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「韓国統一」 (その2)--1989年、年頭標語

1989年1月1日


 個人的十字架の道

 先生の歩む道において、神様は歓迎しませんでした。放ったらかしにされたのです。協助することができなかったのです。もし協助した日には、キリスト教を救うことができなくなるのです。分かりますか。キリスト教を再び救うことができないというのです。私はそれが分かっていたのです。ですから、神様は私を打ちながらキリスト教を保護してきましたし、私に苦労させながら韓国キリスト教を育ててきたのです。それはなぜかというと、もしキリスト教が打つこの私を神様が保護した時には、もはやキリスト教は神様に保護されないからです。二つを保護することはできないのです。それで先生を放っておいたのです。ですから先生は迫害を受ける中で、本来の立場まで上がっていかなければなりませんでした。

 個人的迫害、家庭的迫害、氏族、民族、国家、世界的迫害を受けなければなりませんでした。個人的迫害であっても世界を代表したサタンが総動員して打ってくるのです。ですから、監獄が個人基盤を築く縦的基盤になったのです。縦的神様の愛を中心として、地上地獄の上に神様の縦的心情圏を残すために監獄に入って戦ったのです。これが神様の前に一番の最短距離なのです。このような場に入って個人的に勝利しなければなりません。そこでは個人的にこの体と心を中心として、苦痛を否定する戦いだったのです。

 体と心がここで、九十度の角度で出合わなければなりません。縦的基準を中心として、すべての世界的版図圏である横的基準を、心の縦的基準に合わせた九十度の角度による生活圏をもたなければならないのです。そうして、その環境のすべてのものを自分の兄弟のように愛し、自分の家庭に神様が願ってきた願いを代表する家庭の一員のように、獄中生活をしなければならないというのです。その獄中にいるすべての囚人たちがお兄さんであり、お姉さんであり、弟や妹であり、お父さんであり、お母さんであり、おじいさん、おばあさんであるように侍る心情がにじみ出なければなりません。このことを勝利せずしては、個人解放がされないのです。ですから、父母の位置を代身した統一教会の文先生は、個人的十字架の道を行かなければなりませんでした。それで韓国において、個人的に国家の十字架の環境を克服しなければならなかったのです。何の話か分かりますか? (はい)。

 一九五五年七月四日の梨花女子大事件を通して、国家が総動員して、文総裁を捕らえようとしたのです。当時、東亜日報は支持していたのに、反対する五人の長官が文総裁を捕らえて殺そうと計画したのです。李承晩政権を中心として、そのようなことをしたのです。しかしどんなに調べてみても、先生には罪がないのです。ありとあらゆる凶悪な罪に陥れようとしても何一つ罪に引っかかるものがないのです。そこで、兵役法違反だとか言って、罪に陥れようとしたのですが罪にならないのです。それで無罪で釈放になったのです。しかし、無罪で釈放されたというその事実を、既成教会の信者たちは一人も知らないのです。その時、今日のように宣布しなければならなかったのですが、今のような時代ではなかったのです。このように、私が行く道には、世界的基準を中心として背負わなければならない十字架が残されていたのです。

 個人的十字架において敗者にならず、勝利者になったからといって自慢してはなりません。その個人的勝利の基盤の上に家庭的十字架が訪れてくることを忘れてはなりません。自己満足をするなというのです。その時、劉協会長や幹部たちが声明を出し、反旗を掲げて攻勢することもできたのです。誰もが攻勢することのできる個人的闘争時代だったのです。さらに家庭時代を経て氏族、民族時代を越えていかなければなりませんでした。

 ですから、大韓民国において、国を愛する一番の愛国の宗教団体は統一教会だけであると言わせなければなりません。さらに、歴史始まって以来の愛国者は文総裁であるということが、世の中に広がらなければなりません。知識人たちもすべてそのことを聞いて、心から頭を下げるようにならなければなりません。そのような時代が来たならば、統一時代が訪れたということを知りなさいというのです。



 その潮流は西洋や東洋が問題ではありません。世界的潮流が国家的環境を越えていく時には、アジアに流れ込んできていた西欧文明を反対に押し出すようになるのです。世界の潮流が変わっていくのです。

 世界的潮流の逆潮時代

 それで、文総裁がアメリカに行って成したことは何かというと、世界的西欧文明の潮流をすべてアジア的潮流へ引き込んだのです。今までは全部アジアから盗んでいったのですが、これからはアジアに引き込むのです。引き込むとき、一番目の国がどこかというと、日本なのです。日本がエバ国家としての祝福を受けたのですから、アダム国家を訪ねていくためには、日本を経なければなりません。かつては、エバが堕落したことによって、すべての万物と権威をみなサタン世界に奪われてしまいました。その回復時代を迎えて世界潮流の逆潮時代に入ってきたのです。昔、英国が陽の沈むことのない国だと言われたように、これからこの日本の圏を中心として、すべての権限がアジアに集中してくるのです。これからの世界は、日本に従い、韓国を経て、大陸へ向かうようになるのです。その競争が始まるのです。

 それがなぜそうなるのか分かりますか? もし二〇〇〇年前、イエス様が十字架上で亡くなられなかったならば、どのようになっていたことでしょうか。その当時を考えてみなさい。イエス様が生まれる前に、エジプト文明圏、メソポタミア文明圏、中国文明圏、インド文明圏などが準備されていたのです。イエス様の誕生の五、六〇〇年以前から、イエス様が天下を統一することのできる宗教的環境をみなつくっておいたのです。ですからその時に、もしイスラエルの国とユダヤ教がイエス様を信じたならば、そして一つになっていたならば、当時ローマ帝国の前に中東地域は政治的疲弊が起こって弱化されていたので、現在のアラブ圏はイエス様によって、完全にイスラエルの十二支派を中心として一つになっていたのです。

 インドと中国は、強国ローマに対抗し、中東を支援するようになっていたのです。このようにイエス様を中心として、中東のアラブ圏が統一されるのと同時に、大陸のインド文化圏と中国文化圏が、カイン・アベルとして統一王国圏に向かっていくようになっていたのです。ところがイエス様を不信したことによって、アジア圏を全部を失ってしまったのです。外的なイエス様の体を失ったことによって、反対にサタンのローマに引きずられていったのです。本来インドと中国の保護を受けて、エジプトやメソポタミア文明圏などのすべての宗教圏の支持を受けなければならなかったにもかかわらず、自然神を中心としたローマに全部売られていったのです。

 そしてそこで戦って、どこに戻っていかなければならないかというと、ローマの西側に向かってアジアへと戻っていかなければなりません。それで、ポルトガル、イギリス、アメリカを経て、回り回って、今日ようやくアジアへと戻ってきたのです。そこで、イギリスと対になるのが日本であり、イタリアと対になる半島文明圏が韓国なのです。ですから今日、世界情勢において韓国が問題になってきているのです。もしこの韓国が滅びるようなことになれば即、世界も滅びるし、韓国が栄えるようになれば世界も栄えるようになるのです。このようなすべてのことが、今回のオリンピック大会によって、内外すべてにぴったりと合うようになったのです。そのことを詳しく話すには時間がありません。

 このようにして、逆潮現象により西欧文明がアジアの権威に吸収されて、今ではアメリカが付いてくるし、すべての西欧の人たちが付いてくるのです。日本人たちまでも、「行きたい、行きたい」と言うのです。何を中心としてかというと真の愛を中心としてなのです。愛の故郷に帰りたいと思う、本源地、人類の理想の本源地と本拠地を失ってしまったのです。しかしそれを再現して、神様は立てようとされるので、人間は必ず、愛による家庭を中心とする一つの本郷地である祖国を探し求めて彷徨するようになるのです。それで統一教会においても、韓国の人でなければ結婚したくないという風潮が起こってきたのです。愛の潮流が位置を確保し、このような愛の潮流による故郷を中心とした氏族編成を連結した、民族を形成し、さらに国家形成時代へと世界の潮流は急変してきているのです。

 かつて日本人は韓国人を怨讐視してきたのですが、今や自分の民族以上に愛する心をもたずしては、天国に行けません。その原理を越えるために、日本人が愛する相対として韓国人を選んだということは、自分の国よりも怨讐の国を愛するという条件を立てたことになるのです。蕩減原則に従って、それを成さずしては天国に入れないのです。そのために自然的な環境与件を整えて、地上世界の現実的舞台に実現したということは、神様の理想圏が地上に臨んだという事実を証するものです。

 それでは、そのような結婚の主体が誰なのかというと、エデンにおける神様なのです。「あなた方はお互いに好きなのでしょう、そうでしょう? あなた方を対に結んであげましょう」と誰が言いますか。アダムが言うのですか? 誰かが結婚させてくれなければならないのです。それとも自分勝手に結婚してもよいのでしょうか、どうですか?

 しかし自分勝手に、そのようなことが起こったのです。アダム・エバが個人的に堕落したことによる、偽りの愛によって始まったのが今日の世界的なフリーセックスなのです。このような愛の混乱時代を迎え、悪魔の巣窟になったこの世界の上に、新しい本然の伝統的愛を中心として、世界の潮流を越え、民族的伝統を越え、歴史的背景をけ飛ばして、万国の人々が、万国家が、共に集うことのできるような地が現れるならば、その地が人類の本郷の愛の泉がわき出る地であるということを知るべきです。また、愛を探し求めてさすらう人類の祖国になるということを知るべきです。そして、その地こそがまさしくこの韓国であったというのです。

 今日まで先生は、「韓国統一」いう言を語ることができませんでした。今や「祖国統一」という言は可能になったのです。定着時代が訪れてきたのです。これからは「韓国統一」なのです!

