3号苦労話


平成13年10月23日生まれ。
A型(多分)のてんびん座。


私は子供は2人で良いと思っていた。
元々子供は嫌いだし。
しかし赤ちゃんを見る度に
『いいなぁ、赤ちゃん。』と思っていた。
子供達には
「うちにはもう赤ちゃんは来ないからね。
 赤ちゃんはよその赤ちゃん見せてもらおうな。」
と言っていた。

そんなある日、あるべきモノがないことに気づく。
まさか、また…?
妊娠判定薬は陽性を示している。
本心をいうならば、かなり悩んだ。
堕胎するべきか?産むべきか?と。 
「せっかく来てくれた家族やし、迎えてやろうや。」
横綱の言葉で堕胎はしなくて済んだ。

その頃1号が幼稚園入園の時期だった。
幼稚園まで歩いて片道10分ほど。
歩くとおなかが張った。
自転車なら大丈夫だった。
2人を自転車に乗せて、生まれる前日まで坂道を登っていた。
まわりにはかなりの心配をかけたと思う。
「おなか大きいのに、自転車なんて乗って大丈夫なん?」
大丈夫だから乗っていたのよ。
大丈夫だから…

やっぱり今回も『安静』の2文字を言い渡された。
今回の原因も高血圧と浮腫。
本当ならば薬を服用しないとだめなほどの血圧だった。
妊婦のために服用しないで済んだ。

6ヶ月を過ぎた。
もう完全に安定期。
つわりがあった人でもその時期には落ち着いてくる頃だろう。
しかし、私の場合はその頃から本格的に吐き出した。
毎日夜の7時になると決まって吐く。
涙をこぼしながら、まるで海亀の産卵のよう。
吐きすぎて血が出てきだした。
食道が切れたらしい。
これはさすがに怖かったが、何とか吐く回数を減らして回復できた。


10月23日。
1号が秋の遠足に出かける日だった。
張り切ってお弁当を作らねば。
と思っていたら、いつもより早い時間に目が覚めた。
陣痛のような痛みが襲ってきた。
陣痛の合間にお弁当を作りながら、苦しんでいた。
横綱が起きてきた。
やはりいつもより早く。
「痛いんか?連れて行こっか?」
やっぱり3回目ともなると彼も慣れていた。
病院へ連絡して連れて行ってもらった。

「3センチ開いてます。今日中に生まれますねぇ。」
助産婦さんがそう言った。
家に置いてきた1号と2号が心配なので、早く帰ってくれと横綱に頼んだ。
「今日は遠足で、朝は幼稚園へ、お迎えは近くの公園へ行ってくれ。
 公園の場所がわからないなら、きんぎょさんにお願いしておくから。」
その他にも細かい指示をして、横綱は困った顔をして帰っていった。

歩いてお産を進めるように言われた。
病院中を歩きながら、疲れたら携帯できんぎょさんに連絡した。
そうだ、幼稚園にも連絡しておかなければ。
明日から今週いっぱい休むこと伝えねばならなかった。
その頃私の実家ではじいちゃんがいた。
痴呆気味で、介護が必要だった。
そこへ子供2人を預けるわけにもいかない。
仕方ないので義母達に2人をお願いしていた。
うちに来てもらって、とも思ったが、横綱の実家で見てもらうことにした。
実のところ、私のやりやすいようにしている物を触られたくなかったし。
4,5日よろしく。

1号を送った横綱と2号が来た。
ちょうど母親も来た。
お昼前、3人でご飯を食べに行った。
横綱と2号の分のお弁当、作ってきたのになぁ。
3人が帰って来た時には私はもう分娩室にいた。
さっさと産んでしまった。
2790グラム。
やたらと胸まわりが大きな子。
3人の中で一番大きくなるかも?


3号はおとなしい子だった。
寝ているのか、起きているのかわからないような子。
1号や2号の手荒いかわいがりにも、泣かずに耐えていた。
本当にやりやすい、賢い子だ、と思っていた…

突発性発疹、風邪など簡単な病気になってきた。
その度に彼は『自我』が芽生えてきた。
3人の中で一番しぶとい男になってしまった。
気にくわないと物をほおり投げるのは当たり前。
手当たり次第に叩いてくる。
みんなに甘えさせられ過ぎたかも?
この先が怖い…


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