zeroから始めよう

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2006年07月03日
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テーマ: 哀悼(1)
カテゴリ: カテゴリ未分類
「復職、そして衝撃的な出来事」の続きです。
長文なので辛い方はスルーして下さい。

H先生はいつも笑顔でした。

先生と初めて会ったのは学部4年の4月。
うつを発症した直後です。

私はその頃ほとんど大学に行けない状態だったのですが、
どうしても受講したい実技の科目がありました。
その科目を担当していたのが非常勤で大学に来ていたH先生でした。

H先生の担当するその科目は他学科が対象だったので、

そして「私は学科が違うのですが、どうしてもこの演習に参加したいのです。」
と、伝えました。
H先生は受講を快諾して下さり、他学科の学生に混じって
その演習に参加することになりました。

半期の演習である作品を制作するのですが、
5限だったその演習は毎回夜遅くまで続きました。
とても大変な演習でしたが、
H先生は他学科の学生と分け隔てなく、熱心に私を指導して下さいました。

6月に入った頃、うつが非常に悪化しました。
私は演習に参加したい一心で週に1日だけ大学に行っていましたが、
1回だけ辛くてどうしても演習に出れない日がありました。


1回でも休んでしまうと作品制作の進行が遅れてしまいます。
それをフォローするために、
H先生は休日に自宅の工房に私を招いて下さいました。

作業をする前に先生は先生は工房の屋上に私を案内して
景色を見せて下さいました。

今でも思い出せます。

それからはどんなに辛くても演習に出ました。
演習が終わる時間はどんどん遅くなっていき、
H先生の奥様がお手製のお弁当を差し入れて下さったこともありました。

そして7月。受講生全員の作品は完成しました。
自然と拍手が巻き起こりました。
そしてH先生は受講生一人一人を作品と共にカメラに収めて下さいました。

それから半年。
私はうつと闘いながら何とかH先生が勤める大学院に進学しました。
先生の所属は私の研究室とは違ったものの、
私が学部の頃のことをよく覚えていて下さいました。

2年の課程が終わり、修了制作展を迎えた時
H先生に就職が決まったことを伝えました。
先生は大変喜んで、私の写真を撮って下さいました。
先生はその日も笑顔でした。

それがH先生に会った最後の日です。
あれから2ヶ月弱で逝ってしまわれたなんて…。



大学院の友達からメールが来たのは私がまだ休職中だった数日前。
「修了展の時の写真を送りたいんだけど、現住所を教えてくれないかな?」
という内容でした。
私は実家に送ってもらうことも考えましたが(その時はまだ実家にいたので)
不思議に自宅のアパートの住所を伝えようとメールを返信しました。



復職1日目にH先生の訃報を知ることになったのは
何かの運命のような気がします。

先生は私がうつであることなど知っていたはずはありません。

でも天国で先生が、「生きなさい」
そう言っている気がしてなりません。



H先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。





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最終更新日  2006年07月23日 10時45分40秒
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