家庭教育

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虐待 父母へ恨み 子に発散~朝日新聞




 「お疲れ様でした」夕暮れが迫るころ。穏やかな声を同僚にかけ、和子は病院を出た。精神科で、心を病む人たちの社会復帰を手伝っている。小柄でおとなしく、職場で自分の意見を口にする方ではない。急いで向かった先は保育園だった。まだ幼い2人の息子を連れ帰った。家に着くなり、和子の表情は一変した。
 「早く着替えろ!」怒声に驚いて、長男が泣き出した。つられるように次男も声をあげた。泣き声が頭に突き刺さる。仕事で疲れているのに。体中に憎しみが充満した。体を引きずり回すようにして服を脱がせると、長男を隣の暗い部屋に押しやった。「あっちへ行け」。長男はさらに大泣きした。「ざまあみろ」。和子は快感さえ感じた。
 げんこつで頭を2、3回殴るほかは、暴力を振るうわけではない。が、言葉と態度による虐待は執拗で、いくら子どもが謝っても、おびえても許さなかった。甘えてきても無視した。
 和子の両親は、世間体ばかりを気にする人たちだった。外では穏やかな人で通っていた公務員の父は、家では酒を飲み、食卓をひっくり返した。母はいつも父をなじり、和子に向かって愚痴をぶちまけた。「家が暗いのは父のせいだ」と和子は思った。「かわいそうな母」を自分が守らなくては、母を喜ばせなくては。そう考えた。
 だが、その母からはほめられた記憶がない。母が入院した小学生のころ。一生懸命そうじをしていた和子に、帰宅した母は「やり方が足りない」というだけだった。「自分には生きる価値がない」と思い込んだ。気がつくと、感情を抑える子になっていた。
 結婚しても人の顔色ばかりが気になった。職場ではもちろん、いい妻でなければ、夫も受け入れてくれないと思った。家事や育児に協力的だった夫が数ヵ月仕事で家を空けたことがきっかけで、たまっていたものが爆発した。子どもを怒鳴り、拒絶し始めた。
 「息子をけり飛ばしたい。ナイフで刺したい。気持ちいいだろうな」そんな思いも頭をよぎった。仕事柄、虐待を受けた子が精神を病む可能性があることは知っていた。「やめなければ」と頭では思うのに、気持ちを抑えられなかった。「いい加減にしろ」と注意する夫とも、激しくけんかした。どうしていいかわからず、ただ、苦しかった。
 2年ほど前、家の中で過ごす長男を見て、はっとした。「この子、笑わなくなっている」不意に恐ろしくなった。このままでは本当にダメになる。治療の必要性を感じ、医師を訪ねた。カウンセリングを受けるうちに気がついた。「母の言うことがすべてで、母の期待に応えるように育てられていた」。親への怒りや恨みが、知らぬ間に心の奥底にたまっていた。「子どもを怒る理由は何でもよかった。怒りを発散させるきっかけがほしかっただけ」
 そんな自分でも、夫は「オマエが必要」と言ってくれた。その言葉が支えになった。ここ1年はカッとなる頻度も減った。「まだ完全に乗り越えられたわけではない。でも、家族のおかげでここまで来た」42歳を前に、和子はやっと一歩を踏み出した。


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