 それで先ほども語ったように、旧約時代の七〇〇〇名、新約時代の七〇〇〇名の蕩減として牧師たち七〇〇〇名がやって来たのです。これから二世たち七〇〇〇名を中心として、世界から韓国に接ぎ木されに来るのです。それで十日までに、七〇〇〇名が家庭をもつために韓国に来るのです。分かりますか。家庭基盤の上に立った七〇〇〇名が必要なのです。イエス様の結婚理想によるところの、新郎新婦理想を成す七〇〇〇の群れの理想圏を中心として、氏族編成、民族編成、国家編成、世界編成の代表者を立てるのです。神様はこれを失ってしまったのですから、これを蕩減せずしては統一教会の文先生がどんなに素晴らしいといっても、天上世界の道理をこの地上世界に連結させることはできないのです。すべては蕩減法によって解決されるのです。牧師七〇〇〇名が終わったので、これからは二世たち七〇〇〇名がやって来て、結婚するのです。



 さて、世界的潮流から見た時、個人的家庭を中心として堕落していた者が、亡国の僕から愛国の僕に変わるために、国家的愛の果実となって、アダム国家とエバ国家の二世を中心として何千名もの者が一度に結婚したのです。今や国家的結婚時代が来たのです。ですから、亡国の僕ではなくて、愛国の僕になるのです。これから神様の愛の摂理によって戻っていくのです。エデンの園において真なる夫婦として出発したならば、このようなこともなかったのです。しかし偽りの父母となって種を蒔いたので、この万国に広がったものを蕩減復帰するために、国家的次元でアダム・エバ国家が完全に一体となり、その愛の基盤の上に世界国家が立つならば、絶対にサタン世界はそれ以上、上がることができないのです。そしてこの道理を歓迎する民族はすべて解放されるのです。

 それで文化オリンピック大会の開かれる一九九一年には、世界の人たちを集めて、国際合同結婚式をするというのです。分かりますか? (はい)。それを伝統にするのです。統一教会の結婚式が一番素晴らしいのです。二人で鳩のようにちょこちょこ歩き回わるのです。それが数千名もいるのですから、どんなに素晴らしいことか分かりません。先生がそのような伝統をみな立ててきたのです。

 統一教会の冬の季節

 さあ、このようにして旧約時代、新約時代を経て、成約時代に至って、御父母様がこの地上に来られるようになり、アダム・エバによる千秋の恨みを解いて、この地上に春の日を迎え、花が咲き、実を結ばなければならない時が来たにもかかわらず、冬の季節を迎えてしまったのです。かつて統一教会は冬の季節を迎えました。
 それで再び、誰かがこの人類歴史の道を行かなければならないのです。しかし誰も行く人がいないのです。この道を引き受ける人が、誰一人としていないのです。キリスト教の牧師でもできないのです。誰もいません。この道を行くことのできるのは国の主権者でもありません。先生だけが行けるのです。他に行ける人がいないのです。このような再蕩減の四〇〇〇年路程を行くにも、四十三年間でもって行かなければならなかったのです。

 この復帰の道を行くには、まず僕の僕の道を行き、その次には僕の道を行き、養子の道、庶子の道、直系子女の道、さらにお母さんの道とお父さんの道を歩んで、神様への道を歩んで行かなければならないというのです。このような八段階の道を越えていかなければなりません。このことは既に学んだでしょう? (はい)。これを縦的に逆に上がっていかなければなりません。逆に上がっていくためには、まず一番深い層に落ちなければなりません。



 そう、先生の目は小さいでしょう? (笑い) 自然に引き締まっているのです。(先生がしぐさされる)このように飛び出していて目が小さい人は、精神力もぼんやりしているのです。そして、目が大きくともこのように裂けている人の目は、鳳凰眼といって万民を従える能力があるというのです。こんなことは知らないでしょう? (笑い) 私は観相学を勉強したのではありませんが、どんな観相学、肖像学をも話してあげられるのです。私はおもしろい先生ですか、おもしろくない先生ですか? (笑い) 昼間会ってもおもしろいし、夜に会ってもおもしろいし、夕方に会ってもおもしろいし、いつ会ってもおもしろいのですね。また、誰を見てもよく当たるのです。ちらっと見ただけでもすべてその人が分かるのです。

 私のような人がもし悪い人になったならば、既に世界を滅ぼしていたかもしれません。そのような素質をもった先生なのです。神様は私のような者をよくも選んで、利用されたものです。神様はそのように立派だというのです。どうして私のような者を世の中から奪ったのでしょうか。神様は一度捕まえたら無慈悲で死ぬまで放さないのです。死んでも放さないというのです。ですからこのみ旨を引き受けても、今日までこのように自ら実践して勝利の版図を築いてきたのです。(アーメン)。(拍手)

 しかし今日まで、栄光の父母ではなくて、すべてにおいて追われてきたのです。父の位置を失ってしまい、亡国の僕となって、怨讐の世界に行って、監獄に閉じ込められ、飯場に押し込められ、捕虜と同じように利用されてきたのです。私の背には労働者の名前があるし、農民の名前があるし、すべての悲惨な人々の事情をみな受け継いでいるのです。そのような所から上がってきたのです。こういう事情を知らなければなりません。ですから養子の悲しみが分かる人なのです。庶子の悲しみが分かる人なのです。

 こうして縦的に逆に上がっていくその仕事を誰がするのかといっても、誰もする人がいないのです。私しかいないのです。父が歴史を滅ぼしたので、父が責任を負わなければならないのです。父が責任を果たせなかったことにより、母が滅びたので、父が責任を負わなければなりません。それで父の名前をもって僕の僕として来たのです。それを知らなければなりません。サタン世界の皆さんの父母や、皆さんの知人が私を足でけ飛ばしてきたのです。皆さんがそのことをしたと同じなのです。そのような僕の僕を経て上がってきたのです。

 ですから、皆さんが雪の降る日、あるいは霙の降る日に、道端の詫びしい姿の労働者を見たならば、その人が先生であることを連想しなければなりません。「私たちのお父様があのようなことをなさったのだ」と思うのです。そのようにして、軒下で夜を明かしたことがどれだけ多くあったかを知らなければなりません。家がなくてそうしたのではありません。荒地に追い出された逃避者の身の上で本郷の地を訪ねていくその道が分からず、羅針盤もないし、教えてくれる師がいなくても行かなければならない運命のゆえです。それを考えれば眠ることが何ですか! 夜が何ですか! 皆さんは、それが分からなければなりません。先生は乞食の真似もしたのです。乞食の巣窟に入っていって、乞食たちに先生が稼いで食べさせたりもしました。このような話をする必要もありませんが……。

 このような血のにじむような歴史過程を踏んで、勝利の栄光の位置を追求してきたのです。そのような歴史を考えながら、その歴史の同調者に全部なれなくとも、賛美者にならなくてはなりません。そのためには、涙を流して形だけでも真似ていかなければならないというのです。そのような縦的基準を築いていけば、これからはサタンがどんなに打とうとしても打てないのです。先生は縦的な道において、僕から養子、庶子と、神様の心情まで上がっていく中ですべて打たれてきました。しかし、どんなに打ってもこの私を屈伏させることはできませんでした。

 北韓の興南の肥料工場に行って仕事をした時、冬になるとアンモニアでこのようになるのです(先生がしぐさされる)。興南はどんな所かというと、風が吹くと砂利が飛んでいくのです。朝八時に出発するためには、約一〇〇〇名に近い人を全部検査しようとするので、四時に起きなければならないのです。四時に起きてその運動場に並び、風が吹く所で薄い服を着ていると、寒くて震える音がぶるぶるがたがたと聞こえるのです。その悲惨さを何にたとえることができるでしょうか。そのような共産主義を私の手で滅亡させると誓ったのです。

 私はその哀魂を知っています。そこで、私が精誠を尽くして涙をもって教えていた人たちが、獄中でたくさん死んでいったのです。そんな所でも、この先生の名を呼びながら「私の父母にこのような頼みを……。私はこのように死ぬけれども、先生と一緒に良い日をもてたことを、思い出してくださる日の来ることを願っています」と言って、死んでいった人たちがたくさんいました。どんなにひどくおなかが空くのかと言えば、飯を食べる時、口に入れて噛みながら死んでいったのです。そうすると、その横にいる人々がその飯を互いに口から引っ張り出して食べるのです。それは皆さんには理解できないものです。

 そのような位置から父母にならなければならないし、そのような位置からお兄さんにならなければならないし、そのような位置から、私がこのように生きているのであなた方も倒れるなと言える標本にならなければなりませんでした。ですから先生は、そのような場で毎回表彰を受けてきたのです。一番難しい仕事があれば私がその仕事をしたのです。互いに楽な仕事を求める中で、私は一番難しい仕事を探して回ったのです。

 監獄の中で救世主になれなくて、平和な時代の救世主であるという人は偽りの救世主なのです。監獄の中でも、平和の救世主の権威を備えることによって、平和の世界では、救世主ではなくて君主になれるのです。王権を中心として万国を指導できる永遠なる基台となれるのです。「獄中の聖者」だといって、興南監獄にいた人が私について書いた本があることを知っています。私には牢獄は恐ろしい所ではありませんでした。どれだけ鞭が恐ろしく、どれだけその環境が残忍だとしても、真の愛を慕う私の心を占領することはできませんでした。神様を呼び、父を呼び、神様のために生きる、神様に向かう私の心を折ることはできませんでした。その力とその愛の欽慕に彼らが折れたのです。

 先生の勝利圏を中心として

 その力を中心として私は、縦的な段階を解放するための強固な基台を築いたのです。個人から家庭、氏族、民族、国家、世界的な基準まで全部築いて上がってきたのです。このような勝利基台をもった先生に対して、アメリカは打とうとしたので自ら飛んでいったのです。その次に民主世界が先生を打とうとしたので吹っ飛んでいったのです。このようにアベル圏が先生の勝利圏を中心として飛んでいくようになる時には、共産党は下がっていかなければならないのです。原理的に見た時、今後韓国民族が先生を慕って、一つになる時が来れば、アメリカと大韓民国がカインとアベルになるのであり、アメリカとソ連はカイン・アベルになりません。ですから、ソ連は自動的に下がっていかなければならないのです。

