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2013年4月7日。今回の旅行も7日目に入った。昨夜遅くと言っても今朝になるのだが、1時ごろリマのホテルに帰着。そしてもう5時過ぎには空港に向かって出発するのでゆっくり睡眠する時間がない。リマ発8時20分のLAN航空。上空から見る朝もやに包まれた山々の姿、絵に描いたようで素晴らしい。暫くすると今度は雪に覆われた厳しい姿の山々がいくつも間近に現われて来ては遠ざかって行く。アンデス山脈の高峰だ。そして1時間20分後、インカ帝国の首都だったクスコに到着。空港の名前はアレハンドロ・ベラスコ・アステテ国際空港という。空港からバスでクスコの中心部にあるアルマス広場に向かう。今日は日曜日とあって広場は凄い人出だ。ガイドのの話では事あるごとに何かお祭りをするのだそうだ。今日は何のお祭りなのだろうか。アルマス広場の向こう側に見えるカテドラルの前には特設の雛段が設けられ、軍隊を始め多くの人々がそれを取り囲んでいた。このカテドラルはインカ時代のピラコチャ神殿の跡にスペイン人によって建てられもの。1550年から約100年かけて完成されたとのことである。カテドラルの左隣の方も大勢の人がずらり並んでいる。その向こうの山の斜面には住宅が拡がり、教会も見えている。また、右方の特徴のある2つの鐘楼を持つラ・コンパーニア・デ・ヘスス教会の前も人の行列。この教会はインカの第11代皇帝ワイナ・カバックの宮殿跡に建てられていて、1650年の大地震の後に現在の姿に再建されたそうである。見た感じバロック様式の建築であろうか。そうこうするうちに行列の先頭は動き出していた。白いチューバを持った楽隊もそれに続いている。インカの民族衣装を着た人たちも何かのペナントを持って歩き出していた。行列が進んでも呑気に記念撮影をしているインカ衣装の人もいる。警察犬もこのパレードに参加するのだ。ワンちゃんにはかっこいい胴巻きが付けられているのも面白い。ところが出発してもワンちゃんたちは人気があって、もう女性にいとおしそうに抱きつかれて進まない。やっとのことで後ろから追いかけていくことが出来た。こんなところも型にはまらず、のんびりしていていかにも南国という感じが出ていて面白かった。「12角の石」を見に行く。かっては第6代皇帝インカ・ロカの宮殿だった宗教美術博物館の土台にある。立派な堂々たる石組である。その中の一つに「12角の石」があった。12角の周りに石が精巧に積み重ねられ、それらの隙間にはカミソリの刃も通らないという状態につくらている。このような石組の上に建てられていたインカの宮殿などは、侵略者スペイン人によって破壊され彼らの邸宅や教会へと変わって行った。しかし、1650、1950、1986年に起きた大地震によりそれらの建造物は大きな被害を受けたが、その下にあるインカ時代に組まれた石組はびくともしなかったという。ここからレストランや土産品店の並ぶ路地へと進む。店の外壁に綺麗にディスプレイされた民芸品、購買力をそそられる。ここは品数が凄く多いし、お値段もリーズナブルのように思う。すべてアメリカドルが通用する。ただし、高額紙幣を出してお釣りを貰わないこと。お釣りに出されるニセ札(印刷が薄いようだ)は勿論のこと、字が書かれている紙幣、くしゃくしゃの紙幣は他の店では使用を断られるので要注意。道の脇には可愛いお人形が愛嬌を振りまいていた。アルマス広場へと戻る。その途中の街並み。インカ衣装の人が腰を下ろしてくつろいでいた。綺麗なお店だ。2階は2つのレストラン、1階の右側は宝石店、左側はレストランのようである。インカ時代の石組の上に白の漆喰を塗つた建物を造り、いくつもの店で共用している。お店の文字のフォントもそれぞれユニークで面白い。アルマス広場に戻ったが、まだお祭りの余韻が残っていた。噴水の上の黄金色の像はインカ時代のもののレプリカなのだろう。インカ時代は黄金の像が幾つもこのアルマス広場に並べられていたという。これらの黄金はスペイン人によって延べ棒に溶かされ、本国に送られてしまったのだ。アルマス広場は美しく整備されている。人々に愛されている広場なのだ。この後、今日の宿泊地マチュピチュ村へ行くため、ペルーレイル(列車)のオリャンタイタンボ駅まで途中昼食休憩をはさむが2時間ほどバスに揺られることになる。
