おきらく主婦のたわごと

おきらく主婦のたわごと

中学時代



それは忘れられない出来事だった。

母はあいかわらず仕事を休みたくないと言うことで9歳年上の姉が来てくれた。

当時姉は21歳。短大を卒業して地元の会社に就職していた。

多分、有給休暇をとってくれたのだろう。

姉は私の母親と言っても過言ではなかった。

姉が高校生だったのに私の保護者会に出てくれて通信簿をもらってきたことがあった。

中学の入学式に姉が来たことで

「若い!若い!」

そんな声もあちこちから聞こえてきていた。

姉は実際の年齢よりもおちついて見えていた。

母親としてみれば若いが本当の母親として見えないこともなかったかもしれない。

姉は本当に私の母親のようだった。

姉の存在は姉が高校生になった頃から私の記憶に鮮明に残っている。

私が小学1年生、姉は高校1年だった。

一週間に一度家に帰ってくる姉と会えるのが楽しみだった。

姉はよく親の言うことをきく人だった。

田んぼの草取りまで言われてやるようなこどもだった。

正義感がとても強かった。

叱られたことのひとつに今でも憶えている言葉がある。

「人が悪い!って言うな。自分は悪くないって言ってはいけない。」

いったい姉はどこからそれを学んだのか・・・

姉もいろんなことを考えながら成長していったのだろう。

母親が幼い考えの人だったので、自分が早く大人にならざるをえなかったのだろう。


姉は給料のほとんどを家にいれていたのだが、中学校に上がる少し前に通学用に自転車を私に買ってくれた。


小学生の頃には映画もつれていってくれた。

私を不憫に思ってくれていたのだろう。

姉自身も寂しい思いをして育ったからもあるのか、とても可愛がってくれた。


母は自分のことでいっぱいで朝早くから家を出て夜も日が暮れて帰ってくる生活だった。

このことで周囲の人はどう思っていたのだろうか・・・

当時は何も感じていなかった私だが他人からみれば

子どもの入学式を一目見たいとも思わないのか?!

