カミング・アウト

欧米に比べれば、日本はまだまだ「私は、僕はホモセクシャルです」とカミングアウトするには困難な環境だ。
日本人ならずともホモセクシャルに対する偏見や差別があるし、彼らを特異な目で見る人達が多いからだと思う。
男性同士の結婚を認めているフランスは、彼等達には少々住み易いらしい。
そんなフランスの隣であるにも関わらず、此処イタリアでは日本同様まだまだ偏見・差別はあり、カミングアウトは困難である。
私も19歳の時に初めてホモの友人と巡り合うまでは、恥ずかしながら偏見や特異な感覚があった。
彼らが身近な存在になるまでには色々な誤解もあったし、彼らを傷つける言動をした事もあると思う。
しかし、彼らとて我々と何ら変らず人を愛し、そして又傷つき、パートナーと幸福な人生を歩む為に努力をしている。

20年ほど前、ホモセクシャルをテーマにした映画【モーリス】を観た。
当時は結構話題になったフィルムである。
ホモセクシャルという、どちらかと言うと重いテーマを、美しい映像で我々に紹介し「ホモセクシャルを身近に感じさせる事に成功した映画」と言われたのだが、
ホモの友人達曰く、
「余りにも美しく撮られ過ぎていて現実味が無いわ!」とのことだった。そして
「やっぱり、ヴェールをかけないと私達を理解して貰えないのネ!」
とのことだった。

これこそ彼らの本音のような気がする。
カミングアウト出来る事無く、本当の自分を隠しながら、人との付き合いをする事を強いられる人生。
会社でも、友人関係でも、そして肉親達にさえも、常に仮面をかぶって何かしらの罪悪感に苛まれている。
やはり、ここにも差別があるからだ。
彼らは差別される事を恐れているのだ。
カミングアウトした時の、周りの人達の反応が怖いのだ。

100%ではないが、彼らの中には言動でホモだとわかる人も居るが、何となくそうだと思われているのと、自分の口から「ホモです」と告白するのは、意味が全然違う。
私のホモ友達たちは私にはカミングアウトしたが、他の多くの友人達にはしていない。
今まで築き上げてきた友情関係の破綻を恐れているのだ。
他人からすれば
「そんな事で破綻する関係なら、それだけのもの!」
となるかもしれないが
当事者達にとっては、そう単純にはいかない。
口では「ホモであるかないかなんて、我々友情には関係ない」とは言ってはいても、現実問題、抵抗感を多かれ少なかれ感じる人が多いのは事実である。

多くのホモの友人達にしても、マスメディアなどに登場する彼等にしても、彼らは何故か一応に毒舌家だ。
私は彼らの毒舌振りを目にする度、耳にする度、笑いと共に悲しくもなる。
あれらの毒舌の影には、偏見や差別などの苦い経験があるのだろうナァ・・・と推測されるからだ。
こういう事は、別に同性愛者だけに限った事ではない。
世の中には色々な差別や偏見があり、そういったものを幼少時代から受けて育つ人達には、それらが大きければ大きいほど、人間が素直に育つ環境が整わなくなるのではないかと思う。


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