨店にユニクロが入ったのは、コレが初めてではない。かつても、一度あった。それは、「そごう 横浜店」だった。そごうが、どうなったかは、いまさら言うまでもないだろう。だから、やりようはあったのだ。例えば、この記事には大丸 梅田が「はるやま」を出店させたと書いている。間違いではない。でも、ここは「はるやま」を前面には出していない。店の名前は「PSFA」になっている。1000円のネクタイやシャツもあるが、5000円とかの百貨店プライスレベルのシャツもある。スーツのセンスも新しい。「丸洗い可能」とかを、セールスポイントにしていない。まあ、細身のスーツだからいんだよって、とこも見えなくもないが、シャツの襟なんか、よく研究している。・・・私もとても、愛用しています・・・つまり、はるやまが、「脱・はるやま」を掲げているブランドなのだ。対して、今度のユニクロ出店はどうだろう。きっと、「ユニクロ」で出るはずだ。ここに、僕はやりようがあったのではないかと思う。どうして、百貨店はユニクロに丸投げする企画しか、できないのか。もっと、その百貨店限定の商品をユニクロに作らせ、それをメインとした展開ができないのか?独自商品を作ろうとしないのか。例えば、「ユニクロ with ポールスミス fet 大丸」とかの商品ラインができないのか。考えれば、考えるだけ、企画は多く出てくる。ユニクロをモードに沿うような形にだって、できる。(なぜ、ここでポールスミスを出し方かというと、このブランドが日本で売れるのは大丸の尽力によるところ大きいから。また、ポールスミスはレディスと、メンズに日本のランセンスが違うので、できるやり方はあると思うから)ただ、結論を言ってしまうと、今の百貨店にはそのアイディアがあっても、実現する力がないように思う。むしろ、そういうアイディアを出すのはユニクロや無印からなのだ。本来、それを主導してしかるべき百貨店では、ない。ユニクロはジルサンダーとコラボする。そして、無印はあまり知られていないが、ヨージ・ヤマモトとデザインの契約を結んでいる。09A/Wの無印は、「おっ」とくるデザインがかなりあった。ありそうで、なかったというデザインが安価にあった。私も購入した。シャツ地のボタンで留めるパーカー 裏地にストライプが入っていて、インサイドアウトでも 使えるかもしれない。バイアスにチェックをかけた七部袖のシャツ *画像がよくないのは、ご了承ください。 私の腕の悪さです。僕が残念なのは、百貨店がそんな工夫さえしようとしているように見えないことだ。特に新宿 高島屋に関しては。ユニクロに押し切られてだけ、しているのではないか。それに、ユニクロだって、ユニクロのブランドだけでいいとは思っていないはずだ。昔、ユニクロ+というのを立ち上げたし(どこに、いったんだろう?)、セオリーを買収している。今後、ユニクロの大きな競合になるであろうポイント(ローリーズファームとか、グローバルワークをしているブランド)だって、トランスコンチネンツを買収した。・・・トラコンの洋服はセンスを時代に沿わせていますが、飛行機が飛んでいる時計がなかったのが残念・・・どうして、百貨店はその、高級イメージが欲しい、彼らの足元をみた交渉ができなかったのか。自分たちのロゴや、ブランドを作ろうとしなかったのだ。昔、昔。僕が子供の頃。大きな買い物といえば、百貨店だった。クリスマスのおもちゃ、ボーナスが入ったときの電化製品、入学式のおめかしの洋服。でも、電化製品が家電量販店に食われ、おもちゃだってトイザらスなんかでみんな買うようになった。唯一、残ったのが洋服と言っていい。なぜなら、洋服は家電や、おもちゃのように同じものを売っているわけではいから。独自性を求められる商品だったから。でも、百貨店はその独自性を作り手にゆだね、手を抜いてきたんじゃないか?そりゃ、工場を百貨店は持っていない。ただ、お客の声を商品に反映させることは、できたはずだ。そこでモノヅクリをすることはできたはずだ。一部、カスタマーレビュー商品ということでやっていたけど。だから、場所貸しになってしまったのではないか。どこも同じだ。はっきり言って。例えると、京都の大丸と、高島屋のメンズの売り場はほとんど、同じだ。違いはイッセイ ミヤケが入っているのかと、店員の対応くらいなものだ。全国的には、タケオキクチと、ポールスミスとバーバリーブラックレーベルが入っていない百貨店を見つけるのは、すごく難しいのだ。そりゃ、時代もある。洋服が売れないこともある。セレクトショップの店員のほうが、スペシャリストかもしれない。ブランドが路面店に力をシフトしている事情もある。でも、この時代の少量多品種の洋服で売上を上げないと一体、どうするのだ。その方法を彼らは探しているのか。そうなると、百貨店は何をするんだろう。一等地の立地を利用して、ホテルでも開業するのか。それとも、空っぽになってしまうのか。いつか、僕らは懐中電灯を持ちながら、真っ暗な廊下を廃墟として楽しむようになるのだろうか。「ここは、クリスマス前には子供の笑い声が聞こえてたんですよ」と言いながら。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎お仕事・ビジネス』まで
2009年07月25日
コメント(2)
「断食芸人」を読んだ。感想、書いてたけど、都合により削除しますね。まあ、ややこしい都合じゃないけど、ちょっと、学校のレポートに同じような文章を出すので、盗作とか思われると、嫌だからね。もし、読みたい人がいたら、メッセージちょうらい。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎ものがたり』まで
2009年07月21日
コメント(0)
こんな、ニュース記事があった。ウルフルズ活動休止の裏側でささやかれる「シビアなビジネス事情」事実かもしれないけど、僕は首をひねった。記事ではウルフルズ解散を計算していた、事務所社長は商人でアーチストを売り物としか考えていないように描かれている。「ヤリ手」って所に僕はトゲを感じてしまうのだ。でも、僕はこの社長に同情的である。所属するアーチストを眺めると、商人だけでは ないのではないか。 ウルフルズ、BONNIE PINK、Superfly…彼らは売れ筋なのだろうか?日本の音楽シーンにすぽっと出せば、売上枚数が稼げるのか。違うと思う。どうしても、はじめは耳に聞きなじみのない音楽だ。オリジナリティがあるといっても、いいかもしれない。初期にお金をかけて、何度も、何度も聞き手が音楽を聞き「ウルフルズって、いいよね」ってなる必要があるのではないか。 コアなファンは計算できるかもしれない。でも、現在のようなメジャーヒットは難しいじゃないかなという、人たち。ドーム講演よりも、大阪だと厚生年金会館 大ホール、あるいはZEPP大阪が似合うアーチストだ。これはアーチストを貶めているわけではない。何より、この所属アーチストは音楽に対して真摯であり、そして、みんな歌がうまい。僕はあるバンドマンに聞いたけど、トータス松本さんは精密機械のように歌が上手らしい。ライブでも、音程とピッチを外さないと。生演奏なのに、CDのようにずれがないと。 ただね。その上手さって、一般の音楽を聴くだけの僕にはわかるのだろうか。わからない。つまりは、トータスさんの実力は玄人好みである。BONNIE PINKだってそう。カラオケで歌うとわかるけど、一曲で音の高低差もあるし、変調だってある(ようだ)。もともと、オペラ歌手の素養がある彼女らしい曲なのだ。つまり、この森本社長には、日本の音楽やファンのためにも、このアーチストを世に広く送り出してやりたいって、思いがあるんじゃないか。素晴らしいものを届けるという、使命感。そして、この社会で人に届けるのは、売り買いをするビジネスという形が必要なのだ。比較を出す。 (失礼な言い方をするけれども)例えば、某AVEXが最近売り出している女性ボーカルのバンド。 僕はコレを聞いて、ちょっとむかついた。腹が立ったし、がっかりした。なんだか、ヒットを連発したおっさんのプロデューサーが 「まあ、こんなサウンド作れば売れるだろう」っていう、 聞き手を舐めてかかった、雰囲気がする。 MISAと宇多田ヒカル、そして、平原綾香さん、あるいはいきものがかりの吉岡聖恵が活躍するこの時代では女性の声に対する僕らの耳はすごく肥えているのだ。そんな舐めてかかった作り方は失礼ではないだろうか。だから、AVEXの、おっさんと思われるプロデューサーが時代から 少しづつずれているのに、気がつかないのは悲劇でもある。そのうち代償を払うだろうから、僕みたいな一市民の知ったことではないのだけど。とはいえ、AVEXのビジネス、プロモーションではある程度の売上は稼げるのだろう。ぽんと、日本の音楽シーンに出して、適度なプロモーションをすれば判ることが目に見えてるから。みんな、かつて聴いてきた、安心感のある音楽だから。一方、森本社長の抱えるアーチストはどうだろう。作品の質には妥協しないだろう。妥協しないということは、お金がかかるということだ。ウルフルズだって、BONNIE PINKも売れないころから PVは面白かったし、お金もかけて作っていた。 「ガッツだぜ」とかは、その例だよね。 BONNIE PINKに至っては長期間の留学も許している。 費用も事務所が負担したようだ。 (関西系のTV(MBS)、ミュージックエッジでBONNIE PINKが 言っていた) 歌いたい思いもアーチストにあるだろう。つまり、アーチスト単体をはいどうぞとのっけるだけでは、ビジネスとして極めてリスキーだ。そして、ビジネスというのはリスキーであればあるほど、計算高くなければならないのだ。売れないものを売るためには、工夫が何倍も必要なのだ。一見矛盾しているけど、ビジネスとして難しいアーチストを売りだすプロデューサーには有り余るビジネスセンスが必要なのだ。同時に、アーチストに対する、普通の人以上の情熱と愛情だっている。僕は思うのだ。僕はこの社長はビジネスと、アーチストの間で苦しい 決断を迫られている人間として、写る。 やりたいことと、やるべきことに心を引き裂かれるような人生ではないだろうか。 この記事で森本さんのビジネスマンの側面でしか捉えていないことが、残念でならない。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎お仕事・ビジネス』まで
2009年07月19日
コメント(4)
かつて、オシム監督は「日本のサッカーを日本化する」と記者会見で述べて、就任した。以前も考えたこともあるけど、その日本化、とは何だったのだろう。よく言われた、考えながら走るサッカーだろうか。この間のキリンカップ。ベルギーと、チリと日本代表は戦った。そして、大将を収めた。監督はオシム氏ではなく、岡田監督になっていた。でも、このキリンカップの日本代表は、素晴らしかったと思う。「日本化」されていた。どういうことか。あの布陣は日本人ではないと、少なくとも日本人のメンタリティでないと、できないのではないか。新聞では岡田監督の「中村憲剛のためのシステム」という言葉が一人歩きをしていた。確かに、それは、間違いではないだろう。でも、メンバーを仔細に眺めると「中村憲剛選手と遠藤保仁選手と、中村俊輔選手を共存させるためのシステム」ではなかろうかと思う。さらに、ここに長谷部誠選手も入ってくる。なぜ、この布陣が日本人しかできないと、私は考えたか。それは、中村憲剛選手と遠藤保仁選手と、中村俊輔選手のプレースタイルが似ているにもかかわらず、互いを生かしあっているからだ。打ち消しあってはいない。彼らはみな、パスを得意とし、ボールを散らすタイプの選手である。司令塔といっていいかもしれない。考えてみて欲しい。他の国であれば、司令塔タイプが3人もいるなんて、不可能に近い。攻撃面では重なり合うし、守備はみんなしなかったりする。でも、彼らは違う。長谷部選手も含め、みんなが守備をし、皆がパスを出し、皆が飛び出す。それも、とても起用に、流動的にポジションを替えながら。この間の岡田監督の日本では守備だけをするボランチはいなかった。攻撃だけをするミッドフィルダーもいなかったが。つまりは、こういう事だ。皆が状況に合わせてプレーを変える器用さと幅を使えたということだ。スペシャリストはいない。でも、ジェネラリストが各々の役割をそつなくこなすことで組織的な動きをする。そうだ。おそらく、その組織的であることを誇りに思うのが日本人なのだ。あらかじめ決められた役割だけではなく、状況が求める役割を果たすサッカーが「日本化」された、代表が行うべきではないだろうか。話をオシム氏に戻す。彼は多くのポジションで活躍できる選手をとても、とても、重宝していた。もしかして、それは、日本人にそういう選手が多かっただけなのかもしれない。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎スポーツ』まで
2009年06月05日
コメント(0)
チャップリンのモダンタイムズの「Smile」が細野晴臣さんがアレンジした音楽が流れていた。女性の小さく震えた、ジャズのような声が、センスのいい暗さを持つバーを思い起こさせた。そして、映像。アメリカの林立するビルがセピアのような黄色がかった色になり、傘をさした人々の黒い影がぺらぺらと舞い上がり、そして堕ちていった。常に、大粒の雨のように紙幣が降り注いでいた。ただ、これは芸術映画ではない。ドキュメンタリーである、「マネー資本主義 第1回 “暴走”はなぜ止められなかったのか ~アメリカ投資銀行の興亡~」だった。非常の骨のあるドキュメンタリーだった。世界の金融危機を生み出したとされる投資銀行の30年にわたる長きにわたる衰亡をたどっていた。わかりにくい用語の解説も詳しく、レバレッジの解説は実にシンプルで、判りやすかった。レバレッジって、非常に技術的に洗練された借金なんだってわかったしね。ただ、僕がこの番組にひかれたのは、その骨太だからだけではない。事実を判りやすく伝えるという使命を果たしているだけではない。そこに人間がいたからだ。いつの時代も変わらない人間の姿をあぶりだしていたからだ。人。投資銀行で金儲けをしようとする欲望を持っていた人がいる。危険性を察知する人がいる。警告を発したからこそ、組織を去らなければならない人がいる。そして、その渦に巻き込まれ破綻する会社がある。ソロモンブラザースであったり、リーマンブラザーズだ。組織がある。判りやすい英語を喋る彼らは、全員弱い人間に見える。「私は世界をつぶすつもりはなかった・・・もっと、利口になるべきであったのだ」元・ソロモンブラザーズ証券会長のグットフレンド氏の言葉である。愚かといってしまえばそれまでだ。悔恨さえ弱々しい。でも、グットフレンド氏はウォール街の帝王であったのだ。たまらなく悲しいことに思いませんか?欲を追い求め、やがては押しつぶされてしまう人間のたちの悲しい業(=なりわい)がこのドキュメンタリーからは浮かび上がってくる。うすっぺらい人間たちだ。そうだ。彼らが会社で論争になったことがあった。儲けている分野の人間、トレーダーが経営者に給与の大幅なアップを詰め寄る場面だった。経営者ははじめは拒否をした。会社のお金を使って儲けだだけの、社員だからだ。しかし、結局は大幅な給与のアップを認めなければならなかった。トレーダーが好条件で他社から引き抜きをうけていたからだ。それは、ニューヨークにあるレストランで話し合いがもたれた。こんな映像だった。今でもある個室のテーブルに座っている彼らは写真か、絵でしかなかった。下手な再現ドラマではなく、実際のレストランに紙が座っている映像だった。厚みのない写真が鎮座しているのだ。薄く、ぺらぺらで、しかし、正面の肖像である写真は威厳をもっていた。このマネー資本主義の、第一回目は事実を、経済的な事実だけを追い求めた結果、壁のように立ちはだかった人々をあぶり出していた。二回目を私は楽しみにしている。最後に、再びグットフレンド氏の台詞を引用しよう。「・・・顔ぶれも変わる。ゲームの内容も変わる。しかし、私の経験から言えば、天まで伸びる木はないということだ」※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎ものがたり』まで
2009年05月06日
コメント(2)
