さくら咲く

さくら咲く

出産翌々日



眠りから覚めて、改めて子供が死んでしまったことを思い出す。

こんなに辛い朝はありませんでした。

じんわりとした悲しみがまた押し寄せてきました。

看護師さんが検温に来ていましたが、

そんなことおかまいなしに、

ただ窓の外をぼんやりと眺め続けていました。

看護師さんも無理に質問しませんでした。

私も声が上手く出ませんでした。

失語症の人ってこんな感じで話せなくなるのかな。

ふと思いました。


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深い悲しみの中、わずかに心に温かいものを感じていました。

子供を抱いたときの、子供への愛おしさが

私を救ってくれていました。

自分の子供があれほど可愛いなんて。

そして、それまで自分が何も分かっていなかったことを、

思い知らされました。

以前「胎児治療」が出来る病院が日本に無いと分かったとき、

海外へ行こうか、迷って諦めました。

それは莫大なお金がかかると思ったからです。

何て私は馬鹿だったんだろう。

お金なんてどうでもいいことだったのに。

一生、借金背負うことになったとしても、それが何だったのだろう?

あの子が生きてくれることに比べたら、

そんなこと、取るに足らないものだったのに。

障害が残ったらどうしようとかなんて悩みも、

どうでもいい悩みだったのだ。

どんな状態でもいいから、生きていて欲しかった。

生きてさえいてくれれば、どんなに幸せだったか知れない。

病院通いがずっと続くことになったとしても、

日常の世話が大変だったとしても、

死んでしまうことに比べたら、100倍幸せだっただろう。

私はそれまで自分を主体にしたライフプランを持っていました。

それは仕事を中心にしたものであり、

出産し、5ヶ月もしたら仕事へ復帰しようと思っていました。

子供は自分にとって、人生の一部だと思っていたのです。

大きな間違いでした。

子供は一部ではなく、自分そのものでした。

自分の命そのものだったのだと思いました。

子供を前にすれば、自分の人生なんてどうでもよかったのに。

まして仕事なんか、何てつまらないものだったのだろう。

そんなものにこだわっていた自分が、

本当に愚かに思えました。


*************

気が付くと、婦長さんが私のベッドの横に立っていて、

私の肩に手を置いていました。

「辛いわね」

言われて正気に返り、涙が溢れました。

言葉が出ず、ただ涙を流しながら頷いていました。


****************


午後、旦那とうちの両親がそろって来てくれました。

お葬式の話をしました。

子供の葬式は13日にするのだと聞きました。

準備を皆で進めてくれていることに感謝しました。

自分で葬儀屋さんとか、火葬場や役所への届出とか、

そういった一切の手配はせずにすみました。

家族みんなが私に気を使ってくれているのを感じました。


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「子供を解剖したい」と、病院側から申し出がありました。

理由は「今後の医学の発展のため」。

そんな漠然とした理由で、子供が傷つけられることを

了解しようとはとても思えませんでした。

何てむしのいいこと言ってるんだろう、とさえ思いました。

子供が亡くなったことに関して病院の落ち度があったとは思いません。

でも、出産までの2ヶ月もの間、経過を見てきて子供がそれ程重症だとは診断されたことがありませんでした。

逆に産婦人科の医長からは「重症ではないでしょう」

とさえ言われていました。

それは結果として診断ミスだったのだから、

まず、そのことに対して何らかの言葉が欲しかった。

今になって思えば、子供が亡くなった原因を詳しく知るために、

解剖はするべきだったと思います。

でもその時の私は感情的に「やりたくない」と言って

断ってしまいました。



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