全16件 (16件中 1-16件目)
1
池上永一さんなら、きっと小説書ける?に沖縄独立論ってのが出てきます。独立戦争は無しでね。無血独立。無理?いえいえマルタ島のを例に出しています。可能だと思います。沖縄の方々が可能だと心底思えばね。という論調です。沖縄が独立したら日本はどうするんでしょうね。日米安保条約ゆえに大量にある在日米軍基地沖縄にたくさんあるわけですから。SF的に語るならばもし、武力が無力にできたならアメリカはどう体制を維持するのでしょうか。武力で維持し続ける平和に矛盾を感じる私です。地元の30数名を嘆く一方自国の介入した他国では毎日多数死んでいく・・・遠い地の死者は遠い・・・武器は生命を奪う・・・
Apr 17, 2007
そして、沖縄に興味のある方なら既に読まれたかもしれないけれど、でも、境界人に興味ある方なら...日本って結構文化違うんですよ。日本の中でも転居すると色々違うんですよ。今ならさしずめゴミの分別の仕方なんて典型的だけれどこれは役所に行けばわかる、でしょ。意外と判らないのがお葬式の風習...なんてことは書いてありません。著者が小学生の頃両親が沖縄出身だということを知らされていなくてお弁当の中身で級友と異なり違和感を抱いてそれから親戚が訪ねてきた時に英語で書かれたおみやげだったからハワイからやってきたのだと思い自分に沖縄の血が流れていると知ってから在日朝鮮人や差別されている側と仲良くなる...この違和感の持ちようすごぉく判るpomboなのです。日本で差別されている(いた)色々な立場の中で唯一、女性だということと最近なら年齢?かな。あとは差別される要素、ないのですけれどでも、実際にはある...転居の度に感じている...まぁ異文化体験よくあるのは嫁姑なのでしょうか...そう、家族ですらたった2家族の出会いですら夫婦間で、嫁姑間で色々違うと、もめるんですね...なんてことも書いてありません。もっと面白いです。私が今これ書いていてnegativeになっていくのと異なってもっとpositiveですから。ここに取り上げた私が一番面白かった第8章の話題ですらちゃんと声を出して笑えます...と思います...異文化体験ある方なら笑えます。この前の作品がの次が 後の作品が
May 25, 2006
ころりんさんhttp://plaza.rakuten.co.jp/turedurekorollin/に薦められていたCD数日前に届いていたのですが暇がなくてやっと先ほど...すばらしい...良い音楽を耳にした時にぞくぞくってしません?あれでした。特に涙そうそう...そして初めて耳にした「千の風になって」の歌詞「私のお墓の前で泣かないでください。そこには私はいません、死んでなんかいません千の風に、千の風になってあの大きな空を吹きわたっています」お墓ではないけれど、平和祈念資料館http://www.peace-museum.pref.okinawa.jp/の外に海に面してずらりと並ぶ平和の礎の空と風を思い浮かべました。声にメロディに歌詞に鳥肌が立つ...実は購入したのは、CDタイトルが私の好きな言葉「命どぅ宝」しかもサブタイトルが「沖縄の心 平和への祈り」そして沖縄の歌が多いから...それに私が若い頃に耳にした反戦歌がいくつか入っていたから...それだけだったんです。だってファンの方には申し訳ないですけれど新垣勉さんってころりんさんが書かれるまで知らなかったから...つまり、どんな声なのかどんな歌い方なのか知らないまま...うわっ今も聴いていますがぞくぞくしっぱなし...ほんといいですよぉ。クラシック調の沖縄朗々と歌い上げている...
Mar 31, 2006
一万円札を出して、五千円のおつりをもらう状況だった。店員さんが「すみませんねぇ」と言うので何事かと...「二千円札が入るんです」そりゃ千円札5枚と思っていて4枚しかもらわなければ変な気分になる...というのが変なんだろうけれど。おつりに貰った二千円札取ってあります。なんとなく。初めてお目にかかったわけではないのに。初めてお目にかかったのは発行開始された翌日ぐらいだったんです。それもまとめて3枚も。もちろん新券でした。1枚は取っておこうと思って、直後の買い物で早速1枚は使ったんです。きょとんとされて。一瞬じぃっと見られて、あの間が変な気分でだからもう1枚使うまで一月ぐらい待ちました。その頃だったら流通していて変な間がなくなるだろうと。そこでもレジで一瞬の間。変な気分。その後...流通していないんですよね。おつりで受け取ったのも2度しかなくて...私も最初の1枚そして先月の1枚あわせて2枚保存していますがでも新券最近のは保存していない。どこに違いがあるか...最近のは、ホログラムが入っていてなんだかおもちゃみたいなんだもん。それに比べてあの幻に近くなってしまった二千円札美しいんです。絵もデザインも。流通しないのはなぜ?美しすぎるから?先月実家で今までの旧札を見ました。父が取ってあるもの。百円札五百円札聖徳太子の五千円札と一万円札美しい...芸術だと感じました。インターネットでも映像は見られるのですが実際に手にしてみると本当に芸術作品。あの芸術作品が貨幣価値を持って流通していたのって良い時代だった...のかも。今の新券とは感覚が異なります。今流通している筈のお札の中でたぶん二千円札のみが過去のお札の芸術性を保っているように感じます。大きさがまぎらわしいから?千円札や五千円札と間違えやすいから?美しすぎるから?二千円札私みたいに数枚は保存していらっしゃる方もとは思うのですがどうして流通しないの?どこで滞っているの?「すみません」という言葉無しに流通するようになるにはどこががんばればいいの?個人?商店?銀行?沖縄?それとも現金を扱う機械を作っている会社?