 そこで私が一九八〇年度に、高速道路を中心として中国に宣布したことが何かといえば、「科学技術の平準化」なのです。

 私たちは、国家の世話になって天の復帰摂理をするのではありません。私たちの力で成さなければならないのです。なぜ国の世話になりますか。私の父母であっても、その世話にならないために私は家を捨てて出てきたのです。さらにこの大韓民国の世話にならないために、私たちは外国に出ていって基盤を築いてきたのです。そうですね。(はい)。そのように基盤を築いてきたのですが、今では私に必要ありませんから、この基盤を大韓民国の人たちにあげて、それで食べたければ食べさせるのです。勝手にしなさいというのです。もしいらないのであれば、世界の人たちに分けてあげるのです。「世界の人たちに分けてやる」と言うと、一昨年からは「ああ、先生、そうなると韓国が大変なことになります。世界に築いた基盤をどうされるのですか。韓国を助けてください」と言ってきているのです。韓国を助けて何をしますか。泥棒になるのですか。正義に燃える国民になるまでは、私も助けてやることができません。正義に燃える男たちをして、前線に押し立てて、悪党の群れを追い出して統一韓国をつくるというのが先生の主張なのです。それに協力しますか? 反対しますか? (協力します)。協力するのですか、反対するのですか? (協力します!)。日本のメンバー!(日本語で)「聖書の教えは簡単である。地球をすべて犠牲にさせても南北統一、韓国統一国家を願うものである。犠牲になってもそれでいいと言うんだね」。(イエス!)。ヨーロッパのメンバー!(先生が英語で同じことを語られる)同じでしょう? 全部が「イエス」なの? (イエス!)。

 韓国の者たち! 先生の代わりに南北を統一する愛の勇士に成ることができますか! どうですか! (成ることができます!)。成ることができますか! (はい!)。今まで、いつでもできると言ってきて一度でも成し遂げたことがありますか! 先生はやると言えば必ずやり抜いてきたのです。それでも先生の息子、娘ですか! 虎の子ですか、猫の子ですか、カマキリの子ですか! (虎の子です!)。(笑い) ずうずうしいね。(笑い) 誰にも負債を負ってはなりません。なぜ負債を負いますか! 第五共和国の全斗煥も私が下ろしたのです。朴普煕、覚えていますか、思い出したでしょう。(はい)。アメリカに行っても、アメリカの政治史の背後を私がつくったのです。日本の政界もです。これらは世界の背後の秘話ですが、歴史は必ず明らかにされるのです。文総裁はアジアに生まれて、近代政治世界に、経済世界に、文化世界に除くことができない歴史を残してきたのです。

 大学街にしてもそうです。私がアメリカに行く時、すべての大学基地をつくっておいたのです。ヨイドに私たちの宣教本部用地をつくっておいたのです。清平に国際修練所の基地をつくっておいたのです。私として成すべき責任はみな果たしたのです。もし私が死んだとしても、それらのものはこの大韓民国に残されているのです。天地が見ても恥ずかしくない自らの自主的責任を成し遂げておいてこそ、出世を願い発展を願うべきであって、自分の責任が果たせないのに欲が先立ってはいけないのです。分かりましたか? (はい)。若い人たち、一線でやりますか? (はい!)。先生は三十歳までは苦労させようと思うのです。目が馬みたいに飛び出るほどに……。上等な馬がそうなのです。目がポンと飛び出ているのです。目がスーッと入り込んでいるのは良くない馬で、それは使えないのです。使える馬は目が飛び出しているのです。目を見れば分かるのです。君たち、三十歳前までは教会から報酬をもらって使うことなど考えてはなりません。まず先生のことを考えなければなりません。そして激しい戦いを一人で戦う決意をして出ていかなければなりません。分かりましたか? (はい!)。

 この先生は、どんな飯場に行って荷物を背負っても、誰にも負けませんでした。今でもそうです。けんかでも誰にも負けなかったのです。ですから街でチンピラたちがけんかしていても止められるのです。私はやってみなかったことはありません。悪い意味ではなくて良い意味です。人はどこに行っても自立しなければなりません。世話を受けて生きる人は滅びるのです。僕になるのです。分かりましたか? (はい!)。

 私は今年七十歳です(数え年)。七十歳の高齢のおじいさんのような立場になったのですが、私の心はおじいさんではありません! 今回もハワイでアメリカ人や日本人など、各国の人々を全部集めて連れて回ったのですが、みな私が眠らせないものだから、私よりも先に居眠りしているのです。船に乗りながらこうしているのです(先生が居眠りの真似をされる)。「この者たち! これ! 何ですか!」と言いながら、訓練をしてきたのです。私の顔は真っ黒に日焼けしているでしょう? (はい)。なぜ日焼けしているのか分かりますか? 韓半島を太平洋に引っ張り上げ、アメリカ大陸までくっつけて、その次に島嶼と海洋を中心として全世界を覆いかぶせて帰ってきたからです。魚と人はみな神様の所有なのです。

 人類の本郷の地は韓国

 それで韓国統一が祖国統一なのです。今までは祖国だと言ってきましたが、韓国という言を言えなかったからです。今からは韓国統一です。分かりますか? (はい)。祖国がどこですって? (日本語で「日本のメンバー、祖国はどこですか?」。(韓国!)。)(英語で「ヨーロッパのメンバー! 祖国はどこですか?」。(コリア!)。)コリア。今この時間に、初めてコリアが全人類の祖国だということを宣布します。分かりましたか? (はい!)。すべての人類の本郷の地は韓国なのです。しかし、それは自然にそうなったのではありません。韓国民族は五〇〇〇年歴史を通して、犠牲になった民族なのです。多くの血を流したのです。解放以後も四十年間黙々として常に様々な国々の被害を被りながら、文化の侵略、経済の侵略、権力の侵略の中でいつも苦しみあえいできたのです。これには神様のみ旨があったのです。もはや私が滅びない限り、韓国は滅びることがありません!

 そのようにして一九七七年を越えてきたのです。そしてアジアの時代が訪れたのです。それでアメリカにおいて一九七六年度から十二年間、一九八八年までに私が西欧社会に足を踏み込み天地の度数に合わせ、アジアに向かう道を切り開いてきたことによって、今や韓国の時が訪れたのです。十二年間でこのように韓国が発展してきたのは、韓国人が優れているからだとでも思うのですか。大統領が成したとでも思うのですか。神様の保護によるところの、神様が再び世界の祖国基準を探し求めるみ旨があったがゆえにそうなったのです。福が何ですか? 滅びるしかなく、追い詰められるしかない一番貧しい民族なのです。他が良くなることを嫌う民族なのです。ですから、文総裁はその反対に他が良くなることを願ってやってきたのです。

 大韓民国の人は他が良くなることを嫌がりますが、私は世界の人々が私たちよりも良い生活をすることを願ってきたのです。このような主張こそが、歴史的韓民族の自主的な主張を越えて、天の側になることができたのです。韓国を代表として立てて、天地の運勢を韓国に着陸させることができたのです。(アーメン)。ですから、今後この国は、私の言うことを聞かなければ滅びます! 結論は簡単なのです。私の言うことを聞かなければ滅びるのです! これからアメリカも私の言うことを聞かなければ滅びるし、そして日本も私の言うことを聞かなければならないし、中国も私の言うことを聞かなければなりません。今や日本も私の言うことを聞く段階に入ってきました。アメリカも入ってきました。中国も入ってきました。韓国もそうなる時が訪れたことを知らなければなりません。

 この国を十四年、十五年間任せられていたその位置にあって、責任を果たしたならば、この国はこのように悲惨な国にはならなかったのです。アカデミーに対しても私はどんなに願いを託してきたか知れません。もう何年になりますか? (十五年になりました)。十五年間という歴史は簡単なものではありません。それが分からなければなりません。このアカデミーによって、私が利益を得たものは何かありますか? 私は統一教会のためにやってきたのではありません。国を生かすためなのです。ですから皆さんたちの息子、娘がみな一体となって、国家を協助することができていればどんなに良かったことでしょうか。今日私が、故郷復帰のための郷土学校をつくるという仕事もしなくてよかったのです。

 もし私が死んだとしても、世界のすべての国の人々が、私の墓に訪れてくるようになる基盤を築いておいたのです。学者の世界でもそうだし、政治家の世界においてもそうだし、みなそのようになっているのです。労働者も、農民もそうなのです。そのような世界の運勢が、韓国に押し寄せてくる時代にあって、この大韓民国の国民として生まれたということは、五〇〇〇年の伝統的歴史過程で誰よりも血のにじむ犠牲の代価を払ってきた神様のゆえなのです。その神様は、多くの国の中でこの国を選び、また私たちのような人間を選んだのです。そのために何世紀も前から準備していたという事実を考えた時、この民族は、ひざがすり減るほどにひざまずいて合掌し、天に感謝しなければならないのにもかかわらず、反対してきたというのです。そこでもし私が憤ったならば、この民族は既にめちゃくちゃになっていたのです。知らずして反対するのではなく、胸襟を開いてすべてを知ったのちにおいて、反対するならば反対せよというのが先生の願いでした。この政治家たち! これは深刻な問題なのです。

 このことは旧約時代、新約時代においてもそうだったのです。ですから今日まで、御父母様の名で私がこの地にやって来て、十字架の道を行ったのです。愛の十字架の道を行ったのです。愛でもって万民の前に分けてやるのです。これに反対すれば、人類は許されない罪を犯したとみなされるのです。しかし、父母を父母と分からないのですから、私が教えてやらなければなりません。分からないうちに罰を与えることはできません。父母がどのような内容であり、またどのようにしてその子供になったのか分からないのだから、ただ打つことはできないのです。そのような心情をもって分かるようになる日まで待っているうちに、四十三年がたち七十歳になったのです。

 今では韓国も大きく変わったのですね。今や先生が死んだとしても、統一教会の後世たちに殉教はありません。今までは殉教した人々が何人もいるのです。それをどうするのかというのです。そこで先生は殉教した人の名前を忘れてしまおうとしたのです。その国の名前は記憶するにしても、殉教した人の名前は忘れてしまおうとしました。それはなぜかというと、その国のために送った人であるならば、その国を救ったのちに死ななければならないのに、救えずして死んだのでは責任を果たせなかったということになるからです。そのように見るのです。ですから、この国が開放される時まで、私たちの責任であると見ているのです。

 私の前には多くの怨讐がいます。既成教会の怨讐も多いのです。しかしみな忘れてしまおうと思います。悪口を言われたことも忘れてしまおうと思います。鞭打たれたことも忘れてしまおうと思います。すべての憤ることを忘れてしまおうと思うのです。それはどんなに苦痛なことか皆さん分かりますか。しかし忘れざるを得ないのです。でなければ救援摂理が拡張されないのです。

 それで、この地上における父母としての責任を果たそうとして、愛の十字架を背負い、個人からけ飛ばされ、家庭からけ飛ばされ、氏族からけ飛ばされてきたのです。それは正に、共産党の行う人民裁判です。個人的な人民裁判を受けているかのように冷遇されました。家庭的にも、統一教会の家庭だということで、アメリカにおいて先生の家庭が苦痛を受けたのです。父母はもちろんのこと、息子、娘たちまでもが学校に行けば、他の子供たちがついて回り、「ムーニー、ムーニー」と言って冷遇したのです。このように、家庭が十字架を背負わなければなりませんでした。私個人の十字架はもちろんであり、お母様も個人的十字架を負わなければなりませんでした。さらにまた、家庭を中心としての世界的十字架を負わなければなりません。そのために一九六〇年度から三次の七年路程の間、先生は家庭を率いて、世界の十字架の舞台に出て立ったということを知らなければなりません。皆さん、三次の七年路程が何んだか分かりますか? そういうことも知らなかったでしょう?

