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僕の父親は頭の良い人で、物事の理解力もあったし、驚くほどの達筆だった。
でも、頭の良さと世の中を生きていく才覚とは関係が無いからね、大きな借金を背負ったり、人間関係もあまり上手でなかったように思う。
僕もその血を引いているのか、頭は抜群に良いのだが(笑)、世渡りが下手で、商才もまったくなかったね~。
亡き妻や息子たちには迷惑をかけた、本当は僕みたいな人間は結婚なんかしてはダメなんだけどね、結婚してくれた妻には感謝している。
さて、父親は六十代後半のころから訳があって僕ら息子や娘(兄弟姉妹)と連絡をとらない生活に入ったようだが、実弟が言うにはときどき金の無心があったとか、僕には遠慮したのか、二十七歳のころに川西能勢口駅で会って以来、全く連絡が無かった。
二十八歳で長男を、三十歳で次男をもうけて、和歌山の実弟宅に引き取られていた母親には孫を見せたことはあるが、父親は居所が分からないから仕方がない。
そして、父親が七十歳の時に車にはねられて意識不明になり、警察から僕に連絡が入った。
カブに乗っていた父が、車と車の間を抜けていって急に飛び出したから、八:二で父親が悪かったようだが、車とカブとでは仕方がない、当時勤めていたヤクザ金融会社の社長が、「おう、藤井、オヤジさんには失礼やけど、お前が任せてくれるんやったら金ふんだくってきたるで!」なんてことを言ってくれたが、面倒なので丁寧に断った。
ともかく、共立病院だったかな?もう昔のことで忘れたけど、息子たちと嫁さんとで駆け付けたときは意識が無く、これはもうダメだろうと、慌てて実弟や妹にも連絡をとったのだが、数日後に意識が戻った。
長々と書いたが、何を言いたいかってことは、よく言われるように、息子は父親と似た人生を送るってことなので、僕も息子たちとは三年近く会っていないし、もしかすれば長男夫婦に子供が産まれていたり、次男が結婚をしていたりする可能性もゼロではない。
このまま会わずに何年か経って、僕が何らかの事故に遭って意識不明になって・・・っていうことにならないとも限らないってことを言いたかったわけね。