May 6, 2005
本日の1冊のテーマで私、今まで18回書いているんですね。読んだ本、色々とあってできるだけその本の表紙だけでも見ていただこうと本日の1冊に取り上げなかったけれどもトップの右横に並べた読書記録の方にも表紙の写真をリンクしようと楽天ブックスから写真を取り込んでいてでもね、私の読んだ本私の選ぶ本ってどうもマイナーらしくて半数ほどは表紙写真、入手できませんでした。このコーナーを作り出してから私にとってはとても面白かった本っていくつもありましたし中には数日分の日記を書いた:テレザHARRY POTTER 5 ORDER OF THE PHOENIX都市と日本人疫病は警告する環境考古学への招待ミン妃暗殺チャングムなどもありましたが、一番上にある風車祭りーカジマヤーもかなり気に入った小説でした。その頃は犬A君にとことん苦労させられていたから読書日記なぞ書く余裕がなかったのですが偶然入った銀座わしたで分厚いというだけでつまり、長時間楽しめそうだというだけで購入した本でした。沖縄のファンタジー。沖縄にまだ行く前でしたけれども沖縄の風を感じる小説でした。著者の池上永一さん石垣島の出身だそうで、半年ほど前にネットで調べた時には那覇在住ってなっていたのでそしてその後の他の小説も大半が沖縄を舞台としていたのでてっきり沖縄に住んでらっしゃるって思っていました。彼のエッセーが埼玉新聞に掲載されているのですが昨日のになななんと彼は現在埼玉に住んでる!埼玉ってね海が遠いんです。埼玉に住むまで私海から遠い所ってほとんど住んだことなかったから海が恋しくなることもあってだから石垣島出身で埼玉に住めるなんて驚きです。沖縄病ではないけれど沖縄が恋しくはなる私埼玉にいても沖縄を舞台にして書ける著者そんな池上さんが同じ埼玉にいらっしゃるなんてなんとなくいいなぁなんて思う少しミーハーな私でした。***************埼玉新聞のエッセー一部転記しておきます。*************** 僕の生まれた島は、雲が生まれる場所だ。見ているそばから次々と雲が沸き立ってくる。その様は雄大で空に交響曲が流れているように感じられる。僕は今まで無意識のうちに雲の沸き立つ様をメロディーに換えて散歩していたのだった。 後で知ったことだったが、現在、僕の住んでいる埼玉県は、日本一快晴率の高い県なのだそうだ。いわゆる雲のない空が年間六十日ある。つまり無音状態の日だ。 埼玉新聞2005.5.1掲載 池上永一 月動説 「五月晴れ」 より***************
Apr 28, 2005
3月28日一年程前に初めて沖縄に行った時、毎日ブルーシールのアイスクリームを食べ毎日あちこち観光し回りこちらでは入手し難い沖縄地域限定発売の食品を買いだめし私のことですから当然、書店にも行きました。書籍もねこちらでは入手し難いものってあるんですよね。何冊も買ってきた内これで最後かな、本がB5サイズなので寝そべって読書の私には都合が悪くて後回しになっていたのが、沖縄でのみ使用されるらしい「高等学校 琉球・沖縄史」うん、教科書だから真面目よ。でも高校生用のだから小難しくはない。先史時代から現代までが網羅されています。沖縄に住む高校生なら常識の内容なのかも。でも、こちらに住んでいると知らないことばかりでした。その中に囲みで掲載されていたのが、これ。偶然にも今日読んだんです。3月28日。60年前の、沖縄、慶良間諸島でのこと...長いのですが孫引きになるのですが、打ち写します。******************** 三月二十八日という、わたしの生涯でもっとも長く、暗い日がやってきた。この日にどんな惨事がおこるかは、誰にも予想がつかなかったのである。一千名近くの住民が、一カ所に集められた。軍からの命令を待ったのである。(中略)死刑囚が死刑執行の時を、不安と恐怖のうちに待つかのように、私共も自決命令を待った。いよいよ軍から命令が出たとの情報が伝えられた。配られた手榴弾で家族同士が輪になって自決が行われたのである。しかし、手榴弾の発火が少なかった為、死傷者は少数に留まった。けれども不幸にしてその結末はより恐ろしい惨事を招いたのである。(中略)夫が妻を親がわが子を兄弟が姉妹を、鎌や剃刀でけい動脈や手首を切ったり、こん棒や石で頭部を叩いたり、紐で首を絞めるなど、考えられるあらゆる方法で、愛する者達の尊い命を断っていったのである。文字通りの阿鼻地獄であった。(中略) 兄と私も幼い弟妹達の最後を、見届けてやらねばならなかった。愛するが故に彼らを放置することができなかったのである。私の年齢は十六と一ヶ月だった。