 四大名節の決定とお母様の十字架の道

 なぜ、一九六〇年度に先生が結婚しなければならなかったのか。なぜその前にはできなかったのか分かりますか、もし、この国で迫害を受けたならば、最後まで法廷闘争を勝ち貫かなければなりません。法から解かれて解放されるまでです。そのような運命だったのです。ですから日本でも国家的戦い、アメリカでも国家的戦い、イギリス、フランス、イタリアはいうまでもなく、すべての国の法廷で戦って勝利したのです。その過程で、そのままサタンが後退するのではありません。皆さんはそれが分からなければなりません。先生は二十一年をかけて父母の日から、子女の日、万物の日、神の日まで探し求めて立ててきました。このような四大名節は先生の血のにじむ闘争史の記録なのです。分かりますか。父母という名前を得ても子女をもてなかったのです。

 子女の日を立てるためには、先生の子供たちに苦労させなければなりません。万物の日を立てるためには、先生に一切の所有があってはなりません。私の家のものは私のものであってはならないのです。全部、神様のものなのです。負債を負って私が使っているのです。今も莫大な負債を負っているのです。このように、先生も負債を負っていきますから、皆さんたちにも苦労をさせなければならないのです。それが分からなければなりません。父母の日、子女の日を立てるためにどれほど血を流してきたか知れません。神様の家庭を探し求めるためには、父母がこの地上で国の基準を越えて立つことができなければなりません。それが一九六八年の一月一日の神の日なのです。その間にあって、先生の家庭と統一教会に対して、サタンが行った凶悪な陰謀を皆さんは知っていますか。歴史を忘れてはなりません。分かりましたか? (はい)。

 一九六〇年までの満十四年の間、これは蘇生、長成です。二次の七年路程と同じく、堕落した家庭の男性基準での責任分担と、女性基準での責任分担を果たす立場に立たなければなりません。世界のいかなる国家が反対したとしても、その本質的基準において変わらない愛的伝統を備えた男になってエバを愛さずして創造することができません。神様はまずアダムを造り、次にエバを創造したでしょう。ですから、何も分からないお母様を連れて教育してきたのです。最初から立派な女を得ることができないのです。

 その時、いかに女性が多かったことでしょうか。博士の女性、修士の女性、多くの有能な女性がいました。しかし、その中で何も分からないお母様に侍って教育してきたのです。そのお母様の家庭においても、一族が多くてはいけなかったのです。また、どんなにお母様も不自由だったことでしょうか。お母様をお母様として待遇することができなかったのです。三年間は一緒に住めませんでした。外泊されていたのを知っているでしょう? (はい)。いい加減な多くの女性たちを全部収拾するために、お母様を後ろの部屋に住まわせながら、カインの女たちをお母様以上に愛しました。それはこの世的な愛ではありません。泣きわめく女たちが天的愛の因縁を失ってしまわないようにするためにそうしたのです。分かりますね? (はい)。これがお母様の十字架の道です。「このお母様は偽物だから、私がお母様の位置に座らなければなりません。お母様の位置を渡しなさい」と、お母様の部屋に来て大騒ぎする女たちがいかに多くいたことでしょうか。当時の先生は霊的に美男子だったのです。(笑い)

 錫温の老婆がいたでしょう。もし今生きているならば八十歳を越えているはずです。この老人は顔中を皺いっぱいにして、目が覚めればすぐに早朝からやって来て、部屋で待っているのです。私が出ていくと「先生、いらっしゃいませ。私は来ております」と言うのです。「この老人め! 誰がうれしいものか! なぜ早朝から来ていたのか!」と叱ると、「霊界から行けと言うのです。ほかにどうすれば良いのですか?」と言います。また地方へ巡回に行けば、先生の行く先々を知って、さっと先に行って待ち、「先生、今来られたのですか? 私は先に来ていました」と、こうです。(笑い) それで「この老人め!」と悪口を言っても彼女は嫌がらないのです。ですから「この老人め!」と目をいからせて親不孝な孫、親不孝な孫娘のように対処しても、喜ぶのです。

 私からひどい待遇を受け、たとえ鞭打たれても、自分の夫から鞭打たれるよりも良いと言うのです。そのような事情の蕩減復帰歴史は実に複雑なのです。当人が知る知らずにかかわりなく、すべてそのように処理して引っ張っていかなければならないのです。ですから、今までこうして残っていられるのであって、そうでなければみな壊れていたのです。このように、おばあさんからお母さん、孫娘まで、三代がぶら下がって助けてくれと言うのです。これは何の話か分かりますか。「ああ、私はこのように精誠を尽くしたのです。お母様はこのようにしなければならないのではないでしょうか?」と、こうなのです。この者! 泥棒のようだというのです。誰がお母様を選ぶのですか! それは、サタン世界の風に乗っている女です! お母様は、神様が中心となってお父様が選ぶのでしょう。そうではありませんか。

 すべてのありとあらゆることがみな起こりました。もし私が原理を知らなかったならば、どんな拍子にでも合わせて踊りを踊らされ、吹っ飛んでいって小鬼の餌にでもなっていたことでしょう。先生が愚かでなかったので今日まで鬼の餌にもならなかったのですね。そうでしょう。何の話か分かりますか。ですから先生によく学んで、よく従ってこなければなりません。先生はほら吹きではありません、分かりますか? (はい)。ここにいるおばさんたちみな分かるでしょう。

 お母様はアダムを通じて造られたエバと同じように、何も分からないところから出発しなければならないのです。親戚が多くてはいけません。三代があとを付いてきてはいけないのです。他の縦的な基準があってはいけないのです。正常であってはいけないのです。ですから、まさしく今のお母様がそのような方なのです。そうではありませんか。お兄さんもいないし、お父さんもいないし、一人なのです。母娘の二人しかいません。また、その母親は主様に侍るために精誠を尽くすことにおける韓国の代表です。「主様が人として来られる」と言って、腹中教の時代から従ってきた人なのですね。また、このお母様は、よく知ってみると実にそのようなすべてのエバ的責任を果たした韓国の歴史を代表するおばあさんたちからすべての祝福を受けているのです。

 そのようなお母様に皆さんはよく侍りましたか、侍りませんでしたか? (よく侍りました)。さらに、子供の数においてもお母様はチャンピオンになる資格があるというのです。そのように十四人も生んだのに、子供たち一人一人見ても全員が立派なのです。(拍手)譽進(様)など、太りたいと思えば一週間で太るし、ほっそりとなりたいと思えば一週間でほっそりとなるのです。その時は食べることをしないのです。それが普通なのです。子供たちがみなそうなのです。そのように厳しい子供たちなのです。一度決心すれば、必ず最後まで成し遂げるのです。それは誰に似たのですか? (お父様です)。そういうことはお母様に似てはいけないのですね。(笑い) 一度決心したあとは、もう誰の言うことも聞かないのです。

 ですから今後、皆さんも先生の一族たちと姻戚関係を結びたくありませんか? 何の話か分かりますか。皆さんも姻戚関係を結ぶことができるのです。うちの息子、娘、孫たちとです。そうでしょう。姻戚関係になるかもしれないですね。婚家の奥様になるか、岳母になるかもしれないですね。それには、歴史の中において自分がどのように働いたのかという事実を誇れなければなりません。私は、苦労した家の息子、娘を嫁に迎えようと思い、婿に迎えようと思うのです。(アーメン)。そのような人とはどんな人かというと、ために生きるという人なのです。ですから皆さんたちが知らなければならないことは、先生は「何々をこのようにしてください」ということを一番嫌うのです。それは自分が成すべきことなのです。私は「このようにしてください」などと一回も祈祷したことがありません。

 自分の果たすべき責任を果たす

 今や命を懸けてもこの韓国に来て暮らしたいという、統一教会の食口がどんなに多くいるか知っていますか。そのような中から世界の七〇〇〇名の群れが来るのです。皆さんはその七〇〇〇名の先頭に立つのですか、中間にいるのですか、後ろに従うのですか? どうしますか? (先頭に立ちます)。それをはっきりとしなければなりません。先頭に立とうとするならば、皆さんは愛を中心として、体と心が共鳴体にならなければなりません。神様を私の神様にしなければなりません。それが秘訣なのです。その人が、私の神様をつくれるようになる時には、先頭に立つなと言っても先頭に立つようになるのです。どんなに後ろに行っても、いつの間にか自動的に先頭に戻っていきます。他の人が先頭に立ったとしても、じっとしていればみな掃き捨てます。でなければ死んでしまうというのです。何の話か分かりますか?

