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Feb 19, 2024
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カテゴリ: カテゴリ未分類
昨年 公開されたネイティブ・アメリカンの血をひく女優リリー・グラッドストーンとディカプリオ、ロバート・デ・ニーロが出演した問題作「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」の監督をつとめたマーティン・スコセッシ。
古くはデ・ニーロの出世作にして、当時、弱冠13歳だったジョディ・フォスターがコールガール役でデビューした映画「タクシードライバー」の監督ですね。
このマーティン・スコセッシの監督作品で2002年にディカプリオ主演で公開された映画「ギャング・オブ・ニューヨーク」がありました。
この作品はデ・ニーロが主演した「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」とともに19世紀~20世紀初頭のアメリカ移民の実態を写し出してて、共に私のお気に入り映画トップです。
「ギャング・オブ・ニューヨーク」の舞台は19世紀のニューヨーク。
大飢饉に見舞われた故郷を離れ、アメリカン・ドリームを夢見てマンハッタンの港に降り立ったアイルランド移民の物語。
しかし、現実は甘くなく、貧しい彼らが住むことが出来たのは安アパートや売春宿の密集する混沌の町ファイブ・ポインツのみ。
ここは淡水池を埋め立てて出来た土地で、今は再開発されてますが、当時は人口過密で、病が蔓延、犯罪が横行するスラムとして国際的に悪評が広まったところです。

そこに住むアイルランド移民はしだいに徒党を組んでギャング団を結成しますが、元々ファイブ・ポインツには先住人のギャング団があり、抗争が激化していくのですね。

ファイブ・ポインツは当時、世界のどこのスラムよりも高い殺人発生率を記録していたと云われてます。
このファイブ・ポインツにオールド・ブルワリーと云う建物がありました。
この建物は1790年代に建てられた醸造所でしたが、後に内部が改造され1,000人規模の貧困者を住まわせる棟割長屋になりました。

ここでは1夜に1回は殺人事件が起き、1952年の取り壊しまでそれが15年間続いたと云われてます。
オールド・ブルワリーは、先に紹介した映画「ギャング・オブ・ニューヨーク」にも登場します。
ファイブ・ポインツは、後にイタリア系移民も定住して1950年代以降はリトル・イタリーの中心になっていきます。
このファイブ・ポインツとは別にロウアー・イースト・サイドと云う地区も有りました。
ファイブ・ポインツの初期はアイルランド系移民で占められてましたが、ロウアー・イースト・サイドの方はかつてドイツ人が多く住んでおり、後にアイルランド系やイタリア系、ポーランド系、ウクライナ系など多様な民族が、それも低所得労働者階級の住むエリアでした。
今日のロウアー・イースト・サイドは、プエルトリコ系とドミニカ系、そして中国系が多数を占めていますが、今でもなをユダヤ人文化を色濃く残している地区です。
ポーランド系やウクライナ系と云っても、迫害によって祖国を離れたユダヤ人が多かったのですね。
当時、東ヨーロッパのユダヤ人の1/3以上が祖国を離れ、そのうちの90%がアメリカに移住してます。

これらのユダヤ人は、非常に厳しい重労働を経て、衣料品産業、小貿易、葉巻製造、建設、食料生産で地位を確立しました。

1890年代には、早くも反ユダヤ主義が頭をもたげてきます。
先住者の白人キリスト教徒コミュニティは、東ヨーロッパのユダヤ人を含むアメリカに群がる大量の貧しい移民を軽蔑し、彼らをアメリカの生活様式や統治形態に対する脅威とみなしました。
一方、ドイツ系ユダヤ人の成功は羨望と敵対を引き起こしたのです。
白人キリスト教徒だって、ちょっと先に到着した移民に変わりないのにね。

そして、1800年代半ば~後半にかけてニューヨークの人口が急増したことで、ロウアー・イースト・サイドに長屋住宅が増加しました。

長屋は、複数のアパートを備えた狭い低層の建物で、通常は3つの部屋で構成されてました。
家賃が安かったため、ユダヤ人などニューヨークの新移民は長屋住宅を選ぶのが一般的だったのですね。
10人家族が30平方メール(畳18畳~19畳)の長屋に住むのが一般的でした。
現在、ロウアー・イースト・サイドには「ローワー・イースト・サイド テネメント・ミュージアム」と呼ばれる残った長屋住宅をそのまま保存している場所があります。
ここは最初に建設されたとき、22戸のアパートと地下階に酒場がありました。
その後、ストップと呼ばれる4つの小さな階段室と2つ地下アパート、商業用スペースが追加改装され、建物内に16のアパートが残りました。
この建物は国定歴史建造物です。
内部は19世紀の移民たちが暮らした様子がそのまま残されてるのですね。
展示している部屋はここで暮らしていたアイルランド人のジョセフ・ムーアの住居を忠実に再現してます。




ロウアー・イースト・サイドには、アメリカに到着してから、ずっとこの地で商いをやってるお店がいまだに数軒残ってます。
「ヨナ・シンメルのクニッシュ・ベーカリー」。
クニッシュは、東ヨーロッパ系ユダヤ人の軽食として有名なオーブンで焼くタイプのピロシキに似ていますが、形状が円形です。
東ヨーロッパではオードブルに出てくるような小さいサイズのものが一般的ですが、ニューヨークではハンバーガーほどの大きさのものが普通です。