私共兄弟二人が、自分達を産んでくれた母親に手をかけねばならなくなった時、私は生まれて初めて悲痛の余り号泣した。愛するが故に殺さなければならない、という残酷物語が現実のものとなったのである。父は離ればなれになって死んだ。 当時の精神状況からして、愛する者を生かしておくということは、彼らを敵の手に委ねて斬殺させることを意味したのである。従って自らの手で愛する者の命を断つ事は、狂った形においてではあるが、唯一残された愛情の表現だったのである。(中略) 敵の所在もわからず、ただ足の向くまま前進した。皮肉なことに私共が最初に出会ったのは、米軍ではなく全滅したと思った日本軍だった。その時の衝撃は計り知れないものがあった。「何故自分達だけが、こんなむごい目に合わなければならないのだ」と、腹の底から憤りと不信感とが込み上げてくるのを禁じ得なかった。金城重明著『軍国主義的皇民化教育の末路としての」集団自決」』より抜粋され「高等学校琉球・沖縄史」に掲載されているものを転記しました。(中略)とあるのは、私ではなく教科書がしたものです。********************60年前、沖縄であったこと...二度と、どこででもあってほしくないこと。今日の日記は出だしでは無関係ののほほん話題にしてありますからねとうよさん達がいらっしゃるとは思っておりませんがそれでも中にはこの3/28を知っていてタイトルからいらっしゃる?ここまで読んで、ねとうよさん達はどう思うのでしょうか。以前、私が徴兵制が復活する可能性があるのでは、と、元自衛隊幕僚長の発言を転記した時にこれからの戦闘ではプロフェッショナルが戦うから素人は邪魔だから徴兵制はあり得ないとの主旨でコメントなさった方々...その説でなら、この60年前のような事は起こりえないのでしょうか。ここで集団死させられた人達は徴兵されてはいなかったけれど戦場になる地域だったから集団死を選ばせられた...たとえ徴兵されなくとも戦争って民間人を巻き込むのでは?やはり戦争は防いでほしいねとうよさん達は戦争を防ぐ為に軍備をという主張だそうですが決して戦争を望んでいるのではないそうですが軍備すれば余計に他国は疑心暗鬼になる持っていなければ使わないそういう発想をねとうよさん達は受け入れないそうですがでも私はやはりガンジー路線で行きます。生きます。攻撃的なねとうよさん達あるいは執拗なねとうよさん達のコメントでしたら削除いたしますので前もってこの旨記述しておきます。
Mar 28, 2005
あなたにとって大切なものは何でしょうか。こどもが幼稚園の時、先生が言った。「家に帰ってお父さんやお母さんに尋ねてごらんなさい。『一番大切なのはなぁに?』ってねきっと『あなた達だ』って答えてくださいますよ」って。そして、たしかに家のこども帰宅後その質問をした。私、答えた。「あなたよ」ってね。でもね、その後の保護者会で先生、苦笑していた。親たちの中に結構、家お金宝石妻夫仕事色々な答えがあったらしいの。翌日登園したこども達の中には決して明るい、嬉しい顔ではなく沈んだり怒った表情があったそうな。でもね、そういう質問するってこと前もって教えて頂かないと大人になると目の前身の回りにある大事なものが口をついて出てきてしまうってのも仕方ない.....でしょ。それで、もう一度質問しますね。みなさん、みなさんにとって一番大切なものはなんですか?孫?こども?親?妻?夫?自分?ペット?上の5点に共通するものは?生命。沖縄語に「ぬちどぅたから」って言葉があります。沖縄の入門書によく書いてある言葉。「生命こそ宝」この言葉がいつからあったのかは知りません。あの激しかった沖縄戦以降より大切にされた言葉だとは思います。今日購入した書籍ずぅっと黒字で書いてあって終わりに近くなって黒字で「人のいのちが世の中で一番たいせつだと、今までおそわってきたのは間違いになりました」そして突然赤い字になりました。赤い字で書かれていたのは「一番たいせつなのは、『国』になったのです」と。この言葉に納得できる方にも納得できない方にもこの書をお薦めします。たったの630円。たったの48ページ。末尾の黄色いページには関連法が掲載されていますが最初の31ページは絵本です。各ページ下部には英訳も付いています。マガジンハウス社りぼん・ぷろじぇくと編「戦争のつくりかたWHAT HAPPENS BEFORE WAR?」です。
Sep 1, 2004
