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2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。この回では、前半が中宮・藤原彰子(見上愛さん)の懐妊によってさまざまな人々の思いが交錯し、後半は彰子の出産に際しての安産祈願のシーンと、その後の行事についてが見どころとなりました。幼い頃から自分を育ててくれた彰子が大好きな敦康親王(渡邉櫂くん)が、出産のために宿下がりをする彰子に、もう今までのように愛情をもらえなくなっても仕方ないと道理をわきまえつつも、寂しさや悲しさを隠せなくて、しょんぼりする場面。でも彰子から、たとえ我が子ができても敦康への思いは変わらないと言ってもらえ、気持ちを抑えつつも安堵と嬉しさがにじみ出てしまう場面。子役が頑張るシーンは、ついホロリと来てしまいます。そして後半の、彰子の出産から五十日の儀までの、平安時代の行事や風習の場面では、当時の人々はこのような考えでこうしたことをやっていたのかと、すごく参考になってTVに釘付けになりました。大河ドラマで毎度思います。大道具でセットを作り、本格的な小道具を揃え、役者の皆さんが衣装を着て動いて当時を再現してくれると、昔古文や歴史で習った内容が本当によくわかります。この点はドラマ制作陣に感謝したいです。「五十日の儀」について、番組のHPで紹介があります。 ↓ ↓ ↓をしへて! 佐多芳彦さん ~子どもの誕生を祝い成長を祈る「五十日の儀」 ⇒ ⇒ こちら こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ寛弘5年(1008)、帝(一条天皇)の寵愛を得られるようになって少しずつ女人としての自信を持てるようになってきた中宮の藤原彰子(見上愛さん)は、養育している敦康親王(渡邉櫂くん)と共に、心穏やかな日々を送っていました。この日は親王が漢文の稽古をサボって彰子のところに来ていて、父・帝に叱られるから内緒にと彰子に頼んでいて、彰子も快諾していました。(そういえば帝は母・詮子から厳しく教育されていて、常に詮子の目が光っていたから、この親王は彰子の元でずいぶんノビノビと育っているようです。)そこへ宮の宣旨(小林きな子さん)が香を運んできたのですが、彰子は香りで急に気分が悪くなり、そして懐妊であることがわかりました。報を聞いた父・藤原道長はすぐに嫡妻・倫子に報告、道長と倫子は娘の彰子が帝の寵愛を受けて懐妊に至ったことの喜びをかみしめていました。中宮・彰子が懐妊し、お付きの女房たちは張りきって彰子の世話をしていました。しかし彰子が心を許せるのはまひろ(藤式部;吉高由里子さん)だけで、他の者に聞かれたくない話ができると彰子はまひろを呼んで他の女房たちを下がらせるので、女房たちの中にはまひろを快く思わない者もいました。彰子は、帝の心に少しでも寄り添いたい、前の皇后・定子も漢籍が得意だったので自分も漢籍を習いたいとまひろに言いました。さらに彰子は漢籍を内緒で習って帝を驚かせたいと、帝の気持ちを引き寄せたいという欲も出てくるようになりました。若い公達の頃からの友で、学問も芸事も武芸も互いに切磋琢磨して年齢を重ねてきた藤原道長(柄本佑さん)と藤原公任(町田啓太さん)と藤原斉信(金田哲さん)と藤原行成(渡辺大知さん)。今では道長が左大臣として最高位に就き、他の3人もそれぞれに高位に就いていて、政治的に対立することなく変わらず友のままでした。道長の娘の中宮・彰子が懐妊したことで、皆の関心は彰子の産む子が皇子かどうかということでした。皇子ならめでたいと言う斉信、めでたいけどややこしいことになると考える公任、たとえ皇子でも敦康親王が東宮になることに変わりはないと考える行成、しかし一番身近な問題である当の道長は、次の東宮を考えるのは帝が御位を降りるときのことだからこの話はやめようと言い、話を切り上げました。出産が近づいた彰子はしばらくの間は実家の土御門殿に下がることになり、その前に敦康親王に怠るとこなく学問に励むよう言って聞かせていました。でも親王の気持ちは、彰子にしばらく会えないという寂しさ以上に、彰子が母となれば我が子が愛おしいのは道理だから自分とは距離ができてしまうのだろうと考えていて悲しかったのでした。でも彰子は親王に、親王が幼い頃からここでずっと一緒に生きてきた、長い時間帝が自分に無関心だったけど親王だけは自分の傍にいてくれた、子が産まれても親王を裏切ることは決してない、と思いを伝えました。彰子の愛情をひしひしと感じた親王は言葉はないけど彰子と微笑みあいました。彰子は公卿たちの見送りを受けて実家の土御門殿に移りました。