クライスラーが倒産した。日本の休み前だった。僕は思う。きっと、この倒産日は狙っていたのだ。日本が休みだから、世界恐慌が起きないから。リーマンブラザーズの時と同じではなかろうか。大きい企業だと、つぶれるのも大変だ。GMはお盆直前に破産法を申請するかもしれない。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎時事・ニュース』まで
2009年05月03日
コメント(0)
街で全品40%セールをしている、音楽や映画のCD、DVDを売っている店があった。高校とか、大学の時には私は時々、そのお店に行ったことがある。ただ、場所が数年前に引っ越してからは、行ったことがなかった。久しぶりにいった。入り口近くに人は多かった。そこにはCDがあり、DVDがあった。僕は店内をぐるっとまわった。なんだか、わかるような気がした。このお店が閉店する理由を。店のお店の半分以上がビデオの販売だったのだ。しかも、中古のビデオだった。かなり、格安で売られている。でも、今時、安くてもビデオのソフトを買う人はいないだろう。きっと、このお店はDVDの時代がくる時期を見誤ったのだと思う。だから、ビデオの在庫処分ができなかったのだ。安ければビデオを買う人がいる時期に、100円とかで投げ売りをするべきだったのだ。そして、その現金で店舗をキレイにしたり、DVDを揃えるべきだったのだ。今から思うと、なぜ、そうできなかったのだろうかと思うだろう。僕もそう思った。ただ、人が一番混んでいるコーナーを発見し、僕はビデオを投げ売りできなかった判断も理解できるような気がした。レコードのコーナーだった。そこには、中年の、やや独特の格好をした人々がいた。大きなレコードを何枚もかかえてレジに向かう人もいた。きっと、きっとだけども、ここの経営者はビデオはレコードのように生き残るのではないかと思ったのではないだろうか。貴重なコレクションらいんなどとして。でも、そうは成らなかった。なぜだろう。きっと、レコードの音が好きな人はいても、ビデオの画面が好きだとういう人がいないからだろう。ただそれも今の私から考えて、の、ことである。また、僕はお店を巡った。DVDには20代の人々が。レコードには、50代の人々が。そして、ビデオには誰もいなかった。それにもかかわらず、ビデオは場所を取るから一番、面積が広いようだった。背表紙が焼けたビデオがいくつも並んでいた。中古で、貴重なようにも思える。閉店になると、その理由は僕にもわかる。でも、きっと、商売が順調な時分にはそんなことはわからないはずだ。そうだ。それに、DVDを売っているショップだって、ネットのほうが安いのだ。もしかすると、このお店は、ここで潰れるほうが正しいのかもしれないのだ。あらゆる事の真ん中で、僕らはわからない未来と知りながら決断を、今にしないといけないのだ。おそらくは。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎お仕事・ビジネス』まで
2008年12月14日
コメント(2)
うるさいくらいにテレビで流れていた映画「ハンサムスーツ」のCMが消えた。理由は主題歌の「My Revolution」だろう。 だって、これはあの、小室さんの作曲家としての出世曲だから。小室さんの曲って、同じようなのが多くって、耳に残ったり 口ずさんだりするのが、少ないって言う。 でも、当時はかわいいモデル上がりの歌手でしかなかった 渡辺美里さんを歌手に持ち上げた「My Revolution」はいい曲だと 思う。 渡辺美里さんはこの曲があったからこそ、休場でのライブも成功できたんじゃないだろうか。なんだか、この曲がかわいそう。 親に裏切られた子供みたい。 曲にはなにの罪もないのに。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎時事・ニュース』まで
2008年11月09日
コメント(0)
「いつもみたいに、怖く無くって」甥っ子が母親、つまり僕の姉に言った「優しかったよ」と。僕は普段通りに遊んだだけだった。あるとすれば、ちょっとの違いだ。甥っ子と一緒に僕も楽しんだ。いや、楽しませてもらったと言うべきか。ただ、それが、大きく違ったのだろう。最近、甥っ子も成長して、どんどん一人で歩くようになった。事故をしたりすると、コワイ。誰にも申し訳も立たない。そんな、気持ちで僕は怖く怒っていたのだろう。でも、今日は長い間、車もこない公園でずっと遊んでいた。僕も心配がなく、楽しんだ。怒らずにすむ、そして、楽しい方法や場所は探せば近くにあるんだ。きっと、それは、何事も。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎小さなコドモ』まで
2008年10月13日
コメント(0)
半年以上前だろうか。僕はあきらめた。営業マンっぽい営業であることを。ある程度のはったりを使う。トークで説得する。顧客の要求に柔軟に対応する。それらは、営業マンとして、僕は必要な要素だと思っていた。今でも、かわらない。身につけようとも、した。でも、無理だった。はったりは苦手だ。トークは噛む。要求に柔軟に対応しようとして、どうしていいか、わからない。そうして、あきらめた。僕は営業マンらしい、営業にはなりえないのだ。だからこそ、僕にはしなければいけないことがある。はったりを使えないなら、事実を調べる。トークで説得出来ないなら、資料を作っておく。柔軟に対応できないなら、どうしたらいいかのプランを練っておく。要するに、出たトコ勝負が出来ない分、事前に考えておくという事だった。きっと、僕は営業マンっぽくないだろう。でもね、なぜだか、1年前より、僕は自分の数字目標を達成できている。そして、お客さんからも、前よりは評判がよさそうだ。自分のスタイルを見つける。当たり前のことかもしれない。ただ、ココまでに十年かかったことになる。そして、それは紛れもなく、僕自身の十年だったのだ。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎お仕事・ビジネス』まで
2008年10月09日
コメント(4)
アジアのホテルにいた。といっても、インペリアルとか、コンラッドなどといった最高級のホテルでもない。勿論、香港のペニシュランとか、シンガポールのラッフルズといった格式あるホテルでもない。やけに効き過ぎるクーラーのある、香港の安宿だった。勿論、テレビがある。そのテレビでは、チャンネルを押せば、BBCや、CNNが流れている。チェルシーや、バルセロナのサッカーだって見ることが、できる。でも、その日は朝からBBCも、CNNも同じニュースだった。リーマンブラザーズが連邦11条を申請したからだ。再建はするけれども、かなり巨額の債務が不履行になるはずだ。債務の不履行って、かっこいい言い方だ。要するに、払うお金がなくなったのだ。ニューヨーク証券市場がテレビの画面に映し出され、狼狽もしないコンピューターの表示が下落だけを示していた。でも、東京証券市場は写らなかった。なぜなら、休みだからだ。そのくらいは、僕でもわかる。なぜなら、僕は日本人だからだ。「今日も人がおおいやろなあ~」香港で合流した、友人が言った。僕は不思議だった。その日は9月15日で敬老の日ではあるが、月曜日だからだ。「なんで?」僕は彼に聞いた。「今日はあれだよ。中国も香港も休日なんだよ」彼は中国に数年住んでいた。中国の共通語である普通語も、ぼくからみると、ぺらぺらだ。香港の目抜き通りである、ネイサンロードではすぐに人の肩にぶつかった。カップにはいった、マンゴーのスイーツを歩きながら食べている若い女性が。僕にはみんな、同じ言葉のように聞こえたが、友人には普通語と、わからない言葉、つまり広東語が混じって聞こえたらしい。中国本土からの観光客が多いからだ。ふと、僕と友人は立ち止まり、露天で雑誌を買った。「MENZ UNO」なぜ買ったかというと、地下鉄にあった、その広告の女の子がかわいかったからだ。その中にはドルガバとか、ディオール オムとか、そして、少しだけどミハラヤスヒロの洋服のコレクション掲載されていた。実はもう一冊買っていたんだが、それは、ちょっといやらしい本だった。漢字三文字の名前ばかり並んでいたが、漢字 五文字の女性の名前があった。それは、日本では数年前に通常のルートのDVDからは引退していたはずの日本人のそういった女優だった。ネイサンロードの銀行は閉まっていた。でも、電光掲示板は動いていた。朝に、安宿でみたように、ニューヨークの株価が下がりっぱなしだった。でも、香港と、東京と、そして中国は取引がなく、平均株価の大きな画面には横棒が、しゃっと引かれていただけだった。勿論、休みの銀行に並ぶ人などいなかった。取り付け騒ぎを起こそうにも、銀行が業務をやってないのだ。もしかして、そうだったのかなって、僕は思った。きっと、リーマンの倒産は大分前には決まっていたのだ。でも、申請は9月15日に待っていたのだろう。日本と、中国と、香港が休みだから。もし、これが世界中のどこもが休みでなかったら、どの市場も下落し、難しい言葉でいうと、信用収縮が強くなるだろう。信用収縮ってヤヤコシイ言葉だけど、お金が払えそうにない可能性がどんどん増えることなんだろうって、僕は思う。きっと。でも、どこかで、ふと一休みすると、その収縮は弱くなる。パニックが、ちょっと落ち着くのだ。世界は一つで動いているかもしれない。でもね。どこかが休んでいる事が、必要なのだ。そして、人生に休みが必要な僕は会社を休んでバンコクと、香港を旅行していたのだ。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎時事・ニュース』まで
2008年09月29日
コメント(0)
スタジオにカメラが切り替わって、NHKの女子アナウンサーも涙を溜めていた。テレビを観ていた、僕は涙を流してしまった。選手が勝って感動したり、負けて悔しがるのはオリンピックの観戦ではよくあることだと、思う。でも、インタビューで感動して、涙を流すことはそう、あるわけではない。悔しさもあるだろう。でも、それよりも戦った後のすがすがしい、そして当然のように素晴らしい言葉にものすごく心を動かされた。女子レスリングで金メダルを逃し、銀メダルを獲得した伊調千春選手が表彰式の直後のインタビューだった。彼女は表彰式でも、充実した表情をしていた。悔しさを押し殺してただけではない。メダルを取った、喜びだけではない。そこには、何か、結果よりも自分がやってきたプロセスとそのプロセスに100%の納得を持ち得た人の持つ充実感があった。以下に、全文を引用する。ただ、このblogを読んでいる人には、彼女のインタビューをテレビや動画で聞いて欲しい。そして、表情に感じて欲しい。ゆっくりと、的確に、考えながら話す伊調千春選手からあなたもなにかしらを受け取れるのじゃなかろうか。スポーツナビの記事です。「アテネからの4年、本当に(妹の)馨と一緒に歩んできた道は最高の道だったから、その道を歩んでこれたことが、私の誇りです。だからこのメダルも金メダルだと。今まで頑張ってこれた自分に感謝したいです。(準々決勝でメルレニ選手相手に大逆転もありました)あのあと、メルレニ選手に「あなたが一番強いよ」と言葉をもらって本当にうれしかったし、こうやって勝負が終わったあとはメダルに色がついて差がついてしまうけど、私が今まで歩んできたレスリング人生は最高だったからよかったと思います。今まで応援してくださった方々、本当にありがとうございました。みなさんのおかげで最高の道を歩いてこれたと思います。」こんな考え方に、僕も到達したいなというインタビューを聞けたオリンピックはやっぱり、素晴らしい大会だ。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎スポーツ』まで
2008年08月16日
コメント(0)
また、嘘じゃないかなって思う。押しているはんこだって、嘘っぱちにシャチハタの印鑑を、事務員が押したんじゃないかって、疑う。でも、きっと、本当なのだろう。本当に読んでくれて、僕のつたない文章に評価をしてくれたのだろう。***僕はパートタイムの学生である。なぜなら、放送大学に所属しているからだ。気が向いたら、授業を聞いている。といっても、全科目を履修し、大学卒業の資格を取る訳ではない。科目を選んで履修する科目履修生として、二つほど、授業を取っているだけである。そのうちの一つは、「文学の愉しみ」である。世界文学を教えてくれるということで、趣味として受講している。それに、講師陣が魅力的だった。学生時代に海外の小説を僕は読んでいた。日本語に翻訳された形で。そして、講師陣はその小説の翻訳者ばかりだったのだ。特に、柴田元幸さん。僕は彼の翻訳を通じて、ポール・オースターを知り、チャールズ・ブコウスキーを知った。今でも、英語を原著で読めない僕にとって、「読むより翻訳が早い」と自身でも語っていて、東京大学の教授だった彼は遠い存在だった。それこそ、本の向こうの人だった。 そんな人の講義が、インターネットからでも聞ける「文学の愉しみ」という授業は、すごく楽しみであった。だから、受講した。じゃあ、真面目に受講しているのかというと、そうではない。何しろ、開講から3ヶ月たったのに、全15回の講義の、半分も聞けていない。でも、モノゴトには〆切がある。レポートなんかはそうだ。このレポートは受講から、試験までの間に一回、放送大学に提出しなければいけない課題である。中間試験のようなものだと思ってもらえればよい。多くはマークシート方式である。少し勉強し、教科書を読めば、答えられる。「文学の愉しみ」のレポートもマークシートだろうと、たかをくくっていた。だから、提出期限の10日前くらいまで、課題を封書から開けもなかった。封書を開けてみて、びっくり。なんと、講義で取り上げた文学について、1000文字以内で論じろという課題であった。丁寧に原稿用紙までついていた。そして、課題と原稿用紙の後ろには添削欄と書かれた枠があった。何に使われるのかなって、思うどころじゃない。課題を仕上げないといけない。僕は急いで、教科書を開き、そして、興味があり、時間が間に合う課題を考えた。できれば、以前に読了した小説がよい。そして、できることなら、僕でも原文を読んでも時間が間に合う短い作品がよい。カズオ・イシグロさんの作品とかでは、原文をなぞるのも長くて不可能だ。そこで、僕はレイモンド・カーヴァーの作品である「大聖堂」を課題に選んだ。(「Carver's Dozen」 中公文庫収録 村上春樹翻訳)***なんとか、レポートを書いた。内容はカーヴァーの作品が持つ日常の空虚さが「大聖堂」という作品では救いのキッカケに変化しているとか、そんなことだった。ちょっと、こじつけかなとか、思いながら提出した。時間がなかったのだ。それから、すこし後悔した。あらずじを書くのなら、もっと、老人と主人公の違いと、最後の精神的な交差を詳しく書くべきだったのでは、とか、字を丁寧にすればよかったとか。でも、出してしまったのは仕方がない。そして、僕の日常はそれだけに関わっているだけでは、成り立たないのだ。朝起きて、電車にのり、仕事に行き、電車にのり、家に帰る。空虚とまでいうつもりはないが、繰り返しの中で、僕は生きる技術を持ち、向上させたつもりで、日々を過ごしている。それが、僕の人生の時間の大半だ。***金曜日だっただろうか。僕が提出したレポートが大学から返却されていた。僕の解答の横に、○とか、◎が赤いボールペンで記載されている。そして、気にもかけていなかった講師添削欄、正確には「解答に対する総合的な指導・助言」も同じ赤いボールペンで字があった。ちょっと、丸字だけども、とても読みやすい。最後に「主任講師(添削責任者)」にはんこがあった。「柴田」それだけ。でも、多分、いや、きっと、間違いがなく、それは講師である柴田元幸さんのものなのだろう。しかも、褒めてもらっている内容だった。指導・助言欄の下にABCで評価が三項目あるが、全部Aだったんだ。学生へのサービスかもしれないなって、30歳を超えてしまった僕は疑っている。ただね。それを差し引いても、とっても嬉しかった。大学の時、僕はなぜか本ばかりを読んでいた。高校まではちっとも読まなかったのに。社会人になり、生身の人間のことを経験としてわかってないなと感じた僕は本を読んでいた日々を無駄だなって振り返ったりした。それでも、僕は社会人になっても時々本を読み、小説を書いたりしてきた。小説は芽さえ出ていないけど。だからね。そんな、僕に小説について、案内してくれた翻訳者の人が僕の文章をちゃんと読んでくれてるっていうのが、たまらなかった。思いがけなかったから、涙なんて出なかった。無駄じゃなかったんだな。僕の時間はね。やっぱりね、学ぶことは続けないといけないんだ。一度、どこかで決めたなら。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎日々の「なんだかなー」No2』まで