沖縄にいるんだそうです。沖縄の大学敷地内に米軍ヘリが墜落した件で沖国ヘリ墜落事件情報ネットワークhttp://www.okiuwebnet.com/syamaguchi/network/jhome.htmlというのがあります。ここは日本?と思いたくなる事故現場写真や関連リンクがいくつも掲載されています。沖縄は平和な所だった筈です。竜宮城はここだったのかも西方浄土はここだったのかも南の国の楽園。もともと地理的にあちらこちらの文化を受け入れてきたチャンプルー文化の沖縄が地球規模の歴史と政治の渦に巻き込まれて第二次世界大戦の末期本土ではあまり知られていない激しい沖縄戦を経て、ベトナム戦争やイデオロギーの異なる近隣諸国に対するため本土に復帰しても米軍基地を多く受け入れていて。今回の事故も普天間基地の代替案が了承されないからと市街地の中央に基地があったから大学敷地内に落ちてしまったということなのでしょう。普天間基地の代替地は同じ沖縄県内珊瑚礁の保護されている所だったし。だからいつまでも移転できなくて。ベトナム戦争が終わって冷戦が終わってでも話し合いでの解決が望めない軍備あっての国際政治ということで米軍基地が減らせないとするならば(今日の昼のニュースに拠るとこの件の日米会談がワシントンであったそうですが)本土の各地でどこも引き受けたがらなくて結局地理的に政治的に基地の多くが沖縄にあって、沖縄にしわ寄せがきていて米軍の傘の下という日本の平和は沖縄県の沖縄県民の犠牲の上にあって幸いにも死者は出なかったとはいえ今回の事故沖縄でほどの関心は本土で示されていないんですね。マスコミも......沖縄戦の時のようにそして今までのようにオリンピックと重なったからかもしれないけれど......犬A君は父親から離れて基地の少ない本土にいてしあわせなのでしょう、ね。沖縄にもたくさんいる犬さん達耳が良いから、辛いのでしょうか。あのジェット騒音。それとも慣れてしまうのでしょうか。犬A君、ここ埼玉であんな音聞いたらきっと怯えてXXXしちゃうよね。
Aug 28, 2004
ただいま!夕方、帰ってきました。早速おばちゃんハムスターを出してやり荷物の整理をしてたまっていた洗濯物を洗濯機に。今、2度目の洗濯最中です。もう少しして家族が帰宅したら那覇空港で購入した空弁を食べます。今日はこんなところ。心身共に少しリフレッシュした感じです。行きは5kgぐらいのかばんが12kgになりました。たいして買った覚えはないんだけど。体重は変化していませんでした。つまり食べ過ぎもしていなかったのね。かなり食べたんだけど。明日から少しずつ空いている日の部分に書いていきます。
Apr 16, 2004
今まで3回書いてきて書き残した雑記です。旅費宿泊費を別にして、沖縄県内での交通費・食費・書籍購入費・おみやげ・雑費で5万円以上使いましたが、たぶん、私は使っていない方ですよね。でも、一日1万円。中国、日本、そしてインドネシアの影響を受けた文化例えば、チャンプルーはインドネシア語とほぼ同じですしね。だから、漢字で書いてある地名が、日本語の感じの読み方で行くと、かなり難しいの。旧海軍司令壕のある小禄をおろくと読むのは、まだ簡単でも、また、読谷や嘉手納、宜野湾はニュースでも時々出るからよみたん、かでな、ぎのわんって読めるけれど、今帰仁や、東風平、南風原、北谷、玉城、金武になるとなきじん、こちんだ、はえばる、ちゃたん、たまぐすく、きんって読むのは難易度が高い。金武を、考えたあげくに、こんぶと読んでいた私、飛行機の中の半分ほどは沖縄の方だったでしょうからさぞかし噴飯物だったかも。方々の屋根や門の上に、あるいは大きな道の始まりと終わりにペアでいる、雌雄のシーサーもアジア文化圏あちこちのと同じですし、このシーサー、ほんと、あちこちあふれていました。ライオンという説も、架空の動物とも言われている守り神、こんなに愛されているのも珍しいですよね。おみやげ店でも、焼き物店でも、大小、ポーズ、材質、色とりどり。そして、石がん頭(がんの字、出ません)中国のお坊さんの名前が起源らしいのですが、この魔除けもあちこちにあふれていました。古い町並みのみならず、新しい建物にもほとんど必ず。アメリカン・ヴィレッジでは沖縄女性の早婚にも納得できました。潮風が吹いて涼しい夕方道路も町並みも広々としたアメリカ風の町並みに女子高校生が制服のまま集団でタクシーで乗り付ける。プリクラ撮ったり、アイスクリーム手に、そぞろ歩き。当然、ナンパ組の若い日本人男性も多数いるわけで。来世への旅にと海に向かって備えられている本土とは比べ物にならない大きな、家のようなお墓。大きな建物の多くが、外側にコンクリを網状にしてあって日陰を作り、風通しをよくしてある。県営住宅も同じ造りで、暑い南米と同じ発想。