お付きの女房たちも彰子に同行し、まひろは道長の声かけと、嫡妻・倫子の古くからの顔見知りでもあったので、まひろが執筆活動をしやすいように土御門殿の中に特別に局が用意されていました。彰子の体調がいいときはまひろは彰子に漢籍の講義を続けていました。また彰子が妍子ら弟妹から挨拶を受けたときには、まひろのことを自分の大切な指南役であると紹介していました。ただ彰子がまひろを贔屓するのは他の女房たちには面白くないことで、左衛門の内侍(菅野莉央さん)は赤染衛門(凰稀かなめさん)に愚痴をこぼしていました。衛門は愚痴は受け流していましたが、次に左衛門の内侍がまひろと道長の関係を疑う話をしたときは、話を否定しつつも心のどこかで引っかかっていました。彰子の出産の日が近づき、帝の子の出産時には宮廷の官人による漢文の公式記録が作られるのですが、道長はその記録をまひろにも書くよう頼んでいました。そしていよいよ出産の時がきて、周囲はにわかに慌ただしくなりました。多くの公卿や高僧たちが土御門殿に集まり、僧たちはお経を唱えて祈りを捧げ、公卿たちは弓の弦を鳴らして魔除けをし、他の女房や公卿たちも声を枯らして彰子の無事な出産を祈っていました。*このシーンについての解説が番組の公式HPに出ています。中宮・定子との 比較もあり、なかなか興味深いお話です。 ↓ ↓をしへて! 倉本一宏さん ~多くの日記に記された寛弘5年の中宮彰子のお産 ⇒ ⇒ こちら 彰子の出産はそれをめでたいと願う人ばかりではなく、亡き中宮・定子の兄の藤原伊周は屋敷の奥でひたすら彰子を呪詛し続けていました。怨霊が乗り移った何人もの寄坐が暴れまわり、その念の強さに恐れおののく人や悲鳴を上げる女房もいて、邪気払いの米が幾度も撒かれました。(そんな時に彰子の母の倫子は初産で苦しむ娘に寄り添い、奇声をあげて暴れる寄坐を「うるさいこと」で片付けるから、頼もしい存在です。)しかし自分への恨みを強く感じた道長が寄坐に「どうかお鎮まりくださいませ!」と頼んで頭を下げると寄坐は絶叫して気絶し、同時に伊周の呪詛も終わりました。そして部屋には赤子の産声が響き渡り、待望の皇子が誕生しました。出産の祈願に集まっていた僧や公卿たちが去り、彰子の容態も落ち着いて皆も安堵し、心地よい疲れを感じながらまひろは夜空を見上げていました。何気なく「めずらしき 光さしそう 盃は もちながらこそ 千代もめぐらめ」と心に浮かんだ句を詠んでいたら道長が来て、歌の心を聞きたいと言いました。巡り続けて千代に栄える中宮と皇子のことだとまひろが答えると、道長はそれを良い歌だと褒め、覚えておこうと言って柱にもたれてくつろいでいました。(ただね、道長は左大臣でこの家の主だからくつろいで好きな恰好でいいけど、まひろが道長と一緒に柱にもたれている姿勢は気の緩み過ぎ。他者からあらぬことを言われても言い訳できないことだと思います。)帝(一条天皇;塩野瑛久さん)は敦成と名付けられた若宮に会いに土御門殿に行幸し、彰子の産んだ皇子をこの手に抱きました。しかし帝は亡き定子が遺した敦康を思ってか、その表情は喜びにあふれるものではなくどこか憂いのあるもので、道長は帝の態度が気になっていました。ただ彰子は帝の皇子を産んで自分の気持ちを強くもてるようになってきたのか、唐衣の色も自分の好きな青色を選ぶようになっていました。そして敦成の五十日の儀を迎え、土御門殿には大勢の公卿たちが招かれました。敦成の祖父母にあたる道長と倫子が敦成にお餅(の汁)を含ませた後は饗宴となり、道長は公卿たちに無礼講で心ゆくまで楽しんでくれと伝えました。上手いお酒が入ってご機嫌な公卿たちは、藤原顕光が女子を求めて几帳を引き裂いたり、藤原公任が若紫のような若くて美しい姫を探したりと、それぞれがまさに無礼講を楽しんでいました。そして突然まひろが道長に呼ばれ、彰子と倫子の前で歌を詠むように言われたので、まひろは即興で一句詠みました。まひろが詠んだ歌を皆は感心して聞いていたのですが、中にはこれは最初から用意してあったのだと言う意地悪な者もいました。そのすぐ後で道長がまひろの横に座り、道長も続けて即興で一句詠みました。ただ二人の詠んだ歌があまりにも息が合っていて、そのことにあちこちで皆がざわめき、倫子も何かを感じて気分を害して席を立ち、それに気づいた道長もあわてて席を立って倫子を追いかけました。今までまひろの味方をしてくれていた赤染衛門も、これは二人の間には噂通り何かあるのかと感じて厳しい表情になり、まひろが廊下で一人になった時に左大臣(道長)とはどういう仲なのかと尋ねてきました。