そんな疑問があったはず・・・

母にとって仕事を休まないことが自慢だった。

喜んで学校に来てくれたのは運動会くらいのものだった。

母は他人の目を異常に気にするところがあったが、少し感覚がずれていたのだろう。

私が髪がのびてボサボサの頭をしていると

「みっともない!まるで親のいない子どもみたいだ!」

そう言って髪を切りに言ってくるように言った。

ハッキリ言って親がいてもいないのと同じだと思っていた。

私はものすごい剛毛で天然パーマなので放っておくとおばちゃんパーマのようになってしまう。

このことは私にとってのコンプレックスだった。

母が針金のような直毛で父が猫っ毛の癖毛。

見事に剛毛の癖毛という最悪パターンで、短く切らないとおさまらなかった。

周りの子のサラサラ天使の輪っかのある髪の毛が羨ましかった。



「みっともないなぁ。色も黒いし、まるで男みたいだなぁ。」

母がよく私に言った言葉である。それも笑いながらである。


小学校時代から私はいつも男の子に間違われていた。

スカートもはかず、ボーイッシュな格好でショートカットだった。

どこからどう見ても男の子でしかなかった。

女の子らしい格好をしたってどうせ自分には似合わない。

母方の従姉は歳も近かったのでいつも比べられていた。

「あの子は人形さんみたいに、かわいらしいなぁ。」

どうせ、自分はぶさいくなんだ・・・

母は私の外見をいつもけなしていた。

母の言葉は私の心をえぐる凶器のようなものだった。

悪気なく言うその姿は無邪気そのものだった。

自分の思ったままを口にして周りを不快にさせることもあったのだろう。

それがずっと心配だった。

お願いだから他の人には言わないでと思った。

母にけなされて育ったせいで自分に自信などひとつもなかった。

たったひとつの自信は山歩きで鍛えた強い足腰くらいのものであった。

体力だけは自信があった。

中学校に入っても同級生18名とこじんまりしたものだった。

部活動は男子はハンドボール部、女子はソフトボール部と決められていた。

本当はバレーボールがしたかったがあきらめるしかなかった。

小学校は嫌でたまらなかったが中学校でこの部活動が楽しくて学校に行くのが苦ではなくなった。

練習が大好きだった。

夢中になってボールを追いかけることが楽しかった。

雪でグラウンドがつかえなくて、体育館での練習だって廊下での基礎練習だって私には楽しくて仕方なかった。

ますます私は色黒になり、男の子のようだった。


「なんで、あそこのショートの子だけ男子なんですか?」

顧問の先生が試合に行ったときに言われたことがあったと笑っていた。

それくらい男よりも男らしかったかもしれない。

小学校の6年生で生理が来たとき、母に報告したときの言葉は忘れられないものだった。

「ありゃ~ こんなに早かったかぁ。お前はませてるからなぁ。」

とても困ったような顔だった。

同級生の中では遅い方だった。母の感覚では中学生が普通だったのだろう。

いつも基準は自分であったから。

私が女に生まれたきたことをすべて否定されているような気持ちだった。

この人には何も言いたくない。

そんな思いが強くなるばかりだった。

男のようにふるまっているほうがいいのだと心のどこかで思いこんでしまっていたのかもしれない。

何かを母に相談することなんてありえなかった。


「こまったわ~。」そう先に母に言われてしまうと、自分の心配など話せなかった。

あんたが心配の種だと私も言いたかった。言えるわけもなかったが。。。

心配することは生きていく上で切り離せないものなのだと思い始めていた。

そして段々母と一緒にいることが苦痛に感じてきた。


いつも重い空気を背負っていた。

眉間にシワを寄せては怒鳴っていた。

いつも身体のどこかが痛いと訴えていた。

仕事帰りに病院に寄ってくることもしょっちゅうだった。

痛いことが大嫌いで少しも我慢できなかった。

母の変な自慢のひとつが、身体にメスが何度も入っているということだった。

19歳で盲腸、帝王切開が2回、子宮筋腫、指を切断、頸椎損傷など。

いつも自分が家の厄をかぶっているように話していた。

嫁に来てからの苦労話にも花が咲いた。

それはずっと母が言い続けてきたことだった。

「自分ばかりが苦労をしている。」

10人きょうだいの一番上に産まれた母。

歳の近い妹が実家のそばに嫁いだことが妬ましかったようだ。

叔母は家で内職をして自分で子どもをみていた。

そして男の子を2人もうけた。

母にとっては妬ましい存在でしかなかっただろう。

自分のないものはすべて妹が持っている。

「おばちゃんは楽をしている。」

いつも私にそう話していたので、私も叔母を見る度に気楽な人なのだと思っていた。

きょうだいの中でも母は変なところがうるさいので疎ましい存在だったようだ。

叔母が私に言ったことがあった。

「おまえの母ちゃんは変わってるからなぁ。」

分かっていても改めて人に言われると気分が良いものではなかった。

やっぱり母は自慢できる母ではないのだ・・・