ハワイのアロハシャツの元は日本の和服だそうですから逆輸入なのかもしれませんが、人なつこい、営業熱心なタクシーの運転手さん達のアロハシャツがこれまた風景と気候に合っている。米軍基地が今でもたくさんある沖縄県だからこそ見られたFENのTVで、ブッシュの演説を聴いていたせいか本土にいるときには感じない米軍に対する配慮を感じさせられたり、その米軍が沖縄戦でがまに投げ込んだ「(毒)ガス」は催涙ガスだということ、ひめゆりの資料館の英語説明ではじめてわかったけれど当時は毒ガスだと怯えていたのも、知識を統制されていたからですし、聞いたことはあるけれど、ひめゆりの所で初めて見た、戦中の小学校算数の教科書数え方には戦車や兵隊の絵が使われているのは今の北朝鮮のファシズム下の思想統制と同じだったわけで。沖縄戦末期日本軍は、兵士には「死ぬまで戦え」女学生には「自由行動を」そして、教師は女学生に「早まるな、生き延びろ」と。軍と教師の正反対の発言にもしかしたら最近のイラクへの自衛隊派遣に関しての政府と教師多数の発言の差と同じ物を感じたり。路線バスの中でウイスキーの小瓶をぐい飲みし、アルコールの臭いをまき散らしていた、私とほぼ同年代らしい元米兵らしい中年白人男性に「兵隊くずれ」という言葉を思い浮かべたり、人口より多いかもしれない車は本土に比べると小型車が多くて一人二人が乗って移動する以上環境にはこの方が良いに決まっていると思ったり、青いと言うより水色、アクアマリンの海、透き通った水、白く細かい砂、服や髪、肌がべたべたになる潮の香の風、はなやかな色をした魚、澄んだ高い声の鳥、ガジュマルや椰子、ソテツ、名も知らぬ美しい樹木の緑、真っ赤なハイビスカスやデイゴの花、ずらりと並んだ死者の名を記した平和祈念公園の平和の礎付近で無邪気に遊ぶ幼い子達集合写真を撮影している修学旅行の中高生デートの若者達、ほぼ59年前の戦争の犠牲者達の上にある今の平和。静かで穏やかな風景その先にある東シナ海の青い海に飛び込んでいった崖に白く美しくくだける波。夕暮れ、涼しくなった頃店を閉め始めていたやたらと猫の多い、やちむん通り、表参道や六本木の裏通りに似た風情の散策にはもってこいのカーブの多い石畳の静かな通り。本土で旅行しても日常生活と対して差が無く同じレベルの感動しかしないのに、海外に旅行や滞在した時の様に感動し、色々と考えさせられた5日間でした。沖縄を去る頃には着いた時、那覇空港を出た直後に感動していたのと同じ風景を見ても見慣れてしまって感動しなくなっている自分に気付きました。道や店がわからない時に、とても丁寧に教えてくださったりとても親切で限りなくと思える程優しい暖かい方々の多かった沖縄。国仲涼子さんが沖縄観光のCMで言ってる日本語の通じる外国ってのは、ホントでした。ありがとう。
Apr 15, 2004
ひめゆり平和祈念資料館や平和祈念公園と摩文仁の丘って割と良く知られていると思います。大半の観光客は那覇のホテルに宿泊すると思います。那覇からは一番近いのに上記二つより知られていないらしい戦争関連のものがあるんです。これ、観光ガイドブックには載っているんですが、あまり訪ねられていない。いえ、それなりにビジターはいるんですが、上記二つに比べると雲泥の差。たぶん、名称ゆえに平和視点からは訪ねづらいのでしょうか。旧海軍指令部壕。(http://www.ocvb.or.jp/)名称ゆえにか旧海軍関係者らしき方々もビジターにいらしたようです。若い人はほとんどいませんでした。それでもホテルのフロントで教えてもらった路線バスに乗って那覇から15分くらい。近いんですよ。ただ、バス停の名前にもこの名称は使われていないし、バス降りてからも一応矢印はあるのですが、この矢印通りに行くと、えっ、ほんとにここでいいの?って感じで、一般住宅街を通って行くんですね。それはそれで、普通の沖縄の人々の暮らしって感じもするんですが、なにしろバス降りてから徒歩10分とあるのですが、その徒歩が上り坂、やっと上り終えてもう8分ぐらいたっていたからそろそろだって思いたくなるでしょ。ところが上りきると今度は目の前に下り坂がある!しかも下り坂の下の方のどこを探しても一向にそれらしきものが無い!とりあえず坂を下ったわけ。坂を下ったら矢印があるはず。けれど無い。目の前にその名称と同じ公園はあるのよ。でも、公園の中にも何も見えない。公園とは90度ずれた方向にも公園みたいなのがあって、そこも階段を上っていくしかない。その階段の途中には沖縄に来てから見慣れてきた沖縄独特のお墓があるの。いくら旧海軍関連だって、ここにお墓は造らないだろうと、思うし、せっかく徒歩10分ってのを15分かけて一山上って下ってまた、その公園の階段を上るのは体力的にためらいもあったのね。