September 25, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。この回では主に前半では御嶽詣を舞台にして、後半では中宮・藤原彰子(見上愛さん)が長年抱えていた帝への思いをぶつける場面が見どころだったと思います。わずかな供回りで吉野の金峯山に行く藤原道長(柄本佑さん)を暗殺しようとする藤原伊周(三浦翔平さん)。あわや!というところでどうなるのかと思ったら、伊周の弟で今は道長を支持する藤原隆家(竜星涼さん)が道長の盾になり、上手に嘘をついて兄と道長の双方を守りました。自分が凋落していったのは道長のせいだとしてどこまでも道長を憎んで恨む伊周。兄にはすまない事をしたけど、切り替えてこの先を生きるために道長を選んだ弟の隆家。兄弟二人の会話で伊周の本心が何なのかはよくわからない部分もありましたが、これから出てくるのでしょうか。そして中宮・彰子です。親の命で入内して親の力で中宮になったものの、色香には疎い彰子自身の性格もあって、なかなか帝からは本当の妻として見てもらえませんでした。でも本心では、帝のことが男性として好きでした。そしてやっとの思いで、はっきりした声で、ド直球過ぎる言葉にして伝えられた彰子でした。不器用に、ただただ一生懸命に伝えた彰子の涙に、見ていて思わず泣けてきました。私はもうこの歳ではこういう場面では感動はないものかと思っていたけど、一生懸命な姿ってやっぱ泣けますわ。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 寛弘4年(1007)8月、左大臣・藤原道長(柄本佑さん)は娘で中宮の彰子の懐妊祈願のために、嫡男の藤原頼通(渡邊圭祐さん)と中宮権大夫で妾の明子の兄である源俊賢を伴い、吉野の金峯山に御嶽詣に出ました。険しい山道を進む道中では大雨に降られて難儀もしましたが、宿坊の寺で着替えて(たぶん風呂ももらって)落ち着くこともできました。しかし道長の心身の疲れはなかなかとれず、また俊賢からは妹の明子の子の頼宗を推す話も聞かされ、祈願に集中できない道中でした。(年間降水量の多い紀伊半島で8月だから大雨になる日もあるでしょう。こういう演出は私は好きです。)⇒⇒と、ここまで書いて番組のHPを見たら、このシーンのロケでの、青い衣装や山中の移動時の工夫などについて解説がありました。⇒ ⇒ こちら 人ひとりがようやく通れる細い崖道を抜け、断崖絶壁をよじ登り、険しい山中をひたすら進んだ道長一行は京を発って9日目、金峯山寺の山上本堂に着きました。金峯山寺でさまざまな仏事を催し、最後は山上本堂の蔵王権現の土中に道長自身が書き写した経典を奉納し、無事に祈願を終えることができました。しかしその帰り道、道長を恨んで呪う藤原伊周が道長の命を狙い、配下の平致頼とその一味が刺客として待ち受けていました。伊周らは道長に狙いを定めて林の中に身を潜め、襲撃の後は杣道から逃げる手筈をして待機していました。そしていよいよ道長が近づき致頼らが矢を射ようとした時、出発前に兄・伊周の行動を怪しんで後をつけていた藤原隆家(竜星涼さん)が寸でのところで道長の前に飛び出し、隆家が盾になって道長は事なきを得ました。隆家は「この辺りで落石があるかもしれないから急がれよ!」と兄の襲撃計画のことは伏せ、道長一行を危機から救いました。道長一行が去った後、藤原伊周(三浦翔平さん)と隆家は兄弟で二人きりになり、互いの心の内を語り合いました。「お前はなぜ俺の邪魔ばかりするのだ。」ーー伊周は弟に問いました。伊周にしたら、隆家が花山院の御車にイタズラで矢を射たあの時から人生計画の何もかもが崩れていったという思いがあり、そして今またなのでした。隆家は答えます。「兄上を大切に思うゆえ阻んだ。おとなしく定めを受け入れて穏やかに生きるほうがよい。嫡男の道雅も蔵人になったばかり。花山院の事は昔も今もすまなかったと思っているから、今回のことも阻止した。これが俺にできるあの過ちの詫びだ。」伊周は納得はいかなかったけど自分を思う弟の思いは受け止めました。そして「道長は狙っていない。うつけ者め。」と言い残し、去っていきました。(伊周は、花山院の件では可愛い弟の隆家は恨まなかったけど、その分の怒りを道長に向けていた、ということのようですね。)吉野の御嶽詣から京に戻った道長は娘で中宮の藤原彰子(見上愛さん)のところに金峯山寺の護符をもって帰京の挨拶に行きました。(大切な護符の受け渡しは手が触れぬよう、あのようにするのですね)するとそこに、亡き定子の遺児で彰子が育てている敦康親王(渡邉櫂くん)がやってきて、しばらく不在だった左大臣・道長にどこにいたのかを問いました。道長が、御嶽詣をして我が国の安寧と、帝と中宮と親王の幸せを祈願してきたと言うと、左大臣がいない間は自分が中宮を守っていたと親王は少し自慢げに、そして嬉しそうに話しました。