2013.07.27
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バスは本日最後の観光地、港町ボカのカミニートへ向かって行った。途中広い歩道にどっかと座りこんで音楽を楽しんでいる若者の一団。バスから手を振るとそれに応えてくれた。気持ちの良い朗らかな表情の若者たちだ。土曜日とあってここも市が立っていた。しばらく行くと、スタジアムが見えてきた。あのマラドーナもいたことのあるボカ・ジュニアーズのホーム「ボンボネーラ」。現在は造り直されて「ヌエヴォ・ボンボネーラ」と呼ばれているということである。そして間もなくカミニートへ到着。バスの上から見る街は今までとは打って変わった様子で怪しげな感じだ。カミニートのあるボカはかってはアルゼンチン随一の港によって栄えた町。ヨーロッパからの船はすべてここに入港し、新天地を求めて来た移民を上陸させていった。また造船工場があり、その労働者や船乗りなどを相手にする港町特有の安酒場や賭場も多くあったという。そのような雰囲気がバスから見た光景に感じられたのだろう。また、カミニートというとアルゼンチン・タンゴがすぐ頭に浮かび、タンゴ カミニートのあのやるせないメロディーが口から出てくる。そう、ここカミニートはアルゼンチン・タンゴ発祥の地なのだそうだ。私の年代でアルゼンチン・タンゴというとすぐ思い浮かべるのがオルケスタ・ティピカ東京の藤沢 嵐子(Ranko Fujisawa)ではないだろうか。あの艶やかなアルトの美声。そしてRを巻き舌で強調したスペイン語のアルゼンチン・タンゴの歌声は、我々をラジオの前に釘付けにしたものである。特にあの哀愁のあるカミニートは素晴らしかったし、アディオス・パンパ・ミーアも良かった。彼女はアルゼンチンへ何度も公演に行き、その都度、拍手喝采を浴びていたようである。「日本人でもこんなにタンゴの心を理解し、演奏できるとは」と。そのカミニートへバスから降りる。初秋とはいえ南半球での日差しは強い。建物の影と直射のところとの明暗の差が大きくて、なかなか写真が撮りにくい。トイレを借りに入ったショッピングセンターにサッカーの店があった。真ん中の写真はマラドーナか。カミニートはスペイン語で小径とか細道という意味。でもここはちょっとした広い通り、その両脇にいろいろな店が並んで観光名所となっている。そして建物のいろいろな部分は原色で塗り分けられていて大変面白い。これは画家のキンクェラ・マルティンが、自分の絵が売れるたびにそのお金で病院や幼稚園、小学校などを建てて町を育てて行った。この色の塗り分けも彼の指導によるものらしい。造船工場などで余ったペンキを貰い受け、それでは1軒全部は塗れないので、部分部分に分けて塗って行き、ペンキを貰う都度色が違っていたりしていたので、今日見るようなカラフルな姿になっていったということである。本当の小径らしきところがあったので、そちらへ入ってみる。そこには日常の生活感溢れる光景があった。洗濯物も実にカラフルである。でもあまり人通りの少ないところは危険なので、足を速めて別の広い通りへ出る。ここはピザ屋さん。入口にはちゃんとマネキンがいる。ここもまた綺麗に塗り分けている。二階からマネキンが挨拶。そして人通りの多い裏道へ入る。夕方近くなってきて、木の影も長く映えるようになって来ていた。この裏道の壁にはいろいろな作品が取り付けられている。これは何だろう?何か祈りを捧げる人の裾には不安げな子供の姿が。壁に映る木の葉の影が何か淋しさを演出している感じもする。碑銘には、ESPERANDO LA BARGA とあった。その先には、このような青銅像も。LA BOCA とあるが、そばにかばんを置き幼子を抱えているこの像は、内戦時の避難の様子を現しているのだろうか。何かこのような状態を忘れるな!と言っているような気がする。でもこの子の明るい顔が救いだった。シリアスな像を通り過ぎると、明るい焼き物の絵が出て来た。これでカミニートの一角を一巡したことになる。夕方のカミニートには、心なしか木々に秋の気配が感じられた。