「マンガの文学性について語った論文」を書いたマット・ソーンです。リンクを貼ってくれてありがとうございます。でも、その論文ではどっちかというと「マンガには文学性ないしそんなものいらない」みたいなことを書いているので、誤解のないように。というか、結局文学性とほとんど関係ないものになっています。「少女マンガの文学性」というテーマを与えられたので、無理矢理そのテーマに合わせて書いたような感じです。ちゃ、ちゃんと読み込んでみて下さいね、かぐやさん。(^^; で、僕は藤本さんとは大の仲良しですが、桜沢エリカの「女同士」のマンガについてはかぐやさんと同感です。でも確かに、当時は女性同士の描いたものとしてはかなり現実的だったんですよ。それまでは有吉涼子の『アプローズ』とか山岸凉子の『白い部屋の二人』のような、どことなく幻想的で、儚い感じなものばっかりでした。しかし、厳密に言うと、桜沢さんのものは大人の女性向けの雑誌に載ったものであって少女マンガではない。未だに少女マンガ雑誌では本格的なレズビアンものはタブーで、藤村真理の『降っても晴れても』みたいなものが限界ですね。ところが女性向けのマンガではやまじえびねさんが『Love My Life』などの、非常に現実的なレズビアンものをごく当たり前のように描いてくれていて、桜沢さんの描いたようなものがくだらなく見えて来た。結局、ノンケの女が「ちょっとレズをやってみただけ」で「ごめんね」で終わってしまう。実際よくある話ですね。ビアンにとっては大迷惑ですね。最初から本気でなければやめてくれ、ですよね。やまじさんの『Sweet Lovin' Baby』に出てくるマゴベエは典型的な例だけど、こちらは桜沢さんのと違ってビアンの視点から描かれていている。そして『Love My Life』からは女同士でもハッピーエンドが「有り」となりましたね。やまじさんをまだ読んでいない方、おすすめですよ。
(2005年04月28日 16時05分57秒)