ヨナ・シンメルはルーマニアからのユダヤ人移民で、1890年にニューヨークに到着しました。
ロウアー・イースト・サイドの多くの食料品店と同様に、彼も手押しカートで包丁を売ることから始めました。
そのうち、果物、鍋やフライパン、カーペット、衣類、眼鏡、安価な食料品に至るまであらゆるものを販売していきます。
そして最終的にクニッシュ・ベーカリーに落ち着いた云うことです。
ユダヤ系移民の常としてヨナ・シンメルも家族経営です。
低いブリキのタイル張り天井が印象的なお店です。
「ラス&ドーターズ」はユダヤ人の食材を売るアメリカで最も古いお店のひとつです。
ここで売る食材は東欧系ユダヤ人の宗教上の食べ物ベーグルと一緒に食べるものばかり。
ユダヤ教の食事法では、肉と乳製品を一緒に売ったり食べたりすることを禁じています。
そのためロウアー・イースト・サイドでは、2つの特定種類のユダヤ人食料品(コーシャ食品)店が一般的でした。

塩漬け肉を販売するお店と魚や乳製品を販売するお店。
これを交ぜて売ってはいけません。
コストコの自社ブランド製品にもコーシャ認証マークのあるものが売ってますね。
「ラス&ドーターズ」はコーシャの魚を扱ってるお店です。
ロウアー・イースト・サイドでは、一時30店舗以上のコーシャ用お魚を売ってるお店がありました。
主に燻製や塩漬けの魚です。
「ラス&ドーターズ」の初代オーナー、ポーランド移民のジョエル・ラスもロウアー・イースト・サイドの路上で商売を始めたひとりです。
まずキノコを肩に乗せて売り、手押し車でニシンの酢漬けを売り始めました。
彼の屋台はものすごく人気があったため、1914年に店を開くことができたのですね。
ここも家族経営です。


「カッツデリ」の創業は1888年です。
ここの名物は、伝統的なライ麦パンに山盛りに盛られた熱々のパストラミ、コンビーフ、ブリスケットです。
「カッツデリ」のシステムで面白いのは、市内の他のデリとは異なり、入場時に渡されるチケットから始まります。
1930年代の遊園地チケットのように見えるこのチケット、ルールは失くさないことです。
このチケットをお店の人に見せることによって、ウェイターから肉をスライスする人、料理人が何をオーダーしたか確かめます。
チケットを紛失すると50$の罰金です(笑)




19世紀後半~20世紀初頭にかけて、200万人以上のユダヤ人移民がニューヨークに到着し、そのほとんどがマンハッタンのこの小さな一角ロウアー・イースト・サイドに住んでました。
そこには何百もの手押し車の行商、工場、劇場、長屋などがあり、英語よりもユダヤ語とも称される東欧ユダヤ人の間で話されていたドイツ語に近い言葉「イディッシュ語」が話される世界でした。
しかし、今やいくつかのお店を除いて、ほとんどは消滅してしまったらしいです。
19世紀末のロウアー・イースト・サイド ユダヤ人地区にある魚市場
New York City Ghetto Fish market 1903





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Last updated  Feb 19, 2024 05:15:19 AM
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Re:19世紀のローワー イースト サイド(02/19)  
ローワー・イースト・サイド テネメント・ミュージアムの内部を見ると、そんなにひどいものではないですね。
これだけの部屋ならちっぱなものですが、10人家族じゃ狭いですね。

住まいは文化ですが、本当に酷いところに住む人たちはまだまだ世界に大勢いますね。
日本の家に住めるのは、幸せな方ですね。 (Feb 19, 2024 06:27:59 AM)

Re:19世紀のローワー イースト サイド(02/19)  
marnon1104  さん
今日のブログを読ませて頂きますと
いかにアメリカと云う国が
多民族国家で成り立っているかが分かりました。
迫害から逃れてアメリカへ渡って来た人々、
貧困から少しでも生きていく為に蜜入国する人々
とにかくアメリカは19世紀初頭から今に至るまで
多くの問題を抱えているのですね。
(Feb 19, 2024 07:57:35 AM)

Re:19世紀のローワー イースト サイド(02/19)  
danmama313  さん
私も大好きなマーティン・スコセッシ監督、全て見ています。(^-^)

アイルアンドでジャガイモの不作がなかったらアメリカに渡る事はなかったのでは?
我が菜園で冬を越せるだけのジャガイモが採れているうちは「大丈夫!」
と、ツレと冗談を言い合っています。

アイリッシュ系、イタリア系、ユダヤ系、南米系、多民族の国「アメリカ」
いろんな価値観がぶつかりながらも新しい事にチャレンジ出来る土壌を育ててきたのですから凄いです。 (Feb 19, 2024 10:14:58 AM)

Re:19世紀のローワー イースト サイド(02/19)  
宗教上の理由で食べ物が制限されるのは不便ですね???( ゚Д゚) (Feb 19, 2024 03:49:14 PM)

Re:19世紀のローワー イースト サイド(02/19)  
空夢zone  さん
しっかりと最初から最後まで観たっていう映画ではないですが、名前も映画の題も聞いたことがあります。
とっても面白かったような映画ですね。

昔はほとんどインディアンだけが住んでいたアメリカですが、それから移民の人達が入ってきて、ほぼ大勢の人達が移民ですね。 (Feb 19, 2024 04:57:16 PM)

Re:19世紀のローワー イースト サイド(02/19)  
あきても  さん
最初の移民はアメリカ人ですよね・・
今戦争してる人達と重なって読ませてもらいました・・--

ミミちゃん、チャッピ君 電車 早いでしょう^^ (Feb 19, 2024 05:32:12 PM)

Re:19世紀のローワー イースト サイド(02/19)  
moto,jc  さん
おはようございます

あまりおいしそうに見えないサンドイッチですね (Feb 19, 2024 10:13:33 PM)

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