カミニートは、今まで見て来たセントロのようなソフィスティケートされた町ではなく、何か庶民的な親しみを感じるところで、日本でいえば東京の下町のような感じかなと思う。これはカミニートの町の発展に貢献した画家キンクェラ・マルティンの作品を模したタイル絵。絵の左下にはキンクェラ・マルティンのサインが、右下にはこのタイル絵の作者のサインが見える。1930年代のボカ港の様子だと思われる。画家を目指す人たちが自分の作品を展示・即売していた。町の入口付近の市にも、なかなか面白い絵が出ていた。バスが待っている港へ出る。夕方のボカ港。今でも造船会社は残っているようだ。大きなクレーンが彼方に見えている。ブエノスアイレス空港よりLAN航空でペルーのリマへとんぼ返り。LAN航空の国際線では、嬉しいことにワインをガラスのグラスで出してくれる。夕食はワインを飲みながら、飛行機の中で。ホテル着は午前様だった。またまた早朝、リマからインカ帝国の首都だった高地のクスコへと飛ぶのだ。
2013.07.10
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アルゼンチンの首都ブエノスアイレス市内。バスは世界三大歌劇場の一つで、イタリア ミラノのスカラ座に次ぐ大きさのコロン劇場へと向かっている。走っている7月9日大通りのこちら側は工事中で5車線のみ通行可。本来は上り下りで16車線あるらしい。道路際にはビール腹を思わせる木が並んでいる。いわく「酔っぱらいの木」。その木のそばにはピンク色の花の木があり、「酔っぱらいの木」に花を添えている形になっている。やがて右手に堂々のコロン劇場が現れて来た。バスはその裏手に回る。残念ながら劇場内には入れなかった。劇場の裏手には大きな広場があり、青銅像が散在している。この女性が見ているのはスペイン出身のローマ皇帝トラヤヌスのレプリカ像だった。さらにその先の広場には写真を並べて展示してあった。コロン劇場の内部や、演奏した人たちの写真である。その写真の中からイタリアの名テナー エンリコ・カルーソーを見つけ出した。1915年ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の一員として、ヴェルディの「仮面舞踏会」のリッカルドを演じたときの姿。面白かったのは、NewYorkという固有名詞をNueva Yorkと書いてあったことであった。そして、バレリーナのアンナ・パブロワの写真も。彼女はマリインスキー劇場バレー団の一員として1917、1918、1919と1928年にコロン劇場に来ているのだそうだ。この写真は1928年サンサーンスの「動物の謝肉祭」の「瀕死の白鳥」を演じたときのもの。さて、次に向かったのはセントロにある5月広場。途中いかにもセントロという感じのダウンタウンを行く。向こうに見える尖塔はオベリスコ。1936年5月、ブエノスアイレスが最初に開かれてから400年目を記念して建てられた。高さは220フィート(67m)あるのだが、現在は内部に入れないそうである。この辺りにはハンバーガーのマクドナルドの店が多い。肉の本場なので、きっと美味しいハンバーガーを提供しているのであろう。一度食べてみるべきだったが、惜しいかなチャンスが無かった。5月広場は1810年スペイン政府に反抗して独立を勝ち取り、独立宣言の喜びにわいた民衆が集まったところ。独立宣言はこの白い建物カビルド(スペイン植民地時代行政機関のあったところ)で行われた。時に1810年5月25日であった。そして5月広場を挟んで真向かいにあるピンク色の建物「カサ・ロサーダ」は現在の大統領府である。白い塔は「5月の塔」。革命の翌年に一周年記念として建てられたもので、アルゼンチン全土から持ち寄られた土が収められているとのこと。5月広場の脇、大統領府「カサ・ロサーダ」と独立宣言が行われたカビルドとの間にナポリターナ大聖堂がある。ネオ・クラッシック様式の建築で、正面の12本の柱はキリストの12使徒を現しているとか。18世紀の中ごろから建設が開始され、1827年に完成。上の写真ではちょっと見にくいが、右端の炎はその当時から消えることなく燃え続けているとのことである。