2008年07月06日
コメント(0)
めっちゃ前に、僕はプレイボーイを買わなくなったことを書いた。「プレイボーイを久し振りに買わなかった~政治の現場終了~」ホントに、随分前だ。でも、最近はちょくちょく買っている。やっぱり、記事の質が高いからだと、思う。グラビアもいいけどね。読んでいて、面白いし、すごいためになる。もし、疑われるのなら、連載されている「解剖!となりの会社力」を読まれると良い。わずか見開き2%だが、資本回転率とか、専門用語も使わずに、その企業の現在の状況の大枠がわかる。この記事では企業の沿革と、売上、利益という、基本的な要素をびっちりと押さえているからできるわざである。蛇足になるけど、僕はある特定の記事のレベルが高い雑誌は、他の競合の雑誌より、あらゆる意味でクオリティが高いと思う。男性ファッション誌も僕はいくつか読んだけど、インタビューとかの読み物の人選から興味深く、文章も引きつける書き方をしているのは「MENS NONNO」だった。プレイボーイと、MENS NONNOのクオリティの高さは言うまでもないだろう。さて、前置きが凄く長くなったのだが・・・。今回の「第43巻 第25号」で僕はこのフレーズは凄いなって思ったのがあるので、紹介する。63頁に、大阪の芸人、長原成樹のインタビューがある。その見出し。「僕は日本人でも韓国人でもなく『生野人』やと思ってるんです」うん。僕は生野には住んだことがなく、通りかかっただけだけど、この雰囲気はよくわかる。そして、現在は、スポーツの世界で帰化の問題が取りだたされている。確かに、歴史は色々ある。互いに都合良く、歴史を解釈したこともある。誰か正しくて、誰が間違っていて、何が事実で、何が誤解かを解きほぐすのも難しい。現在ではかなり、冷静に、ほぐれてきてはいるけれども。それでも、ふと思う。そういう政治的な問題って、住んでいる人にはどういった影響をしているのだろう。そりゃ、僕にはわからない、苦労とか、イヤな事とかはあるのだろう。ただ、それだけで彼らを語って良いのだろうか。ヤヤコシイ歴史があったにせよ、彼らは日本で、人生を生きているのだから。先ほどの長原成樹さんの『生野人』って言葉にはそんな、長原さんの人生の重さがあると思う。政治が軽い言葉になったとしても、長原さんが、生きて、永遠の若手と言われながらも、関西で活躍しているのは事実なのだから。こういうシンプルな言葉に、本質を突くと同時に、事実の重みを乗せたものを長原さんから引き出し、見出しにしたインタビューアーの西岡 研介さんの実力って凄い。なんか、また、プレイボーイを買い続けそうだな。なお、長原さんは「犬の首輪とコロッケと」を出版されました。僕は購入をしちゃいました。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎ものがたり』まで
2008年06月29日
コメント(0)
こんなニュースだった。「作家の氷室冴子さん死去…少女小説で一世を風靡」小説を発表しなくなった作家が久しぶりにニュースになったら死亡記事だったのいうのは、よくある話である。しかし、それでも、やっぱり、氷室冴子さんが亡くなったのは僕は驚いたし、悲しかった。一度、このBLOGで、氷室さんの「シンデレラ迷宮」について、書いたことがある。亡くなる前の数年間、彼女は小説を書いていなかったようだ。なぜだろうか。病気と闘っていたのかもしれない。本当のところはわからない。でも、もしかすると、彼女は書くことに迷っていたのかもしれない。当時。多くの少女小説家と呼ばれた人たちに対して、物知り顔の文学評論家とかは厳しかった。文章になっていなくて、めちゃめちゃだって。自由すぎたり、ご都合主義のカタマリだったのだろう。ただ、彼らの多くでさえ「氷室冴子は違う」と言っていた。まず、文章が上手いと。まあ、彼らはそれ以上はあんまり、触れなかったけど。僕が思うに凡百の少女作家の自由さが、本当に勝手だったんだと思う。音楽になっていないまま、ピアノを自由に叩いて、だれが感動するというのだろう。感動する人がいたとしても、いくら、自由でも即興でも、それはジャズではない。一方で、氷室冴子さんの書く即興さは、音楽であった。多くの人が納得できる、スジがあった。むしろ、クラッシックの教育を受けたピアニストがジャズに転向して奏でる 音みたいだった。 一読して、とんでもないとしても、どこかしら、読者の我々は、安心感をもてた。 江戸時代にロケットが飛んでも、ありえないと思うのではなくて、まあ、このお話の流れなら、しかたないかなって、読者に思わせた。氷室さんの文書の自由さは、古典小説をふんだんに吸収した上で生まれていた。たとえば、「ジェイン・エア」あるいは、「嵐が丘」。ただね。そこが、彼女の限界であり、特徴であったとも言える。批判しているつもりはない。だって、多くの物書きは、自らの限界や、特徴さえもつかめず、迷っていく人が多いのだから。そうだ。氷室冴子さんは上手かった。シャープだけど、演じている文章がかわいかった。自由に書いて、センシティブを表現した。技術の高い書き手だった。でもね。それは、少女のメルヘンに限定されていた話。ちょっと、その持ち場を離れると、彼女の筆の技術の輝きと、巧みさは消えてしまっているみたいだった。一言ですますと、おかしいけど、彼女の自由さは清純であるという前提が成り立っている世界でないと発揮されなかった。無意識の前提に清純さと、一種のイノセンスは、少女小説とそして、古典の教養文学にはあった。氷室冴子さんは、その前提条件を崩すことがなかったから僕らは安心できたのだ。自由にジャズをひいているように見えて、実は、昔ながらのむしろ目新しくない和音の組み合わせを繰り返しているだけだったのかもしれない。不協和音で、不純で、不確実なオトナの世界では、彼女は何を書いていいのか、わからないみたいだった。書いたとしても、いささか、キレイゴトのレギュレーション(規制)を嫁したため、面白みにかけるものになった。リアリズムに書こうとすると、舞台や背景に現実の原因と結果の枠組みをはめるため、カチコチに主人公の行動パターンをレギュレーションにかけると小説全体が動かなくって、面白くないのだ。主人公に「清純」なレギュレーションをかけても、小説が動くのは舞台や背景が作者で勝手に作れる時だ。それが、古典的なご都合主義であったり、少女小説の突拍子もなさになるのだ。多分。それが氷室冴子さんが、最後まで大人向けの小説で「少女小説」以上の達成を得ることができなかった理由かもしれない。あるいは、彼女がもう少し生きていれば、こんなバカゲタ、僕の意見など消してくれる小説を書いてくれたかもしれない。それに。別にイイじゃないか。小説家がみんな、オトナの不協和音を迫力で書ききらなくてもいいじゃないか。大人向けの小説がよくて、少女小説が悪いなんてだれが決めた。古典的な和音より、新しい音のほうが素晴らしいなんてだれが決めた。少女小説であっても、古典的な和音であっても美しいものは美しいし、表裏一体のセンシティブと豪放さを巧みに書けている小説は、やっぱり、素晴らしいのだ。例え、死亡記事が少女小説という書かれ方でくくられてしまおうが、氷室冴子さんの小説は僕は素晴らしいと思う。迷っていたのなら、書き続けて欲しかった。そして。今回も言うが、なんで、「シンデレラ迷宮」が絶版なのだろうか?さて。最後になりましたが、氷室冴子さん。安らかにお眠り下さい。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎ものがたり』まで
2008年06月09日
コメント(0)
ポイントカードを作っちゃう。あんまり使わなくても、常に特典が付くとか言われると、作ってしまう。昔からだ。年齢とか、住所とか、電話番号とか、そんなのを書いて、登録する。ふと、気がついた。生年月日の年号に、明治がない。ついこの間までは、明治ってあったような気がする。その思いこみがあって、気がつかなかったのだろう。調べてみた。明治45年生まれであっても、95歳になっておられる。確かに、可能性はほとんど無い。きっと、ポイントカードを提供する企業も何年も明治生まれの人の登録がなくて、廃止したのだろう。僕は昭和51年生まれの31歳だ。ポイントカードを作り始めたのは、いつだろう。診察券とかにも、生年月日は記入する。10歳くらいとしたら、21年前になる。まだ、明治生まれの人がおられても、おかしくはない頃だろう。月日は早い。そういえば、8月に恒例の戦争体験を語る人の年齢も上がってきている。あと、10年もすれば、この国から戦争の記憶は消えてしまうのだろうか。ポイントカードの大正生まれの欄も、そのときには無くなってしまうのだろう。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎日々の「なんだかなー」No2』まで
2008年06月01日
コメント(0)
日曜の晩に情熱大陸は時々、気分が悪い。番組のせいじゃなくて、僕のせいなのだけど。この番組はクオリティが高い人の、そして、素晴らしい人の情熱的な活動を描いている。才能のある人たちが手の届かない世界で活躍しているのを見せ付けられてしまう。じゃあ、明日からの僕はどうなんだろう。比べてしまう。嫉妬が入り込んだその気分は、明日からの仕事かと考える僕の心にいいわけがない。平凡さえロクにこなせていない僕と、情熱大陸の素晴らしい彼らとは別世界と思わざるえない。僕の世界と別世界はどの位離れているのだろう。バングラディッシュより遠いのだろうか。・・・バングラディッシュ?・・・先々週だったか。情熱大陸の舞台はその遠く離れた国だった。女性がいた。ニコニコとした丸顔でショートカットの女性だった。目がくりくりしていて、とてもガーリーな雰囲気だった。東南アジアやインドのバックパッカーでもおかしくはない。いや、むしろ、原宿から歩いて表参道の入り口に立っているしゃれた日本人の学生みたいだった。事実、日本人で彼女は26歳だった。山口絵理子さん。でも、彼女は表参道ではなく、バングラディッシュにいる。彼女はマザーハウスという会社社長でバングラディッシュで製造したバックを日本で販売している。バッグのクオリティは高く志しており、彼女は日本の市場で売れるようなちゃんとしたバックを作ることを目標にしている。つまりは、彼女がやっているのはマットウなビジネスなのだ。いいものを作って、正当な価格で購入してもらう。決して、お情けの援助でバッグを購入するわけではない。ただし、彼女はビジネスの成立を目的にビジネスをしているのではない。目標はバングラディッシュの、貧困の解消に貢献することだった。その国が世界にほこる産業があれば、貧困は根本から解消する。山口さんの情熱は、その目標にあった。実は山口さんが学生のころに国際銀行にインターンで所属していた。世界貢献ができるかなって。そこで、疑問に思う。本当にこの援助が貢献になっているのだろうか。この援助が必要な人に届いているのだろうかと。彼女はバングラディッシュに旅立ち、麻の素材のひとつであるジュードに出会う。「これで、かわいいバッグを作ったら、日本の人にも買ってもらえるんじゃないか」って。援助でもなく、バングラディッシュの人が力を自然につけられるんじゃないか。だって、いい素材なんだから。山口さんは、誰でも思いつくかもしれないけど、誰もが手を出そうとしないことをはじめた。ようは実現したのだ。そう、この情熱大陸の物語はまだ、始まったばかりなのだ。彼女のビジネスは小さな布石を示しているだけかもしれない。そんな、バングラディッシュの彼女はとても素敵だった。どちらかというとあどけなく、目がくりくりしていた。たぶん、小柄でもあるのだろう。偉ぶってるところも、エリートぽさもない。なにより、かしこまった信念を持っている人のような暑苦しさはない。僕のタイプの女性でもある。(苦笑)そんな、彼女のひとつの風景。工場で彼女は言った。「この工場がまた、人増えたんですよ。はじめは4人だったんですよ」すっごく、シンプルに彼女は笑っていた。クリスマスプレゼントをもらった、子供みたいにはしゃいでいた。そういえば、スーパーでちょっと豪華な食事を買ったときもはしゃいでいた。山口絵理子さんを表現しようとすれば、するほど、普通の女性になってしまう。悔しかったら泣き、楽しかったら、笑う。それに、僕はとても、心を打たれた。彼女が属している世界は、僕とかけはなれた、才能がある人しかいけない世界じゃない。といっても、一昼一夕で彼女ほどにはなれないだろう。でも、やりたいことを掘り起こせば、僕にもなにかできるかもしれない。そう、思わせてくれた。普通の感覚を失わない、素敵で芯の座ったパワフルな女性に僕は感じ入ってしまった。彼女のビジネスパートナーはこんな風に言った。(記憶なので、細かな点で間違いはあるかも)「彼女は私が出会った人とは違った哲学の持ち主です。援助は人を物乞いにさせてしまう。でも、彼女はそうじゃない。ビジネスでこの国を変えようとしている。それが、私が彼女といる理由です」山口さんもこんな風にいった。「みんな知らないだけじゃないかなぁ。本当はこの国の人たちもできるってことを、ね」彼女の素敵さはテレビの向こうから伝わってきて、気持ちのよい日曜日だった。あたりまえの、情熱を持つべき世界は、そんなには離れていない。なにしろ、笑ったり泣いたりする山口さんみたいな人が、ここと、バングラディッシュをつないでくれているんだからなお、僕はすぐに、彼女の著書である「裸でも生きる」は予約しちゃいました。はい。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎ものがたり』まで
2008年03月29日
コメント(6)
固いニュースになるけど、ハローワークの業務の民間委託の実験が東京都で行われるようである。ニュースはこちら。いいニュースだと思う。是非、進めて欲しい。でもね。僕はもっと、先にできることがあるんじゃないだろうかって、ずっと思ってた。それは、「ハローワークの職員の一部は、国家公務員の試験を通過しなくてもいい」っていうことを先にやるべきじゃないかと。要はハローワークの職員に民間での働いた経験が豊富な人を入れろってこと。あのね。ハローワークの職員って国家2種か、国家3種を合格した公務員なんだよね。システムとしては国が雇って、その後にハローワークって部署に振り分けられることになる。そしてね、なにより、この国家試験は年齢制限が結構シビアである。確か29歳以下だよね。試験自体も難しい。だから、一番多いのは大学を卒業してすぐに合格する人だ。次は一回就職したけど、辞めて、一年とか固めて勉強した人だと思う。つまり、社会でキャリアをちゃんと積んだ人って、ハローワークで働けないのだ。これって、おかしいと思う。だって、ハローワークの仕事は僕たちに民間の仕事を斡旋することが基本。でもね、それに付随して履歴書や職務経歴書の書き方とかも指導している。一部、カウンセリングとか、コンサルタントみたいな仕事もしなきゃいけない。そのときね、自分に民間での職業経験がないのに、人に教えるってできるのかなって、疑問。いや、そりゃ、できる人もいるよ。でもね、やっぱり、会社って何かっていうことを体で知ってる人はいなきゃ、おかしいと思う。実際に体験してないと、通り一遍のアドバイスになっちゃうでしょ。服は紺色が妥当だとか、履歴書に修正液は使わないとか。そりゃね、そこも大切だけども、もっと大切なことがある。求職している人のコアな能力は何なのか、そこをどのようにアピールすればいいのかって。それを、引き出してあげなきゃいけない。そして、十分に引き出すには企業での経験がある人が、いても何の不都合があるんだろう。少なくともね、ハローワークは民間の企業と一番関わりのある公的機関なんだから、民間の人へ門戸を広げるべきだろう。国家2種とかとは、別のルートで社会人枠を作って、試験や、面接をしたらいいのじゃないかな。ハローワーク専属の職員としてよ。ちょっと前に、学校の校長先生が民間から登用される事例があった。素晴らしいことだけど、僕は同じ民間人の力を借りるなら、よっぽどハローワークのほうが先だと思うんだけどな。丸ごと民間委託して、従来のハローワークと競争するのも大切だろう。でもね。そうなるためには、従来のハローワークがよりよくなるシステムを作らなきゃいけないよね。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎時事・ニュース』まで