 時が熟せば、すべては一度に成就します。慌ててはいけません。問題は何かというと、準備して、自分の果たすべき責任を果たすということです。私は全部準備しておきました。南北統一はいかにして成すのか。もし私に任せたならば、完全に南北統一をしてみせます。彼らは自分たちが素晴らしいと言うのです。では、南北統一をしてみなさいと言うのです。神様も「お前が思うとおりにしてみなさい」と、言われるのです。できないのであれば、あとで私を訪ねてきなさい。アメリカも共産党を消化できず、淪落する青少年たちを消化できないのです。しかし、私に任せるならば、私はアメリカのヒッピーや、イッピーみたいなごみ箱のような者を連れてきて、愛国者にみなつくり変えてあげるのです。それは自他共に公認するものです。

 彼らをそのようにするためには、彼らのお父さんとお母さんにならなければならないのです。また、彼らのお兄さんや、お姉さんになり、弟の代わり、妹の代わりをしてあげなければならないのです。そのように尽くすことにより、彼らが夜も昼もいかなる争いの場にあっても、自分の父母を思うよりも、自分の兄弟よりも、自分の学校の先生よりも、皆さんを訪ね求めてくるようになるのです。すなわち御父母様を訪ね求めてくるのです。ですから、アメリカ人たちにとってもこの先生は、万事大歓迎なのです。分かりますか? (はい)。「綿を背負って火の中に入れ」と言っても入っていくようになるし、「塩を背負って水に入れ」と言っても入っていくようになるのです。

 今では何を言っても、聞く時代が訪れました。そして、この韓国との縁を切ろうにも切れなくなっているのです。では、先生は韓国に戻ってきて住めば良いですか、太平洋の海に住めば良いですか? 今や私は豪華船をも造れる能力をもっているのです。現在、海洋教会を中心として船を三十隻造ろうとしているのです。私には成すべきことをすべて成し遂げることのできる力があるのです。このような先生の言うことを聞いて皆さん得がありますか。得がなくても、それを成さなければ平安ではないのです。生きられないのです。私がそうでしたから、皆さんもそうしなければならないのです。私はこのみ旨の道を知ってから、眠ってはいけなかったのです。夜であれ、昼であれ、神様が目を覚ましておられるので、私も目を覚ましていなければならないのです。何かに寄りかかって仕方なしに眠るのであって、敷物を敷いて眠る安らかな生活などはできなかったのです。

 旧約時代、新約時代、成約時代の歴史において、成約時代の御父母様が、栄光の父母となるべく送られた神様のみ旨の前に、苦難の父母になってしまったのは韓国の人たちの責任であり、アジアの責任であり、人類の責任であり、さらには宗教を代表したキリスト教の責任であり、今日の統一教会の信徒たちの責任でもあるというこの事実を知らなければなりません。

 しかし、今や、世界的統一時代に向かって秩序を整えなければなりません。世界の水が流れていく時、一番最後の水が韓国でした。世界の一番最後の水が韓国だったのです。しかし、満ちてくる時には、一番初めに韓国に入ってくるようになるのです。その運勢を失ってはなりません。これから、西欧のすべての男女が愛の潮流に従ってやって来るのです。亡国の愛が、サタン世界を通して地獄へ向かう時、一番あとに付いていったのが統一教会の人々なのですが、今や愛の潮流が新しい理想世界に向かって入ってくるようになる時、この統一教会の人々が先頭に立たなければならないのです。分かりますか。その水は先頭を満たしますか、満たしませんか? 韓国人が行く所を残していきますか、どうですか。水は必ず水平を保つので、すべてのものを満たすのです。低い所はいつでも埋めていくので、もし韓国の人が低い位置にいるならば、それを埋めて誰かが先頭に立っていくのです。分かりますか。では、そのような先頭に立っていきますか、どうしますか? (先頭に立って行きます)。そうあらねばなりません。

 今後七〇〇〇名の人々が訪れてくる時に、彼らの前に伝統を残してあげることのできる、祖国の魂を備えることのできる守護者にならなければなりません。決して忘却者になってはなりません。このことをはっきり知らなければなりません。分かりますか? (はい)。これは、何の話かというと、先生は栄光の父母の位置を失ってしまったけれども、皆さんはこの時代に、「栄光の父母となるために、環境的与件に責任をもった者になれ」と言うのです。そのためには、南北統一の先導者にならなければならないし、一線の将兵にならなければならないのです。何の話か分かりますか? (はい)。

 今後、もし金日成が南韓を侵略するならば、統一教会の食口たちを一線に立てる先生の計画です。今、先生は金日成と対峙しています。このごろある情報を通じて私が報告を受けたところによると、「金日成が文先生を非常に憎んでいる」と言うのです。それはそうでしょう。盧政権は何にもできないと見るのですが、勝共連合の組織を中心として、国民連合を中心として、教学統連を中心として、先生によって背水の陣が敷かれているというこの事実に、金日成がいら立っているということは当然なことです。ですから強く、大胆であれと言うのです。

 歴史時代において、天の万物と、子女と、父母まで略奪していったサタン勢力の基盤を、私はこの目で見たのです。それを忘れることなどできません。朝の太陽が昇る前に、新しい日が訪れる前に、このような悪党の群れを地球星から早く除去しなければなりません。そのような責任が私にあるのです。その責任を果たせない時には、夕方は悔い改めて眠らなければなりません。そして朝の太陽が昇る時は、恥ずかしさで迎え、「きょう、この朝に新しく決意します。天が願う解放に向かって前進するため、自分の体を鞭打つのです」という、固い決意をしてこそ、次の日を迎え、また次の日を迎えることができるのです。そのような生活の連続の上に、新年の路程を経ていかなければならないのが、祖国光復をもてなかった私たちが行くべき運命であることを知らなければなりません。分かりましたか? (はい!)。

 今までは祖国光復をどんなに叫んでも、その国がいったいどこにあるのか分かりませんでしたが、今やすべてが分かりました。この韓国です。一九八八年が過ぎ去ったので、今やすべてを明らかにするのです。ですから昨年この国において、摂理的転換式を宣布しましたし、世界統一国開天日を宣布しました。オリンピック大会を前後して、世界の二世たちと統一教会の二世たちが連合して、新しい世界の舞台に向かうのです。内的な結束の条件をもって、新しい転換時代の希望的な世界へ向かって前進することを宣布したのです。この基台は地上の世界はもちろん、霊界も同じなのです。このようなことを私が宣布したことによって、日本の祖先たちも韓国に来て手伝うことができるのです。分かりますか? 怨讐の国同士が互いに愛し合うことのできる愛の時代に入ってきたのです。日本は韓国の独立のために、善なる日本の霊たちが自国を犠牲にしても韓国の独立を後援するようになっており、またアメリカやイギリス、あるいは他のいかなる国であれ、国の善なる霊たちは、すべて韓国統一のために後援するという霊的な勢力基盤が、この地上に接続されたという事実を知らなければなりません。

 皆さんが何かの困難にぶつかった時も、信じて前進するならばすべて解決されるという時が来たのです。そこで、私の神様として侍るためには、体と心が一つにならなければなりません。成熟した男性は、はっきりと神様が分かるのです。神様の愛観が分かるのです。その神様の愛の観を中心として、いかに処理するかということが分かるのです。人間が成熟し、責任分担を完成することによって、原理結果主管圏と直接主管圏の限界線がなくなっていくのです。縦横の世界が一つの世界へと変化するのです。そうですね? 原理がそのようになっているのです。何の話か分かりますか? (はい)。皆さんは、体と心を一つにしなければなりません。そこに焦点を合わせなければなりません。もし祈祷する時、体が心に呵責を感じることがあるならば、悔い改めなければなりません。悔い改める時は一人ではできません。東西南北を整えなければなりません。自分の一番近い父母の前に通告しなければなりません。師の前に通告しなければなりません。その次に、自分の息子、娘に、また自分の弟子に通告しなければなりません。「私にこのようなことがあるのですが、許しを受けられるでしょうか」と。そうしてすべての人々が心を合わせて後援できるような道を行かなければなりません。

 皆さんは、心と体が二つになってはいけません。今まで生活習慣において常に心が願わないのに、口が「ペチャクチャ、ペチャクチャ」と言ったのですね。ですから、沈黙の時間が必要だというのです。神様のみ言を代身できる者になってから、語るのが本然の口の願いであり、そのようになって見るのが目の願いなのです。しかし、そのような人がいないので、自分自身がそうならなければなりません。自分自身を第二の愛でもって再創造するという、実践路程を経ていかなければなりません。何のことか分かりますか。祈祷は自己統一のためにしなければなりません。

 復帰の摂理を進めてこられた神様の心情

 今までは、父や母が反対したのですが、今やそのような時代は過ぎ去りました。今ではみんなが「統一教会を信じなさい」と言うのです。しかし、まだその真の価値が分からないのです。ですから、そのような父母たちを、神様の縦的な愛を中心として、垂直の九十度に合わせなければなりません。この中で祝福家庭は手を挙げてみなさい。皆さんは九十度の角度に一致した家庭的愛の基台の上に立っていますか、どうですか。

 御覧なさい。男女の中で欠点のない人がどこにいますか? 「ああ、私の理想的相対はこの人ですか? 私が願っていた人とは正反対で怪物みたいです」と、そのように見れば、理想相対は存在しません。しかし、縦的な神様の愛の眼鏡を通して見る時には、その憎たらしかった女性が花のようになるのですね。何の話か分かりますか。そのように憎たらしかった男性が、縦的な神様の愛の目を通して見る時には、神様を慕うように愛したいアダム・エバの本性の愛の骨髄が流れるようになるのです。その時には醜いものでも醜くなくなるのです。「ああ、これは、そのようにもなり得るのですね。これがこのようになるならば、このようになり得るし……」と、すべてがそれなりに美しいというのです。そうですね。

 絵を描く時、夕日が沈むのを描こうとすれば、前面よりもこの側面を中心として、影のようなものがあるかないか、そこにその絵の魅力が生じるのです。余韻が残っているかどうかということです。何の話か分かりますか。すべて愛を通して見るようになる時、醜い人はいないのです。空を飛んでいく鳥たちを見ても、話しかけたくなるというのです。それはまるで狂った人のようにです。愛に狂って一人でひそひそ話をするようにです。それも訓練を積むとひそひそ話ではなくなるのです。口の中で舌は動くけれども、唇は開かないのですね。何のことか分かりますか? 心は踊りを踊っても、手足は踊りを踊らないのです。そのようになると、サタン世界でも心と体を主管することができるのです。心の思いのままに主管することができるのです。どんなことでも体を主管することができなければなりません。どんなにくすぐったい時も、それを主管できなければなりません。