丁度その時駐車場に入って来た車から太い眉毛、大きな目陽に焼けた肌、背の低いいかにも地元の青年が降りてきたので尋ねてみたら「こっちからもこっちからもどっちからも行けますよ。こっちの方が近いかな、たぶん。」「ありがとうございます。」お礼は言ったものの解決してない!たぶん近いらしい上る方を選択していて正解でした。もう一方は、出口でしたから。旧海軍司令部壕そのものは有料。大人420円。その横の資料館は、無料。資料館には、当時の写真多数と当時の作文や記録が印字されて大きなファイルに入り、読みやすくなっていました。生々しい声の数々の記録。15分の上り下り、また上りで地元の風景を見てきただけにこの想像力が衰えてきた年齢でも当時の悲惨な状況が読み取れました。壕の中は、資料館で知識を得てからだとよりわかりやすくまた、自決前に司令官が軍宛の電信に残した「県民ニ対シ後世特別の御高配ヲ賜ランコトヲ」の持つ意味がより深く感じられました。さて、次はひめゆり、平和祈念公園へ。坂を下り、市街地へ。ところが自分たちがどこにいるのかわからない。バス停も無い。食堂で道を尋ねて、方向に合わせてタクシーに乗り、あと二箇所にも行きました。この二箇所は、結構有名だから特に書くこともないんですが、たぶん滅多に誰も書かないだろうことは、これだけ有名な2箇所に行くバスが少ないこと。つまりタクシーしか無いに等しいのね。まぁ、上記の「県民ニ対シ~」を読んだ後だったからタクシー代も、観光立県に落としてもいいかって感じになってしまったんですけれど、那覇に戻るまでに6700円も使ってしまいました。沖縄県の方々、この旧海軍壕、ひめゆり、そして最後に平和祈念公園って順はすごぉく正しいと思うんですよね。でも、その間のバスが少な過ぎます。三箇所とも、上述した、生の言葉の記録集がたくさんあり、また、ひめゆりでは、生の言葉のビデオも上映されていてそれぞれとても戦争の悲惨さを語り平和を愛しむすばらしいものだと思います。じっくり読み、じっくり耳を傾けるには観光バスの慌しい行程では不可能です。ぜひ、路線バスを増やしてください。平和の価値は上っ面の観光でも、無いよりまし、でも、じっくり味わいたいと思います。
Apr 14, 2004
ブルーシールって知っていますか?沖縄限定のアイスクリームの会社。http://www.blueseal.co.jp/world.htm時々、沖縄物産展などでも売られています。でも、物産展で売られているのは、バニラ、ストロベリー、チョコ、シークァーサー、サトウキビぐらいなのね。だから、沖縄に行ったら、ともかくできるだけいろんな種類を食べてこようと思っていました。5日間の滞在中、沖縄独特の料理(素材)で食べなかったのは宮廷料理と、いらぶ(海蛇)だけ。いらぶを食べなかったのは食べたくなかったからではなく食べる機会が無かったからで、宮廷料理も同じ理由。他は、食べまくりました。順不同でポーク(豚肉には違いありませんが、豚肉全般ではなく、缶詰のね)ぐるくん(沖縄県の魚)押し寿司三枚肉ソーキ油味噌アーサー汁ティビチミミガーソーミンチャンプルーパパイヤチャンプルー沖縄そばジューシータコライス紅芋沖縄みかんA&W(沖縄限定?のハンバーガー店)さんぴん茶ラフティシークァーサージュースサーターアンダギーもずく(どこにでもあるけれど、本場のを本場でね)あと、ブラジル料理とメキシコ料理も。朝はホテルでバイキングこの朝食と、うどん、サンドイッチ各一回を除いて、昼と夜で上記全てを食べてきました。アイスクリームの方は最初は、シングルを食べていたのですがこれじゃ制覇できないと、途中からダブルにして全部で8種類食べました。ウベ、マンゴー、マンゴタンゴ、抹茶ストロベリーチーズ、紅芋、ライム、レインボー上は半そでTシャツ1枚、下はジーンズで過ごした5日間、気温は連日27度前後、周囲が海だからなのか風が吹いているし湿度は低い感じでべたつかない暑さなので、耐えられました。それに、日陰に入ればひんやり。関東から行ったから暑いと感じたのかもしれません。地元の人は、結構長袖が多かったし当然冬服の中高校生たちの中にはセーターを着ている人も少なからずいました。ただ、27度じゃ、バスはクーラー入れないのね。窓を開け放っていて。都会育ちの私にはちょっと昔の感じ。でも、この方が、環境には優しいしたぶん健康にもよいはず。んで、浜松町から乗ったJR東京も今年一番の暑さだったとはいえいクーラー、がんがん寒いくらいでした。これって、健康にも環境にも良くないよねぇ。それに、東京でクーラー付けすぎると埼玉はそのせいで暑く、いえ、熱くなるんだからね!