2007年05月12日
コメント(0)
「わたしが、およよさんの、成長を止めてしまった」月日は早い。でも、大丈夫だよ。僕の歯車は、ちゃんと、回り始めてるから。ちゃんと。やっと、かな。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎日々の「なんだかなー」No2』まで
2007年05月07日
コメント(0)
将来は怖い。人生は不安だ。でも。戦わない人間は勝つことさえできないのだ。って、ヘミングウェイみたいなことまでは断言しないけど。ただ。自分を大切にできない人間には大切な人生を神様も与えにくいと思う。センシティブになってけど…ネットカフェ難民のテレビをみてて、そう、思った。そりゃ、社会はひどい。正社員でもすぐにクビにできる。…2ヶ月分の給料を払えば。でもね。そういうことがあるって、思って、何かを磨いておけば、絶対に大丈夫だよ。そして、そういう会社には戦わないと。絶対に自己都合の退職にもっていこうってするから。ま、また、落ち着いたら書いてみようかな。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎日々の「なんだかなー」No2』まで
2007年04月30日
コメント(0)
…「中編」から…そして、まだ、この小説の一番効いている挿話は、やはり北極熊の挿話だろう。最後の最後の挿話である。北極熊は一年に一回、出会い頭に雄と雌がセックスをして、雄がさっさと逃げて、他の季節は孤独のままに過ごすという挿話である。きっと、さつきと、その相手のことをなぞるような挿話だ。そして、ニミットの主人であったノルウェイ人はニミットにこう語る場面で挿話は終わっている。「…なあ、それでは私たちはいったい何のために生きているんだい?』」(単行本 125頁)なにが効いてるって「私たち」って言葉。この小説にはさつき、ニミット、ノルウェイ人、さつきの相手が主要な人物として出てくる。勿論、さつきの相手は舞台には登場しないけど、舞台裏で彼らを引きずる重しのように存在している。故郷で生き続けている相手、故郷に戻ることさえできすにずすでにタイで亡くなったノルウェイ人、半分死んでいるようなニミット、そして、孤独に生きているさつき。キャラクタライゼーションの特長は微妙に重なりながら、しかしながら、みんな別々の人間だ。また、ニミットとノルウェイ人は長くにわたり親密な関係だったが何も残せず、さつきと相手は一瞬だったが、何かを残し、でも井戸の底にほうりこまなければならなかったりもしている。この「私たち」って台詞が出てくるところで、彼らのコントラストや対立、それこそ、液状化してぐちょぐちょになるように溶けて一緒になる。残るのは、登場人物の総てが各々に病のような運命を抱えて生きていること。ただ、人によって運命の形がきっと違うだけなのだってのが、ぶわあってわかる。解決には、あるいはさつきのように、夢を待つしかなにのだと。そして、「私たち」は登場人物だけではない。きっと、読者である我々も「私たち」なのだ。だから、きっと「そして、夢がやってくるのを待つのだ」(単行本 125頁)という最後のさつきの決意が、僕らの読み手のココロの芯に強い影響を与えるのだ。通常、ここまでに考えられ、構成がかっちりした小説は訴えるもや、読者へ及ぼす訴求力が弱かったりすることがある。だって、作品で簡潔しているから。読者は客観的になぞればいいだけなのだ。すごく、トリックがしっかりしたミステリーを思い浮かべてみればいい。感心はする。でも、感動はしないといった小説ってあるよね。でも、「タイランド」はそうじゃない。北極熊の挿話のおかげで、読者も巻き込む力がある。ただ、この挿話の力は両刃の剣でもある。それまでの整った小説や人物の整合性を破壊するくらいの力を持つからだ。おいおい、それを言ったらおしまいじゃないかって。しかも、それは北極熊の挿話の直前に真実を喋りたがるさつきに対するニミットの言葉だって破壊力がある。「いったん言葉にしてしまうと、それは嘘になります」(単行本 123頁)これを言ったらその言葉でも、小説にならないんじゃないかとも。それでも、この小説は破壊されてはいない。あくまで、破壊されているのは小説が小説に求めてしまう自己完結性だけである。構成がしっかりしすぎて面白みを欠けさせてしまう、その構成だけを破壊している。いや、内側から湧き上がるように構成をから打ち砕いている。それこそ、液状化しているみたいだ。綺麗に分析されていた小説が、北極熊の挿話でぐっと統合してしまっている。だから、極めて上手く書いた小説だけにとどまらず、分析してもしきれない不思議なものをこの小説は持っている。技術で持っていくとこまでは持っていくけど、それだけに頼り切ってはいない。作者ははこの挿話を我慢して、我慢して、最後にこの挿話を出してきたのだろう。言葉と物語と、さつきのココロが響きあっているからできるんだろう。上手いだけではなく、小説の凄みだってあるのだ。だから、「タイランド」という小説は技術的にも、それ以外の面においても、私は村上春樹さんの短編の中では最高傑作であると、僕は考えている。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎村上春樹さん』まで
2007年04月22日
コメント(2)
…「前編」から…そして、感覚的になるのだけど、この挟み込みもいやらしくない。読むだけではつかめない書き手の技術があるように、僕は感じてしまうのだ。きっと、村上春樹さんは物語のスキームを、やりやすいものに落とし込んだとしても、それとは違ったものが書ける自信があったのだと思う。「タイランド」の凄さは物語のスキームの巧みさだけではない。一つ一つの言葉が物語りや、さつきの感情の流れにものすごく沿っているものなのだ。例えば、地震の「液状化(リクイダイゼーション)」って言葉に説明がかなり割かれている。これは単に地震の描写をしている用語である。まあ、一回目に読んでいると、そうとしか思わない。この「液状化」の描写はくどいなあって。ちょっと、引用。「私たちは足元の地面という固くて不動のものだと、頭から信じています。『地に脚をつける』という言葉もあります。ところがある日突然、そうではないことがわかる。堅固はなずの地面や岩が、まるで液体のようにぐにゃぐにゃになってしまう。そのようにテレビのニュースで聞きました。液状化(リクイダイゼーション)と言いましたっけ?幸いなことにタイには大きな地震はほとんどありませんが」(単行本 107頁)でもね、この説明はあとで凄く、聞いてくる。なぜならば、この話は堅固に誇っていたさつきのココロが、それこそ、ぐにゃぐにゃにされる、さつきの心境の小説でもあるからだ。つまり、この液状化の説明は地震の液状化の説明でありながら、なおかつ、小説自体の流れや、目的をもあらわしている。論理から響の世界に下りてゆく話なのだ。そんなの偶然じゃないかって、思うかもしれない。村上春樹さんは地震の説明をしてるだけだって。なるほど、そうかもしれない。僕だって、その可能性は捨てきるわけではない。でも、やっぱり、僕は村上春樹さんという作家は意図的にこの説明を入れ込んでるんじゃないかって思う。他にもこんな描写がある。ジャズについての説明だ。「…胸の中からなんとか抜け出そうとしている自由な魂についての物語なんだ。そのような魂は私の中にもあるし、お前のなかにもある…」(単行本 115頁)これはジャズの説明でありながら、なおかつ、さつきが抜け出そうとして抜け出しえなかったココロの描写とも言えるのではないか。少なくとも、僕はそう思う。一見、関係のない挿話、最後の北極熊の話もそうだけど、が物語やさつきの心象のラインを形作っている。言葉と、物語が互いに響きあっている。無駄に見える話が、実はボディブローのように読者に効いてくる。さて、余計に見える描写ではジャズとともに、水泳の描写も多い。ジャズの記憶はさつきの父親につながり、水泳はさつきの若い頃を思い出させる。小説の中盤はこの描写に大半が割かれている。堅固な志向の世界から、肉体的で、無意識の世界にさつきが向かうブリッジの役割をしている。さつきが徐々に原初的な世界に引きずり込まれていく過程である。「…なにも考えないことだった。」(単行本 113頁)水泳っていうのは「プールサイド」(「回転木馬のデッド・ヒート」収録)とうい作品でも書かれてますよね。立場は随分と違いますけど。この水泳と音楽にさつきが耽溺し、完全な休暇で、いわば生活していくためのガードのようなものが半ば外された状態になるから、最後の老婆とのやりとりに説得力をもたせるのだ。いきなり、老婆を登場させれば、ここまでの説得力を「タイランド」は持つことはなかっただろう。そこに、老婆とのシーンに向かって、主人公にきっちと準備させるために我慢しながら、筆を進めている作者の姿が浮ぶのだ。…では、「後編」へ…※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎村上春樹さん』まで
2007年04月22日
コメント(0)
村上春樹さんについてはこんな意見も多い。「長編作家ではない。むしろ、短編の名手とみるべきだ」と。アメリカの文芸誌のニューヨーカーの編集者の一人もそんな風に言っていた。僕の親しい友人も同じ意見を持っている。「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」や「ノルウェイの森」はスゴイ小説だと考えている僕はこの意見に反対…したいところなんだけど…あたってるかなあって気もする。実際に村上春樹さんは短編が凄く上手い。名手といってもいいだろう。また、長編もロマン・ロランとか、トルストイみたいに少ない人物を長くに追い回すといった作りこみ方をしない。村上春樹さんの長編は、短編小説のマテリアルやフラグメンツをいっぱい放り込んだ挿話の多い長編小説である。さて、その村上春樹さんの数多い短編小説の中から本日取り上げるのは「タイランド」(「神の子どもたちはみな踊る」収録)である。なぜ、「タイランド」かというと、この小説が一番、村上春樹さんが短編小説の技術の粋を使って作りこんだ作品のように思うからだ。どちらかとういうと、玄人好みの作品であり、最高傑作であると思う。この点では僕と友人の意見は一致している。じゃあ、一番ファンの多い短編かというと、そうじゃないとも、思う。きっと、短編集「神の子どもたちはみな踊る」の中での「タイランド」の人気は「かえるくん、東京を救う」や「蜂蜜パイ」には劣るような気がする。第一、好みで言えば僕は「めくらやなぎと眠る女」(「螢・納屋を焼く・その他の短編」収録)のほうが好きだ。でも、この二つの人気がある短編は村上春樹さんだったら、書けて当たり前の小説であるともいえる。特に「かえるくん、東京を救う」はかえるくんという存在が、村上春樹さんの頭にポンって浮んだ瞬間に勝負がついているようなものだ。あとは、かえるくんが自在に物語で動いていけばいいのだ。そういう点で、「かえるくん、東京を救う」は物語の引力に任せた小説と言っていいだろう。どんな結末になるのかなって、作者も物語にまかせて、ひょいとなげるように書いた小説に見える。でも、「タイランド」は違う。これは作者が技術の粋を尽くして作り上げた小説だ。徹頭徹尾、作者がコントロールしている。始まりと、途中と、結末が、きっと、書く前から作者の頭にがっちりをあったに違いない。ここが素晴らしい点でもあるのだが、それがちっともいやらしくない。また、無駄もない。一件、無駄と思われるウンチク話が、実は、主人公であるさつきをココロや夢の世界に引きずり込ませる伏線になっている。ここで、この小説のおおかたのあらすじを紹介しておこう。研究医であるさつきが、タイでの休暇の旅行でニミットと不思議な老婆と体面し、おそらくは堕胎した事実や、その息子の相手が生きている事実を受け入れる話である。さて、まず、この小説のポイントは「おそらくは」である。ストレートには書いてないけれども、強い調子でほのめかしいている。おそらくその堕胎のためにさつきは子どもを産めない体になっていたのだろう。だから、彼女のアメリカという土地での結婚も上手くはいかなかった大きな理由にもなっている。この堕胎とかの事実は小説では強く隠されている。だからこそ、浮かび上がりもする。隠すことで強く表現するってのを、広告手法で「ティザー」っていうようだけども、村上春樹氏は他の短編小説でもこの手法をかなり使っている。例えば初期の作品「午後の最後の芝生」(「象の消滅」収録)でも使われている。「午後の最後の芝生」もとてもいい短編なんだけども、ちょっとやりすぎというか、肩に力が入っている気がする。風景描写の量がやたらめったら多い。いささか隠しすぎている。だから、印象としてはあざとくなっている。だけども、「タイランド」ではそんなあざとさはない。きわめて、ナチュラルに過不足なく隠されている。そして、その隠されているものの噴出の具合もコキコキとした不自然さはない。この「午後の最後の芝生」と「タイランド」の距離を測ってみると、村上春樹さんという作家が純粋に、テクニックの面で向上を続けられたというのが、わかる。素人の僕が言うのもなんだけれども。さて、テクニックの問題でさらに一つ書くと、オープニングと、クロージングの部分も上げられる。これはどちらも飛行機の機内である。始まりと終りのシーンに共通の場面ににすると文章のすわりは凄くよくなる。登場人物の心境の変化のコントラストもつけやすい。逆にプロの作家がこれをやると、やっぱり、あざとく感じる。おいおい、プロがそんなもの使うなよって、僕は言いたくなる。でもね、この「タイランド」ではそうは思わない。ベストの選択肢だろう。確たる理由は三つ。まずは、やっぱり、小説の入りのシーンでは理屈っぽいさつきが、終りではただ、眠りを待つという原初的な人間の営みに体を任せているコントラストが一番表現できること。次に、最後の機内のシーンの前の北極熊の挿話が極めて印象が強いこと。この挿話で終わるのもアリだけど、あまりにも座りが悪すぎる。三点目は、最後は飛行機で始まって、終わることで、さつきにとってのタイランドはあくまで休暇であり、特別の時間だったってこと。彼女の日常はタイランドではなく、飛行機が出発した、あるいはこれからある着陸する場所にあるのだというのがわかること。言い換えれば、このタイランドでの彼女の特殊性が浮き上がること。そりゃ、途中の象の描写だけでタイであることは表現できる。でも、さつきにはタイは運命のトランジットの場所であるってことは、移動している飛行機の描写があったほうが効果的だったのだろう。…では、「中編」へ。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎村上春樹さん』まで
2007年04月22日
コメント(0)