笑顔で見つめ合う彰子と親王の間には確かな絆がありました。帰京した道長は、次は物語を書き続けているまひろ(藤式部;吉高由里子さん)のところに顔を出し、進み具合を問いました。まひろが一つの巻を書き上げたというのでそれを見ると、その内容は自分たちが出会った少年と少女だった頃を題材にしていて、昔を懐かしんでいました。そして物語の内容は藤壺の宮の不義に移り、道長がまひろにどういう心づもりでこれを書いたのかを問うと、我が身に起きたことだとまひろは答えました。まひろが産んだ不義の子ーーしかしまひろの子は賢子一人。局から出ていく時に道長は「もしかして賢子は…」と半ば気が付いたようでした。少し前に姉のまひろに「越えられないものを越える」とか言っていた藤原惟規(高杉真宙さん)は、実は斎院の中将と思い合う仲になっていて、惟規は大胆にも男子が足を踏み入れてはならない斎院の館に塀を越えて忍び込んでしまいました。もちろん惟規はすぐに捕まり、本来なら重い罰を受けます。しかし惟規はその時とっさに歌を詠み、その歌がたまたま選子内親王の心に響いたようで、内親王の命で惟規は釈放されたとのことでした。まひろは弟に、もう危ないことなしないよう、父・為時に心配をかけないよう忠告しますが、惟規はまだ懲りていないようでした。まひろが書く物語は中宮・彰子のいる藤壺で読まれ、女房たちはそれぞれに思うところの感想を述べあっていました。宮の宣旨が来て今日は敦康親王はここに来ないことを彰子に伝え、そして女房たちには仕事を命じたので、皆退室していきました。まひろは彰子が話し相手を求めたのでここに残り、彰子は物語に出てくる紫の君はまるで自分のようだと語りました。彰子が紫の君の行く末を訊ねたので、まひろがどうなって欲しいのかと尋ねたところ、「光る君の妻になってほしい」と彰子は答えました。その言葉に彰子が帝のことを慕っているのを強く感じ、中宮には自分の好きなものも何かにときめく心もふつうにあるし、父・左大臣の苦労もわかっている(言葉や態度に出さない相手の思いも察している)、自分の正直な心の内を帝に伝えてみてはどうか、と進言しました。そんな話をしていたら帝(一条天皇;塩野瑛久さん)が藤壺に渡って来ました。親王(自分の息子)が来ていないと聞いて帝が帰ろうとすると彰子が呼び止め、突如はっきりした声で帝を見つめながら「お慕いしております!」と言いました。まひろの助言で堰が切れたのか、今までこらえていた思いが涙と共にあふれ出し、止まらない彰子でした。自分への思いをはっきりと告白し、そして泣き崩れそうになっている彰子に帝は思わず戸惑い、また来ると言って去っていきました。やっと思いを伝えられたのに結局は去ってしまった帝の背を見送り、彰子は声を出して泣き崩れてしまいました。そして年の瀬になり、帝は年明けの事について左大臣・道長から報告を聞いていて、その折に夏の御嶽詣の御利益があったのかと訊ねました。道長がまだわからないと答えると帝は「今宵、藤壺に参る。その旨伝えよ。」と。夜の帝のお渡り、それは彰子をいよいよ妻として迎えるということでした。藤壺の女房たちは皆、彰子の身支度と帝を迎える準備に張りきりました。渡り廊下から外を見ると雪が降り積もっていて、帝は空を見上げて心の中で密かに最愛だった中宮・定子に別れを告げました。そして彰子には女人として長い間さみしい思いをさせたことを詫び、ようやく妻として受け入れていくことを決めました。入内してから7年も放っておかれた娘(彰子)がやっと帝のまことの妻になれ、道長はやっと少しだけ安堵できました。その夜は「(彰子のことは)お前だけが頼りだ!」と言っていたまひろと二人で月を眺めていました。でもまひろは、帝の心を掴んだのは彰子自身、これは金峯山のご霊験、と考えていて、道長は何でもいけどとにかくよかったという思いでした。しかしそんな二人の姿を物陰から密かに見ている女房がいました。
September 18, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。この回は全体的に、平安時代にあった僧たちによる強訴とはどのような出来事であり、国風文化の中で貴族たちが行った『上巳の祓』や『御嶽詣』とはどういった行事で、そして『源氏物語』についてのあれやこれやを見た回でした。「強訴」は歴史の教科書で文字だけ追ってもピンとこないけど、役者さんたちが演じてくれるとすごくよくわかります。貴族の屋敷の寝殿造りも、資料集でイラストで見ることはできますが、そこでどんな行事や遊びがあったのかは、映像で人物が動くとやはり理解の度合いが全然違ってきます。そして『源氏物語』について。