私の場合は小さい頃から外に寄っていた。
いわゆる『外斜視』という先天的な障害があったらしい。

1歳を越えた頃から母親は気になっていた。

幼稚園に入った頃、名医がいるという眼科へ連れて行かれた。

そこでは機能訓練をさせられた。
レンズのついたようなものの中から見えるように書いていく。
普通ならずれて見えないはずのものが、私にはずれて見えていた。
また別の機械でブレて見えないように調節する、ということもさせられた。
小さい私はよくわからないまま、言われるがままにしていた。

毎週通うたびに同じことをさせられた。

先生診てもらう。
やはり手術が必要なほど悪かった。

「この手術をすると斜視は治ります。
 しかし、視力がかなり失われますがどうしますか?」
母親は悩まずに手術に同意した。

小学校に入るまでに手術するのが一般的らしい。
私も小学校に入る前の1月に入院した。

入院前に色々検査した。
血液検査、これが一番辛かった。
子供に注射針は大変辛いものだ。
誤魔化しながらも針を刺された。
ほかにも心電図やなにやらされた。

入院した時、隣のベッドにひとつ年下のYちゃんという女の子がいた。
その子も同じ外斜視だった。
目の手術だけに体は元気だったので、いつもYちゃんと遊んでいた。

そして手術の日。
手術台に乗せられて、とても怖かったことを覚えている。
笑気ガスらしきものを吸った後の事は覚えていない。
気がついたら目の前は真っ暗だった。
手術した目には金属製の眼帯、それをカバーするように包帯を巻かれていた。

夜中に目が覚めた。
手術の日だけ母親がついていてくれた。
その母親を起こし、トイレに行きたいと言った。
看護婦さんを呼んでもらい、手を引いてもらってトイレへ行った。

ある日、包帯を外された。
金属製の眼帯も。
目を見ると目頭から糸みたいなものが見えた。
それにはビビった。
『私は目を縫ったんだ』
と恐怖を覚えた。

1週間が過ぎ、無事退院できた。
隣のベッドにいたYちゃんはまだ退院できないらしい。
どうやら手術の時に暴れたらしい。
だからもう少し入院期間が延びる、と母親は言っていた。
「あんたはおとなしくしてたからやね。良かったね。」
Yちゃんには良かったね、と言えない。
少し寂しい思いで退院した。


退院後も何年か機能訓練や先生に診てもらうために通院した。
斜視の方は問題ない、と言われた。
でも、やっぱり視力はどんどん落ちていく。
小学校入学時には1.5あった。
4年生になる頃にはメガネが必要だといわれた。
確実に視力は落ちた。
黒板の文字が見えない。
メガネをかけても落ち続ける視力。
中学生になる頃には0.1をきった。

もう高校生になった頃には0.01になってしまった。
今でもメガネかコンタクトがないと何も見えない。

あの時手術をして良かったか?とたまに思う。
見えない不便な生活と、黒目が外に寄ったままか?
どちらでも良かった。
ただ、母親がそのことで悩んだということを聞いた時にはこれで良かったかも、と思うようになった。



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