本当は応募前に読んでもらいたかった。誤字、脱字を含めて、練り直しをしたかったからだ。でも、僕の筆が遅くって、また、現実もとても大変だったから、そんな風にはいかなかった。3月末に応募、提出した新人賞の小説を友人に読んでもらった。 彼の小説を読んで、僕は「天才だ」って思っていた。そのくらい、文章の上手いやつだった。僕と彼は、同じ中堅大学に通っていた。中堅というより、中途半端大学とでも言いたいくらいだ。それで、サークルが同じで、文芸部ってとこに所属していた。要は小説を書いて、合評したりしていた。 人のことは言えないが変な奴が多かった。大体、小説を読んでいて書こうという女の子は普通だったり、クセがある程度だ。まあ、男は始末に終えない。ってーか、俺が一番終えなかったかも?その中にあって、彼はすごくマトモな外観を持っていた。でも、中身まではわからない。なにしろ、僕と彼は同じ授業を取っていて、しかも、「哲学入門」だった。繰り返すけど、変な奴が多かった。大体、大学で哲学を学ぼうという人間の中に、世の中にぴったりより沿って生きる器用な人間なんていやしない。その中にあって、彼はすごくマトモな外観を持っていた。でも、中身まではわからない。なにしろ、彼はその授業に4回程度しか出席してないからだ。それで、何をしてたかとういと、バイトにあけくれていた。なんだか、彼について話すと同じ文章になってしまうので、ここでやめる。ただ、僕が「意外とマトモ」のに対して、彼は「意外とヘン」って言われるらしい。ただ、なにより、僕らは親友といって差し支えあるまい。 どのくらい親しいかというと、お互い話をせずに2時間いてもバツが悪くならない。 縁側で互いにお茶を飲んで、言葉なく、梅の花を眺めている老夫婦でも思い浮かべてくれればいい。感想を聞いた。「いやな、朝からちゃったと読もうと思ったら、腹へってな。朝飯作っててんけど、その時も続きが気になってた」でも、同時に、色々な改善点も教えてもらった。 あそこは、べただから展開に捻りが欲しいとか、あの部分の行動がわからないとか、色々と。本当に、締め切りの1ヶ月前にできておくべきだったのだろう。やっぱり、恥ずかしくなった。最後に僕が「賞を取ったら、奢ってやるよ」って冗談めかして言った。 鼻にがこしょぐらたような声だ。「ああ、そうやな。まあ、驚かんな。不思議じゃないよ」って彼は抑揚もなく返事をした。冗談も、誇張も、さげすみもない、普通の会話のトーンだ。 「そうか…」じっくりと、うれしさが染み渡っていたから、そうとだけしか僕は言えなかった。「できたら、豪遊でな」「できたらな」そうして、電話をかちゃんときった。彼からそんなことを言われる。それだけで、嬉しい。賞なんていらないや。…なあんて、思うほど、僕は聖人君主ではありません!!! 絶対、賞を取ったら負けないくらいに豪遊してやるねん!!ね?※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎こんなん書いてました。』まで
2007年04月16日
コメント(2)
嫌な奴の、嫌な言葉… でも、僕は思う。 それは、単に嫌な事でしかない。 いずれ、忘れてしまう。 頭にはきても、傷つきはしない。 人生でひどいことはもっとある。 きっと、それは、いい人のいい言葉の裏に隠された本当ことが信じられないようなことだった場合。 それが、傷つくってこと。 月日がたっても、忘れられないこと。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎日々の「なんだかなー」No2』まで
2007年04月02日
コメント(0)
求人広告とか、いっぱいある。正社員になれるバイト!目指せ、正社員!!なんか、そんなキャッチコピーが踊る。違和感を感じている。大学を卒業したころの僕らの時代は新しい生きかたとして、フリーターがもてはやされていた。きっと、彼らも30歳になり、現実というものに飲み込まれているのだろう。そうだ。僕も同じように。それが、あの文字なるのだろう。でも、現実が厳しいものだとしても、おかしくないだろうか。正社員は目標や、夢にするものなのだろうか。ちがうはずだ。普通にみんな、正社員になれてたんじゃないのか?格差社会とか、下流とか、上流とか、漢字でコメンテータは喋っている。なんだか、それって難しい。僕は思う。どんどん、普通であることが難しくなっている。息が苦しい社会にこの国はなっている気もする。でも、僕はこの国が全部がおかしいとか思っちゃいない。こんなに豊かで、サービスがきめ細かい国なんて、そんなにあるものじゃない。それに、このblogを読んでる人は、少なくともネットは使えるし、日本語が読める。識字率がこんなに高い国も、珍しいはずなのだ。そして、なにより、日本は内戦が勃発しているわけではない。話がそれすぎた。それに、やっぱり、正社員なんて簡単だと、やっぱり、僕は思う。受かるまで受ければいい話なのだ。できるまで、続けること。それは、どんな世の中であったとしても、僕らが世の中で生きる上で必要な態度ではないだろうか。きっと。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎日々の「なんだかなー」』まで
2007年03月11日
コメント(0)
ツモリチサトってA-NETって会社がやってる、洋服のブランドがある。その洋服を見ていると、僕はよしもとばなんさんの小説を思い出してしまうんだ。 どちらも、女性的ではあるし、かわいい。ツモリチサトの洋服は綿でも細いのを使っていて、すごくやわらかい。フェミニンだ。だけども、セクシーかといわれると、そうじゃない。よしもとばななさんの小説もそんな感じがする。えっちについてとか、不倫についてとか、ずこずこ書いてはいる。でも、それが妖艶かというとちっともそうじゃない。妖艶の裏にあるエグサを切り離している。えっちさえも生活ってものに落とし込んでいる。僕はこれは日本が世界に誇るべき一つのスタイルだと思っている。西洋では洋服も小説も、どうしてもセクシュアルな美を目指してるよね。生活から離れて、どうしても、浮世離れしちゃう。男性作家であるバタイユとかは仕方ないにしても、フランソワーズ・サガンの退屈な小説のでもそう。きっと、何事も知的に解釈しすぎていしまう。洋服もそうだよね。どうしても、カラダのラインを上手に引き出したりするようになる。大人の妖艶っていうのかな。少なくともメルシーボークのようにぬいぐるみのようなフードをコレクションにする考えは少ないと思う。だけれども、西洋のブランドのコレクションと、日本の例えばA-NETのコレクションがどちらが普段に着れるかかな?きっと、僕は日本のコレクションじゃないかな。西洋のコルセットから始まる体を締め付ける美意識から、日本のデザイナーはフリーハンドなんだろうな。小説がキリスト教から自由なように。今や、よしもとばななさんはイタリアや、中国でも評価されている。一部の知的な人からは「軽い」と評されることも多い。確かに、その指摘は間違ってない気がする。でも、彼らの言う「重さ」とは美的な重みということじゃないかな?生活とか生きることに対する重みじゃないよね。よしもとばななさんの小説は、美しさってものだけに逃げ込んでいない。「これはこれで美しいからいいんだ!!」って投げやりな小説じゃない。「これは政治的な主張として正しいからいいんだ!!」って偉そうな小説でもない。生きることとか、人の生死とかのあたりまえのことを、ちゃんと受け止めている。その態度が彼女の小説に出てくる人々の魅力だし、かわいらしさなんだろう。ちいさいかもしれないけど、とても大切な。だから、彼女の小説は世界に受け入れられるんだろう。生活の地平が読者と同じで、すこし、重みを分かち合ってくれるから。現実の辛さをカワイさで軽くしたり、分かち合ってくれるのがツモリチサトの洋服やよしもとばななさんの小説であり、日本が独自に熟成した考え方なのだと断言するのは言いすぎだろうか? ※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎日々の「なんだかなー」』まで
2007年03月02日
コメント(4)
高い天井は人の発想力を豊かにするという。ヨーロッパのゴシック建築の大聖堂(カテドラル)で響く賛美歌に人間を従わせる荘厳さがあるのは、その高い天井も一因だろう。見えない位置にあるステンドグラスから漏れる光が、僕らに何かをもたらしてくれそうな気がするのだ。かつてというべきだろう。大阪にも、そんなカテドラルの高さに憧れるかのような建物があった。阪急百貨店と阪急の駅を結ぶ、その建物だ。そりゃ、本場のカテドラルほどではないが、高い天井と微かに闇を意識させる照明が僕は好きだった。みんなが駅へと足早に通り過ぎていき、郵便局のATMには長蛇の列が耐えないバタバタとした雰囲気ではあった。もう、そんな高い天井はない。阪急百貨店が増床して、高い天井に床を張り、店舗になるのだ。大阪ではどこもかしこも増床ラッシュだ。しかも、三越まで出店するらしい。心斎橋には表参道に負けじと多くの高級ブランドの路面店が並んでいる。でも、そんな影でナンバCITYはひっそりとしている。かつての姿がないほどに。僕が洋服をちゃんと自腹で買うようになったのは、7年くらい前になるんじゃないだろうか。今みたいに縫製がどーのとか、生地がどーのとか、軽さがどーのとか、まったくこだわってない時代だった。まず、形をみて、すぐに値札を見る。プロパーなんてとんでもなかった。ただ、じっくりとバーゲンを待っていたものだった。その時のナンバCITYの地下二階のメンズフロアは輝いていたのだ。無理なく揃っていて、そこを歩けば大抵のものは手に入った。人だって多かったし、バーゲンの時はかなり大変だった。ジュンなんかは、バーゲンだとT-シャツが2千円以下だったし、それにしては凝ってたから、凄く混んでいた。スーパー玉出の1円セールにむらがるおばちゃんを思い起こさせるほどだ。心斎橋まで脚を伸ばせば別だが、難波には高島屋しか百貨店がなかった。難波の高島屋の若い人向けのメンズは、貧弱だ。レディスのえげつない充実と比べると、理不尽なほど違うのだ。メンズだけに限ると、よっぽど、京都の高島屋のほうが優れているはずだ。それもあるだろうが、ナンバCITYのメンズは、揃っていた。当時は入る勇気もなかったけど、ギャルソンがあった。ヨージもあった。タケオキクチと、ポールスミスもあったし、大阪の中でも大きいほうだった。アバハウスも、コムサも、ジュンも、メンズメルローズもあったし、そしてニコルは2つのブランドを展開していた。ポールスミスのセカンドラインであるR・ニューボールドだってあった。忘れかけてたけど、アルマーニもあったんじゃなかろうか。 でも、今は違う。タケオキクチとポールスミスは未だに巨大な旗艦店としてある。特にタケオのコレクションラインは大阪ではこのナンバCITYが一番入手できるはずだ。このニ店舗だけは今も人が多い。でも、それ以外はどうだろう。確かに、ニコルは残っている。でも、店舗の面積が減っているし、微妙にブランドをシフトチェンジさせてる。そして、ジュンとアバハウスはない。なにより、人がいない。空き店舗があるのも珍しくない。そうだ、まずはギャルソンやアルマーニからだ。きっと、心斎橋に路面店をオープンするのにあわせて、なくなった。(…のはず。ちょっと、ここは調べきれませんでした)だけど、これくらいは心配がいらない。高めの価格帯が抜けただけであり、MDブランドと称されるキャラクターはまだ、残っていたのだ。やがて、ナンバPARKSができる。ブランドで重なるものはなかった。だけども、人の流れが変わった。競馬好きのおっちゃんだけが、WINDSめがけてナンバCITYから南下していたが、そうではなくなった。さらに、心斎橋方面のセレクトショップが充実してくる。決定的だったのはナンバ丸井のオープンした。あるブランドはこちらのほうに店舗を完全に移してしまった。価格帯や、狙っている顧客も見事に同じだった。そして、丸井のほうがスポーツとか、ビジネスとかのカテゴライズがしっかりしていた。ナンバCITYにお店を残しているブランドである、タケオキクチとか、コムサも丸井のお店をオープンさせた。微妙に狙いを変えて。ついでに言うと、タケオキクチもコムサも高島屋にもお店があるから、この二つは雨にぬれずに三店舗を回ることができる。難波高島屋とナンバCITYと、ナンバ丸井は地下で繋がっているのだ。雨にぬれないという点では、戎橋商店街のアーケドを使えば心斎橋大丸だっていけるが、かなり歩く。ナンバCITYは輝きを失ってしまったのだ。今では入り口付近のタケオキクチと、ポールスミスだけをチェックするお客さんが大半じゃないだろうか。平日などは奥にある旭屋書店への通路になったんじゃないかと、みまがうほどだ。現在、梅田ではカテドラルの天井をふさぐような阪急の増床が進んでいる。ベニヤがはられたような低い天井を眺めても、僕は忙しさの中での隙間におごそかな気持ちになったり、まだ見ぬヨーロッパの聖堂を思い起こしはできない。増床が済んだ後に、人の流れはどう変わるのだろうかと思う。大阪の人口が増えたり、購買力が激増するわけではないはずだ。凄く厳しい言い方になるけど、ハコが増えても、あとはブランドの名前は違えど同じ企業ということになりはしないだろうか。そして、彼らだって、すべてのブランドで抜群の売り上げを立てているわけではないのだ。同じようなラインナップで別の場所に移動しただけになりはしないのだろうか。この大阪の増床は大阪のキャパを越えているような気がしてならない。増床してそのお店は効果があるだろうけど、どこかが歯抜けになってしまうのではないだろうか。ナンバCITYの閑散さを眺めると、そんな風に思えてならないのだ。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎着飾り・買い物』まで
2007年02月23日
コメント(2)
ちょっと、こっちのコメントでも書いたけど、改めて思うことがあり日記にもアップしよう。なぜ、日本人は英語を喋れないのかって、よく言われますよね。僕は根源はこれじゃないかと、推測します。日本人が英語は難しいと思っていること。だから、苦行みたいにしないと喋れないと信じ込んでいるんじゃないかな。教え方もそんな風に教えます。その教え方は間違いじゃないけど、先っぽのとがったほうからピラミッドを建てるように難しいものじゃないかって思うんだなぁ。確かに根、英文法は難しいです。そんなことを言えば、日本語の文法も難しいのです。だって、そこのあなた。僕は日本語の形容詞と形容動詞の違いがわかります?わかりませんよね。でも、日本語を話しているよね。なお、この形容詞と形容動詞の違いを「キレイ」を例に考えましょう。「キレイな花だ」この「キレイな」は形容詞です。「この花はキレイだ」この「キレイだ」は形容動詞です。でも、僕たちが喋ってる時は形容詞か、形容動詞かって考えて喋ってないよね。文の途中にきたら「な」がついて、文章が終りの時は「だ」がつくって感じだよね。そんなの、わからなくてもいいって、思っている英語が得意なあなた。あなたなら、英語の形容詞と副詞の違いがわかりますよね。形容詞は名詞を形容したり、単独で目的語(ですよね)になったりしますよね。「beauty」で考えてみましょう。形容詞だったらこうですよね。The flowers are beautiful.副詞だったらこうですよね。The flowers beautifully blossom.だからね、英語のネイティブも形容詞がどったら、副詞がどったらって考えてないと思うんだよね。areの後だからbeautifulになって、blossomの前だからbeautifullyになってんじゃないかな。実際に喋ってる人の文法って、文法用語みたいに難しくなくって、もっとシンプルなんじゃないかな。だって、言語なんて単語があって、その単語の繋ぎで文章としての意味をつくるわけでしょ。つまりね、文章ってのを作るためには、1・単語の並びの順番、2・単語の語形変化ってものでしか成り立たないんだよね。うん。ちなみにね、多くの民族に話される必要がある言語ほど並びが重要になって、比較的少数の民族で話される言語は語形変化が大切になるんだ。だって、語形変化って聞き取りにくいもん。並びは聞き取りやすいからね。僕が思うにね、英語は並びが重要で、日本語は語形変化が重要な代表的な言語だって思うんだ。まあ、その違いはあるけど、並びと語形変化こそが実際の言葉の文法に幹としてあるんだと思うけどね。だから、繰り返すけど、英語は気楽にやりましょうよ、ね。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎語学』まで
2007年01月21日
コメント(0)
ひどい、事件だ。http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070118k0000m040044000c.html僕は一時期、八尾に住んでいた。故郷とするには大袈裟だけど、たまに八尾のことを聞いたり、高速から眺めたりすると不思議な気持ちになる。この記事の写真の近鉄八尾駅はとても懐かしい。だからこそ、こんな事件で報道されたくなかった。そりゃ、逮捕された彼と、彼に対して何かできなかったのだろうかとは思う。しかしながら、今はただ、被害者の子供さんが早く恢復すること。同時に彼と同じ施設の人が無事に過ごせることを祈っている。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎時事・ニュース』まで
2007年01月18日
コメント(2)
