まい ふぁーざー

taitoru

地元の子どもセンター情報誌に倒れる前の日に原稿を提出し、掲載された亡き父の文章です。


<何でこんなに可愛いのかよ>大泉さんが唄う「孫」の出だしの一節ですが、この歌が、全国的にヒットした理由は、私なりに理解することが出来ますし、共鳴するところが大いにあります。
現在私の孫は、T市に男の子二人、K町に男の子一人、おります。本当に、孫は、目の中へ入れても痛くはないのではないか、と思えるほどです。


 「じいちゃん」の声を聞いただけで、心が癒されるような気がします。
娘からは、おもちゃは、家に充分あるから買わないで、と言われ「おお、わかった」とその場は同調しておきますが、「 いつき 、ジャスコへ散歩しやへんか」と言うと「行く、行く」とついてきます。
「樹、何か買ったろか」「何もいらないよ」との返事。
しかし、何か買ってやりたい、じいちゃんの気持ち、「これは、良いぞ」「いらない」そんなこと言わないで、ほしいもの言えよ。


 子育ての重要な部分に、物を与え過ぎない、古いものを大切にし、子どもがほしい物があっても、サンタさんがプレゼントしてくれるまで、我慢させることが、物を大切にしたり、耐性、我慢力をつけるために、大変必要なことであると、私も現職の頃は、話をしてきたものです。
何たることか「孫」の姿を見たとたん、教育的思考は、どこかに飛んでいってしまうのです。
実はK町のじいちゃんも私に輪をかけた孫ぼんのうのようで、孫はじいちゃんの後を追いかけているようです。


 考えて見ると、親は子育て、仕事で一生懸命。祖父母の無償の愛との組み合わせで心豊かな子どもが育つのかもしれない。
私は、自分の子どもを育てていた頃は、仕事、男は仕事と母親任せの子育てでした。
「孫」の歌詞の二番に「子どもにしてやれなかったことを今は孫に返しているところ」の意味のところがありますが、この部分がカセットから流れてくると、なぜか私の目から涙が落ちてくるのです。


 K町に嫁いだ娘は、今、大きな腹をかかえております。
出産予定日は、二月十日だそうです。両家にとって、女の子は、はじめてです。
じいちゃん、ばあちゃんの今後を思いやられます。





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