第二皇子に生まれた光る君が源氏として臣下となった理由が「光る君に好き勝手なことをさせるために」という作者(紫式部)の狙いがあった、という現代のこのドラマの脚本家である大石静氏の解釈が面白いと思いました。物語の作者の意図というものを、私はほとんど考えたことがないのですが、やはり実際に物語を書く人にはいろいろ想像がつくのですね。またこの回では、『源氏物語』の有名な一節の 雀の子を犬君が逃がしつるが出てきました。先週、まひろ(吉高由里子さん)が藤原道長(柄本佑さん)から褒美としてもらった扇子を広げたときに、絵を見て多くの方がすぐに気がついたと思います。でもそれが実際に物語に落とし込まれると、より感動が強くなりますね。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 寛弘3年(1006)、興福寺別当の定澄が大和の国から武器を持った門徒たちを引き連れて、深夜に左大臣・藤原道長(柄本佑さん)の屋敷を訪れました。定澄は自分たちの訴えを陣定にかけて欲しい、さもなくば道長の屋敷を焼き払うと脅しましたが、道長は屈せず、もし定澄が僧たちを動かしたら別当の任を解き、興福寺もただでは済まないと忠告しました。翌日、道長はすぐに陣定で興福寺に対する策を諮ったのですが、まだ結果が出る前に定澄は僧や信徒たちを大極殿前の朝堂院に集めさせ、道長を威圧しました。報告を聞いた道長は、大内裏の門を押し通られる前にと、すぐに帝に検非違使を遣わす宣旨を求め、帝もそれを認めました。検非違使によって大極殿前の僧たちは追い払われたのですが、その後も定澄(赤星昇一郎さん)は道長に会いたいと言い、内裏に上げることはできないので後日、土御門殿(道長の屋敷)に来るよう伝えました。弟子の慶理(渡部龍平さん)を連れた定澄は道長に、興福寺と大和守との争いのことを再度調べて欲しい、大和守を解任して欲しいなど4つの要望を書いた申文を道長に差し出しました。しかし道長は大和守に関連する3つの訴えは拒否し、蓮聖のことをだけを申文に書いて提出するよう定澄に言いました。定澄は、一つでも自分たちの望みが通れば上出来と言い去っていきました。興福寺の騒動がひと段落し、道長は娘の中宮・彰子に女房として仕える藤式部(まひろ;吉高由里子さん)の局を訪れました。帝と中宮は物語の話をしたりなど多少は話をするものの、男女としての進展がまだないことをまひろから聞くと、前の中宮・定子が亡くなってもう6年もたつのにと、道長は娘の彰子が不憫に思えました。道長はまひろに(帝と彰子をつなぐのは)お前が頼みだ、頼む、と頭を下げて念を押し、局を出る前にまひろの弟・藤原惟規のことを訊ねていきました。ただ道長のまひろに対する行動はやはり藤壺の女房たちの間で噂になっていて、女房たちは陰口を楽しんでいました。年が明けて寛弘4年(1007)、道長の嫡妻の倫子は四女の嬉子を出産しましたが産後の肥立ちが悪くてしばらく寝込んでいました。そして同日、中納言・藤原斉信(金田哲さん)の屋敷が火事になり、藤原公任(町田啓太さん)や藤原道綱(上地雄輔さん)は斉信を慰め、左大臣の道長は火事見舞いを出していました。一方、道長が帝に蔵人に3名欠員がいることを伝えると、帝は(亡き最愛の中宮・定子の兄の)藤原伊周の嫡男・藤原道雅を、道長はまひろの弟の惟規を推挙し、それぞれに役が決まりました。伊周は帝が我が家を引き立てようとしてくれていると喜んでいましたが、当の道雅はそれほど嬉しくもありませんでした。道雅は父・伊周が幼い頃からやたら自分に厳しく、それが自分を復讐の道具にするためだと感じていて、父に反発していたのでした。道長の推挙で蔵人になれた藤原惟規(高杉真宙さん)は、姉のまひろが勤める藤壺に、父・為時が昔着ていた袍を着て遊びに来ました。まひろは弟に、左大臣・道長の顔を潰さないようにと念を押しますが、惟規はここに来るときに案内をしてくれた女房が気になっていました。姉から彼女が大納言・道綱の娘だと聞いて自分の身分では相手にされないかと少しがっかりしましたが、姉は弟を励まして気の置けない会話をしていました。するとそこに突然、中宮・彰子がわたってきたので惟規は慌てて退散しました。中宮・藤原彰子(見上愛さん)は自分の正直な思いをまひろ以外には聞かれたくなかったので、お付きの左衛門の内侍を下がらせました。彰子は、まひろの書く物語の面白さがわからないと言いますが、男女の機微のことをまだ知らない彰子には無理からぬことでした。まひろは、自分の願いや思いや来し方を膨らませて書いた物語が帝の気持ちに共感したのだろう、と彰子に答えました。彰子にはやっぱり理解できないことでしたが、そんなところに亡き定子の子で彰子が世話をしている敦康親王(渡邉櫂くん)が飛び込んできました。