「おもちゃみたいな価格やけどな」上司は言った。僕が初めて機械をお客さんに売った後の台詞だった。小笑いをしてたから、本気じゃなかろう。ただ、いい気はしなかった。仕方ないと、諦めるしかない。だって、本当に安い機械だったから。一度使えば誰でも理解できる、よく言えばシンプルな装置だった。ただ、僕は初めてだったから、実際に手を汚して、予想しないトラブルも超えて、やっと受注できたものだった。お客さんは大手自転車メーカーだった。作られるのは、最終製品は自転車の無段変速機用の部品だった。自転車の自動変速機?僕は誤字をしているわけでない。自動車ではない、自転車である。そんな高級は自転車を僕はみたこともなかった。担当者と納入のときにも話した。「日本ではあんまりですよね。ヨーロッパとかに主に売れるのですよ」とのことだった。時間が経って、同じ機械を僕は他のお客さんにも何台か売っていた。役に立ってるのかなとか、考えるコトもなく、淡々と売れるまでになっていた。ちょっと、ネットで知り合った人の日記を見た。東京の土地勘が僕はないので、あれだけど、長い距離を彼は自転車で走っているようだった。なんでも、彼の友達もその自転車を購入していたようだ。じっくりと読んだ。どうやら、自転車の自動変速機がある、最新のモデルのようだった。嬉しくって、僕は彼にメッセージを送った。どうやら、僕が売った機械が使われている自転車のようだった。はじめて注文を取った嬉しさとか、冗談じみた上司の台詞とかを思い出した。彼が自転車を購入したのは僕とは直接の関係はなかったことでもあった。だから、なおさら、僕の小さな装置が大きな世界のどこかで役に立っているんだって、手ごたえを大きく感じた。おもちゃと言われていたとしても。そう。もし、君が今の仕事で腹が立ったり、無力感をもっているかもしれない。そりゃ、職場では嫌なこともあるだろう。ただ、無力感は君が仕事に慣れてスマートにできるようになったからなだけなんじゃないかな。この繋がっている世界の中で必要なパーツになっている。広すぎて、君が手ごたえを感じにくくなっているだけなんだよ。僕と君はそんな世界に生きているんだ。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎お仕事・ビジネス』まで
2007年01月13日
コメント(2)
村上春樹が死後にさえも、彼への研究が活発になるのであれば、「若い読者のための短編小説案内」は非常に重要な一冊になるだろう。なぜなら、この本で短編小説の案内を通して、村上春樹自身の書き方が透けて見えるからだ。「まずはじめに」にはこんな一節がある。「あるいは傲慢な言い方かもしれませんが、創作行為の中には、創作に関わったことのあるものにしかわからないという「秘訣」がいささかはあります」わりかし、僕は多くの文芸批評を読んできたほうだと思う。それなりに面白かった。じゃあ、それがこのblogを含めて書くことに役立ったのかといわれると、疑問である。仕方のないことだったのかなと、思う。なぜなら、批評は生み出された後の作品をメインに考えるから。作品が時代をどう表現し、あるいはどう受け入れられたのか。また、その他の作品に比べてどうなのかを中心にした形が批評だからだ。いわば、作品を一つの完成したもの、すでに発表されたものとして、批評は考えている。だけども、この「若い読者のための短編小説案内」は少し違う。作品がどのようにして作者から生み出されたのかというものにかなりの紙面をさいている。この本では一つの作品は発表された結果としてよりも、生み出される過程に踏み込んでいる。文芸評論的にカチカチと作品を細分化してはいない。村上春樹が作家というか、小説の職人として、作者と作品の流を包括して提示している。凄く納得させられるし、創作する上で参考になるというか、励まされる点が多い。さて。この本で紹介されている作家はいわゆる「第三の新人」の短編集である。案内されている作家、作品は以下のとおりである。吉行淳之介「水の畔り」小島信夫「馬」安岡章太郎「ガラスの靴」庄野潤三「静物」丸谷才一「樹影譚」長谷川四郎「阿久正の話」村上春樹は総ての作品について丁寧に解説している。吉行淳之介の作品については創作のメソッドまで降りていって解説しているし、安岡章太郎には作家としての可能性まで広げて読んでいる。さすがだと思う。そして、村上春樹が作品として一番優れていると思っているのは「静物」で、作家としては小島信夫を推しているように感じる。なにしろ、「静物」については「しかしいずれにせよ庄野潤三は、おそらくはこの「静物」という短編小説をひとつ書いただけで、文学史に残る作家であり続けることでしょう。」と手放しで褒めて、小島信夫には「凡百の作家にはちょっところは書けないんじゃないか」と、ハヤリコトバで言うとリスペクトしている。だけど、僕は重要なのは、丸谷才一と長谷川四郎ではないかとさえ思う。なぜならば、この二人は第三の新人とは呼ばれない。高校の文学史のテストで第三の新人を挙げなさいとの問いに、長谷川四郎とか、丸谷才一を書いたら不正解だろう。それにもかかわらず、村上春樹はこの二人と作品を紹介している。大きな理由には村上春樹がこの二人の小説家に影響を受けた作品があるのではないかろうか。まず、丸谷才一の「樹影譚」はよくよく読んでいくと、「意味と響き」のせめぎあいという流れは、村上春樹の短編の「タイランド」(「神の子どもたちはみな踊る」収録)にそのまま生かされている。(余談だけど、村上春樹の短編では僕は「タイランド」の出来は傑出していると思う)「ねじまき鳥クロニクル」の間宮中尉の話は長谷川四郎のシベリアの描写や短編にものすごく近い。模した、というかそれこそ、リスペクトしたといっていいんじゃないかな。丸谷才一の小説の作りこみ方とか、長谷川四郎のクールなスタンスなんかは日本の小説の大きな流れからすると「アウトサイダー」である。そして、私小説を拒否するように小説を作りこみ、クールな文体で書いて日本文学の潮目を変えたのは村上春樹その人である。実際、長谷川四郎の項目では、こんな風に書いている。「有形無形にその恩恵をこうむってきたんじゃないという気がするんです」僕が思うに、村上春樹は先駆者として、どうしてもこの二人を紹介したかったのだろう。特に、長谷川四郎については。他の作家が作品を中心に論じられているのに、長谷川四郎だけは長谷川四郎その人をかなりの頁を割いて書いているし、一番、分量も多い。その紹介の仕方には、隠そうとしているけども、共感以上の村上春樹の情熱を僕は感じてしまう。文学的同志として、紹介しているのではなかろうか。それに、日本で長谷川四郎を知っている人の八〇%はこの本から知ったんじゃないかな。いや、僕もそうですけど(苦笑)むしろ、長谷川四郎を紹介することが目的だったんじゃないかとさえ思えちゃう。そう考えると、この紹介の順番も巧みですよね。第三の新人の代表格である、吉行淳之介をしょぱなにもってきて、ちゃんと庄野潤三までで一応しめて、なにげなしに、長谷川四郎まで持ってくると。そして、今回改めて読んでおもったことがある。実はこの作品の紹介の順番って、後になるにしたがって戦後社会と、それに呼応する戦争の影が深くなってくるんですよね。本文中にはあまりかかれていないけど、村上春樹はこれらの作家を通じて戦後社会の日常と、戦争という前近代の暴力というものをサブモチーフとして紹介もしてるんじゃないかなって、僕は思う。結果的にそうなっただけなのかもしれないし、僕の考えすぎなのかもしれないけれども。そして、この本は村上春樹が小説では無自覚に書いているように思われることが、あたりまえだけど深い場所、エゴと言ったほうがいいのだろうか、では自覚的に書かれていることが伝わってくる。その場所が深いからこそ、作品を生み出す力っていうものを、教えてくれるように思うのだ。※注記今回は敬称略でいきました。ご了承をお願いいたします。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎村上春樹さん』まで※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎ものがたり』まで
2007年01月08日
コメント(2)
「ビリーバーズ」はコトバの理想がエロの力の前では空虚で、幻想にさえならないことを、描いた漫画ではなかろうか。以上。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎ものがたり(映画、音楽、文学、本)』まで
2006年12月16日
コメント(0)
村上春樹さんの「ねじまき鳥クロニクル」を第1部、第2部、第3部通して読んだ。通して読むのは久し振りで、多分2、3回目だったと思う。長いから読みきれるかなって思ったけど、1週間で読めた。たまには長い通勤電車にも感謝しなければなるまい。こんなに面白かったんだっていうのがまずの感想。次に、確かに、僕らは人の抱える地獄とかって、理解できていない場合があるよなって、思った。その理解できなさをなにかで、僕たちは埋めているんだろうなとも。一番初めに読んだ時は、カワハギの拷問のシーンがすごく印象に残ったり、笠原メイさんはちょっと魅力的だなぁとか、思った。ただ、よっぽど、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」のほうがおもしれえや、ってのからすると、進歩だ。僕も成長したのかなぁ~。凄く、各々のエピソードのつながりらしきものには、都度、主人公の独白で解説を入れているし、親切に作っている。面白い。でも、何が面白いのかってちゃんと説明したり、書こうとするのだけど上手くいかない。何年かかかるのかな、とも思うし、村上春樹さんが言うとおり言葉にできなくても、読者になにか届けばいいのだし、ね。ウンチクをささげるよりも、飲み込まないといけないのかなって、思う。物語として。 あらすじとしては、主人公のオカダトオルから、妻のクミコが消えてあちら側の世界に行っている。そして、あちら側の世界はクミコの兄の綿谷ノボルがそれに関連していて、特殊な方法で戦いを挑むっていうのが、話の筋。そこに色んな奇妙な人が絡んできて、いろんな人の視点や、考え方があって、そして、物語があった。(詳細なあらすじなら、こちらを参照下さいね)ただ、しょーこりもない僕はこの小説を考えるとっかかりとして「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」と比べてみたい。改めて説明すると「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」は「世界の終り」と「ハードボイルド・ワンダーランド」っていう二つの世界が進行する、村上春樹さんの中期(といっていいのかな)の小説である。どちらかというと「世界の終り」がリアルな現実で、「ハードボイルド・ワンダーランド」は非現実で象徴的な世界だ。そして、二つの世界に直接のつながりはない。シャフリングシステム、一角獣、図書館の女の子。そういった、名前がつけられたアイテムでつながりがほのめかされているだけだ。(あらすじはこちら)だから、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を乱雑に定義すれば、こう言えるんじゃないだろうか。「二つの世界を言葉を持ったモノやコトで繋げるだけの不完全な描写で、そもそも不完全である心を、完全に描いている」と。(ホント、乱雑なのですが)一方、「ねじまき鳥クロニクル」にも多くの世界がある。僕が綿谷ノボルと現実に生きている世界や、間宮中尉のノモンハンと捕虜の世界、動物園での虐殺の話や、言葉をなくした子供の話、そして、電話の向こうの誰かが僕を呼んでいる壁の向こうの世界。それらが延々と、名前がつけられたアイテムではなく、おのおのの物語の内容での繋がりを持たせている。例えば、現実に生きている世界での綿谷ノボルと、ノモンハンでの皮剥ぎボリスの権力の握り方や、一皮向いた下に隠れている暴力性なんかはとても似ている。でも、結局、何が現実にあったかはわからない。また、なにが現実になかったかもしれないのかも。あるいは、何が起こるべきであったのかもわからない。「こちら」と「あちら」で主に二つに世界は分かれてるけど、なんだか、それら全部が「あった世界」、「あったかもしれない世界」、「ありうべき世界」とかいったようにも分けられるように思う。これらが、「ねじまき鳥クロニクル」では何重にも渡って語られる。これらの各々の世界がシナモンや、ナツメグ、そして主人公のオカダさんを通じて語られ、また、オカダさんは「あった世界」で井戸に降りるのだ。この世界の繋がりを埋めるのに、様々な物語やエピソードが組み立てられている。きっと、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」のやり方であれば、物語(お話ってことです)のダイナミズムではなくて、モノに名前とつけてそれだけで終わっていると思う。きっと、バットと井戸だけで世界を行き来して、バットや、井戸に関わる一つ一つのエピソードはないはずだ。「ねじまき鳥クロニクル」のラストは主人公があったかもしれない世界で行動することで、ありうべき物語に近い未来を引き寄せて終わる。勿論、クミコが戻ってきたわけではないから、ありうべき物語に現実にあった世界になったわけではないけれども。少なくとも、正義とか、言葉とかの下に隠れてうごめいている、人を汚す邪悪な力はひとまず息を止める。不吉な予感を残しはするものの。つまり、「ねじまき鳥クロニクル」を乱暴に断言すると、こうなるのではないか。「多くの世界の間の不完全さは物語という形で埋めることができるのだ。さらに、ある種の物語は現実を変えうる力を持つことさえあるのだ」と。また、逆に物語っていうのは神話の時代から人間はどうやって生まれたのかなどの、わからないことに回答を暫定的に与える役割をしてきた。嘘っぱちともいえるけど、それって、人間の想像力の凄さの一つだよね。村上春樹さんが世界で読まれているのは、もの物語を集団じゃなくって、個人の深い井戸のレベルで小説として書いてることだろう。ややこしく言うと。さて、評論家からは「ねじまき鳥クロニクル」は村上春樹さんがデタッチメントからコミットメントに変わった作品だと評価されている。それまでの村上春樹さんの作品は描写できないものは、描写できないんだってクールな割り切りがあったけど、「ねじまき鳥クロニクル」では描写できないものでも、起こるべきであったり、あったかもしれない物語として描いてやるんだって、僕は思う。でも、評価が確定した作家なのに、新しいやり方に挑戦する意欲って本当にすごいと思う。この意欲が、村上春樹さんが自分で自分のモノマネをしない小説家にしてるんだろうな。ちょっと、また、長くコムズカシクなってしまった。でも、ほんとーに面白いから。僕だったら一つ一つのエピソードを独立して短編にさせたいくらい。人が生きることとか、一瞬で意味がわかるってどういうことかなって、疑問も浮ぶ。読了後、まっくろな中のうにうにしたものが、僕の心にはりついて、しばらく離さないようだ。 数年後、この小説が僕の考えに及ぼした影響がわかる日がくるのかな。そういえば、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を初めて読んだ時はただ、凄さに圧倒されて謎を解こうとしていた。最近読み返すとなぜか、泣いてしまった。泣くような小説とは思えなかったんだけどな。「ねじまき鳥クロニクル」もそんな、成長に合わせて僕のゆりうごかされ方も違う小説なのだろうかな。涙は流さなくても、飲み込んだ僕はなにかに気がついていれば、いいのだけど。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎ものがたり(映画、音楽、文学、本)』まで※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎村上春樹さん』まで
2006年11月30日
コメント(2)