 たとえ美人一〇〇人が部屋で裸になって誘惑するとしても、それをみな、笑い種として越えていくことのできる男にならなければ、復帰された男になることができないのです。サタン世界の愛の痕跡を踏み越えて立ったといえる男になれないのです。分かりますか。これは何の話なのかというと、自分の愛する妻を怨讐の所に連れていって、福を祈ることのできる雅量がある男にならずしては、神様の息子、娘になることができないという結論にまで至るのです。エバは何なのかというと、神様の妻であり、それをサタンが主管してきたのです。それも六〇〇〇年間、いいえ人類歴史を一〇〇〇万年と見ているように、六〇〇〇年ではなく何万年もなのです。その間サタンが讒訴しても、神様は今まで相対してきたのです。神様のその痛い心情の谷間を誰が分かりますか。ですから、自分の愛する妻を自分の怨讐に与えて、福を祈れるという心情圏を通過する経験をもたない人は、神様の心情を知ることができないのです。

 ここにいる旦那たちはどうですか? 初めて聞く話でしょう。自分の子供を一時に全部失ってしまい涙を流したならば、神様はどのように復帰摂理をするのでしょうか。涙をのみつつ、休むことなく復帰の摂理を進めてこられた神様の心情を知るようになる時に、もし愛する子供が目の前で急死するようなことがあったとしても、その子供を愛する心を中心として、天を慰め、このような立場にいた天であったことを知って、「私がこのような立場に立つことによって、天のその心情を知ることができる時間を下さってありがとうございます」と言ってから、初めて子供に対して涙でも流してこそ、天の前に自由になることができるのです。

 例を挙げるならば、私は興進(様)が亡くなっても涙を流しませんでした。昇華式をみな終え、父母としてできる霊界の手続きをきれいに終えて、その次には、誰にも分からないように入ってきて、神様の前に、「あなたの心情的深い事縁を体験することができる一日を下さってありがとうございます」と言いながら、「この息子はあなたの息子ですから、あなたのみ旨のままになさってください。私があなたのためにする心と同じ心をもって、この息子も私のために、神様のためにしようとするので、この息子の行く道がどのような道であるかを知って、処理してください」と祈って、「愛勝日」を決定したのです。

 涙を流してはならないのです。父母が、死んだ息子や娘に対し、三日間の間に涙を流しては愛勝日を宣布できないというのです。一週間以内に、そのことよりも天と人類をもっと愛したという条件を立てて涙を流し、天を愛することができなかったことを悔い改め、そうして自分の子供のために心配する、それが天の国の順序にかなう道であることを知らなければなりません。

 ですから、皆さんの心と体が一つの共鳴体となり、さらに夫婦がそうならなければなりません。心と体を中心として、夫婦を中心として、さらに氏族を中心として四方へ幾重にも広がって一つの愛の球形体を成すのが人類に対する神様の願いであることを知り、まず自分から始めなければならないのです。それができなかったならば天国に行けないのです。分かりますか? (はい)。ですから、妻を愛する前に、私の心が私の体を愛さなければならないし、私の体が私の心を誰よりも愛さなければなりません。そのような位置は、真の愛、神様の愛、縦的な愛と横的な愛が九十度で交わる位置であり、そこから見るとすべて通じるのです。

 釈尊も一時このような位置に入った時、「天上天下唯我独尊」と言ったのです。その深い内容を知らず、そのようなことを言ったのですね。しかし説明することができないのです。統一教会の食口たちには福が多いです。この位置に入ればすべて通じない所はありません。万国がみな、私の眼前に見え、天上世界と地上世界のすべてのものが、この愛の力を通じた因縁の中に公開されるのです。なぜかというと、愛の根は一つの血脈に通じるからです。そうでしょう、分かりますか。血脈を通じて全体に及ぼすように、愛の血脈全体を掌握するのが真の愛であり、そこに入るようになれば体の器官、目の器官すべてのものを全部予測することができるのです。このような驚くべき力をもったこの愛の主体的な力の作動世界があることを知り、そのような愛に一体となる体と心を備えなければなりなせん。

 ですから、体が好む服を求めるのです。ここの女たちも、二十代になると花のような服を着たがるでしょう? 他の人とは違うように現したいのですね。自慢したいのですね。もし私が着飾って、飛んだり跳ねたりしたならば、すべてのありとあらゆる女たちがみな、従ってきたというのです。そうでなくとも死のうとする女たちが多かったのです。そのような実におもしろい逸話が多いのです。私は女がこのように恐ろしいものとは知りませんでした。こんなにもエバは、堕落し得る素質が多かったということが分かったのです。(笑い) 女にはいつでも注意しなければなりません。

 氏族を中心とする民族の糾合

 さあ、そのように皆さんは体と心が一つにならなければなりません 。分かりましたか? (はい)。そのような男になって「私の言うことを聞きなさい」と言った時、もし妻が夫のような立場にまで至っていなければ、夫に対して「はい!」と言わなければなりません。もし妻がそうでなければ、夫は「お前がそんなことをするとは?」と言うのです。そこで妻は、「ああ、私はそうなのですね。私はこれをどうしても直さなければなりません。あなたが少し後押しをしてください」と、このように相談しなければなりません。何の話か分かりますか。このような夫婦にならなければなりません。体と心が一つになったそのような夫婦が、真の愛でもって一つになれば、その息子や娘は、天地の運をもって誕生するのです。ですから統一教会の皆さんが祝福を受けて、先生の教えどおりに精誠の限りを尽くして、たとえ苦労しながらも互いのために生きる夫婦の間で、愛を中心として生まれた息子、娘たちの運勢を、一度四柱推命で見てもらいなさい。お父さんやお母さんの運勢は意気のないものですが、その息子や、娘たちは天地の運に乗って生まれているのです。この統一教会の運勢が分かりますか。

 この先生が祝福してあげて、「あなたの息子、娘はこのようになるのです」と言えば、そのとおりになるのです。こそこそと自分の思いで結婚する人は今に見ていなさいというのです。このことを、統一教会の食口たちはよく知らなければなりません。祝福の場がどんなに恐ろしいものかということを知らなければなりません。皆さんが妻に対して、天地の前に恥ずることなく「お前!」と言う時は、「はい!」という返事を聞くことが最高の幸福なのです。また夫に対しても、天地が尊敬できる立場にたって、「あなた! おとうさぁーん! あなぁーたぁー!」と呼ぶ時、夫が「はい、どうした!」と答えてみなさい。そこには天地が共にあるというのです。そこには神様が運行するのです。分かりますか。

 そのような家庭を中心として、氏族を連結させなければなりません。そのような氏族が一〇〇軒あるならば、その一〇〇軒の家に私の手を差し伸べなければならないのです。昼であれ、夜であれ、神様の代身としての父母の心情をもって、彼らのために生きる位置に立たなければなりません。そうしてこそ、サタン世界の情しか知らなかったすべての家庭が、「ああ、誰それのお姉さんの家は、実に福が多いですね。幸福そうですね。どうすればあのようになるのですか?」と、そう言うのです。「ああ、あの息子や娘のようにどうすればなれるのですか? あの年ごろになれば、ティーンエイジャーになって、お父さんやお母さんに悪口を言われるのがお決まりなのに、どのようにしてあのようにちゃんとできるのですか?」と言うのです。そのようにして、私たちの和動の中に同和されて入ってくるのです。

 皆さんはこのような氏族になって、国を生かすために投入しなければなりません。犠牲にならなければなりません。神様の創造は、自分の愛のすべての精髄を抜いて投入されたのです。神様が最も貴いものを先に投入されたように、自分の財産や自分のすべてを代身したいかなるものよりもさらに貴いものが愛なのですから、自分の物質を愛する以上に、その物質を犠牲にさせて人々を愛し、次に自分の息子、娘を愛する以上に彼らを愛さなければなりません。ですから、今は息子や娘たちには理解できないのですが、しかし、そのために万国の保護を受けるようになるのです。万国が自分の息子や娘までも抱くようになるというのです。このようになれば、息子や娘はあとについてくるのです。そこで万国を抱き私が後ろ向きになった時には、私たちの息子や娘は、万国の中心になるのです。分かりますか。上、中、下の中でいつでも中が問題なのです。

 ですから、自分の二世のみを愛する人は、絶対に大きい福を受けられません。自分の息子や娘を愛して、町内の息子や娘はすべて無視し、自分の息子や娘を国よりも愛してはなりません。まず自分のおじいさんやおばあさんたちを愛してから、息子や娘を愛さなければならないのです。これが伝統なのです。それができない人は、そのおじいさんやおばあさんの愛と、父母の愛を受けられず、お兄さんやお姉さん、弟や妹の愛をも受けられないのです。そのような愛を受けられなければ、その息子や娘は、その家庭の愛の伝統を相続できないというのです。

 氏族を中心として、民族を糾合しなければならない私たちの責任から見ても同じ原則なのです。この統一教会が統一氏族になれば、民族を動かすためには先生を中心として、幾重にも取り巻いて団結していかなければなりません。皆さんはそのようになっていますか。幾重にも取り巻いて団結して丸くなっていますか、尖っていますか? (幾重にも取り巻いて団結しています!)。幾重にも取り巻いて団結していかなければなりません。日本でも先生を中心として、幾重にも取り巻いて団結しています。アメリカに行っても先生を中心としてそのように団結しました。韓国ではどうですか、幾重にも取り巻いて団結しますか? (はい!)。

 そのように先生を取り巻いて団結する人々は内になりますか、取り巻かず団結しない人々が内になりますか? (団結する人々が内になります)。団結することを通して内のほうへ行くことができるのです。団結しなければ外のほうへ行くというのです。ですから、極めて旺盛に生死を懸けて南北統一を成そうとする人たちは、南北統一の愛を受けることのできる骨になるのです。

神様は縦的な父母の愛であり、真の父母は横的な父母の愛なのですが、それを受け継いで、皆さんの心と体は、縦的な神様と父母の愛を受けた伝統的な結実体なのです。体は横的な真の父母の愛を受けた伝統的な結実体であり、互いに横的家庭の基盤となって縦的愛を中心として球形を成そうとする時に、息子、娘を生まなければならないというのです。そのようになって息子、娘を生まなければ罪だというのです。息子や娘のいない人になってはいけません。それは骨がない肉のようなものです。そこには位置が確立されないからです。