敦康は優しい彰子が大好きで、彰子も敦康には心からの笑顔を向けていました。帝(一条天皇;塩野瑛久さん)はまひろが書いたこの物語を皆にも読ませたいと考え、宮中では写本があちらこちらで読まれるようになりました。清少納言の『枕草子』とは違う、人々の心にそれぞれ身に覚えがあるような、想像の世界のような物語に、多くの人が夢中になりました。そんなある日、帝は突然まひろの局を訪ねてきて人払いをし、なぜこの物語を書こうと思い立ったのかとまひろに訊ねました。まひろは正直に、左大臣の道長から帝に献上する物語を書くよう頼まれたこと、ただ帝の心をうつものが何なのかわからず道長に帝のことをあれこれと訊いたこと、でも書き進めていくうちに帝の悲しみを自分なりに感じるようになったことなどを伝えました。帝は、この物語はまっすぐ自分に語りかけてくると感想を述べ、また来ると言って去っていきました。3月3日『上巳の祓』の日、道長は公卿たちを土御門殿に招き、水辺で邪気を祓う『曲水の宴』を開きました。道長は中宮・彰子の懐妊を切に願い、この宴を催しました。本日のお題「流れに因って酒をうかぶ」が示され、曲がりくねった水辺に座った公卿たちは一斉に和歌や漢詩を考え始めました。*この行事に関することは、NHK『光る君へ』のHPで解説がUPされています。⇒ ⇒ をしへて! 佐多芳彦さん 藤原道長が主宰した「曲水の宴」って何? しかしお題が出された後、急に大雨が降ってきたので、外にいた公卿たちは皆、一旦室内に入りました。道長の周りには若い頃から親しくしている藤原斉信と藤原行成と、そして妾の源明子の兄の源俊賢が集まり、仕事の時とは違う和やかな会話がありました。中宮・彰子は久々に帰ってきた実家で、父・道長が公卿たちとくつろいで談笑しているところを初めて見たようでした。彰子は御簾の内から父たちの様子を眺めていて、そのことに気が付いたまひろは宴が再開されてから彰子にこっそりと、殿御は皆かわいいものだと教えました。彰子が「帝も?」と訊ねたので、まひろは「帝も殿御。父上と談笑していた公卿たちと変わらない。」と答え、彰子はそういうものなのかと思いました。そしてまひろが娘の彰子を導いてくれるのを期待する道長は、彰子とまひろが何かやり取りしているのを、遠くから見守っていました。華やかな宴が終わってしばらくして、今度は藤原道綱(道長の義兄)の屋敷が火事になってしまい、道綱は落胆しながらも何かおかしいと感じていました。またその直後には敦康親王が病に伏せってしまい、彰子がずっと傍にいて敦康を看病し、伯父の藤原伊周(三浦翔平さん)も敦康の見舞いに来ました。しかしここでは誰も伊周のことを悪く言ってないのに、敦康はなぜか伊周を嫌い、見舞いの品も拒否しました。そしてその後で道長が見舞いに来ると、敦康は道長のところに駆け寄り、何かを訴えるかのように道長の顔を見ていました。(子供の本能でしょうか。血がつながっただけの伊周よりも、真に愛情をもって育ててくれた彰子や道長たちに敦康は心を許しているようです。)斉信と道綱の屋敷が火事になり、敦康親王は重い病になってと不吉なことが続き、彰子はいまだ懐妊がないことを憂いた道長は、吉野の金峯山に、おそらく生涯で最初で最後になるであろう御嶽詣を決心しました。道長の嫡男・藤原頼通(渡邊圭祐さん)も父に同行することを申し出ました。道長が頼通に、8月の出立まで100日間にわたる厳しい精進潔斎があるがそれでも良いかと意思を問うと、頼通は少し迷いましたが中宮(自分の姉)の為にもと、改めて同行を願い出ました。道長は頼通の同行を許可し、頼通も道長も父子で互いにどこか嬉しそうでした。8月、道長は頼通と中宮権大夫の源俊賢を伴って京を出立したのですが、伊周の指令を受けた何者かが道長一行の後を密かに追っているようでした。
September 10, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。この回は、前半では女房として藤壺に上がったまひろ(吉高由里子さん)の宮仕えの様子と、中宮・藤原彰子(見上愛さん)いう人物を少しずつ表していました。仕事と寝食を共にする集団生活は、その人の性格にもよるだろうけど、慣れるまでは大変でしょうね。まひろも最初はネタ探しになるからと意気揚々と藤壺に入りましたが、すぐに無理だと悟りました。でも彰子と接するたびにまひろは彰子の人柄に気がつき、里帰りして気が済んだ後は、世間の評判が悪い彰子のことが気になるのもあり、今度こそ彰子のそばで仕えて彰子を支えようと決意しました。彰子は闊達で華のある女子ではないけど、弟妹がいる故か幼子の気持ちがわかって、ナイショでそれに沿ってあげる優しいおねえちゃんです。