「蛇にピアス」を読んだ。チョット前に芥川賞を綿矢りささんと、ダブルで取って話題になった。文芸春秋が売り切れになっているのを、僕は初めて見た。僕も買ったのだが、読む前に紛失してしまった。と、いうことで、改めて文庫本を購入して、読んだ。しょーもなーと思っていたら、結末近くが鮮やかで面白かった。ピアスとかの題材が世間では話題になったよね。過激だとかって。僕も、きっと、清純そうな女の子が電車で読んでたら、ちょっとびっくりするかもしれないな。うむ、逆に結構、魅力的かもしれない。長澤まさみさんが読書を「マルキド・サド」っていうような、ものか。…ちょっと、違うな。っていうか、ありえない。ただ、言われているほど、過激ではなかった、と僕は思う。(「YES・YES・YES」のほうが、よーっぽど描写は過激。また、精神的には川端康成の「みずうみ」のほうがやばい)途中までは、ありきたりの青春小説にありそうだなって我慢しながら読んだ。冷めて、どこか自分も突き放した。クールな描写は上手いことは上手いけど、デビュー当時の村上龍ほど澄んではいないし、山田詠美さんのように独特のべっとり感もなかった。ストーリーテリングも、ワクワクドキドキってことでもない。一つのネタと、日常をひっぱるなあって感じがした。そのネタにしても、つねに出てくるわけではない。悪く言うと、素人くせえなぁ、題材だけで賞をとったんじゃねえの、すばる文学賞っぽくはないけどねぇ、って思っていた。そりゃまあ、はじめの作品で登場人物を主人公のルイ、同棲相手のアマ、彫り師を兼ねるアングラのサドのシバさんの三人だけに絞って、丁寧には書いていた。(なお、僕が一番すばる文学賞っぽいと思うのは、「天使の卵(エンジェルス・エッグ)」です。あらゆる意味で…)だけど、ラストの十五頁ほどはそれまでの素人くささがすっぱりとなくなる。なにより、どこかで全部を突き放して見ていたはずの、ルイのクールさがほろほろほどけていってるのが、僕には伝わってきたように、思うんだ。それまで、自分でも把握できない感情を抱えていた主人公のルイが、感情を把握して爆発させ、そして、感情をなくしてしまう。しかも、その隣には狂気の人物が優しい表情をして存在していたり、するのかもしれない。そこで、彼女は当然のように、体の改造を完了する。誰も、改造したカラダを共有する人物がいないまま。刺青を通して、自分の入れ物に「大丈夫な」命を注ぎ込むように。なにより、僕がズッキーんってきたのは、当たり前の会話だからこそ、すごく緊張しているのだ。彼女は大きなものを失った。失ってからその大きなモノのことを何も知らないって、悲しいよね。 そして、きっと、彼女はまた、何かを失って一人になるんだろうなって不安と、でも、きっとルイさんは一人でも生きていけるんだって希望がごっちゃになってるように思った。最後にこんなツボを持ってくるのはスゴイと思う。きっと、清純な女の子が魅かれるのは、本音の部分での不安と希望が一緒の場所にあることがちゃんとかかれてあるからじゃいなかな。だから、芥川賞を受賞したのは、作品の刺激だけじゃないんじゃないかな。 村上龍と、山田詠美が絶賛したのは作品が似てるからかもしれない。でも、宮本輝さんが気になったというのは、きっとラストのおかげなんだろうなって、気がする。 つまり、描写で小説の流れをコントロールする作者の能力と、その可能性に与えられたのではないかと思う。実際に、僕が最近読んだ短編の「デリラ」はもう一つ面白し、こちらのほうが描写がシャープだったし、ラストも鮮やかだった。要は上手くなっている。うん。僕がいうのも生意気だけど、金原ひとみさんはオリジナルな小説を今後も書き続けるのではないだろうか。きっと、ストーリーテリングというより、描写のメリハリができる作家さんだから、短編とかめっちゃ上手くかけるんじゃないかな。短編集、出ないかな、早く。ただ、描写がうますぎる作家は、モチーフが枯れてきたときに、自己模倣に走る傾向がある。って、俺が気にする問題でもないけれども。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎ものがたり(映画、音楽、文学、本)』まで
2006年11月28日
コメント(0)
気がつけば、1146件。今まで書いたエントリーだ。長い間書いてきたなあって思う。ほぼ、毎日。更新率は99%である。始めた頃は、blogって名前も一般的ではなったな。楽天blogじゃなくって、楽天日記だったし。堀北真希さんも一般的ではなかったな、そういえば。また、僕にしてもTOEICの点数は600点ジャストだったし、(現在は745点…あんま変わってないか…語学についても書かなくなったしな)、ギャルソンの服を一着も持っていなかった。自分でも「着飾り・買い物」が独立したコーナーになるとは思ってなかったな。なにより、プロフィールには残しているシナリオを定期的には今は書いていない。このblogを通じてかみぽこちゃんさんや占いを行われている亞さん、ライターの前原さん、両国さくらさん、アトムおじさん、そしてBOOKMARKさせていただいている方々、お気に入りの日記の方々、をはじめとする、普通に生活していたらまずお目にかかれないみなさんと交流をもてたのは嬉しい。僕のリアルライフもイロイロな事があった。平板な時期もあれば、ぼろんちょな時期もあったし、よい時期もあった。嫌な奴もいたし、イイ奴もいたし、イイ奴が深いところはイイ奴じゃなかったり、逆に嫌な人が実は親分肌で影で支えてくれていたこともある。僕が得たものもあれば、こころならずも失ってもの、損なったものもあり、また、徹底的に壊したりもした。ただ、成長したのかときかれたら、自分なりの方法で成長したといわざるえない。その僕の成長過程が両極端に振れるように、このblogも力を入れて書いたのと、肩の力を抜いて書いたものが極端にあったと思う。一番力が抜けてたのは超脱力系に分類している。ほんと、どれもテキトーに書き飛ばしてる。ただ、超硬派や硬派でなくとも予想外に気合が入れざるえなかったものもある。例えば、芥川龍之介については、はじめはこんな風に書くつもりだった。「芥川龍之介の文体ってカッコイイよね。なんか、日本文学では珍しいよね。んじゃ。」って、終わろうとした。ただ、考えるとこれはイイ視点ではないかと実感して、日本文学史についても書いた。エラソーだよね。そして、めっちゃ長いエントリーになった。結果としては、自分の考えを出し切れて、よかった。どうも小説とか、映画になると、短くは終わらせてくれない。「WAVE」 by YUKI は下書きをしたつもりだけど、細かい修正を含めると10回は直したかな?その努力のワリにはイマイチだったな。文章を直すのは、書き起こすよりもはるかに楽しい。細かいひっかかりが一つ一つ取れていくから。それでも、取りきれないひっかかかりもあって、切り上げの見極めが難しいのだけども。小説で、改めて皆さんに作品としてオススメするのは、「わたしを離さないで」ですね。カズオイシグロのこの作品は村上春樹さんも「ひとつ、村上さんでやってみるか」でオススメする本として取り上げられている。って、村上春樹さんの権威を借りてみました(苦笑)。コツコツと2年半以上に渡って書いていくと、大方は書かれる内容がどの程度の気合を書き手の僕に求めているかっていうのは、感覚としてわかってくる。すると、こりゃ気合を入れないとなってわかってきて、おっくうになって、時間がずれちゃうことっていうのもある。例えば、岡本綾さんについては、中村獅童さんとの同乗事件が発覚した直後から、ずっと書こうと思っていた。だけども、僕の意見は世間とは違っていた。つらつら書くだけでは、世間の意見対抗するだけの説得力を持たせられない。だから、まず、僕が僕の考えと心、そして人の痛みに向かいあって、的確で誠実にややこしい感情の迷路を書かないとみなさんに伝わらないから、じっくり腰をすえた。下書きをして、寝かせて、また、書き直した。だからこそ、エントリーに初めてコメントする人がおられて、かなり嬉しかった。少しは、誰かの心にも届いたとするならば、充実感がある。好みのタイプはそんな時間をかけたケースが多かった。綾瀬はるかさんは構成を練りまくった。オフザケに見えるけど、時間かかったんですよ。さらっと、書けたのは蒼井優さんかな?冒頭の会話はさらさら書けた。シメは迷ったし、難しかったけど。一番、気合を入れたのは池脇千鶴さんは描写に時間を割いた。炭鉱街なんて取材しようにも、2000年代の日本のどこにもない。写真集「月刊池脇千鶴」を眺めながらイメージを掘り起こした。この写真集は写真家の藤代さんが「クイックジャパン(68)」の中で、自分が撮影したグラビアアイドルの写真集では3番目であると断言しているほど、よい。また、権威を借りてみました(苦笑)この好みのタイプでは、書きたい女優さんやタレントさんがまだ結構、残っている。ほしのあきさんの魅力とか、安めぐみさんはおっさんか中学生にはたまらないだろうとか、高樹千佳子さんはパーツは悪いけど組み合わせると魅力的になるのかとか、市川由衣さんは再び輝けるのかとか、藤井美菜さんは上手い女優以上になれるのかとか、多部未華子さんは美人とはいえないけどなぜ引っかかるのだろうか、ナドナド。うーん、めっちゃ残ってる。どれも、書くと時間がかかるだろうなあ、これは。なんだか、こんな風に書くとお前は好みのタイプしかこれから、書く気がないのかって言われそうだけど、そんなことはごじゃいません。小島信夫の「抱擁家族」とか、金原ひとみさんの「蛇にピアス」についても書きたいし、着飾りではキャラクターブランドのどこのものが長持ちするかとか、反論覚悟で書きたいし…ニュースについても書いてきたし、書いていきたいしね。ニュースは時間とともにどんどん出てくるから、書こうと思えばなんぼでも書ける。今まで中でニュースでは、僕が一番好きなのは「斎藤昭彦さんの「生き方」」文章自体は抽象的すぎる面もあったけど、貴重なコメントもいただけて、自分に正直に書けてよかったなって、思ってる。今から読むと、「アスベスト被害に思う」は外してなかったし、「三菱・リコール 過激な仮説・「隠すよりデキナイ」」はよく書けたなぁって思う。「ライブドアと「新しい」ことについて」は時の経過を経れば、面白かったりする。あー、結構書きたいものって、残ってるなあ~きっと、会社の上司がその書いているトコを眺めたら仕事もそのくらいやってくれよと思うくらい(苦笑)。ただ、事実では書きたいネタがあっても、時間がない日にはさらりと別の軽いネタに切り替えて、肩の力を抜いて書くことって多い。そして、気合を入れたエントリーってなぜか、反響が少ない(苦笑)サッカー選手のジュニーニョ・ペルナンブカーノ選手について書いたときは、コメントもアクセス数もなかった。これ、10回以上書きなおしたんだよ、マジ。でも、このエントリーはトゲが抜けない。もっと、いい書き方があったはずだって、強く思う。気楽に、自然体で甥っ子のコトとか書いていたほうが、共感もあった。僕も書いていて楽しいほうがよいし。一時期は、短くて軽いやつだけでやっていこうかと思ったこともある。でも、続かない。自分勝手でも気合を入れた文章を書いていかないと、軽いものも生まれないですよね。僕はルーベンスの絵を見ていっつも「なんで、大作ばっかり書くのだろう。この人のは小品のほうがいいのに」って思ってた。でも、きっと、ルーベンスの小品が凛としていて迫力があるのは、大作を書きなぐるように産出していた末の副産物なんだろうなって、気がする。深く掘るから、浅いものも広くなるのだろう。僕ももっと深く何かを書いて、さらに脱力系のblogが書けたらいいな。では、また、お会いしましょう。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎日々の「なんだかなー」』まで
2006年11月25日
コメント(8)
なんか、読書に飽きると僕は芥川龍之介の作品をぱらぱらと見ることが多い。じっくり読むのではなくて、ぱらぱらと読む。いっつも、上手いなあ、凄いなあと感心する。でも、文学史では彼は過小評価されている気が、している。師匠とも言える夏目漱石や、森鴎外が未だに近代日本語小説の出発点として言われ、幻想文学では同じ漱石門下の内田百間の名前は未だに取り上げられる。志賀直哉や武者小路実篤、さらに、太宰治や谷崎潤一郎、川端康成や横光利一たちは現在でも結構頻繁に論じられ、読書家の読まれているのに、どうも芥川龍之介はそんな感じではない。文体が模倣されているという話もあまり聞かない。川端や谷崎の文体を模倣している作家はかなりいるのに。すでに出来上がっているのも一つの原因だろう。ひな壇に立派ななりをして座っている。その衣装が「教科書」っていうオスミツキだから、今更論じるまでもないだろうって。みんな教科書と読書感想文で読み飽きているのだろう。また、そういった客観的な要素だけではなく、彼本人にも原因があるともいえる。彼が長編を書ききれなかったこと。若くして自殺してしまったこともあるだろう。文学史という研究で彼を論じるのが難しくなってしまうのかもしれない。ただ、僕は、こう思う。芥川龍之介の文体が日本文学の流れから外れているのではなかろうか、と。突っ込んで言えば、芥川龍之介が提示した文体の可能性を日本文学はきっと広げてない、あるいは広げられなかったのではないか、と。三五年という短い生涯だが、芥川龍之介の作品は初期、中期、後記とかなり赴きが違う。初期は漢文や中国に強く影響を受けていて、後記には徐々に西洋の小説の枠組みとモチーフを利用している。文体もそれにあわせて変化している。シロウトメに言うと、初期のほうが漢字が難しい(苦笑)。ただ、全時代を通して僕が感じていることが一つある。文体が凄く「カッコイイ」こと。無駄が見当たらない文章、きっちりと構成された物語や、モチーフ。一文一文が筋肉質で、緊張感がある。だけども、読者を突き放していないので、決してわかりにくいわけではない。文章にピリッとした刺激があるから、読書に飽きたら、最適なんだろう。漢詩という教養の土台があって初めてできた文体だろう。長編が書けなかった理由もわかるような気がする。無駄がなさ過ぎるのだ。長編というものは、なにかしらの無駄や与太話を必要とする、成り立ちの小説だからだ。同時に芥川龍之介が文学史に、その作品の質や実績と比べて、名前が挙がらないのは「カッコイイ」からではなかろうか。口語と文語に長きに渡り別れていた日本語を、夏目漱石が一つ完成させたように明治期は「読みやすさ」をひとまず目指してきたといえる。それは、英語をいかに翻訳するか、漢字やひらがなをそこに滑り込ませるか、そして、台詞を減らした地の文をどうするかで苦悶してきた経過でもある。一応の文体のまとまりを見た明治期以降に、純文学といわれる日本文学が目指してきた文体は「美しさ」がメインであったと思う。その「美しさ」は谷崎潤一郎が沃野を切り開き、川端康成と、三島由紀夫によって到達をみた。到達の後には、当然、反動もある。だけども、日本文学史において「美しさ」の反動は「カッコイイ」ではなかった。「荒々しい」だった。この「美しい」文体に反旗を翻したのが初期の大江健三郎の諸短編があり、中上健次の一連の作品群があり、そして、中期までの(「コインロッカーベイビーズ」まで)の村上龍だと、僕は捕らえている。ただ、未だにこの「荒々しい」文体が日本の中央にいるかというと、そうではない。きっと、作家にも読者にも体力を要求する文体なのだろう。現在の日本の文学は吉本ばななや、江国香織が見せる女性人称や、村上春樹の僕がおりなす、「わかりやすい、語り」がメインストリームになっている。一番推し進めているのが、町田康さんだろうけど、ここまでいくとあんまり、わかりやくすはない(苦笑)地の文章から台詞をいかにはぐかではなく、地の文章にいかに台詞の要素を詰め込むか、ということにくるりと変わってきているのだ。(この文体の変化をもたらしたのは、村上春樹の「僕」という人称だ)芥川龍之介の死後、芥川龍之介の文章を流れとして受け継いだ作家も、派閥も少ないといえるのではないだろうか。中島敦や、梶井基次郎に影響はあるが、両者とも寡作であるし、以後には作家が見当たらないことから、文体としての流れとしてはなっていない。(ちなみに、北方謙三は芥川龍之介が大好きであるようだし、文体も似てるとの噂もあるけど、ごめんなさい。読んでないので、書けないです。わたしは北方謙三で読んだことがあるのは「試みの地平線」だけです。)芥川龍之介が数々の短編で記した、日本語の「カッコイイ」可能性は誰も追及しなかったことになる。悲しいし、残念だけど、僕は仕方がないのかなとも思う。なぜなら、芥川龍之介の文章の可能性は、すでに完成していたから。あまりにも、余分なものがなく、構成も緻密であるため、不足を感じないし、だれも突き詰めようと思わないのではないだろうか。逆に、芥川龍之介自身でさえも、これ以上の小説を書くことができなかったために、自殺という道を選ばなければならなかったのではないだろうか。己の素養を削り、削って、作品を完成させていたのではないだろうか。筋肉だけでできた短距離走者の体のような「カッコヨサ」だからだ。その筋肉で、さらに効率のよい体を身につけるのは困難なことなのだ。悪く言うと、芥川龍之介の文章にはふくらみが欠ける。だからこそ、芥川龍之介は無駄で、失敗作といわれてもいいから長編を書くべきだった。ちょうど、志賀直哉が「暗夜行路」を書ききったように。その無駄から新しい展開が、きっと生まれたはずだ。だけど、きっと、才能がありすぎた芥川龍之介は失敗作を書くような冒険はできなかったし、作家として許せなかったのかもしれない。人は時として、成長のためには無駄を進んで行う必要があるかもしれない。芥川龍之介ほどの才能と実績があったとしても。長くなったけど、芥川龍之介の作品が「カッコイイ」のは変わりない。誰も後を継がなかったから、オリジナリティが輝いているのかも、しれない。一度、教科書で読んだからといわずに、皆さんも再読されるといいと思う。あまり、読書をされない方には短くて、面白いだろう。普段から読書をされる方は、久し振りに読むとその上手さや「カッコイイ」にびっくりされると思いますよ。※なお、芥川龍之介の作品の多くはこちらの青空文庫で読めます。短いですが「黄粱夢」を僕はオススメします。どうしても書籍で欲しい人には総ての小説を一冊で網羅した「ザ・龍之介大活字版」というとんでもないのか、素晴らしいのかわからない本をどうぞ。また、細かい知識は『ウィキペディア(Wikipedia)』をご参照下さい。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎ものがたり(映画、音楽、文学、本)』まで