親戚の言葉で、母が変かわっているということを確信した。


中学生になって部活動のおかげで家にいる時間が減った。

私にとっては夢中になれることができたので学校にいることが苦ではなくなった。


熱があっても学校を休まなかった。

そんな姿を見て当時の担任の先生が褒めてくれたことがあった。

スポーツは本当は好きではなかったが体力があったことが自分への自信につながっていった。

無我夢中で練習したのは後にも先にもなかった。

顧問の先生がまた熱心な先生で、それに応えたいと思った。

ある時、私は部活で突き指をしてしまった。

そうとうの痛みがあったにもかかわらず我慢して練習していた。

1日も休みたくなかったのだ。

そして運が悪く、宿泊学習で参加したオリエンテーションで突き指をしたところを転んだ拍子に手をついてしまったのだ。

一瞬ものすごい音がした。


痛みが走った。

腫れがものすごくなって接骨院に行くと、他の病院をすすめられた。

そこでは治療は出来ないと言われた。

隣の市の接骨院にいくと「脱臼」と診断された。

もう指が曲げられない状態だった。

普通にしていてもズキンズキンした。

太く腫れ、少しも指は曲がらなかった。

「残念ながら、このまま治りません。」

ショックだった。


顔は不細工でも手は割とまともな手だと思っていたのに・・・

それでも部活動は痛みをこらえてでていた。

包帯をしていてグローブに指が入らなかった。

腫れがひいても私の右手の薬指はまがることはなかった。

それでも、そのことはたいしたことがないと報告して試合に出た。

私の様子が変だと言うことは顧問も気がついていたと思う。


でも私の頑固さはそうとうなもので何を言ってもきかないことが分かって試合に出させてくれた。

感謝であった。

その時の試合の結果はパッとしたものではなかったと思う。

あのあと顧問の先生も上から叱られてしまって迷惑をかけてしまった。

ただあの時、なんであんなに頑なに試合に出たかったのか・・・

何かが私をそうさせていた。

今も変形した指を見る度に思い出す。

自慢できる話ではないが今も、あ~、一生懸命やってた時期だったなぁと思える。

「五体満足で産んでやったのに。」

そう母は嘆いた。

「産んでないやろ?!帝王切開やろ?!」

そう意地悪に答える私がいた。

忘れることが多い中で忘れられない思いでのひとつだ。

その後、少しは良くなって曲がるようになったから良かったかな、くらいに思っている。

痛みも中学校を卒業する頃にはなくなっていた。



中学生の頃の私にとってのもうひとつの大きな出来事は姉の結婚だった。

ケンカばかりの両親だったが時々ものすごく一致団結することがあった。

それは家の跡取りのことだった。


私はずっと子どもの頃から母に言われていたことがあった。

「姉ちゃんは大事な婿取り。お前は嫁にいくんやぞ。」

ずっとそんなものだと思っていた。

母がそれこそすり込みをしていた。

父と母にも思い描く夢があったようだ。

どこどこの次男坊なら来てくれるかもしれないと勝手に算段して人生設計をたてていた。

姉も二十歳をすぎて就職した頃、思い切って相手の家に話しをもちかけたようだった。

ところが体良く断られたのである。

やっぱりそんなもんだろ・・・こどもの私にだって理解できた。

この家に来るなんて物好きか、よほど姉にほれた人でない限りありえない。

勝手に見込まれた人は迷惑だろう。

姉は車に乗れることもあって父の仕事場に迎えに行くことなどの機会がよくあった。

「いい娘さんだねぇ・・うちの嫁にもらえんやろうか・・・」

何度かそんなこともあって、父はその度に断っていた。

「あれは大事な子で嫁にはだせんのです。」

父としては姉が褒められるのは嬉しかっただろうが、どうぞと差し出すわけにもいかず複雑だったろう。

誰ひとりとして


「息子をもらってください。」

そんな家はなかった。当然である。

財産があるわけでもなく、そこは山の中。私だってごめんだと思っていた。

ある日、両親は決心した。

もらい手があるうちに姉を嫁に出そう、と。

姉はお見合いで結婚することになった。

それが私が中学1年の秋のことだった。

やっと姉が下宿生活からもどって一緒に住み始めて、わずか一年半だった。

姉が帰ってきてくれて良いことがいっぱいあった。

叱られることも多かったが姉を親のように思っていた。

いつも頼れる人だった。

休みの日はよく私を連れて出掛けてくれた。

親はあいかわらずだったが姉がいてくれたおかげで快適になった。

そんな私に姉の結婚は正直、嬉しい話しではなかった。

何よりもおもしろくなかったことがあった。


「これで、おまえが跡取りやぞ!」

突然の両親からの宣告だった。

それほど重くは受け止めることもなかった。

どうせ、まだまだ先のことだもんね。

それくらいの気持ちだった。


姉も最初は見合い結婚に乗り気ではなかった。

「私がこの家からいなくなったら、hossyがかわいそうだ。

 こんな不便なところで車のない生活、今さら考えられないやろ?!