 また、皆さんの良心とは何でしょうか? 良心は縦的な何ですか? 良心は縦的な私なのです。これが分からなければなりません。今日、仏教で参禅する人々に「良心とは何か」と問うてみなさい。誰も答えられないのです。良心とは、縦的な父母を代表して、永遠なる縦的基準の結実体として生まれたものです。それが良心の位置なのです。良心とは縦的な位置を占めた私なのです。そして体は横的な位置を占めた私なのです。そして良心は、九十度の角度にならなければなりません。少しでも一方に偏ってはなりません。心が願うとおりに体が一つになって動かなければなりません。分かりますか。そうしてこそ球形になれるのです。

 それで体と心が天の真の愛に浸るようになる時に共鳴するのです。体を打てば、心が鳴るのです。共鳴体です。分かりますか? (はい)。真の愛の棒切れで頭を「ポン」と打つと、心も「ポン」と響くのです。もし天が心を「パン」と打つならば、既に体は自分の行く所が分かっているのです。誰も指導する必要がありません。先生も必要ありません。自分が行く道をすべて知るようになっているのが万物の霊長である人間なのです。にもかかわらず、本然の真の父母と本然の真の愛を中心とした縦横の父母を血統でもって受け継ぐことができなかった罪によって、私たち人間は常に彷徨し、悲惨なる生涯を経てきたということをはっきり知らなければなりません。ですから、イエス様も「真理を知るであろう。そして真理はあなた方に自由を得させるであろう」と語っておられるのです。今やそのみ言が成就して、真理を知ることによって解放されるというのです。

 神の心情的統一圏、共鳴圏に向かって

 解放というのは簡単に起こるのではありません。出ていくことのできる穴があれば、その穴にすべてのものを合わせるように準備しなければなりません。でなければ、はしごをかけなければなりません。体が大きければ御飯を断ってでも出ていけるようにしなければなりません。それが堕落した人間たちの成すべき宗教生活だということを知らなければなりません。ですから、統一教会が一つの一族になれば、次に民族をかき抱き、この民族を共鳴体につくり変えなければなりません。そうでなければこの民族の発展する道がありません。

 今日、この大韓民国の統一をいかに成すかという問題を前にして見た時、数多くの宗派があり、数多くの集団があり、数多くの家庭と数多くの団体があり、数多くの政党があるけれども、その政党自体が愛に和したものとなり、自らを投入し共鳴体的相対を創造する行動をしていないのです。政党が行かなければならない道は国の富を助け、国の利益を助けるために、その国全体の代表であるにもかかわらず、東の側、西の側という、一方的な党の利益のみを中心とするならば、この国が繁栄する時にはそのような政党は消えていくのです。

 韓国にこのような中心がないので、今回、先生が帰ってきて何をするかというと、全世界の統一教会の食口たちをこの地に連れてきて、一つに和した世界の新しい氏族編成を中心として、民族編成を完結して、国のための統一運動を起こして、南韓全体を愛の共鳴圏にしていかなければなりません。愛の共鳴圏に感染させるその運動を一九八九年の今年から始めなければならないのです。そのような運動から統一韓国が誕生するのです。それ以外には道がないのです。そのようになってこそ、神様が個人を訪ねて、家庭を訪ねて、氏族を訪ねて、民族を訪ねてきて、大韓民国の主権を掌握して、神様が君臨されるようになるのです。そのような真なる神様の主権が出てくるようになれば、金日成は偽りの父母ですから自ら退いていかなければならないのです。万が一、居座っていたならば、天が連れていってしまうのです。一夜のうちにめちゃくちゃなことが起こるのです。今に見ていなさい。ですから、カイン・アベルを中心として、南韓をかき抱いて戦わなければなりません。

 統一教会のこの世界宣教師たちは既に一つなのです。彼らは既に国境を越えています。分かりますか。日本人、イギリス人、フランス人、怨讐たち全部が国境を越えました。黒人、白人、すべて人種を超越しました。すべての宗教を超越しました。すべての文化背景を超越して、神様の心情的統一圏、共鳴圏に向かって前進するこの時代に、サタン世界は何一つ対抗することができません。そして、今やありがたいことに、大韓民国の人々が文総裁を尊敬する時代に入ってきたというのです。文総裁が行く先々に関心をもつ人が多いのです。そうでしょう? (はい)。必要以上に関心をもって多くの人々が付いて回っています。先生が何をするのか気になるというのです。しかし当の文先生は現れず、世界中の五色の人々が来ているので、彼らをじっと見てみるとすべての行動が驚くべきことばかりなのです。大韓民国の中のいかなる人と比較してみても、このような人々を探すことはできないし、真似ることができないほどに彼らは愛国的なのです。分かりますか。ですから、国民は彼らに頭を下げなければならなくなるのです。自動的に屈伏しなければなりません。鞭でするのではないのです。何かの計略でするのではないのです。愛の実践の前に、彼らが涙を流しながら恐縮して、自分の門の前に訪ねてくる人々を王様のようにお迎えしたいというようなことが起こるならば、この大韓民国は滅びません。

 今から七〇〇〇名の群れを中心として、私たちが南北統一を主張する時、この選抜隊が家庭を訪問するにしても、長い歴史時代の恨みがこの家庭に根を下ろしているのを抜き取るという心情をもっていく時、自分でも知らないうちに父に会ったように、師に会ったように、世の中にこのような聖賢たちがどこにいるのかと思うほどに、我知らず涙が流れ出るという環境を通じて、この国に蘇生の光が輝き始めることを知らなければなりません。

 このために、七〇〇〇名の群れがやってきますが、韓国の皆さんは彼らから何ものも得てはなりません。皆さんがもっている物質すべてを犠牲にしても、皆さんの息子や娘を飢えさせるようなことがあったとしても、彼らを飢えさせてはなりません。彼らのために犠牲にならなければなりません。

 外国での生活がどんなに孤独か分かりますか。先生は長い外国生活をしてきましたが、実に孤独なのです。それでも、この人たちには多くの兄弟がいますが、先生はそうではありませんでした。皆さんには兄弟がおり、同志がいるけれども、先生は一人の同志もいません。いかに孤独であったとしても誰にも相談できない先生だったのです。まず縦の伝統を立てておき、横の道を選び分けていかなければならない立場なので、その孤独さは語ることすらできません。

 先生が外国生活でいかに孤独であっても、誰からも同情されなかったことを、皆さんが代わりに彼らの外国生活を同情することによって、先生が外国で涙を流していたことが蕩減されるのです。このことを知って、彼らと一つになるために自主的にお母さんの責任、お父さんの責任、お兄さんの責任、お姉さんの責任、弟や妹の責任を果たさなければなりません。今日までの歴史上において、お兄さんやお姉さんは、弟や妹たちのために死んだし、弟や妹たちはお兄さんやお姉さんのために死んだし、また息子や娘のために犠牲になった父母、父母のために犠牲になった子女たちが多いことを考えた時、遠い国から来たこれらの人々が、六〇〇〇年前に分かれた歴史的兄弟であったということを知って、歴史的な恨みの窪地を愛の道で埋めなければなりません。そうしてこそ、神様が君臨し、天上天下のすべての天軍天使たちが協助するハイウェーがここに築かれるということを知って、そのように前進しなければなりません。そして、すべての天地の運勢はここから起こるのです。世界の民族と韓国の民族が、東西南北を覆って一つの球形になる時、これらの反応が世界へ響き渡るのは間違いないことです。ですから言論機関をつくったのです。

 大韓民国の五〇〇〇年の歴史の中で、愛による歴史を新しく創造する責任が、この統一信徒たちの上にあるということを知らなければなりません。これによって、統一の韓国が誕生するのです。これが南韓で始まれば、北韓は問題ではありません。統一世代は回っていくようになっているのです。今後は北韓を食べさせて、生かさなければなりません。皆さんが北韓に行って、北韓の人を食べさせて生かさなければならないのです。そのような心で愛の布陣を広くして白頭山を越え、満州、あのシベリア平原、世界中至る所の部落にまで、私たちの愛の光の浸透しない所はあり得ないという、主役的な責任を果たすことによってこそ、韓国統一はもちろんのこと、ここからアジア統一、世界統一の根源が決定されるのです。

 もし南北統一がなされるならば、東西ドイツの統一も簡単です。何の話か分かりますか? (はい)。西ドイツ、東ドイツは、今やヨーロッパ全体の問題なのです。民主主義と共産主義に分かれているのですから、韓国が統一されるならば、それと同じ方式によって三年以内に東西ドイツも統一されるのです。そうなるとアジアの韓国は縦的であり、ヨーロッパのドイツは横的なのです。そうでしょう。南北が縦的でしょう? (はい)。東西は横的なのです。この二つを愛でもって完全統一してしまえば、自由世界と共産世界の統一はみな終わるのです。韓国が蘇生、ヨーロッパが長成、世界が完成です。このようにして天地の統一は始まっていくのです。分かりますか。ですから、すべて愛によらずしては何もできないのです。

 サタンの愛以上の愛をもって出陣していくこの時に、今回成された日本と韓国の交差祝福ということは偉大なことなのです。皆さんには分からなくても、今までこのように行っていていた道が(先生しぐさされる)このように回っていくのです。アダム国家が韓国であり、エバ国家が日本なのですが、これらを中心として、天使長国家である中国を手助けしようとするのです。そのために今、数千名が準備しているのです。三年間でみな言葉を習い、五年後には出陣するのです。韓国と日本が中心となって中国を開発するのです。アメリカやヨーロッパが中国を助けなくても、私たちアジア人同士で中国を開発していこうと、私は万全の準備をしているのです。分かりますか、何の話か? (はい)。中国で造った車が、韓国のどの車よりも良いものになるようにするのです。そのようなプログラムを組んで活動するのです。

 そのようなあとに、皆さんはどうしなければならないかというと、戻っていかなければなりません。中国の次に、インドから中東、ヨーロッパ、ソ連まで、その影響圏に入れていくのです。ですから、中国を指導できないような主義は、世界を統一することはできません。ソ連が中国を主管することができず、アメリカもできませんでした。彼らは、政策的力をもって成そうとしたけれども、力をもって成すことはできません。また、知識的な、統計的な公式基盤に展開される科学技術をもってしてもできません。知識をもってもできません。お金をもってしてもできません。それは真の愛によらずしてはできないのです。

