家庭教育

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虐待 親子関係どう育むの~朝日新聞



 長男は1356gの未熟児で生まれてきた。保育器にいた3ヵ月間、珠恵はただの一度も、長男を抱くことはできなかった。やがて母乳も出なくなり、「産んだことさえ忘れてしまいそうだった」。一番大事な時間を失った気がした。
 家に連れて帰っても、愛着はわかなかった。泣かれると、うるさく感じた。ベビーベッドに寝かせたまま、ほったらかしにした。一方で1歳の長女は、ぜんそくの持病を抱えていた。発作をおこしては、入退院を繰り返した。手のかかる子だった。自我が芽生え始め、「イヤ」を言うようになって、珠恵の暴力が始まった。
 ご飯をこぼしたり、着替えが遅かったりすると、げんこつをふるった。泣くと「うるさい」と怒り、蹴り飛ばした。病院の看護士として。珠恵は働いていた。仕事の忙しさが暴力に拍車をかけた。時間に追われ、朝も夜も子ども達をせかした。「早うせんかい!」。そう怒鳴っては、顔や頭を叩いた。
 焼き鳥屋を営む夫とも、うまくいっていなかった。結婚直後から、夫は珠恵の下着や洋服を調べ、「これは見たことがない」と詰問した。最初は「愛されている証拠」と思った。でも、それは家庭内暴力の始まりだった。
 夫は、珠恵が働くことを嫌がった。「店を手伝えないのか」。声を上げては胸ぐらをつかみ、壁にたたきつけた。離婚したい、と思った。でも、病弱の子ども2人を抱えて仕事ができるのか。将来への不安、手のかかる子へのいらだち。追い詰められた気持ちが、すべて子ども達に向かった。
 もうひとつ、珠恵には足りないものがあった。母親に障害があり、珠恵は生まれてすぐ、施設に預けられた。高校を出るまで施設で過ごし、親と触れ合った記憶がなかった。100人が暮らす施設では、小さい時から体罰が繰り返された。「ごはんをこぼした」「食べるのが遅い」。そんな理由でたたかれ、ほうきをひざの裏にはさんで、長時間正座をさせられた。学校へ言っている間に、職員は勝手に持ち物検査をした。子どもの手紙やノートも無断で読んだ。そんな大人を珠恵は信用できなかった。
 けれども、親になった珠恵は、施設でやられたことをそのまま、自分の子ども達にしていた。親子の関係をどう結べばいいかわからなかった。3年ほど前、保育園に通う長女が頻尿になった。5分おきにトイレに行く。児童精神科医を訪ねると、「精神的なもの」と言われた。虐待したからだ、とすぐに悟った。
 長女と一緒に、精神科医に通った。そこで、自分が愛されることも愛することも知らずに育ったと気づいた。夫との生活は本当の意味で幸せでないと感じ、昨年、離婚に踏み切った。夫から解放され、心に余裕ができた。気分の浮き沈みはあっても、子どもに当たることは減ってきた。
 34歳になって初めて、珠恵は2人の子どもをかわいく感じた。「お母さんはすぐ怒るよね」「そうだよね」そんなひそひそ話をする6歳の長女と4歳の長男を、胸に抱きしめたいと思った。 


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