 父ちゃんが免許をとらない限り家は出ない!」

なんと妹思いの姉であろうか・・・

涙の出るような話ではあるが、姉はそのことで父があきらめてくれると踏んでいたようだった。

「わかった!おら、自動車学校に行く!」

父、47歳の決断だった。それから父は毎日自動車学校に行き、帰ってきてからも教本とにらめっこ。

見事に自動車免許取得してしまった。

「まさか、いくとは思わなかったなぁ・・・」

姉、苦笑いであった。

姉も特に結婚したいわけではなかったと思う。

でも私と同じように育って、いやもっと貧しい生活をしてきて嫌というほど孤独を感じてきたと思う。

そんな家を離れることは姉にとって苦しい選択ではなかったようにも思う。

ここでなければいいという気持ちもあったのではないだろうか・・・

姉が新婚旅行に旅だったその日、家に帰るなりに私は号泣した。

部屋には姉の物がないのだ。

今日からいないのだと思うことが寂しかった。

その寂しさは、いつも感じている寂しさとは違っていた。

母がその日のことを忘れられないとよく言っていた。

「お前は姉ちゃんが嫁に行った日に、でかい声で泣いてたなぁ。」と。


それが出来たから、姉のことはふっきれた。

泣くだけ泣いたらすっきりもしたし、あきらめることも出来た。

あの幼少時代の「明日から働きに行くから。」の母の時よりも子どもらしく泣いた。

私を守ってくれる人がいなくなるという不安があったのだろうか。

そうやって親に対しての思いもぶつけられたら良かったのかもしれない。

だけど、それを受け止めてくれる懐が母にはなかったのが分かっていた。

悶々とまた過ごす日々が何となく予想できた。

それでも部活動があったから何とか乗りこえられた。


そう、引退するまでは・・・

3年生になって引退したら今度は高校受験だ。

補習をしていて後輩が部活動をしている姿をみると羨ましく感じた。

一気にテンションがた落ちだった。

部活動を通して随分、自分をだせるようになった。

外からのイメージはサッパリ豪快という感じだったかも知れない。

あいかわらず、可愛いといわれることもなくセーラー服が似合わなかった。

周りがしゃれっ気がでてきても私には出来なかった。

似合わないから。

女らしくあることが悪であるとしか思えなかった。

それは自己否定につながっていた。


「お前はどこの高校にいきたいんだ?」

三者面談だった。

正確には四者面談。何と姉が母にはまかせておけないと出てきたのだ。

「先生、この子は大学に行かせるつもりはありません。」

母がしっかり言った。私の気持ちを聞く前に母が暴走した。

先生も家庭の事情を分かっていた。

姉が嫁にでて、私が跡取りとなるなら地元で就職させたいというのが見え見えだった。

もう、私の気持ちなど聞くはずもなかった。

「お前、それで本当にいいのか?」

姉が私に言った。

「どうせ、大学にも行かせてもらえないんなら、どこでもいいよ。」

それほど私は真剣に思っていなかった。投げやりな態度だった。

何となく、親の言うような生活がいいのだろうと思っていたのかも知れない。

自分の気持ちを正直に表せないでいた。

また、自分が自信をもって言い切ることも出来なかった。

何一つ自分で決めることができなかった。

失敗という恐れが私を消極的にさせていた。

それが後々、自分を苦しめる種になろうとは夢にも思っていなかった。

両親の希望通り私は地元の県立高校に合格した。

私にはある決心があった。

高校に行ったら家を出ようと決めていた。


いくら過疎が進んでいるとは言え、下宿生活をするなんてありえなかった。

バスだってある。そのあと40分ほど歩かなければならないが・・・

とにかく家を出たかった。

あの重苦しい空気から解放されたかった。

姉も下宿生活だったので、そこは簡単にクリアした。

ただ世間はそうは思わなかったかもしれない。

父は車の免許も持ったのだし、姉の時とは状況も違う。

逃げ出すことしか考えていなかった。

高校に行ったら自分は変わりたい!

そう思っていた。

影を引きずっているような小中学校時代の私とはサヨナラしたいと思っていた。
















































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