Apr 13, 2004
旅発つ前、もしかして言葉が通じなかったらどうしようって、沖縄語を残す研究会のHPで沖縄語を聞いてから心配していたのに、ほとんど通じました。ってことは沖縄本来の言葉はどこに行ってしまったのでしょう。平和祈念館(http://www.peace-museum.pref.okinawa.jp/)に展示されていた方言札、方言を使ったら見せしめみたいな罰で首からぶらさげられていたから(これは、沖縄に限らずあちこちで行われていたそうですが)それとマスメディアの発達で独自の言葉は失われてしまったのでしょうか。めんそーれ(いらっしゃい)はいさい、はいたい(こんにちわ)耳にしたのはそれぞれたった一度でした。それも、沖縄文化を売りにしている沖縄ワールド(http://www.gyokusendo.co.jp)のエイサー群舞での挨拶でだけでしたから、日常では耳にしませんでした。書いてはあるのよ。空港にもホテルのエントランスにもね。でも、言わない。聞かない。そしてほんとにわからなかったのは牧志公設市場近くの果物の屋台でおばぁどうしが話していたのを耳にした時だけ。ほんとに通じなかったのはタクシーに乗って「AからBまではいくらですか?もしBを通り越してCまで行ったらいくらですか?」のこちらの問い、3度しても埒あかなかったから、諦めてしまった時くらいでした。こちらの問いを理解してもらえず、タクシーの運転手さんの言葉も肝心なところが聞き取れずでした。でも、それ一度だけ。TVちゅらさんで、あんなに耳にしていて心地良くてでもそんなイントネーションですらほとんどないのね。国際通りのレストランやみやげ物店ほとんど標準語。これじゃ銀座や新宿と変わりないじゃないの。旅行した時にその地の言葉を耳にしたいって思うのは私だけなのかなぁ。でも、標準語って習うらしいからそうすると国際通りの方々ってみんな自分の家に帰ったら(たぶん、日本各地に通じる範囲に縮小されていたと思う)ちゅらさん並みの沖縄語はしゃべっているのかしら。沖縄語って言えば、♪でいごの花が咲き♪って歌、あるでしょ。あの中に♪う~じの森であなたと出会い♪ってあって、あのう~じって、サトウキビなんですが、ちゅら海水族館(http://www.kaiyouhaku.com)で面白いことみつけてしまいました。うつぼのこと、沖縄語でう~じって言うんです。うつぼの森でとサトウキビの森でじゃ全然意味が違ってしまいますよね。でも、あのうつぼきれいでした。ピンク色していてね。あと、沖縄語ではないけれど、言葉といえば沖縄だから米軍基地がいっぱいあるから英語が多いんだろうって思っていたらぜんぜ~ん。むしろ外国語ときたら圧倒的に台湾の中国語でした。方々の説明や案内、中国語で書いてあったり放送していました。ひめゆり平和祈念資料館(http://www.himeyuri.or.jp)では知人に韓国語で説明している女性がいらっしゃいました。私の乏しい韓国語でも彼女が一生懸命悲惨だった状況を説明しているらしいってことぐらいは理解できました。彼女が戦争中どういう立場の方だったのかちょっと気になっています。まさか、尋ねるのもね。留学生? 日本に自主労働に来た人の家族?日本に強制労働で連れてこられた人?「とっても可愛そうだった」って説明していたんですけどね。英語の方は、嫌になっちゃう。あの、お台場のゆりかもめのアナウンスご存知の方ならお分かりだと思いますけれど、あれと同じ。もしかしたら、同じ人が言ってるのかと思うゆいレールのアナウンス。ゆりかもめに乗る旅に思うこと耳について離れないあの発音next station is の next x と tがしっかり日本語になっている。日本の首都のゆりかもめ、米軍の多いかつては米国の占領下にあった沖縄のゆいレール、どうしてそういう所でネクストと「ク」と「ト」という日本語発音になるのでしょうか。
Apr 12, 2004
昨晩、沖縄に行く前に沖縄のことを少しは学習しようとあちこちのサイトに行きました。少~しは分かったつもり。あとは一緒に行くAさんに任せっきりでどうにかなるだろうなんて思っていたんですが、最後に接続したサイト、沖縄語のサイトだったんです。ここ、方言研究のためにどんどん標準語化してしまう貴重な方言を残す活動をしてらっしゃるところらしいのですが、音声が入っているとのことでしたから聞いてみました。そのままひらがなでも書いてあるのですが、わからない。ともかくわからない。聞いている内になんだか気分が沈んできちゃったんです。冷や汗かいていたんですね。えっ、通じるんだろうかこれって急な話で何の予備知識もないままビザ取得ぎりぎりで行った中国観光の時と同じ状態になるんじゃないだろうかってとっても不安になったみたいで。あの時は本当に苦労しましたから。何しろニーハオと謝謝しか知らないに近い状態でしたから天安門広場で、後ろに下がった時に誰かの足を踏んでしまってでも、「ごめんなさい」も言えなかったんです。しかも踏んだ相手は軍人だったし。別にどうにもならなかったけれど、ごめんなさいは必需用語!そうそう、「トイレはどこですか」は覚えて行ったんですけどね。んで、北京の一流に近いホテルのフロントですらまともに英語が通じない。結局漢字の漢文調子筆談でしたから。んで、沖縄語、「にふぇーでーびる」は知ってるけれど、やっぱり知らない「ごめんなさい」まぁ、なんとかなるだろうとは思っておりますが。*************今朝、ホテル代わりの動物病院に犬A君を連れて行きました。朝出がけにいつものXXXが出せなかったの。たぶん、状況を察知してたからだろうとは思うけれど。