敦康親王と過ごす時間は、実家での日々を懐かしく思い出しているのかもしれませんね。そしてドラマの所々で、藤原道長(柄本佑さん)が政の面で左大臣としてどのような立場があって考えがあるのかが示されていました。興福寺の僧・定澄(赤星昇一郎さん)たちの起こしたあれが、教科書に出てきた「強訴」なのですね。道長が政は武力によらない解決であるべき、と思っていたとしても、時代はどんどん武力を持たなければという方向に変わっていきます。歴史的に、道長の死後に世の中全体がますます乱れていき、中央と地方でそれぞれに武士が台頭してくるのですが、この頃から徐々に動きがあったのですね。女房たちの宮廷生活を垣間見ることができ、また学校の勉強ではなかなか知ることがない当時の世の動きを見ることができて、とても興味深くためになる回でした。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 寛弘2年(1005)、中宮・彰子に仕える女房の筆頭・宮の宣旨から藤式部という名をもらったまひろ(吉高由里子さん)の宮仕えが始まりました。まひろの仕事は物語を書くことなので早く続きを書かねばと思って机に向かうのですが、御所の中では女房たちや女童たちが何かとせわしなく動き回っていて気が散るので、まひろは落ち着いて物語を書く気になれませんでした。そこに藤原公任(町田啓太さん)と藤原斉信(金田哲さん)がまひろの様子を見にやってきて、女房たちのことに助言をくれました。その話の流れでまひろは若い頃に公任から陰で「地味でおつまらぬ女」と言われた事を皮肉を込めて返したのですが、当の本人は気づいていませんでした。(この先まひろが大出世する宮仕えの紹介者である公任に気づかれなくてよかったですね。)女房たちの間では新しく入ったまひろのことが皆の興味の的になっていました。宮仕えの女房といえど、中宮の女房となると誰もが名門貴族の姫君たちでした。だからまひろの父・為時は従五位下なのに、まひろが公任や斉信と臆することなく親しそうに話をしている様子が不思議だったのです。伝え聞いた話で、まひろが公任の妻の学びの会の講師だったことや、赤染衛門から中宮・彰子の母・倫子の若い頃にまひろも参加していたことを聞き、そうだったのかと皆納得していました。しかしここでの生活は、まひろにとって見知らぬ他人との初めての共同生活です。昼間は落ち着かなくて物語が書けずに夜遅くまで書き、ようやく寝ようと思うといろいろな音や気配が気になって全然眠れませんでした。(女房たちの寝所の様子を上から眺めたこのアングル、面白いですね。)まひろは宮仕えが始まって早々の寝坊という失態をしてしまいました。この日は御所では、公卿らが中宮に拝礼してうたげが行われる「中宮大饗」の行事があり、下賜する禄の用意やうたげの準備で女房たちは大忙しです。宮の宣旨(小林きな子さん)の指示の元、まひろも準備に追われていました。夜になり中宮大饗の行事が始まりました。その昔、まひろがまだ倫子の屋敷に出入りがあった頃に一度だけ見た、幼かったあの姫君が女人の最高位の中宮になって今目の前にいるのを、まひろは物陰から感慨深く見てしまいました。(そして宮の宣旨に注意されました。)女房として中宮・藤原彰子(見上愛さん)と近くで接するようになったまひろは、彰子の意外なさまざまな面に気がつくようになりました。彰子は亡き定子の遺児の敦康親王(池田旭陽くん)の養育をしていてこの藤壺に一緒にいるのですが、敦康は彰子が大好きなようでした。ある時は、お手玉遊びで彰子はお手玉をわざと遠くに投げ、女房たちの視線がそれた隙に彰子は敦康に「ないしょ。」とおやつをあげて笑っていました。弟妹がいる彰子だから、幼子の気持ちがわかるのでしょう。彰子の優しさと自分への愛情を、敦康は誰よりも理解していました。まひろは宮仕えの慣れない生活に疲れて、物語を書くのが一向に進まないため、自分を宮仕えに引き入れた道長(左大臣)に、やはり家で書きたいと訴えました。はじめは厳しい口調で許さなかった道長でしたが、だんだんと口調が弱くなって、しまいにはまひろに頭を下げて藤壺で書くよう頼んでいました。(人払いしてあったからいいけど、最高位の左大臣がイチ女房に頭を下げる場面を見られたら大ごとでしょうね。)それでも一旦は里帰りしたいというまひろの思いは強く、道長はそれを認めました。まひろが里帰りの挨拶を彰子にしに行くと、彰子は端近に出ていました。ふだんは周りの女房たちに自分の思いを言うことのない彰子なのに、まひろには「私は冬が好き。空の青が好き。」とポツリと自分の思いを語りました。そんな話をしていたら左衛門の内侍(菅野莉央さん)が来て、寒いから中に入るよう彰子を促し、御簾をおろしてしまいました。