pine☆’s cafe

私とヴァイオリン


・・・早いなぁ。

でも、決してずっとまじめにやっていたわけではなく、先生泣かせ親泣かせの問題児でした(^^;(・・今もかな・・?)

小学校の時、習っていた女の先生がとてもヒステリックで、弾けている弾けていないに関わらず、怒鳴る殴るの先生でした。(それ以来女の先生はどうも苦手です・・。)母も熱心な指導だと思おうして、しかも当時家庭の中もいろいろと複雑だったのもあって、自分の娘があんまり怒られずにすむようにという気持ちと、過剰なストレスとで私にとても辛くあたるようになりました。

それからしばらくは私はロボットのようにただただ何も言わず、ヴァイオリンを弾いていたらしい。(記憶がないのです。)

そんな生活が続くはずもなく。私は重度のストレス性過換気症候群になりました。あれってひどいと意識無くなるんですよ。朝昼はなんともないのに、毎晩夜中になると発作のように出て。
それのおかげか、私も初めてヴァイオリンが弾きたくない!って素直に伝えることが出来て、母も私のただならぬ事態で目が覚めたらしく、いろいろ話し合って、ヴァイオリンをやめました。(その晩は二人で号泣した(笑))
やめたら、治ったし。体ってすごいなぁ・・。

その後一年間なにやって過ごしてたの?!ってくらい記憶がない(--;
(不登校児&ひきこもりでした。・・・暗い・・)
しばらく過ごしてみると、ヴァイオリンの存在が自分の中でいかに大きいものだったかを痛感して、とても後悔していました。
でも、一度やめたし、言い出せない・・と思って一年が過ぎ。
ある日母が突然言い出しました。
「ヴァイオリン・・、売っちゃうからね!!」
埃まみれのケースを持ちながら泣きながら叫んでました。

私はその時初めて自分の愚かさに気づき、一年を無駄にしたことを恥じました。
「もう一度、やってみたい・・」



あとから知ったんだけど、母は私がやりたいと思っていたことをとっくに悟っていて、知り合いの人に相談していました。(感謝・・)
そしてその人から、ある楽器屋さんを通じて、K&O先生夫妻に巡りあうことが出来たんです!

最初は前の先生のトラウマもあり、レッスンに行くのが恐かったんだけど、そんなのも一気にふっ飛んでしまうくらい、優しくて面白くて、何よりとても楽しかった!
K先生はいきなりお尻振ってダンスしたり、大声で楽しそうに歌いだしたり・・(笑)何よりもたくさん褒めてくれる先生です(^^)

初めてレッスンに行った時、
「ウン、すごくいいよ~!」って言ってくれたときは心の底からびっくりして、とてもとても嬉しかった。『先生』に褒められるのは初めてだったんです。
今でもつくづく思うけど、この先生に出会ってなければ間違いなくヴァイオリンは続いてなかったと思うし、音楽家を目指して東京に行こうだなんて思いもしなかった。
何より「Only1の音楽」を作りたいとも思わなかった。


決して、いい生徒じゃなかったし、本当にいろいろと迷惑もかけちゃって恐縮してしまうくらいだけど、K先生のおかげで、生きる喜び、楽しみを知ったし、辛いときも楽しいレッスンで笑わせてくれた。
東京に行く決心をしたのもとても遅かったのに、今のH先生に一生懸命頼んでくれて。

本当に生涯、私の心のお父さんです。

東京に出てからはK先生の人柄や温かさが身に沁みるほど感じました。
H先生もとても素敵な人ですが、やっぱりK先生の存在は私にとってとても特別な先生です。


東京に行くとき、こう言ってくれました。
「君は君でいいんだからね。これからきっと色んな人に出会って、いい事も悪いこともあるし、影響も受けるだろう。あと友達は大事にしなさいね。高校の友達は一生の中になるし。出来るだけたくさんの経験をしなさい。すべては必ず君のためになるんだから。逃げちゃダメ。僕は君の音楽がとても好きだよ。自信を持ちなさい。辛くなったら飛んで帰っておいで!夜中でもレッスンしてあげる。」
・・・涙。先生、ありがとう。


最近滅多に行かなくなってしまって、先生不幸してしまってます・・。
久しぶりに行くと思うとなんだか敷居が高い気がしてしまって。全然そんなことないのに。進歩してないと思われるのが恐いのもあるかな。




私の夢=ヴァイオリンと共にあること。
自分らしく『音楽』を表現出来ること。
かな(^^)


これからもよろしく頼むよ。私のヴァイオリンちゃん。


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