2006年11月17日
コメント(2)
僕は岡本綾さんがビオレUのCMのころから結構、好きだった。NHKの朝ドラ「オードリー」よりも、かなり前の話だ。意思の強そうな瞳と、清純な印象がとても好感があった。どこかで見かけたような、でも、絶対に見たこともないような、少女の憧憬を彼女は漂わせていた。演技も、凄いというより、職人的に外れない演技をする点も、若手女優には珍しかった。NHKのオードリーも勿論だが、長瀬智也さんが主演した「ビッグマネー」でも、いい感じでしっかり、ドラマを固めていた。でも、ちょっとスキャンダルがあった。ご存知のとおり、中村獅童さんの飲酒運転の車に同乗していたからだ。しかも、竹内結子さんの前の彼女であったことも、報道された。いささか、驚いた。同時に、僕は岡本綾さんをかわいそうだと思う。彼女はまっすぐすぎたのかな? 人って、どんな状況でも本気で誰かを好きになっちゃうこともある。その人が結婚してることもあるんじゃないかって思う。 実際に純粋な女の子ほど、突っ走ったら止まらないんじゃないかって。 純粋なことって、実は怖いことでもある。 それに、好きってことはその相手だけですむけど、やがて、相手が持つ周囲の世界とも折り合っていかなくなるようになるととてもツライだろう。妻がいる。子どももいる。それに、梨園だと表沙汰になるもの、裏でもぐってしまうもような複雑な事情や家族関係がある場合だってあるんじゃないかな。だけども、恋をすれば、しちゃうのだ。本当に、その人に恋を。したり顔で指摘する人もいるだろう。「本当に中村獅童さんを好きなのであれば、結婚が決まった段階で身を引くべきた」と。でも、僕は本当に好きっていうのは、単純じゃない。時に、美しくない。人を思いやったりするし、自分の思いを通したかったりする。本当に好きになるっていうのは、生半可じゃない。相手が離婚とかの行動を起こさないと本当に憎むだろうし、それをできない自分の非力を責める場合だってあるだろう。本当であれば、あるほど、汚くもなり、傷つきもする。 岡本綾さんのはしんどいキモチがあったのかな。中村獅童さんが好きだけど、できちゃったから、他の人と結婚しちゃった。でも、まだ、岡本綾さんにはキモチが残っている。会おうって言われたら、どうなるんだろう。僕なら、もしかしたら、もしかしたらって、彼もやり直したいって思ってるかもと、会っちゃうと思う。一度会えばなんとかなるんじゃないかって。客観的になれば、ものすごく馬鹿げたことだけど。まるで、出口のない真っ暗な洞窟で、気休めに岩から漏れてくる灯りを、出口の灯りだと思ってすがり、傷を受けながらはいつくばって探すように。一般論だけど、既婚者の男性と未婚者の女性の場合、女性はどんなにつっぱっていても、ものすごく傷を受けてるはずだ。むしろ、つっぱってる女性ほど、その現実を見るのを拒んで、別の形でココロが辛くかったりする。かたちが、変容してしまうほどに。コレまで書いてきたことは、客観的にカッコつけては誰もが言えることかもしれない。当事者だったら、そういかないのは、僕だって承知だ。例えば僕が竹内結子さんの親だったり、あるいは、岡本綾さんの今の彼氏とかだったら?考えるだけでもツライ。 まず、凄く混乱するだろう。其の後、キモチを未来に整理できるか、怒りを抑えるかどうかは、器によるのだろうとしか、いいようがない。なんだか、話が岡本綾さんからそれてしまった。 ともかくも、彼女はかなりの批判にさらされている。CMも減っている。また、普通にTVや映画に出演しても、「ああ、あの同乗者ね」との色眼鏡で見られるのだろう。女優業の責任というもので、仕方ないかもしれない。だけども、僕はこうも思う。きっと、一番、傷を受けていて、誰にも何も相談できない孤独に陥っているのは岡本綾さんではなかろうかと。他の人も容易に引き上げることはできないんじゃないくらいに。責任というのがあるとすれば、それで充分じゃないかと、僕は思う。 女優業が続け難くなるのまで、叩くのはやりすぎじゃないかなって。ダメって評価を下すのは早いのじゃないかって。きっと、この出来事を乗り越えたら、彼女は凄い存在感のある女優になってくれると思う。はじめからある美しさじゃなくって、芯の強さがある美しさになるんじゃないかって。もしかすると、そういう彼女を一切の担保なく受け止めてくれる誠実な男性だって現れるかもしれない。例えるならば高橋恵子さんのように。前向きに頑張れなくてもいい。岡本綾さんにはこの嵐が過ぎるまで、じっと、でも、ゆっくりと成長して欲しい。これから、女優として、いや、むしろ、一人の女性として素敵に大きくなるために。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎好みのタイプ』まで
2006年11月12日
コメント(8)
小説を自分なりに読んできたつもりだけど、「いい小説」ってなんだろう、って考えると、ものすごく難しい。人によるとも言えるけど、僕は自分の中でも一番「いい」って決めきれないことは多い。例えば村上春樹。一番、凄えな、完成度が高いなって思うのは、なんといっても「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」だと思う。どこに文句を着けていいかわからないくらい、すごくよく出来ている。よくわからない暗渠とした世界を、外堀を埋める地道な物語で描いている。じゃあ、一番「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」が好きなんですかって聞かれると、実はそうじゃない。「ノルウェイの森」だったりする。この小説は傷が多いし、そんなにスゴイ出来ではない。「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」のように緻密に組み立てられてもいない。僕の描写は感傷に流れすぎている。直子も、緑はすごい極端な描き方だし、第一、人が死にすぎる。突撃隊は死んだかさえもわからず、テキトウなところで消えてしまっている。素敵なおばさんであるレイコさんとエッチをしちゃうのは譲るとして、その描写がちょっと甘い。もっと、村上春樹さんなら、ネチコクてもシャープに描写ができたんじゃないかとも、思う。それに、なによりも僕は永沢さんの恋人のハツミさんがどうして、自殺させたのだろうって思う。このとっても素敵な女性は生きつづけて欲しかったなって。だけども、僕は「ノルウェイの森」がものすごく好きだ。未だになぜかっていうのは、掴みきれていないけれども、この傷がたまらなく僕の心のじゅくじゅくと固まりきれない部分に響いてしまうのだ。きっと、この小説自体がそういった傷を必要としていたんじゃないかとさえ思える。好きな小説だからこそ、さっき書いたような文句も多くなるのかな。じゃあ、もし、友達から「村上春樹は読んだことないけど、どれを読んだらいい」って言われても、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」や「ノルウェイの森」は勧めない。「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」はその完成度の高さから、読むのがシンドクなる人も多い。「ノルウェイの森」は村上春樹さんの一連の作品の中では、かなり異色である。短編集である「象の消滅」か「1973年のピンボール」を勧める。「象の小説」は村上春樹をアメリカに紹介するにあたって選ばれた短編選集だけあって、物語作家と、言葉遊びとしての短編がふんだんに交じっていて、深くて飽きない。「1973年のピンボール」はかなり初期の作品だけど、不思議なイメージとか、漠然とした不安感とかがとってもあって、なんだか、彼の作品の一番のコアになっているように思う。以降の作品群の予感が詰まっている。そして、どっちとも、そんなに長くない。勿論、完成度の高さ、好きさ、オススメする作品が一致する作家というのも、いる。例えば、中上健次と、安倍公房になる。中上さんなら、「枯木灘」、安倍さんなら「砂の女」になる。でも、そういう一致した作家っていうのは、マレだ。ただ、全作家が三つ別れているわけでもない。ポール・オースターなら好きなものと、完成度の高いのは「ムーン・パレス」で一致してるけど、オススメするものは「幽霊たち」である。これは、主に読みやすさってとこから、そうなってしまう。まあ、僕にとって一番マレなのは三島由紀夫で、五作品くらい読んだけど、好きな作品はない。オススメしたいのも、ない。だけど、「金閣寺」の凄さっていうのは、凄い。3回読んでしまった…そのワリには内容は覚えていないけど、美しいってものを、劣等感に凝り固まった少年の視点で描いて、きっちりと読みきらせる描写はたいしたもんだなあって気がする。…大作家に申し訳ない書き方ですね、はい…なんというか、日本の美しさはなにかしらの劣等感でささえられているものが多いような気がする。そして、三島由紀夫の文章は難解だといわれるけど、そんなことはないんじゃないかなって僕には思える。確かに、漢字は難しいかったりするけど、谷崎潤一郎ほどじゃない。文章の流れは論理的で、感覚一本であんまり説明がなく、ぽーんと描写してしまう川端康成よりは読みやすいと僕は思うのだけど。ただ、好き、完成度っていうのは個人だけに留まってるで、人に影響を与えない。オススメするっているのは、人と関係があるから、考え込んでしまう。僕自身もウィリアム・フォークナーを本腰入れて読もうとして、どれがいいかって人に聞いたことが有る。「長編だと「サンクチュアリ」が比較的短くていいんじゃないの」って勧められた。読んでみたけど、ピンとこなかった。暴力描写の凄まじさと解説にあった気がするが、たいしたことないように思えた。それで、時間のある大学時代にはウィリアム・フォークナーは読まなかった。卒業してから、別の友人に聞いてみた。彼は、答えた。「「サンクチュアリ?」あら、面白くないよ。「響きと怒り」か「八月の光」を読まなきゃ。これは、面白いよ。冒頭からひっぱられていくんだ」ただ、残念ながら、今に至るまでこの二つの小説は読めていない。短いだけで、人に勧めるわけにはいかないのかなって。だから、好き嫌いや完成度は個人のものとして、本を薦めるときにはその人の趣向とかを聞いてから勧めるように、最近はしております。「いい」って基準ははっきりしているようで、一番、曖昧なんだろうな。なんか、小説になるとblogがものすごく、長文になるなぁ。およよ。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎ものがたり(映画、音楽、文学、本)』まで
2006年11月11日
コメント(0)
「わが悲しき娼婦たちの思い出」を読んだ。作者である、G・ガルシア=マルケスはノーベル賞作家であると同時に、20世紀の最大の作家の一人といっても間違いではあるまい。代表作は「百年の孤独」や、「族長の秋」である。出身地は南米のコロンビアであり、文学の不毛の地といわれ続けてきたが、1960-80年代にかけて天才的な作家達が続々と大作を発表していて、ガルシア=マルケスはその代表格。詳細はこちらのWikipediaにお任せしましょう。ただ、僕が南米の作家を読んできて、共通に思うのは、彼らが彼らなりの現実世界を書こうとしているってこと。その現実世界を描くにあたり、シュールで幻想的な表現方法を使っている。つまり、表現方法は幻想だけど、表現される現実はものすごく土着的なリアリズムを持っていて、それが南米の作家が20世紀の文学に与えたインパクトに繋がってるだんだと、思う。僕は大学時代から本を読み始めて、なんかの縁で「百年の孤独」に出会って、こんな面白い小説があったのかとびっくりした記憶がある。語り口のユーモアと、マコンドという架空の都市に南米の都市の盛衰の歴史を詰め込んだ手腕に脱帽した。2-3回読んでいるけど、その度、新鮮である。さて、「わが悲しき娼婦たちの思い出」はその著者が77歳のときに川端康成の「眠れる美女」に着想を得て書かれた小説だ、そうだ。内容は眠ったままの処女の娼婦(変な並びだけど、そうなのだ)であるデルガディーナに惚れてしまう90歳の老人が主人公の話である。…いや、ほんと、それだけの話なの。まとめると、そうなんだよね。時々、主人公の回想とか、妄想とかが織り込まれるたりしている。こんな内容でも読者を飽きさせない語り口はさすが、ガルシア=マルケスといった感じである。特にデルガディーナに「売春婦」と罵るシーンは笑ってしまった。充分、標準以上の面白い小説になってはいる。ただね、あっさりと上手に書いちゃったのかなっていう風な感想も、僕はもってしまう。仲立ちをする女衒である、ローサ・カバルカスを巧みな狂言回しに使いすぎてる。きっと、「百年の孤独」とかを書いている彼ならば、もっと、事件を起こしてくれたんじゃないかなって、残念。事件が少なくて、あくまで恋焦がれる90歳の老人の描写としてなら、さっぱりしてるけど、僕はもうちょっと、こってりして欲しかったなって。特に売春宿で重要人物が殺されて、一時期デルガディーナが行方不明になったことなんか、もっと、できたはずじゃないかなって。工場内を探しまくって、ボタンのアメあられを描くことも、町中で自転車を探したり、新聞記者である主人公の地位を利用して行動するとかできる。描かれてはいるものの、結局、恋する男のテレでひっこんじゃってるのが、半端な印象がぬぐえないかなって。この作品を老成したというのか、枯れたと見るのかは人それぞれだろう。老成という点では「予告された殺人の記録」の構成に分があると思う。(じゃあ、お前が「わが悲しき娼婦たちの思い出」より面白い小説を書けんのかっていわれると、まあ、別問題ってことで(苦笑))と、いうことで、僕の考えとしてはマルケスが好きな人には勧めるけど、マルケスが始めての人には他の作品を僕は勧める。やっぱり、「百年の孤独」がなげえよって人には短編集で、ちくま文庫から「エレンディラ」も出てますし、「予告された殺人の記録」も長くないので、こちらから読んだほうがいいのじゃないかな?また、ちょうど、新潮社はガルシア=マルケスの全小説を今年から2008年にかけて出すようなので、いい時期じゃないかと思うな。なんか、この全小説を全部買ってしまいそうな自分が怖い。んじゃ。※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎ものがたり(映画、音楽、文学、本)』まで
2006年11月07日
コメント(0)
全294件 (294件中 1-50件目)