女房に世話を焼かれると、彰子は自分の思いが言えなくなってしまうのでした。寛弘3年(1006)の除目の場で、一族の平致頼と幾度も合戦を起こす平維衡を伊勢守に任ずることに左大臣の道長は強く反対しました。維衡のような者を国守とするとやがては他の国守たちも同じように武力でものを言わせるようになり国が乱れる、というのが道長の考えでした。道長は除目の場を閉じてさっさと退席していき、他の公卿たちも退席しだした時、道長の義兄の藤原道綱(上地雄輔さん)は義弟に味方し「道長の考えもわかる」と公任ら道長と親しい公卿たちに訴えました。その時、藤原隆家(竜星涼さん)が、自分はこれからは朝廷も武力が必要になると思うと意見を述べ、その場にいた公卿たちはそれぞれに考えていました。しかし、空欄にしておいたはずの伊勢守の欄に誰かが平維衡の名を書き込みんだため、道長は認めざるを得なくなりました。宿下がりしたまひろは久々に緊張感から解放され、のびのびした気持ちの中でどんどんと物語を書き進めていました。自分が書いた物語を読んで、弟の藤原惟規(高杉真宙さん)と弟の乳母のいと(信川清順さん)に聞いてもらい、感想を訊ねました。惟規はそれを面白いと言い、姉のまひろが大勢の男と睦んだわけでもないのによく想像で書けるねと感心していましたが、いとはそのような下品な話を帝が喜ぶのかと心配そうでした。そして惟規が中宮(彰子)は噂に聞くうつけなのか?と言いだしたので、彰子が敦康親王にこっそりお菓子をあげた様子とか、端近で空を見ていた姿を知ったまひろは、彰子は奥ゆかしいだけだと強く反論しました。里帰りして物語の続きを進めることができたまひろは、それを持って再び藤壺に参内し、彰子に報告しました。すると彰子が、帝がお気に召したその物語を自分も読みたいと言い、今あるのは話の続きなのでまひろはこれまでの内容を手短に話しました。物語の主となる「光る君」と呼ばれる皇子はあまりに美しくて賢くて、話を聞きながら帝のことを思い浮かべる彰子を見ていると、表には出さないだけで彰子は心の内では帝を慕っているのだとまひろは感じていました。そして物語が気になる彰子にまひろは、物語はまだまだ続くことを匂わせました。あれほど藤壺での生活が苦痛だったまひろでしたが、物語を通じて彰子と二人で時を過ごすうちに、彰子のためにここで頑張ろうという気持ちに変わりました。彰子の父でもある左大臣の道長に里帰りのわがままを詫び、まひろは藤壺で再び働くことを決意した、許可して欲しいと道長に伝えました。そして帝(一条天皇;塩野瑛久さん)はまひろに会うために藤壺に来ました。帝は昔まひろが思うままに述べた言葉を覚えていて、さらに物語を読んだ感想として、はじめは自分を難じていると思って腹が立った、だが次第に自分の心にしみいってきてまことに不思議だった、と言いました。さらに自分だけが読むには惜しいから皆に読ませたいと帝が言うので、まひろは是非にと返答しました。そして彰子も物語に興味を持ち、彰子が帝とのつながりを求めているのを感じていたので、彰子にも読んでもらえればこの上なき誉れと帝に伝えました。まひろと対面した帝が上機嫌で、さらに物語の続きを求めた様子を見て、道長はまひろに褒美を贈りました。道長が「これからもよろしく頼む。」と言って退室した後で褒美の箱を開けてみると、中には美しい装飾の特製の扇が入っていました。そしてそこに描かれたものは、幼き日にまひろと道長が初めて出会った川原でのあの日の出来事でした。あの時の少年はいつしか公卿たちの中心となる大人物になっていたけど、道長が約30年前のあの時のことをいつまでも忘れずにいてくれることに、まひろは思わず胸が熱くなりました。平維衡の国守の件を一旦はやむなく認めた藤原道長(柄本佑さん)でしたが、後で改まって帝に進言して、速やかに交代させることにしました。道長は、今は寺や神社でさえ武具を揃えて武力で土地を取り合う世となりつつある、さらに国守が同様のことをするようになるとやがては朝廷をないがしろにする者も出てくることを帝に説き、そうならぬように政をしてほしいと訴えました。しかし世の動きは道長の想像以上に早いものでした。大和の国の興福寺の別当である定澄(赤星昇一郎さん)が武器を持った3000人の僧たちを引き連れて上京し、道長の屋敷に直訴に来ました。定澄は、自分たちの訴えを直ちに陣定にかけて欲しい、それがならぬ時は木幡山(京都の南の伏見)に待機している僧たちがこの屋敷を取り囲んで焼き払う、と道長を脅しました。
September 4, 2024
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