なお、今年2013年3月13日に第266代ローマ教皇に選出されたフランシス1世は、この大聖堂でブエノスアイレス大司教を務めておられた方である。我々が大聖堂の入り口に近づくと衛兵の一団が下りてきた。2時間ごとに行われる衛兵の交代なのだ。どこの国の衛兵もそうだが、皆かっこいい。(日本にも衛兵というか儀仗兵はいるのだろうか?)この衛兵さんたち、南米解放の父ホセ・デ・サン・マルティン将軍の棺を守る護衛兵なのである。大聖堂の中に入る。外観はネオ・クラッシック様式だが、内部はロマネスクやゴシック様式を取り入れているように思うのだがどうだろう。しかし立派な内部の造りである。堂々とした光輝く主祭壇。見上げる。そこにあるフレスコ画。更に見上げる。右側に見えるコバルトブルーの説教壇が素晴らしい。またステンド・グラスも多くある。これはそのうちの一つ。色彩が見事である。女性が熱心に見入っている人物像と棺があった。棺には LEONI FRIDERICO ANEIROS と書かれているのだが、由緒は分からない。そして最後に回ったところが、先程の護衛兵に守られたサンマルティン将軍の霊廟。将軍の棺がアルゼンチン、チリ、ペルーの聖女像に見守られて安置されている。外へ出て大統領府に近づくと子供たちの絵がずらりと垣根に並んでいた。これからアルゼンチン・タンゴの曲で有名なカミニートへ向かう。
2013.07.09
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2013年4月6日(土)今日はブエノスアイレス市内観光の日。ブラジル側のスイートルーム付ホテルの窓から、朝もやのイグアス川に別れを告げる。朝早くバスで国境を通過してアルゼンチン側のイグアスの滝国際空港へ。綺麗な空港で、外観がちょっと変わった建物。この空港、別名を「マヨール・カルロス・エドゥアルド・クラウス空港(Mayor Carlos Eduardo Krause Airport)というとのこと。功績のあった市長の名をとったのであろうか。出発まで時間があるので駐車場へ出てみる。今朝は快晴で太陽がとてもまぶしい。イグアスのジャングルで見た綺麗な紫色の蝶も飛び交っている。蝶については別途ページを割いて紹介したいと思っている。その駐車場の一角。緑の葉が綺麗に輝いていた。その後ろの車にはなんと三菱のマークが!2時間ほどのフライトで13時ちょっと過ぎに無事ブエノスアイレスへ着く。待っていたバスで観光名所のレコレータ墓地へ。今日は土曜日とあって参道にはフリ・マーケットがずらりと並んでいた。店をぶらぶら冷やかしながら墓地入口へ。来た道を振り返る。緑の濃い道を歩いて来たものだ。墓地の中では一組の家族が記念撮影。どこの国でも同じだ。微笑ましい光景なのでパチリと勝手に写させてもらう。ここはアルゼンチンでも最も格式の高い由緒ある墓地で、歴代大統領、実業家、貴族など有名人が埋葬されている。これは聖人の像であろうか。ヴィーナスにかしずかれたお墓。これも2体の天使に守られたお墓。これは綺麗に磨かれた黒御影とそれにはめ込まれた美術的な肖像。高位の尼僧なのだろうか。そしてもっとも有名で多くの人が訪れるペロン大統領(ドゥアルテ家)一族のお墓。ここには美貌とドラマチックな人生を送ったことで人気のあったペロン夫人エヴィータも眠っている。そのそばには一匹の猫が侍っていた。これは若くして亡くなった女性なのか、愛犬とともに銅像が建てられている。そのワンちゃんの鼻が光っているのは、通る人が撫で撫でして行くからなのだろう。そして上の写真の左端の下の方になにやらフクロウのようなものが見えるのが分かるだろうか。それがこのネコちゃんだった。眼を細めて何を祈っているのだろうか。墓地を辞して表の通りへ出る。そこには駄々をこねているワンちゃんがいた。カメラを向けるとフンとそっぽを向かれてしまった。通りの向こう側には洒落た建築のアパート。日本でいうところのマンションである。バスから見たアパート。狭い土地の上に高さを稼いで建てているのは、いずこの国でも行われる常套手段なのだ。この後、バスはコロン劇場へと向かった。
2013.07.07
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