だから病院の診察台に乗せられて恐怖の脱糞してしまいました。初対面そうそうのそそう。獣医さんは慣れたもんでしたが。最初はぶるぶる震えていましたが、こちらと別れる時も特になんともなく、すんなりと。そうそう一週間預かっていただく間に、狂犬病と、混合ワクチンも両方しておいて頂けるそうです。また連れて行かなきゃならないと思っていたから楽になりました。家に近付くに連れて私が思ったこと「あ~あ、きっと帰ったらまたXXXされているんだろうなぁ」それから気付いたんですね。犬A君を預けた帰りなんだと。帰宅しても犬A君がいるわけないって。ははは。家が近付くと悪い予感という嫌な習慣ができているわたしでした。上の二つ、自分でも思うんですが私って悲観論者みたいよね。************でも、今朝から楽観論者になれそうな気分です。誘拐された日本人3人の件、日本政府はやっぱり見捨てたも同然でしたからアメリカが援助するって言っていたけれどトム・クランシーの小説並の特殊部隊でも出てこない限りだめなんだろうなって思っていました。昨晩のニュースでアルジャジーラが3人の家族にインタビューしたのは知っていました。CSでアルジャジーラの放送があるってことも知ってはいましたが、マンションのCSアンテナは選択制で全局が入るわけではなくここでは見られないんです。CNNは入れているんですが、アフガニスタン以降どうもアメリカよりの視点だからちょっと鼻についていたんですね。アルジャジーラでも見たらバランス取れたのかもしれませんが。今朝、(これを書いている時点では、まだ解放されたかどうか不明ですがいずれにせよ)テロリスト?の解放声明が出されているわけでそれ自体すごいなぁと思いました。アルジャジーラって、アメリカ側視点だと、まるでテロリストの報道局みたいに言われているけれどでも、中立なんですよね。たぶん。アルジャジーラの家族インタビューが効果を成したんだと思います。でもね、やっぱり問題はもっと難しいの。多数決が民主主義の基本である以上、49は51に負けるから49が反対しても51の賛成で事は進む。49が自衛隊のイラク派遣に反対していても51の賛成で派遣されるわけで派遣されれば49も力及ばなかったからテロの対象になるんですよね。国民主権国家である以上首相や与党がが独断専行的に見えた行動を取ってもその行動は49の方も51に含まれて自衛隊派遣をしたことの責任は日本人全員が取るってことになってしまうんですね。アルジャジーラの報道で心を動かされ論理を受け入れてくれた犯人達なんだか感情も論理も通じない文化圏って感じがしていましたから(こう感じることは、私がアラブ文化を知らないからなのかもしれませんが)やっぱり同じ人間なんだと楽観主義でも大丈夫かもしれないって少し、いえ、とても嬉しくなりました。論理も感情も伝わらないテロリストではなくなったんですね。でも、テロリストはいるわけで、むしろ今回のテロリストはたぶん本来のテロリスト達からみたら軟弱な存在なんでしょうね。だから、やっぱり49の方でもテロリストには狙われるんですよね。少し前までの軟弱外交と言われていた日本の外交どこに行っちゃったんでしょう。軟弱でもそれで平和ならそれが女性的だとか筋が通っていないと言われようと西欧文明の論理的な外交とは異なろうと男性文化に近い強者の論理でのアメリカ型外交と異なろうと構わないじゃないですか。
Apr 11, 2004
降ってきたのか湧いてきたのかは知らねども、突然急遽月曜日から金曜日まで旅行します。沖縄まで。私の友人Aさんの友人BさんがAさんと行く筈のをキャンセルしたんだそうでBさんのかわりにAさんと行ってきます。初めてなの。池上永一さんの小説でしか知らないの。でもあの小説は石垣島が中心だし行くのは沖縄本島だけらしいし良くわからないんだけど友人Aさんに付いていけばなんとかなりそうだから。急に旅行はなんとかなるの私は身軽よ。旦那には食費渡せばなんとかなるから。問題は犬A君。今も膝の上にいるこのA君旦那任せじゃ可愛そう連日昼間いないんじゃ犬もかわいそうだけど毎晩帰ってきてもしかしたらXXXまみれの犬A君を洗う旦那もねぇ。だから獣医さんに預けることにしました。丁度狂犬病や他の予防接種もまだだし、月曜日は朝早いから日曜日から預かってもらいます。金曜日は遅いから土曜日まで預かってもらいます。つまりほとんど一週間。はてさてどんな犬になってくるのか。さぁ、少しは準備しなきゃ。沖縄、暑いのかしらねぇ。
Apr 9, 2004
沖縄の方教えて、ください。 真偽のほどは、定かでない。だから! がひとつで?? は ふたつ。でも、中国や朝鮮半島では犬を食べるのだから沖縄でも犬を食べている?食べていた?のかもしれない、らしい?この言葉が書いてあったのは沖縄出身の池上永一の第6回日本ファンタジーノベル大賞受賞作バガージマヌパヌス (詳細は、このページの左の書評を参照下さい)。フラームン(沖縄の言葉で、馬鹿者)同士の若い娘、綾乃とオバァの オージャーガンマーの会話に出てくる話。ファンタジー小説だしフラームン同士の会話だから小説では沖縄というよりも「南の島」という表現をしているしだから本当に沖縄で犬食があったのか、あるのか不明だけど。んで、我が家の犬Aはマルチーズだから白い犬。赤くはないから、病人食にはならない。けどね、犬A君、君を抱っこしていると君のもつれた毛をほぐしていると時々私思うのよね。君の後ろ足クリスマスのトリモモと同じくらいの大きさで同じくらいの肉付きでなんとなくおいしそうってね。
Feb 15, 2004
全16件 (16件中 1-16件目)
1