 真の愛によって、中国は統一教会の前に完全消化されるのです。中国を消化する国は世界を指導するのです。その実現として、韓国を統一できるか、できないかという問題が平行線上に展開されているのです。すべてが国家基準の戦いだというのです。この戦いにおいて落伍者になることなく、必ずや勝利の王子権を獲得しなければなりません。そのような決心をする人は、この時間、手を挙げて誓いましょう。はい、ありがとうございます。(拍手)

 愛はこのように偉大だということが分かりましたか?(はい)。先生がもっている武器は、愛のみです。アメリカも、この私がダンベリーに入っていながら助けてあげたのです。ダンベリーの中から『ワシントン・タイムズ』をつくり『インサイト』をつくり、『ワールド・アンド・アイ』をつくり、アメリカを救う六つの政党、団体をつくりました。それで今日このような基盤を築いてきたのです。先生が外国へ行ってそうしたように、この韓国でもこのような団体をつくるのです。先生は外国でもってこのようにつくってきたのです。皆さんは同じ氏族をもってなぜできないと言うのですか。これから先生の指導のもとに荷物をまとめて出陣しなければなりません。

 先生がつくった大学へ

 若い人たち! 昔、この統一教会の初期においては学校であれ、何であれ、みな捨てて出発したのです。今や、学校であれ、何であれ、行けなくなるかもしれません。三年間くらい休んでも、私たちの大学に入ればよいのです。他人の大学へなぜ行くのですか? 先生がつくった大学を卒業しますか? うん? どちらの大学、先生のつくった大学に行きたいでしょう? (はい)。そうですね。日本人もそうだし、他の外国人たちもそうなのに、出来の悪い韓国人になってはいけません。先生がつくった大学は、ソウル大学など比較にしません。今からは勉強するにしても、骨が溶けて肉のようになるほどに勉強するのです。先生の命令を奉り、そのように勉強して私が与える学士、博士の学位を受けるならば、歴史すべてが称賛するのです。私は統一神学校をつくっても二回しか行きませんでした。行きたくないのです。何ですか! 草ぶき屋根のような家で……。そのような所で天の息子や娘たちが勉強したら駄目になるというのです。世界で一番の学校をつくらなければなりません。そうですね。(はい)。

 そのような意味で、一年生たちは一学期を終えたら、みな第一線に行かなければなりません。今日の韓国の兵士たちは信じることができません。最近私が聞いた報告によると、軍隊に左翼系の者たちが浸透してきて、主体思想だとか言って大変なことになっているというのです。その韓国の軍隊を誰が守るのですか? 皆さんが守らなければなりません。今後、国防部で将兵たちを教育するために、皆さん統一教会の食口が入っていくようになれば、一兵卒であっても堂々と教師の資格をもって、佐官級とか何々級とかいう将校たちを引き連れて教育していかなければなりません。そのような責任者を必要とする時が訪れたのです。

 ですから、学校が重要ではありません。学校を卒業しなくとも、国を探し求めなければなりません。分かりましたか? (はい)。これからは、昔のようではありません。一九四五年に七年をプラスすると一九五二年ですね。(はい)。それを蕩減復帰しようとするならば、一九八五年にプラス七年すると何年になりますか? (一九九二年です)。もう既に三年が過ぎました。この三年間に縦的基盤を立て終わりました。四数は東西南北、四方性です。この四年間に南北統一が完全に解決されなければなりません。それで、十二年間に世界の頂上(首脳)すべてが文総裁を中心として動かなければならない時代が訪れるのです。二〇〇〇年代に、私が八十歳になる時、モーセがカナンの福地に向かって入っていったことと同じことが展開されるのです。

 先生の歴史がそうなっているのです。解放されてから十四年目に家庭を中心として出発し、二十一年路程を中心として世界的試練を受けてきたのです。それで世界中で先生を追い出し、け飛ばしてしまおうとしたのですが、今では「行かないでください」「この国全体に必要です」と言って中心に立てて侍ろうとするのです。そして今や、韓国のゆえに先生は戻ってこなければならない時になりました。これから四年間、私が一気にプッシュするのです。学校であれ、何であれ、全部ストップさせて、総出動命令を出すかもしれません。だからといって学校を捨てよと言うのではありません。分かりますか? (はい)。

 今や先生が大学、大学院までの道をみな開いてやったのです。今、著名な世界の硯学たちも先生を知っている人が多いです。私が皆さんを連れていって「首席弟子にせよ」と指示するならば、そのようにするという大学が多いのです。先生の話によく従うならば、今後私が指導者に育てますが、先生の話を聞かない連中は割って薪にでもするのです。今後そうします。祝福家庭の子女たち、分かりましたか? (はい!)。腰を切ってしまわなければなりません。ここにいる父親、母親たちに注意しなさいというのです。

 さあ、お母様おいでください、五時間話したので良い新年を迎えることができました。眠らず精誠を尽くして、み言を聞いたのですね。皆さんはここに参席したので式を行いましょう。敬礼し、宣誓をいたしましょう。さあ、立ち上がってください。きょうは「神の日」でもあり、「聖日」です。

 祈 祷

 愛するお父様。きょう一九八九年元旦を迎えましたこの朝、また新年の最初に迎える安息日ともなり、新年を初出発するこの日、お父様を中心としまして、統一的な、内外が一致するこの日に、祖国光復というはるかなる歴史的願いをもって訪ねつつ、韓国まで巡ってきて、韓国を設定し統一することによりまして、祖国光復の基地にするという驚くべき事実を私たちはもつようになりました。これを成すためには、まずお父様の愛を中心としまして、心と体が一つになり、サタン世界のいかなる愛の因縁よりも高い次元で、欽慕と情熱の心情をもって天に侍り、人類を抱くことができる子女の姿、父母の姿と一つになれますようにお許しくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。

 堕落によってサタンの血統を受けましたので、この否定的な体が今日、死亡の基地になって、外的家庭、外的社会、外的世界を中心として、愛の伝統を完全に踏みにじり、ずたずたに引き裂いてきました。ここに、人類が涙の海であえぎ苦しみ、死亡の谷間で呻吟する絶頂を眺められる神様の心情を考えます時、御父母様の心情を考えます時、このような群れではなくて、伝統的愛を中心に世界と和合し、天国に向かって平らな大きな通りを直行することができる、平和の役軍として進軍すべき群れになっていなければならなかったことを思います時、反対の頂上を立ててきたのは、悪魔の行動であることを知りまして、これを私たちの家庭から、環境を越え、国境を越え、世界を越えて、再生産しなければならない統一家の召命の責任があることを知りました。今、決意した心情をもちまして、隣人に、この国に、世界の前に、心情的に負債のない私たちになることができますように努力いたしますことを宣誓しましたので、どうぞ大韓民国を抱き消化させることのできる愛の主人公になれますようにしてくださいますことをお願いいたします。

 歴史的な祖先を代表し、歴史的な真なる自分の父母を代表し、兄弟を代表しまして、伝統を示し実践することによりまして、サタン世界の誰もが黙して屈伏できる環境的主体性を備えてこそ、平和の王権の基盤が拡大されるということをはっきりと知りましたので、そのような息子、娘の責任を果たすことができますようお許しくださいまして、さらには、この国における民の責任を果たすことができ、また、天地にお父様の愛を植えていける新しい主人たちになることができますよう、祝福してくださいますことを切にお願い申し上げます。

 きょうこの日を記念するために、世界中から集まってまいりましたあなたの子女たち、韓国を自分たちの祖国として受け入れ、今や、この地の上に精誠を尽くすことが、自分の祖国のために忠誠を尽くすことよりももっと大いなることを知りまして、すべてのこの精誠と忠誠を、御父母様に従い、天の前にささげることができる、情熱の役軍となれますよう、お許しくださいますことを切にお願い申し上げます。そして国を探し求め、万国の前に伝統を打ち立て、天を中心としました愛でもって処理することができる平和の王権時代を迎えますようにお許しくださいますことを切にお願い申し上げます。お許しくださいましたみ旨の前に、新年を迎えまして、三六五日をお父様の愛でもって束ねまして、あなたにおささげし、南韓統一を中心としまして、北韓統一をもたらすことができる統一の役軍たちになれますようお許しくださいませ。そうして、韓国統一という標題を中心としまして、日がたち月が重なり、食べる時も、寝ても覚めても、いかなる場に処しても、お父様のみ旨を中心とする統一的韓国を慕う手助けとなり、主導的役軍となり、ありとあらゆる力を注ぎ、努力をすることのできる統一の役軍たちになれますようお許しくださいますよう、切にお願い申し上げます。

 これらの人たちの前にお許しくださいましたお父様の祝福の中で、万国を代表する栄光の一時の前に召命されたことはもちろんのこと、彼らの前に立てまして、あなたが愛する息子、娘であると、親しく首を抱き、口づけすることのできる息子、娘になれますように、お父様、努力することができますようにお許しくださいますことを切にお願い申し上げます。そうして愛を中心として、私たちが解放の国を成しまして、天上世界の神様を解放できる私になりましたと、自ら安んじることのできる自分を整え、賛美と共に褒めたたえられる群れになれますようお許しくださいますようお願いいたします。

 万世の願いであるこの驚くべきみ旨、万国が願うところの願いの一つの中心、すべての歴史が願ってきたその終着点の結実としまして、愛の種としまして、愛の糸を束ねまして、お父様の前にすべてささげることのできる希望の世界が訪れてきますことを知りまして、前進、前進、前進を固く決意することができますようにお許しくださいますことをお願いいたします。

 南韓と北韓を統一させることのできる運勢を中心としまして、これと反対のすべての要件を防ぎ前進する統一の役軍たちが、一九八九年から四年間、走り行く舞台を祝福してくださいますことを、さらに二〇〇〇年代まで、お父様が引き続き祝福してくださいますことを切にお願い申し上げながら、このすべての祈りを真の父母様のみ名によって祝願いたしました。アーメン。(アーメン)。アーメン。(アーメン)。アーメン。(アーメン)。




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

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すなわち神様の知恵

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Last updated  2022.01.07 22:50:06
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